銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

クイズ100人力(NHK)ー伊藤玄二郎ー浄智寺さんー瓜南直子ー渡辺幸子△△△

2013-06-23 01:24:54 | 政治

 今は、24日の午後3時です。いったん、中断していた推敲をやっと終わりました。この文章では、浄智寺さんと言う北鎌倉の名刹の悪口を言っているように、一見すると、見えます。だから、尚のこと、慎重に推敲をしました。初稿は、思考の概略を、妨害を潜り抜けながら、さっと、さらすのが恒例ですから、急いでラフに書きますが、タイトル横に△印をつけるころには、相当に、整理推敲して、まとめておかないといけないのです。それが、義務でしょう。ところで、今回は、行きつ戻りつして、三回ぐらい推敲を重ねましたので、タイトル横の△は、三つつけさせて頂きます。
~~~~~~~~~~~~~

 まず、最初に、下に表れる二枚の写真の簡単な説明をさせてくださいませ。今朝五時ごろ、我が家近辺を歩く、こじゅけいのツガイです。「ちょっと来い。ちょっと来い」というなき声は良く聞いていますが、生きて道を歩いている番(夫婦)は、初めてみました。地味な色だし、無音で歩いているのに、それでも、居るのに気がついたのは、私のそばに居る私の猫が、不思議な、とても、かわいい啼き方で威嚇の音(声)を出したからです。猫同士で、優劣を競い合ったり、蛇を、狙ったりするときの音ではなかったのでした。
 猫としても、初めて見る鳥で、しかも、番(夫婦)ですし、結構大きいので、自分が攻撃しても、勝てるかどうかが、不安だったのでしょう。とても不思議な威嚇の声でした。かわいいもので、ねえ、友達になりたいんだけどとも聞こえました。だけど、本当は「自分は、ここに居るのよ。あなた方、私のテリトリーを犯しているのでは無いですか。出て行ってほしいのだけれどー」と言いたかったのでしょう。猫の方は、そのくらいの軽い意識だから、すぐなきやみました。
 
 鳥の方は猫の威嚇など気にせずに、悠然としたものでしたよ。私が家に帰って、主人に「カメラを持って撮影して来て」と頼んでも、その間、10分以上は、逃げなかったのですからね。
 日曜日の私は午前1時に起きて、午前五時から花を世話していましたが、そういう早起きの余得でした。こういう現象に出会うと、心が清められます。生きていることの喜びを味わう瞬間です。
 


 ところで、この写真は、大きな政治的意味を内包をしているのですが、それは、最後に一文として付け加えます。

副題1、『昨日夕方のNHK、クイズ100人力は、鎌倉検定でし
副題2、『そのクイズで、浄智寺さんを表に立てた。ので、瓜南直子さんを、今、思い出す』
たね』
副題3、『そのクイズ番組を見ながら、痛切に思い出す、瓜南直子さんのことと、その死』
副題4、『伊藤玄二郎の支配が、婦人子供会館にも及んでいますね』
副題5、『鎌倉婦人子供会館の、成り立ちと、機能』
副題6、『渡辺幸子さんの大学中退の件と、その後の、卒業資格の付与の件』
副題7、『山崎直子さんの二回目の講演は、婦人子供会館で、やるべきではなかったのに?』
副題8、『昨日、安野忠彦氏が、また、こちょこちょと、小細工を仕掛けて来たので、これを語るわけですが・・・・・』

~~~~~~~~~~~
副題1、『昨日夕方のNHK、クイズ100人力は、鎌倉検定でしたね』

 2013年の6月23日(土)の夕方NHKの総合チャンネルで、国分太一君が司会をする、クイズ100人力、鎌倉検定が、放映をされました。『おー、伊藤玄二郎は、ここまで、堂々と、でしゃばって来たか?』と感慨が深かったです。

 私が常日頃、言っている「五億円の被害があります」のもっとも大きな加害用案の、企画者は、伊藤玄二郎でしょう。どうしてかは、過去にも書き、今日も書くこととなりますが、この鎌倉検定も彼の会社が主催者として行っていて、今では、彼の重要な収入源のひとつとなっているはずです。
 NHKは、ひごろ起業の宣伝はしないといっていますが、その道の通が見れば、これは、明々白々の私企業の宣伝番組となっています。特にその会社、鎌倉春秋社の金儲けにやくだつ番組となっています。ここまで、直接的な行動に出てきたかと、感慨が無料ですが、私が、ここにこう書けば、そのうち鎌倉検定の主宰者が、ダミーに変更になるでしょう。この事実は、2011年までのこととさせてくださいませ。今は、私はそれを、確認しては居ません。だが、名前はどう変わっても、その受験料が、伊藤玄二郎の懐に入ることには変わりは無いです。

 NHKが番組を制作して、編集し、放送するまえに、どれだけの時間をかけるのかは、私には、わかりませんが、この番組の場合、企画して、人を集め、撮影し、編集して放送するまえに、少なくとも、一ヶ月は必要であり、それは、同時進行的に、豊島屋の社長さんを引っ張り出して、由比ガ浜の命名権を、1200万円で買わせたとか、

 まだ、これは、ブログではまだ、一切書いていませんが、・・・・・世界遺産の将来の再登録を目指して、鎌倉市が、いったん推薦を取り下げるよう、文化庁にお願いをしたというNHKニュースがありました。その中で、記者会見を取り仕切ったのは、鎌倉市長ではなくて、神奈川県知事、+、横浜市長だった点・・・・・などと同じく、

