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敦煌を訪ねて その2          飛天

2006年11月10日 05時16分54秒 | Weblog
 平成4年というと、まだ敦煌への観光客が少ない頃であったので、中国人ガイドは本当に親切であった。初日、莫高窟を鑑賞したあとホテルに帰ってから、砂漠に落ちる夕日を見たいなと呟いたら、ガイドが「連れていってあげましょう、夕食の後に迎えに来ます」と言う。事前の計画には入っていないので、無料のサービスである。しかも、はるばると遠路、陽関まで連れて行ってくれたのだ。陽関の狼煙台の横の高台でじっと夕日が沈むのを待つことになった。その壮大な落日の美しさ、雄大な景色であった。今は、ここに休憩所と土産物屋、回廊風の建築物などが作られ、索漠とした砂漠のなかという印象は無くなってしまっている。観光客が増えると、どうしてもそういう現象が起こる。残念である。

 玉門関の風景も忘れられない。漢の武帝のとき、大宛(フェルガナ)遠征の指揮官李広利将軍は兵力不足と判断し、引き返してきたのに対し、武帝は激怒して、中国内への帰還を禁じ、玉門関に部下の数万の兵とともに留めた。砂漠のなかで、数万の兵が駐屯することがなぜ出来るのか、と私は疑問に思っていたのだが、それは可能であったのだ。大きな湖があったのだ。そのほとりに玉門関があったのだ。それゆえ、数百の人々の住む町も形成できたのだ。今は一人の住民も居ないが。
 5種類の水鳥が空を舞い、湖畔には無数の野兎の糞が散らばっている(雨が降らないので腐らずに残っている)。魚も豊富なようだ。

 ここ玉門関と陽関から先が、西域ということになる。中国と西域の境なのだ。二人の詩人の詩をここで紹介しよう。

 従軍行  王昌齢           元二の安西に使いするを送る  王維

青海の長雲 雪山暗し         渭城の朝雨 軽塵を浥す 
                     (いじょう)(けいじん)(うるお)
孤城遥かに 望む玉門関        客舎青青として 柳色新たなり
  (はる) (のぞ)             (せいせい)(りゅうしょく)(あら)
黄砂百戦 金甲を穿つ          君に勧む 更に尽せ一杯の酒
(こうさ)     (うが)             (すす)(さら)(つく)
楼蘭を破らずんば 終に還らず     西のかた陽関を出づれば 故人無からん
           (つい)                  (い)  (こじん)
 
 二人とも唐代の詩人である。王昌齢の詩は、玉門関を出て楼蘭征討に向かった兵士のことを歌っている。王維の詩は、西安の渭城の柳の下で、西域に旅する知人元二を送るため酒を酌み交わしたことを歌っている。陽関を出ると知人に会うことは決してないのだと。ついつい、私はこうした漢詩を思い出し、感慨にふけったのであった。

 西千仏堂も訪れて欲しい場所だ。その下に小さなオアシスがある。そこには、幹を抱えきれないほどの楊柳の巨木の林がある。樹齢何百年かは分からないが、数百年は優に過ごしてきた巨木であろう。そのほとりで横になり、ひやっとした爽やかな空気に包まれ、敦煌の歴史に想いを馳せるとよいのだ。悠久の時の流れを感じさせる私の大好きな場所である。想いから醒めたら、そのオアシスの傍らを流れる党河に出るとよい。上流にダムを造ったため、党河は完全な枯れ川になっている。その川岸にタマリスクの群落を見ることができる。ヘディンの記録にしばしば描かれているその木の群落をここで見ることができるのだ。
 そのオアシスから河岸段丘の急崖を上るとき、かっての洪水のあとを見ることができる。

 登り道を造るために削られた崖面に、こぶし大の丸い礫に混じって、大きな径30センチもありそうな礫石が混じっているのだ。このような大きな礫石を押し流すほどの洪水が敦煌を襲ったのだ。漢代の敦煌の町は洪水で全滅したのだが、砂漠気候でありながら、敦煌周辺では洪水がしばしば起こる。平成6年の敦煌訪問のときには、その直前に大きな洪水が起こり、莫高窟への道の途中の橋が流されていた。
 
 観光客の訪れることもないダムを訪れることを薦める。その水が敦煌の農業と人々の生活を支えているのである。重機のない時代にこのダムを建設するのは、相当の難工事であったろう。殉難碑を見ると18歳の若者を始め数十人の犠牲者名が刻まれている。

 私は敦煌が好きなのだ。すでに再度の訪問を計画している。何度でも訪れたいのだ。
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2 コメント

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なにがシルクロードへ (落石)
2006-11-10 09:13:00
敦煌などシルクロードへの憧れは
なぜ多くの日本人が持つのでしょうか?
昔、NHKが放送したシルクロードは
国民的な人気番組でした。
私もずっと見ていましたが・・・
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陽関、楼蘭ですか! (文科系)
2006-11-10 14:44:19
陽関ですか!思わず「なからん、なからん、故人なからん」と唱っていましたよ。そしたら、王維が出て来ました。
楼蘭に関わっては、僕の青春の歌が、これです。「胡笳歌送顔眞卿使赴河隴」。これは先般上げた「代悲白頭翁」と並んで好きだった二つの歌でして、以降も度々唱えてきたので、今でも全文暗唱できます。前者は中国西方への憧れ。後者は若者が時として感じ入る無常観というところでしょう。
と、事ほど左様に落石さんじゃないが、中国西方への憧れがあったのでしょうか。
僕もやってみましょう。

君不聞胡笳声最悲 君聞かずや胡笳の声最も悲しきを
紫髯緑眼胡人吹  紫髯緑眼の胡人吹く 
吹之一曲猶未了  之を吹きて一曲未だ終わらざるに
愁殺楼蘭征戍児  愁殺す楼蘭征戍の児 
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