銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

鎌倉市で確認申請書が貰えず、PCも壊れたと聞けば、B787が壊れたわけも即理解可能だ△

2013-04-23 01:24:43 | 政治

今は、25日の夜10時半です。誤変換直しが終わりました。で、タイトルの横に、△印を付けておきます。

 文章の順序としては、鎌倉雪の下にこだわるべきなのです。そして、本日辺りは、帰米二世としての、中谷共二氏が、主役となるはずでした。私は政治にもこだわりますが、本来は哲学とか、心理学の分野が好きな方です。帰米二世の特殊な人格と、その人的なコネについて語りたいところでした。が、頭の中に詳細な部分まで、降りている文章は、京急北久里浜駅のエピソードです。

副題1、『益山夫妻は、ツードアに、シェパードを乗せて、横須賀からわざわざ、元街か、鎌倉まで買い物に出かけていた』

副題2、『かわいい人だと、誰からも言われる私だが、ときにはライオンになる。扱い方次第では、猛獣になる』

副題3、『今、法務局で、土地台帳の閲覧が、できなくなっているが、それは、半年前はできたのだった。無論、陰に、伊藤玄二郎たちエージェントが動いただろうね。自分たちの悪事を隠すために』

副題4、『その会社名、大建産業は、伊藤忠も一時期、それを使っていたとか?・・・・・そう聞いて、いるが、瀬島隆三は、どこから噛んでいたのだろうか?』

副題5、『益山氏は、妻(最初の人)をアメリカ人将校に、寝盗られるという屈辱を、味わった男性だった』

副題6、『まず眼隠しとしての、建売住宅を、四軒建てる』

副題7、『本日のNHKは、久しぶりに私の役に立ってくれた。ヤード内で、窃盗車を解体する話から、推進力を得る』

副題8、『水道山はテニスラケット状であって、その首根っこのところだけ、地主に、承諾を得ただけだったのだ』

副題9、『鎌倉市の建築指導課に、確認申請の用紙がなくて、かつ、PCが壊れてプリントアウトができないと言われたが・・・・・それによって、B787が壊れたのも彼らのせいだと、はっきりわかる』 副題10、『慣れている一級建築士なら、添付書類が一枚ぐらいで済むのですって。でも、素人が、申請する場合は、添付書類が、9枚ぐらい必要です。父の時代より、超が付くほど、大げさになっている。だから、大変です。最終段階までは、無理かもしれない。でも、新しいお勉強に70歳を超えて挑戦するのは、楽しいですよ。構造計算とか、強度計算が難しそうで、そこをマスターするのは、無理かもしれないだけれど、他は何とかなりそうですね・・・・・』

~~~~~~~~~~~~~

副題1、『益山夫妻は、ツードアに、シェパードを乗せて、横須賀からわざわざ、元街か、鎌倉まで買い物に出かけていた』

 そちらの主人公は元海軍参謀、益山某氏です。益山氏は徹底的な秘密主義で、ご近所とは付き合わない主義でした。それは、食べ物にさえあらわれていて、通常のスーパーなどでは、絶対に買い物をせず、必ず、ツードア・ハードトップに大型のシェパード(今は流行ではないらしくて、警察件以外は目にしないが)を乗せて、いつも遠くに買い物に行っていました。

 ユニオンの買い物袋が見えたので、元街まで、お買い物に行っていたと思われます。ユニオンとは今は平凡なスーパーですが、戦後すぐは、輸入品が多い高級なスーパーの一つでした。明治屋、紀伊国屋と並ぶ、高級感があったものです。

 戦前、戦中の海軍参謀ですから、当時は上流階級で、私が、知り合ったころも、その風情は残している人でした。  

ところがある年水害があって、私たちは山の上に住んでいるので、被害はないのですが、京急の線路があるところ辺り低地一帯が冠水していて、大きな湖になっていました。  それを、益山氏が、朝早く五時頃、道に出てみていたのです。我が家からは

、その冠水が見えず、益山家からもそれが見えなかったので、見える場所としては、益山氏が立っているところだけだったと思います。子供が小さい頃だったので、私もとても規則正しい生活を送っていました。朝は五時頃から起きていました。  

その時、私はちゃんと、着替えていましたが、益山氏は、まだ、寝間着としての浴衣姿でした。それを恥ずかしいものと考えたらしくて、「僕は元海軍参謀です」と言われたのです。それで、びっくりして、「そうなんですか。道理で、ご近所づきあいをなさらないわけですね」と答えました。私だって、尉官の階級にいた親せきがあるから、海軍の将校がどれほど、威張っていたかというか、上流階級風に暮らしていたかを知っているし、ましてや参謀と聞けば、びっくり仰天です。それで、益山氏が、浴衣姿を恥ずかしがったのはよくわかりました。そして、自分は瀬島隆三とは親友だと言いました。

 私は瀬島隆三がどういう人であるかは知っていて、そういう意味では、教養が高いので(笑)、それは益山氏にもよくわかったみたいです。

 益山氏は、いつも作業服でしたので、最も近い家の、別のおじいさんで農家出身の人が、「おじいさん、何々を、何々で」と話しかけると、嫌がっていました。それは、よくわかりました。元海軍参謀がおじいさんと呼ばれたら、むくれるのは、当り前だし、奥さんが、30歳も若いのだそうです。だから、奥さんの手前、自分が、おじいさんと呼ばれるのは許しがたいと思っていたでしょう。

 最初の方に上げた中谷氏よりは、やはりでしょう。より、男性的なところがありました。たいていの場合は寡黙だったし。

