OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ジェイ・ファーガソンとジョ・ジョ・ガン、これ一発!

2012-05-31 15:18:29 | Rock

Run Run Run / Jo Jo Gunne (Asylum / 東芝)

1970年代後半から末頃にかけて、所謂サーファー御用達のロックシンガーだったのがジェイ・ファーガソンという西海岸野郎でした。

その音楽性は一口に言って「お気楽」ってところでしょうかねぇ~。

と書いてしまえば、完全にお叱りは覚悟しなければなりませんが、それでも人気があった1982年頃までには5枚ほどのLPを出し、それなりに売っていましたし、来日公演も二度ほどはあったのですから、侮れない存在なのでしょう。

しかしロックの魂には、ある意味での悲壮感が必要と思い込んでいるイノセントな洋楽ファンにすれば、確かに物足りないのがジェイ・ファーガソンであって、その所為か、1980年代の中古市場には、この人のリーダーアルバムがゴロゴロしていた記憶が鮮明です。

ところがジェイ・ファーガソンは最初っから決して「お気楽」なミュージシャンではなく、最初に注目を集めた自己のバンドは1967年にデビューしたスピリットと名乗るウエストコーストのプログレグループであり、今となっては煮え切らない音楽性が逆に面白い!?

なぁ~んて評価されるマニアックな趣味人なんですから、ジェイ・ファーガソンに先入観念は禁物かもしれません。

そしてスピリットが後年になって再評価というか、局地的な人気を獲得するのはジェイ・ファーガソン云々ではなく、デビューさせた仕掛人が西海岸ハリウッドポップスの大物プロデューサーだったルー・アドラーという事実、そしてメンバーのひとりにランディ・カルフォルニアという異色のロックギタリストが在籍していたからというのが定説です。

まあ、このあたりについては何れ項を別にして書きたいと思いますが、結果的にスピリットが商業的に失敗したのは、様々な音楽的要素を詰め込み過ぎて、スカッとしたロック的快感を発揮出来なかったからでしょう。1970年までに3~4枚のLPも出していますが、如何にも実験の臭いがキツイ作品ばかり……。

ですからジェイ・ファーガソンが一念発起(?)、スピリットを抜けて明快な娯楽優先主義のロックに走った事にも充分な理由づけが可能であり、そうやって結成されたバンドが、本日ご紹介のシングル曲「Run Run Run」をデビューヒットさせたジョ・ジョ・ガンでした。

メンバーはジェイ・ファーガソン(vo,key)、マット・アンデス(g,vo)、マーク・アンデス(b,vo)、カーリー・スミス(ds) の4人組で、とにかくバブルガム寸前のノリが良い演奏と分かり易い曲調がウリでしたねぇ~♪

それはこの「Run Run Run」がハードロックでありながら、如何にもアメリカ西海岸的なコーラス、サザンロックをスマートにしたようなギターソロやキメのリフ等々、短いながらもビシッとキマッた歌と演奏は圧巻の仕上がりですよ♪♪~♪

ところが、あまりにも「Run Run Run」が出来過ぎていたという事でしょう。結果的に「一発屋」のレッテルを貼られ、しかも2年ほどで解散する間には驚くなかれ。4枚も作ったアルバムの中身が、ほとんどワンパターンのお気楽節ばっかりなんですよねぇ……。

極言すれば、「Run Run Run」以外は全て埋め合わせ的なヘタレのロックとしか、サイケおやじには思えません。

つまり、それほど「Run Run Run」は最高なんですよっ!

ここからは完全なる妄想の世界になりますが、ジョ・ジョ・ガンが4枚もLPをレコーディング出来たのは、レコード会社側に「Run Run Run」の夢よ、もう一度、という切なる願いがあったからでしょう。

ということで、本日はジェイ・ファーガソンについて、必要以上に厳しい事を書いてしまいましたが、それもこれもジョ・ジョ・ガンが演じる「Run Run Run」という、実に素敵な西海岸ハードロックをご紹介したい一心によるものです。

ちなみに曲作りもプロデュースもジョ・ジョ・ガン本人達がやってのけた事実も大切であり、これが如何にも1972年というカリフォルニア中華思想の揺籃期を物語る名唱名演という括りも可能かと思うのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辿り着いたラムの魅力の裏表

2012-05-30 14:40:55 | Beatles

RAM / Paul & Linda McCartney (Apple / Capitol)

1971年のポールについては、何をどう言っていいかのか……?

それは現在の偽りの無い気持であって、当時を回想してみても、例えマスコミ主導の作為があったかもしれないとは思いつつ、ジョンとの対立は本当に意地の張り合いという様相もあり、また元ビートルズの立場では、他の3人から孤立しているという印象がありました。

ですから、丸っきりジョンとヨーコに対抗する形で愛妻のリンダと共に音楽活動を始めたポールに対し、何を今更という気分があった事は確かです。なにしろリンダの本職は写真家であって、ポールと一緒の音楽活動なんてのは、その足をひっぱるんじゃ~なかろうか……?

そりゃ~、ヨーコだって音楽家ではなく、前衛芸術家だったわけですから、ジョンの純粋な音楽活動にどれだけ貢献していたかについては、決して確かな結論はありませんでしたが、少なくも「前衛芸術」というイメージがジョンという稀代のロックアーティストの触媒になっているのではないか!?

