酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

オヤジ出没 桶狭間

2013年01月20日 | コミュニケーション


名古屋市緑区 名鉄の有松駅です

研修講師養成講座の前日に訪れました



450年前の面影をいまに残す旧東海道



標高55メートルの高根山山頂の有松神社です


近世という時代の幕を開けた日本史上特筆すべき闘い 桶狭間の戦い

永禄3年(1560)5月19日 今川義元軍2万5000

織田信長軍3000 

信長は10倍にも及ぶ義元の大群を打ち破りました


一度は歩きたかった 桶狭間古戦場跡です  観光案内書でマップをもらって

3時間コースを楽しみました


この↑高根山は 今川軍の先鋒が織田軍の動静を監視した場所です

織田側の佐々・千秋の先遣隊との激戦も行われています

  

釜ケ谷  信長は善照寺砦に多くの旗をたて織田本陣と見せかけて 山中をすり抜け釜ケ谷に到着

突撃の機を窺いました



釜ケ谷に待機中 折からの暴風雨の止むのを待ち おけはざま山に陣取る今川軍を一気に攻撃!

今川義元を討ち取ったとされます

 

                  義元の首洗いの場と墓 



 両雄の像  宿敵のふたり まさか450年後に! とは思ってもみなかったでしょうね



七つ塚です  信長は義元を討ち取った後 全軍を釜ケ谷に集め勝ち鬨をあげ 村人には戦死者を

埋葬するよう命じて引き揚げました

それが七つ塚の起源です


信長の天下統一の起点となった桶狭間の戦いでしたが この22年後

本能寺の変で信長は時代から消えていきます

後を継いだ豊臣秀吉政権も16年間で幕を閉じての関ヶ原合戦でした

この戦いに勝利して 川幕府260年の基を築いたのが川家康です

家康は 桶狭間の戦いまでは今川家の人質の身でした

義元亡きあと やっと独立して秀吉にも恐れられる大大名に急成長!

桶狭間の戦いは 日本史のうえで重要な意味を抱えていたことになります 


歴史の散歩は 想像力を高めてくれます

あれこれ考えるとどうにも止まらなくなりますね

腰痛に与えた影響もなく散策を楽しめました


そして 研修前後の名古屋の夜は友人たちとの邂逅でした

常連のK氏は公務で欠席 お土産をいただきました

  

  

おいしいお酒と料理でしたが 会話の肴で全員さらに盛り上がった名古屋の夜

ドラゴンズ同様 名古屋っ子は熱いです 信長の出身地ですからね

はい カープも負けてはいられません