銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

鎌倉・雪の下2-2-10と、2-3-7にfocus on すると、CIAエージェント達の、悪企みは殆ど解く事ができる。ここではカラックス監督の悪利用について語りたい

2021-04-23 14:26:00 | 政治

 さて、今は、25日の午後9時です。総タイトルをまた、変更させてくださいませ。それ以前は、【W杯南アフリカの旭日旗騒動 + ビートたけしの芸大教授就任 + 千葉景子大臣の死刑場公開・・・・全ては鎌倉・雪の下二丁目に結集する】でしたが、なかなか、それを全部書けないので、変えます。鎌倉雪の下二丁目の、或る一帯に、フォーカスオンをすると、伊藤玄二郎たちの悪たくらみがすべて見えてくるという話です。今まで、書いてきた、雪の下・黒物語の派生物として、レオスカラックス監督の侮日映画は、生起したのですよ。

 地番としては、鎌倉雪の下2-2-10(これは、旧川喜多かしこ邸です。現在は川喜多記念映画館と、名称も、概念も、変更になっています。2-3-7とは、その裏山に住んでいる私宅の住所です。

 ここに最近登場した(A)川合良一先生(北鎌倉女子学園の先生だったが、同時に理科大交響楽団の指揮者でもある。私の西隣に、毎日庭ごみを我が家に掃き入れる遠藤夫人という女性が住んでいたが、そのお嬢さんを妙本寺へ嫁がせた仲人だと、考えている人物)

 (B)梶田さん(岩谷堂町内会=雪の下二丁目町内会=会長、山の上に住む富沢家と仲が良いので、富沢家を救うために、市役所の移転反対運動を、一手に行っている町内会長さん。旧家=造り酒屋の出身だと、聞いている。奥様は民生委員)

 (C)伴清一郎さん(我が家から、レオスカラックス監督の侮日映画、TOKYO 第二部のプログラムが盗まれた後で、映画のプログラムについて多数の投稿をした。それから、ほぼ毎日、全日本あすはが連の投稿をして、私を苦しめた。また、私が第一次フェイスブック時代に、大きく支援した金田佑子さんを裏切らせる方向で、指導。それらの結果、急に肝臓の悪化が進み、私が彼女は捨てますと、決意して以来、立った半年で、逝去した、瓜南直子さんの、実質婚の相手・・・・・直子さんの投稿を丁寧に読んでいた私は、伴さんが、金銭的な援助はしていない・・・・・居酒屋で、たばこ一本上げるぐらいの援助だった。それも、尚子さんがせびった時だけ・・・・・他、夫として、それほど、支援をしていないのは、わかっていた。が、彼女が亡くなったら、非常に大切にしていたなどと言う、投稿をしている、奇妙なというか狡さの見える人物)

 (D)柴田駿氏の遺族(フランス映画社は、レオスカラックス監督に、映画【TOKYO】の第二部を製作させた。社長の、柴田駿氏は、川喜多かしこさんの、娘和子さんと、結婚をした。和子さんとの間にお子さんがあったか、無かったかは知らないが、二人は、ともに、20代で、結婚をしているので、お子さんがあったと仮定しておこう。ともかく、その遺族が、川喜多かしこ邸の、斜め前に、広い土地を所有し、長年の間、駐車場を経営していた。実際の居住地は東京だったと推察する。そこが、つい最近、ビル化したのだ。美麗なビルである。柴田氏は、2014年自己破産を申請している。で、2019年に亡くなっている。で、遺族または、柴田氏自身は、亡くなる前から、このビルを建設する計画を、立てていて、亡くなる直前に完成したかな?どうかな?というところだ。

 ところで、レオスカラックス監督の映画【TOKYO (第二部)】は、恐るべきレベルで、深い、または、ねじ曲げられた反日、または、侮日映画なのだけれど、原案は、井上ひさしが出していると、思われる。特に筋ではなくて、レオスカラックス監督に侮日映画をつくらせようとするアイデアは、彼から出ている。これは、誰もサポートしてくれないだろうが、真実の筈だ。

 しかし、映画の実現の諸・過程は、柴田駿氏と伊藤玄二郎と、高野悦子さんなどが、協力して行っていると、私は考えている。で、この映画全体が、悪魔的にもCIAの見事な産物であるがゆえに、例のごとく、神様は、この遺族の持ちビルを祝福していない。二階から、上は、貸マンション(18万円)かける八戸+、自分宅(もしくは事務所一戸)の名称アビティととなっている。それが埋まっているかどうかは、外からは、見えないので、わからないが、一階、四戸のショップ用スペースは、一戸半を、腸詰屋が、借りている模様だが、ほかは借り手がいない。

 私が見るところ、その設計コンセプトは、腸詰屋の理想(店の前に植栽がある)を体現したもので、腸詰屋には、うれしいものかもしれないが、一般向けではない。中身が見えないので、入りにくいからだ。何を売っているのかわからないのでは、お客は入るのに二の足を踏むだろう。腸詰屋だけは、すでに、有名人だし、お隣で、昔、ARUKAMAKという名称で、似たお店を開いていたので、植木が、あって、邪魔をしていても、お客が寄ってくれるという自信があるのだろうけれど、それほどの、知名度が確立していない、ほかの経営者なら、ここを借りないと、思う。

