九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

希有な「人物」、ユルゲン・クロップ   文科系

2014年04月22日 22時37分53秒 | Weblog
 今フットボールの世界で最大ビッグ・クラブを三つあげろと言われたら、スペインのバルセロナとイギリスのマンチェスター・ユナイテッドは、愛好者なら誰でもが数え上げることだろう。ところで、この二つのビッグクラブから監督をやってくれと懇願されて敢えて断る人物がいるとは、この世界に通じた人々ならまったく信じられない話で、言わば大事件のはずだ。ユルゲンクロップが、これをやったのである。先日はバルサを断って、今日ユナイテッドを断ったという事実が判明した。後者の監督をマンU現役の最長老ライアン・ギグスが引き受けたのである。監督経験ゼロの人間にマンUを預ける。公然と噂されたクロップが明確に断ったことが、白日の下にさらされた瞬間だと思う。

 ちょっと考えてみて欲しい。日本のどこかの中堅銀行頭取に、三菱UFJかみずほ銀行か三井住友の頭取になってくれと頼まれて断る人が居るだろうか。それも、日本中自他共に認める実力者であって、頭取業務というものに十分過ぎるほどの自信も持っている人なのである。世界のサッカー界には、そんな断りを成した人物が存在した。日本人にはちょっと信じられない出来事のはずだ。ブランド志向でない、「人間的中身が有り余るような」人物!

 ユルゲン・クロップ。こういう希有な人物だからこそ、僕は今後も大いに注目したい。香川真司を育てあげ、この香川を他ならぬ上記マンUに送り出す時には「お互い抱き合い、泣き合って別れたよ。だって、慎司の子どもの頃からの夢であるチームに行きたいという希望を、大人が止めることは出来ないだろう」と解説して見せたという人間味に溢れすぎた人物だ。ドイツの田舎チームの普通の選手たちから、ゲーゲンプレスとバルサ型繋ぎという最新鋭組織の世界的強豪に育てあげた世界的辣腕監督。しかも、まだ46才と若い。香川は、故郷であるドルトムントに帰った方が良い! そしたらすぐにヨーロッパチャンピオンズリーグの常連どころか、すぐにその優勝も狙えるチームなのだし。ただ、香川自身が子どもの頃からの夢に拘るというのならば、弱くなったマンUを再び自分の手、いや脚でCLに出すという、それもまたロマン!

なお僕は、来期への新監督の正式選び直しに向けても、クロップは当然これを断るという、そういう前提判断で以上を書いている。よって、マンUの来期監督が正式に決まる時、今年の成績が良いならギグスのまま、悪いならファン・ハールがなると、ここまで書いて来た。ちなみに、ゲキサカ・サイトにこんなクロップ自身の言葉のニュースも載っていた。
「マンU行きは,なし? 香川恩師クロップはクラブ愛を強調「私とドルトムントの関係は壊せない」 
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「帰還相談員」を原子力ムラが育成  文科系

2014年04月21日 04時36分31秒 | 国内政治・経済・社会問題
 20日の中日新聞に標記の記事が載っていた。例によって、他の新聞にはこんなに大きくは載っていないだろうとの推定の下に、広くご紹介したい。

 内容を要約するとこういうことである。避難者の帰還にかかわって国が各地に相談員を置いているが、その『研修や助言業務を、電力会社や原発メーカーの幹部らが役員を務める公益財団法人・原子力安全研究協会(東京)に発注したことが分かった』というものである。環境省の業務委託応募に2社が入札して、原子力安全研究協会が7400万円で落札したということであったが、この協会の幹部らがいわゆる原子力ムラ住人ばかりということだ。

 さて、これではどんな研修などの相談員教育や相談活動そのものがなされていくかについて、行く先がほとんど予想できるというものではないか。事故後に原子力村がやってきたことを思い出してみよう。汚染水を際限なく垂れ流すミスが続いてもその被害も小さく見せるわ。小児癌多発も沈静化を図るかのごとく癌の多発と事故との因果関係は認めないわ。原子力規制委員会事務局人事においてさえ、各省庁へのノーリターン制度もなし崩しなのである。こんな「総てをなし崩しにする態度」を見ていると、国がやる帰還事業、その相談員などの仕事内容もおおよその見当は付くというもの。噂されてきたように、いったんは国も改めた「全員帰還方針」の実施に向かって邁進していくのではないかとさえ疑ってしまう。最も肝心な県民などの健康調査でさえ隠蔽体質が目立ったのだから。

 電力政策という大元の所そのもので重要なベース電源として原発が復活・なし崩しにされたのだから、こういう派生的原発関連施策の総ても、大河の前の必然の流れと言うべきなのだろう。原子力安全神話をどうしても復活させるべく、これに抵触する事故結果のすべては闇に葬られるということなのだ。かなりの被爆危険が残存していてさえ、健康被害承知で帰還を奨励しようという相談員なのでもあろう。こういう認識こそ論理の必然というものであって、どんな「善処」「対策」も信じることはできない。でなければ、原発輸出など進められるわけもないのだから。「公益財団法人・原子力安全研究協会」! 「放射脳」などと騙って、「幻想の安全を研究し、振りまく組織」でもあるのだろう。フクシマ事故以来3年、次々と明るみに出ている事故対策上の失態、怠慢の諸事実を見れば、どんな安全対策・約束も根拠のない口だけ経済対策のようなものと分かるのである。諫早、長良川などなど、いったん決めた国の大施策はほぼ覆ることがないという、戦後日本で繰り返されてきた光景と言える。
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ザックジャパン(153) 岡崎、海外組得点記録に並ぶ  文科系

