銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

神奈川県立近代美術館【鎌倉館】いよいよ閉鎖、葉山に移転をした裏側について推理する△△

2015-11-13 23:21:31 | 政治

 今は、16日の午前2時ですが、さらに、誤変換を見つけて修正しています。で、。それで、恒例の△印を二つ、総タイトル横に付けておきます。初稿とは、まるで、違ってきていて、意味が通りやすくなっていると、思います。たとえば私的な問題に、公金を使って、勝負を付けたりする、そういう悪巧みに、ついて、初稿では、話せなかったことを、3日目だからこそ、書くことができていたりします。で、内容の因果関係が明瞭になってきています。と言う前置きを三日目に入れて、本文へ入ります。

 また、美術関係者ではない方に、申しあげると、本日、15日(日)の夜、NHK・ETVの日曜美術館で、神奈川県立美術館の現本館と言える、葉山館が出てきます。と、同時に、本章の、重要な登場人物である、酒井忠康氏が、出てきます。それを狙って書いたわけではないのですが、こういう風になるというのも、例の私の引き寄せる、巫女的な力も、加味しているでしょう。

 以下の一文は、前報(後注1)を、推敲中、こちらの部分だけは、独立させた方がいいと、判断をした部分です。前報よりも、多数の文言を入れて、より、充実させているつもりです。どうか、よろしく。ところで、最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。これは、最初の目的は、近代美術館鎌倉館を撮ろうと思ってシャッターを切った写真ではないのです。大石が落っこちて道路をふさいだ日に、記念に道路を、撮影をしたものです。が、たまたま、近美鎌倉館が一枚の中に、写っております。それは、私が白い矢印を手書きで入れた先に、木の間から白いものが見えます。そこが、近美の鎌倉街道側の看板です。樹木の間から道の両側に、駐車場が見えます。私はそこに近美本館を移転させたら最も良い決断だったと、思っているのですが・・・・・

副題1、『神奈川県立近代美術館がいよいよ閉鎖されるが』

 この一週間以内の事でした。我が家の真下にある、神奈川県立近代美術館の庭で、井浦新さんと、伊藤敏江アナが、居たそうです。主人が出かけるときに見かけて、帰宅する時にも見かけたそうです。で、私が「井浦さんは、【マウントレーニア(森永が出しているコーフィー飲料)】のコマーシャルをあそこで撮影していたことがあるので、それかもしれない」と言うと、いや、「帰りに、中庭に、いたから違うでしょう」と、答えます。で、私が、「ああ、彫刻が置いてあるところ?」と言うと、そうだと、答えます。その同じ日に、夕方暗くなってから、今度は、私の方が、出かけようとすると、昔、学芸員室として使われていた一階右側の部屋に明かりがともっていたので、多分、いよいよ、最終段階での、お別れ用の番組が撮影中なのでしょう。

 それが、実質的に閉鎖されたのは、2003年です。その年に葉山に、神奈川県立近代美術館・葉山館ができて、それ以来、わが家の真下の、建築物は、鎌倉館と言う名称となり、「一種の貸画廊となったのだ」と、情報通は、言っていました。つまり、格がひどく下がったと、言われているのです。その頃、酒井氏が、館長だったので、酒井氏が、番組に出るはずだと、私は、言っています。

 すみませんが、その<最近、酒井氏について書いた>文章が、今、探し出せません。ただ、酒井さんの名前が出てくるのは、後注1の副題7の中では、出てきました。

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副題2、『しかし、それを書いたとたんに、実は、すでに、11月8日午前九時に、酒井忠康氏は、【日曜美術館、若林奮(いさむ)展】に登場したのだった。なんというチャネリング』

 私は副題1で、井浦さんの番組で、酒井忠康氏が、美術館最後の記念番組に、重要な人物として出るはずだと、言っていますが、それは、現在の神奈川県立美術館の館長、水沢勉氏が登場するのかもしれません。で、私が推察するところによれば、・・・・・酒井氏の顔を立てるために、それよりも、前の段階で放映をされた、【若林奮(いさむ)特集】号で、酒井氏が、登場した・・・・・・となります。。しかし、その番組が一般の人向けに放映されたちょうど、その頃、私は、自分のブログで、酒井忠康氏について、書いていたので、その同時性には驚きました。こういう事をチャネリングと言うのだそうで、私には、多分に、その引き寄せるというか、預言者的な、能力があります。