賛否両論は「否」が多かったとはいえ、そんな漠然としたベクトルが良い方向に作用していたとファンに思い込ませる「何か」があった事は間違いありません。

そして、そうした状況こそが、リアルタイムの我国洋楽好きには常識化(?)していた最中、会心のシングルヒット「Another Day」に続いて発売されたアルバムが「ラム」だったんですが、これがヤバかったのは、リーダー名義がポール&リンダになっていたことでしょう。

ご存じのとおり、ポールには以前に「マッカートニー」というソロ名義とはいえ、ほとんどデモテープの域を出ない不完全燃焼のアルバムを出してしまった前科(?)があり、なんだぁ……、今度は夫婦の家内工業かよぉ……。

という悪い予感に満たされた失望感が、少なくもサイケおやじには先入観念としてあったのですから、友人から貸していただいた「ラム」のエアチェックテープを鑑賞したところで、共感出来るはずもないのは当然という言い訳も、今となっては成立するほどです。

で、このあたりの事情については、既に「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」の項でも書いたつもりですが、付け加えるならば、このヘタウマ感満点のジャケットデザインからは全くロック魂が感じられなかったのもマイナスでり、確かに当時の流行りのひとつとしての「ホームメイドな田舎暮らし」というテイストは認められますが、個人的にはなんだかなぁ……。

ところが、虚心坦懐に中身の音楽に接してみれば、これが実にジャストミートな仕様であって、極言すれば、このジャケットデザインでなければ、「ラム」という名盤が成立しないと思うほどです。

 A-1 Too Many People
 A-2 3 Legs / 3本足
 A-3 Ram On
 A-4 Dear Boy
 A-5 Uncle Albert ~ Admiral Halsey / アンクル・アルバート~ハルセイ提督
 A-6 Smile Away
 B-1 Heart Of The Country / 故郷のこころ
 B-2 Monkberry Moon Delight
 B-3 Eat At Home / 出ておいでよ、お嬢さん
 B-4 Long Haired Lady
 B-5 Ram On
 B-6 The Back Seat Of My Car

まず、告白しておくと、サイケおやじが一番に魅力を感じる「ラム」の本質としては、ポールのボーカルに寄り添う、時には対等以上の存在感を聞かせてくれるリンダのコーラスと歌声なのです♪♪~♪

いゃ~、これが本当に素敵なんですよねぇ~♪

もちろん全篇にぎっしりとつまったポールならではの「マッカートニー節」は、例えば刹那の名曲「Dear Boy」や美味しいメロディがテンコ盛りの「The Back Seat Of My Car」、ハートウォームな「故郷の心 / Heart Of The Country」、お気楽なムードと辛辣な歌詞のコントラストがニクイ「Ram On」等々で全開しているわけですが、果たしてこれがポールだけの独演独唱であったなら如何に……。

そう思う他はありません。

ですからニューヨークでの本格的なスタジオ録音というメリットを活かすべく、当地の一流セッションミュージシャンだったヒュー・マクラッケン(g) やディヴィッド・スピノザ(g) を雇い、後にはウイングスの結成にも参加するデニー・シーウェル(ds) をオーディションから起用した演奏パートの充実も、またそれを想定しての事だったのでしょうか。

と言うよりも、安定したそれがあってこそ、ホール&リンダの魅惑の夫婦デュエットが活きたというべきかもしれません。

中でも既に述べたとおり、「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」の楽しさは絶品であり、全く意味不明の内容がR&Rの本質でもある「Monkberry Moon Delight」や完全にリンダを歌っている「Long Haired Lady」あたりは気恥ずかしくなるほどですが、それも許せるんですよねぇ~。

しかし一方、冒頭に述べたようなジョンとの確執を露骨に表現する事も辛辣の極みであり、イヤミ丸出しの「Too Many People」とか、三人ではビートルズは出来ないという苦言を呈したが如き「3本足 / 3 Legs」には、いやはやなんとも……。

う~ん、それがあればこそ、「Smile Away=笑いとばせ」とやらざるをえなかったポールの気持も分かるんですが、若気の至りと解するにはあまりにも……、ですよねぇ。

結局、ポールにはそうした攻撃性なんか似合うはずもなく、そこがイノセントなロックファンには物足りない部分とまで言われているんですが、その意味で「アンクル・アルバート~ハルセイ提督 / Uncle Albert ~ Admiral Halsey」のドリーミーなポップメドレーは効果音やオーケストラの使い方もニクイばかりの仕上がりで、アメリカではシングルカットされてのチャートトップもあたり前田のクラッカー!

ただし、サイケおやじとしては、あまり好きな曲ではありません。

それはポールの十八番とも言うべき、複数の異なる曲=メロディを強引とも思える手法で合体させる、ある意味での強姦主義にはイマイチ共感出来ないからなんですが、こうした遣り口はビートルズ時代の「恋を抱きしめよう / We Can Work It Out」とか「A Day In The Life」、さらには「アビイロード」のB面メドレーの卓越した構成力が見事な成果となった前例が忘れられないからなんでしょうか?

揚げ句、この「アンクル・アルバート~ハルセイ提督 / Uncle Albert ~ Admiral Halsey」がアメリカで大ヒットしてしまったのでは、殊更ウイングス時代にも同じ手口が繰り返される免罪符なんですかねぇ~~?

やっぱり天才的メロディメーカーのポールには、完結型の楽曲で勝負して欲しいわけですし、まさかとは思いますが、ジョンの「Happinees Is A Warm Gun」が大傑作と絶賛された事への対抗意識だとしたら、なんだかやりきれません。

ということで、最後に至って些か否定的な心情吐露もやってしまいましたが、それでも「ラム」は愛すべき名盤という思いに変わりはありません。

そしてジョンへの対抗意識という部分においては、「ラム」が出た同じ1971年末にジョンが畢生の大傑作「イマジン」を発表してしまったがために、尚更しょ~もない結末になってしまったわけですが……。

そんなこんなの長年のファン心理にポールがやっと応えてくれたというか、ついに発売なったのが、所謂「デラックスエディション」という豪華再発盤!