2014年04月20日 03時25分53秒 | 文芸作品
 昨日、ドルトムント戦で岡崎2得点。とうとう、ドルトムント時代の香川の最高得点13に並んだ。この13得点とは、過去のヨーロッパなど海外日本人の最多得点記録ということだ。それも、強敵相手とあってマインツは5バックを敷いたから守備の負担が厳しかったにもかかわらずのことである。まことに岡崎らしいことと、もう感嘆しきりの他はない。

 さて、その2得点いずれもが同点に追いついたもの。岡崎一人でチャンスメイクから得点まで持っていった2得点目は、こんなものだった。
『だが53分、マインツは相手の一瞬の隙を突いて再び同点に追いつく。シャヒンのランゲラクへの不用意なバックパスを、鋭く飛び出した岡崎がランゲラクの前でカット。岡崎らしい抜け目のないプレーから同点弾を挙げ、今季5度目の1試合2得点をマークした』
 守備でも例によって、セットプレーをゴールライン上で守る大活躍だ。こんな場面もあった。
『67分にも、左CKからフンメルスがヘッドを放つが、ゴールラインに立ちはだかった岡崎に跳ね返されてしまう』(いずれもゴール・コムから)

 残りゲームは3つ。それも、あと一つ順位を上げられればELリーグ出場圏に入る。しかも、すぐ上のチームとの直接対決を5月3日に残していて、その勝ち点差もわずか2点である。また、岡崎自身があと2得点すればランク5位。なんとかこのゲームで2得点ぐらい取って、ELリーク出場権を取れないだろうか。僕としては、どうしても香川の記録を抜いて欲しいと思わずにはいられないのである。岡崎はなにしろ、FWなのだし、現在は初めてワントップも多い立場なのだから。それでこそこの新興チームにおいて来年への優位な立場も築けて、さらなる高みが目指せるというものである。

 この4月16日に28歳になったばかりで、いよいよ円熟の岡崎。守備をこれだけやって、なおかつ日本人最高得点・日本歴代最高FWという日本人らしいこの異能を、僕はどこまでも応援したい。しかも彼が所属するマインツとは、もともと2部のチーム。これを04~05年シーズンにクラブ創設100年にして初めて1部に上げたのが、ドルトムントの監督として今を時めくユルゲン・クロップ。その後少々の紆余曲折を経て今のトーマス・トゥーヘル監督が第2の上昇気流を作っている現在である。さらに言えば、トゥーヘル監督がこの上昇を成し遂げ得た最大の理由が岡崎の抜擢ではなかったか。前チームシュトゥットガルトでレギュラーも取れず燻っていた岡崎に以前から目を付けていてこれを獲得し、チーム得点王にまで育てあげたという、これまた若手異能の名監督なのである。年も41歳、クロップの後に続くドイツ有望監督とかねてから評されてきた。それも当然、岡崎の抜け出しが相手守備陣を崩す戦術的意味や、かつまた守備にも走り回る岡崎の特性がチームに相応しいと、そんな判断で採ったという「世界最先端の戦術的監督」なのである。つまり、岡崎が得点しない状況が続いても、戦術的意味を重視して彼を使い続けてきた人物なのである。

 チームの歴史としても最良の環境・監督を得て、円熟の岡崎。こういうチームのことだから、岡崎はこのドイツ・チームの歴史にも名を残す事ができるのである。チームがELリーグ出場権を得てそこでベスト8ともなれば、クロップもなし得なかった偉業となる。しかも、クロップ監督時代からみたら、今のドイツ勢の強化には目を見張る物があるのだから、ベスト8といわず、ベスト4や優勝でさえ現実的な目標になる。なんせ、ドルトムントやバイエルンと結構よい勝負をする今のマインツなのだ。だからそこで優勝も夢ではなく、もし優勝ともなったらこれは確かフェイエノールト時代の小野伸二の偉業以来の歴史的出来事だ。などなどと、いろいろ夢が膨らむ2得点であった。
 ちなみに、ELリーグ戦に出られたら、インテルの長友と当たるかも知れない。
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新聞の片隅に載ったニュースから(145)    大西五郎

2014年04月19日 19時03分04秒 | Weblog
ピュリツァー賞(14.4.19 中日新聞 編集局デスク)

 新聞人にとって、うれしく心強いニュースが飛び込んできました。米国家安全保障局によるプライバシー侵害の情報収集活動を暴露した米紙ワシントン・ポストと英紙ガーディアンが、報道界で最も権威あるピュリツァー賞を受賞したのです。
 両紙は、米中央情報局のスノーデン元職員が持ち出した機密文書を基に、テロ対策と称して米国民だけでなく同盟国首脳の電話まで盗聴していた実態を明らかにしました。
 国内の批判を受けたオバマ大統領は一月、情報収集活動の見直しを発表せざるを得なくなりました。報道をつぶそうとする圧力に屈しなかった両紙と、スパイ活動取締法違反容疑で訴追されロシア亡命を余儀なくされた元職員の“勝利”でした。
 「社会が変わるべきかどうか社会が自ら決めるきっかけを提供する」ことを望んだ元職員の告発が、「プライバシーと安全保障をめぐる政府と市民の関係に議論を巻き起こした」(賞を主宰する米コロンビア大学)報道につながったのです。
 国家はとかく公を優先して個を軽んじ「全体の利益のため」と称して秘密を増殖させたがります。「秘密保護法を恐れず、使命を果たせ」。今年のピュリツァー賞は、日本の新聞人をこう叱咤しているかのようです。(編集局次長・岡安大助)

