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スティグリッツの、師・宇沢弘文紹介文から   文科系  

2021年09月03日 00時39分52秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 あるブログ友のエントリーで、2014年に亡くなった世界的経済学者宇沢弘文のことが話題になり、ちょっと調べてみました。日本で最もノーベル経済学賞に近かった3人の内の1人とあって、見つかったある文章を紹介します。この40年程世界で力任せに展開された新自由主義経済への一つの批判が学べる思いでした。その出典と題名は、こうです。この文章を半分以下に抜粋して紹介します。

『伝説の経済学者「宇沢弘文」を知っていますか。スティグリッツが師と仰ぐ日本の「哲人」とは  東洋経済新報社 出版局  2016/12/31 8:00』
 
【 日本が世界に誇る経済学者、宇沢弘文氏(1928~2014年)

数理経済学の分野で大きな業績をあげるにとどまらず、現実の経済社会への関心を強め、水俣病などの公害問題や成田空港建設をめぐる問題の解決に自ら取り組んだ宇沢氏は、世界中の経済学者たちに大きな影響を与えた。
「哲人経済学者」の異名を持つ宇沢氏は、どのような人物だったのだろうか。
本稿では近刊『宇沢弘文 傑作論文全ファイル』の中から、宇沢氏の愛弟子であるジョセフ・E・スティグリッツ氏(2001年ノーベル経済学賞受賞)の講演録を、抜粋・編集のうえお届けする。

私の進路を変えた宇沢先生との出会い

私が宇沢先生と出会ったのは、51年前のことです。当時、スタンフォード大学からシカゴ大学に移られた宇沢先生は、シカゴ大学で開かれたセミナーに、私たち数人の学生を誘ってくれました。そのなかには、私と共同でノーベル賞を受賞したジョージ・アカロフ教授もいました。宇沢先生は、MIT、スタンフォード、イェールの各大学から若手経済学者を集めて、シカゴを世界の知の集積地にしようと考えたのです。その考えはみごとに実現しました。私たちは、シカゴに集まったわずか1カ月ほどの間に、全員、宇沢先生の信奉者になってしまったのです。私は今も、宇沢先生が語っておられたことを折に触れ思い出します。

宇沢先生のスタンフォードからシカゴへの移籍は興味深いできごとでした。なぜなら、シカゴ大学が保守的な右派経済学の中心地であったにもかかわらず、宇沢先生はその立場に属していなかったからです。集まった若手経済学者たちはシカゴ大学で、収入の分配にまつわる不平等を議論することなど最悪だと考えていました。一方、宇沢先生はご自身の研究が成長理論へと到達するなかで、不平等という概念の重要性や、外部性としてあまり顧みられていなかった環境問題についてもよく話をされていました。

 宇沢先生は、私自身はもちろん、ジョージ・アカロフ教授をはじめ、私と同年代の多くの経済学者の人生に大きな影響を与えました。シカゴにいる間、私たちは、ほとんど毎日のように夕食を共にしました。私は飲めないのですが、先生はお酒を楽しんでいましたし、他の門下生たちも同様でした。
(中略)

研究にかける情熱

私は社会における不平等の問題に関心があったのですが、そうした問題に対する宇沢先生の姿勢は「毎週ひとつの論文を書き上げるほどの熱の入れようだ」と評されていました。これほどの情熱を持ってそうした研究に取り組んだ人はほかにいないでしょう。また、先生は戦争と暴力という今日的な問題にも熱意を持って取り組んでいました。私とリンダ・ビルムズの共著The Three Trillion Dollar War (邦訳『世界を不幸にするアメリカの戦争経済 イラク戦費3兆ドルの衝撃』)は、先生にこそ見ていただくべきだと思いました。その本は、アメリカが参戦した、必要のない破壊的な戦争に対して、経済学者がどのように声を上げることができるか、ということを書きつづったものなのですが、その内容を適切に評価してくれるのは先生以外にないと思うからです。
(中略)