 したたかに、かつ鋭く、伊藤玄二郎(または、その影に居る、まだ、実際には生きていて、地下潜行をしている井上ひさし)が、攻撃用原案を練り続けて居ることの表象のひとつだったでしょう。

 そして、一般の方は、まるで、ご存じない出来事だと思いますが、ご近所の住人・前田祝一(元駒澤大学教授)が、「あんたを刑事訴訟にかけてやる」と恫喝してきた(5月28日であった)のも、すべて、伊藤玄二郎の発案だと思われます。

 最後の件に関しては、今のところ、そこまでは、まだブログ内では、分析結果を、書いていませんでしたが、これも無論、伊藤玄二郎の教唆によるタイミングだったと思われます。

 前田祝一氏が、似たような行動を取った前回(2010年だったか、2011年だったかは忘れたが、ともかく、メトロポリタンオペラが、NHKホールで、開催されたころ)も、私のブログが、伊藤玄二郎の悪巧みに、急迫をしていたころでした。
 彼(伊藤玄二郎)は、身を守るために、いつも他人を使います。自分は表に現れないように、努めるのです。それは、いつも、言っているように、現代日本を、真実に支配している、国際的軍産共同体のエージェント化していますので、大きな権力を振るうことができ、NHKも支配をしていますが、それを表向きに出すことができないからです。
 だって、一(地方)タウン誌の発行者が、どうして、NHK会長より、機敏に番組編成に支配力を振るえるのですか? 鎌倉は東京に近いですが、鎌倉春秋(雑誌)は、どんなに、レベルを高くしても、所詮、タウン誌です。

 その真の支配力が表に出たら、国民から税金に等しい視聴料を取っているNHKは、大批判をされるでしょう。だから、彼は、すべてを裏から行います。

 ただし、クイズ100人力のタイトルを「鎌倉検定」としたのは、「ずい分と直接的な手法をとりましたね」と、言うところです。
~~~~~~~~~~~~

副題2、『そのクイズで、浄智寺さんを表に立てた。ので、瓜南直子さんを、今、思い出す』


 写真は、コジュケイの二枚目です。きじ科の鳥である事は細めの首と、ほっぺたがオレンジ色である事で、雉に似ている事が、わかります。で、本文に戻ります。

 クイズ100人力、鎌倉検定篇に登場した人物は、ほとんどが、彼(伊藤玄二郎)の人脈で、集めた人でしょう。タウン誌『鎌倉春秋』で付き合っている商店街の人脈、それから、ロータリークラブと、医師会に食い込んでいますので、そちらからも、「鎌倉のすべての名士とは、交流がすでにあるんだ。お前とは圧倒的に力の差があるんだよ」と、言いたい、一種の間接的な恫喝に、役立つ番組だったのですが、
 その番組内で、
 司会者の国分太一君より目立ったのが、浄智寺さんでした。浄智寺とは、北鎌倉にある、鎌倉五山のひとつですが、寺の規模としては、建長寺や、円覚寺より小さいです。でも、私としては、ひどく、ぴーんと来るところがあります。

まず、最近、書いた鎌倉市長選の事がありますね。現在仙台市の副市長をしている渡辺光子さんの選挙カーが異常にうるさくて、私もそれは、うんざりして、選挙そのものに行かなかったほどだと書いていますが、その渡辺光子さんと出会った場所が浄智寺なのです。

 それは、匠の会というプチ文化人の集まりです。みなさん、とても楽しそうに参加されていますが、結局のところ、私が行かなくなったのは、主宰者の斉藤英子さんに、裏から手が回ったなあと、思ったからですが、・・・・・したがって、彼女にいじめられ始めたからですが・・・・・もうひとつ理由があって、それは、その会議の内容が、私にとっては、進行がとろとろしていて、まだるっこしくて、出席していること自体に、忍耐を要するからでした。(笑)

 ごめんなさい。えらそうに言って。(笑) 私は、そこに集うメンバーに比較して、思考のスピードが五倍くらい速いので、会議の流れを、待っていられないのです。北鎌倉の浄智寺とは、距離的には、我が家から、2キロぐらいしか離れておらず、歩いていかれるのですが、それでも、ほぼ、一晩無駄になるので、やがて、行くのをやめてしまいました。いや、渡辺光子さんも、3回ぐらいしか来なかったのですよ。彼女にとっても、ある部分では、私と同じ感覚があったと思われます。または、『ここは、こういう場所ですね』とわかったら、エネルギーをそこへは注がない主義なのかもしれません。

 伊藤玄二郎たち、攻撃者にとっては、私がそこを辞めてしまったのは『ああ、いじめれば、彼女は去っていく。だから、そうやって居場所が少なくなる。人は石垣、人は城と言うではないか。彼女の味方をそうやって少なくしていってやれ』と思っていると思います。で、斉藤英子(北鎌倉のお肉やさんの家付き娘)さんに用いた手法を、あっち、こっちで、何度も多用しているわけですが、
 私としては、むしろ、その当時より元気になっているのです。生活がすっきりとして、文章を書く力も増していますし。
 だから、伊藤玄二郎の攻撃は、常に的外れで、彼が勝っているように見えても、(または、彼が勝ったと自認をしていたとしても)、実質的には、彼は、別に勝っているわけではないのですが、

 ともかく、匠の会が、浄智寺を舞台として行われていたので、内部の風情(部屋の中)を知っている、お寺となっています。鎌倉で、俳句をやっていたので、吟行の際に、その寺苑を知っているお寺は、鎌倉市内(山の中)にある御寺は、ほとんど含まれて居ますが、内部を知っているのは、鎌倉市内では、浄智寺さんだけです。

 しかも、もうひとつあるのです。浄智寺さんが、主役となって鎌倉五山のお偉いさんをすべて招き、北鎌倉には、存在しない覚園寺さんまで招いて、瓜南直子さんを、主役に、一席設けた・・・・・という投稿が、フェイスブックに、瓜南直子さんからあって、特別に印象が深いのです。当夜は、ラーメンが主題だったとか?
~~~~~~~~~~~~

