OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

やったらバカノリのスレイド

2011-10-21 15:26:49 | Rock

Gudbuy T'Jane / Slade (Polydor / ポリドール)

毎年、ちょうど今頃は学園祭のシーズンとあって、様々な文科系クラブや同好会は活気づくわけですが、すっかり中年者のサイケおやじにしても、一応はバンド活動をやっていた青春時代を思い出せば、なにやらホノボノとした気分になってしまいます。

それは堂々の大義名分を得て、学校体育館のステージで演奏出来るという事に加えて、当時は歌謡フォーク全盛でしたから、幾分冷ややか扱いを受けていたバンド組がそれゆえに自己主張の意地を見せるという部分が大きかったように思います。

つまり自己満足とウケ狙いの所謂「二股」を両立させる事に腐心するジレンマが、逆に楽しかったんですねぇ~♪

そして常に仲間内でモメるのが演目についての諸々で、あれが歌いたい、これを弾きたい等々の相談が、時には口論や人間関係の縺れになる事は言うまでもありません。

例えば本日ご紹介の「Gudbuy T'Jane」は、イギリスのハードロック系グリッターバンドとして1970年代前半に人気が高かったスレイドという4人組のヒット曲なんですが、あまりの分かり易さゆえにダサいという側面は否定出来ず……。

しかし現実的に自分達はゼップやジェフ・ペックの曲をやれるか?

そう問われれば、否としか答えようがありません。

なによりも聞いてくれる人達にウケなかったら……。

そんなマイナスのベクトルを考慮すれば、ここはひとつ、皆が知っているヒットメロディとシンプルでノリの良い曲をやるのが、自分達の「立つ瀬」じゃないのかなぁ、という結論に至ったのですが、そこまで大人の考え方が高校生に納得出来るはずもなく、少なくともサイケおやじは不満たらたらでしたねぇ。

ところが、これがやってみると、なかなか気持が良いぃ~んです♪♪~♪

まさに我を忘れるが如きロックの基本的なノリが満点に仕込まれていて、恥ずかしながら、嬉々としてギターを弾きまくってしまったんですよっ!

う~ん、ウケるにはウケるなりの理由がきっちりあるって事です。

で、肝心のスレイドは別名義のバンドとして1960年代中頃からプロ活動をやっていたという履歴はあったのですが、日本の洋楽ファンに知られるようになったのは1972年頃だったと思います。

ただし、それは決してスレイドというバンドがブレイクしたという事では無く、既に皆様がご推察のとおり、リアルタイムでブームになっていたT.レックスやデヴィッド・ボウイ等々のグラムロックスタアの人気に便乗する形で紹介されていたのですから、実質的に彼等のポートレイトが表に出てしまった時、本音で違和感があったことは隠せません。

率直に言えば、グラムロックにしては些か加齢臭が強いムードのスレイドが、それでも本国イギリスではヒットチャートの常連であり、ライプでの評判も上々という真相に触れた後、結果的に日本ではそれほどの人気が得られなかったのは不思議なほどなんですが、やっぱりジャケ写からも明瞭なルックス的問題でしょうか?

この当時のメンバーはノディ・ホルダー(vo,g)、デイヴ・ヒル(g,b)、ジミー・リー(b,key)、ドン・パウエル(ds) という顔ぶれですが、特に技術的にあれこれ言うよりも、いろんな面で纏まりの良さを感じさせるのは職人技というやつかもしれません。

つまり苦労が染み込んだロックサウンドは、英国ならではの「労働階級の音」かもしれませんし、そういえば歌詞の英語は曲タイトルも含めて、文法的に???という部分があったりするのですから、意図的にバカを演じていたとしたら、大したもんだと思います。

それはライプ盤になると、さらに熱い歌と演奏の騒乱ロックが楽しめることにも顕著ですし、シングル盤向けに作られたであろう楽曲のダサいばかりのウケ狙いも、こうなると流石の一言!

何か、スレイドをやるのに理屈を探してしまうのが、虚しくなるほどなんですよねぇ~~♪

ということで、最後になりましたが、スレイドはグラムロックというよりも、基本的に生粋のハードロックバンド!

やっていて、それを感じましたっ!

ですから売れなくなってもスレイドを続けていたメンバーの気持も分かるような気がしますし、「わかっちゃいるけどやめられない」ものが、このバンドの演目全てにあると思っています。

聴いていて楽しいのは無論ですが、バンドやるのなら、騙されたと思ってスレイドを演じてみて下さいませ。

ノリますよっ!

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由美かおるの愛おしさ

2011-10-20 15:41:55 | 歌謡曲

レッツゴー! 高校レモン娘 / 由美かおる (クラウン)

昨夜はすっかりケチのついた仕事の憂さ晴らしということで、久々に若い者と連れだっての夜遊びモードに浸り込みましたが、やっぱり歓楽街も不景気風が強いですねぇ……。

まあ、そのあたりはサイケおやじが体質的に酒に酔えないので、尚更客観的に感じてしまう事かもしれませんが、店の従業員からして、何かそういうものを背負っている雰囲気はいけませんよ。

例えばグラビアアイドルが出ている店なんてのに連れて行かれましたが、自分的には全然知らない女の子ばっかりで、もちろん原幹恵のような超Aクラスは、そんなところでは働かないにしても、せめて彼女達にはホステス業としての自覚を持った仕事をやって欲しいもので、具体的には接客はもちろんの事、歌やダンスとかの芸ぐらいは見せられるレベルじゃないと、仮にも芸能人を気取る資格は無いでしょう。