(E)、腸詰屋とは、私の推察するところ、米軍基地に勤務していたのだはないかなあ? で、日本人離れしたオープンマインドぶりを示す。つまり、大げさに人懐っこい。で、彼を善人だと、思っている人も多いだろう。だが、実は、裏側では、ものすごい悪人である。私自身もそう思うが、ほかにもそう言っている人がいる。しかも、伊藤玄二郎らと結託をしている人間である。だから、私に対しても過去にひどい裏切りをしてきた事がある。信義は守らない人である。信頼しているとひどい目に出会う。

 ただ、腸詰屋は、値段設定が、うまい。そこの感覚は絶妙だ。はっきり言うと、あまり、高くしていない。今は銀座だって、ランチはお安くしている。それが、わかっていないお店が多すぎる・・・のが、鎌倉だ。でも、腸詰屋は、安く済ませようとしたら、立ち食いで、五〇〇円以内で済む。椅子に座ろうとすると、ビールでも注文をして、九〇〇円程度になる。それでは、お値打ち感はないが、食べ歩きなら、ワンコインで、或る程度の満足感は得られるだろう。ボリュームのあるフランクフルトが、焼いて熱いものを一本4〇〇円前後で、売っているから。それが、当たった原因だとも思うし、家族や親族を動員して他人をあまり雇い入れていないので、人件費に、融通が利くというのも利点だっただろう。したがって、鎌倉では、もっとも、勢いの良い、ビジネスマンだと、みなされていたと、推察する。去年までは、だが。で、新興成金というか、新興富裕層というか、新興有名人化して、一時期、鎌倉市内に三店舗構えていた。おおはやりと、言う事。もちろん、ロータリークラブとか、商工会議所にも加入をしていて、大きな顔をしていると、推察している。

 しかし、大家の、柴田氏の遺族より、年齢的に、三十歳は、年上であろう、彼(=腸詰屋)が、大家さんを、牛耳っているとしたら、このビルの一階テナントは、これから先も、埋まらないと、私は考えている。別に呪っているわけではないが、新コロナウィルス騒動が起きる前から、埋まっていなかったし。

 この一帯とは、地理的に言うと、鶴岡八幡宮様の、西南のコーナーにあたるのだけれど。本当に、坩堝の様に、伊藤玄二郎が利用した、人物たちの住まいが、連立している場所だ。まあ、本当に、いわく言い難い一帯ではある。または、換言すれば、この現代日本を象徴している、得難い一帯ではある、ともいえる。

 ともかく、この一帯を通るたびに感じることは、・・・・・天は存在する。神様はこの世を采配なさっている・・・・・と言う事。それを感じ取ることができる特別な一帯だ。

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副題〇、『この章に書いてあることのレジメ』

 この章では、私に関する超・重い話は後日に回して、大きな問題へ取り組みたいと思います。大きな政治的問題にです。

 そういうと井上ひさしは、また、「誇大妄想め!、きちがいめ!」と言ってくるでしょう。しかし、その映画は、井上ひさしの骨格的アイデアを、大・国際的・軍産共同体の、おぼっちゃまである、レオスカラックス監督が、自分固有の映画風に作り上げることを引き受けたのです。たった二週間で、促成栽培中の促成栽培として作り上げました。そして、日本側出演者、スタッフには、全体像を見せないで、あっという間に撮影して、帰って行ったのです。まさしく、CIA側・制作の映画です。

 それ=レオスカラックスのどうしようもない侮日映画、【映画・TOKYOの第二部】とか、川喜多映画記念館の役割とか、崔洋一監督の傲慢とか、瓜南直子さんが、天から叱られた話とか、大量なエピソードがここに含まれてきています。過去に書いたものが、統一的に、鎌倉雪の下二丁目の、何番地・数か所に、フォーカス・オンをするだけで、語っていくことができるのです。

 我が家の番地が、雪の下2-3-7であり、旧川喜多かしこ邸(現在は映画記念館になっている)が、2-2-10です。そして、元フランス映画社の社長(かしこさんの長女和子さんの、二度目の結婚相手)か、その遺族が建設したビル(川喜多記念ビルと、看板が出ていますが、実際には、マンションを兼ねていて、マンションの名前は、アビティです1-4-18~20)などに、レオスカラックス監督の侮日映画とか、私が、最近、苦しんでいることの、すべてが、集約しています。瓜南直子さんの実質婚の相手、伴・邸は、小町通一本隔てた、この一帯にありますし。

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副題1、『引っ越してきた直後に、高額物件の転売歴を教えてくれた、ご近所紳士がいる』

 1984年に、この雪の下二丁目に、引っ越してきたときに、私に明るい感じで、話しかけてきた人が三人います。

 一番、最初に、割と、インパクトのある話題を振ってきたのが、長嶋孝さんでした。前報(後注1)、や、前々報(後注2)に置いた図面の、画面右上に、その名前が出てくる紳士です。東京が本拠地の富豪で、こちらの雪の下は別荘です。