副題3、『そのクイズ番組を見ながら、痛切に思い出す、瓜南直子さんのことと、その死』

 私は、2011年の5月から、2012年の3月まで、フェイスブックをやっていましたが、そこで、6月ごろに、瓜南直子さんと、友達になりました。それ以前に、柴田悦子画廊で、個展の案内カードなどもらっていて、個展も見ているはずの画家です。ただし、<<<<<日本画なので、私はタッチせず>>>>>、の日ごろの習慣を守り、彼女の絵を深く鑑賞したこともないし、印象も画廊では、強くは残っておりません。しかし、フェイスブック誌上で、彼女の作品を見たときに、無論、デジャブーはありました。

 瓜南直子さんは、文章が面白い人で、私は、それを楽しみに読んでいました。私のパソコンはいつもハッキングを受けておりますので、その事が注目を受けた事と、彼女が、美人であること、また、芸大卒であること、私よりは個展の数が多い事、などで、この人を鉄砲玉として、雨宮舜(=本名、川崎千恵子)をぶっ潰してやろうと、伊藤玄二郎、もしくは、彼のもう一人の、盟友で、美術界の重鎮として機能している酒井忠康氏が考えたのかどうかは、知りませんが、
 
 ともかく、突然に、瓜南直子さんが、攻撃者として、私の目の前に立ちはだかり、全日本、あすはが連の立ち上げやら、映画のプログラムの投稿やら、いろいろな、いじめ行為を開始なさり始めたのです。

 ここで、私のブログへ初めてお入りになった方、および、瓜南直子さんと、親しくて、彼女を大切だと思う人々に告げておきますが、実は、瓜南直子さんは、この半年間(2011年の8月から2012年の2月ごろまで)の伊藤玄二郎らの、引っ張りまわしによって、前から悪くしていた(・・・と私が推察している・・・)肝臓の機能が急速に衰え、4月に、哀切きわまるツイッターを残して、6月に、急死なさるのです。

 私は、フェイスブックに急に入れなくなったり、銀座でも、人の噂話など、自分からもやらないし、他人からも聞く事もない方なので、彼女の死を10月まで知らずに居ました。

 教えてもらったのは先ほど言ったように、このブログへのコメントと言う形でした。
 それは、伊藤玄二郎の悪人振りを記載するために、彼女と、広島在住の同志社大学卒のキャリアーウーマン金田祐子さん、が、組んで行ったひどいいじめを、2012年の10月ごろ書いていたころです。売ってもいない日本酒『恋のうぐいすから』というラベルだけを印刷し、それをフェイスブック誌上に載せて、「私の大好きな銀座のうぐいすから、様にあげます』ですって。それが、私の寝室に、留守中に『美脚 アンド 美尻』という偽物のラベルを、置いておく事へつながって行くのですが、・・・・・ああ、浄智寺さん、あなたは、朝比奈という名字から推察しても、2代目か3代目のおぼっちゃまだと推察できますが、こういう恫喝をする人たちの仲間として、今ご自分が機能なさっている事を御存じなのでしょうか・・・・・本当にお問い合わせをしたいところです。電話でもかけたいところですが、電話では、この長い長いエピソードを全部は、語れませんので、やめておきましょう。

 読者様から、『その人はたぶん、もう亡くなっていますよ』と言うご注意があって、あわてて、ネット上にある、彼女関連の文章を集めまくり、4月分の、哀切きわまる文章を、ツィッターとして見つけ、

 急に許し、かつ、同情するようになったのですが、

 しかし、2012年の秋に、浄智寺さんが、主役となって、ラーメンが話題となる会が、開かれ、そこに主役として、瓜南直子さんが招かれていたというのは、忘れる事はできません。
 ・・・・それも、敵様たちにとっては、私への威圧に役立つことだと思ってやっているのでしょうが、・・・・