もちろん中には積極的に仕事熱心な女の子もいましたけど、なんだかなぁ……。

そこで思い出してしまうのが、元祖グラビアアイドル的な活躍をした由美かおる♪♪~♪

なにしろ、その存在感は中年のおばちゃん年齢になっても入浴シーンを披露出来るナイスバディとキュートな容姿、そしてプロ根性のイヤミの無さに集約されているんじゃないでしょうか。

今更説明不要とは思いますが、由美かおるは小学生時代から西野バレエ団に入って鍛えられたにしても、中学3年生でテレビ深夜番組「11PM」のレギュラーカパーガールに抜擢されたほどですから、各方面で忽ちスタアになるのも当然でした。

確か昭和41(1966)年のゴールデンアロー新人賞も獲得しているはずです。

そして以降はレコードデビュー、本格的なテレビレギュラーの「レ・ガールズ(日本テレビ)」では西野バレエ団4人娘のひとりとして、圧倒的な人気を集め、雑誌のグラビアでも洗練された美しいボディラインを大サービスしていた事は言うまでもありません。

ただし当時は決してオールヌードになっていたわけではなく、ミニスカでの眩しいパンツ見せ、キワドイ水着やレオタード姿のエロキューション、そして女としての本能的な色っぽさを爽やかに演じきっていた才能は、天性の資質というところかもしれません。

ですから、その中で時折披露する「キュートなおとぼけ」こそが由美かおるの真骨頂じゃないか!? とサイケおやじは思うばかりなんですねぇ♪♪~♪

さて、そこで本日のご紹介の「レッツゴー! 高校レモン娘」は、昭和42(1967)年10月に発売されたシングル盤A面曲で、同時期に公開された同名松竹映画の主題歌なんですが、当然ながら映画のフィルムバージョンとは異なるテイクということで、なかなか完成度の高いエレキ歌謡になっています。

それは勢いの強いドラムソロから調子良すぎるジャズロック調のホーンアンサンブル、そして「お約束」の早弾きエレキによる高速フレーズが最高のイントロを作り出していますから、もう、この部分だけで大満足させられてしまうんですが、由美かおるのボーカルは流石に若さ溢れるハッスル唱法が大全開ですよっ!

しかも男性コーラスを従えての曲展開の中には、伸びやかな歌いっぷりの良さとホンノリとしたお色気が絶妙のバランスで配され、これは奇跡の昭和歌謡♪♪~♪

後年の、白々しいとまで形容された演技の白痴美的魅力が既に楽しめてしまうところに、由美かおるの天才性があるように思います。

ちなみに映画本篇は由美かおる、原田糸子奈美悦子の西野バレエ団人気トリオが共演した華やかなミュージカルコメディで、当然ながら女子高生を演じた3人はそれぞれの個性を存分に楽しませてくれますよ♪♪~♪

また当然ながら、フィルムバージョンの主題歌も、これまた最高にノリノリですから要注意!

そして気になる由美かおるの相手役は学校教師を演じた入川保則、それと確かワイルドワンズも登場していたと記憶していますが、クライマックスの学園祭ミュージカルも素敵ですし、今の時代、早急なるソフトパッケージ化が望まれますねぇ。

ということで、掲載ジャケ写は些かコスプレみたいですが、それだけ現在の由美かおるが若さを維持しているという逆説的な証明かもしれません。

そこで冒頭に書いた嘆き節なんですが……。

結局、今のグラドルが自分達の持って生まれた資質や才能を活かせないのは、失礼ながら本人達の努力の足りなさと同じく、業界の成り行き任せの態度にもあるんじゃないでしょうか。

若い頃はそれなりに雑誌グラビアに登場し、イメージDVDを出せても、売れない時は直ぐに消息不明の引退同然となり、それでも潔くAVに転身出来れば良いのかもしれませんが、中途半端に水商売に入っても、それはそれで後の祭りだと思うんですよねぇ。

少なくとも「昭和」の時代に活躍していた女性アイドルや女優、あるいは歌手はしっかりとした訓練を受けてからデビューしていたわけですし、素人っぽさの魅力に頼って人気を掴めるのは一時の夢という事は、テレビ局が主導して作り出した集団アイドルグループの今昔を見れば納得されると思います。

芸の道は本当に厳しい世界ですが、それでファンを掴めれば、それは一生継続出来る絆となって、世の中を明るくすると確信しております。

そして、こんな煮詰まった世の中にこそ、キュートな由美かおるが愛おしい♪♪~♪

個人的には溌剌とした十代の頃はもちろん、所謂「イイおんな」になってからの彼女のヌード、あるいは秘めやかなお色気が滲む佇まいに心のときめきが抑えられず、特に東宝映画「エスパイ(昭和49年・福田純監督)」における伝説の「プルン」、つまり野卑な黒人に下着を切り裂かれ、プルンと飛び出した美乳の素晴らしさが永遠に忘れられないのでした。

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この裏切りは許せます

2011-10-19 15:48:13 | 歌謡曲

裏切り / 夏木マリ (キング)

何んとなく予感はありましたが、やっぱり裏切られるのはツライもの……。

本日も仕事関係で長年の付き合いがオシャカになるような、 それこそ脱力の結末で、一緒にやってくれた若い者からは溜息まじりの愚痴もこぼれる出来事がありました。

ただし激怒よりも、失望落胆の気分が強いのは、まあ、救いというところでしょうかねぇ。

そりゃ~、ナメられたもんだなぁ……、とは思いますよ、当然正直な気持。

そこで急に聴きたくなったのが、タイトルもズパっとストレートな本日ご紹介のシングル曲!

