酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

地下鉄漫才に答える

2014年08月04日 | 地下鉄に乗って・・・
”地下鉄漫才”で一世を風靡したのは 春日三球・照代さんの夫婦コンビです

「地下鉄の電車はどこから入れたの? それを考えてると一晩中眠られないの」

トボけた味の三球さん 妻の照代さんがやさしく応じていました

どこから入れるのでしょうか


いまでこそ「銀座線」の名がある地下鉄ですが 戦後のしばらくまでは日本で唯一の

地下鉄でした 昭和2年12月開通 当初は上野~浅草往復

当時 地下鉄といえばこの路線のみでした

夏は涼しく 冬は暖かい地下鉄

小学生時代 浅草~渋谷 全線の乗車賃が15円!

警笛がポオ~ン 黄色い三両編成 電車がポイントに差し掛かると 一瞬車内の灯りが消えます

電力取り入れの第三レールが途切れるためですが それが楽しかった


現代の地下鉄は 地上部分が多くなりましたが

浅草~渋谷間で地上に姿を現すのは渋谷駅を出発してからしばらくの高架部分だけです

ならば 地下鉄車両はどこから入れるのか?

小学生だった私たちにも 三球さんと同じ疑問が湧きましたね


しかし そこはよくしたものでした

当時の小学生たちの遊び仲間は年齢差がまちまちで 先輩がいっぱいいましたね

あるとき 先輩のひとりが教えてくれました

「それはおまえ 上野にあるんだよ 連れてってやろう」

少し自慢げに鼻を膨らませて 後輩たちの顔を見回した先輩でした


みんなで 自転車で繰り出したのがこちらでした



正面の昭和通りの上に架かるのは高速道路で その先は渥美清さん誕生の地 車坂です

手前の通りを横切るレールが四本

その踏切から左を見れば・・・



上野駅に至るトンネルが見えますね



危険防止のフェンスがあります

そして右側を眺めれば・・・



真夏の太陽に全身をさらして 日光浴中の最新鋭の車両が待機していました

車両基地です

周辺の景色は一変しましたが 踏切・トンネル・車両基地は往年のままの位置にありました

この日は 当時と同じ 自転車オジ3号に乗っての65年ぶりの訪問になりました

三球・照代さんも訪れたであろう”地下鉄の出入り口”です

ゆったり ほのぼの漫才が受け入れられた日々

異年齢のこども集団の中で 社会のルールを学んでいった日々

どちらも 懐かしい記憶が蘇るオジ3号”上野散歩”になりました