~~~~~~~~~~~~~

副題2、『かわいい人だと、誰からも言われる私だが、ときにはライオンになる。扱い方次第では、猛獣になる』

 その後、誰とも付き合わなかった益山夫妻が、私だけは、家にあげてくださるほどの付き合いをするようになりました。そして物ももらいました。益山さんはプライド高い生き方をしている人でしたが、一時期お店もやっていて、手芸品を扱っていたそうで、手芸品のキットをいくつかもらいました。私は幼稚園のPTAの会長をしていて、バザーに出す品として、とてもありがたくそれをいただきました。  

ところが、それほど、いい関係だったのに、益山氏は、大失敗をしてしまうのです。それは、私を、上滝氏という人物より下に扱ったことでした。上滝氏というのは、今の新生銀行(元のときわ銀行)に勤めている如才ない、男性で、よく道路に出て、子供と遊んでいたので、益山氏が、話しかけて、ご自分の、詐欺事件の片腕として使ったのです。

 それに協力したら、「あなたに土地五坪程度、ただで上げる」と約束をしていたそうです。今は、読者の皆さんも、「へ、それ何の事」というほど、土地の値段が安くなってしまいましたが、当時は、土地ひと坪が、一か月の給料以上に相当する時代でした。それに、上滝家は、30坪しかないので、それが、35坪になるのは大きな違いなのです。増築が自由になるからです。  

そのことを上滝氏自身から聞いた私は、猛然と怒りました。私には全く違う理由が告げられていて、比較をすると、私のほうが馬鹿にされていました。私は表面には一切それを出しませんが、すこぶるつきで、プライドが高いし、上滝家からは、失礼な措置を以前から受けていたので、「こんなひどい人物より、私が下手に置かれる? それは許せない」となって、猛然と、調べ始めたのです。

書類を見ただけで、なぜか、『これは、犯罪の一種だ。しかも、もしかすると我が家が壊される可能性がある』と理解ができました。友人から、実力のある人といわれている私です。書類を見ただけで、図面も読めるし、法的なこともほとんど正しく理解ができるのです。

 つまり、一か月の給料より、ひと坪の値段が高い時代に、益山氏は、地籍変更届という仕組みを利用して、1200坪(4200平米)をただで、取得できるのです。相手は横須賀市です。そこは水道山です。山桜やモミジの生えている、水道山です。

それをぐるっと回る形で、立派な道路を作ることにした図面でした。そんなものは、実在していないものですが、図面上はそれがあるのです。それだけで、怪しいとわかります。

 後で、その仔細が、わかるのですが、ここで、結論を先に言ってしまうと、益山氏は登記簿上は、2.73平米=ひと坪以下しか持っていないのに、地境地主の、実印さえ、書類に押してもらえば、急に1200坪に、自分の所有地が増えるのでした。

 私は最近不動産に凝っていますね。その中で、三カ月にわたって、勉強したが、最も感銘を受けた他人の言葉は、・・・・・手塩にかけて不動産の価値を上げる・・・・・だったと言っています。

 益山氏の場合も、10年近くの歳月をかけて、手塩にかけて、取得をしたのですが、当時、日産自動車の、材料研究所所員として、給料が高い方だった主人に給料の、35年分を、その申請書を提出するだけで、ただで分捕りできるのです。しかも、酒鬼薔薇聖斗事件は、どうもこれに関連して起こされた冤罪ではないかと気が付き始めたので、この事件が、個人的なものではなくなってくるのです。ですから、どうか、丁寧に、聞き、読んでくださいませ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~@@@@@

副題3、『今、法務局で、土地台帳の閲覧が、できなくなっているが、それは、半年前はできたのだった。無論、陰に、伊藤玄二郎たちエージェントが動いただろうね。自分たちの悪事を隠すために』

 猫のことで、警官を巻き込んで、とんでもないことをやってしまった石川和子さんが、伊藤玄二郎の愛人だったということは、随分昔から知っていました。とても迷惑をかけられているので、それは無教養だから、そうなるのですから、どうして、あそこまで、威張っていられるのかが不思議でもありました。で、そんなことを口に出すと,ある人が、「ああ、彼女は、伊藤玄二郎の愛人だったから、鎌倉市の公民館には、すべて自由に押し込んでもらえるのだって。先生として」と教えてくれました。

 それを知っていて、石川和子さんに、迷惑をかけられるからこそ、「あなたは、どうして、伊藤玄二郎と、知り合ったの?」と質問をすると、「私がパーティコンパニオンをしていた時よ」と言っていました。私は、「あ、そう」と言って、すぐ引き下がりましたが、内心で、「あなたってばかだなあ。それって水商売の一種でしょう。そんなところで、知り合った女性に、伊藤玄二郎が、自分の経営している会社と同じ名前を与えるなんて、彼のおっちょこちょいぶりをあたりに宣伝するようなものでしょう。ポルトガル国の、エンリケ皇太子勲章が泣くわ」と思いましたが、それを彼女に言うほどのおっちょこちょいではない私です。

 たぶん、学生時代のお付き合いではないかなあ? 小学校、中学校、高等学校時代のね。だけど、それを隠した方がいい何らかの理由があるのでしょう。で、それは、小説「私が棄てた女」の世界につながるような気がしてきます。だけど、その真実は知りません。

 ところで、私が最近、法務局へ行ったのは、その話を聞いた場所が、喫茶店だったのですが、その喫茶店がつぶされたのです。それで、何とも言いようのないいまわしさを感じて、どうして、つぶされたかを知りたいから法務局へ行ったのでした。

