「あの映画の主人公である平山は、世間一般的な目から見たら、幸せな生活をしているとは思われないでしょう・・・家族はなく、一人でひっそりと都心の今では珍しい古ぼけた木造アパートに住んでいる。そして、公衆トイレの清掃員として日々働いている。しかし、その穏やかで慎ましい生活の様子を淡々と描いていく、美しい映像を眺めていると、全く違う価値観といったものを感じました・・・」
私は彼女に勧められて、先週の土曜日に映画館で観た「PERFECT DAYS」についての感想を話し始めた。
「平山は、とても幸せそうに見えるんですよね・・・何気ない事・・・とても些細なことにも・・・常に謙虚で感謝しているように感じられる。傲慢さや自己承認欲求など微塵もない・・・その謙虚さは、接する全ての人や、もの、目のする風景に対して持っていて・・・『こんな風に生きられるのは、とても幸せなことだな・・・』と思っちゃいました。今の時代、SNSなども見ていても、傲慢さと自己承認欲求だらけでしょう・・・」彼女は、自分が薦めた映画を私が観てくれたことが嬉しいようで、にこにこしながら私の話を聞いていた。
「そういえば、平山の人生の背景って、結構謎なままですよね・・・映画ではそういったものが明らかにされることはなく、いくつかの断片的なヒントがちりばめられているだけで・・・どんな人生をこれまで送ってきたのか・・・その点に関しては観る側の想像力にかなり任せている・・・」
「それで勝手に想像したんですよ・・・平山の人生の背景を・・・確執があったことを窺わせる父親・・・今は認知症になって老人ホーム入っているようですけど・・・その父親はきっと会社の創業経営者で、相当なワンマン・・・平山が60歳ぐらいの設定でしょうから、父親は80代半ばぐらいでしょうか・・・」
「我が強く自信家で自己中心的・・・よくある創業経営者のタイプですね・・・長男である平山には自分の後継者になることを強要する・・・しかし、平山はその心の在り方が父親とは180度違う。正反対なんですね・・・人と争うことを嫌い、マウンティングを取って優越感に浸るといったことに対して全く興味がない・・・」
「『競わず・・・比べず・・・争わず・・・』といった価値観を大事にしている。当然父親とはうまくいかずに、家を出ることになる。その後は、様々な仕事をしながら日々を過ごしていって、今の生活に落ち着く・・・」
「映画でも登場する妹は、兄である平山が家を出た後に結婚してその結婚相手が、父親の会社を引き継いだ。映画に登場する妹は、運転手付きの高級車で、平山のアパートに来てますからね・・・経済的にはとても裕福です。でもその表情はけっして幸せそうではない・・・平山にとっては姪である、彼女の娘が、叔父である平山の生き方に共感を持って、裕福であるが家族の暖かみが薄い家を出て、平山のところに転がり込んでくることが映画で描かれているわけですが・・・そういった背景がうっすらと感じられるんですね・・・」
私が思いつくままに話したことを、彼女は鼻で笑うことなく聞いてくれた。
「結構、想像力が豊かですね・・・でも、それってきっと当たっているような気がします・・・きっと・・・」
「別に正解があるわけでないですけどね・・・そんな想像をしただけです・・・」
「そういえば、トイレ掃除始めたんですよね・・・?ブラシを使ってますか・・・?」
彼女は、目にいたずらっぽい光を宿しながら、そう切り出した。