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

 ピュリツァー賞はニューヨークワールド紙の発行者だったジョセフ・ピュリツァーの遺志によって遺産の一部がコロンビア大学に寄託されました。コロンビア大学ではこの基金を基にジャーナリズム部門の大学院を設けるとともに、優れた報道を顕彰するピュリツァー賞を創設しました。ピュリツァー賞は1917年以来、世界で最も権威あるジャーナリズムに対する賞となっています。
賞には公益、報道、社説、写真などの部門があり、今回2紙が受賞したのは公益部門です。
(4月5日中日新聞夕刊より)
 米国家安全保障局の情報収集活動を告発した米中央情報局の元職員スノーデン氏は「(報道によって)よりよい未来と責任ある民主主義がもたらされた」と歓迎する声明を発表した。
 スノーデン氏はこれらの報道機関の熱意や献身がなければ「私の努力も無駄になっていただろう」と指摘。当局からの圧力に屈せず報道を続けた「勇敢な記者とその同僚たち」を賞賛した。
 ガーディアンのラスブリッジャー編集長も「われわれの報道を(当局が)つぶそうとする中で、ガーディアンを支えてくれた世界中の同僚たちに感謝する」とコメントした。

 そうです、世界中のジャーナリストが報道を制限しようとした当局に抗議し、両紙を支援したのです。「編集局デスク」で岡安さんが指摘されたように、今、日本のジャーナリズムにも「秘密保護法を恐れず、政府が隠そうとするものに迫って真実を明らかにし、報道の使命を果たす」ことが求められています。
※ピューリッツァ賞と表記する場合もあります。
                                 大西 五郎
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随筆 「真善美」の美  文科系

2014年04月18日 12時48分33秒 | Weblog
 変な題名で書き始めたが、このブログも含めて周囲の人々の言動、動向を見てきてどうしても整理しておきたかったことだ。以降の内容を正確に反映した題名を言うならば『日本人と「真善美」の美の生活化』ということになるだろう。従来型日本人(男性)の最大弱点だと考えている。多分戦後社会においてこそ、この三つで美がずい分普通には語られなくなってきたのだと観てきた。

 真とは、真理のこと、まー学問の対象、内容などのことだろう。善とは、社会正義のことで、その根底には人々、人倫というものがあって、おそらく人間特に弱者への共感なんかがその土台のようなものであり続けてきたはずだ。この二つ(の領域のこと)はこのブログの人々も含めて日本人(男性)にもお馴染みであるが、三番目の美(の領域のこと)は、普通の日本人は、特に男性は案外語ることが少ないと思ってきた。それで、今日はこの美(の領域)を普通の生活に引きつけて語ってみたい。ちなみに、広辞苑を見るとこの三つ「真善美」はこんなふうに書いてあった。
『認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値をいう。これに聖をくわえることもある』

 さて、広辞苑では、美には5種類があった。
①美人などという「うつくしいこと」、「うつくしさ」
②美徳などという時の「よいこと、りっぱなこと」
③美味など「味がよいこと」
④賛美など「ほめること」
⑤「知覚、感覚、情感を刺激して内的快感をひきおこすもの」だが、ここでの美は、快(感)の普遍的な在り方にかかわっていると述べている。
 以上において②や④は、上記の真善美のいずれにも関わってくるので、美自身からは離してよいように思われる。そして①視覚、③は味覚なしには考えられないのだから、この二つは、⑤の「知覚、感覚、感情を刺激して内的快感をひきおこすもの」というところに収斂されていくはずだ。流石、⑤を「哲学的定義」と広辞苑が書いているだけのことはある。

 さて、今回の僕の問題意識はこうだ。こういうブログを書く日本人には、「人間の理想としての普遍妥当な価値」のうち真善のモチーフ、動機、観点はいつも存在する。が、美の観点で書く人は非常に少ないのではないだろうか。何故なのだろうと考えてみて、こんなことに思い当たった。ここはブログでもあるし、「9条」という場でもあるから、「公的なこと」を書くべきであるということの他に、こんなことが関わっているのではないだろうか。知覚、感覚などの基礎である五感が関わる美が、個人感覚の内容文章でしか(言わば随筆風にしか)書きにくいこと。視覚(綺麗)、聴覚(いい音)、臭覚(いい匂い)、味覚(美味しい)、触覚(肌触りがよい)などがかかわる美のことは、個人的話と扱われがちであること。そしてまたこの個人感覚ということに関わってあえていえば、日本人にはこんな感じ方、偏見もあるのではないか。真善は普遍的なことだが、美は個人的なことだと。そして、こういう感じ方が誤り乃至は偏っていると、これが実は僕が長年言いたかったことである。

 過去の日本人(男性)はどうも、ここでも集団的に過ぎたのではないか。公的だと良いことで個人的だと悪いことのような。集団の場で個人的な(形式の)ことを書くと、邪な意図があるのではないかとつい観てしまうような。それで、五感の語りが少なく、生活の中に美が根差さず、育たなかったのではないかと、僕はそんな風に感じてきた。
 もっともっと公的とか国家的とかの場所で随筆風な、あるいは個人的な語りが幅をきかせてもよいと思うのである。「人間の理想としての普遍妥当な3価値」のうちの美が日本人の生活の中にもっと育っていく方向として。
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随筆  「年寄りの楽しみ考」   文科系

2014年04月16日 02時31分08秒 | 文芸作品
 一人習いから退職後六十二才で初めて先生について十年経ったクラシックギターだが、この三年ほど前をピークにどんどん下手になってきたことが分かる。特に、右指四本の細かい動きに思いもしない凡ミスが無数に起こる。狙った弦の隣に触れてしまい異音が鳴るとか、ある指が狙ったある音量よりもとてつもなく大きすぎたりあるいは小さすぎたりなどはしょっちゅうのこと。必然、音楽を奏でる楽しさが減っていき、気分が滅入ることが多い。同世代のギター友達がギターの何もかもをすっぱりと投げ出してしまったり、教室を辞めてしまったりという、そんな胸中もよく分かるのである。可愛さ余って憎さ百倍というのか、長年集めたCD全部を敢えて手放した人がいる。それも、愛着があるものとてただ捨てられもせず、仲間にもらっていただいたとか。こういう彼らに輪を掛けて、僕の場合はさらに劣化が激しいように思う。重要な基礎全て六十二才以降に身につけたものだから、外って置けばそうなるのが当たり前。それでも、こんな体験があるのだから続けられるなーと、そんなことが最近二度ほど起こった。

