母親の一つ話、あたしは結婚前の若い頃、と。
このあたりの家から、お嫁さんにどうだね、と誘われていた。
ってやつだけど。
だいたい、清水インター付近を走っていると、その話題になる、というコトなんだけど。
昨日は、ちょうど、お寺さんの前を通り過ぎた頃だったのか、今回の物語は。
お寺さんからのお誘い、ってシチュエーションで。
家にも何度か訪ねてきてくれて、という挙句の言葉が、表題のようで。
諧謔、ウィット、ユーモア満載の、という受け取り方で、車内、大笑いになった次第。
巧まずの、結果としてのユーモア、なわけだ。
年が明ければ93歳か、早い話が、終わりが近づいている、という認識の。
つまり、終わるとだいたい、お寺さんだよね、という中の、表題です。
そう、昨日のおじおば会の一コマ。
全体の時間の流れを10としたら、どうだろう、9くらいは気分良く、楽しく過ごし。
一同、胸をなでおろし、みたいな感じなんだけど、いつ、ネガティヴ感満載の態度、表情、気分。
に陥るか、というのが、各人の底流を流れてもいて。
その、残りの1のシーンでは、僕に向かって、どこへ行ってたんだね、あんたとは親でも子でもない、くらいの。
時間が流れもしたんだけどね。
そんな感情が、どこから訪れるのか、人間ウォッチャーという視点で眺めると、興味尽きないものですが。
ところで、昨日の日経新聞。
こんな記事がありました。
文字を持たないアイヌ文化、しかし、アイヌ文様を持っていた。
というわけだ。
文字を持つことで、恋文も書けるし、行政文書も残せるし、なので、人々の進化発展には。
最適です、みたいな風潮、解釈の中、しかし、実は。
文字ってのは、かなりエグイものでもあるんじゃねぇ!って解釈も成り立つわけで。
天地神明に生きる、という観点からしたら、地球や宇宙との交信、交流には文字は不似合い。
なのかもしれない。
という意味で、アイヌ文様、というのが、クローズアップ、って算段だ。
ということで、来年の「歴史の旅」のコンセプトは、自然との繋がり、とか。
感受、感得とか、をテーマにした、アイヌ、縄文、なんてのがいいんじゃない?
と提案をしてみた。
交流、交信という意味では、この列島に残るピラミッド、ってのも、テーマになるのかも、なんだけど。
飛騨の位山、とか、富山のとんがり山、とかね。
地域、広がりすぎ、という難点もあるので、そこはどうかな、って具合だな。
いずれにしても、文字を介さない、ま、言ってみれば、コミュニケーションに迫る、と。
というわけで、師走です。
今日から、今年最後の個人ミーティングが始まります。