掲載したオフィシャル映像でご覧になれるとおり、それは「ラム」本体アルバムのリマスター、モノラルバージョン、アウトテイク入りのボーナスディスク、インストアルバム「スリリントン」、さらに映像DVDという5枚のディスクと手書きの歌詞カードや写真集等々のオマケをどっさりつけた豪華仕様は、イマイチ煮え切らないものを残す「ラム」という名盤の謎解きを秘めている!?

と思いたいところです。

またアナログ盤LPの2枚組も同時に出てしまうんですから、罪作りといっては贔屓の引き倒しでしょうか。

とりあえずサイケおやじは万難を排してゲット致しましたが、それとて「持っていないと安心出来ない」という精神衛生上の問題をクリアするためなんですから、情けない……。

結局、そんなブツを未開封のまんま、飾っておくバチアタリも、やっぱり最初のアナログ盤に針を落す行為で許されるはずと、自分に言い聞かせているのでした。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニール・セダカの復活は新しき出会い

2012-05-29 15:25:30 | Singer Song Writer

Superbird / Neil Sedaka (Kirshner / 日本ビクター)

殊更洋楽に興味がなくとも、ニール・セダカの楽曲は必ずやどっかで聞いているのが現代人の証明だと思います。

平たく言えば、曲名は知らなくとも、メロディは絶対!

それほどの存在がニール・セダカという偉人ではありますが、しかし実質的に活動が輝いていたのは1950年代末頃からの所謂アメリカンポップスの全盛期、そして1970年代中頃の一時期だけというのが真相です。

それは皆様もご存じのとおり、1958年の「恋の日記 / The Diary」の大ヒットから続く「Oh! Carol」「Calendar Girl」「素敵な16歳 / Happy Birthday Sweet Sixteen」「ちいさな悪魔 / Little Devil」「悲しき慕情 / Breaking Up Is Hard To Do」「可愛いあの子 / Next Door to an Angel」等々は、それこそ前述の刷り込まれたメロディであり、しかも作曲は本人のニール・セダカ、そして作詞が名コンビを形成していたハワード・グリーンフィールドなんですから、その活躍は元祖シンガーソングライターと認定するのも吝かではないはずです。

そして当然ながら、それらの楽曲は我国の和製ポップスにも大きな影響を及ぼし、日本語の訳詞によるカパーバージョンのレコードがどっさり発売され、また各方面で歌いまくられたのですから、既にサイケおやじを含む中年者以上の皆様には自然体の懐メロであり、その明快なメロディラインと微妙な胸キュンフィーリングは忘れられるものではないでしょう。

またニール・セダカ本人の歌いっぷりには、妙な(?)説得感があって、実は日本だけでヒットした「恋の片道切符 / One Way Ticket」あたりは自作のメロディでないところを逆手に活かした上手さがニクイばかり! 歌手時代の平尾昌晃が得意になって演じていたのもムペなるかなです。

ところが、これまた皆様ご存じのとおり、流石のニール・セダカもビートルズがアメリカに来襲した1964年以降には精彩を欠き、極言すればオールディズ歌手としての扱いになってしまうのですから、時代の流れは非情……。

実はサイケおやじにしても、ニール・セダカは普通の歌手であって、もちろんシンガーソングライターなんて言葉も当時はありませんでしたから、とても偉大な作曲家という認識は全くありませんでした。

つまり売れなくなったら、それでお終いという芸能人のひとりがニール・セダカに対する認識だったのです。

こうして時が流れました。

既に高校生になっていたサイケおやじは、連夜の深夜放送漬けの日々の中、勉強よりは音楽やエロ本や成人映画やプロスポーツ等々、快楽優先主義を貫いていた事は言わずもがな、特に洋楽の素敵な歌や演奏をラジオから仕入れる作業にはエネルギーを惜しみません。

そして昭和47(1972)年早々のある夜、ラジオから流れてきた実に格調高く、厳かでありながら親しみ易いメロディに一発でKOされ、それが本日ご紹介の「Superbird」だったんですが、なんとっ! 歌っているのがニール・セダカという、全くの懐メロの人だったんですから、吃驚仰天! 思わず自分の耳を疑ったほどです。

う~ん、これはエルトン・ジョンじゃ~ねぇのかっ!?

なぁ~んて、不遜な事を思ってしまうほど、メロデイ及び曲の構成やアレンジが、モロにエルトンしているんですから、たまりません。

ところが後に知ったところでは、ニール・セダカは表舞台から実質的に消えていた間にも作曲活動は継続しており、また歌手としてもイギリスやオーストラリア等々では地味ながらも人気は続いていたそうで、おそらくは下積み時代のエルトン・ジョンがニール・セダカからの影響云々は否定出来るものではありません。

しかし、だからと言って、ここまで露骨にエルトン・ジョンをやってしまっては、例え本家という看板があったとしても、極言すれば失笑も免れないでしょう。

そして案の定、アメリカでは見事なカムバック等々の大宣伝とは逆に、全くヒットしていません。

それでもサイケおやじは大いに気に入り、ニール・セダカの昨日今日明日を探索する中で、この人がとてもつない偉人である事に気がつかされたのですから、この「Superbird」には感謝する他はありません。

また一方、特にイギリスのポップス系ミュージシャンやソングライターからのリスペクトも大きな反響であり、中でもデビューしたばかりの 10CC は自らバック演奏を申し出たと言われていますし、そうやって作られた以降のアルバムは秀逸の極み♪♪~♪

それらも追々にご紹介致しますが、その美しき流れが、ついにはエルトン・ジョンが自ら設立したロケットレーベルとの契約に至り、さらに素晴らしい楽曲を世界中でヒットさせるのですから、ここが前述した1970年代中頃の第二次全盛期というわけです。

ということで、すっかり過去の人と思われていたニール・セダカが息を吹きかえすきっかけが、このヒットしなかった「Superbird」だった事は皮肉です。

もちろんニール・セダカが駆け出し時代にお世話になったアルドン音楽出版社のドン・カシューナの誘いに応じ、シンガーソングライターが大ブーム期だった1971年に再デビューとも言える活動に入ったのは、その元祖のひとりとしての自負と自信があったからでしょうし、実際、そうやって作られた「Superbird」を含むLP「エマジェンシー」はポップスアルバムの裏金字塔!