 そこに、覚園寺さん(二階堂の奥にあるし、禅宗では無いので、浄智寺さんが、普段招いている鎌倉五山のグループ内とは、思われない、方である。実際にその日も早退されたと瓜南直子さんが書いている)が、地域外から招かれていることを知って、瓜南さんが、激しく体力を消耗したと思われる、京都泉湧寺の夏のグループ展なども、すべて、伊藤玄二郎たちの発案であったと、わかってくるのです。そんな記述が秘密をばらしてしまうなどとは、関係者のうち、誰も気がつかないでいて、覚園寺さんを、招く方が、瓜南さんをさらに、書く上に見せるだろうと思って、伊藤玄二郎が提案して、上智寺さんが、お誘いになったのだと思いますが、そんな些細なポイントから、大きな秘密が漏れてくるのでした。
 伊藤玄二郎としては、ただ、ただ、私に悲しい思いをさせるために、瓜南さんを鉄砲玉として、引っ張りまわしたことがわかったのでした。
 それが、明瞭にその仕組みに気がついた三度目の事でした。
 その浄智寺さんが、今回のNHKクイズ100人力にでて、しかも、主役であるという事は、それが、陽気な展開をする番組だけに、余計に、瓜南さんのことが、無残に思われ、そのラーメンの会が、強烈に思い出されたのでした。
~~~~~~~~~~~~

副題4、『伊藤玄二郎の支配が、婦人子供会館にも及んでいますね』

 さて、ここまでで、すでに、4300字(推敲後は加筆もあって、6200字)です。だが、これでも、現在書いている主題、山崎直子さんへの導入にしか過ぎません。

 たまたま、画家の瓜南さんも、宇宙飛行士の山崎さんも、直子と言う名前でしたね。それは、奇遇と言うものですが。

 今書いている文章は、この14日に、日経新聞に、山崎直子さんへのインタビュー記事が出て、その前の日に、私が肉声で、宇宙飛行士の直子さんの講演を、鎌倉の婦人子供会館で聞いているということを問題としているのです。

 そこから、政治が、見事に浮かんで来るからです。

 ところで、ここで言う政治とは、高度な解釈で、使っています。政治は、素人にとっては、公のものに見えます。だが、それを俯瞰的に見る玄人中の玄人にとっては、それは、きわめて私的なことを、あたかも、公であるかのごとく、見せるものだそうです。なるほどと思います。

 山崎直子さんは、その講演も人生も、圧倒的に科学の人です。専攻は宇宙工学、だが、彼女が、鎌倉の婦人子供会館で、二回も、講演をするということには、きわめて大きな政治的な意図が隠されているのです。

 それを、分析していくまえに、婦人子供会館に、すでに、伊藤玄二郎の手が及んでいることを語らないといけません。

 彼は男性です。だから、一般的には、婦人子供会館に手を伸ばす資格がありません。特に、自宅が大磯に在ると、諸所で、発表しているので、奥さんの関係で、そこに入り込む事はできないのです。

 で、彼の手法は何かと言うと、鎌倉春秋社を、経営していて、そこに短歌の雑誌があります。それを、基盤にするか、鎌倉ペンクラブを、基盤にするかです。という手も、あるでしょうが、医師会とか、ロータリークラブに入っている男性会員の奥様を紹介してもらうという手もあるでしょう。

 また、主に婦人子供会館で活躍しているご夫人たちの、文集を作ったりしています。本を出すという事は誰にとってもうれしいことです。名流婦人にとって、エッセイを、一冊の本として出すのは、はばかられるという向きがあるやも知れません。『目立ちすぎる事は、夫の手前まずい』という発想も有るのです。が、集団で、一冊の本を出すのは目立たないことでもあり、心の負担も少ないことであり、喜びの方が大きいでしょう。だから、彼に感謝して、彼からの他の面での依頼を断らない、ということになると思います。

 私は、2012年に、そこで、渡辺幸子さんの絵画教室が開かれていることを知り、は、はーんと、思ったしだいです。「手が及んでいますね」という事を、はっきりと知りました。
~~~~~~~~~~~~

副題5、『鎌倉婦人子供会館の、成り立ちと、機能』
 
 で、それを語るためには、婦人子供会館とは何だと言うことも、まず語らないといけません。
 今年、婦人子供会館は、創立60周年を迎え、建て替に動いています。それで、寄付金を募っています。一口一万円です。今は、主婦専門の、カルチュアーセンターとして、機能していますが、もともとは、戦争未亡人の救済と、未亡人でも無くても、夫が軍人であった主婦の救済を、目的として、設立をされました。

 今、日本社会が豊かになり、特に、老人族が豊かです。鎌倉には、観光客が多いので、目立ちませんが、実は、老人の占める割合が多い町です。土曜日のお昼の山下飯点など、ランチを食べる地元民のご夫婦でいっぱいであって、観光客など、ほとんど目立ちません。

 それは、ホテルmoriという小さなホテルの食堂もかねている中華料理店で、地下に在るので観光客が知らないらしくて、そういうことになっていますが、江ノ電駅の上にある銀座アスターも似たり寄ったりの客層です。で、全体に、豊かな街に見えます。
 ただ、敗戦の、憂き目にあって、日本全体が、超が、つくほど、貧しかったころ、パージ(公職追放)と言う目にあった軍人の奥さんや、戦争未亡人となった、もと、名士夫人は、その貧乏が余計こたえたとは、容易に想像ができます。大ヒットドラマ、おしんに出てくるようなたくましい女性だったら、「それは、それ」っと、覚悟を定めて、うまく立ち回って、どうにか成ったかもしれませんが、ほとんどの人は、「風と共に去りぬ」の中に出てくる、メラニーみたいに、おしとやかで、生活力の無い女性だったと思われます。だから、会社員になるとか、店員になるとかいう転進はできず、かつ子供も居れば、一日のうちの数時間を、特技を生かして、お教室を開くという道が一番、手っ取り早く向いています。

 今、シロガネーゼといって、主婦が家庭内で、お教室を開くのがおおやはりですが、あれは豊かな時代で、夫とか、実家が豊かな人にはできる形式ですが、貧乏な時代で、収入が低いご家庭には、とりえないシステムなのです。だって、女性って、目がシヴィアで、意地悪なところもあるので、カーテンひとつ、お茶碗ひとつに、批判の目を持っているものだからです。
 で、駅近くに場所があって、ほかのお教室も開かれている婦人子供会館は、その口コミ宣伝力もあって、大きな救済場所となったのでした。