 結論を先に言うと、「基礎に帰った」という、単純な体験である。一つは、長年抱えてきて手を着ける勇気を出せなかった最大の欠点(左手の構え方と、そこから来る主として左小指の使い方との悪癖)に初めて挑戦し出したこと。何ヶ月かかるかも分からないから外ってあった癖に挑戦するというこんな勇気をこの年で出せたのは、ギター友達二人が厳しく指摘してくれたことがきっかけだった。この挑戦三ヶ月ほどで、思いもせぬ大きな成果を実感し始めている。もう一つは、初心者のころの基礎に返ってみたということがある。どんなギター教則本にも初めに書いてある教えに、こんなのがある。右手演奏のいろんなパターン練習が美しい音出しの基礎中の基礎だから、いつになっても毎日欠かせてはならないということだ。思えば三年ほど前までの僕は、これを忠実にやっていた。これがあったから、六十二才からの手習いでも多少は人並みになれたとさえ言える。三年ぶりほどでこれを最近復活してみたのだが、効果絶大だった。

 重大な基礎に欠点があれば加齢がそれを増幅させずには置かないし、身についた基礎は残っているはずと振る舞っていれば、年寄った身体が反乱を起こすということだろう。いずれも、あらためて考えてみれば単純な理屈である。が、多くの人々がこういう単純な理屈に抗しきれないで「若くして」文化的活動をどんどん手放しているのではないか。一つのものをそのように手放すなら、他の活動も同様だろうと推察される。そして、やがて多少とも能動性が必要な人間活動が「若くして」ほとんど無くなっていく。このように振る舞うのも一つの人生とは思っても、もったいないと言いたいのである。
 年を取っても、一進一退ならぬ二退一進も三退一進もある。退が激しければ小さな進でも嬉しい。また、年を取ると過去の事は忘れがちだから退は見えにくく、眼前の進はよく見える。そこに至るまでの「若い」時のリタイアーが、意外に多いという気がする。
現代社会文化では、物を所有する喜びを刺激するだけの消費者文化ばかりが横行していると語られ始めて久しい。日本では、戦争でそれまでの生活と文化が途切れたせいか、文化らしい文化に鑑賞者・消費者ばかりで生産者が少ないように思われる。文化生産者が少ない社会は、子どもたちに人間の未来を見せられない社会とも言えないだろうか。
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頑張れ!竹富!

2014年04月15日 10時00分14秒 | Weblog
「子どもたちに平和を引き継いでいくのに最もふさわしい教科書を合法的に選んだ。
教師たちが不適切だと評価した育鵬社の教科書を採択するよう、
政府が圧力をかけるなんて本当に理解できない」

日本の最南端に位置する離島の町・沖縄県八重山郡竹富町の慶田盛安三教育長(72)は
安倍政権の波状攻勢にもかかわらず、極右傾向のある育鵬社の公民教科書採択拒否で先頭に立っている。

自治体の上位の採択地区(教科用図書八重山採択地区協議会)は2012年以降に育鵬社の教科書を採択したが、
慶田盛教育長は中立的な立場を取る東京書籍の教科書を今年も独自に採用した。
日本政府と極右派は「違法行為を主導している」「国の利益を無視する売国奴」との批判を浴びせている。

                  

頑張れ。竹富。応援しています。       らくせき
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ザックジャパン(152) 好調続く岡崎  文科系

2014年04月15日 07時24分29秒 | 文芸作品
岡崎慎司について書いた良いニュースを読んだので紹介したい。今の世界フットボール界で最先端FWの一つの型だということがよく分かる良い記事だと思った。13日付けでスポーツナビに載ったサッカーライター中田徹の記事だ。

【 ボールを引き出す動きが光った岡崎
 12日に行われたドイツ・ブンデスリーガ第30節、日本代表FW岡崎慎司が所属するマインツは、ホームでブレーメンと対戦し3−0で快勝した。
 この試合では、チームが縦への速い攻撃を仕掛ける中、岡崎のボールを引き出す動きが光った。マインツのDFがボールを持った時、岡崎はファーサイドへ広がるように動いてマーカーの視界から消え、対角線に伸びてくる味方からのロングパスを受けた。この動きがジャブとなり、ブレーメンの守備陣は岡崎のフリーランニングを捕まえきれず、岡崎がまっすぐ縦に走っても易々とブレーメンの最終ラインの裏を取り続けた。

 岡崎は、相手DFを背負った時のポストプレーにも強さを見せた。
 10分に岡崎がダイビングヘッドで飛び込んだシーンも、起点となったのは彼自身の粘り強いポストプレーから。敵の背後からの圧迫に岡崎は体勢を崩しながらも、しっかりパスを味方につなぎ、そこからニアポストへと走り込んでいった。
 安定したポストプレーは敵のファウルも誘った。ボールを自分の裁ける位置にしっかり置いてブロックしているため、岡崎が倒れればレフェリーもファウルを取ってくれる。
 「自分の方が反応が早くて、相手が遅い。そういう時は一番良いですね。駄目な時は自分の方が反応が遅い。遅れていくとやっぱり倒されてもノーファウルだったりする。最初に自分がボールを保持できる位置にいる。今日はポジショニングが良かったと思う」

決定機を決めきれず「決めていれば最高だった」
 味方への決定機を何度か作った岡崎は、体の切れの良さとプレーの質がマッチしている様子。ただ、この日に足りなかったのはゴールだった。
(中略)
 この日のマインツは2トップではなく1トップを採用したからこそ、味方選手も岡崎をすぐに見てくれたという事情はあったと思う。それを加味した上でも、岡崎へのボールの集まり方には、チームメートからの信頼を感じた。