歌っている夏木マリは現在でも個性派の女優として、また不思議な存在感の歌手としても活動しておりますが、サイケおやじと同世代の皆様にとっては、今でもフェロモン歌謡の女王としての彼女が一番印象深いはずと思います。

なにしろ昭和48(1973)年に出した「絹の靴下」は、夏木マリを新進女性歌手としてよりも、セクシー&グラマーな美女という評価に決定づけるほどの大ヒットになり、それはもちろん例の「フィンガーアクション」が文字通りのキメ手でありました♪♪~♪

今日、所謂「フェロモン歌謡」、あるいは「アクショングラマー歌謡」というジャンルが認定されているのも、夏木マリが肉感的な肢体をクネクネさせて歌い狂い、男を寄せ込むが如き振付アクションを披露していたからでしょう。

実際、当時の彼女は特に露出度の高い衣装を着用していたわけでは無く、しかしそれが逆に作用した、ある種の確信犯的にセクシーな演出表現は、それが堂々とテレビの歌謡番組で放送されるには何らの問題も無く、しかしお茶の間は気まずい雰囲気に満たされたのですから、たまりません。

あぁ、如何にも男好きのする面立ち♪♪~♪

巨乳にクビレ、ヒップから太腿のラインの美しさ♪♪~♪

思い出してもゾクゾクしてきますねぇ~~~♪

もちろん夏木マリという「歌手」の実力も相当なもので、それは高校在学時から既にザ・プリティーズというグループのメンバーとして舞台やテレビに出演し、同時にクラシックの勉強もしていたという履歴があったのですから、芸能界の即戦力として本名の中島淳子名義でデビュー曲「小さな恋」を発売したのが、昭和46(1971)年だったようです。

それが結局は成果を残せず、夏木マリとして再デビューとなったのは、時代の要請と彼女の資質がジャストミートしていたと言っては失礼かもしれませんが、リアルタイムの彼女の存在感は圧倒的で、なにか登場するだけで、その場が妖艶なムードに包まれたのですから、素敵です♪♪~♪

そして歌謡ヒットを飛ばしながら、水着姿やセクシーな振る舞いが雑誌グラビアやテレビのバラエティ番組を彩り続けたのは言わずもがな、舞台や映画でも本格的な芝居と演技を披露するという芸風の広がりは、全て本人が見せる、そして見られる事への自覚の強さだったように思います。

さて、その意味で昭和51(1976)年新春を飾るヒットになった「裏切り」は、夏木マリならではの「悩殺ためいき唱法」が全開の名曲名演で、ヘヴィなニューソウルのビートを活かした歌謡ポップスという曲調もさることながら、思わせぶりな歌詞をポルノチックに歌い回す至芸が堪能出来ますよ♪♪~♪

なによりも凄いのは、それが決して生臭く無いところでしょう!

ということで、聴けばイチコロのお色気歌謡は夏木マリが十八番の名人芸であり、残された素晴らしい音源はどっさりあるんですが、やはり映像があれば尚更に感動するという部分も否定出来ません。

しかし、それが未だに不可能という現実では、この「裏切り」が最も彼女の特質を聴覚的に楽しめる1曲だと思います。

最後になりましたが、冒頭に述べた「溜息」にしても、夏木マリの「ためいき」ならば、何時如何なる時でも、大歓迎というのが本音なのでした。

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ニューロックは音で差をつける

2011-10-18 15:38:21 | cream

Sunshine Of Your Love / Cream (Reaction / 日本グラモフォン)

エリック・クラプトンは説明不要の偉大なロックギタリストで、その早弾きから繰り出されるフレーズ構成はもちろんの事、サイケおやじを殊更に驚愕させたのが、ギターの音色そのものでした。

例えば本日ご紹介の「Sunshine Of Your Love」はクリームの代表的なヒット曲として、今やロックの聖典のひとつになっているとおり、リアルタイムでの衝撃度は実に強烈で、ヘヴィなロックビートを基本に作られた下降ラインのリフや所謂ブルース衝動の白人ロックへの融合応用の凄さは、後付けになるほどの理不尽さがあったと思います。

しかし一番に画期的だったのは、エリック・クラプトンが聞かせていた「エレクトリックギターの音」だったんじゃないでしょうか。

実際、サイケおやじが「Sunshine Of Your Love」を最初に聴いたのは昭和43(1968)年でしたが、それは中学生だった自分にとっては、まさに未知の領域で、なにしろ同時期の我国で活動していたGSのギタリストからは遥かに異なるサウンドだったのです。

ご存じのように、日本人にとってのエレギギターは文化を塗り替えられたといって過言ではない「黒船」でしたが、クリームのエリック・クラプトンはベンチャーズや寺内タケシ等々がそれまで聞かせてくれたエレキとは違う、ある種の「歪み」や「濁り」を強調した音を出していて、それは既に知られていた「ファズ」で作られるジージージジリジリの響きでもなかったんですねぇ。

しかもラジオ放送からでも感じられる、強制的な音圧感!

クリームがエリック・クラプトン(vo,g)、ジャック・ブルース(vo,b)、ジンジャー・ベイカー(ds) という3人だけのグループであった事を鑑みるほどに、それは当時としては驚異的な事でした。

そして洋楽雑誌に掲載されているクリームのライプステージの写真には、大きなアンプが連なって並べられ、エリック・クラプトンはサイケデリックにペイントしたエレキギターを持っているのですから、これは機材からして日本のバンドとは絶対に違うんだなぁ~~~、と痛感させられた次第です。

まあ、今となってはそれがマーシャルのアンプであり、ギターはSGスタンダードを使うことによって作り出されたディストーションサウンド! と簡単に言われてしまうわけですが、リアルタイムでは本当にミステリアスだったんですよっ!