 それが、一般国民向けに、放映をされたのは、この11月8日の日曜日の午前9時で、私は毎週、酒井氏如何にかかわらず、それを録画することにしているので、いつも通り、そうしておきました。それを見たのがたぶんですが、2日後の10日です。新聞の予告には、酒井氏の名前はないわけで、見ているうちに氏が、登場したので、いささか、苦笑をいたしました。NHKオンラインなどを丁寧に見ていると、出演者として、酒井氏の名前もあったのですが、そこまで、やっているほど、暇ではないので、ただ、何も知らずに、番組を開いたら酒井氏が出てきたのです。

 なんというチャネリングかと、思って。本当に驚きましたよ。

 と言うのも私にとって、栗田玲子さんを思い出す時には、彼女と、二人羽織みたいに、思い出す人が、酒井忠康氏なのです。これは、二人が恋愛関係にあるとかそういう事を言っているのではないのですよ。対私への攻撃と言う意味で、二人は、ぴったりと、共同行動をしているからなのです。だから、たとえ、この文章内に、酒井氏の名前を登場させなくても、栗田さんについて、書いている最中は、私は酒井氏の事をあれこれ考えているのです。栗田さんについて書いている最中とは、後注1の、副題7でも、書いていますが、その前に、あと注2の、副題13のなかで、大きな分量を使って書いています。それで、その章の、総タイトルを、一時期、『伊藤玄二郎に教唆されたであろう栗田玲子さんの特殊な行動から、旭化成問題が嘘である事が判る』と、していたほど、最近は、栗田さんについて書いています。それは、2015年10月26日の月曜日に、北畠洋一さんと言う人物を使って、ガレリアグラフィカと言う栗田さんが経営する画廊で、謀略が、行われていたからです。それ自体は、小さいものです。しかし、栗田さんをめぐる、と言うか、ガレリアグラフィカが、関与している、対私への攻撃と言うのは、こんなものでは済まされないほど、大量なのです。それを、一本のブログに収めることは無理です。が、鎌倉駅のトイレの場面だけは、ここで、使わせていただきました。それは、そのエピソードによって、伊藤玄二郎、酒井忠康、井上ひさし(彼は、まだ、死んでいませんよ。ひそかに、生きています。そして、地下潜行をして、いろいろな悪さのアイデアを練っています)たちが、どれほど、卑怯な人物であるかを語りたいと、思ったからです。

 この文章も、冒頭に、神奈川県立近代美術館・鎌倉館の閉鎖を語っていますが、それも、また、酒井氏を念頭に置いて語っているのでした。と言うことは酒井氏が、関与している対私への攻撃と言うことを語っているということになります。

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副題3、『神奈川県立近代美術館は、現在の、鶴岡八幡宮の駐車場に、移設するべきだったのだ。その二つの駐車場を、南北とも、両方を神奈川県が買って、地下二階建て、一部四階建てにして、空中回廊で、二つの建物をつなげばよかった。私が館長だったら、絶対にそうした筈だが(苦笑)・・・・・・』

 この一章は、昨日までは書いていなかったところです。しかし、私の頭脳内には、酒井忠康氏と言う単語を上げるだけでも、莫大な、情報量が入っている引き出しが開いてくるのでした。で、初稿を書いた次の日の12日に入ると、『それ(=神奈川県立近代美術館の移転の問題と、その裏側について=)も語るべきだなあ』と、なって、語り始めますが、近美は、葉山に移転をすべきではなかったのでした。

 神奈川県と、鶴岡八幡宮様と、それから、近美の、館長の間で、何がいつ話し合われたのかは、情報通ではない、私は知りません。しかし、トップが実際には誰であれ、その交渉を担ったのは、吉田茂穂・現・宮司と、酒井忠康氏(当時の役職が館長だったか、そうではなかったかは、私は知りませんが)だったと、推察しています。ここで、神奈川県代表は、いわゆるサラリーマンであって、さしたる重要な意志や意見は、持っていないと、推察します。