 「前回のフランクフルト戦(第29節、5日)は足元でもらう時も迷っていたし、裏に抜ける時も『出てこないだろうな』と思って走っていた。今日は(チームがボールを)取ったら最初に自分を見てくれていた。それが迷わないでできた理由。チーム全体が自分に当ててスタートするみたいな。良かった時のプレーが全部できた。(ゴールを)決めてれば、本当に最高のゲームだったと思う」

信頼を得ているからこそチャレンジできている
(中略)
 前節のフランクフルト戦ではチームも岡崎も機能せず0−2で完敗。岡崎自身は72分にベンチへ下がっていた。それでもトーマス・トゥヘル監督は翌週もためらうことなく岡崎を先発で使う。1年前の岡崎は、試合でミスして「次はこうやろう」と改善する気持ちでいても、次の試合では使ってもらえなかった。だからチャレンジできないというもどかしさを抱えていた。しかし今、岡崎はどんどん自分のプレーをチャレンジする機会に恵まれている。
 岡崎に対する『ビルト』の採点は“3”という可もなく不可もなくといったもの。いくら動きは良くてもノーゴールに終わったストライカーに対し、メディアの採点は厳しい。だが、マインツの岡崎は監督とチームメートからの信頼を集め、味方がボールを持ったらまずは岡崎を探し、そこからチームの攻撃が始まる型をブレーメン戦で作った。5試合不発の岡崎だが、今季12点目のゴールが生まれるのも、そう遠くはなさそうだ。】

 それにしても、日本のスポーツマスコミは粗悪だと思う。まるで、ニュースを作るのは自分らだというようで、消費者を馬鹿にしすぎているとさえ。例えば、長友、本田のニュース、イタリアのニュースが多すぎる。今のイタリアクラブは、スポーツ自身という観点から見たら、ドイツ、スペイン、イングランドなどよりもはるかに弱いと言える。CLではこんな成績なのだから。07年のミラン優勝の後は、10年のインテル優勝以外にはこの7年間ベスト4に進んだチームは皆無だ。このインテル優勝にしても、奇才モウリーニョ監督を除いては考えられなかった奇跡に近い出来事だったはず。準決勝のバルサ戦勝利は、ここに何度も書いた通り歴史に残る奇戦とも言える名勝負だったのだし。
 長友や本田に比べて、内田や岡崎の扱いが少なすぎる。他の3人よりも2才若い内田はもはやヨーロッパCLの顔の一人なのだし、今の岡崎は世界の流れに合致した新しい型のFWとしてヨーロッパ最強リーグの顔の一人になりかかっている。日本代表としての功績、経歴も彼ら二人の方が長友、本田よりも長く、深いはずだ。ただ以上のことは、長友と本田が他の二人にまさるとも劣らぬ選手だと認めたうえでの主張である。
 このようにスポーツをスポーツとして見せないからこそ、各スポーツ人口の割に観戦者が少ないという現象も起こっているのではないか。子どもとか高齢者とか女性とか、プレーしている人々が非常に多いフットボールとかマラソン、バレーボールなどは、もっともっと観戦者を増やせるはずだ。スポーツ文化をバラエティー番組のように扱っているとさえ見えるのは、テレビ界などが野球以外は人気が出て欲しくないと意図しているからではないかとさえ勘ぐってしまう。
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「求めてきた内容」の本   文科系

2014年04月14日 14時18分59秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 以前から、こんな本を探していた。世界政治の近未来を、世界経済の過去1世紀以上の正確な長期的変遷様態分析から探っていこうとする読み物を。ある戦争で国の威力をこれだけ見せつけたとか、どの国がこの十年景気よいかなどなどは言ってみるならばまー一時的なこと。長期的に見て世界金融資本と産業資本との関係はどうなるかとか、国の経済力が世界的重要度ではどう推移してきたかとかを、少なくとも一世紀単位で観てみたかった。僕はここに、過去半世紀スパンほどのこういう内容ならば描いたことがある。13年3月1日から4月13日まで11回書き続けた「世界経済史の今を観る」である。大学の最近の経済学教科書など数冊の本を使ってポスト戦後社会から現在までを眺めたものだった。ワシントンコンセンサスへの対抗勢力を世界に探すという内容で終わっているが、その時の作業はこんな感じがぬぐえなかった。やはり戦後社会からだけ見ていてはダメだ。これは戦勝国、先進国、アメリカ中心の見方にしかならない特殊な時代である。そして、せいぜいがこういう国中心に今後20年程度の世界の一面しか分からないな、とも。

 さて、そんな問題意識から格好な本を探していて以降もあれこれと新聞書評欄を見たり、立ち読みなどを繰り返してきたが、以降で最も期待が持てそうな著作に出会った。まだ、書き出しの第一章とちょっとしか読んでないが、岩波新書・進藤栄一筑波大学名誉教授の「アジア力の世紀」である。著者は、京都大学大学院を出た法学博士。筑波、早稲田、ハーバード、プリンストンなどの教授、研究員などを歴任してきた方だ。この著作のモチーフを提示した第一章が、僕の問題意識にピッタリなのである。こんなふうに。