 その人が、現在は、鶴岡八幡宮の所有物となっていて、自家用車用、駐車場となっている二つの敷地の持ち主を私に説明をしたのです。

 それは、35年以上前のことだったので、二つの固有名詞が出てきたのですが、今では、その一つは忘れています。

 しかし、一つは明瞭に覚えています。栗田書店です。

 私は、その時には、まだ、栗田書店という会社に関して、知識が皆無だったので、きょとんとすると、「ああ、書籍取次店ですよ」と、教えてくれました。つまり、長嶋さんという人物は、教養が高いし、日経新聞などを、よく読んでいる人だと、思います。栗田書店とは大きな盛衰のある会社で、ドラマチックだからです。

 新刊書の、売れ行きがはかばかしくなくなって、栗田書店は、その土地を売るのです。2015年に会社そのものも、倒産となったみたいです。しかし、長嶋さんにしてみると、栗田書店は、目が高いと、なるのでしょう。だって、鶴岡八幡宮の、すぐ、西側です。駅から正真正銘の徒歩圏内です。一キロないと、思いますよ。そこを買って、利用しないで、空き地として、保有している。目の前が、神奈川県立・近代美術館だったので、現代絵画が、好きな人が重役の中にいたのでしょう。いかにも・大金持ち・らしい選択です。

 最近ね、親世代が亡くなって、遺産相続が起きて、盛んに、鎌倉市内で、売り物件が出ています。この土地よりも、もっと、駅から遠い場所でも、100坪で、一億八千万円くらいですから、これほど、駅に近くて、しかも500坪以上ある物件だと、(と、私は思いますので)、栗田書店が買ったときは、お高い土地だったでしょう。でも、戦後すぐだったりすると、お買い得だったのかもしれません。

 長嶋さんは、もう一つ固有名詞を上げたのです。それは、自民党の大物代議士で、特にメディアからの取材が多い人でした。つまり、インテリです。現在の代議士でいうと、浅尾慶一郎みたいな、役回りの人だけど、もっと、党内での、位置が高かったと、思います。田中角栄内閣より前の人で、総裁とか総理大臣にはならなかったけれど、大物扱いを受けている人でした。

 しかし、35年も前のことで、しかも、私は、2005年以来、激しい弾圧を受けていて、それに対抗するのに必死なので、弾圧と関係がないことは忘れてしまい、その人の名前も、今は、忘れています。ただ、その政治家の、子孫ですが、それがどうなっているかは知っています。

 今、お子さんが小町通りで、大きなお店を経営しています。しかし、コロナ禍で、最近は、閉鎖されていますが。そのお店の名前は言いません。どうしてかというと、その人自身は、私に対しては、悪いことを、してきたことがないからです。

 ただ、哲学的問題として、いろいろ、考えさせられるところはあります。父親は、日本人のだれもがその名前と、人物の考え方を知っている大物でした。しかし、子供は、鎌倉小町通りという観光客の多いところで、お店を経営している、無名の市井の人となっています。富裕層だとは、思いますが、父親ほどの知名度の高さはありません。だけど、二代目とか三代目なら、それもありだと、思いますよ。小粒にはなったが、平和な生き方です。

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副題2、『川喜多かしこさんの娘和子さんと、その二度目の結婚相手が、経営していた会社が、フランス映画社だと、思うが、その会社が、レオス・カラックス監督を使って、恐るべき侮日映画を製作した。そこに、なんと、文化庁が、800万円の援助金を出している。恐ろしい話である』

 その大物政治家だった人の子孫が、広いお店を経営しているすぐ近所に、川喜多記念ビル(ただし、グーグル地図を検索すると、アビティというマンションの名前になっていた)とか、瓜南尚子さんの、実質婚の相手、伴清一郎さんの家があったり、腸詰屋があったりします。

 本日は3日目なので、商・住集合ビルアビティと、レオスカラックス監督の映画、【TOKYO 第二部】について、述べないといけません。この映画のあらすじは、井上ひさしが書いたと、思います。それを、大・軍産共同体・デュポンの一族である、レオスカラックス監督が、映画【ポンヌフの恋人】で主役を演じた、ドゥニ・ラバンを使って、或る味付けを加えているものです。

 日本人は洗脳をされていて、バカの極みになっていると、私が常に言っていますが、この映画の批評がまさにそれで、日経新聞の【文化往来】と、言う短いコラムで、映画評論家の佐藤忠男氏が、「ひどい映画だ」と批評をしている以外、ほとんどの人がほめまくっていますが、恐ろしい映画です。本当に恐ろしい映画です。

 特に東京都の、地下・下水道に、いまだに、戦車が保管をされていて、その胴体に、大きな旭日旗が張り付けられているなどというのは、日本人が見たら、荒唐無稽だと、わかりますが、外国人が見たら、本当のことだと誤解をするでしょう。井上ひさしとは、そういう人物なのです。これは、2007年ごろに原案ができていますので、彼は、公的にも生きている時代でした。

