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「テロリスト」「愛国者」、安重根記念館  文科系

2014年04月05日 12時43分53秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 安倍政権はこの問題でも日中と揉めていて、今後いっそう大きく、深刻に溝を拡げていくと予想される。この1月、伊藤博文暗殺の現地・ハルピンに中国が記念館を開館して韓国が謝意を表している問題で、菅官房長官が「テロリストに対してなんたることか!」と反撥意見を表明したからである。歴史的知識がないならばどっちも理ありとも見えてなかなか理解の難しい問題であるが、僕の見解を展開してみたい。
 当時の「法律」から見たら当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろう。ただ、安倍政権側に全く存在しない観点を一つ書いてみる。

 日本は、独立国であった朝鮮を明治維新以来40年かかって占領したのである。この40年の日本は、朝鮮に対して不法な侵略行為を何度も重ねてきた。1875年の江華島事件に始まって、帝国初の大軍隊平時駐留は早くも1882年に朝鮮に対して行われたのだし、日清戦争も朝鮮併合問題に絡んで起こったものだ。そして、この暗殺事件は1910年の併合の1年前09年に初代朝鮮総統に対してなされたものである。こういう歴史的諸事実を前にして、これに対するに「当時は植民地は許されていた!」とか「どんな法でもやはり法なのであって、当時は有効!」とだけ語るのでなければ、「テロリスト」とだけの論理は成り立たないだろうと、これが僕の論旨だ。現に植民地問題絡みだからこそ、朝鮮から観た安重根は「熱烈な愛国者」になるのだし、日本に侵略されたという同じ立場の中国から観てもそうなるのである。つまり、植民地問題を抜きにして初めて「テロリスト」とだけ言いうるということだろう。

 さて次に起こるはずのこの理解はどうか。ならば、「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかないのである」。僕は、こういう理解にも賛成しかねる。
 今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法定主義」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだということである。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義(的観点)を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないはずだと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならないのである。こんな論理で言えば、新大陸で無差別大量殺人を行ったピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺しても、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになる。こうして、当時の対立する一方が押しつけた法以外ではどうにも正当化できないこういう論理、立場というものを改めて敢えて強調するというのが、安倍政権の対外政策指針のように見えるのである。こういう態度は、法にさえ反しなければ悪くないのだと言い続けるやり方と同じ種類のものでもある。中韓に対する高圧的な態度しかり、A級戦犯や東京裁判の否定しかり。「日本の植民地政策が批判されるが、西欧はもっと長く、苛酷にやってきたではないか!」というのも、同じ態度だろう。
 こんな態度ではどこまでいっても国際友好関係などあり得ないだろう。敢えて云えば、まるであの時代に今を戻すような態度だからだ。こうして、最近の不仲の責任はすべて安倍政権にあると、声を大にして言いたい。世界人間的道義に触れずに自国(偏愛)だけを押し出す思考、立場は、当然のことながら人間としての品格にも欠ける。良識ある世界に対しては、説得力を持たないはずだ。こういう主張に対して、新自由主義世界固有の競争原理下ではそんな良識はお人好しで損するだけだと反論するのだろうが、こんな主張こそ長い目で観ればもっとも国益を損なうものだと言いたい。9条がもたらしている国益に盲目であるのも、そういうことだと理解している
コメント (11)
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