 最初の図表1-1が、「21世紀主要国のGDP変化予測」。これは、BRICsという語を生んだゴールドマンサックスのジム・オニールの計量データに基づくものだそうだが、2025年過ぎに中国が、50年ごろにはインドがアメリカを抜くと予測されている。日本と英国は日本が上のままほとんど伸ばせず、50年にはインドネシアに抜かれると示されている。ちなみに、当然のことながらこの数字は人口をも反映しているから、個人所得比較ではない。同じく図表1-4はケンブリッジ大学の経済史家アンガス・マディソンがまとめた「19世紀以降主要国GDP推移」だ。1820年(実績)から2030年(予測)までを戦前2回、戦後3回、未来予測1回と合計6つの時期に分けて報告し、その都度世界GDPを100とした場合各国がどれほどになるかという帯グラフにしている。この図表で最も興味深い点はこうだ。左から、西欧、米国、豪・加・NZ、露、東欧、中南米、アフリカの順できて(ここまでを①としておこう)、そこから右がアジアになって日本、中国、インド、その他アジア諸国なのだが(同②)、この約二百年の初めと終わりで①と②の比率がほぼ変わらないのである。①と②の比率が1820年では、43対57ほど。それが2030年になると47対53。なおこの図の中でこの両者に最も差が広がったと言えるのは1950年で、②が20%以下になっている。この傾向は1973年にも続いており、②が25%ていどに留まっている。この①対②が、2003年には60対40と追いついてきた。19,20世紀は一定経済力を持ったアジアからの植民地搾取による西欧繁栄の世紀と見ることも出来るのではないか。まるで、こう主張しているようにさえ聞こえるのである。
「むしろ19,20世紀が異常な世紀なのであって、一定経済力があったアジアが主張し始めれば元に戻る。それが世界の民主主義と言うものだ」

 同じ第一章に、アメリカの衰退そのものが示され、予測されている。ちょうど、アジアの「復活」に呼応していくような衰退の形だから、面白い。まず、先に見た「世界200年の主要国GDP推移」でアメリカを観ると、最大は1950年の27.3%が、2003年には20.7%となり、2030年予測では17.3%と落ちていくことになる。特に驚いたのが、図表1-2で「全米企業収益に占める製造部門と金融部門の比率変化」だ。1990年を過ぎてから、金融部門収益が製造部門のそれをどんどん抜いていくのである。日米などのこの資料、数字こそ実は僕が喉から手が出るほどに欲しかったもの。アメリカはやはり完全に、物を作っても売れない世界的金転がしの国になっていたのである。それも、僕が思い描いていたよりもはるかに激しくそうなっている。サブプライムバブルを起こしたり、通貨危機を引き起こしたり、日本以上に中国などの金融市場を是が非でも狙いたがったりというわけも分かるというものだ。食料なりエネルギーなり生活必需品なり、人は物がなければ生きていけないが、そういう物を汗水垂らして生産し財を生み出す人々、国々から、その財を金融で奪い取っていくやり方。自国の一般大衆を貧しくすればするほどそこで金融を操るうま味が消え失せてしまい、他新興国の金持ちの蓄財を求めていく金融資本。これこそ、新自由主義経済の本質だと言いたい。

 また、これの裏返しとして、アメリカ経済の軍事化も顕著である。図表1-3では、アメリカの科学研究開発費に占める軍事部門比率の高さが示されている。政府の科学研究開発費に占める軍事部門の比率が特に高く、この国の軍事研究開発費総額自身が英仏などの10倍よりも多く、日本と比べたら60倍ほどになる(2003年度の数字。OECDデータ)。だからこそ、アフガン、イラク戦争を起こしたとも言える。この結果が、中東・北アフリカ6カ国で米ブルッキングス研究所自身が2003年に行った世論調査にこう現れているという。アメリカは「極めて嫌い(好き)」、「かなり嫌い(好き)」で、「極めて嫌い」の比率を悪い順に書いてみる。サウジ68%、モロッコ67%、ヨルダン63%、エジプト58%、レバノン40%、アラブ首長国連邦31%とあった。こういう不信感を覆すには一体どれだけの年月がかかることだろう。9条を変え、財政も経済も含めて軍事化を急いでいる日本も、胸に手を当てて考えてみることだ。

 さて、この本を近く順に内容要約などで紹介していきたいと目論んでいます。よろしく。
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新聞の片隅に載ったニュースから(144)     大西五郎

2014年04月13日 18時58分20秒 | Weblog
新藤総務相が靖国参拝(14.4.20 中日新聞夕刊)

 新藤総務相は十二日、東京・九段北の靖国神社を参拝した。昨年も春季例大祭(四月二十一~二十三日)の前に参拝した。A級戦犯を合祀する靖国神社への閣僚の参拝を批判してきた中国と韓国が反発しそうだ。今月下旬に来日するオバマ米大統領は中韓両国と日本の関係悪化を懸念しており、新藤氏の参拝に不快感を示す可能性もある。
 新藤氏は参拝後、取材に「心の自由の範囲で、私的な行為」と説明。予想される中国や韓国からの反発については「懸念するような(外国からの)指摘は当たらない」と強調した。オバマ氏来日を考慮し参拝時期を前倒ししたとの見方には「関係ない」と否定。春季例大祭の期間中に再び参拝するかのうせいもあるという。
 新藤氏は、太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)で旧日本軍を率いて戦死した栗林忠道中将の孫。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