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副題3、「この映画【TOKYO 第二部】は、見るつもりがなかったのに、わざと、見せつけられた。誤導入だった」

 渋谷の、道玄坂を上がり切った先、左側に曲がると、ビルの地下一階に、400席ぐらいの、渋谷にしては、割と大きな映画館があります。そこに映画【東京ソナタ】を見に行くつもりで、出かけて行ったのです。そういう広告を見て出かけたのに、入って、実際に見せつけられたのは、こちらレオス・カラックス監督の映画のほうでした。映画【YOKYO】のほう(ただし第三部だが)にも、香川照之が出ていますし、【東京ソナタ】にも出ています。そして両方ともカンヌ映画祭に、出品をされて、批評家賞をもらっていると、思います。

 で、わざと、私を、誤導入をして、私に、わざと、こちら、レオス・カラックス監督のほうを見せつけたのです。

 ところで、井上ひさしがなぜ、自分を死んだことにしたかというと、私は、2009年~2013年ごろまで、大量の文章を書いていました。彼は、専任で、私のブログを読み、それを、上奏していると、思います。誰にというと、日本におけるCIA本部と、警察庁の特殊部隊にです。

 そして、微に入り、細に入り、読みこんでいて、<<<<<あ、ここを利用すれば、彼女は悲しむぞ>>>>と、言うポイントを見つけ、ピックアップして、それを伝え、かつ、利用できるものは、自分もアイデアを出して、利用します。しかし、あまりに私が大量に書くので、読みこなす、作業と、一般的な仕事の両方をこなすのが、無理になり、私のブログを読みこなす専任を選んだのです。それは、莫大な報酬が出る上に、全世界を動かすことができます。

 例えば、昨日から、本日にかけて、総タイトルに使っていた、W杯、南アフリカ大会で、客席に旭日旗を、広げて応援をしていた人物がいて、騒動になったというのなど、100%井上ひさしがアイデアを出しています。👉

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副題4、『私は、そのニュースが報道をされた当時、すぐさま、私の文章との関連を察知しました。しかし、当時は、それを書いていません。当時、それを書いたら、読者様が、それこそ、笑うでしょうね。誇大妄想だと言って。しかし、最近は、骨を削り、肉を切らせるほどに、苦しいことを書いています。自分にとって、相当に、恐ろしいことを書いています。山口みつ子さんは、自殺ではなくて他殺である。理由は、私と、心の友であり、もし、彼女が引退したら、私と親友化することを恐れて、殺したのだった。

 妹は、やまゆり園一周忌を直前にした時期(2017年7月11日)に殺された。私が真実を書き表すことを、阻止するためである。などなどの、文章です。で、相当な積み上げができていると、思いますので、ここで、はっきりと語りますが、このレオスカラックス監督の映画は、次から述べる、二つの私のエッセーを利用して、アイデアが、生まれたと、推察しています。

 筋の構成についての、発想ではなくて、レオス・カラックスを使ったら、わたくしを見事に苛め抜けると、言う方向での発想で、です。ですから、井上ひさしは、日本とか日本人に対して、ひどいことを平気でできる人物でもあるし、レオス・カラックス監督は、大・軍産共同体・デュポンの一族の人なので、引き受けたのでしょう。でも、たった、二週間で、撮影を仕上げて、二度と日本には、やってきませんでした。自分でも、大いに後ろめたいからでしょうね。

 この映画の企画は、2007年ごろ始まっていて、その発想は、わたくしがパリ修業時代の、思い出を描いた、二つのエッセーが、元になっているでしょう。筋がではなくて、こういう映画を作ったら、わたくしが嫌がると、言う形で、発想を、そこからとっています。

 一つのエッセーは、わたくしは、1998年9月4日、バスティーユ駅・改札口・外で、背が高くて、体格の良い白人たち五人に拉致されそうになります。当時は、臓器売買の一味だと、思っていましたが、よくよく考えると、違いました。

 その日、三か月50万円のお家賃でお借りしていた高級アパルトマン備え付けの電話を使って、モンマルトルのサクレクール寺院のそばにある、大きな版画工房へ、「今から、行く」という連絡を取ってから、そちらへ向かっています。ので、その版画工房から、尾行をされていたと、感じています。ですから、今にして思えば、あの大男たちは、CIAのブルーカラーとしてのエージェントたちだったと、思います。リーダーだけは、俳優か?と、思うほどの美形で、上等なジャケットを着ていました。が、他は、剃り上げた頭をした、屈強な男たちでした。

 これは、それ以降、日本でも何度も繰り返される、うそを使った罠で、私がもし、彼らの言葉を信じて、ついていったら、別室へ、取り込まれてしまい、そこで、誰も見ていない形で、麻酔薬を嗅がせるのだと、思います。後は、どこかで、殺して、遺体が、発見される。または、発見されないと、言う形で、私を抹殺する予定だったでしょう。

 今年、娘一家が、ニューヨークへ、駐在員として、行くので、そういう際に、恐ろしい事故という形で、お婿さん、または、子供のうちの一人が、殺されるのではないかと、とても心配しています。だから、わたくしは一字一句書くのに、必死だし、深い深いレベルで、真剣なのですよ。だれだ? この文章を誹謗中傷だなんて、言って攻撃をしてくるのは? 