 吉田宮司は、八幡宮を会社に例えると、中興の祖と言ってよいほどの、功労者でしょう。白井宮司の下で契約したもの、それから、ご自分がトップになってから契約をされたもの、すべてを合わせると、最近の、鶴岡八幡宮様の、不動産・物件・購入の意欲と、その結果にはすさまじいものがあります。その上、本殿、舞殿、池周辺等の修復工事も行われていたので、資産をどう運用するかと言うことについては、大胆至極な人物であり、これが、私企業の代表だったら、名経営者と言うところでしょう。

 明治政府の廃仏毀釈運動で、八幡宮様は、地所と言う意味では、東西の方向で、剥奪をされて、ご損をなさって、少なくなっておられる筈なので、それを取り戻したともいえるのです。しかし、ある一点で、吉田宮司は、大いなる間違いを犯しておられます。それは、伊藤玄二郎と、仲良くなさっていて、彼の、進言で、いろいろな、まずい事を、行っておられることなのです。それらの内、自らにマイナスが、ブーメラン効果で、帰ってくる様な事をなさっておられるという事です。

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副題4、『鶴岡八幡宮様は誰かの讒言により、境内にあった、アメリカキササゲを伐採なさった。それもまた、大切な宝物である大銀杏が倒壊する、大きな原因だったと、私は信じている』

 ブーメランの様に、自分に向けて災禍が、訪れる行動の一つが、美術館の、職員用玄関前に生えていたアメリカキササゲを伐採なさったことでした。その樹木は、非常に健康でした。ただ、豆科なので、頼るべき、支柱が無いものですから、横向けに育っていて、臥竜のごとく、横たわっていたのです。樹齢としては、伐採をした時に、すでに、70年は、越えていたと、推察されます。ところが、伊藤玄二郎 →、どこやら大学の農学部の教授 → 八幡宮様と言うルートで、「それは、すでに、病気であり、危ないから、切った方がいい」という進言がなされ、伐採をされたのでした。しかし、伐採直後の、切株は真っ黄色であり、(だから、黄ささげと言う名前がついている)どこにも病気の兆候はありませんでした。

 このアメリカキササゲですが、私にとっては、40年以上前から気が付いている樹木であって、『ジャックと豆の木のお話は、本当の事だったのだ』と、思うほどの、マメ科の大木です。私はいつも言っています。何事もさじ加減一つだと。もし私が、CIAのエージェント側にくみされている人間だったら、メディアを動かすことができるでしょう。そうしたら、この樹木をメディアで、紹介したと思います。その結果、この木は大変な、人気の出る樹木だったと思われます。そして、天然記念物に指定をされたと、思います。

 ところで、私の手元には、それが生きているときに撮影した、写真があるはずです。それを今、使おうと思っているのですが、『ハードディスクを読み取れないというITシステム上の妨害が、数か月前から(たぶんですが、絶歌が、井上ひさしの手によるものであると、発言をしたころからです)加えられているので、保存先から、取り出せません。が、ともかく、私は、40年間、大好きな樹木として、これを大切に思い、したがって、何度もエッセーをこれに関して書いています。

 伊藤玄二郎より、もっと源に、井上ひさしが、居て、これを切る様に進言をしたと、思われます。ところで、何故、井上ひさしが、自分を、2009年4月9日に死んだことにしたかと言うと、これもまた、栗田玲子さんも、酒井忠康氏も、絡んでいる、大謀略が裏にあるのですが、それを、私は、いまだ、このブログの世界では、書いていません。と言うのも、それは、ただ、私一人を狙ったもので、社会的な、ニュースになってはいないからです。それで、説明が、大量に必要であるので、いまだ、触れていないのですが、私は、本当に悪辣な現象に、囲まれている人間です。

 それで、井上ひさしは、いまだ、生きていて、常に、私のブログを点検チェックしています。ICUで、私の同期だった、古村浩三君(日本ユニシス勤務だった)をはじめ多数のシステム・エンジニアが、結集をして、わが家の、40m西側に置いてある特殊なルーターを通じて、私が、開いている液晶画面を、同時に、自分宅のパソコン画面で、見ることができるシステムを構築してもらっているのでしょうから、未公開のメモも、原稿も、すべてチェックすることができます。そして、それに応じた攻撃をしてきます。このアメリカキササゲを伐採をした方がいいというのは、むろんの、事、彼が、生きている、2009年4月以前に出されたアイデアであって、彼から、伊藤玄二郎に、伝わったアイデアでしょうね。そして、八幡宮様は、言うなりに、いう事を聞かれました。