 中日新聞の記事は「靖国神社への閣僚の参拝を批判してきた中国と韓国が反発しそうだ」と述べていましたが、12日のうちに中国外務省の洪磊副報道局長、韓国の外務省当局者が抗議の談話を発表しました(13日中日新聞)。
 中国や韓国など東南アジアの国の人の間には、日本の政治家、それも閣僚が、自分の国を侵略し、人々に甚大な被害と苦痛を与えたA級戦犯が祀られている神社に詣でることは、過去の戦争を正当化していると思えるということのようです。
 首相や閣僚の靖国神社参拝には日本の国民からも批判が出されていますし、裁判所によって違憲の判断もされています。安倍首相の靖国参拝についても差し止め訴訟がなされました。
靖国参拝、首相を提訴 戦没遺族ら546人 大阪地裁に(14.4.12毎日新聞)
 「安倍晋三首相の靖国神社参拝で憲法が保障する平和的生存権を侵害されたなどとして、全国の戦没者遺族や宗教者、市民ら546人が11日、安倍首相と靖国神社を相手取り、将来にわたる参拝の差し止めや原告1人当たり1万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした。(中略)別の原告団が今月21日東京地裁に提訴する予定。」(朝日新聞にも同様の記事)
 首相の靖国神社参拝についてはこれまでにも、中曽根首相の参拝や小泉首相の参拝に対して幾つかの差し止め、損害賠償請求の訴訟がなされています。その中で福岡地裁(2004年4月7日)と大阪高裁(2005年9月30日)が「首相の靖国参拝は、憲法に違反する」という判断を下しています。両裁判所は「首相の靖国参拝が原告ら(国民)に対して強制や干渉があったとは認められないとして賠償請求は棄却しましたが、大阪高裁の判決は「首相の靖国参拝は首相の職務として行なわれた。小泉首相が何回も参拝したことは、国が靖国神社を特別に支援しているという印象を国民に与え、憲法によって禁止されている宗教活動に当たる」と、首相の靖国参拝を違憲と判断しました。大阪高裁の判決にたいして原告が上告せず、判決が確定しています。
 大西 五郎
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朝鮮日報より    らくせき

2014年04月13日 13時38分56秒 | Weblog
中国の習近平国家主席は先月29日、ドイツの2つの「侵略」について語った。
習国家主席は「日本の軍国主義が起こした中国侵略戦争により、
中国軍と中国人3500万人が死傷する惨劇が繰り広げられた。
中国はこうした惨劇の歴史を骨身に染みるほど鮮明に覚えている」と述べた。

 その一方で中国の侵略にも言及した。習国家主席は「中国は長い間、強大国の地位にあったが、
他国を侵略した記録は残っていない」と話した。
習国家主席だけではない。中国で会った多くの学者や知識人は
「中国は他国を侵略したことがない」と言い、実際にそう信じている。

 中国の名門・清華大学の学生は「中学・高校で中国が他国を攻撃したという
歴史を学んだ記憶がない」と言った。
明の時代の鄭和は2万人の海軍を率いて東南アジア一帯を事実上、侵略したが、
中国の歴史の本には「大航海」と書かれている。
チベット併合は「人民解放軍が農奴状態だったチベット人民を解放した」と教え、
清が新疆を占領したことについては「今は中国領だということが重要だ」と説明している。

北京大学歴史学部のある教授は「かつて中国が侵略した地域は現在、ほとんどが中国領になっている。外部で言われている中国の侵略も、中国の立場から見れば内戦に過ぎない」と言った。

こう述べたあと、現在の「中国平和論」は「一度も侵略したことがない」という言葉同様、
信じがたい、と結んでいます。

                  

さすが「中国」ですね。日本の安倍さんも同類項でしょうか?
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随筆紹介 「分かり合えない」  文科系

2014年04月13日 01時30分18秒 | 文芸作品
【 随筆紹介 「分かり合えない」 S.Yさんの作品

 「男女は分かり合えないのが普通、お互いが理解できるというほうが無理である」と、心理学の先生が何かに書いておられた。そうだろうな、と苦笑した。
 私も還暦を過ぎたこの歳になっても、いやこの歳になったからこそ、ますます同居人である伴侶を理解しにくくなってきている。
 彼が定年になって五年。毎日が日曜日の生活にも慣れてきたはずだが、近頃不可解な言動に首を傾げることが増えた。例えば、やたらと家電を買いたがる。テレビ、パソコン、加湿器、炊飯器と新機種のものが増えていく。新しいものは確かに性能もよくて便利だ。しかしテレビなどはすでに一〇台を超えた。もう十分だからと言おうものならたちまち機嫌が悪くなる。おまけに先月から勝手に余分な駐車場を借り始めた。我が家の車は三台。今のところ自宅の駐車場に二台。一台分を借りてそれで間に合っている。なのに毎月、余分に何万円も駐車料金を支払うという無駄なことをするのか。彼曰く「来客用に」というのだが、日中は息子たちが出払って自宅の駐車場は空いている。仮に空いていなくても近くにはコインパーキングがたくさんある。第一うちに来客がそんなにあるのかね。
 反論したら「もういい。俺の小遣いで払う」と言う始末。じゃあ、そうしてもらいましょ。細かいことを言いだしたらきりがないぐらいに全てがこんな調子である。

 今年も伴侶とは、ちぐはぐに暮らしながら寄り添って老いていく。胸の中で「バッカじゃないの」と呟きながら。】
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またしても「飛びすぎボール」の怪  文科系

2014年04月12日 11時39分12秒 | スポーツ
 今日本プロ野球界にまた大激震、「飛びすぎボール問題」が去年に続いて再燃したのである。先ず事実経過として、以下。スポニチアネックス記事の要約である。

 日本野球機構(NPB)は10日、東京都内で会見し、今季12球団が使用している統一球の反発係数が平均で基準値の上限を上回ったと発表した。発表内容はこうだ。
 3月29日の開幕第2戦を開催した6球場の使用球から、各球場1ダース(全72球)ずつを無作為に抽出し、日本車両検査協会に反発係数の検査を依頼。この日の結果報告によると、平均値0・426で11年に統一球が導入される前の数値に近く、規定の上限0・4234を上回った。昨年4月の検査では平均で0・416。NPBは製造メーカーであるミズノ社に対し原因の究明を指示したものの、球界に波紋が広がっている。
 10日の試合後、反発係数が基準値を上回ったことを聞いた楽天・星野監督は、「おかしいと思っていた。去年よりも飛ぶとね。違反ですよ。責任を取ってもらわないとね」と不満そうに話した。一般的には反発係数が0・001変わるだけで飛距離は約20センチ変化すると言われている。開幕から打撃戦が多く「さらに飛ぶようになっているのでは」の指摘が出ていたが、選手、監督らも困惑気味。DeNA・中畑監督も「開幕前に確認してちゃんとした報告が出ていないといけない。現場は困る。すっきりしない」と話した。