 ところで、お婿さんが出立するのは、本日、2021-4-25です。お別れの挨拶が、昨日なかったし、平木さん(これは、本日)と、大原さん(これは、21日に二回、22日に、一回、24日に2回、25日に一回)が、非常に意味ありげな、行動をとったので、彼らが、どれほど、CIAに大きく使役をされているかが、納得をされます。

 「ああ、平木さんよ」と呼びかけたいです。どうせ、読まないでしょうけれど。「あなたは、CIA側の一味として、私を苦しめることを、平成のやつ墓村事件以来、ずっとやってきているので、ご長男は、去年の秋に、すでに、東大入学を、推薦で、決めてもらっていますね。

 一方、私の孫は、両親がいない形で、受験を迎えないといけません。極めて不利です。こういう風に、ちょっと、条件が似ている人間を選んで、勝手にライバル設定をして、そちらを、持ち上げに持ち上げて、私を苦しめるのが、彼ら・・鎌倉エージェント(=CIA)の常とう手段です。

 で、あなたは、彼らに選び取られた、勝ち組として、うは・うは・なんでしょうね。それに奥様って、市長秘書に任命されていません? とても美しい方だし、お子さんを中学進学まで、育て上げた、経験があるので、落ち着いた所作・振る舞いがありますよね。それに、朝、一時間遅れで、市役所に、出勤し、午後は、一時間早く帰宅できます。それって特別待遇だから、もし、大勢の人が一緒に働いているデスクワークだと、周辺の吏員に嫌な気分を味わわせますね。だけど、市長室だったら、目立たないですよね。

 もちろん秘書は、ほかに、正吏員・特に男性が、二人ぐらいいるでしょう。外との折衝には、時間外の、接待活動(飲食を伴うもの)もあるでしょうから、男性吏員が、かばん持ちとして、ついていくのでしょう。でも、市長室内での、電話対応など、十分に、朝10時からで、こなせますよね。特に伊藤玄二郎などとの、電話連絡は、平木夫人が、間に立つ方が、便利ですよね。

 平木夫人は、すでに、十分に、伊藤玄二郎のやり方を、知っています。で、秘密を守られるし、‥…特に市長室に訪問客がある場合に、伊藤玄二郎へ、それを教える役目も果たせるでしょうし・・・・・」

 平木さんがあれほど、傲慢な態度をとるのは、私のブログを一切読まないからでしょう。大昔から、「あいつなんって、芥川賞受賞者でもないし、直木賞受賞者でもないのだから、読むに堪えない筈だ』と思い込んでいると、推察しています。

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👉 誹謗中傷っていう言葉は、誰が、主導して、テレビに出てきているのか?

副題5、『最近、一週間以内に、ちりちりパーマをかけた、木村花さんの母親が、テレビに出た。また、キャンプ場で、お子さんが、行方不明になったママも出てきた。両方とも、誹謗中傷の、被害者という形である。お気の毒ではある。しかし、私は、両方とも、加害者としては、いつも登場する、ブルーカラーとしてのCIAエージェントが絡んでいるのではないかと、思っている。それ以前のケースでは、犯人役をリクルートして、それを逮捕して、裁判にかけて死刑、または、無期懲役にしてきた。しかし、それをすべて、謀略だと、見破ってきた私に対抗するために、犯人が、こそっとも、姿を現さない形で、子供をさらった(もしくは殺した)のが、キャンプ場、行方不明事件だ。その一つ前では、新潟で、小林亮という青年が行ったとされる、おおももたまきちゃん、死後レク男児懸念、起きている。それを見破っているブログがあるもので、犯人が皆目姿を見せないという形で、キャンプ場から、かわいいお顔のお嬢ちゃんをさらった。

 そして、被害者たちを、自分たちが、困ったときに、テレビの登場させる。それが、井上ひさしと、伊藤玄二郎の、二人の鎌倉エージェントの常とう手段だ。今般は、平木家のご長男が、去年の秋のうちに、東大合格を知らされていた・・・・・と、語るこのブログの文章に困り果てて、あの二組の被害者を、大きく取り上げろと、夫々の、弁護士等に、連絡を入れたのだと、思う。伊藤玄二郎は、中央大学の法学部の出身なので、法曹界は、110%支配をしているので、楽々で、できることだ』

 ところで、誹謗中傷という表現ですが、最初に言い出したのは、井上ひさしですか? あなたは、CIAエージェントだから、ともかく、わたくしを殺そうとしているだけですから、そういうことを言いますね。だけど、違いますよ。わたくしのブログの一行一行には、過去に経験した各段に危険な現象の思い出と、これから先に起きることへの予防という意味が込められている、すさまじいレベルでの、真実の開示記録です。