 そういう運動を実際に起こしたのが、旧制の女子高等師範学校の付属高等女学校出身の、Hさんで、その人脈が集まって、会館を作ったので、旧制の女学校の同窓会、鎌倉支部を、そのメンバーとして、機能している会館なのです。
 今、人数として、最も、多いのが、学習院の女子高等学校卒業の人たちでしょう。そして、フェリスも含まれて居ますから、

 フェリス出身の、渡辺幸子さん(国際キリスト教、大学出身の画家で、青木繁大賞を取った)が、そこで、油絵の先生をしていても不思議は無いのですが、彼女に個展の場所を提供している、栗田玲子さん(ガレリアグラフィカのオーナー)と、酒井忠康氏と、伊藤玄二郎との、四つ巴の関係を知っている私には、『ああ、そうですか』と、頷けるポイントが有るのでした。

 私は大学同窓会展で、渡辺幸子さんと一緒だった歳月があって、割と、深く彼女を知っているのですが、女性だけの会には向いていない人です。男性が入っていないと、うまくいかない可能性が強いので、いずれ、彼女の側から、「ここで先生をするのは、負担が重いなあ」と言う愚痴が出てくるでしょう。

 どういうことかと言うと、元スチュワーデスなので、女性同士だと、すぐいじめたり、いじめられたりの関係が起こりやすい人なのです。画家の世界って、もともとパイが小さいので、それが起こりやすいのですが、下手に出るか、鈍感を装うか、あまり付き合いをしないで孤高を保つのかと言う、三種類のいずれかを選ばないと、心理的な負担が強すぎて、参ってしまうところが有るのですが、彼女はいろんなところに、頭や足を突っ込んでいるので、すでに、相当に負担が大きいのです。そういうところへ持ってきて、地元の主婦相手の、お教室なんて、絶対に、大きなストレスになるはずです。鎌倉在住の主婦なんて、非常に扱いが難しいですよ(笑)。

 だって、その愚痴の聞き役立った時期もある私から見れば、本質的には強くない女性なので、やがて、ごたごたし始めると、思いますよ。主婦って、一般的に言っても、小ばかにできない強さと鋭さを持っているからです。一般的に言うと、キャリアーウーマンの方が役職が付いているので、えらく見えますね。だけど、どうして、どうして、何の特権もない中で、子育てというやや難しい仕事をやり抜いた主婦のたくましさと賢さを、軽んじ過ぎては、いけません。

