Merry Christmas!だった。
そう、昨日のブログの最後が、表題だったのだけれど。
札幌の女史のFacebookにこんなん、アップされていて、一気にモードが変わった。
https://www.facebook.com/saeki.takako.2014
って、ご本人の許可なく転載しちゃった、ってことになるかな。
ま、素敵な文章だったので、いいでしょ。
以前、浮かれ街で飲み歩いてた頃は、この時期といえば、山下達郎の。
曲名忘れたけど、きっと君は来ない、とかの歌詞から始まる曲がデフォだったな。
クリスマス、って、ケルトとかの先住民族の祝祭を、後来の民、キリスト教徒が奪い取った。
なんて認識だったので、おいおい、なんて気分でもあったんだけどね。
上記の文章に触れて、ちょっと、モードが変わったわけだ。
さらに深いわけは、現在ルーティン化している、あるワークにもあるんだけど、これ、今のところ。
言えません、まずは、身につけるまでは、って具合です。
なんてことはともかく、くだんの女史の言葉にあるように、ある視点から見たら。
クリスマス、って、ほんとにすごい装置、とも言えるか。
その昔、わが父親、昭ちゃんが、夜遅くに、生クリームでないホールケーキを携え、帰宅。
なんてこと、あったな。
たぶん、次の朝とかに、僕らはご相伴にあずかったんだったか。
さらに小さい頃には、枕元に、サンタさんのブーツにお菓子が入ってたのを朝になって喜び勇んで。
いただく、なんてこともあったか。
いずれにしても、佳き一日、という発語とmerrychristmasという発語がシンクロした。
なんて勝手に思ってもいて。
という朝です。
イスラムとか中東に詳しい、つい先日、同友会大学でお話をお聞きした宮田律さん、こんなこと、書いてたな。
『キリストの生誕を祝うクリスマスの歴史はそれほど古くない。英語の「クリスマス」は本来「キリストの日のミサ」を意味するものだ。20世紀初頭になってクリスマスは欧米でも世俗的な家庭の「祭日」となった。キリスト生誕後の200年の間、キリスト教では殉教者であるキリストの誕生日を認めることをしなかった。キリストの誕生日をいつ12月25日にしたかは明らかになっておらず、新約聖書にもキリストの生誕日に関する記述はない。』
身も蓋もない記述、とも言えるけど、それほどに、自由な世界が広がっているんだよね。
各人各様の解釈のママに、この世は動いている。
面白い世界だ。
同じアホなら、この世を踊らにゃ損損、ってことだな。
さて、踊りを始めるとするか。