 井上ひさしにとって、テレビニュースを自分が采配できると、言うことは、一億二千万人を支配できると、言うことです。時には全世界を支配できます。夜スペインを飛び立ったドイツ格安航空機がアルプスに、激突した際、その真相は、高度計などの、計器類を狂わせられていたわけだと、思いますが、如何にも大衆好みの、ルビッツ副操縦士の自殺願望説など、井上ひさしが案出したでしょう。これは、おいしい作業です。自分を死んだことにしても手放したくない仕事でしょう。で、今も彼は、日夜、粉骨砕身で、私のブログに目を光らせていると、思いますよ。

 で、レオスカラックス監督を起用しようと思い至った、最初のエピソードは、2018年9月4日のパリバスティーユ駅の思い出です。

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副題6、『バスティーユ駅で、危うく拉致されそうになった、いわくいきさつは、詳細な、エッセーにすでに書いている。しかし、それは、ここには転載をしない。あまりに古いものだし、もしかしたら、パソコンが30台壊されているのと同時に、消えているかもしれないからだ。ただ、そのエッセーから、まず、・・・・・ジュリエット・ビノシュが、映画、【ポンヌフの恋人】の中で・・・・・と、言う私のセンテンスを、井上ひさしは、ピックアップしたと、思われる』

 その時、わたくしは、その屈強な男たちから逃れるために、バスティーユ駅の8本の放射状に伸びる地下道をサンタントワーヌ通りの出口へ向かって走ったのですよ。その情景が、ジュリエットビノシュが、【ポンヌフの恋人】の中で、走る道と同じなのです。ただ、彼女が走った地下道が、地上では、どこに出るかは知りません。しかし、八本の太さ細さ(細いです)などが、私に強い印象を残しています。それで、もし、レオス・カラックス監督を使って、侮日映画を製作すると、わたくしが何も言えなくて、ただ、ただ、きりきり舞いをするだけだろうと、推定されて、映画【TOKYO 第二部】が製作されました。

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副題7、「地下鉄一番線、サンポール駅そばのパン屋と、そこからシテ島へ向かう道沿いにあったコインランドリーの二つで、見聞したエピソードが、バスティーユ駅の次に、井上ひさしに、ピックアップされたのだと、思っている』

, わたくしがパリで住んでいた、サンポール駅周辺は、富裕層(ユダヤ人を含む)が、多く住んでいる四区(マレ地区)に存在していて、特に駅前パン屋は、日本から視察団が訪れるほどに大きい。わたくしは版画の修行に行っているので、爪の間に、インクが染みこんでいて、このパン屋の経営者のお嬢さんに、苛め抜かれた。

 底辺の労働者だと誤解を受けたのだった。修業が終わるころ、工房の友人たちに、毎日、ホールケーキ(5000円前後)を、一個、買って、お礼にもっていっていた。ほぼ、6個は、買ったと記憶している。それを入れる箱なんだけれど、日本のそれとは異なっていて、箱全体に、カラー印刷で、花が印刷されている。5000円以上の高額のケーキには、四色刷りの、花が浮かぶ、美麗な箱が、用意され、3000円台の、ケーキには単色刷りの花が、浮かぶ、より安価に見える箱が、用意される。経営者の娘は、わたくしが、高いケーキを買っても、店員に、「安い箱でいい」と、聞えよがしに命令するのだった。

 私は、パリへ行く直前に、大原光孝夫人、恵美子さんに、フランス語会話は、少し習った。しかし、パリへ到着すると、重要な交渉相手は、すべて、英語を使うのだった。お店の主人たちは、使わない。それで、パリでは、進学先が、昔の日本風に、中卒で、二つに分かれるのを知った。で、付け焼刃の、フランス語会話は、たちまちに捨ててしまったので、パン屋で、「その箱は違うでしょう。4色刷りの方の箱を使ってください」と言えない。英語なら言えるけれど、英語で言っても通じないと、思う。

 ところが、ここで、最後の最後に、わたくしのほうが、溜飲が下がる思いを抱く経験をする。それは、1998年当時、パリの若い人は、60%が、未婚であると、言う事実と関連する。わたくしのお隣の紳士は、一目で、富裕層とわかる品の良さと、上等なウールのコートを着ている紳士だが、独身だ。わたくしは、この小さなアパルトマンの人全体に、好意を持ってもらっていた。で、このお隣の紳士と、パン屋で、前後に並ぶ機会があった。とても人気のあるパン屋なので、お客が30人近く並んでいて、時間がかかる。夕方だと、特にだ。すると、例のお嬢さんが、普段は、きついにらみつける様な目をしているのにその時だけ、うっとりとした目をして、私と会話を交わしているお隣の紳士を見つめているのだった。私の目つきなんて、彼女とは、ずいぶん違いますよ。だから、紳士は安心して、私と会話を交わします。で、私は、紳士が対等に扱ってくれるので、本当にほっとしました。