  なぜ、その木を切って仕舞われたかと言うと、私の書いた文章を、否定して行く為でしょう。そのキササゲについて何本もエッセイを書いていますが、知人から「いい文章ですね」と言う電話がかかって来たエッセイ『二人だけの音楽会』を、メルマガで、発表した途端に、キササゲを、切る企画がひそかに、進行をしたと、考えています。そこにキササゲが出て来るからです。

 私は今まで、長らく、鶴岡八幡宮様の、大銀杏が倒壊したのは、前田清子さんを、白井宮司の時代に、國學院大學の講師に、推薦なさったからだと、言っています。それが、三分の一の原因となっていると、言っています。で、その次の、三分の一の原因として、このアメリカキササゲの伐採を、『それだろうなあ』と、考えています。とてもあくどい目的(=石川和子さんとの自分の間の愛人関係を、秘匿する為に、私を殺そうとする仕組みの一環として、伊藤玄二郎が、八幡宮様に提言した事ですから、とんでもない悪辣な事だったのです)で、行われていることに唯々諾々としてお乗りになったということが、間違いで、大切な大銀杏が倒壊をしたと、考えております。その同じ、農学部教授の、勧めに従っておられるのか? 次から次へと、木を伐り続けておられます。それが、若宮大路の参道の桜並木の突然の衰退につながったとも、私は考えております。

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副題5、『伊藤玄二郎も、井上ひさしも、非常にずるいのだった。マイナスの事、攻撃をする場合は、自分の発案ではないがごとく、振舞っている』

 井上ひさしは、栗田さんが、関与した、2009年4月5日から、10日までの、私の個展に連動して起こした、大幅な、攻撃(それは、すさまじいものでしたよ。だけど、まだ、それを文章に書くべき時期が来ていないと、自分では判断をしているものですが)が、私にすっかり読まれているということに恐怖を感じて、ひとまず、自分を死んだことにしたのでした。

 それと、私が、大量に文章を書く人なので、彼は、生きていて、社交的な生活を送りながら、同時に私の文章(特に非公開の、文章で、マイクロスフとワードとか、アドビを使って、制作するもの)の全貌を把握することが、非常に困難なので、自分を死んだことにして、地下潜行をして、対、私専門の諜報活動へ入ったと、みなされます。

  で、そういう生きざまを見ていると、それだけで、ずるいなあと思いますが、今回、またまた、罵り用コメントが送られてきて、彼は、生きていると確信をしました。一応、公開して、文章を把握していますので、こちらにコピペで、+:*:+:+:*:+:罫線で、はさんだ間に、表現してみます。

 +:*:+:+:*:+:+:*:+:+:*:+:

2015年11月8日にコメントが入る。

玄・ひ・二人羽織の、どちらかからだと、思われるが、今までのところ、井上ひさしの可能性が強い。ただし、この間、真夜中のワンギリで、脅かされて以来、それが、谷垣禎一氏の対談集【興味津々】について、書いている最中だったので、その時点からは、伊藤玄二郎からの、攻撃も、どぎついという可能性が出てきたので、このコメントも、伊藤玄二郎からとも、考えられる。

コメントの、実際

お前バカ               お前バカ? (地雷)
2015-11-09 11:15:25
ここは日本。アメリカだったらどうこうは通用しないの。日本からでてけ
!クズ。

以上のコメントは、『電車の中での喧嘩を目撃して、考えたこと』と言う古いブログに対して、送られて来たもの

 +:*:+:+:*:+:+:*:+:+:*:+: 

 こういうコメントを送ってくるからこそ、さらに、『旭化成の、杭うちの、データ改ざんが、ほとんど嘘の、事案だ』と確信をしているのです。

 と言うのもこのコメントは、11月8日に送られてきています。だから、それは、上野公園の野グソについて、初稿を、書き始めている最中です。しかも、野グソを垂れたのが、警察の殺人用別働隊であろうと、言っています。これが真実であり、もしかすると、この野グソのアイデアも、井上ひさしが、考え出したことかもしれないからです。