 その喫茶店は、借り店であって、建物そのものが壊されました。で、どういう人が買ったのかが不思議だったのです。すると、12月27日のたった、一日のうちに、三回転売をされていました。こういうことも、非常に不思議なケースです。ですから、そこにもいまわしい裏が隠されているでしょう。幸いに、その喫茶店は大船で再開しているみたいです。が、鎌倉の客層と、大船は違うから、伊藤玄二郎たちの、自分を守るためだけの行為に迷惑をかけられたわけですね。で、彼らの汚さを、さらに感じるわけですが、・・・・・・

 ともかく、その土地の転売を調べた時に、以前とはまるで違って、不自由になっていることに気が付きました。つまり、悪人の悪事は、このようにして秘匿をされていくのです。そういう中で、ジャーナリストも骨抜きにされていて、弁護士は依頼されたことしか扱わず、しかも安全な事件しか扱いませんので、今は、頭脳を使って悪をなすタイプの悪人は、のうのうと、枕を高くして眠られる時代です。

 ただ、30年前の1980年代当時は、私は自分の家を守るのに必死だったから、必死で調査しました。副題2に書いた結論は、当時には、最初の2,3週間はわかりませんでした。順を追って、調べていったのです。

~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『鉛筆で走り書きされた会社定款に、びっくりする』

 まず、益山氏の会社が、どういう会社なのかを調べました。

 今、土地台帳は、閲覧できません。比較して、会社の方の登記簿台帳が閲覧できるのかできないのか、最近会社の登記簿を調べたことがないので、わかりませんが、当時はできたのです。すると、会社は、現在の京急横須賀中央のすぐ近所で設立をされたことがわかりました。

 その後、舟倉町に移転をしたことがわかりました。私は会社設立の場所に行ってみることにしました。その次に舟倉にも行ってみるつもりでした。

 ところで、その台帳を法務局で、見ていた時に、印象に残ったことが、三つあります。その第一は、鉛筆の走り書きだったことです。いとも簡単なものでした。当時はパソコンがなかったのですが、代わりに和文(または、邦文)タイプという、たくさんの活字が平面的に並んでいる機械があって、それで、公の書類は作るものです。

 で、鉛筆で、書かれたものは初めて見たので、本当にびっくりしました。このことから二つのことが推察されました。益山氏は、元海軍参謀だから、お役所、特に地方の支所なんか、軽くばかにしているということ。うちの父は元本庁の役人でした。だから、お役所に出す書類には、自信を持っていて、素人なのに、私の家の建築確認まで、取ってくれました。が、それでも、自分の会社の設立書、それから、定款を、手書きで、しかも、鉛筆で書くはずはないです。建築確認だって横から見た形まで、当時は青写真というものを使って、丁寧に書いてくれたものです。本当に丁寧な書類作りでした。

**********  

ところで、ここで、挿入ですが、本日驚くべきことを発見しました。鎌倉市役所で、建築確認書のテンプレート様式が、置いていないので、プリントアウトをしてもらおうとしたら、パソコンがだめで、動かないですって。見事に意地悪されていますね。

明日ももらえなかったら、皆様、私の敵は、こういう風に文章を研究しているのだと申し上げましょう。私が父のまねをして、建築確認申請書を出すのを見事に、推察して、鎌倉市の建築指導課のパソコンを壊すのです。

笑うべきか(あまりにも姑息だから)、怒るべきか(二度手間になるでしょう。明日も行かないといけませんね)、喜ぶべきか?(うーん、やはり、私は大物であると、確信を、何度目かのこととして致しました。それほど、常に注目をされているのです)挿入から元へ戻ります。

**********

 ただし、建築士など、他人には頼まなかったのが父のお金を生み出す処方箋です。今のお金にして、50万円ぐらいはそこで、倹約するのが父の手法でした。

 益山氏が、会社の設立の申請を自分でやったのも父と同じような発想だったと思いますが、それでも、鉛筆書き、しかも、とても乱暴な字だったのには、ひどく驚いたものです。

 如何に、益山さんが、国家とか、役所というものを小馬鹿にしていたかを物語っています。それと、もしかしたらですが、会社を設立当時の益山さんが、経済的に逼塞をしていたということですが、それもありかもしれません。

 最後に、最も驚いたのは、仕事の内容として、果樹園経営と有ったことです。『へえ、実際には、不動産会社なのに、果樹園経営だって。不思議だなあ。これも、元海軍参謀としてのおしゃれ感覚だろうか? 一種の気取り?』と思ったのでした。が、さにあらず、この果樹園経営という手法こそ、横須賀市の水道山をただどりする重要な手段の一つだったのです。それは、後で、具体的な手法説明をしますが、その時に、再び丁寧に、語ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『その会社名、大建産業は、伊藤忠も一時期、それを使っていたとか?・・・・・そう聞いて、いるが、瀬島隆三は、どこから噛んでいたのだろうか?』

 ところで、益山さんが、経営している土木、建築業+建売住宅販売の不動産会社は、大建産業と言いました。それは、益山邸の入り口に、素朴な木の看板で、墨書されたものが貼ってあったので、既知のことでした。で、法務局で、会社の定款を初めて見た日に、その会社名は、さして、気をひかなかったのです。ところが、それが、後々とても意味のあることだとわかってき始めます。