米国発「株価市場主義」経済学との戦い

ここで少し、シカゴ大学とその経済学に話を戻しましょう。1960年代、宇沢先生は不幸にもその環境の真っただ中で生き延びなければならなかったのです。当時、ミルトン・フリードマンがシカゴ大学の経済学派のリーダーであり、株式市場価値の最大化は社会的幸福度を最大化するので望ましいという議論を展開していました。この議論はアメリカをはじめ多くの国々の法体系に大きな影響を与えました。実際、企業は株価の最大化に努めなければならないとする法律が作られた国が数多くあったのです。しかし注目に値するのは、この議論は実際には間違っていたと結論づけられたことです。その議論は非常に制約された条件の下でしか有効ではなかったのです。

ところが、フリードマンのような考え方が採用されてしまったことで、短期的な視野に基づく経営、経済パフォーマンスの低下、不平等の拡大が起こりました。そのことは私が近著Rewriting the Rules of the American Economy(邦訳『スティグリッツ教授のこれから始まる「新しい世界経済」の教科書』)のなかで取り上げた主要テーマになっています。この本ではそうした考え方が及ぼした影響、1980年代初期に経済のルールを書き換えることに至った経緯、私たちは今どのように再びルールを書き換えるべきかについて書いています。

フリードマンらが提唱した理論は、自己の利益を追求することが社会的満足度を向上させるとした、アダム・スミスの言葉を反映しているようにも思います。自己の利益の追求というと貪欲であれ、と言っているようで、貪欲であることはよいことのように聞こえてきます。貪欲のよさをうたった有名な映画もありましたね。

銀行家の貪欲さが社会的満足度を上げたと思う人はひとりもいないと思います。私も貪欲ということが正しいとは思いませんし、繰り返しますが、それが正しいというのは極めて制約された条件下でのみあてはまるのです。興味深いことに、アダム・スミス自身、「スミスはそう信じていた」といわれているようなことを信じてはいませんでした。つまり、スミスが自己の利益の追求というときには、それは啓発された自己利益を意味しており、彼はその限界も理解していたのです。しかし、残念ながらフリードマンはそうではありませんでした。かたくなな経済学の誤った考えのツケは回ってきました。シカゴ学派の人たちが社会やグローバリゼーション、さらに個人にまで影響する経済政策の立案において、重要な役割を担っていたからです。

私たちはどのような社会を作り、どのような人になりたいのか、よく考えなければなりません。私たちは本当に、経済学に出てくる自己中心的な「ホモ・エコノミクス(経済人)」になりたいのでしょうか。これはこれから経済学を勉強しようとしている人たちへの警告になるかもしれませんが、少なくともアメリカに限っていえば、経済学を学んだ学生は、学ばなかった学生よりもより自己中心的になるという研究結果があります。
(後略) 】


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2 コメント

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Unknown (行雲流水の如くに)
2021-09-04 16:40:22
大変参考になりました。
ステイグリッツと宇沢弘文との出会いが、何か必然のような気がします。
フリードマンが提唱した理論は今や限界に突き当たっています。
しかしその壁を突き破る新しい理論に何があるのか?
50年前の宇沢理論が救いの神になるのか?
極めて興味深いところです。
行雲流水さん (文科系)
2021-09-04 18:22:36
 コメントありがとうございました。嬉しい内容のコメントでした。それで、お応えとしてこんな事を決意した次第。
 エントリー内にある「スティグリッツ教授のこれから始まる新しい世界経済の教科書」を先ほど注文したところです。
 いずれ近い内に、ここで内容紹介を致します。書かれている内容の大筋は分かっている積もりなので、まとめやすいとも。供給サイド経済から、需要サイド重視経済へということなのでしょう。それも金融規制をしっかりと提案した上でのこの内容。

 韓国が最低時給を1000円にしたのは、日本よりも民主主義で先をいった需要サイド経済として先見性があるとも観ていますから。そういう意味では竹中平蔵こそ日本の元凶。彼は今、菅を懸命に庇っていますが、もう終わりのはずだ。出ないと、日本はまだまだ貧しくなっていく。

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