ちなみに、これは定番化している裏ワザなんですが、エリック・クラプトンが十八番のワウワウを使う時、そのペダルを思いっきり踏み込んだ状態で得られるバーストした歪みも、ヘヴィなロックには欠かせない「音」であり、これはサイケおやじも好んで使わせてもらう必殺の一撃になっています。

あぁ、そう言えばワウワウにしても、当時はそんな機器の実態なんてサイケおやじには知る由も無く、どうやってあんな音やフレーズを弾いているのか!? それも謎に包まれていましたですねぇ~。

このあたりはジミヘンに対しても同じ受け止め方だったんですが、本当に不思議だらけだったのが、ニューロックの真相というわけです。

さらにクリームは、そしてエリック・クラプトンは、あの「Crossroads」の大名演で驚異的に美しいエレクトリックギターの「歪み」を披露し、世界中のファンをKOしたのですから、後は信じてついていくだけでした。

ということで、ボーカリストに声質の魅力があるのと同じく、楽器奏者にも音色の魅力を訴える資格と義務があればこそ、音楽は素晴らしいのです。

そして特にロックの場合は、電気増幅された世界観が圧倒的に有利な地位にありますからねぇ~♪

その意味で、実はサイケおやじがゲットした掲載シングル盤はモノラル仕様だったんですが、後に聴く事が出来たアルバム収録のステレオミックスでは、さらにクッキリとしたエレクトリックギターやドカドカ煩いドラムス、そしてハードエッジにドライブするエレキベースの存在が実に屹立していて、これまた驚異の世界でした。

少年期に限らず、驚く事もまた、素晴らしさのひとつだと思っています。

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月曜日の歌

2011-10-17 15:31:54 | Pops

Mr. Monday / The Original Caste (Bell / CBSソニー)

所謂「はずみ」で思い出す曲ってのは必ずやありますが、最近のサイケおやじの月曜日にはジャストミートなのが、タイトルどおりに本日ご紹介の懐メロ洋楽♪♪~♪

それはご存じのとおり昭和45(1970)年、我国の洋楽ラジオ番組を中心に流行りまくった、ちょいとソウルフルで覚え易いという、当時の典型的なMOR=中道路線のポップスなんですが、実はそれゆえにというか、日本独自のヒットだったようです。

演じているオリジナル・キャストは、まず一座のスタアがリードボーカリストのディクシー・リー・イネスというお姉ちゃんで、他に彼女の兄というブルース・イネス、そしてブリス・マッキー、ジョー・キャヴェンダー、グラハム・ブルースを加えた5人組がハーモニー&コーラスで聞かせていくスタイルのグループでした。

まあ、このあたりの編成は欧米の芸能界では定番であって、歴史的にもブラターズとかシーカーズ等々、有名グループが数多存在しているわけですが、そこから飛び抜ける為には、やはり優れた楽曲が必要という事で、つまりは有能なプロデューサーやソングライターの存在が必須となります。

また、それとは逆というか、有能なプロデューサーやソングライターが志向して作り出した楽曲を実態化するための手段として、そういうグループを必要としていた現実もありますから、これは鶏と卵かもしれません。

で、オリジナル・キャストの場合はデニス・ランバート&ブライアン・ポターという、1970年代のポップス界をリードした名コンビが黒幕(?)として、1969年に「天使の兵隊 / One Tin Soldier」という名曲をオリジナル・キャストに歌わせ、翌年には首尾良く大ヒットさせています。

ただし今日の歴史では、オリジナル・キャストはそれだけの所謂「一発屋」であり、一応は同曲をメインに据えたデビューアルバムも作られたましたが、売れたとは言い難いでしょう。

ところが内容は当然ながらデニス・ランバート&ブライアン・ポターが書いた名曲がテンコ盛りという事で、この「Mr. Monday」もその中のひとつであり、せっかく我国でも注目されたオリジナル・キャストの第二弾シングルとしてカットされるのもムペなるかな!

実際、キャッチーなメロディと覚え易いキメのコーラスリフレインは、当時のラジオには欠かせない要素がいっぱいで、つまりラジオ放送という聴覚手段に頼る媒体においては、瞬時にリスナーの耳を奪う手立てとしての音楽が絶対に必要であり、また音楽制作者側は、そうしたラジオ放送の要請に応えることがすなわち、ヒットに繋がるという法則があったのです。

 お~、ミスタ~ー、マンデ~、ミ、オ~、マイ~♪

という最初のワンフレーズだけで、当時の日本人はイチコロにシビレたんですよねぇ♪♪~♪

まさに洋楽の魔術とも言うべき名曲なんですが、その歌詞の内容が、これまた分かり易い英語というポイントも侮れないと思います。

 ミスター・マンデー
 あんたは、俺達の苦しみの涙を集めるだけなのか
 いったい理性や人情はあるのかい
 
そんなこんなを歌う、ある意味でのメッセージソングという体裁は、まさに1970年代初頭のムードをなかなか上手く表現しているんですが、実は既に述べたように、最近のサイケおやじは月曜日になると仕事場にやってくる特別なお偉いさんに、そんな感情を抱いてしまうんですよねぇ……。

なんとっ! 本日も朝っぱらから非情極まりない事を勝手にホザいて、サッと帰っていきましたから、ついつい「Mr. Monday」を口ずさんでしまったですよ。

あんなバカヤローには、勿体無い素敵な歌なんですけどねぇ~。

ということで、PCに仕込んでおいた音源とジャケットを楽しみながら、この文章を綴っているわけですが、すると心が和んでくるのは言うまでもありません。

これだから、音楽は大切にしたいと思うのでした。

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アン・マーグレットが好きっ!