 そして、栗田玲子さんに、ついて書かれ始めると、本当に、彼は痛いのです。伊藤玄二郎も痛いでしょうが、井上ひさしも痛いのです。栗田玲子さんが、2009年の4月5日から山本容子展を開いたことこそ、それが、対私への、当時としては、最大と言ってよいほどの、攻撃でした。その裏側を、ほとんど、100%わかっているのだと、知ったからこそ、大急ぎで、自分を死んだことにしたぐらいですから、嫌な思い出を、ここで、思い出させられたということで、パニックに陥って、つい、パソコンのキーを打ってしまったのでしょう。「彼のコメントは、状況を勘案すると、すぐ彼から来たと、わかる」と、何度も、言っているのにもかかわらず、自己コントロールができなくなっていたのです。「こういう種類の、コメントが来るたびに、井上ひさしが、生きていることを確信します」と、語っているのにもかかわらず、自制心を失ってしまい、上記の様なコメントを送ってきたのでしょう。

 ところで、グーブログ管理者側のご案内に、よれば、発信元へ対して、そのアドレスに対して、受信拒否をできるそうですが、私は、井上ひさしを自由に泳がせておきたいので、この種のコメントを、送りたい放題に、送らせております。

 伊藤玄二郎も、同じです。彼も、むろんのこと、栗田玲子さんに、ついて、私が書くと痛いのです。それはですね。栗田さんが葉山の住人であるので、鎌倉まで、直接に影響が及ぶからです。だから、もし、彼女が離反したら大変だと、思っているでしょう。また、一応ですが、出版とは、違い美術の分野の人です。それは、自分の、分野とは、違う分野の人だし、その上、画廊の経営者とは、人的コネクションが大きいと、見ているからです。『もし、栗田さんが、怒ったり、自分の側の責任を追及して来たら、そりゃあ、大変だ』と、思っているでしょう。

 それなら、北畠洋一氏を使った小細工を、2015年10月26日に仕掛けてこなければいいのに、なんと申しましょうか、頭脳が、トカゲの脳味噌さんなので、ちょっとした思い付きでも、それが成功すると、思っているのです。伊藤玄二郎と言う人物も、私から見ると、幼稚です。

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副題6、『鶴岡八幡宮様は、伊藤玄二郎たちに、教唆をされて、種々様々な、攻撃を、対私へ行っておられるが・・・・・神奈川県立近代美術館を、境内から、追い出すことも、その一つではあった』 

 鶴岡八幡宮様が、『これは、やってはならないなあ』と、私が、思うことを、おやりになってしまったケースは、アメリカキササゲを伐採してしまったという以外にも、いっぱいあります。道路沿いの樹木を切りすぎなさっている事。露天商組合が、寄贈した、素朴なコンクリート製の蛇口を、立派な、御影石のモノへ変更をなさった事。・・・・・・それは、終戦直後の、民主主義化を喜んだ、彼らの心意気が、失せてしまい、歴史的価値が無くなる行動だった。・・・・・・夏に行われる、参拝客用の各種の催しの際に、大音響を朝から、お出しになる事。その催しが、一部は、参加制限が加えられる様になった事。そして、安野家の日あたりを良くする為に、木を切ってあげた事。これは、あとで、新しい文章をさらに書き、そのリンク先と写真をここに付与しておきます。それがなぜいけないかと言うと、嘘の口実(鎌倉市の防災無線の音の通りを良くするというもの)で、公金を半分は、使ったことが、いけないと思います。彼らは、やりたい放題なのです。しかも、そうすることで、私に対して『勝った』と、認識してさらに、深い攻撃を重ねてきますので、私は文章を書かないといけなくなります。そのリンク先については、あとで、時間があったら、探しておきます。

 しかし、この章で、初めて詳細に、語り始めた、

 この美術館の追い出しこそが、一番大きな、やってはいけなかったマイナス行動と、なっています。今は、何も事後の効果が予測できていませんが、きっと、将来マイナス効果が、現れることでしょう。

 神奈川県立美術館の、白い箱状の建築物は、確かに、平家池傍の異物ではあります。神社境内、内の、建築物としては、異端児です。だから、それを排除したいと願われるのは、自然なことなのです。が、それが、導入された際には、八幡宮様は、『それで、助かった』というお気持ちをお持ちになったのは、確かだったでしょう。敗戦の混乱の中、人々に、物見遊山の、余裕はなく、お賽銭が、激減したと推察されます。

 そういう時期に、地代が入る。特に、神奈川県の税金から、入ってくることは、八幡宮様の、基本的な財政を、補ったと、推察されます。「時代が変わりました。今は、参拝客が多くて、もう、お金は十分にあります。借家としての美術館の建物が異端に見えます。ので、それを壊したいので、出て行ってください」とは、あんまり自分勝手ではないかなあ?