 その大建産業という名前は、後日、伊藤忠の前身についていたと知るのですが、この土地を、詐取する際に、最初から、瀬島隆三が協力者だったかどうかはわかりません。私が事件に巻き込まれた時は、自分の身を守るのに必死であって、自分の身に関係のないことには、割と無頓着だったからです。だから、その小さな会社の役員の中に、瀬島隆三の名前があったかどうかを、チェックしてはいません。

 で、1980年にこの事件が起きて、私は、1985年にはそこから引っ越して、鎌倉へ移転をしてしまいます。ところが、2005年ごろ、「東工大卒です。しかも測量士です」と名乗る、人物から、電話がかかってきて、それは、意外なほどの長電話となりました。

 その電話で、一番重要な話は、「杉本、横須賀市、副市長の坊ちゃんの話を知っていますか?」という部分でした。杉本家の坊ちゃんは、大きな噂の的となっていて、それは、すでに、知っていました。ので、「ええ、知っていますよ」と答えました。

 答えながら、「ああ、それをメルマガ(当時は、ブログはやっていなかった)に書くか、どうかを探りを入れているんだな」ということは見え見えにわかりました。相手方が最も気にする弱点とは、杉本家の坊ちゃんだったのです。

 ただし、ここではそれには、深くは触れず、先に進みます。長電話の中で、相手は、あの土地(4200平米、プラス、さらに開墾をしたらしいので、さらに増えていたであろう)は、四、五筆に分かれていて、そのうち三つは、伊藤忠アルファ、伊藤忠ベータ、伊藤忠ガンマという三つの会社が持っているのですが・・・・・・と、言いました。

 つまり地籍変更届を利用して、ただどりされた土地の中の、ほぼ、四分の三か、もしくは、それ以外の分配率で、すでに、、瀬島隆三の手に渡っていたのです。で、通称、ルネ北久里浜=ソラヒルズ、という名前の4棟の大マンションは、すべて、伊藤忠アルファ、ベータ、ガンマという会社名で、建設されているのかもしれません。

 さて、その私の意思や、近未来の行動を探りたいという意味でかかってきた、電話を受けて、不愉快だったかというと、全然不愉快ではありませんでした。「うわ、大もの扱いだわ。こんなに時間がたっているのに、いまだに、真実を知っている私を恐れているのだわ」と思って、得意顔の一つもしたでしょう。そして、向こうさまの思惑も、明瞭にわかりました。・・・・・メルマガに書くか書かないかを、確認したい・・・・・という意味です。で、その文章の目玉は杉本家の坊ちゃんとなるだろうと、彼らは考えているのでした。

 ここで、簡単に言ってしまうと、杉本氏は、この事件の折りに、横須賀市の土木課長でした。水道山が、大建産業という小さな会社にただどりをされてしまったのを看過したということとなり、横須賀市に、大迷惑をかけたということとなります。

 私は杉本夫人とは、彼女とご主人の知り合った場所さえ、聞いているほど、親しいので、この事件の折りに、窮状を訴え、ひどいことが進行しつつあると、伝えているのにもかかわらず、何もせず、放っておいたのでした。しかし、その後、杉本家が、大豪邸に引っ越したのを見て、彼は、知覚していて、わざと看過したと見ています。ほらよく言うでしょう。長いものには巻かれろと。

 その前は、杉本家は、敷地50坪弱の、京急池田分譲地の中の一区画に、25坪程度の二階家を建てて、三世代同居で暮らしている一家でしたが、この一件が終わったあとでは、全体の敷地が、2000坪ぐらいの、大きな平地の中に、ご自分用には、200坪ぐらいの敷地を占有し宮大工が建てたような本格的、日本家屋、建坪、40坪以上を、建てて、引っ越して行きました。そのまわりは、2000坪ぐらいの広い広い、住宅地としての適地がありましたが、杉本家が、実質的にそれを支配できるように、他の家は、20年以上建てられなかったのです。

 それは、資産形成への優遇ですが、地位としても、杉本氏が、横須賀市の副市長になったのは、このときの、措置(つまり、益山氏側に立った)が、影響を与えていると思います。それだけなら、悪口めいたものを書いてはいけないのですが、その後、私の横須賀時代の友達を、ほとんど全部引っ剥がす措置を取られ、特に北村充子さんという合唱の指導者には、意図的、かつ計画的な罠にはめられていじめられたのですが、こういうのも、ほとんどが、裏で、杉本夫人が手を引いていたと推察されます。

 そういう風に表向きは、出世街道まっしぐらだったのですが、思うに任せないのが子供のことで、坊ちゃんは、大きな噂話の種となる様な、思春期を送りました。だが、鎌をかけられて、書くだろう、書くだろうと、推察をされているからこそ、その坊ちゃんの、ことは、ここでは語りません。

 私が不思議に思うのは、瀬島隆三とはとても親しいのだと言っていた益山氏は、どのあたりから、自分の計画に、瀬島隆三を巻き込んだかですが、この事件を、1970年ごろ企画を立てた段階では、一人で、行っていたと、推察しています。瀬島隆三が乗り出してきたのは、私があまりにも頭がよくて、益山氏の秘密や、はかりごとを次から次へと、解読をしてしまうので、対抗上、我が家の電話を盗聴する必要性を感じて、

 それを依頼する際に、自分の仕事へ、瀬島隆三を巻き込んだのだと、考えています。で、瀬島隆三がからんだからこそ、あの恐ろしい事件、土師淳君の首を切って、校門の上に乗せ、残りの遺体を水道山へ隠すという事件も起こされたのでした。当時、酒鬼薔薇聖斗として、ある中学生が、逮捕されましたが、相当にえん罪のにおいが強い事件です。中学生が、小学校、高学年の児童の遺体など運べないでしょう。  