2011-10-16 16:04:42 | Pops

Hey, Little Star / Ann Margret (RCA / 日本ビクター)

アン・マーグレットはハリウッドのスタア女優であると同時に、素晴らしい歌手としての存在感も絶大で、特に1960年代に作られたLPは広くボーカルファンのコレクターズアイテムであり、またシングルで発売された楽曲は特にチャートに入るようなヒットはありませんが、なかなか魅力的な歌がどっさりあります。

例えば本日ご紹介の「Hey, Little Star」は、1964年の甘~いドリーミーポップスの決定版♪♪~♪

とにかく曲メロの胸キュン感は、どっかで聞いた事のあるような親しみ易さと共に、我国でもオールディズ系ニューミュージックに数多盗用されていますが、実はアメリカンポップスとしても所謂黄金律として、このシングル曲発売以前から定番化しているものの応用だと思います。

それは曲を書いたのが、後に1970年代ポップスの人気グループとなるブレッド結成メンバーのデヴィッド・ゲイツという真相を知ってみれば、納得する他はありません。

まあ、このあたりはサイケおやじが稚拙な文章を綴るよりも、皆様に実際に聴いていただくのが一番なんですが、実はアレンジもデヴィッド・ゲイツが手掛けたという自己完結の完璧性がニクイばかり♪♪~♪

そして肝心のアン・マーグレットの歌唱がこれまた素晴らしく、率直に言えば「ブリッ子」風味も強いんですが、そこが「せつなさ」を醸し出す演技力というか、流石は歌える女優の本領発揮だと思います。

ちなみにアン・マーグレットが大きくブレイクしたのは1963年、エルビス・プレスリーの入隊騒動をパロッたコメディミュージカルの「バイ・バイ・バーディ」、またエルビス・プレスリーと共演した「ラスベガス万歳」等々、つまりハリウッドの典型的な娯楽作品だったと思いますが、前者での溌剌としたミーハー娘から後者の凛としたお色気美女という十八番の演技力は、並行してレコーディングされていた多くの歌の仕事にも活かされているのです。

そして決して忘れてはならないのが1975年、ザ・フー畢生の傑作ロックオペラ「トミー」の映画版で演じた三重苦トミーの母親役でしょう。

これはご存じのとおり、障害者の子供をなんとかするべく奔走するアン・マーグレットが、結局はトミーがピンボールのチャンピオンになって稼いだ大金により、自堕落な生活に埋没するという、ある意味では主役だったんですが、普通の台詞が無いに等しく、ほとんどが歌と演奏だけで構成された映画の中で見事に役柄に成りきった名演は最高でしたねぇ~~♪

これはザ・フー、あるいはロックファンだけでなく、全人類必見の作品だろうと思いますし、なによりもアン・マーグレットを観るだけでも絶大な価値がありますよっ!

確かゴールデングローヴやアカデミー等々の賞を獲得したのも、この「トミー」での演技だったと記憶していますが、アン・マーグレットはそれ以前にも芸能各賞ノミネートや受賞は常連でしたから、推して知るべしでしょう。

また1970年代後半~1980年代にはディスコ系の楽曲もヒットさせていますし、自然体のフェロモン放出は若い頃はもちろん、中年のおばちゃんになってもレオタードや極小短パン姿で披露するダンスは全くの違和感が無く、実に男好きするエロキューションを見せてくれるのは驚異的♪♪~♪ 現在でも第一線で活躍する、その存在感は薄れていません。

ですから、何故か歌や出演映画作品の系統的な復刻が纏められていないのは残念の極み……。

この「Hey, Little Star」にしても、良好なマスタリングでCD化されたものは無いようですし、人気盤が多いボーカルアルバムにしても、所謂「美女ジャケット」としての評価ばかりが優先されている現実は少し哀しいところです。

ということで、歌える女優のレコードも楽しみが尽きません。

なにしろジャズボーカル物よりも奥が深く、広い守備範囲が求められますからねぇ。

それゆえに虜になったら抜け出すのには相当の覚悟が必要であり、それは蒐集開始の決意よりも遥かに大きい事は言うまでもありません。

しかし、それだけの努力を積み重ねるに値する世界であることも、また事実!

毒喰らわば皿というか、一度は踏み込んでみるのも人生の勉強かと、ひとりで言い訳をしているのでした。

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ウィルソン・ピケットの狂熱

2011-10-15 15:29:33 | Soul

ダンス天国 / Wilson Pickett (Atlantic / 日本グラモフォン)

「ダンス天国 / Land Of 1000 Dances」と言えばR&Bの代表的な名曲として、誰もが一度は耳にしたことがあろうかと思います。

特にキメとも言える「ナァ~、ナナナ、ナァ~♪」というスキャットシャウトは、これしかないの必殺技として覚え易く、しかも熱い黒人ビートが曲そのものから発散される構成はニクイばかり!

しかも我国では昭和40年代後半の一時期、ビートルズ以上の人気があったといって過言ではないウォーカー・ブラザースが歌って大ヒットさせていますから、尚更に刷り込まれている皆様が大勢いらっしゃるはずです。

ところがご存じのとおり、この「ダンス天国」は決してウォーカー・ブラザースのオリジナルヒットでは無く、本家本元はアメリカのニューオリンズを中心に活動していたクリス・ケナーという黒人歌手が自作自演していたものですし、世界的大ヒットになったのは、これまたアメリカの黒人歌手としては超大物だったウィルソン・ピケットによるシングルバージョンでした。

ただし、それが当時の日本では流行ったのか? 

と問われれば、それは否でしょう。

なにしろ「ダンス天国」はウォーカー・ブラザースの人気演目になっていたのですからっ!