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副題7、『しかし、美術館追い出しの、本当の主役は瀬島龍三だったはずだ』

 しかし、ここで、さらに重要な推察も、加えないといけません。それは、『八幡宮様は、追い出しには、かかわっていないのだ』という考え方もあるのだ・・・・・というポイントです。ただ、『酒井忠康氏が、勝手に、「出ます。返却をいたします」と言い出したのではないかな』と、言う部分も、勘案しないといけないのです。

 そして、その酒井氏の後ろに、鎌倉エージェント(特にこの移転が、決まったころには、まだ、生きていた)、瀬島龍三が居て、彼の主導のもとに、事が、大きく動いたのではないかと、私は、推察しています。

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副題8、『瀬島龍三とか、益山重夫などの、大日本帝国・皇軍の、参謀たちは、日本地図を熟知している筈だ。特に三浦半島については。だから、三が浜の、旧高松宮邸に、目を付けた可能性は高い』

 私が、上野公園で、銀杏を拾うだけで、警察の別働隊に拉致されかかってしまうのは、何故かと言うことを、ここで、思い出さないといけません。それも、一時間前に、

@@@@@@ここが、五回目、ぐらい行っている、推敲の最先端です。

私が、まったく、気が付かないうちに、背中側で放たれた、ウンチです。私が、気が付かない段階で、それを放つためには、数人の人間(警察の殺人別働隊)が、協同をしてことを行いました。そのうんちは水分が多い為に、黒々と、光り、『あれ、ハサミをあそこに置き忘れたのかしら』と誤解するほどの、立派なものでした。それを使って(後注2)私を拉致し、精神病院へ入れてしまおうというたくらみだったのです。そして、薬を使って、廃人にしていき、その後、青木ヶ原等に、捨てて、行方不明のままにさせるか、数年後、白骨発見と言う形をとるか、どちらかだったでしょう。同じ試みは、すでに、4度も5度も繰り返されています。時間があったら、そちらについても、リンク先を探しておきます。

 それはですね。現代の、日本は、独立国家ではなくて、植民地国家であり、国民が働いて、集積した富を、外国へ拉致・収奪をされているからです。その方策は、複雑怪奇なので、ここでは、触れませんが、そういう仕組みを順調に機能させるためには、一般国民に、その真実を、知らせない様にするのが、肝要です。そのために、表面上は、日本人として暮らしているのだが、真実の支配者側の代理人として、メディアを操作し、日本人を洗脳して行く人間が必要です。それを私はエージェントと呼びます。私は不思議な運命の元、人生の途次に置いて、何人ものエージェントたちと、遭遇をしてしまいました。

 古い順にあげると、1965年、ICU在学中に遭遇した、ベイカーさんと言う名の、金髪碧眼の、青年であり、その次に遭遇したのが、1978年に、北久里浜で起こされた、地籍変更届を利用した、大規模な土地詐欺事件で、遭遇した、益山重夫・元海軍参謀と、瀬島龍三、元陸軍参謀です。

 後者の瀬島龍三は、日本最大の、エージェントとされており、私は、横須賀市、根岸町の家、(最寄駅は北久里浜)に住んでいるときに、地境地主として、彼らの企画した悪事に巻き込まれてしまい、しかも、彼らの予測に反して、頭が良すぎるので、彼らの策謀を、すべて、見破ってしまう人間だったので、それ以降、深く追われていて、殺したいと、思われている人間と、成っています。日本では、永田町も、警察もJRも、そして、文化界も、すべて、そちらの支配に下っていますので、私の普段の、日常生活が、非常に大変なことになっています。