なにしろ当時ヒットしていた楽曲や活躍していた同業者の元ネタばらし、あるいは本歌取りという趣が満載なんですからねぇ~♪ 既に述べたとおり、エルトン・ジョン云々だって、ニール・セダカの自意識過剰の産物と言えなくもありません。

それはサイケおやじの例によっての穿った視点ではありますが、そうした部分を「良」とするか、否かによって、ニール・セダカの聴き方もちょいとは変わってくるんじゃないでしょうか。

最後になりましたが、ニール・セダカの影響力としては、バート・バカラックやマイケル・マクドナルドあたりにも、そのリズムパターンの汎用度を鑑みたものが顕著と思っております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今も前野曜子が大好きです

2012-05-28 15:50:29 | 歌謡曲

夜はひとりぼっち c/w センチメンタル・ヨーコ  / 前野曜子 (ワーナーパイオニア)

魅力を感じるボーカリストの本質は、まずその声質と節回しの絶妙さにあると、サイケおやじは思います。

例えば本日の主役たる前野曜子は説明不要、今となっては高橋まり=高橋真梨子が在籍していたラテンポップス歌謡の人気グループだったペドロ&カプリシャスの初代女性ボーカリストとして、「別れの朝」等々のヒットを出していた実績やソロシンガーとなって以降の「蘇る金狼」とか「コプラ」等々の映画やアニメの主題歌で人気を集めた事も有名でしょう。

また小悪魔的ルックスと綺麗な脚線美が如何にも男好きのする雰囲気の良さも、これがなかなか忘れられないはずです。

そして伸びのあるメロディフェイクの上手さ、あるいは時としてハスキーな節回しがミックスされる艶っぽい声質は、昭和40年代後半から主流となった我国の歌謡ポップス路線にはジャストミート♪♪~♪

前述した「別れの朝」は洋楽ポップスの日本語カパー曲でありながら、本家のウド・ユルゲンスのバージョンよりも前野曜子の歌唱が人気を集めたという結果は、まさにそこにあったと思います。

それが昭和46(1971)年晩秋からの約2年間の事で、そう書かねばならないのは、人気絶頂でありながら、昭和48(1973)年にはグループを脱退し、以降は不安定な活動に終始してしまったからで、ついには40歳で病死するという非業の最期は痛ましいかぎり……。

原因は深酒や男関係とマスコミ等々では報道されていますが、実はサイケおやじの友人がハコバンをやっていた六本木では、昭和50年代前半のある時期、彼女がヘベレケに酔って、エレベーターホールで寝ていたとか、そんな目撃談を聞かされたこともあります。

しかし実生活の諸々とは別に、少なくともレコードとして残された前野曜子の歌は流石に素晴らしいものばかりで、その中の1枚として掲載したシングル盤は、ペドロ&カプリシャス脱退後の昭和48(1973)年秋に出た、サイケおやじが大好きな傑作♪♪~♪

まずA面の「夜はひとりぼっち」は作詞:安井かずみ、作曲:都倉俊一、編曲:前田憲男の強力都会派トリオが見事なコラポレーションを提供し、前野曜子がソウルフル&セクシーに歌いあげてくれるのですから、もうゾクゾクするほど♪♪~♪

なにしろゴージャスなストリングスが初っ端から鳴り響き、泣きのギターやシンコペイトしたフュージョンビートが特徴的な演奏パートは当時最新のサウンドですし、そのあたりを最初から想定したが如き「都倉節」の曲メロの刹那の高揚感、そしてグッと惹きつけられる前野曜子のボーカルに自虐的な人生を歌わせてしまう安井かずみの作詞!

う~ん、今となって、これを聴くのは悲しくもあり、リアルタイムでの激情的な胸キュン感のせつなさ!

そんなこんなが彼女のキュートなルックスや破滅的な生き様と重なって、その永劫感が虚しいほどに迫ってきますよ。

一方、作詞:水野礼子&作編曲:森岡賢一郎によるB面収録の「センチメンタル・ヨーコ」もエレピがリードする都会派フュージョンポップスであり、タイトルどおり、これまた彼女の終りなき日常を歌ってしまったような内容が、せつなくなります……。

しかし、当然ながらリアルタイムでは前野曜子という歌手の悲しい運命の末路なんて、予感はあったとしても、遠い現実という受け止め方であったはずですし、それをレコードの両面で歌った事だって、本人も制作側もひとつの「演技」であったにちがいありません。

ただ、やっぱりそれが実生活やリアルな人生とリンクしていた事は否めないはずで、前野曜子という天才的なボーカリストであればこそ、尚更に濃密な歌の世界として表現されたんじゃないでしょうか。

既に述べたように、節回しに特徴的なハスキーボイスの用い方は、もちろん技巧も最高ではありますが、極めてナチュラルな個性としてイヤミがなく、サイケおやじを心底ゾクゾクさせる瞬間です。

それがあるからこそ、今日でも前野曜子のファンであり続けるひとりとして、彼女の歌に心を揺さぶられるのでした。

コメント (33)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エロショタロックなトロッグス

2012-05-27 16:05:00 | Rock

僕は危機一髪 / The Troggs (Fontana / フィリップス)