しかし一度でもウィルソン・ピケットの「ダンス天国」を聴いてしまえば、後は一気呵成に夢中になることは必定で、とにかくイントロの「ワン、ツー、スリ~~」というカウントシャウトだけで震えてしまいますよねぇ~~♪

実際、サイケおやじは当然ながらウォーカー・ブラザースのバージョンに出会い、その後は我国のGSやポップス系歌手が広く演目に入れていたおかけで「ダンス天国」には充分に免疫が出来ていたはずなんですが、それでも最初にウィルソン・ピケットの歌とシャウトを聴いた時には、筆舌に尽くし難い狂熱を感じました。

それはボーカルパートはもちろんの事、演奏そのもののハードでエグイ雰囲気が、当時としてはどんなハードロックよりも強烈に感じられた事も大きかったと思います。

特に中間部でドラムスの8ビートブレイクと共謀してシャウトしまくるウィルソン・ピケットの「ナァ~、ナナナ、ナァ~♪」は、まさに圧巻!

ちなみにウォーカー・ブラザースは、この部分をグループのコーラスハーモニーで表現していましたから、サイケおやじの耳には「ラァ~、ラララ、ラァ~♪」と聞こえていたんですが、やっぱり「ナァ~、ナナナ、ナァ~♪」が本物って感じです。

さらに咆哮するホーンセクションのアタックの強さ、あるいは妙にハズしたというか、今となってはシンコペイトしていると理解出来るギターリフ等々も独得の世界で、これはリアルタイムのロックはもちろんの事、モータウン系のノーザンピートでも無い、とにかく一味異なるノリが大きな魅力だったのです。

まあ、このあたりは同時期に作られ、日本でも大当たりしていたサム&デイヴアレサ・フランクリン、そしてオーティス・レディング等々の南部ソウル物にも感じられるわけですが、ここでのウィルソン・ピケットは馬力優先主義!

もちろんウィルソン・ピケットの他の音源を後追いで聴いてみれば、実は「ダンス天国」のようなアップテンポのヒット曲は意外に少ないことに気がつくのですが、それゆえに迫力はケタ違いということなんでしょうか。

こうして本当に熱くさせられたサイケおやじが追々に集めていったウィルソン・ピケットのレコードの中には、ちょいと???という部分も無いではありませんが、少なくともアトランティック期の1960年代中頃から1970年代初頭までに吹き込まれた歌はソウルの塊ですよねぇ~~!

そのダイナミックなドライヴ感と野生の情熱で演じられるウィルソン・ピケット節は、スローでもアップテンポでも、全く手抜きの無いガチンコ勝負! 本当に生真面目に歌っていると思うんですが、それゆえに所謂サザンソウルの流行が下火になると本人も低迷してしまったのはちょいと残念……。

それでも前述したアトランティック期の音源はソウルの至宝である事に些かの変化もありませんっ!

最後になりましたが、その時期のレコーディングは当然ながらアメリカ南部のスタジオを使って制作され、それがメンフィスのスタックススタジオやアラバマのフェイムスタジオであった事を後に知ってみれば、そこでバックを演じていたのが白人青年中心だった真相に驚かされたのも鮮烈な記憶です。

告白すれば中高生時代のサイケおやじは、黒人R&B系の歌のバックは全てが黒人ミュージャンだと思い込んでいました。

それは例えば前述のウォーカー・ブラザース、あるいは我国GSのスパイダースが演じる「ダンス天国」が、どうやってもウィルソン・ピケットのバージョンに歌はもちろん、失礼ながら演奏パートそのものが負けているという現実を体験していたからです。

う~ん、やっぱり黒人じゃないと、こういうノリは出せないんだなぁ~!?

と独り納得していたところ、実はホワイトボーイがっ!?

そういう真実に触れるきっかけだったのが、オールマンズのデュアン・オールマンだった事は言うまでもありませんが、そのお話は別の機会に譲ります。

ということで、こういうガッツ溢れる歌と演奏を聴いていると、ヤル気が出ますねぇ~~♪

本日からは、かなり厄介な仕事も待ち受けているんですが、「ダンス天国」な気分でぶつかります!

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追悼・柳ジョージ

2011-10-14 15:12:33 | 日本のロック

雨に泣いている / 柳ジョージ (Bourbon)

またひとり、愛すべきミュージシャンの訃報に接しました……。

柳ジョージ、その落ち着いた佇まいは目立ちたがり屋が多い世界にあって、むしろ逆に目立ってしまう感さえあったと思いますが、本人は全くの自然体であったのでしょう。

もちろん大ブレイクしたのは「雨に泣いている」がメガヒットした昭和54(1979)年以降の事ですが、確かそれ以前は萩原健一=ショーケンのバックをやっていたと記憶しています。

また件の「雨に泣いている」にしても、ショーケンのテレビドラマの主題歌(?)でしたし、ずぅ~~っと前には解散直前のゴールデン・カップスのメンバーだったという履歴もその頃に明らかにされたとおり、なかなかに長い下積みが柳ジョージという人物を語る時には必ず持ち出される逸話でしょう。

しかしサイケおやじの印象では、柳ジョージはかなりの自由人だったんじゃないかと感じています。

というのも、音楽をやっている人種はプロアマを問わず、どっかしらカッコをつけたがる性癖が強く、それゆえに他人の前ではイキがったり、時には虚勢を張らなければならない宿命を背負っているわけですが、柳ジョージにはそういうところが露骨ではありませんでした。

それは今でも覚えているのですが、ちょうど「雨に泣いている」が大ヒットしていた頃、サイケおやじは偶然にも新幹線で柳ジョージ&スタッフ一同の移動と乗り合わせた時、同じ場所の女の子は車内の売り子までもがサインを求める騒ぎがあっても、なにか恥ずかしがっているような本人の仕草や表情が忘れられません。

しかも驚いたのは、旅の車中の柳ジョージは読書に集中していたんですねぇ。

もちろん、あの髭のある仙人のような風貌ですから、それはシブイ!

