酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

奥の細道 芭蕉 出立から一週間の謎?

2014年05月26日 | 高田純次の年金生活
昨年に引き続き 古文書の勉強会に参加してます

前回は 地元の「道灌山虫聴き」の古文書を主体とした解読でしたが 今回は やはり地元と所縁の

かの「奥の細道」が題材になりました



松尾芭蕉が深川の芭蕉庵から船に乗り 降りたところが千住大橋です

彼の出発点は下船した隅田川の南岸か はたまた北岸か?

北岸の荒川区 南岸の足立区

両区とも いまもって相譲らず愉快な論争が続いています


それはさておき 芭蕉に随行した”曽良”の日記によれば・・・

(元禄2年)”巳三月廿日 日出 深川出船  巳ノ下刻 千住に揚ル”とあります

巳の時刻 それも「下」となれば午前10時頃を意味します

日の出が6時前としても 4~5時間とは 近間の割には時間のかかり過ぎではないか

江戸湾の潮の関係か? 川の流れ・風の抵抗があったのかもしれませんね

またまた それはさておき・・・

次の記述は謎でした

”廿七日夜 カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里半”

   

千住~春日部間を七日間! 時間のかかり過ぎ!

従来から この謎の七日間が問題になっていたそうです  なにしろ九里半という短距離ですからね

(日本橋から九里半 千住からなら五里くらい?)

その間 芭蕉はなにをやっていたのか

〝千住で遊んでいたのではないか 幕府の指示で隠密行動に従事してたのではないか”

現在まで 真相は不明だそうです

まさか 遠路の旅に備えてのマッサージに通っていたわけでもないでしょう


勉強会 出だしから面白くなってきました

終着地の大垣までは 到底無理な勉強会の日程ですが これからも 人間臭さを感じさせる芭蕉に出会えそうです



       (千住大橋 南岸に掲げられた旅程図です)

”行く春や 鳥啼き魚の 目は涙”  矢立の初めとして詠まれたのは 南岸? 北岸?



深川からの隅田川 船の右側に聳えるスカイツリー

現在の芭蕉なら どんな矢立になったでしょうね

”行く春や 空の木聳ゆ 目は涙” (お粗末!)


古文書の勉強仲間には 愉快なオジさん オバさんがいました

新たな交流の予感がします