 さて、愚考を少々。去年もこの問題が発覚して加藤良三コミッショナーが引責辞任しており、またしても誰も知らないうちにこんなことになっていたということ。スポーツ好きとしては、開いた口も塞がらない奇妙すぎる事態だと言いたい。今回の平均値0・426は、昨年4月検査平均値0・416よりも0.01反発係数が高いということだ。これは20センチ×(0.01÷0.001)で、2メートル多く飛ぶ計算になる。また、去年最高責任者が引責辞任するほどの大問題がまた今年起こったというのは、普通ならばもう自浄能力ゼロの無政府状態とも言えるはずだ。選手たちが知らぬ間に2メートル多く飛ぶようになっていたとか、こんな簡単なことで自浄能力ゼロが示されたとかの事態は、現場から見たら大変なことだろう。それにしてはプロ野球界自身の反応も小さすぎるように思うが、どうなのだろうか。
 ファンを興ざめさせるような、ファンそっちのけの怪事件である。この事実を知っていた投手、打者がいるチームとそうでないチームとでは、ゲームに臨む有利さも断然違ってくるだろう。知っていた打者はホームラン狙いに傾くだろうし、同じく投手は大事なところでは長打警戒の投球になるはずだ。
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憲法9条がノーベル平和賞の候補に      らくせき

2014年04月11日 15時25分11秒 | Weblog
新聞によれば、戦争放棄を定めた憲法9条がノーベル平和賞の候補にノミネート。
ノルウェー・オスロにある選考機関「ノーベル委員会」に推薦状を提出していた
「『憲法9条にノーベル平和賞を』実行委員会」(事務局・相模原市南区)に、
推薦を受け付けたことを知らせる通知が届いたとのこと。
改憲論議を憂えた座間市の主婦が始めた活動が共感を呼び、
9条の存在は広く世界に知られることになる。

昨年1月に始めた署名活動がきっかけ。
「9条に平和賞を」。ツイッターやフェイスブックで賛同者を募り、
選考委事務局宛てにメールを送り続けた、という。

                

よいニュースです。
ちょっと皮肉な見方ですが、安倍さんが一番の協力者かも。

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ヨーロッパCL準決勝へ!  文科系

2014年04月11日 03時14分21秒 | 文芸作品
 標記に出場する4チームが決まった。香川真司がフル出場したマンチェスター・ユナイテッドは、現在世界最強クラブと言われているバイエルン・ミュンヘンに敗れた。1対1と1対3だから、やはり現在の力に差があったということだろう。ちなみに、あーいうマンチェスターの「カウンター戦法」という戦い方では、香川の持ち味がまったく生きない。そして、香川はむしろ現世界最先端戦術の中でこそ生きるはずなのであって、もったいないこと甚だしいと感じたものだった。「敵ゴール前で狭いスペースを使いあって、繋ぎのアイディアを尽くして得点する」。前監督ファーガソンがこういう新型チームへの改造目指して香川を採ったのに、モイーズ監督がこれと逆というか中途半端というかまーそんな方向に行っているのがとても残念だ。新監督モイーズは遠からず辞めることになるだろうと思う。これだけのビッグクラブの監督後釜となると言ってみるならばグァルディオラかクロップしかいないから、辞めさせないで成長を待つかも知れないが、成長できるだろうか。難しいところだ。
 なお、世界最優秀監督の一人モウリーニョがこのチームの監督に就くことはないと、これは前からの僕の持論だ。このチームが求めるはずの英国的品格に欠けるからである。モウリーニョがチェルシー行きを決断した時マンチェスターから声がかかるのを待っていたはずだが、声がかからなかったのはそういうことだと僕は理解した。彼の方はと言えば、レアルを辞めてまでマンチェスターに行きたかったのは、これははっきりしている。クロップも多分ドルトムントを離れないから、結局マンチェスターはモイーズの成長をしばらく観ているということになるかも知れない。ファーガソン就任の時に忍耐強く成長を待ったように、出来るのだろうか。

 さて、CLの予想である。今年は間違いなくチェルシー優勝と、これが僕の結論だ。準決勝に向けてどういう当たりくじを引いても、そうなると。対マンチェスター戦のバイエルンを観ていると、そういう気がして仕方ない。あの攻撃では、モウリーニョ・チェルシーの固い守備は崩せないし、モウリーニョのカウンターも浴びやすいと。バイエルンのような戦い方は、モウリーニョ流儀の「堅守・カウンター」だけにはどうしても弱いところがある。このブログで何度も書いて来たように、グァルディオラ・バルサがモウリーニョ・インテルに見事に敗れた2010年CL準決勝が思い出されて仕方ないのである。

 さて、レアルを買う向きが圧倒的に多いだろうが、ここはチェルシーにもバイエルンにも勝てない。まず、レアルの何もかもを知り尽くしたモウリーニョに対してはスキが多すぎると、次いでバイエルンに対しては総合的に力負けするだろうと、僕は観ている。特にレアル・チェルシー戦では、レアル選手一人一人に至るまでの弱点を知り尽くしたモウリーニョのことだから、いろんな点取り策を思いつくはずだ。新監督の下で自由度を得て点取りにはやりがちなクリロナの後を肝心な時にずばりと活用するとか。
 何十年ぶりの準決勝とかでアトレティコに期待する向きも多いだろうが、CLはそんなに甘いものではないと言いたい。もしここが優勝するようなことがあったならば、新人シメオネ監督がグアルディオラかモウリーニョ並の才能ということになるはずだ。ただ、その可能性が皆無ということではないから、楽しみではある。アレッティのここまでの進出、堅守は、確かにそれほどの脅威だ。
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