ところがさらに偶然は続き、サイケおやじの出張先の夜の街で、またまた柳ジョージの酒席を目撃すると、なにやらとても羨ましくなるほど「和やかな酒」で、それも極めて自然体!?

つまり柳ジョージというミュージシャンはスタアでありながら、スタア性を意識させない分だけ、尚更にスタアであったという逆説的な証明が成り立つ人だったように思います。

それはきっと自由人であるが故に、スタアを演じることが苦手だったんじゃないでしょうか?

もちろんサイケおやじは、きちんとした面識も無いわけですから、本人の葛藤とか悩みとか音楽的な面も含めての人間性は知る由もありません。

しかし少なくとも外側から見ていると、そういう感じしかしなくて、サイケおやじが柳ジョージの歌にシビれる要因の大きな部分を占めています。

ちなみに故人が演じていたのは黒人R&Bに根ざした歌謡ロックであり、またギターやサウンド作りにしても、レイドバック期のエリック・クラプトンからの影響がモロに強い「1970年代型」の典型だったと思いますが、決して凡百のニューミュージックでは無く、売れる為の努力はしているけれども、安易な妥協はしたくないという矜持があったはずです。

それは「雨に泣いている」のオリジナルバージョンが本来は英語詞であり、またブレイク以前の音源を聴くと、失礼ながら日本語の歌がしっくりキマっていない雰囲気が濃厚というあたりに、それをどうやって克服していったのか?

なにか、そんな下衆の勘繰りを捨てきれないサイケおやじではありますが、今は衷心より冥福を祈るばかり……。

ちなみに掲載ジャケットに写る柳ジョージはグラスを片手にのショットですが、前述した夜の酒場での本人もまた、そんな雰囲気で飲んでいましたですねぇ。

合掌。

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悔しいほどに素敵な沢知美

2011-10-13 15:35:16 | 歌謡曲

モーニング・ブルース / 沢知美 (日本コロムビア)

昨日ご紹介した「恋泥棒 / 奈美悦子」と同じ時に入手した1枚なんですが、こちらは価格も捨値ということで、当然ながら不完全なブツ……。

それはジャケットの傷みは掲載画像どおりで、特に一番痛いのは本来が見開き縦位置の下の部分が完全に欠落している事でした。

というのも、既に皆様がご推察のとおり、白いワイシャツを素肌(?)に着る、その下半身はなぁ~~んにも無し! という男を真に熱くさせるファンション&ポーズがキメになっているんですからねぇ~~~♪

所謂「エロジャケット」のひとつとして、今日まで各方面で紹介され続けてきたコレクターズアイテムなんですよっ!

もう、そのジャケットだけで物欲とスケベ心が刺激されるのは、レコードの中身を歌っている沢知美の本職がモデルであり、しかも深夜テレビ番組の例えば「11PM」や男性週刊誌のグラビアでセクシーな存在感をたっぷり知らしめていた美女という真実に準拠しています。

しかし同時に歌手としての実力も決して侮れません。

最初にレコードデビューしたのは昭和42(1967)年頃だったそうですが、大きなヒットも出せないうちにアルバム「人の気も知らないで」が作られていた事で、それは証明されていますし、かなり以前にCD復刻された時、サイケおやじは友人から聞かせてもらった瞬間、決してモロではないエロスを内包した歌唱表現にシビれきったほどです。

そして今となっては、この曲を含むボートラ付きのそれを入手しなかった自分に対し悔いが残るばかり……。

ですから、こぉ~なったらアナログ盤で「沢知美」を蒐集と決意を固めている次第ですが、これがなかなか困難を極めている事は言うまでもありません。

実はこのシングル盤にしても、ジャケットの破損の他に、B面には釘ででも引っ掻いたかのような大きな傷がいっぱいあって、とても針を落せる状態ではありません。

あぁ、悔しいなぁ~~~~!

しかし、ここはA面「モーニング・ブルース」を堪能して、愚かな自分を慰めるしかないでしょうねぇ。

というよりも、まずはこれをゲット出来た現在の幸せに感謝するのが本当でしょう。

そして肝心の楽曲は昭和45(1970)年に発売された、作詞:石本美由紀&作曲:米沢武士の手によるジャジーでお洒落な歌謡ブルースで、郷徹也のアレンジも堅実なサウンドプロデュースに沢知美の歌いっぷりは雰囲気満点♪♪~♪

まさに歌謡曲とジャズブルースの幸せな結婚としか言えません♪♪~♪

こういう味わいは、ちょいと今の女性歌手には求めきれないものだと思います。

残念ながら彼女はヒット曲と認定されるようなレコードは残していませんが、それでもサイケおやじが調べた限りではシングル盤が17枚にLPが2枚、そしてカセットテープやカーステレオ用の8トラックカートリッジ等々における企画物が相当に作られていたと言われていますから、こうした音源を纏めた復刻を決死的に熱望しております。

また映画出演もちょい役ではありますが、これまた多いようで、例えば昭和43(1968)年の「100発100中・黄金の眼(東宝・福田純監督)」あたりは復刻も……!?!

ということで、今となっては地味だったかもしれませんが、沢知美のような美しい才能が活動していたからこそ、「昭和」は面白かったと再認識! 

