銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

寛永寺と、平成天皇のコメントの抑制について△

2010-11-21 02:50:03 | Weblog
 タイトルの最後に加えた△印は、いったんアップした文章を書き直す(ただ、誤変換を直すだけではなくて、文章を加えたりすることを示す、)ことに、これからはさせてくださいませ。昨日、深夜アップして、ほぼ10時間さらしている文章をこれから、相当に直していきます。実際は月曜日の、午後3時に完成しました。どうかよろしく。
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 本日(土曜日のこと)、私は母の納骨式を終えました。で、今日の文章を、ちょっと色合いの違ったところからはじめさせてくださいませ。お寺について話すということです。
 気になるのは上野の寛永寺です。

 ブラタモリという番組が一時期休んでいたのに、この秋から再開されました。タモリというタレントは、早稲田出身で、『非常に才能がある』と、赤塚不二夫さんが、認めたひとだそうですが、私たち夫婦は、ほとんど民放を見ないので、いままでのところでは、よくは、知らない人です。でも、NHKがたいそう大切に扱っていいるという事は察せられました。で、傲慢かというとそうでもないので、好感を持って番組を見ているところです。

 その番組は『さすが、NHKですね。取材先の、土地の皆さんもよく、ご協力をなさっている』と思いますが、一番感心したのは、寛永寺さんが中をお見せになったときです。徳川家の将軍のうち、何代かが寛永寺に葬られているのですが、上野の彰義隊の全滅以来か、そこの寺域は、蚕食され続けていると感じます。上野の森が一種の芸術村となっているのは、ありがたいのですが、ここは元は、ほとんどが寛永寺さんの持ち物だったろうにと思うと、いつも、やるせないというか、なんともいえない気持ちになっていました。

 ですから、寛永寺さんは、世間というものに対する不信の目を持っていらっしゃると思います。で、いつもひっそりとしていて、中にも入れないという雰囲気です。

 そこへ、ブラタモリという番組のカメラと、司会者二人が入っていったのです。
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 ある日、私が・・・・・平成天皇が、国立博物館に午後の5時15分ごろいらっしゃったのを目撃して、その前後の上野の山の、おおげさな警備体制に驚いた・・・・・ことをこの世界に書いたら、そのあとで、「この道は天皇がおとおりになるから、点検します」と言って、警察が、銀座のギャラリー福山を訪ねたそうです。変な意味で、『なるほど』、と感心しました。つまり、『その近辺の道は、天皇陛下はほとんど、おとおりにならない細い路地なのに、私の文章の内容をすぐ利用して、それへ、すぐに、反応する警察だなあ。この理由はナンでしょう?』という意味で、考え込みましたね。

 それから、始まる話が、以前書いて中途半端なところで終わっている「私の個展が、今年の四月のものだけではなく、2007年の八月のものも、敵方の罠では、なかったかな?」という話や、「山口みつ子さんが、他殺ではなかったか?」という話へと繋がっていくこととなりますが、今日は、ちょっと、筆を押さえて、美術と政治の関連性をおいておいて、天皇陛下自体へ戻ります。

 平成天皇が、いわゆる右翼ではなくて、ごく、普通の国民に、慕われていらっしゃることを、そこで書いたと思います。

 また、カタールの皇太子がいらっしゃったときの懇談で、「日本には江戸という長い平和な時期があったので、文化が発展しました」とおっしゃったことも、ブログか、メルマガの世界で書いたと思います。

 この平成天皇のお言葉は、寛永寺の現状と照らし合わせると大変意味が深いです。「感慨おくあたわず」というべきものです。つまり、時が経ち、支配・被支配の関係に、一種の逆転が起きているということです。平成天皇を、国民の一部、特に、私が好きなのは、一種の『贖罪の旅』として、その人生を送っておられることです。このカタール皇太子へのお言葉は、上野で、死んでいった彰義隊への慰安となる言葉の一つです。

 庶民である私が、似たようなことを言ったとしても何の意味もありませんが、平成天皇がおっしゃったところに大きな意味があります。ところが、その直後のことでした。宮内庁(羽毛田長官のときだと思われるが)は、「天皇のお病気が進んでいて、お疲れが激しいので、ご発言をこれからはなさらない」と発表をしました。