 だから、美貌にほれて男性がちやほやしてくれる世界では、渡辺幸子さんの優秀さ(?)は、機能するけれど、女性だけの世界には、入らないほうがベターです。言い過ぎみたいだけれど、本当の事ですよ。だけど、酒井忠康氏とか、伊藤玄二郎のプッシュがあって、入り込むことができました。そのとき、ご自分の本質とか特質の事は、考慮に入れなかったのでしょう。特に、先生と呼ばれるのは快感だから、ずっと、継続はなさるでしょうけれどね。第二の石川和子化です。
””””””””””””””
~~~~~~~~~~~~

副題6、『渡辺幸子さんの大学中退の件と、その後の、卒業資格の付与の件』

 ここで、後からの加筆ですが、彼女は、実は大学を中退しています。彼女自身の責任というよりも、父君の破産という事があったからです。それをご本人から、私は聞いています。だけど、その件から私に推察できるのは、次女である彼女は、どうも、お姉さんよりは、偏愛の対象として、下であったと思われる事なのです。だから、性格に難しいところが残っています。だって、たとえ、JALのスチュアーデスの入社試験に、高卒の資格で、合格して、それは、華やかで、優秀であることを証明するとしても、親である限り、娘の収入に頼るというよりは、できるだけ自助努力して、親側は親側で問題を解決して、子供には、好きな道に進ませ、また、せっかく既に、当時は大人気だった、大学に入学しているのですから、そのまま大学卒の資格を与えようと、望むのが普通だと思われるからです。
 たとえば、鎌倉の実家を、当時でも売れば、彼女にJALに勤務をさせ、大学を中退させる必要はないからです。鎌倉駅から歩いて行かれる場所で、車も入る御屋敷だったら、売れば、現在の貨幣価値に直して、5000万円以上は手に入るはずです。そこから、逗子や、横須賀、藤沢、葉山、などに引っ越しをすれば、すぐ、壱〇〇〇〇〇〇〇円ぐらいはうくはずで、娘の学費など、軽くねん出できるからです。

 そこらあたりに、親の愛の少なさを感じるのです。それが、性格上の問題を生み、彼女を悪女だと言う人があるのも頷けます。私も一度も、二度も、驚天動地の経験をしています。

 ここまでのことを、書くのは、100号の油絵(・・・・これは、彼女が普段そこに出品する10号よりは大きい・・・・したがって絵で、競争をする彼女にしてみたら、抜け駆けをしたという事になるのかもしれない・・・・)を彼女と同じグループ展に出したと言うだけで、すさまじいいじめを受けた過去があるからです。問題が起きなければ気がつかないポイントですが、いじめられたから、気がついたし、ここでも、それを申し上げます。だって、号数に制限があるわけでもない大学同窓会展ですよ。しかも、別に彼女を、負かせてやろうと思って、それをそこに出したわけではなくて、そろそろ、国画会の国展に出品するのをやめようと考えていたから、そこへ出しただけですから、望月画廊で、とんでもないいじめを受けて、ただ、ただ、仰天をしました。
 そんな小さなポイントで、他人をいじめる人が、鎌倉の賢い主婦たちを、束ねて行かれるかなあ?(苦笑)もう一つあるのですが、それは昔一回書いているので、本日は書きません。

 そして、ここに、政治に関する、もう一つ大きなポイントが隠されているのです。
 彼女は本当は大学中退なのに、いつの間にか卒業の資格を与えられているのです。そんな資格を付与していいという場合のルールなど、いつ決まったのでしょうか?
 彼女は絵の部門で、激しい上昇志向を持っているので、油絵の世界で、時間を惜しんで描きつづけ、また、その目的のために、私には愚痴を言いながらも、あっち、こっち顔を出し、社交的な時間(というのは、自分より格上だと思われる人間の、弔問に行くとか、オープニングパーティに行くとかいう事です。私の個展には、格下だと思っているからきません。だけど、もし着ていたら、私がすごく実力が高いという事がわかって、あの望月画廊での乱暴狼藉は怒らなかったでしょう。そこに時間をケチする、彼女の、惜しむらくの、性格の汚さが表れています。その上、彼女は当時は、新制作展への、一般入選者であり、私の方は、国展の一般入選者でした。ここら辺りは、ほとんど、互角ですよ。特に当時は。そんなことも頭に入っていないのです。ものすごく、時間をケチっていて、一つの事、すなわち、絵の世界で、出世することしかやっていません。
 国際基督教大学は、授業内容が緻密なことで有名です。全く怠けられません。
 それなのに、あれだけ、時間にけちけちしている人が、三鷹駅からさらにバスで、通学するあそこまで、通うはずがないです。

 すると、これは、授業も受けずに、授業料も払わずに、与えられた資格となります。
 すごいお手盛りですね。

 でも、その情報から、石塚雅彦氏(日経新聞の元論説委員にして奥様が、渡辺幸子さんと同期生である。現在は早稲田大学の教授である)と、伊藤玄二郎あたりが既に、結びついているという事もわかって来て、なるほど、なるほどともわかってくるのです。そして、日経新聞が大支援をして、柄沢斉の個展を開いたり、柄沢斉の弟子である大原光孝さん(この章の末尾に重要な人物として登場をします)が、私に対してひどい攻撃をしてくる事の裏側もわかってくるのです。

 だって、彼のお嬢さんが、神奈川県立近代美術館にお勤めをしていますしね。どこもかしこも、お手盛り主義で、まるで、共産党一党独裁の、現代中国とそっくりです。鎌倉は、戦後の民主主義国家、日本の明るさをすっかり失っています。税金を、自分勝手に使っています。はい、はい、そういう事の連続です。ここで、スピンオフとしての渡辺幸子さんから、元へ戻ります。今は山崎直子さんの講演について語るのが本流です。
””””””””””””
~~~~~~~~~~~~

副題7、『山崎直子さんの二回目の講演は、婦人子供会館で、やるべきではなかったのに?』

 で、婦人子供会館とは、旧制女学校の卒業生が運営をしている世界だから、別に年会費を取るわけでもなくて、ただ、バザーで、協力する限り、その種の女学校を卒業した人には出入りする資格があるわけです。また、習い事をするだけなら、誰にでも門戸が開いている場所です。
 私は鎌倉に引っ越して来るまえから、バザーの協力は頼まれていて、吉野直子さん(ハーピスト)の祖母の家で、落雁を作っていたわけでした。

 で、ここで、やっと、山崎直子さんへ、入っていきましょう。
 山崎直子さんは、話者としても聴衆としても、二週に一回の教室の先生としても、出入りする資格が有るわけです。御茶ノ水女子大付属高校の卒業生ですから、ここに自由に出入りすることが可能な人です。
 だけど、私にとって、6月の方の講演会は、ここで開くよりも、二階堂の付属小学校の講堂で開くべきであろうと思われるもので、こちらで開くのは、裏に当然のごとく、伊藤玄二郎の采配が及んでいるなと、推察できることでした。

 むろん、反論もありえます。ここに、こういう風に書けば、彼らは理論武装して、「付属小学校のご父兄とは、公立と違って、別に二階堂と言う地域だけに住んでいるわけではない」というでしょう。逗子や大船、または、横須賀や藤沢からも、通学させている可能性があり、付属の講堂で、その講演を行うよりも婦人子供会館で行う方が、「駅に近いから、便利で、ありがたいと思ってもらえるはずです」と言う可能性があります。だけど、いくらその理由が後付として、あっても、普通の場合、学校の行事とは、遠足と修学旅行を除けば、学校内で、やるものです。

 この山崎さんの6月の方の講演は、その点で、開催場所としての疑惑があり、したがって、裏に伊藤玄二郎たちエージェントがかかわっていると、私はみなしています。
 だけど、「空席がありますから、どうぞ」と言う方に、わざわざ、そこまで語ってお断りをしますか? 普通はしませんよね。私は特に、常にしなやかに振舞って、喧嘩をしない主義です。