これは、横須賀市の水道山へ誰も近寄らないようにするための、策略だったと思われます。

~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『益山氏は、妻(最初の人)をアメリカ人将校に、寝盗られるという屈辱を、味わった男性だった』

 ともかく、法務局で、これは、とんでもない事件が、ひそかに進行をしているのだわ」ということがわかったので、私は、益山氏が、善人であるか、悪人であるかを知りたいと願い、彼が会社を最初に設立した場所へ行ってみました。1980年には、横須賀市根岸町二丁目、京急北久里浜駅の、すぐ東側の丘の上に、18坪程度の平屋を建てていて、そこが本社だったのですが、

 しかし、その会社の最初期の建物は、京急、横須賀中央駅のすぐそばの、繁華街にあったのです。自分が付き合った限りにおいては、益山氏夫妻はいい人でした。だが、法務局で、見た書類によると、とても大きな詐欺を計画している人だったのです。それは、日産自動車では、技術系のエリートだった主人の当時の月給に換算すると、35年間の給料に相当するような資産を、濡れ手で粟で、手に入れられる様な事案だったのですから。

 わたくしはあたりにある、お店の中の一軒を選んで、かく、かく、しか、じかで、益山氏という人物が、どういう人であるかを知りたいと、願いました。すると、とんでもない秘密が出てきてしまったのです。それは、益山夫人は米軍の将校クラブで働いていたことがあって、その時にアメリカ人の将校を相手に、恋をしてしまい、夫と子供を置いて、アメリカに行ってしまったという、過去のエピソードでした。

 それを聞いた途端に、以下の三段論法が成り立ったのです。益山氏は、敗戦という面と、コキュになってしまったという二つの面で、アメリカに、したたかに、痛めつけられた。したがって、一度地獄を見た人間だ。だから、腹が据わっている。で、多少の悪事など、へっチャラでできるのだ。

 しかも、元海軍参謀である。横須賀のどこに、国有地、もしくは公有地があるかをよく分かっている人だ。今回は北久里浜の丘の上の公有地(=水道山)に目をつけた。だが、あまりにもスムーズに事を運んでいるから、ここが、最初ではないな。というように考えていました。

 で、これは、実際に益山氏が計画をしたことであり、現実に我が家が、乗っ取られる可能性はあるともわかったのです。

 ところで、上のエピソードを教えてくれた横須賀中央で、お店を開いている人は、私がよく会話を交わしている今の奥様が、当時は、会社で働いていた社員だとも教えてくれました。

 益山氏は、この後妻には、大変な感謝をしていました。この人は、美貌であり、かつ純真な人でした。で、ご主人を深く愛していました。その点では桝山氏は、最晩年には、大いなる癒しを得ていたのです。だから、ご近所のいかにも、元農民だったと思われる、おじいちゃんから、「おじいちゃん」と、呼びかけられると抗議して、言い方を直させたのでした。

