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小説  道連れたち(その2)   文科系

2018年09月10日 04時52分08秒 | 文芸作品
 前からも後ろからも速歩やジョギングの人が通り過ぎていく。
〈こういう人、昔はこんなにいたかなぁ、思い出せないのはきっと意識もしなかったんだろうけど、みんななんか品が良さそうな人ばっかりに見えるし、それに夫婦も多そうだし、けっこう若い夫婦もいて、みんなギンギンのウェアで、スリムな人が多いからフィットネス目的ばっかりじゃなさそうだし、私はフィットネスの必要はないけれども、ほんとにそんなに楽しいならやってみてもいいかなぁ。恒男ならきっとやるって言うんだろうけど、俊司さんならなんて応えるだろう〉
〈恒男だってかなり良いとは思うんだけど、俊司さんのが細やかみたいだし、恒男よりはちょっとなにか尊敬してる感じかも知れない、知らない間についてっちゃってた。離婚するとか俊司さんに結婚させるとか、そんなエネルギーを出してみようと思ったこともないけど、つきあいは別に止めなくても良いよね、私の方も別れようと考えたことはないし、あのことはちょっと俊司さんの方が良いのかも知れない〉

 近付いてくる激しい羽音に、後ろを振り向いた。嘴がオレンジ色で、鳩を一回り細く小さくしたような鳥の一群が、目の前の桜の木すれすれに飛び過ぎて行く。それを認めた瞬間、内省から覚めたばかりの耳に急に人のざわめきが飛び込んできた。川畔道路沿いすぐ前方、生け垣に囲われた建物の庭かららしい。高齢者社会教育施設と聞いているその建物に足早に近づいてみると、スポーツウェアの一群が騒いでいる。何台もの自転車も見える。それも極彩色色とりどりをわざと集めたように。〈若い子たちが入って、何か一緒に準備してるんだ〉、とその時、朝子の眼がある一点に釘付けにされた。数人の老人の輪の中で自転車の横に座り込み、例によって大きな声と身振りで熱弁をふるっている最中の、恒秋の相手のギャル・咲枝がいる。その咲枝の方も一瞬、体と視線を固まらせたようだ。周囲の視線もすぐに朝子に振り向けられた。止まるもならず、もちろん去って行くこともできはしない。こわ張った顔を作り直すようにして、近付いて行く。
「みなさん賑やかに、楽しそうですね」
 一斉に向こうも挨拶を返し、老人の一人がこちらへ歩みだして来る。そして、何か親しげな口調で話しかけた。
「恒秋君のお母さんだそうで、本当にお世話になってます」
 えっという感じをごまかすようにして迎え入れられるように人の輪に加わった。


