まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

初めからお寺じゃ嫌だよ!

2019年12月23日 | Weblog

母親の一つ話、あたしは結婚前の若い頃、と。

このあたりの家から、お嫁さんにどうだね、と誘われていた。

ってやつだけど。

だいたい、清水インター付近を走っていると、その話題になる、というコトなんだけど。

昨日は、ちょうど、お寺さんの前を通り過ぎた頃だったのか、今回の物語は。

お寺さんからのお誘い、ってシチュエーションで。

家にも何度か訪ねてきてくれて、という挙句の言葉が、表題のようで。

諧謔、ウィット、ユーモア満載の、という受け取り方で、車内、大笑いになった次第。

巧まずの、結果としてのユーモア、なわけだ。

年が明ければ93歳か、早い話が、終わりが近づいている、という認識の。

つまり、終わるとだいたい、お寺さんだよね、という中の、表題です。

そう、昨日のおじおば会の一コマ。

全体の時間の流れを10としたら、どうだろう、9くらいは気分良く、楽しく過ごし。

一同、胸をなでおろし、みたいな感じなんだけど、いつ、ネガティヴ感満載の態度、表情、気分。

に陥るか、というのが、各人の底流を流れてもいて。

その、残りの1のシーンでは、僕に向かって、どこへ行ってたんだね、あんたとは親でも子でもない、くらいの。

時間が流れもしたんだけどね。

そんな感情が、どこから訪れるのか、人間ウォッチャーという視点で眺めると、興味尽きないものですが。

ところで、昨日の日経新聞。

こんな記事がありました。

文字を持たないアイヌ文化、しかし、アイヌ文様を持っていた。

というわけだ。

文字を持つことで、恋文も書けるし、行政文書も残せるし、なので、人々の進化発展には。

最適です、みたいな風潮、解釈の中、しかし、実は。

文字ってのは、かなりエグイものでもあるんじゃねぇ!って解釈も成り立つわけで。

天地神明に生きる、という観点からしたら、地球や宇宙との交信、交流には文字は不似合い。

なのかもしれない。

という意味で、アイヌ文様、というのが、クローズアップ、って算段だ。

ということで、来年の「歴史の旅」のコンセプトは、自然との繋がり、とか。

感受、感得とか、をテーマにした、アイヌ、縄文、なんてのがいいんじゃない?

と提案をしてみた。

交流、交信という意味では、この列島に残るピラミッド、ってのも、テーマになるのかも、なんだけど。

飛騨の位山、とか、富山のとんがり山、とかね。

地域、広がりすぎ、という難点もあるので、そこはどうかな、って具合だな。

いずれにしても、文字を介さない、ま、言ってみれば、コミュニケーションに迫る、と。

というわけで、師走です。

今日から、今年最後の個人ミーティングが始まります。



 

コメント
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