 後妻に当たる益山夫人は、事務員として働いていたのではなくて、設計マン、または、一級建築士として働いていた女性です。戦時中も、最終段階は、男性の数が少なかったので、女性も、知的訓練を受けて、男性が、働く現場で、働いていたのです。彼女は、建築は、都立大学(現在の首都大学)で、学んでいたとご自分で言っていました。

~~~~~~~~~~~~~

副題6、『まず眼隠しとしての、建売住宅を、四軒建てる』

 最近何度も言っているように、横須賀とは、山の斜面が急峻なので、石段で昇る住宅がたくさんあって、したがって、地価が安いのです。ただし、事業として、不動産を商うのなら、車が付けられる住宅でないと、商売にはなりません。

 この物件も、京急北久里浜からは、300段程度の石段を登る立地となっています。ところが反対側に、京浜急行が、立派な車道を、いろは坂形式で作って、400戸ほどの大団地を形成しました。その京急が、最も駅に近い山を、残したのです。それを車の入る分譲地として売り出すべく、益山氏は京急の道路を利用しているのですが、京急が、そこだけを、売り出さないで、残したのはなぜか?と推察すると、そこは、町名が違うので、イメージとして、使いたくなかったのでしょう。根岸二丁目というのは、低地も含むので、丘の上の、大邸宅地というイメージに合致しない町名だとみなしていたのだと思います。

 で、尾根すじとして、残っていた山を益山氏は、買いました。そして、宅地造成をしました。私の父も県の土地計画とか、国の道路設置計画というのを、探って研究するのは好きでしたが、むろん、公に発表をされたのちに、それを、知ることとなっていました。

 しかし、益山氏など、計画段階から、この手の造成を知っていて、大いに利用したと思われます。だから、分譲地ができる前の安い段階の山林を買ったのではないかなあ? 

だって、益山氏の作った道路は、おんぶにだっこに、京急池田分譲地の道路を使っていますから。

 私の主人が、30坪、私の母が30坪買った土地は、持ちては、神奈川生協から買った土地も、実は二代前ぐらいは、益山氏が、持っていた土地なのではないかと思います。そちらは、実際には合計300坪あって、それを、30坪ずつ、10区画に分けていますが、そのうちの、3軒分ぐらいは、自分が道路を作らずに、H家という、元からの横須賀の地主さんの私道を、利用する形で、作っています。Hさんへは、やらずぶったくりで、迷惑をかけているので、Hさんは、その地籍変更届に印鑑を押しませんでした。

 または、押してもらえないと分かっているから、最初から頼んでいないのでした。 

 地籍変更届を利用する詐欺とは、実質的には、ひと坪もない土地を、水道山を搾取して1200坪に増やすという、泥棒なのですが、それを法務局へ届け出る書類に、地境地主が、すべて、「承知いたしました」と言って、実印を押せば、自動的に通るものなのです。

 ですから、今エアリーマンションとか、シェルマンションと呼ばれる、4棟のマンションに住んでいる人たちは、別に書類上は、瑕疵があるというわけでもないのです。ただし、私の目から見れば、泥棒された土地の上に建てたマンションに住んでいるということになります。

 で、益山氏が、最初からひどい計画性があったと、今ではわかるのですが、それは、最初は、普通の宅地造成にしておいて、私の家や、H家の家ができた後で、その普通の宅地造成を壊してやり直し、まるで、城塞のように高い位置に、建売を四軒も建てたことです。

 ここで、普通のというのは、高さが、石部分が2メートル築堤が1メートルで、両方で、道路から、3メートルぐらい高くなっている住宅地という意味です。ところが、北側に家ができたとたん、というか、それが建築中に突然、その南側に、要塞のように高々と、4棟の建売住宅を建てたので、まず、それだけでも、近所をだまし打ちしたということになります。驚きますが、他人のことなど、どうでもいいのです。

 そして、どうしてそんなひどいことをしたかというと、理由は、その裏側で悪事を進めるためでした。

 でも、H家は、大昔からの地主だし、一族が頭がよくて医者や、市会議員を出していたので、大いに不満があったと思います。H家だけが、そこらあたりで、一軒だけの家として建っていた時には、前の宅地造成地は、H家と、水平線が、2メートルぐらい高いだけでした。我が家の前は、石組と、その上の、芝生部分も入れても、3メートルもなかったと思われます。

 それは、土地を買って見に来た頃にはそうだったのに、建築確認申請が下りたとたんらしかったのですが、大規模な、変更が行われ、崖が、7、8メートルの高さで、作り直され、その上にさらに、5メートルの高さの、総二階の建物が建ってしまったので、日当たりは悪くなるし、プライバシーは侵害されるで、おお損というほどの変化でした。

 このときに、H家と、益山家は、当然けんかになったと、思われます。で、H家の、印鑑はもらえないと覚悟を決めた桝山氏は、巧妙にも、H家の周囲に、公有地が囲んでいるという形にしたのでした。そうなると、H家の印鑑をもらわないですみます。だけど、その公有地が、当然のごとく我が家の内部を走っていることとなるので、私はびっくりして戦い始めたのです。だって、ちゃんとした測量の結果買った土地の中に、後日、突然、公有地などが、作られては全くたまりませんもの。

 で、益山氏は、この高い建売、4軒で、他人の目を遮って、家の中で、どんどん、水道山へ蚕食をしていったのです。

その際、果樹園経営という会社の定款が、生きてくるのでした。益山さん夫婦は、作業着を着て、開墾をしては、そこに、果樹の苗木を植え、公有地である水道山を、益山夫妻経営の果樹園(=私有地)としていったのです。果樹園という名目で、大だんびらを切れば、それが、私有地であるかの如く他人に、見せる、または、見せつけることができると考えていたのでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『本日のNHKは、久しぶりに私の役に立ってくれた。ヤード内で、窃盗車を解体する話から、文章を書くことへの推進力を得る』

 私は日ごろチャネリングという思想を信じています。それは、あなたに必要なものや人は、適切な時期に、あなたの目の前に現れるという発想です。

 本日、2013年4月23日のNHK18時からの首都圏ニュース、「ヤード特集」ほど役に立ったものはありません。

 益山氏の取った作戦こそ、そのヤードの持つコンセプトと同じものでした。だから、それをご覧になっていた方なら、スムーズに益山氏の悪事をご理解できると思います。

 それをご覧にならなかった方の為に、説明をさせていただくと、ある若い男性が、ひき殺されました。相手は、車専門の泥棒で、盗まれることを阻止しようとした持ち主が、逃げようとする泥棒にひき殺されたのです。

 その後、警察の追及によって、車はある、ヤードと呼ばれるところで発見をされました。危うく海外へ、持ち出される直前だったそうです。千葉県の人里離れた山間部には、40以上のヤードと呼ばれる、高い塀と頑丈な門に阻まれて、関係者以外が侵入できない場所が、あるそうです。

 ヤードはたいていは借地で、経営者は、外国人が多いそうです。その中では、窃盗車を解体して、部品という形で、海外へ持ち出し、現地で、ふたたび組み立てて、高額で、売るそうです。

 益山氏は、もともと、塀を安い素材で、びっしりと作っている人でした。それは東西に走っておりその北側が、私たち普通の人が暮らしている世界であり、南側が横須賀市の水道山でした。それはだいたいが高さ2メートルぐらいのものでしたが、元海軍参謀というおしゃれで、上流階級である人が、そんな安い素材で、しかも、びっしりと塀を作るのが、不思議でした。まるで、工事現場みたいであり、自宅の塀だとはとても思えません。

 しかもある時から、その高さが、5メートルほど、拡大されたのです。頑丈な厚手のベニヤにできた高さ5メートルの物が、その敷地内には、絶対に入らせないというように立っており、しかも、その中には、シェパードを置いて放し飼いにしてあり、あまりにも警戒心が強いので、とても不思議でした。

 ただ、この高い塀は、今にして思えば、水道山の開墾が進んでいて、『自分たちの、耕す姿が、北側に住んでいる住人に目撃をされたら嫌だな』と思ったから、高さをさらに上げたのでしょう。

 ・・・・・ここまで布団の中で書いて、二時間も、何もせず、そのまま寝ていましは。布団の中に、上等で薄い座イスを持ち込んでいるので、きちんと安定して、座れるのです。が、それが二時間も、続いたとは、自分でも笑ってしまうほどです。

 元に戻ります。

 益山夫妻のやっていたことこそ、その千葉県のガード内で行なわれていることと同じなのです。つまり、隠れながらやらないといけないような悪い作業をしているから、塀が高かかったわけでした。千葉県に多いというヤード内では、窃盗車を、解体しています。

益山さんが、解体していたのは、水道山でした。そこを自分の果樹園にする作業を、普通の人の目から隠れて行う必要があったのでした。