 その苦労に、次ぐ、苦労にめげず、生きていますが、せっかくだから、私にしか、理解できない現代・日本・及び、世界の政治の、秘密を、国民の皆さまに、お教えしたいと思っていて、このブログで、それをトライしている次第です。

 彼らは、日本地図を熟知していて、どこに、まだ、手を付けていない森林があり、それを、開発をすると、どれくらいの、利益を生むのかを、知っています。西武の堤康次郎氏も似た様な存在でしたが、あちらの方は、その動向が、新聞等にもよく知られています。だが、益山重夫とか、瀬島龍三の行ったことは、秘匿をされています。しかし、地境地主として巻き込まれたので、私はすべての事情を知っています。

 で、瀬島龍三について、語りたいことは、この章の、一千倍以上はありますが、ここでは、彼らは、三浦半島の地図に精通をしていたという事だけにして、それ以上は語りません。そして、規模が、3000坪以上ある、区画がどこにあるかなどを、熟知していたという事です。

 で、今の、神奈川県立近代美術館、葉山館(今度から本館となる)があった場所は、高松宮様の別荘があった場所だそうですが、それを代替地として思いついたのは、瀬島龍三でしょう。そして、瀬島龍三が中心になって、神奈川県を動かし、吉田宮司も動かし、酒井忠康氏も動かして、葉山へ移転をさせたのだと、信じています。ではなぜ、そういう事をしたのかと言えば、それは、・・・・・皆さまのご想像に、お任せします。連続して、ここをお読みになっている方だったら、容易に答えは出るでしょう。ヒントだけを申し上げると、上の写真にある様に、私の家が、今章の主題となっている近代美術館旧本館のすぐそばにあるという事です。

 私が、この鎌倉雪ノ下の、地に、引っ越してくることは、自然なことではなかったと思います。この特殊な地形の中に、石川和子さんを先に住まわせていて、そこに、私を導入し、彼女に威張りかえらせて、苦しませようとした、瀬島龍三の、意図を、ひしひしと感じます。と言うのも、北久里浜と、この鎌倉雪ノ下の間には、山が幾重にも重なっていて、同じ生活圏ではありません。それなのに、この地域だけを紹介する、簡易なチラシが、何度も我が家の、ポストの挿入されていたのは、いわゆるCIAのたくらみの一つだったと、今では、確信をしています。たまたま、北久里浜の旧宅は売り出していないのです。その家をずっと、賃貸物件として使用してきましたが、いまは、返却をしてもらって、自分たち夫婦の別荘にしているので、しょっちゅうそちらに行くのですが、往復に三時間かかります。しかし、そちらの、北久里浜の、家の方に、幾度となく、この山の、売り物件の、チラシが入ったのです。それが、あそこに入ったのが、不思議な現象でした。

 ところで、石川和子さんの事を、無教養だというのは1986年に、安野家の前で、「国立大学の付属高校ご入学おめでとうございます」と、彼女が言ったからですが、安野家の坊ちゃんが入った高校は、筑波大付属でも、学芸大学付属でもなかったのですよ。もちろん、広島大学の付属でもない。

 そこから、『彼女は、学制改革の事などを、何にも知らない』ということが判りました。私なんて、親戚に先生がいっぱいいるし、校長もいるし、教育委員長もいるので、何も調べなくても、戦後の、学制改革など、熟知しています。だから、まるで、種類が違う人間なのです。『なんと、何も知らない女性なのだろう』と、驚き入って、軽蔑をし始めたのです。しかし、バックに瀬島龍三が居て、サポートしまくっている女性です。だから、威張りかえっている事、威張りかえっている事、先生、先生と呼ばれて恥ずかしげもなく威張りかえっているのですから、修業の時間が全然ないままに、60代までを過ごしてきたのでした。

 そして、私の猫を気に入ってしまい、毎日家に入れ込む様になりました。しかし、それを、愛したいために必要な礼儀作法等を、まったく知らない人間だから、大トラブルになったのです。が、一番彼女が傷ついたのは、私の猫に、背かれたことでしょう。自分の方が好かれているという思い込みが、あったのに、それが、私の、猫自身によって、打ち砕かれた時だったでしょう。猫は、家来としての、石川和子さんの陶芸教室が好きだっただけです。大勢の人にちやほやされるから、好きだっただけなのですよ。本来は、私の方を好きなのでした。