 紳士も上階のお嬢さん(地方の大学学長の娘さん)も、私が英語を完璧に使いこなすので、それなりの、知的レベルの人だと、きちんと認めてくれていたのです。

 しかし、問題点は、これだけではない。このお店の右側から、シテ島(セーヌの中島・・・・・その中のマンション(いわゆるアパルトマン)に住むのは、パリで、最上級の富裕層らしいが)に入っていく道がある。その道沿いにコインランドリーがあった。正方形で、4畳半ぐらい。その床は、とても清潔にしてあった。そこで、寝ている人物がいる。若い。そして、頭をそり上げている。

 私はその時、まだ、映画【ポンヌフの恋人】を見ていなかった。それで、そのホームレスが、ドゥニラバンとそっくりだと、言うことを知らなかった。ただ、そのホームレスがなぜ、ホームレスなのかというと知的障害があるのだった。

 ところで、私が借りたアパルトマンには、トースターがなかった。その後、工夫によっては、鍋で、パンが暖められるのを知るのだけれど、常に、パリでもニューヨークでも、鍋で温めるなどやらないで、新しいパンを、毎日、買いに行くのだった。ニューヨークでなんて、1999年など、毎朝ベーグル一個だけを買って帰ってきた。小さなパン屋で、気取らないで、済むパン屋だったからだ。1998年のパリでは、例のお嬢さんが意地悪だったので、いつも、クロワッサンを三つは買った。それで、合計80回ぐらい訪問をしたのだけれど、例のホームレスにあのお嬢さんが親切だったのには、驚いた。それで、パリの人は、知的障碍者には優しいのだと、言うエピソードを書いた。特にテレビ放映で【ポンヌフの恋人】を見た後で、それを書いた。

 これで、井上ひさしは、レオスカラックス監督を使うことに決めたのだった。そして、ドゥニラバンも使うと、言う条件は出したであろう。:::::::::ただ、ここで、厳密にいうと、私の周辺にいつも尾行がいたとして、あのホームレスが、本物のドゥニラバンだったりして、それで、あの意地悪なお嬢さんが、大切にしたのだったりして。もし、この推察が当たっていたら、なんと言おうかだが?

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副題8.映画【TOKYO】が大変困った映画だというのは、三から五点ほどある。地下・下水道に、戦車が置いてあり、その胴体に、旭日旗が、ペタっと張り付けられているというのも一点だ。次に、銀座を疾走する、ドゥニラバンが、大きな菊の花を、食いちぎる。これは、天皇制を批判をしているそうだ。

 ただ、ドゥニラバンの、役名は、メルド(糞というフランス語)だそうだ。と言う事は、衣装も、風体もボロボロの乞食で、名前まで糞という、人物に、平成天皇が批判をされていると言う事だ。

 上野の国立博物館で、天皇家の秘宝展が開かれたときに、<本日は、平成天皇が、ここに、見にいらっしゃる>と、言うことを知っている人々が、正門前で、列をなしていた。私はたまたま、芸大美術館の帰りに、その行列に出くわして、「これは、何なのですか?」と質問をして委細を知った。それで、時計を見て、五時10分前ぐらいだったので、・・・・・まあ、いいか、30分待っても、初めて、実物の平成天皇陛下(幼名・明仁)様を、見ることになるのだから。それは得難い体験ですよ・・・・・と、思って、待っていた。特に私の直前に、並んでいる人が、アラフォーのデザイナー・カップルだったから。こんな若い人が待っている平成天皇って、人気があるのだなあと、思って。

 すると、五時15分に、天皇陛下の車列が到着し、窓が開いていて、列をなしている人たちに、こちら側(右側)が、平成天皇、左側に、美智子様がいらっして、お二人とも手を振ってくださいました。ほぼ、距離として、10mなかったと思いますよ。日本は平和だなあと、思っている私の耳に先頭あたりで、待っていたと、思しき人が、哀切極まりない声で、「天皇陛下ばんざーい」と叫んだのですよ。車列が、正門の中に入ってしまっても、まだ、二回ぐらい繰り返して。

 しかし、レオスカラックス監督の映画【TOKYO】の中では、糞【=メルド・・・・というフランス語】が、大きな菊(造花です)を食いちぎるのです。私は初めは、その意味が分からず、「あら、あそこって、田中貴金属の前ですね。キンコーズもありますよ」なんて、のんきにみていたのですが、最後まで、見ると、恐ろしいほどの侮日映画だったので、プログラムも詳細に、点検したし、各紙、各誌の批評や、メイキング中の情報記事も丁寧に、読みました。するとこの部分が天皇制を、からかっているということが分かりました。そして、好評を与えている、批評家たちは、そこをあんたは、見抜けましたか? 僕は見抜けましたよ。さすが、レオスカラックス監督は頭がいい」と、得意になっているのでした。

 この時に、私はピタッと分かったのです。それは、私にコメントをよこす人間のうち、最大の投稿者は、井上ひさしですが、彼こそ、「へーがデール」とか、「ウンチョース」というペンネームで、コメントをよこしていたのです。後で、次期を確認しないといけないですが、彼は、レオスカラックス監督に、自分のアイデアを実現させた、自分の力の行使に大得意であったから、こういうペンネームで、私にコメントをよこしたのでした。

