スポーツマスコミでハリル叩きが盛んだ。ニュージーランド戦(2対1で勝利)、ハイチ戦(3対3の同点)の2ゲームが全く駄目だったというその批判なのである。主として、以下二つの批判があって、「守備が悪すぎた」は以下のように一理あると僕も思うが、「繋ぎ攻撃が全く駄目」は古いサッカー理論に基づくものという他はないと力説したい。古いというのは、こういうことである。世界の相対的弱者が行う代表戦最新の闘い方に無知な論議であると。
今の代表戦は、同点も多く、勝っても1点を争うゲームがほとんどだ。世界で20位程の差があってさえ、そうなっている。地域予選でも、WC一次リーグでも、世界20位以内の強豪敗退という場面もどんどん増えている。それだけ点が取れない、攻撃が難しくなったというそんな時に、全く新しい得点法が現れた。繋いで点を取るのではなく、敵ゴールに近い良い位置でボールを奪って得点に結びつける方法だ。現代のその源流が、2010年過ぎに世界で目立ってきたドイツ・ドルトムントのゲーゲンプレスである。これは相対的弱者の得点法と言って良く、その要点はこうである。
①相手ボールに替わった瞬間が、最も得点しやすい時である。その理由は、相手が前掛かりになっていて、ゲーム中で最も敵陣形が乱れている時だからということ。
②その時に、身方防御陣形をむしろ前に詰めてボールが奪えれば、その勢いのまま敵ゴールに殺到できる。「そういう時」を見極める意思一致、組織的走りこそ、ゲーゲンプレス理論の要なのである。「攻守の切り替えを速く」というのはそういう意味であって、そこに前に詰める守備というのが加わってくる。
さて、ハリルはまさにこの世界相対的弱者の戦法を取ってきた。それで言うと、例えばハイチ戦はどこを正せば勝てたのか。ボールは大いに苅れたが、良い位置で取れなかったというに尽きる。それはこの戦法をチーム1体現している原口元気がこう語っていることでもよく分かる。
『前と後ろの意思一致がいいかげんだった。後ろが引きすぎていた』
これでは、前でボールが取れず、今の代表では、50位以内のチームからはそうそう得点できない。
こうして、繋ぎのオートマチズムを錬成して得点する道は、今の日本には分不相応。本田圭佑のその主張がブラジルで無残に破れたことによって、既に証明されていることである。
そして,あと一言。あんなに弱く見えるハイチが、オーストラリアや韓国より上の、何故48位なのか。シューターが良かった。そのシューター、2得点したナゾンが日本をこう評していたとは、大いに強調して良い評だと思う。
『ゲーム中の日本には「やられてしまうのではないか」と、常に脅威を感じていた。我が地域の強豪コスタリカと闘っても、高い確率で日本が勝つと観た』
コスタリカとは、ブラジルでベスト8に入った現在21位のチーム。ハイチはこの予選で、これと互角に戦っている。そんなナゾンが「脅威に感じた」と言う日本の特徴がボール奪取能力にあることは間違いない。この力はただ、より敵ゴール近くで発揮されてこそ本当の脅威になるのだが、原口が言うようにその点が不十分だったということだ。この予選で代表への評価がかなり分かれたオーストラリア第2戦は、これが上手く行ったから勝ったのである。なお、このナゾンはイングランド在籍だから、世界の(弱者の)闘い方にもよく通じていることも付け加えておく。
以上全てをあげて、「繋ぐ攻撃が弱い」と言ってハリルを批判する評論家は今の世界を知らぬ「ただの無い物ねだり」という意味で水準が低いと思う。1997年ごろ「中田ヒデのパスは速すぎて自分勝手、不親切なパスだ」と語っていたほとんどの評論家たちを思い出すのである。あの時のヒデのパススピードがなければ、ワールドカップ初出場は果たせなかったというのは今では自明な話だ。
今の代表戦は、同点も多く、勝っても1点を争うゲームがほとんどだ。世界で20位程の差があってさえ、そうなっている。地域予選でも、WC一次リーグでも、世界20位以内の強豪敗退という場面もどんどん増えている。それだけ点が取れない、攻撃が難しくなったというそんな時に、全く新しい得点法が現れた。繋いで点を取るのではなく、敵ゴールに近い良い位置でボールを奪って得点に結びつける方法だ。現代のその源流が、2010年過ぎに世界で目立ってきたドイツ・ドルトムントのゲーゲンプレスである。これは相対的弱者の得点法と言って良く、その要点はこうである。
①相手ボールに替わった瞬間が、最も得点しやすい時である。その理由は、相手が前掛かりになっていて、ゲーム中で最も敵陣形が乱れている時だからということ。
②その時に、身方防御陣形をむしろ前に詰めてボールが奪えれば、その勢いのまま敵ゴールに殺到できる。「そういう時」を見極める意思一致、組織的走りこそ、ゲーゲンプレス理論の要なのである。「攻守の切り替えを速く」というのはそういう意味であって、そこに前に詰める守備というのが加わってくる。
さて、ハリルはまさにこの世界相対的弱者の戦法を取ってきた。それで言うと、例えばハイチ戦はどこを正せば勝てたのか。ボールは大いに苅れたが、良い位置で取れなかったというに尽きる。それはこの戦法をチーム1体現している原口元気がこう語っていることでもよく分かる。
『前と後ろの意思一致がいいかげんだった。後ろが引きすぎていた』
これでは、前でボールが取れず、今の代表では、50位以内のチームからはそうそう得点できない。
こうして、繋ぎのオートマチズムを錬成して得点する道は、今の日本には分不相応。本田圭佑のその主張がブラジルで無残に破れたことによって、既に証明されていることである。
そして,あと一言。あんなに弱く見えるハイチが、オーストラリアや韓国より上の、何故48位なのか。シューターが良かった。そのシューター、2得点したナゾンが日本をこう評していたとは、大いに強調して良い評だと思う。
『ゲーム中の日本には「やられてしまうのではないか」と、常に脅威を感じていた。我が地域の強豪コスタリカと闘っても、高い確率で日本が勝つと観た』
コスタリカとは、ブラジルでベスト8に入った現在21位のチーム。ハイチはこの予選で、これと互角に戦っている。そんなナゾンが「脅威に感じた」と言う日本の特徴がボール奪取能力にあることは間違いない。この力はただ、より敵ゴール近くで発揮されてこそ本当の脅威になるのだが、原口が言うようにその点が不十分だったということだ。この予選で代表への評価がかなり分かれたオーストラリア第2戦は、これが上手く行ったから勝ったのである。なお、このナゾンはイングランド在籍だから、世界の(弱者の)闘い方にもよく通じていることも付け加えておく。
以上全てをあげて、「繋ぐ攻撃が弱い」と言ってハリルを批判する評論家は今の世界を知らぬ「ただの無い物ねだり」という意味で水準が低いと思う。1997年ごろ「中田ヒデのパスは速すぎて自分勝手、不親切なパスだ」と語っていたほとんどの評論家たちを思い出すのである。あの時のヒデのパススピードがなければ、ワールドカップ初出場は果たせなかったというのは今では自明な話だ。