 そのときに、『なんと言うことだ』と心ひそかに反発をしました。しかし、発言をここでは、いたしませんでした。その発表が、私を狙っている事が見え見えだったからです。そういう特に事態が燃え上がったときには私はかえって発言をいたしません。つまり、私の政治的状況分析は恐るべきもので、それを、やめさせるためにありとあらゆる方策が考え出されているのですが、天皇のご発言まで、中止させるほど、私は注目をされているのでした。『困ったものだ』と考えました。こういう対応は、嫌ですね。もちろん。

 その直後に、平成天皇は飛行機に乗って従前の予定通り、カナダをご訪問されました。飛行機に乗ってご旅行をされる事が可能な程度のご健康状態なのに、お言葉がなかったのです。変ですね。カナダ国民に対しても失礼だし、税金を使って有効を深めるためにご訪問をされるのに、もっとも大切なことを、できないと、されるのは。

 もちろん、実際にはカナダ国の代表に何か、お話はなさるのでしょうが、それが、対外的には、発表をされていないという可能性もあります。それでも、国民の知る権利が奪われている事に変わりはありません。

 また、その後で、松沢神奈川県知事を、禁煙問題に関して私が批判をしました。それが悪政であるといって。ドトールとか、スターバックスとか、VELOCEと化、タリーズという大資本を持っているチェーン店は何とかなるものの、個人経営の喫茶店とか、レストランは、困りきっていて、怨嗟の的として知事を恨んでいるのをひしひしと感じます。神奈川県に住んでいるとそうなります。

 そのように、書いた途端に、植樹祭が、神奈川県で行われて、松沢知事が天皇陛下をお迎えしてNHKニュースに出ました。天皇陛下とは、いいように、国際的軍産共同体(特に、日本の中にいて、隠れて、指導性を発揮しているアイデアマンたち)に利用をされいてるお気の毒な方です。

 と、内心でひそかにそう思っていたら、表向きにも堂々と、天皇陛下が利用をされる事となり、それには、国民の多くから大反発が起きました。小沢一郎氏が、次期中国の代表となりそうな、習近平氏と天皇の会見を、予定表の中に、急に入れ込もうとしたと言う件です。この件でも、小沢一郎氏が、国際的軍産共同体の「もっとも、かわいいやつだ」と思っている政治家である事が証明されています。

 そして、習近平氏の方も葬ですね。尖閣諸島に漁船を派遣して、騒動を起こさせろとか、中国側の巡視艇を巡回させて挑発を瀬よ』などというアイデアを、実行する主任は、今の中国のトップではなくて、習氏あたりかもしれません。

 日本でも、首相近辺は、からかいの対象である事が多いです。APECでも菅首相が孤立化していたとか、首相夫妻の周りには人が集まらなかったとか、報道をされており、しかも失言の連続で内閣が危ないと言う始末です・

 私は仙石官房長官を、別に特別にひいきしたいとも思いませんが、したたかであるのは確かです。しかし、一国を代表するスポークスマンが、時刻の軍隊を暴力組織だと発言するのは、辞任に値しますが、本当に大切な事は見過ごされるのが、現在の日本の一大特徴で、似たような失言をした別の大臣に攻めが集中しています。
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 が、ともかく、平成天皇という方は、その一身と一生を通じて、日本が世界へ頭を下げるということを具現をなさっている方です。ご自分の本心を自由に発言をなさることもできないお気の毒な方です。ところが、微妙にもあっさりと、そのご本心が漏れてきた機会もあって、それが、愛子様の不登校の際でした。

 どんな諜略行為のベテランでも、ご家族内に向けての発言を、阻止し抑圧する事はできません。それで、私はその問題について、長々と論を張ったと思いますが、それは、お気の毒な平成天皇が、久しぶりにちゃんと、物を考えていらっしゃる方であることを、国民にお示しになった機会だったので、感動したからです。

 元東京都知事、美濃部亮吉氏の父君だったかな? 美濃部達吉氏だったかな? 戦前天皇機関説というのを発表して弾圧を受けたと聞いています。だけど、誰だって分かっていることですが、天皇陛下というのは、一個人ではありません。一種の装置です。国民の象徴という、意味での装置です。しかし、その個人としての、部分さえ、100%に近く、支配をされておられるのは、お気の毒この上ないです。ここでも、まだ、日本が、実質的には、被・植民地国であるという私の発言が証明されてしまいます。