決してヘアヌードとか、モロ出しの世界に入らなくとも、ナチュラルに成熟した女性の魅力はこれほど素敵! それを青少年に目覚めさせてくれただけでも、忘れられないひとりじゃないでしょうか。

サイケおやじは彼女が大好きです。

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奈美悦子の恋の歌

2011-10-12 15:18:54 | 歌謡曲

■恋泥棒 c/w 恋のめざめ / 奈美悦子 (日本ビクター)

ここ一番で欲しいツモを引き寄せる念力は、マージャンをやった事のある皆様ならば、どなたでも経験があろうかと思いますが、似たような現実はオークションの世界でも確かにありますっ!

例えば本日ご紹介のシングル盤は奈美悦子が昭和44(1969)年に出した、全くヒットしていないがゆえに中古も探索が困難な1枚だったんですが、これを追い求めて幾年月……。

常日頃から「欲しいっ!」と念じ続けていたサイケおやじは、ついに先日、ありがたくも入手が叶いました♪♪~♪

まずA面の「恋泥棒」は作詞が阿久悠、作編曲は三木たかし!

ですから当然、奥村チヨが放った大ヒットとは同名異曲なんですが、こちらも所謂「フェロモン歌謡」というジャンルに入れて、それほどの違和感は無いでしょう。

ただし、そのフェロモンの種類が違うというか、こちらは「ぶりっ子系」なんですねぇ。

つまり男の前で無知なフリして甘える仕草を歌で表現してしまうという、これは確信犯的な魅力を全開させた奈美悦子の真骨頂!?

説明不要かと思いますが、当時の彼女は前年夏まで人気を集めた音楽系バラエティ番組「レ・ガールズ(日本テレビ)」で西野バレエ団4人娘のひとりとして出演♪♪~♪ 忽ちスタアの地位を不動にし、同時期にはレコードデビューも果たしていた元祖アイドルだったんですが……。

このシングル盤を発売した頃からは少しずつ大人の雰囲気へとイメチェンを図っていたようで、それは実際、18歳だった当時に出演した映画やテレビドラマ等々でも感じられるところです。

しかし、この「恋泥棒」は如何にも中途半端というか、ドンツカの8ビートがキメのドラムスとエレキギターの哀愁フレーズ、さらには幾分湿っぽいストリングの胸がときめくイントロから昭和歌謡曲王道のメロデイを歌う奈美悦子のボーカルは、なかなかツボを押さえていると思います。

ところが間奏で入る彼女の台詞が、なんとも子供っぽいというよりも、もしかしたらロリ趣味を狙ったのかもしれませんが、結果的に「ぶりっ子」丸出しという仕上がりで???

リアルタイムでの個人的な奈美悦子のイメージとしては、今風な表現ではジュニアアイドルであり、と同時に「大人っぽいお姉様」としてのムードも濃厚なスタアでしたから、どちらに表現されても満足するはずだったんですが、どっちつかずに作られた「恋泥棒」には何か違和感が……。

それが十数年を経た1980年代、所謂廃盤アワーのブームの中で再び邂逅してみれば、これがなかなか愛おしい♪♪~♪

なによりもGS歌謡どっぷりのプロデュースで甘えきった奈美悦子のボーカル表現は、まさに唯一無二の昭和元禄状態ですよっ!

ちなみにその昭和44(1969)年の彼女と言えば、やはり西野バレエ団のスタアが勢揃いしたお色気アクションの人気テレビドラマ「フラワーアクション009ノ1」で、持ち前のケバイ美貌と派手好みの肢体を存分に見せてくれたのですから、そうした記憶が鮮烈に残っていればこそ、当時は中途半端と思えた「恋泥棒」が尚更に魅力的だったというのは、些か自分に言い聞かせる言い訳でしょうか……。

しかし既に述べたように、このシングル盤はほとんど売れていなかったので中古市場でも状態の良いブツはなかなか出回らず、思いは募るばかりだったのです。

そして現物を手にして初めて聴いたB面の「恋のめざめ」が、これまたシビれる名曲名唱だったんですねぇ~~~♪

なにしろイントロから如何にものマイナー調が、これぞっ! 昭和歌謡曲のど真ん中!

ちょいとベタベタした奈美悦子の歌い回しと未練たっぷり気味のストリングスを全面に出したオーケストラアレンジは本当にジャストミートの仕上がりで、曲を書いたのがA面と同じく阿久悠&三木たかしのコンビであれば、こちらがA面でもOKという感じがするほどです。

そして蛇足ではありますが、こうした曲調は昭和44(1969)年には下火になっていたGSブームの中で、歌謡曲に生き残りを模索した幾つかのバンドが志向したスタイルと共通項があって、つまり、こちらも堂々のGS歌謡ということで、侮れない仕上がりも納得されるばかりです。

さて、こうしてイメチェンしていった奈美悦子は、なんと人気絶頂時の同年夏頃から、当時の人気GSだったヴィレッジ・シンガーズの林ゆたかとの恋愛関係が報道されるようになり、翌年には19歳のスピート結婚!!!

これは芸能マスコミにとっては大喜びの騒動でしたが、ファンにとってはちっともおめでたい事ではありませんでしたねぇ。まあ、ご存じのとおり、3年ほど後には離婚しているんですが……。

サイケおやじとしては、もっとリアルタイムで二十代前半の大人の女性の魅力を楽しませて欲しかったと思っています。

それは歌手活動でも全く同様の気持で、このシングル盤の後には、もう1枚ぐらしかレコード出していなかったはずですし、最初の結婚前の演技や佇まいを思い起こしてみても、ナチュラルな大人お色気が漂い始めたばかりの感じでしたから、尚更です。

今となっては、あの日には帰れないわけですから、せめて刹那の念力を駆使、当時のアイテムを集める事が気持の張りを保つ事かもしれません。

このキュートなジャケ写が、全てを許してくれるような気がします。

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