~~~~~~~~~~~~~~

副題8、『水道山はテニスラケット状であって、その首根っこのところだけ、地主に、承諾を得ただけだったのだ』

 地籍変更届というのは、庶民には、ほとんど関係がありません。庶民は、マンションのひと区画を買うだけか、一戸建ての一戸を買うだけだからです。そして、その地境は、めったなことでは動かず、したがってトラブルも起きがたいのです。

 で、この届けを利用して土地をただどりするのは、元海軍参謀であった益山氏と、その親友である元陸軍参謀の瀬島隆三ぐらいなものでしょう。または、不動産開発業者の中には、こういう仕組みを利用して、人目の届かない山林で、一千坪だけを買って、実際には、二千坪分に、境界石を入れてしまうというような仕組みがあるやもしれません。そして、買ってから、一〇年後ぐらいに、売主が死亡したと仮定をします。そのうえで、法務局に自分の土地は、二〇〇〇坪でした」と、届けいでれば、その土地は、自動的に二〇〇〇坪分となるのです。

 ただし、それが、無法に行われると、他人の土地へ蚕食して、どんどん、自分の土地を増やして行ってしまう人間が出てきますね。だから、ある程度の縛りはあって、地境地主の承諾を得ないといけないこととなっています。

 私が一応の仮定の話として、上にあげた千坪の山林を二千坪に増やす場合、もし、盗み取られる方の相続人(息子や娘)が、都会に、三〇年以上住んでいて、山には、関心がなかったと仮定しましょう。しかも、お金持ちのボンボンで、人を疑わず、書類も相手の言うなりに、精査もせず、実印を押してしまうと仮定します。すると、祖先の残した山林の、うち、一千坪を、お金も取らずに、他人に盗み取られてしまうこととなります。

 で、その口のうまい業者が、千坪分を二千坪にして、分譲住宅を作れば、200戸分の宅地が、その二倍の400戸分の宅地になるのです。一戸分が、1000万円と安く見積もっていても、20億円ただどりとなるのです。うまい話でしょう。

 しかし、その例と違って、北久里浜には、すでに、大規模団地である、池田分譲地はあるし、それに隣接する根岸町2丁目にも、いっぱい家は建っています。人間の目が監視しています。ただ、高い5メートルの塀を建てて、その中で、水道山を開墾して、自分の土地の如く、ふるまっている益山夫婦は、自分たちがやっていることの真実など、『だれにもわからないだろう』と、彼考えていたのでしょう。

 で、莫大な土地の地境地主を全部、動員すれば、70軒ぐらいの数の家があります。で、本当にそれらの人全部を訪問して、同じ書類を見せれば、私にそれがわかった程度には、そこに大規模な犯罪が隠されているのに、気が付く人間もいるかもしれません。

 で、テニスラケットを、逆さに立てたような地形の、首根っこの部分、11戸だけの実印をもらえばいいと、なった模様です。それ以外の、60戸から80戸の印鑑は、ネグレクトしたのでした。ただし、形に齟齬があってはいけないので、土地の姿かたちは、現状の測量図が付いています。

 だが、巧妙極まりないことに、水道山をぐるっと鉢巻状に取り巻く場所に、道路を設計したのです。それは、図面上に現れているだけで、実際には、1980年代までは、そこには、道路など影も形もありませんでした。

 普通ですと、土地が高い当時、そんな大量の道路を作ったら損ですよね。だけど、作ったのは、その道路を横須賀市に寄付してしまうからでした。すると、地境地主は、横須賀市になるのです。横須賀市と、法務局は、管轄が別です。

 前者は、地方自治体であり、その上にあるのは神奈川県です。法務局横須賀支所の、上にあるのは、関東法務局であり、その上にあるのは法務省です。で、法務局内では、書類上、その書類の書式が完了していたら、その内容には、質問をしないそうです。

 たった、2,73平米しか持っていない人が、4200平米へ土地が増える陰には、大いなる、疑問と嘘が隠されているのですが、お役所は、まさしくお役所仕事であって、その疑問を、法務局の方で、糺す(または、質す)ことは、無いのだそうです。書類の形式さえそろっていれば自動的に許諾されるのだそうです。

 一方、横須賀市の方はどうなのかといえば、水道山の地境を、常に検査する人間などいないのでしょう。その現状がおかしくなっていても、気が付かないということです。そこに、この詐欺が成立する余地があるのです。

 でもね、杉本氏という、当時の横須賀市の土木課長の奥様には、この件で、相談を何度もしています。それゆえに、課長級では、この事態が、わかっていたのです。

 杉本夫人は、横浜高島屋の靴売り場に勤めていたころ、靴を買いに訪れた杉本氏と、びびっと来て、交際が始まり、結婚をしたそうです。そういうことを聞かせられている私ですが、杉本夫人は、この詐欺の件では、私の味方をしなかったのでした。