「恒秋はいつからこういうことを始めたのかしら」
 いつしか二人並んで座っていた咲枝に、朝子は独り言のように問いかけた。風はなく、からっとひき締まった大気の中で、柔らかい日差しが二人を包んでいる。
「恒秋さんだけはなんか中学の頃からずーっとここに関係してたみたいなんです」
「恥ずかしいけど全く知らなかったわ。恒秋がボランティアなんて」
「最初からボランティアじゃないんです。恒秋さんが団地であるおじいさんの花畑作りをずーっと手伝ってきてて、それが縁でここの花畑に関わって、二年くらい前に彼を中心に仲間ができたんです」
「ここのことは全く言わなかったのよ」
 取り乱した脳裏に、ある情景が割り込んできた。夏の夕暮れ、住んでいた団地の庭で、専用に買ってもらったのだろう小さな鋤を振るっている六年生のころの恒秋と一人の初老の人、幸田さんとを初めて見た時の光景であった。〈たしか彼、一年くらい前に亡くなったんだ〉
「言いにくいんですけど、『母さんは余分なことやるのを嫌う人だから』と、言ってました」
〈私らにはずーっと秘密だったということを、この子は知ってる〉、悔しいような涙が滲んだ。
「恒秋さん、お年寄りとなんか仲良しなんです。それに花とかのこともよく知ってて、……」
〈この子は私らを心配して、言いにくいことを敢えて告げたんだろう。同じおしゃべり屋さんでも、人が良くて賢い子なのかも知れない〉
「道を歩いててもrあっ、キンモクセイ」なんて、きょろきょろするんですよ、若い男の子なのに。花や鳥とかの、ちょっとオタクみたいなんです」
 あわてて付け加えたような咲枝の言葉。〈二人は随分話し合っているんだ〉。
「まさかボランティアをねぇ、あんなこと!って言ったら悪いけど……どんなつもりでやってるのかしら」
「やってて面白いしぃ、それが好きな子ばっかり集まった、かなり大きいグループですよ。恒秋さんたち、人を集めてくるのも上手いんです」
〈恒秋が人集め?〉黙っているしかない朝子に、咲枝が続ける。
「とにかく恒秋さん、変わった才能ありますよ。詳しく聞いてみると面白いと思うんですけど」
 これも朝子には意味の見当もつかない、ちょっと前ならごく軽く払いのけたような言葉である。
「恥ずかしいけど、私いま恒秋に無視されてて、しばらく話してないの」
 自分の恥を自然に口に出したような朝子に、やや間を置いて咲枝が応えた。
「無視してるんじゃないと思います。言い合うのが嫌だというか、もっと言えば恐いというか、恒秋さん、お母さんを尊敬してますし」
 唖然としたような、そして、やはり自分とは異質な人々の言葉だと感じた。するとこんなふうに表現されている恒秋の世界を同じ土俵に上がってただ聞き取ってみようかと、そんなことを朝子は思いついた。〈目分がいろんなふうに変わり目なんだ、回りを観なおしてみよう〉という声が内部に開こえるような気がしていたからだろう。咲枝と別れ、家へと向かう目に、川面も葉桜も自分も、今までとはどこか違って見えるようだった。彼女はその時、〈今までの自分を保留してみた〉と後に表現した初めての心境の中へと、開き直るようにして飛び込んで行ったようだ。

「あそこの門を入って左手に大きな黒っばいクロガネモチという木があるんだけど、あれの移植が始まりかなぁ」
「聞かせてくれない」と頼んだ朝子のその目を一瞬見つめ、すぐに視線を逸らせると、戸惑っているのか満足なのかよく分からないようにほほ笑んでいたが、やがてとにかく恒秋は話し始めた。
 団地にあったこの木は、幸田にとって何か亡くなった妻の思い出があるものらしい。しかし、移植の話が起こったとき、幸田は既に癌の治療で病床にあった。根回し、運搬はとても恒秋一人ではできないからアルバイトを雇えと病床の幸田が助言したそうだ。金は彼が出すとの提案もあって、友人たちに恒秋が頼み、そのうちの幾人かが以降もボランティアとして残ったという。恒秋が高校二年、幸田が七十代半ばの数か月を費やした出来事である。もっとも、多くの協力者が必要な大行事の時などには、今でもアルバイトを雇うことはあるのだそうだ。
「施設の方でお金がでるのね?」、何気なくたずねた朝子の言葉に、恒秋が戸惑いの表情を見せている。口を出したい思いを一瞬で制して、朝子は南窓越しに外を見る。一羽の山鳩が枝垂桜の頂上から、驚いたような素振りでこちらを眺めていた。
「違うよ、行事の経費はそんなに多くない。僕が出してるお金だよ。──実は、幸田さんが、かなりのお金せ僕にくれたんだ」
 驚くような金額であった。この遺産分与を、生前にも彼に告知し、執行者まで定めた遺言にも明記してあったという。朝子は二人のただならぬ繋がりを、過去の断片的知識も寄せ集め、推し量った。そして今は、驚いたという以上に、この繋がりを理解してみたいと素直に願った。


(その3で終わり)
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