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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

世界の見え方

2025-04-16 11:03:35 | 日記
 普段は何の活動もしていない三春美術協会なので、たまにはお花見でもしようかという話になった。というわけで昨日は昼食会へと出かけたのだが、あいにくの荒れた天気に、この時期滝桜目当てに観光客が増える三春の中心街はひっそりしていた。



 用意された弁当を食べながら世間話をしていると、誰ともなく絵の題材が見つからないという話になった。絵を描く人間にとって、モチーフの問題というのは結構大きく、これが見つからないと真っ白いキャンバスはいつまでも真っ白いキャンバスなのである。



 で、とりあえず肖像を描いているとか、今度どこそこへ旅行に行ってみるとか、モチーフ探しについて話をしているうちに、絵を描くとはなんだろうということに関して、ふとある考えが頭をよぎった。それは、絵を描くとは、その人がどう世界を見ているかではないだろうか。あるいはその人の目にどう世界が見えているか、というそのことが絵のモチーフなのではないだろうかということだ。



 とりとめのない考えなので、その場で話を披露することはしなかったが、家に帰ってきてもその考えが頭を離れない。

 裸婦ばかり描く人もいれば、きれいな花ばかり描く人もいる。ノスタルジックな風景を描く人もいれば、ドロドロとした人間の醜い部分を描こうと努力する人もいる。が、簡単に考えるなら、その人の目に映る世界とは、そういう世界とは言えないだろうか。あるいは、そういうふうに世界を見たがっているということではないだろうか。



 そんなことを考えるでもなくぼんやり考えていると、これは絵を描くということだけでなく、その人の目に映る世界がどういうものかというのが、人それぞれ全然違うものだというふうにも思えてきてしまうのである。例えば、ニュースでは毎日のように野菜の価格が上がっただの下がっただの報道する、株価の上下を逐一流す。そういうニュースばかりということは、ニュースを作る人たち、ニュースを見る人たちの目には、この世界は経済第一で動いていると映っているからなのだろう。戦火にあるウクライナでは、こういったニュースはほぼ流れないだろう。

 桜が咲けば、どんなに人が詰めかけてようがそこに足を運ぶ人がいるというのは、その人の目には大勢の花見客と一緒に眺めるのが、満開の桜の姿だと映っているのだろう。



 僕の目には、足元でたくさん花をつけているタネツケバナや、空を飛ぶツバメの姿が気になって仕方がない。世界とはそういうものだと思い見ているし、もっともっと奥深くまでそういった世界を眺めていたいと、僕は切に願っているのである。
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