 なお、ここから先は、4日目に書かせてくださいませ。恐れ入ります。この章の内容が非常に濃いので、書くのに疲れ切っています。恐れ入ります。

~~~~~~~~~~~~~~

 

副題9、『鎌倉市の建築指導課に、確認申請の用紙がなくて、かつ、PCが壊れてプリントアウトができないと言われたが・・・・・それによって、B787が壊れたのも彼らのせいだと、はっきりわかる』  

いや、上のような書き方をお読みになると読者の皆様は、私のほうが意地悪だと誤解をなさるのではないかしら。しかし、  私の方だって、五億を超える損失があるのですし、この1980年のとき、益山夫人にひき殺されそうになったのですから、こういう書き方になるのも仕方がないのです。  1980年10月11日だったと思うのですが、前方50メートルのところに、益山夫人の車が止まっているので、不思議なことだと思いました。彼女はできるだけ近所づきあいをしないで、暮らそうと思っている人ですから、道路に車を停車するなど、やったことがない人です。だって、誰かが珍しがって、話しかける可能性があるでしょう。私が益山夫妻とお近づきになったのは、驚くべき台風のおかげでした。そこでしか下界の冠水を、見ることができない場所で、たった二人で、朝の五時に眼下を見下ろしていたから、ミスター益山と私の間で、心がスムーズに開いたのです。  でも、違和感があったので、心の中で準備をしていたのでしょう。急発進した車が、私をめがけて、直進してきたときに、横っ跳びに逃げました。丁度、120度の角度で、くぼんでいる場所だったので、そこに逃げ込んで助かったのです。神様は、必ず、私を見守ってくださっています。常に助かります。  ところが、人の善意を信じる私は、それほど、そのことを気にしないで生きてきているのですよね。その後も三回ぐらい暗殺をされそうになっていますが、平気で、冒険を続けています。パリで、拉致されそうになったくせに、まるで、気にせず、ニューヨークへ行き、2度も三か月も暮らしています。

 でも、本日も鎌倉市の建築指導課で、もらえるべき書類がもらえなくて、しかも、吏員さんのうちには、変な顔をしてじろじろ、こちらを見ている人がいました。あの人は、事前に、「いつも、確認申請に来る一級建築士では無い=顔見知りでは無い人間が来たら、不親切にして、テンプレートを上げないように」と、言われていたのかしら? そうなると、誰から、そういう文言が入っていたかが問題です。伊藤玄二郎、それとも鎌倉警察署長? それを明日行って質問をしないといけません。税金で働いている人が、どうして、そして、だれの讒言で、不平等をしているのかしら?  それは、大問題ですから。その誰かの名前を知りたいところです。  明日も、その書類、が、手に入らなかったら、また、報告をします。  ところで、大切なことは、この文章はほぼ三日目に入りますね。で、丁寧にこの文章を読む人間が、「彼女は確認申請の書類を取りに行くはずだから、鎌倉市の建築指導課が、不親切にしたら悲しむはずだし、ノイローゼになるはずだと考えたわけです。普通だと、そう言うことを考え付くのは、今だ生きていて、地下潜行をしている井上ひさしですから、またまた、それが、あの件の傍証に役立つのです。阿野建とは、お隣の白井・小野寺夫妻と、井上ひさし、もしくは、伊藤玄二郎が、昔、同席していただろうということです。彼らが、昔宴席を張って、会っていた可能性を強く、感じます。  まあ、いずれにしろ、この際、だれもがそれを、黙って取って行くことのできるファイル置き場所に、一通もその書類が置いて居なかったということも変だし、そのうえ、鎌倉市の建築指導課のパソコンが、その時に限って、可笑しくなって、テンプレートをプリントアウトできなくなると言うのも変ですね。だけど、これが、初めてのことではないです。  ということは、それが一番問題だと長らく言ってきた、ボーイング787の事故ですが、あれが、完璧にバグを入れ込められて起こされた事故だということが理解できます。  私はそのことを、一回、発言をしながら、それ以降は、ずっと、触れませんでした。じっと黙って待っていたのです。運航再開となってよかったですね。    で、最近は日本や世界の大きなニュースに触れていませんが、その理由はこういうこともあるのですよ。テーマを、すっとそらせる日もあるのです。  今週の週刊誌、(たぶん小説新潮)に嘉田由紀子さんが、「小沢一郎氏に人生計画を狂わされた」とおっしゃっているらしいけれど、そんなの、あの大々的な初日の記者会見で薄緑色のスーツで、現れた時からわかっていましたよ。悪魔側にお立ちになったらだ、めなのよ。  誰が、天使か?、誰が悪魔か? そういうポイントに機敏でないと駄目でしょう? ~~~~~~~~~~~~ 副題10、『慣れている一級建築士なら、添付書類が一枚ぐらいで済むのですって。でも、素人が、申請する場合は、添付書類が、9枚ぐらい必要です。父の時代より、超が付くほど、大げさになっている。だから、大変です。むりかもしれない。でも、新しいお勉強に70歳を超えて挑戦するのは、楽しいですよ。構造計算とか、強度計算が難しそうで、そこをマスターするのは、無理かもしれないだけれど・・・・・』  副題10は、カッコ内だけで、それ以上の言葉はありません。  なお、このブログの、2010年から数え始めた延べ訪問回数は、 1601635です。  2013年4月23日に書き始め、25日に、推敲を完成する。           雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする