三人掛けソファの前にはコーヒーテーブルが置いてある。木製の滑らかな肌触りのコーヒーテーブルである。その高さは三人掛けソファの座面よりもほんの少し高い。
三人掛けソファの真ん中に座りながら、足はそのコーヒーテーブルのうえに投げ出された格好となっている。お行儀がいいとは言えない行状である。
足は右足を下に、左足を上に足首のところで交差しており、右手は両腿の間にできたわずかな空隙のなかに差し込まれている。左腕は三人掛けソファの左側の背もたれの上にわずかに左ひじが曲がった状態て置かれている。
首は右にやや傾き、目はうつろである。このようないささかだらけたような格好でオーディオを聴いている。一人で聴くときはたいていこんな格好である。
三人掛けソファの前に置くコーヒーテーブルはやはり木製でなければならない。ガラス製の天板などもってのほかである。支柱部分がアルミか何かの金属製で天板がガラス、あるいは支柱部分が木製で天板がガラス、どちらの構成であってももってのほかである。天板がガラスであれば、足を投げ出す気になれないからである。木の柔らかく暖かい風合いがあってこその足投げ出しといえる。
では何故、両腿の間のわずかな空隙にわざわざ右手を刺し込むのか?この疑問に答えるためには、中国気功の理論的な背景から説明しなければならないないが、それでは時間がかかりすぎる。
手っ取り早く言うと、右手の手のひらから放出された生命体エネルギーが左腿から全身に循環するのを助ける為である。そしてこの生命体エネルギーの循環がスムースに行くと音楽を享受するに最適な身体状況を作り出すことが可能になるのである。
左腕が、右腕と協調せず身体から遠く、ポータブルラジオの壊れたアンテナのように左にほぼ水平に伸びているのは、エネルギー循環のさいに発生するNOXを効率よく排出するためであり、首が右にやや傾いているのは、地球の自転により生じる緩やかな横Gをかわすためである。
このように全てが必然的にそして理詰めに形成されたリスニング姿勢であるが、唯一欠点があるとすれば、あまりに理にかない、整然と構成されているため、意識が深く沈殿してしまう傾向があるということである。
ふっと気づくと左足の体重を一人で支えていた右足足首がしびれていたりする。さらに右手の手のひらから放出される生命体エネルギーが潤沢過ぎると左足太ももが加熱状態になったりするのである。
この理想的なリスニング姿勢も万全ではないと気づく瞬間である。もっと究極の、もっと耐久力のあるリスニング姿勢を開発するためには、まだまだ多くの試行錯誤が必要なようである。
三人掛けソファの真ん中に座りながら、足はそのコーヒーテーブルのうえに投げ出された格好となっている。お行儀がいいとは言えない行状である。
足は右足を下に、左足を上に足首のところで交差しており、右手は両腿の間にできたわずかな空隙のなかに差し込まれている。左腕は三人掛けソファの左側の背もたれの上にわずかに左ひじが曲がった状態て置かれている。
首は右にやや傾き、目はうつろである。このようないささかだらけたような格好でオーディオを聴いている。一人で聴くときはたいていこんな格好である。
三人掛けソファの前に置くコーヒーテーブルはやはり木製でなければならない。ガラス製の天板などもってのほかである。支柱部分がアルミか何かの金属製で天板がガラス、あるいは支柱部分が木製で天板がガラス、どちらの構成であってももってのほかである。天板がガラスであれば、足を投げ出す気になれないからである。木の柔らかく暖かい風合いがあってこその足投げ出しといえる。
では何故、両腿の間のわずかな空隙にわざわざ右手を刺し込むのか?この疑問に答えるためには、中国気功の理論的な背景から説明しなければならないないが、それでは時間がかかりすぎる。
手っ取り早く言うと、右手の手のひらから放出された生命体エネルギーが左腿から全身に循環するのを助ける為である。そしてこの生命体エネルギーの循環がスムースに行くと音楽を享受するに最適な身体状況を作り出すことが可能になるのである。
左腕が、右腕と協調せず身体から遠く、ポータブルラジオの壊れたアンテナのように左にほぼ水平に伸びているのは、エネルギー循環のさいに発生するNOXを効率よく排出するためであり、首が右にやや傾いているのは、地球の自転により生じる緩やかな横Gをかわすためである。
このように全てが必然的にそして理詰めに形成されたリスニング姿勢であるが、唯一欠点があるとすれば、あまりに理にかない、整然と構成されているため、意識が深く沈殿してしまう傾向があるということである。
ふっと気づくと左足の体重を一人で支えていた右足足首がしびれていたりする。さらに右手の手のひらから放出される生命体エネルギーが潤沢過ぎると左足太ももが加熱状態になったりするのである。
この理想的なリスニング姿勢も万全ではないと気づく瞬間である。もっと究極の、もっと耐久力のあるリスニング姿勢を開発するためには、まだまだ多くの試行錯誤が必要なようである。