主人が心筋梗塞で、入院した後に、回復が、思いがけず、良好で、それで、私にも心理的な余裕ができているのですが、
そこへ、代わりに、するりと入って来たのが、猫の老化現象です。
瓜南直子さんの最後のツィッター(文章)を、グーグル検索で、見ることができた時に、『億劫で、たまらない』と書いてありました。
今、猫が、階段を上るのを、おっくうがるので、心配しています。人間たちは、普段、ほとんどの時間を二階で過ごしています。この猫は人間が大好きで、つい、一週間前まで、ゲームの様に、私に椅子を取るのを、楽しみにしておりました。パソコンを打つための椅子を撮られるので、それと並んで、別の椅子を、遠くから持ってくると、今度は、ひょいと、そっちへ、移動をするのです。私が、ちょっと、例茶でも、呑みたいなあと、たった隙に、すぐさま、のっとってしまうという程、茶目っ気の或る猫だったのに、まるで、静かに、一階だけで、寝ているのです。
おかしいなあ』と、思っています。で、しょっちゅう、一階へ降りて、彼女の、様子を見に行っています。一階の、16畳の洋間は、今のところ、猫の入院病棟だと、考えております。
それもあって、また、外出もしたので、本日は、ブログを更新できず、恐れ入りますが、このお断りだけで、お許しくださいませ。
歌舞伎俳優などの、舞台俳優は、「親の死に目に会えなくても、舞台には、穴はあけない」と、言いますね。私も、このブログの世界には、責任を感じております。
ただ、私の場合、文章は、ほとんど、天から降りてくるものなのですが、本日は、降りてきていないので、、
静かに、気分の流れるままに、今夜は、過ごさせてくださいませ。無論の事、猫は、共、明日には、急変は無いでしょう。それは、大丈夫でしょう。だって、オシモの方は、自分で、庭へ行ってやってくれていますから。
ただ、大の方を、土の中に、埋め無い様になったのですね。それも、億劫さの表れなのだと、思います。園芸の仕事をしているときには、私は、南側から、北側へと、家の周辺を、行ったり来たりするので、何度も同じところを繰り返して通る、私の動線が50mぐらいあるのですが、さっきは無かった、つやつやした、猫の、大便が、道の真ん中に転がっていると、『この便なら、彼女は、病気ではないなあ』と、一方で、思いながら、『でも、老化は、激しいなあ。猫なのに、こんなにぽろんと、転がしたまま、室内に、帰ったなんて』と思うのでした。どういうことかと言うと、猫って、非常にきれい好きだし、誇り高いし、『人間に笑われるのなど、まっぴらごめんよ』と、普段なら思う筈だからです。そして、見えない様に、また、におわない様に、大小便は、きちんと、埋めるものだからです。
上の3枚の、写真は、5年前のものです。今は、体は、ずっと痩せてきています。
目も、上の写真ほどには、今は、張らないで、半眼風です。だから余計、『衰えて来たなあ』と、思うのです。
なお、このブログの、2010年より数え始めた、延べ訪問回数は、3585432です。
2016-6-27 雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)
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