 実は、24日に、推敲加筆を、途中で止めた場所の手前まで25日に、推敲加筆ができました。でもね。これ以降は、また、後で(結局は明日)にいたします。

 ここまで、書くのだって、とても大変でした。これから、パソコンのそばを去ります。

 南アフリカの、旭日旗の問題、ビートたけしの芸大教授就任、 

@@@@@@ここが2日目(24日)に推敲加筆中の最先端です。

 この三軒は、夫々、伊藤玄二郎に悪利用をされて、対私いじめというか弾圧に一役買っていますので、暇ができたら、そのエピソードを書かないといけません。

 そして、その一角に、梶田さんの家があります。梶田さんは、鎌倉の造り酒屋の子孫だと、聞いています。梶田さんは、グーグル検索にも出てくる人で、岩谷堂町内会の会長として出てきます。

 奥様は民生委員です。

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 岩谷堂町内会といっても、ピンとこない人が多いと、思いますが、実際には、雪の下二丁目町内会という形であって、鶴岡八幡宮の、西側一帯を、さします。本当は、我がご近所も、その一部なのですがむかし、だれかが、「地理的に、上下の差があって、独立した方がいい」と、言うことを主張して、別れたのです。

 ともかく、私も、相当な情報ツウにはなってきましたが、1980年代の長嶋さんには、かないません。

 で、どうして、彼は、こんなに詳しいことを知っているのだろうと、それこそ、ハトが豆鉄砲を食ったみたいな顔をしたので、「法務局で調べたのですよ」と、彼は、言いました。

 で、今から、35年は前の話ですから、あたり一帯が平和だと、思い込んでいた私は、どうして、この人は、そんなことを調べるのだろうと、不思議に思ったのです。

 ところで、1978年に、私は、自分の身におかしな危険が迫ってきたので、北久里浜の我が家の周辺について、弁護士さんに、相談しながら、法務局へ日参して、各種謄本(コピーの事)を、類を大量に取っています。それが、全部、この鎌倉の家から、盗まれていますけれど・・・・・

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 でね、日本橋に事務所を構えて、企業専門弁護士をしていた、東京第〇弁護士会会長の方から、「あなたは、本当に頭がいいんだね。見かけとはまるで違う」と言っていただいています。

 でね、そういう私から見ると、静岡大学の法学部出身だと、聞いている、前田清子さんの、法律無視というか、法律悪用の、行動には、恐れ入っているのです。それと、ヤナギサワノボルの無知蒙昧にも驚いています。「住居侵入で訴えるぞ」と、叫ぶ、かれの言動を見ていると、・・・・裏で、わたくしの猫を隠しているくせに・・・・と思って、本当に恥ずかしいです。

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 しかし、最近(というか、この五年以内に)長嶋さんの家に、招待されました。別にケーキもお紅茶も出なかったのですよ。でもね。その家を、長嶋さんが、別荘として使っていて、町内会総会へも提供しているのに、私は一回もその中に入ったことがないので、興味を抱いて、のこのこと出かけていきました。

 しかし、警戒心を底の底に抱きながら、キツネと、タヌキの化かし合いとしての会話を重ねたのです。

 でも、道路で話すよりは、打ち解けるわけで、ながしまさんは、出身大学を、その時に初めて教えてくれました。早稲田の政経だそうです。

 それで、いろいろなことがぴたーっと腑に落ちました。

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 まず、学歴と資産の面で、自信があるので、決して威張りません。丁寧な姿勢です。かつ、東京圏の育ちの人です。これも、或る姿勢を形成します。威張らないし、上下関係を作りません。むしろ下手に出ると、言うぐらいです。

 こういう風に教養の高い人が、過去には、何人か住んでいたのですが、引っ越していったり、亡くなったりして、野蛮で、せんれん度が低い連中だけが、今、残っています。そして、そういう連中が、主流派として牛耳っているので、朱に交われば赤くなるの例え通り、みんながレベルがひくくなっています。

 で、もし、35年前にお招きを受けていたら、安心して、心を全開したでしょうが、そのお招きを受けた時点で、すでに、彼宅の西隣の、前田清子さんの、見方を何度もしていましたので、表向きは和気あいあいの話をつづけながら、警戒心は、いっぱいでした。

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 すると想定通り、長嶋さんは、東隣の中谷家の味方をして、恐ろしい事実をもたらしたのです。それは、私の心中に、大きな心痛をもたらすものでした。

 中谷家の長男は東大卒で、東大教授になっていくところだとは、1985年にすでに、中谷共二氏本人から、聞いています。

 しかし、長嶋さんは、次男の方を教えてくれたのです。慶応卒で、三井物産勤務だと。

 これはですね。非常にハイレベルな、脅かしでした。どうしてかというと、娘の結婚相手が、三井物産勤務だからです。

 ここから、ものすごいエピソードが、数多く、出てくるのですよ。しかし、本日は、まだ、触れないで、置きましょう。書くのに大変なエネルギーが必要ですから。

  2021ー4ー25  雨宮舜(本名 川崎千恵子)

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