流行の中に身を置く芸能人の立場は、例えロックミュージシャンであったとしても変わりはないのですから、リアルタイムの人気絶頂時が過ぎ去った後にも新しいファンを獲得出来るなんて幸せは、そうそう続くものではありません。

ところが本日の主役たるトロッグスの場合は、バリバリにヒットを放っていた1960年代には所謂キワモノ扱いのピートバンドでありながら、後追いリスナーの熱狂的獲得率の高さは異常とも思えるほどです。

もちろん、皆様ご存じのとおり、トロッグスには1966年の世界的特大ヒット「恋のワルイドシング / Wild Thing」という永遠不滅の持ちネタがあって、それが翌年からはジミ・ヘンドリクスのカバーバージョンの方が有名になった事により、トロッグスが逆説的に再発見され続けているという真相は確かにあるでしょう。

しかし、そうやってトロッグスのベスト盤とか、とにかく彼等の残した音源に接してみると、これがなかなかシンプルで奥の深いものばかりなんですねぇ~♪

例えば掲載したシングル盤A面曲「僕は危機一髪 / I Can't Control Mysell」にしても、基本的には淀んだようなロックビートで演じられるガレージ路線とあって、特にキャッチーなキメなんかありませんが、実質的にスターターの役割を果たす初っ端の「オゥッ! ノウゥ~!」という叫びが、まずは強烈に最高!

そして間髪を入れずに「バァバァ~バババァ~」と始まる合の手コーラス、また追われるようにエグ味の効いたリードボーカルが思わせぶりに歌ってくれる歌詞の中身の煩悩告白がたまりせんねぇ~♪ 演奏そのもののシンプルさも良い感じ♪♪~♪

と、これを聴いた瞬間に連想するのは、同時期ちょい前のキンクスがやっていた音源の数々なんですが、それも道理!? この二大バンドのプロデューサーは共通してラリー・ペイジなんですねぇ~♪

ちなみにトロッグスは下積み時代を経て、所謂ブリティッシュピートの大ブーム期にラリー・ペイジに見出された時には何度かのメンバーチェンジやバンド名の変更もあったそうですが、それでもトロッグスとして前述した「恋のワルイドシング」を大ヒットさせた時にはレグ・プレスリー(vo)、クリス・ブリットン(g,vo)、ピート・ステイプルズ(b,vo)、ロニー・ボンド(ds,vo) の4人組になっていたようです。

しかし、既に述べたように、このバンドが特に欧米でキワモノ扱いになっているのは、持ちネタの歌詞のショタエロな部分であって、この「僕は危機一髪 / I Can't Control Mysell」の中には、気になる女がパンツを下げてのヒップ見せ!? みたいなところがあったりしますから、忽ち放送禁止になっていたようです。

ところが我国の場合は、言葉の壁が結果オーライに作用したというか、演奏とボーカル&コーラスのコラポレーションをロック的雰囲気優先で楽しめばイケるんですから、ちょい聴きにはガレージでも、実はポップでサイケデリックな味わいも強いトロッグスのもうひとつの魅力に目覚めるのも自然の流れでしょうか。

告白すればサイケおやじにしても、最初はご多分にもれず、ジミヘンの「Wild Thing」からトロッグスに至ったものの、肝心の「恋のワルイドシング / Wild Thing」には肩すかし状態……。リアルタイムでは、そのまんま忘れてしまったのが現実でした。

そして再びトロッグスに邂逅したのは、高校生の時にエレキベースの練習課題で先輩から「僕は危機一髪 / I Can't Control Mysell」を指定され、実は前述した「バァバァ~バババァ~」のコーラスをリードしていたのが、同じメロディリフを弾くベースでしたから、ハッと気づけば後の祭りというか、完全に目からウロコでしたねぇ~~~♪

掲載したシングル盤は、その時にコピー譜と一緒に渡されたものを永久貸与に切り替えてもらったという、因縁がついています。

ということで、きっかけはどうでも、トロッグスにはリアルタイムよりも、グラムロックやパンクロックで洋楽に目覚めたファンが大勢存在しているらしく、彼等のレコードやCDは常に出回って来ています。

これは簡単に書いてしまいましたが、実は大変な事なんですよねぇ~~。

だって彼等は歴史的に云々されるようなグループでは決してなく、もちろん大ヒット曲は持ってはいますが、通念としてはB級バンドでしょう。

それが現在でもトロッグスは存続しているらしく、メンバーチェンジは頻繁らしくとも、ライプの仕事はきっちり出来るというのですから、頭が下がります。

そしてトロッグスの残した音源に接すると、如何にものシンプルなアレンジが誰にでもやれそうな感じでありながら、そのフィーリングの普遍性は驚くべきもので、潔さという点においては超一流でしょう。

これは所謂ヘタウマなんてものじゃ~なくて、「トロッグスタイル」とでも言いたくなるほどです。ヌメヌメとしたボーカルにも中毒性がありますよ。

万歳っ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本家トニー・ジョー・ホワイトのポークサラダ

2012-05-26 15:52:50 | Singer Song Writer

Polk Salad Annie / Tony Joe White (Monument / テイチク)

もしもエルヴィス・プレスリーが、この曲をやってくれなかったら、サイケおやじは本家トニー・ジョー・ホワイトに出会うことも無かったでしょう。

それほどエルヴィス・プレスリーがライプ映画「エルヴィス・オン・ステージ」で演じた「Polk Salad Annie」は強烈な印象を与えてくれたわけですが、そうして聴いたトニー・ジョー・ホワイトの、これまた激ヤバなフィーリングも侮れませんでした。

なにしろ基本はエレキギターの弾き語りでありながら、まず刻まれるビートのエグ味が絶対的ですし、しぶといリズムギターに鋭いオカズを絡ませる遣り口は、実は後に黒人ブルース演奏の常套手段のひとつと知る事になるのですが、未だそれに接した事の無かった純情少年のサイケおやじにとっては、何かCCRのジョン・フォガティーが十八番のギターワークに近いものを感じていました。

つまり、たまらなくスワンプなロック!?