 私自身は、偉そうに振る舞いたくないです。普通の人間として暮らしたいですが、ブラタモリを見た結果、ここまで思い出がさかのぼってしまいました。

 一国民として要望します。平成天皇に命の最後の日まで、ご自由な発言の機会を与えて差し上げてください。羽毛田長官様。あなた様は萩高校のご出身だそうですが、萩を、祖先の地とする私が、その薄い縁で、しかし、しっかりとお願い申し上げます。
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 さて、ブラタモリは丸の内も訪ねた事があります。今はあそこ辺りは三菱地所が支配している新・丸ビルが他が連立しているところですが、昔は大名屋敷だったのです。もちろんのこと、徳川親藩の大名屋敷でしょう。そのころ、そこへすんでいた人達、(大名のご家族とその家来たちと、その家族)が今、どこに住み、何をどう思っているのかは、今ひとつ、外へ出て来てはいません。

 今のマスメディアを席巻している人達、(それは、現代の、日本の特権階級ですが)の中で、そういう出自を明らかにしているのは、松平定知アナウンサーぐらいなものです。でも、松平アナでさえ、それほど自由には、発言をされているとも思いません。

 自分がそういうマスメディア特権階級の中に入っていないので、さもしさから言うのではないかと誤解をうける可能性があるので、いつも最後まで言わずに、抑えてしまうのですが、本当のことを言えば、明治維新と、敗戦時に、日本は文化的文脈を、多量に失っているのです。そこで、ある種の断絶がある。それ以前にはインテリだった、多くの階層の部分が完全に黙ってしまっている・・・・・と、感じます。だから、地名変更や、省庁の名儀変更、そして、社章の変更などが頻繁に行われますね。
 それら、以前のインテリの復活を抑えるためでしょう。

 歴史の断絶は、プライドの断絶に繋がります。日本人が、全体として、卑下するように仕向けられていて、映画『コーヴ』の制作や公開を許したり、映画『靖国』や、映画『TOKYO 』に国民の税金を付与し足りすることとなります。

 もちろん、人間とは、動物(哺乳類)の一つであり、その家系としての興隆や衰退がある事は知っています。だから、江戸時代には、名門として君臨していた一族が今では見る影も無い場合もあるでしょう。

 しかし、相続税が高いこともあわせれば、日本とは、その自らのシステムで、自らの文化遺産を廃棄して行っている国なのだともいえます。
 
 と、午前2時に、書きましたが、
 そこで、いったん休憩し、お茶を飲んで立て直しました。途中で挫折しそうになったのは、負けた人間の発言に思いをいたすという作業が、難しすぎるからです。明治維新期に「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉がはやったそうですが、負けた方の陣営の言葉を、探り出すのは大変です。

 で、そんな大変な作業に取り掛かりそうになったので、ひるんだのですが、その部分はあまりにも難しいので、どなたか、他人にお預けして、ここでこの文章を終わりましょう。
 今日、書き始めたときは、寺院の栄枯盛衰について述べるつもりでした。

 特に東京に近い寺院としては、圧倒的な格調の高さを見せる(宗教施設としてですよ)総持寺と、寛永寺を比較したかったのです。寛永寺だって大寺院だったはずです。
時域も広かったはずです。でも、今は入ることもできない寺院となってしまいました。

 私は護国寺境内に入った事がないので、はっきりとはいえませんが、総持寺の静けさと、観光とは無縁の感じは好ましいです。鎌倉でも、妙本寺は意外と静かでが、・・・・・他の寺院はほとんどが、観光寺院化しているので、?????
 なんともいえない感じがします。

 寛永寺も祈りの対象としてよりも、徳川家の援護を受けた、寺院であった事が、明治期の災いを招いたのかもしれません。考えると果てしが無いですが、個人の場合でもありえることですが、寺院という施設でも、不思議な回り合わせというものはあるのです。でも、宗教施設を、政治と直結する政府はよくないですよね。それだけは確実にいえる。
 でも、途中で、平成天皇のコメントを発せさせないようにさせる、裏側について触れてしまったので、そこを大切なものと考えますので、これで終わらせていただきます。
 明日誤変換を直して、署名を入れます。この文章は、意味としては終わっていますが、文章のきめとしては未完成です。どうかよろしくご容赦のほどを。

   2010年11月22日         雨宮 舜
コメント
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