酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

彰義隊との因縁

2013年02月20日 | オヤジのつぶやき
作家の吉村 昭さんは日暮里(にっぽり)で生まれ育った地元の著名人・・

図書館には 吉村 昭コーナーが設けられ 多くの読者に愛されています

久しぶりに その吉村さんの本を借りてきました



戊辰戦争 一日の戦いで上野戦争に敗れたのが幕府軍たる彰義隊でした

朝廷軍の圧勝!

敗残の兵たちが落ち行く先は千駄木 日暮里 根岸方面でした

朝廷軍が相手の逃げ道として あえて開放していたのです


その根岸口から落ちのびたのが 当時の寛永寺の山主「輪王寺宮」(宮さま)の一行でした

この宮さまは伏見宮家の皇族であり 本来なら朝廷側です

追われるはずのない高貴なお方ですが 寛永寺の山主という立場から 幕府側の要人とみなされたのです

豆腐料理の老舗店根岸の「笹の雪」から 膝まで浸かる泥濘の田圃道をひたすら歩きました

従う僧侶と武士は10数人

一行が 最初にたどりついたのが三河島村の宮地でした


さて ここまで読んだところで ある人物が登場します

宮地で植木職を営んでいた七郎兵衛さんです

三河島の名主松本市郎兵衛さんに頼まれて宮さまの一行を匿います

その七郎兵衛さんですが なんと我が家の遠い親戚筋の人物でした

彰義隊の敗走 それを匿ったり逃亡の助けをした・・

その話は 幼い頃から親たちや近隣の長老たちに聞きながら育ってきました

すっかり忘れていた彰義隊伝説が蘇ります


それからは小説を一気に読み続けました

宮さまに対する朝廷軍の探索は厳しく 一行は幕府軍の艦船で奥州に逃れます

その後 奥羽列藩の盟主として会津・仙台と転戦しますが ついに力つきて朝廷軍に帰順します

京都に送られ幽閉の日々を送りますが許され 日清戦争後に近衛師団長に任命され台湾戦線で病死

宮さまは波乱の一生を閉じました


宮さまが寛永寺から三河島村へ逃れてきた田圃道は 幹線道路として残っています

少年時代から馴染んできた道です

読後 無性に歩きたくなりました

植木職の七郎兵衛さんが住んでいた宮地(いまは大きな五差路の交差点)から歩き始めます

これも今に残る豆腐料理の「笹の雪」を通って寛永寺坂を登り寛永寺へ



彰義隊隊士たちの心の拠り所であった寛永寺です

小説の余韻に浸りながらの境内の散策になりました



西郷さんの銅像裏の彰義隊戦死者を祀る墓です



吉村さんの著書によって初めて知った宮さまの存在でした

しかも 些細とはいえ遠い親類と宮さまとのかかわりも知ることができました


NHKテレビで放映中の「ファミリーヒストリー」を興味深く視聴しています

テレビは著名人の歴史を再現していますが 我々ひとりひとりにも歴史あり

改めてご先祖さまに想いが走る「彰義隊」読書になりました


ところで今日はブログをはじめて9年目 明治146年2月20日です

これも小さな”歴史”ですね これからもよろしくお願いします