さらにトニー・ジョー・ホワイトの歌いっぷりが、ボソボソの呟き系であり、そうした節回しはエルヴィス・プレスリーのバージョンで馴染んでいたとはいえ、そこまでのディープな声質ではないトニー・ジョー・ホワイトにとっては、それもまた自作自演の強みというところでしょうか……。

明らかにエルヴィス・プレスリーが作者本人の味わいを大切していた事が知れるのです!?

あぁ~、トニー・ジョー・ホワイト! 恐るべしっ!

そして以降、サイケおやじの気になる存在となったトニー・ジョー・ホワイトは、アメリカ南部のルイジアナ州出身で、またまたこれも後に知ったわけですが、そこで幼少時から親しんでいた音楽こそがルーツとなれば、前述したギターの弾き語りにおける要点が黒人ブルースマンからの影響というか、コピーであった事も当然が必然だったと思われます。

ということは、これまた前述したジョン・フォガティーが実は南部には一度も行った事が無いのに、歌やギターワークが極めて深南部化したのも、レコード等々で接したであろう同系黒人ブルースマンからの影響と憧れであって、つまりはトニー・ジョー・ホワイトが更にリアルなフィーリングを出せたのも当たり前だったのでしょう。

う~ん、例によって回りくどい屁理屈を積み重ねているサイケおやじの稚拙な文章力では、このあたりを上手く説明出来ません。

しかし些か確信犯となりますが、とにかく聴いていただければ、この「Polk Salad Annie」のスワンプロック&ブルースフォークな味わいは、極めて黒っぽい世界を狙いながらも、実質的には白人ロッカーでなければ表現不可とも思える洒落た感覚が滲んでいるように思います。

そうしたスマートなフィーリングがあればこそ、本質的にはドロドロに泥臭い歌と演奏が後年大ブームとなるスワンプロックの先駆けと評価される事も無いでしょう。

ちなみにアメリカでヒットしたのは1969年の夏であり、掲載シングル盤の日本発売が1972年ですから、その間にエルヴィス・プレスリーのライプ映画「エルヴィス・オン・ステージ」が我国で封切公開があったというわけです。

それと当時の我国は歌謡フォークブームの真っ只中であり、勢いに乗じて所謂アングラ系のフォークシンガーも表舞台に登場していた事から、彼等が十八番のスタイルであったギターを弾き、首からホルダーで吊るしたハーモニカーを吹きつつ歌うというパフォーマンスはお馴染みになったんですが、このトニー・ジョー・ホワイトもそれは同じでありながら、エレキを持っていたところがサイケおやじにも共感が大!

しかも呟き系のボーカルなぁ~んて書きましたが、実はトニー・ジョー・ホワイトの声質は意外にもドスを効かせた男っぽい世界が一方にあり、またギターにはワウワウやファズ等々を微妙に使った裏ワザがニクイばかりに用いられている点も要注意かと思います。

ということで、決して派手な人気のないトニー・ジョー・ホワイトではありますが、虜になったら抜け出せないミュージシャンのひとりでしょう。

シンガーソングライターとしての認識よりは、むしろ業界では有能な作曲家としての評価が一般的と言われているようですし、その反面、ライプの現場での固定的なファン層の存在も無視出来ないという、なかなかの幸せ者なのかもしれませんねぇ、この人は。

そのあたりはついては、何れまた書きたいと思います。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れじのボビー・ジェントリー

2012-05-25 14:07:25 | Pops

恋よ、さようなら / Bobbie Gentry (Capitol / 東芝)

ジャケ写のちょいと濃いめのおばちゃんは、ボビー・ジェントリーという、今ではすっかり忘れられた感もありますが、実は根強い人気のアメリカ人ボーカリストです。

しかも彼女は自作自演もやってしまう、所謂シンガーソングライターでもあり、ギター、バンジョー、ベース、キーボード、ドラムス等々を巧みに操るマルチプレイヤーでもありながら、それゆえに敷居が高いという事なのでしょうか、特に我国ではからっきし人気が無いのですから、聴かず嫌いは勿体無いという典型かもしれません。

ただし、これは全くの個人的な思いなんですが、ボビー・ジェントリーは美人歌手という評判が確立していながら、何故か公開されるポートレートには写り悪く、実際のキュートでセクシーな大人の女性という印象が伝わってこないのも、洋楽情報そのものが不足していたリアルタイムの我国では痛いところだったのでしょうか……。

告白すればサイケおやじがボビー・ジェントリーを好きになったのは、昭和45(1970)年頃にテレビに登場した彼女の海外でのパフォーマンスに接した時からで、もちろん当時の事ですから、厚化粧にド派手つけまつげ!? というメイクに負けない強さの美貌は、完全に好みの世界だったんですねぇ~♪

しかも歌の節回しが絶妙にスワンプロックというか、南部ソウルの味わいが滲みまくりでしたし、ほどよいハスキーボイスもたまりません。

実はこのあたりを冷静に分析すると、サイケおやじが大好きな「お色気ムード」は非常に希薄なんですよねぇ。ところが、それが逆に濃厚な彼女のルックスや佇まいにはジャストミートであって、それは「中和」なんていう言葉では表現するに足りない世界でしょう。

