今回は、親愛なるお仲間向けに表記の事を書いてみたい。前回245回目がこのブログのランニング部門ランキング22位に入ったことが嬉しかったので。この第1回目は、僕のランニング来歴とする。
いろんなスポーツをしてきたが、ランニングは2000年の59歳に入門。老後には、ずっとやってきたサイクリングなど有酸素運動専門で行こうと決めていたからである。以降は10キロマラソンに出ていて、記録はこんなものでしかない。最高は49分22秒。最後の公式記録が07年の66歳の時で、54分18秒。これが公式マラソンの最後になったのには、こういう理由があった。
ラン入門1年ほどから不整脈が出始め、それを抱えながら心拍計を付けてその数を確かめつつ走り続けてきた。それがとうとう心房細動に悪化したから、無理が出来なくなったのである。初めは、突発性細動であって、走行中スピードを上げた時などに起こった。上記54分18秒という最後の記録も、3度ほどこれが起こって、その都度1~2分歩いたもの。そのころは、歩くとすぐに正常に戻ったから、また走り出したということである。この心房細動がその後慢性に変わり、即2010年には心臓カテーテル手術2回。これで不整脈が完治したから、3年ほどのブランクを経て復活し、以降ずっと走れているわけだ。ランナーに多い心房細動にはこういう完治療法があるということをランナー仲間には是非広めたいもの。例えば、慢性細動になったら即手術でこそ、完治率が高いのである。
なお、2010年の心臓カテーテル手術の後、2016年には前立腺癌で、ホルモン治療と陽子線治療もやっている。つまり、2016年から2017年にかけて、もう一度ランニング力を振り出しに戻している。半年にも及ぶホルモン治療に「男性ホルモンを止めて、女性ホルモンを増やす」作用があったからである。
さて、そんな経過をたどったこの5月で78歳が、今も1時間10キロを走っているわけだが、ここまで学んできた事を以下に記してみたい。こういう経過をたどった人間だから、ランニング日誌を事細かく書いてきて今日に至っている、その拙い体験談という事。これを一言でまとめればこういうことになる。「この不調、もう年なのだ」と思う前に「何か原因があり、対策できるもの」といつも考えて来たということである。以下、このようにしてその都度気づいたことを書いてみる。
いろんなスポーツをしてきたが、ランニングは2000年の59歳に入門。老後には、ずっとやってきたサイクリングなど有酸素運動専門で行こうと決めていたからである。以降は10キロマラソンに出ていて、記録はこんなものでしかない。最高は49分22秒。最後の公式記録が07年の66歳の時で、54分18秒。これが公式マラソンの最後になったのには、こういう理由があった。
ラン入門1年ほどから不整脈が出始め、それを抱えながら心拍計を付けてその数を確かめつつ走り続けてきた。それがとうとう心房細動に悪化したから、無理が出来なくなったのである。初めは、突発性細動であって、走行中スピードを上げた時などに起こった。上記54分18秒という最後の記録も、3度ほどこれが起こって、その都度1~2分歩いたもの。そのころは、歩くとすぐに正常に戻ったから、また走り出したということである。この心房細動がその後慢性に変わり、即2010年には心臓カテーテル手術2回。これで不整脈が完治したから、3年ほどのブランクを経て復活し、以降ずっと走れているわけだ。ランナーに多い心房細動にはこういう完治療法があるということをランナー仲間には是非広めたいもの。例えば、慢性細動になったら即手術でこそ、完治率が高いのである。
なお、2010年の心臓カテーテル手術の後、2016年には前立腺癌で、ホルモン治療と陽子線治療もやっている。つまり、2016年から2017年にかけて、もう一度ランニング力を振り出しに戻している。半年にも及ぶホルモン治療に「男性ホルモンを止めて、女性ホルモンを増やす」作用があったからである。
さて、そんな経過をたどったこの5月で78歳が、今も1時間10キロを走っているわけだが、ここまで学んできた事を以下に記してみたい。こういう経過をたどった人間だから、ランニング日誌を事細かく書いてきて今日に至っている、その拙い体験談という事。これを一言でまとめればこういうことになる。「この不調、もう年なのだ」と思う前に「何か原因があり、対策できるもの」といつも考えて来たということである。以下、このようにしてその都度気づいたことを書いてみる。