 「あんたを、刑事訴訟にかけてやる」というひどい恫喝にも、何も答えていませんよ。内心で、馬鹿にしているけれど、そういうことも一切声には出しません。ただ、委細はすべてわかっていますので、お隣の奥様の行動を観察することに、すべてを集中したわけです。
 ここらあたりは、連続してお読みいただいている方には、すぐお分かりになるところで、急にここへ入った方は、カレンダーで、過去にさかのぼっていただきたいところですが、2013年6月11日をクリックしていただくか、下のタイトルへお入りになっていただけますと、助かります。

前田祝一様、貴君に行動の自由があるのなら、私にも、その行為を記録する自由はあるでしょう?△
2013-06-11 15:31:49 | 政治
~~~~~~~~~~~~

副題8、『昨日、安野忠彦氏が、また、こちょこちょと、小細工を仕掛けて来たので、これを語るわけですが・・・・・』

 ただ、私は山崎さんの講演を聞いても、それをブログに書くつもりはありませんでした。
 その場所を選んだ、伊藤玄二郎の意味合いは、わかりますよ。(尚、それは、後日別のブログで書きます)だけど、山崎直子さんは、私に挑んできたわけではありません。どこにもいじめの要素はありませんでした。彼女の講演は、ごく当たり前の科学と人間に関する報告であって、聴衆は大いに楽しんだのです。
”””””””””””””
 ここで、挿入となりますが、京橋のギャラリー手と言うところに突然、現れて、私に対して、ご自分の自慢をしまくった挙句、私がただ、物柔らかに見つめているだけなので、・・・・・つまり、敵の攻撃意図に反して、悲しんだり、喧嘩を売り込んだりしないので、・・・・・突然に、自分の任務のばかばかしさに目覚めて、『なんで、こんなことを、私はやらないといけないのかしら』と、本当は言いたくなったのだけれど、さすがに弁護士の娘だという、頭がよい女性なので、それは言わず、ただ、「疲れた。つかれた」と、
 連発をした馬越陽子さんのケースに比べると、はるかに、その本来の意図を隠そうとしている(その)レベルは高度に成って来ていますね。(笑)、とここで、言わないといけないほど、彼らの案は、おばかさんです。常に、常に、幼稚です。すぐ意図を見抜ける程度に幼稚です。で、元に戻ります。
””””””””””””

 だから、この超、政治的な意味合いを持つブログに巻き込みたくはありませんでした。、政治的なという意味は、ごく私的なことを、まるで、公のことのように語るという意味でです。
 それは、立派な仕事をしてきた、そして、その飛行のまえに、9年間も、種々の意味で、忍耐のあった彼女を、巻き込みたくなかったからです。伊藤玄二郎と、井上ひさしが、常に発案して、それがとうとう、日揮社員が、アルジェリアで襲撃されるところまで発展をしている恐ろしい世界が、私がいう政治です。
 馬越陽子さんも北京で、日本人初の個展をして帰国したばかりだそうで、それは、画家としては輝かしい勝利ですが、だから、私に比較をすれば上なので、利用されたわけです。だが、私にとって彼女は同窓生ではありません。むかし、女流展に絵を出していたころは、彼女は審査員で、私は審査を受ける方でしたから、上下関係はありました。だから、バンバン書くことができます。何の遠慮もいらない関係です。
 もし、ここで、月刊ギャラリーの連載が続いていたら、遠慮しないといけなかったでしょうね。だから、そういう側面でも、彼らは幼稚です。月刊ギャラリーの連載が説明もない形で、一年間だけで終わってしまったのは、無論裏で、彼らエージェントが動いていたからでしょう。そこにはまだ触れてはいませんでしたが、いずれ、丁寧に書くつもりです。

 が、山崎直子さんとは、上下関係は無く、しかも、同窓生で、ほぼ、30歳違うという、親密度がすでにある上に、子供より若いのだと知れば、かわいいと思い、さらに、それを増したい間柄です。だから、巻き込みたくは無いです。

 で、ブログに取り上げなかったのに、14日(金)に日経新聞に意味ありげな記事がでて、
 しかも、22日(土)に、NHK総合テレビは、伊藤玄二郎の金づるの一環である鎌倉検定を取り上げて、大宣伝をしてあげました。

 それにも、相当に腹を立てていますが、さらに、22日の午前中にご近所のいじめ用、または、攻撃用キーパーソンである安野忠彦氏が、こちょ、こちょと、小細工を仕掛けて来たのです。

 で、私は、こういう一章を付け加えることにいたしました。

 「こういう悪事の源泉は、すべて、30年も前に、彼(=安野氏)が、3人もの子供をなした、前の奥様に隠れて、こっそりと、現夫人に手を出して、ホテルで逢引をした日から、始まっているのですよ」と。

 そのときの相手は、非常に勝気であって、本当の子供を生まない代わりに、主婦としての座を勝ち取る事に乗り出しました(と推察しています)。その何年か、あとで、彼女と、直線距離で、7mの近さに引っ越してきた私は、彼女が前妻の居場所だけでは無くて、ご近所に対してもテリトリーを広げ、見える限りに存在する、他人に優越し、支配する立場になりたいと望むのを知りました。

 こういう願いを持つのは、本当の教養と実力が無い事を示しています。だから、目に見える直接的な勝利を求めるのです。で、そこからすべてが始まって、上に上げたように、浄智寺さんと言う鎌倉の名刹のトップでさえ、いまでは、彼女に、奉仕を余儀なくされています。

 どうしてかと言うと、安野夫人は、石川和子さんと仲良しであって、石川和子さんは、伊藤玄二郎の元愛人だからです。また、安野夫人は、もう一人の旗頭である前田清子夫人も懐に入れ、大騒動を起こしている結果、我が家の土地が盗まれています。コンクリートうちをされて、実質上使えないこととなっています。また、山も無許可で、崩されています。反対に安野家など、私がアメリカへ行っている間に、北側の私道部分を開墾をして、20坪くらい増やしています。で、差が30坪はあるでしょう。

 そういう過去の悪事を、私に書かせないがために、さらに大騒動を起こしているのが、警察を巻き込んだ話です。

 その警察ですが、全うな方向で、私に謝罪をする方向で動かず、まるで、反対方向に動いています。馬越陽子さんなど、いやな仕事を頼まれて、一時間程度まえから京橋の道路に止めた車の中で、待機していたと思いますが、その行動の真の目的がこんなところにあったということを、知っていらっしゃるかしら?

 セックス、特に、不倫の世界のことなどを書くと、この文章が汚くなります。だから、なかなか、そこに触れませんでしたが、浄智寺さんが、振り回されているのを見て、

 ・・・・・・『浄智寺さん、あなたは、衆生済度のお役目が有るのに、テレビのしかもエンタメ(娯楽)番組に出てはしゃぐなど、なんで、そんな事をなさるのですか? ただでさえ、恥ずかしくて見ていられません。その上、そういう行動も、安野夫妻という他人のために、要請をされているのですよ。
 自分よりもっとずっと、生活レベルが低い無名の人の不倫から、起きたごたごたの修復のために利用をされておられるのですよ。

ああ、そして、この番組全体が、伊藤玄二郎の金儲けに、奉仕しているという、影のコンセプトが有るのですよ。どうして、そんな物に、ご協力をなさるのです。
 しかも、一夕とはいえ、ラーメンの会を開いて、五山のトップを全員集め、瓜南さんの主役の座を与えたのは、瓜南さんの命を縮める一環だったのですよ。その責任も感じていないように見えて、かえって無残です』と、
・・・・・・私は言いたくなってしまいます。

、・・・・・まあ、テレビの画面と言う間接的な形ではありましたが、・・・・・そういう無残な恥ずかしい姿を、見ていると、ここでこそ、安野夫妻の小汚さと言うか、いぎたなさと言うかを、はっきりと、記しておくべきだと思いました。セックスの事など、夜のひそかな話です。だが、昼間の土曜日の午後の、NHK総合チャンネルというところを伊藤玄二郎が、占領しているから、表に出さないといけません。
~~~~~~~~~~~~

