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随筆  「老人」と僕   文科系

2024年08月09日 05時56分30秒 | 文芸作品
 僕自身が83歳の老人なのに、この題名はおかしいものだ。この今書けば、「老人と子ども」という題名の方が良いのかも知れない。今この題名に相応しい舞台光景がこんなものだから。
 例えば、孫とその母である娘と道を歩いていて、むこうから子どもが二人やってきたとする。僕はなぜか必ず、声をかけたくなる。
「いーグローブだねー。野球しに行くの?」
「可愛いポシェットだね」
 すると孫が、
「そんなことしちゃだめだよ。びっくりするでしょ?」。
 それどころか娘などは非難というか、こんな警告に及ぶのである。
「今そんなことすると、変質者に思われるよ」。
 ずっとこう言われ続けてきても、僕のこの癖は全く直らない。直らないどころか、確信犯よろしく、年を取るごとにますます増えて来たようだ。なぜなのだろうとたびたびよく考えてきた。その理由は、こうとしか考えられなかった。子どもと言うよりも「老人と子ども(の交流関係)」が根っから好きなのである。「老人と海」とか、主演の加藤嘉が孫に渓流釣りを教える映画「ふるさと」とかには、もうメロメロ。なんとも言いようもない親しみを覚える。それで我が人生で何度も、その淵源を探ってみることになった。それはたった一言、子どもの僕が老人に色々かわいがられたことだ。

 太平洋戦争が始まった年、41年生まれの僕は4歳で母の故郷、渥美半島・田原町三軒家という土地に疎開した。そこで一例、ある老夫婦にとても可愛がられた。「キン先生ご夫妻」と呼んでいたが、ご婦人の方が今思えばなにかお茶かお華の先生をされていた、子どもがおられない品のある老夫婦だった。夫さんの方は仕事はなかったようで、日中もいつも家に居た。この夫さんの方が、僕がその家の前を通りかかるのを見ると、必ず声をかけてくれたのである。それも、彼は庭仕事をしていることが多くて、通りかかるといつも声がかかる。すると必ず、庭仕事の植物などあれこれを教えてくれることになったと記憶する。僕があまりにその家に入り浸りになったので、両親や親類からこんな声がかかったほどだ。
「トモちゃんはもう、キン先生の家の子どもみたいだ。もらわれていくと良い」

 このことの延長が、3年生で名古屋千種区中道町の県営住宅に引っ越してきた後も続いていく。県営住宅の花畑係を務めていたある老人に声をかけられて、その助手のような役割を長く務めることになった。そのときに覚えた花の名前を今も突然思い出すことがあるから、驚くというほどに。

 これら二人のお爺さんが大好きだっただけではなく、身の回りの老人全てと僕は仲が良かった。例えば、周囲の老人ほぼ全ての肩たたき、マッサージ役を務めてきた。連れ合いと結婚するまで生きていた二人の母方祖母、双方の親たち、老人と付き合うと必ずこの役を申し出てきた。この「特技」が今は、連れ合いの役に立っている。そして、現在の僕が連れ合いよりもずっと多く孫係、当番を務めているのも、以上の生いたち、経歴の裏返しとしかどう考えても、思えないのである。なんせ孫からこんな声がかかってくるほど近い関係なのである。
「じいちゃん、今日の昼ご飯を作りに来てくれる?」
 連れ合いではなく、僕に来る注文なのである。子ども時代に付き合ってきた老人のそのまねをしている、子どもと付き合う気分のようなものまで、何か自然にそうなってしまった。人間の性格って、案外そんなものなのではないかとつくづく思えるこのごろだ。    
コメント
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