ちなみに後追いで知った彼女の芸歴の中では、なんと言ってもアメリカのチャートでトップに輝いた自作のデビュー曲「ビリー・ジョーの唄 / Ode To Billie Joe」が強い印象を残しているとおり、ニューソウル前夜祭的なディープな歌とエキセントリックなアレンジの奇跡的融合の完成度の高さは、彼女の才能を証明するものと思います。

これが1967年の事で、もちろんグラミー賞を筆頭に数々の受賞歴も続くのですが、同時にそのイメージを超えられなかったというか、本来の資質の半分も世間には評価されない現実は、以降に発表したレコードの売れ行きの低調さに表れているのでしょうか……。

本日の1枚として掲載の「恋よ、さようなら / I'll Never Fall In Love Again 」にしても、ご存じバート・バカラックの名曲を歌った傑作バージョンでありながら、アメリカでは完全に無視され、しかしイギリスではチャートトップの大ヒットになったという不条理(?)があるのです。

まあ、このあたりは例えばビーチ・ボーイズとか、自国で受け入れられずともイギリスや欧州各地で人気を継続し、新しい展開に臨むというキャリアの一環とする事も芸能界では珍しくもなく、我国でもちょっぴりはヒットしていた証拠として、サイケおやじが中古ではありますがゲットした事実だって否定はされないでしょう。

しかしボビー・ジェントリーは同時期、ラスベガスでカジノやホテルを経営する老齢の大富豪と結婚するという、なにかと詮索されがちな私生活から、離婚後も高級ホテルのフロアショウ中心のライプに活動の場を移し、本格的なレコーディングを含む第一線からは少しずつフェードアウトしてしまったようです。

それゆえ1980年代からは過言ではなく、消息不明……。

また、1970年代前半までに残されたシングル&アルバムの音源復刻も決して芳しくない状況は、実に哀しいところです。

少なくともサイケおやじは、彼女にさようならはしていませんから!

最後になりましたが、掲載した私有のシングル盤は初めて買ったボビー・ジェントリーの1枚ながら、その意味で邦題タイトルが既に意味深だったというわけです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポールの逆襲とラムへの道:其の弐

2012-05-24 15:20:59 | Beatles

出ておいでよ、お嬢さん c/w Smile Away / Paul & Lind McCartney (Apple / 東芝)

さてさて、今日は一昨日の続きとなりますが、こうしてポールが無事(?)に新作アルバム「ラム」を世に出したのは、欧米では1971年5月、日本ではちょいと遅れて6月25日でした。

しかし現代のようにネットが無かった時代です。

宣伝だってラジオの洋楽番組や深夜放送がリアルタイムでは一番効果が大きかった事わけですが、この「ラム」からは特にシングルカットされた曲が当初は無かったことから、話題にはなっていましたが、さりとて内容云々が積極的にプッシュされていた記憶は薄いところです。

ただし国営FMラジオ放送では、その頃の慣例(?)として、LP全部を丸ごと流すという太っ腹な企画があり、この「ラム」も対象作品に選ばれたのでしょうか、友人がエアチェックしたテープをサイケおやじに貸してくれたのですが、恥ずかしながら、最初に聴いた時の???のミョウチキリンな気分は、なにか非常な違和感になっています。

実は皆様もご存じのとおり、当時は世界的にシンガーソングライターの大ブーム期であり、それはフォークやカントリー&ウェスタンに根ざした音楽性を基礎とする趣でしたから、必然的に音作りはアコースティックギターやピアノがメインという、ある意味では「反ロック」的な印象をウリにしていた側面があります。

と同時に、そこに彩られているのは、ソウルやジャズ、さらにはラテンミュージック等々の民族音楽風味であり、そのあたりのセンスの良し悪しが、特に外国語の歌詞をダイレクトに解しない日本の洋楽ファンにとっては心の拠り所(?)だったわけです。

そして一方、説明不要とは思いますが、当時の洋楽の主流はやっぱりハードロックやプログレを核とする所謂ブリティッシュロックであり、その対抗勢力としてのアメリカンハード、あるいは台頭してきたグラムロックやニューソウル、おまけに根強い人気のバブルガム系3分間ポップスが文字どおり、百花繚乱の全盛期!

ちなみに当時、評判を呼んでいたヒットアルバムとしては、ゼップの「Ⅲ」、ストーンズの「ゲット・ヤー」、ピンク・フロイドの「原子心母」、ボブ・ディランの「新しい夜明け」、GFRの2枚組「ライプ」、ニール・ヤングの「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」、エルトン・ジョンの「2nd」&「3rd」、シカゴの「」、ポコの「ライプ」、クリムゾン一派の「マクドナルド&ジャイルス」、キャロル・キングの「つづれおり」、ジェームス・テイラーの「マッド・スライド・スリム」、さらにはストーンズ驚異の傑作「スティッキー・フィンガーズ」等々、まさに歴史を作った名盤LPが毎月の様に発売され、実際、サイケおやじにしても、聴きたいレコードがどっさりあるのに、個人的には経済状況が追いつかないという苦しさが……。

ですから、前述したとおり、そんな中に出て、違和感が払拭出来ない「ラム」を粗略にしたバチアタリも無理からん、とご理解願いたいところなのです。

また些か結果論になりますが、「ラム」には前記したヒットアルバム群にあるような派手さ、鋭さ、エグ味が無く、それは元ビートルズのジョンの「ジョンの魂」やジョージの「金字塔」と比較しても、明らかにロック性感度の低さが感じられると思います。

ところが、ロックではなくポップスという観点から「ラム」を聴いてみると、これは圧倒的な存在感や輝きに満ちていることは言うまでもありません。

恥ずからしながら、その事に気がつかせていただいたのが、本日掲載のシングル盤で、これまた説明不要、その「ラム」から我国独自でカットし、昭和46(1971)年9月に発売となった1枚です。