 そういう判断もできないほど、でくの坊として、育って来た女性です。それは、瀬島龍三がそういう風に育てたのです。または、元愛人だと、石川和子さん自身が言う伊藤玄二郎が、そういう風に育てたのです。伊藤玄二郎は、瀬島龍三が、盛り立てて行った存在です。元愛人である女性が、居るから、どんどん、持ち上げたのです。最近では、二人の間に、肉体関係はないとしても、連絡は、ツウツウだったと思いますよ。上の言葉でも、私に聞かせる様に、私が外出する際に、わざと、発せられた言葉でした。あの頃から、室内盗聴がなされていた可能性があります。無論のこと、電話盗聴は、すでに、1978年から始まっていました。が、・・・・・・彼女がもし、本当に出来の良い女性だったら、トラブルは起きなかったでしょう。これもまた、佐野研二郎問題と、相似形をなす出来事です。

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副題9、『シベリア抑留組として、瀬島龍三と親しいであろう、宮崎進さんが、今度、高島屋本店で、個展をなさるそうですよ』

 佐野研二郎問題は、私のブログから、起きた事だったと、私は、語っています。そして、・・・・・多摩美卒業生を、エンブレムのトップに採用するのだということが、秘密裏にも、一番、先に決まってもいたのだ・・・・・・と、書いています。たまたま、佐野研二郎が、あまりにも駄目過ぎたので、私が何を言う暇もなく世間(特に世界中が)大騒ぎで、盗作問題を取り上げたので、多摩美関係者の、ひそかな目論見は、無残にも潰えました

 NHKテレビによれば、今度の、審査員には、芸大学長も含まれているみたいでした。だから、より広範囲の判断力が加わったとなります。比較すると、前の方の審査委員会は、誠に、閉鎖的だった模様です。

 ところで、その多摩美関係の、もっとも大物としての存在が、宮崎進氏です。鎌倉在住です。その宮崎さんは、シベリア抑留者です。同じく、シベリア抑留組としては、香月泰男と、浜田地明が居ますが、後者二人は芸大出身だということと、地方在住が長かったという事やら、それ以外の面でも、さして、瀬島龍三と近いとは思えません。

 しかし、鎌倉在住の、宮崎進氏からは、非常に深いレベルで、瀬島龍三の影を感じ取ります。今度、宮崎進さんの、展覧会が、高島屋本店で開かれます。準備期間を入れると、佐野研二郎が、エンブレム問題で、内々に、選任をされていた頃だから、これもどうも、政治的選択として、行われる展覧会の、様に思われます。と言うのも宮崎さんの、作品は大衆性が無いので、高島屋本店で、個展をするというよりも、近代美術館(竹橋)で、行うなどの方が、向いています。しかし、近代美術館の方は、数年前から、企画が決まっていると思いますので、間に挟むことができなかったのでしょう。

 まさかとは思うけれど、瀬島龍三が、これまた、表向き、自分を死んだことにして、実際には、生きているのではないかと、思うほどです。ともかく、この展覧会の陰に、佐野研二郎問題との関連を感じますので。井上ひさしの方は、鎌倉市内の、防犯協会の放送やら、鶴岡八幡宮様が建てる音、または、騒音によって、彼が生きていることが確実に分かる日があるので、彼がまだ生きていることについては、確信を持っていますが、瀬島龍三の方は、彼が住んでいる家の、近所の音については、何も入ってこないので、その様な、傍証づけができないので、彼の死亡、生存のどちらが正しいのかはわかりません。が、宮崎進さんの、活躍を見るたびに、背後に、瀬島隆三一派、もしくは鎌倉エージェントのサポートがある事を感じています。

 これは、まだ、まだ、書かないとまとまっていきませんが、本日、13日はここで、中断させてくださいませ。そして、15日にやっと、完成へ持ってきました。

尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3205008です。

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後注1、 

喫茶店【映画館】は潰して、和食処【六弥太】は残したのですね、玄二郎ちゃんは!   2015-11-12 00:29:17 | 政治

後注2、

上野公園で新鮮な人間のうんちを眺めながら、谷垣禎一さんと旭化成の間にあったであろう恫喝を思う△  2015-11-07 01:09:33 | 政治

これは、途中で

 今は、2015

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