副題9、『コジュケイ(雉の一種)が歩く道に車は入りません』

 上の写真の説明を、やっとここで、いたします。場所は井上(ペンネーム、岸田淳平)さんの家の前です。シダ類がそばにあるのですが、その大きさと比べても、道幅が、1mしかない事はお分かりいただけますでしょう。しかも山なので、階段が、ありますね。

 それなのに、石川和子さんが、呼んだ警官は、交通事故の調書を取って、私を脅かしたのですよ。驚天動地の人権侵害です。そして、幅が、1mだから、両側に植物の生えている部分がありますね。ところが、我が家だけ、コンクリート打ちをされています。
 その自然を好んで、ここに引っ越してきたのに、それを奪われてしまいました。
 その原因は、無礼きわまる、かつうるさい、前田夫人、安野夫人、石川和子さんなどの、井戸端会議に怒った藤本夫人の怒りの発露だったのです。40過ぎで、中学生とか、高校生の母親が、あれほどの、毎日、毎日、井戸端会議をするという異常さ。そんな場所は、横須賀にさえありませんよ。みんな、もっと賢いです。親しみを見せるのは、それなりにお金と時間をかけた場所で、自宅へあげるとか、喫茶店に行くとか、公民館の趣味のサークルを一緒にするとか、工夫を重ねたうえで、行います。

 そうしないと、にっちもさっちも行かないことになるのを、みんな良くわかっているからです。朝から夜まで、そばに住む地域社会では、ほどほどという事が非常に大切なのです。ところが、我が家の土地が、実質的に、(崖の人工的な崩壊も入れれば、20坪程度。それも、ほぼ、30年間にわたって)、使用不可能という形にさせられた、恐ろしい事件まで生起しているのですよ。

 そこから考えても、それらの、すべての源泉である、安野夫人の『鎌倉夫人ぶり』が、いかに偽者かがわかるのですが、それを見破ることができる主婦も居れば、見破ることのできない前田夫人みたいな、・・・・・大学院卒という触れ込みですが、その、実際の頭脳レベルを疑ってしまうような、・・・・・女性も居ます。しかもそのごたごたは、私が引越しをしてくる前に起きています。

 どうして、その件を、山崎直子さんの講演を記すブログの中にいれたのか? それは、それを実行した、中谷共二氏のご長男が、東大宇宙工学研究所の所長だと、ご近所の大原光孝さんが言うので、

 山崎直子さんと、そこで、結びつくからです。それは、後日にでも語りましょう。
 やっと誤変換直し(それは、23日のうちでしたが、)と、文章の推敲(24日の午後3時)が終わりました。
 
 尚、このブログの、2010年度から数え始めた伸べ訪問回数は、
1676847です。
  2013年6月19日から、一部を書き始め、24日にやっと全文を完成とする。
                    雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする