まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

ルーティンが増えて朝が忙しい

2019年12月04日 | Weblog

と言う、いきなりの愚痴めいた表題なんだけど。

忙しいからダメ、ってわけでもなく、また、昨日と同じような。

忙しいは、心を亡くすほどに無心になる、なんて話だな。

無心になる時間が、増えた、瞑想的に生きている時間が長くなった、とも言えるわけだ。

って、少々、くどいかね。

そんな中、今朝は、マンデリン。

開封されずに二週間は経過してしまったか、なので、ちょっと、心配していたんだけど。

酸味もそんなに感じずに、まろやかな甘さとともに、味わった。

彼ら、生き物だよね、当たり前だけど。

水には、人類のすべての記憶が宿っている、なんて話もあり、毎朝の神棚。

水換えの時には、丁重に彼らにご挨拶をし、あなたの記憶のすべてをいただきます、なんてね。

そう、もう師走なのに、去年からの榊が青々としていて、驚嘆のかぎりなり、って次第で。

わがスペースの清らかさ、あるいは、流れのよさ、を毎朝、再確認させていただいているんだよね。

このところ、見える世界と見えない世界の境界、または、それへの言及についてのタガが外れたようで。

感じるママを、気になるママを、書き表してもいて、なにせ。

そのあたりの禁忌、タブー、ひそひそ話の由来ってのが、せいぜい、明治の維新期、由来。

程度の、人類創生からすれば、ほんの須臾なる時間でしかなく。

そんなところで狐疑逡巡していてどうするんだよ、ってなもんです。

おおらかに、爽やかに、滞りなく、思いのままを語ればいいんですね。

どのみち、言葉に表し、誰かと共有すれば、そこでの修正、昇華なんてのは、いともたやすく。

できるんだからね。

当時、と言うのは、明治期、修験者や加持祈祷師や、そう言った類の方々は、20万人いたそうで。

さらに、それらの方々の係累まで含めれば、相当な数の塊が、排除、排斥、パージされ。

と言うんだから、途方もない、精神の、文化の、土俗の、革命だったんだよね、あの頃。

そこに視点をおかずに、やれ、道徳が、とか、最近の若い者は、風潮は、と言う嘆き節は。

どうもね、片手落ち、って具合だな。

と言うわけで、次なるルーティンに入るとするか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする