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酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

日光街道 旧千住宿界隈

2011年10月21日 | 隅田川
暖かい秋の一日でした

自転車で図書館へ行った帰り道です

ひょいと千住大橋に寄ってみました



奥の細道 矢立初めの碑です  芭蕉の3ヶ月に及ぶ奥の細道出立の地です

芭蕉は深川から舟に乗り この地に降り立ちました



五街道のひとつ 旧日光街道の入り口に建つ芭蕉像です

旅に同行した曾良の像がありません  芭蕉も寂しがっているのでは



東北から北陸へ・・ふたりの足跡です

昔の人は足腰が丈夫だったんですね~ 腰痛持ちではここまで歩けませんね  


今日は自転車なので 少し旧日光街道を走行してみましょうか



散策していたカメラ青年が休息していました

旧街道にあった八百屋の跡地のようです



この辺りが 多くの宿屋が並んでいた場所・・いまでは商店街

イトーヨーカドー発祥の地でもあります



千住宿の高札場です

役所と庶民のコミュニケーションの場所ですね  なにかと通達がなされていたのでしょう


この日の散策で いちばん目を引いたのが いまに残る木造民家でした



交差点脇に堂々と構えた個人所有の家です





同級生にプロカメラマンのS君がいます

最近 岩波書店から「家の写真集 東京ノスタルジック」を出版しました  足で探し出した”渋い家”の数々です

この千住の家 彼は知っているとは思いますが連絡をしてみましょう


ほんの2時間のミニ奥の細道でした

小腹が空いたので ラーメンとビール1本・・・

そこで浮かんだ駄作が一句

   日光路の 稲穂は重く 秋の風     お粗末・・・


スーパー堤防 一部復活!

2011年09月23日 | 隅田川
全国的に 多大な被害をもたらした台風15号でした

みなさまの地域はいかがでしたか  被害はありませんでしたか

我が家は夕方からの強風に見舞われ 酔芙蓉の木が倒れました

幸い人や車への影響もなく 安堵しました

ちょっと記憶にはない強風台風でしたね


思えば昭和20年代・・ 水害多発地帯の下町でした

キティー台風 ジェーン台風を憶えてますか

当時は 台風にアメリカ女性の名前を冠していました

少しでも女性らしさ やさしい台風であってほしいと願ったのでしょう

マリリン・モンロー出現以前のため モンロー台風はありません

その「女性たち」が来襲するたびに 床上・床下浸水の洗礼を受けたものです

隅田川の堤防も やわだったのでしょう  とにもかくにも年がら年中出水騒ぎ

慣れすぎたのでしょう 大人も子どもも悲壮感がなく お祭り騒ぎをしてましたね


”もはや 戦後ではない”宣言は昭和31年だったでしょうか

下町人種にも生活のゆとりが生まれてきます

34年4月10日の皇太子・美智子様のご成婚パレード中継で一気にテレビが普及しました

テレビ 冷蔵庫 洗濯機時代の到来でした

さて そうなると流石の下町人間も水害に敏感になってきます

大事な大事な電化製品が 浸水でお釈迦になってたまるか!

隅田川を守れ! 大合唱が始まりました

この住民要望に 行政も的確に対応して護岸工事を施し その後の大洪水を阻止してきました




超大型台風15号が去った翌日 22日朝の隅田川護岸風景です



小学校時代には 川のヘリで遊んだものですが 今ではご覧のとおりです

しっかり防御しています



隅田川近くの商店街も安穏としています

しかし しかしですよ  現在の堤防で絶対安全とはいえませんね

現在の隅田川堤防が決壊したら 氾濫したら・・

それを防ぐための スーパー堤防構想でしたからね

特に 同じ下町でも墨田区・葛飾区・足立区・江戸川区の海抜ゼロメートル地帯を流れる川の氾濫から守るスーパー堤防計画でした

スーパー堤防構想は いまさらどこへも引っ越せない下町人間の希望の星でした


それが昨年10月の 仕分け人の判断で構想は「無駄!」と排除されてしまいました

「なにが無駄なのか 仕分け人たちは下町を歩いたことがあるのか!」

隣近所のオジ・オバたちがいっせいに頭から湯気を発しました

「白い服 襟立てR女史だけには言われたくない!」

「襟を正せ!」なるほど・・

「E野は 枝ばかり見ないで物事の幹・根っこを見よ!」 ダジャレの連続ワザ


ジェーン台風並みに荒れた下町世論でした

この世論を受けたかどうかは定かでありませんが 8月の国土交通検討会で 事業の縮小・継続の再判定が出されたのです

「襟立てR女史は エリマキとかげのように下町に住んでみよ!」(?)憤懣最盛期の町会Mオジの声

Rさんが キャスター時代のファンだったと威張るMオジ 堤防予算復活後 彼女に対する非難の声がいくぶんやわらいできた秋の夜長です




ありし日の酔芙蓉・・・

計画が縮小されたのは残念ですが 家も花も水に埋没しないよう スーパー堤防の完成を祈るばかりです

子どもたちの未来のためにも・・


言問橋 桜橋界隈

2011年06月29日 | 隅田川
梅雨の合間の曇天の日 浅草演芸ホール前で集合 PM3;45

この日は 友人との寄席見物の約束時間までの間 カメラをかついで歩いてみました

今回も 隅田川界隈をご紹介しましょう



こちらは 隅田川にかかる言問橋(こととい橋)です

 

スカイツリーが傾いて見えますが レンズの影響でしょう  大丈夫です

そして こちらが「桜橋」です  言問橋のすぐ脇にあります





隅田川に架かる橋で 一番新しい橋です

特徴は 上空から見るとⅩ字型をしてるのと 人と自転車のみが通行可能の 人にやさしい橋です

この橋も 夏の花火見物には 一等地の場所になります



池波正太郎さんの生家の近くにある「待乳山聖天」です



浅草七福神詣で・・三番目に待っててくれるのが毘沙門天です


そして 言問橋で忘れてならないのが団子屋さんですね



その名も「言問団子」 明治4年開業の老舗で 言問橋命名の由来になったという説まであります

近年 TBSアナウンサーの外山恵理さんの実家としても有名になりました

現在の彼女は ラジオで永六輔さんと絶妙なコンビを組んでいます

そして この団子屋さんのすぐ隣がまた世界的有名人誕生の地でした



隅田公園少年野球場です



かって 中学時代の王さんは この野球場で草野球に熱中していました



大柄の少年で 投手と4番バッター  かなり目立った存在でした

それを金網越に見て 王さんの才能を見抜いたのが早稲田の荒川さんでした

以来 師匠と弟子の物語は みなさまご存知のとおりです

世界の王の発祥の地 地元の方々の自慢の野球場です



いまに残る土手の常夜灯です

江戸時代 渡し舟の目印になっていました



日本提「いまどばし」跡です  前回ご案内のとおり この川は吉原大門に続いていました


腰痛の具合もよく 約2時間の散策でしたが 今回も旧き佳き時代にめぐり合いました



浅草演芸ホール近くの路地です

いまでは珍しくなったリヤカーが無造作に置かれていました

待ち合わせた友人と寄席の世界に浸る前  散策ですっかりレトロムードを身に纏ったオヤジな私です


4時間の落語で大笑い  終演後の屋台のホッピー この日も最高の味でした

今回も 笑いと適度なアルコールが ふたりにとって明日への大きな活力になりました

浅草のホッピー通り 万歳  Wコロンのねづっち 木曾さんちゅうさんもも贔屓にしています

大変身!

2011年06月03日 | 隅田川
今日から新しいカテゴリー「隅田川」が仲間入りしました

近くを流れる隅田川です これからも よろしくお願いします


さて その第一回目ですが この川に架かる「白髯橋」(しらひげばし)からスタートしましょう





この白髯橋には 忘れられない想い出の映画があります

昭和33年春に公開された 東宝映画「ふたりだけの橋」

主演は 当時の青春スター久保明さんと新人の水野久美さん

下町を舞台に 見習い職工と石鹸工場に働く少女の 貧しくも心温まる恋物語でした

恋文を橋の欄干の隙間に入れて交換しあう 携帯電話もPCもない時代の微笑ましいシーンがありました

原作は 反戦作家早乙女勝元さんの「美しい橋」です 

大学入学前のオジさんは 浅草の映画館で三度も観てしまいました

端役の俳優さんたち 憶えているだけでも三井弘次・加東大介・石井伊吉(毒蝮三太夫)さんと実力派が脇を固めていました

石井さん扮する工場の先輩のセリフ 「自分は長男だ 長い難があるから長男」が 可笑しかった


この白髯橋・・黒いガスタンクがスマートになった以外 当時の風景とさほどの変わりはありませんが・・

大きく変化したのがふたつありました・・

ひとつは交通機関です 橋を渡っていた亀戸~池袋間のトロリーバスが廃線になったことです

それと もうひとつはこちらの景色です



隅田川沿いの高速道路とスカイツリー

あれから50年たって こんな景色になろうとは思ってもみませんでしたね


しかし これで驚いてはいけません

もっと大変身した場所がありました  それはこちら・・



白髯橋近くの泪橋(なみだばし)交差点です  ホテルが立ち並んでいます



脇道に入ってもこのとおりです  小奇麗な宿泊所がいっぱい!



しかも宿泊料が安い!  ここは一泊1800円! 



食堂 定食屋さんも軒を連ねます



上野「大統領」のように 昼間から一杯やってるオジさんたちです

この風景 ちょっと昔の名残があります・・と言うのは

そうなんです ここは昔の山谷(さんや)の街です

日雇い労務者の人たちでゴッタがえしてた時期がありました

集団騒動・喧嘩が マスコミに報道されたのもその頃です 

当時の宿泊施設は「ドヤ」と称されていましたが それがこのような簡易ホテル街に大変身しました

いまでは 日本観光の外国人 それも若者たちの人気スポットになったのです

ネットで知られるようになりました

震災の影響で いまは少なくなった外国人ですが いずれ活況を呈するでしょう

街角に 各国の言葉が飛び通う日が戻ることを願っています


それにしても 半世紀とは 人間も下町も大変身する時間なんですね~

東宝映画に感動した映画好き青年も すっかりオヤジに変身しました



  < おまけ >



お江戸日本橋  橋の上を覆うのは高速道路です  スッキリ変身するのはいつのことやら・・・