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まともな死の新聞記事   文科系

2019年03月29日 18時19分21秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 全く珍しく、新聞でまともな死の記事を読めたように思う。28日の中日新聞記事に「死とは何か」を講義してアメリカはイエール大学で大人気を続けてきたという教授を1面と最終面とに登場させて語らせているが、その末尾の言葉はこうなっていた。
『私は身体が朽ちても魂は生き続けるという考え方に賛成しない。考えたり、恋をしたり、創造したりといったことは、物体にはない私たちの身体機能の一部だ。死とは、身体が壊れ、こうした機能も果たせなくなること。それが全てだ。だからこそ、死を考えることは、どうすれば人生の価値を高められるかを考えることにつながる』

 こういうまともな記事が新聞でなんと少なかったことだろう。古くさい宗教欄ばかりがでかでかと続いてきて、そういう死生観だけを紹介する新聞のやり方を僕はここでずっと、こう批判してきた。「人間誕生について進化論を教えず、聖書の創世記だけを教えるアメリカのいくつかの州の教育と同じだ」と。進化論の死生観こそ僕には、上の教授のような死の見方、考え方に近づいて行くものと思えるからである。因みに僕はここで、こんなことを書いたこともある。
『人間の身体から離れて、それと別物として魂の存在を認めれば、その魂の創造者が容易に生まれることになっていく』
 だからこそ、上記ケーガン教授のこの言葉は決定的に大きな意味を持つことになるのだと考える。
『私は身体が朽ちても魂は生き続けるという考え方に賛成しない。考えたり、恋をしたり、創造したりといったことは、物体にはない私たちの身体機能の一部だ』

 日本人は、もっともっと死にまともに向き合っていくべきだ。もちろん、よりよく生きるために、である。新聞の宗教欄も従って、広く死生観のようにあるべきだと思う。つまり、無神論も同列に並べるべきであると。
 
コメント (2)
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