まず、なんといってもA面の「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」が、まさにマッカートニー節全開のシンプルなR&Rで、微妙なスカビートや浮遊感が滲むキメのコーラスワークは言わずもがな、このあたりで杉真理の元ネタをあれこれ詮索するのも自由ではありますが、なによりもサイケおやじをシビれさせたのは、同時代の流行であったカントリーロックやニューソウルの味わいを見事にビートルズ色で纏め上げ、それも簡素極まりないバンドサウンドでやっているというところでした。

もちろん、アルバム「ラム」の中には、これ以上に凄い完成度を聞かせる名曲名演がある事は確かです。

しかし「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」の親しみ易くて、さらに奥が深い仕上がりは、「ロック」というよりも、「ポップス」という、ある意味では作り物の音楽の真髄に、極めて簡素に迫っている感じが♪♪~♪

尤も、そんな理屈は完全な後付けにすぎませんが、それでもリアルタイムでこの「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」がラジオから流れた瞬間、実はサイケおやじはエロ本見ながら、自己満足的作業に勤しんでいた手を止めてしまった体験があるほどで、思わず、しまった!! と独り納得する他はありませんでしたねぇ~~~~。

そこで早速、翌日には掲載のシングル盤をゲットしたというわけですが、もちろんLPの「ラム」が買えないという事情があった事は蛇足でしょう。

しかし、ここでB面収録の「Smile Away」を聴いて、再び仰天!

結果的に後のウィングスに繋がる如何にもポールっぽいハードロックであり、また既にして全盛期マーク・ボラン&Tレックスをやっている事は別にしても、これは「レノン&マッカートニー」として「ビートルズ」で演じる事も視野に入れての創作と思えないこともありません。

それほどファンの心をくすぐってくれる「未練の名曲」と、サイケおやじは楽しんでしまったんですねぇ~♪

ということで、とにもかくにも「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」の思わず一緒に歌いたくなるフィーリングに共鳴させられたサイケおやじは、エレキギターでこれを独りで歌うというジコチュウ&ジコマンのコピーをやってしまったほどです。

いゃ~、これは正直、エレキじゃなければ、楽しくないっ!

心底、すっかり「その気」にさせられてしまうほどの傑作ポップ曲であり、それゆえにロックでもあるという、些か確信犯的な告白に至りますが、それはそれとして、ここまでくれば、後はアルバム「ラム」に向かって一直線でしょう。

この話は、もう少し続けます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スカイツリー開業の昨日は寒かったですね

2012-05-23 15:58:59 | Weblog

例によって出張のため、本日の1枚は休載、ご了承下さいませ。

さて、昨日はスカイツリーの開業でしたが、サイケおやじは仕事関連でソラマチ商店街だけ行ってきました。

しかし目的地はひとつの店だけなのに、想像以上に広大なスペースと人出のため、かなり時間のロスがありましたですねぇ。正直、1日だけでは全てを回ることなんて不可能でしょう。

あと前評判の高い水族館も、何れはじっくり楽しむ価値があるようですね。

一応、パンフレットだけはもらってきました。

肝心のスカイツリー、これは当分、登れそうもありません。

所謂冥土の土産にとっておきましょうかねぇ~。

そういえばニュースでは屋形船から眺める、ライトアップしたスカイツリーの美しさ!

登るより、こっちの方が楽しそうな気もしています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポールの逆襲とラムへの道

2012-05-22 16:51:24 | Beatles

Another Day / Paul McCartney (Apple / 東芝)

ポール・マッカトニーの最高傑作アルバムとは?

その回答には諸説ありますが、個人的には1971年に出された「ラム」が一番好きです。

ご存じのとおり、1970年4月10日に報道されたビートルズからのポール脱退という衝撃的大ニュースは、ポール自らのソロアルバム「マッカートニー」がその1週間後に発売された事により既定の事実になりましたが、問題のLP「マッカートニー」がほとんど「宅録」であったこともあり、世界中で散々な酷評!?

しかも様々な内幕報道には虚実が入り乱れていながら、なにかポールだけが悪者扱いだった事は、当時をリアルタイムで体験された皆様には痛切な思いじゃないでしょうか。

さらに当時の他のビートル、つまりジョンは大傑作「ジョンの魂」を、またジョージは畢生の大作3枚組LP「金字塔」という歴史的名盤アルバムを発表していましたし、リンゴもスタンダード曲や十八番のC&Wを歌ったアルバムを出しつつもマイペースな活動で存在感を示していたのですから、如何にもポールは苦しい状況の様に思えたのが、リアルタイムのファン感覚だったはずです。

ところが、流石はポール!

ついに逆襲(?)に転じたのが、本日ご紹介のシングル曲「Another Day」であり、おそらくはポールにとっては初めての公式シングル盤であったと思われますが、見事に世界中で大ヒットさせたのですから、やっぱりメロディの天才は不滅でした。

それが欧米では1971年2月、我国では4月の出来事であって、その頃のラジオの洋楽番組では、ジョージの「美しき人生 / What Is Lif」、ジョンの「人々に勇気を / Power To The People」、そしてリンゴの「明日の願い / It Don't Come Easy」という元ビートルズの4人が各々のソロプロジェクトでヒットを競うという、今では夢の状況がありましたですねぇ~♪

おまけに続く朗報として、いよいよ近々、ポールの本格的なスタジオレコーディングによる新作アルバムが出るというのですから、洋楽マスコミは率先して盛り上げに走っていたことも懐かしく思いだされるわけですが、それこそ、冒頭に述べた「ラム」であることは言うまでもないでしょう。

ただし、ポールには「マッカートニー」で些かのヘタレを演じた前科(?)がありますから、新作への疑念を抱いたファンも多かったと思います。

と、同時に、その新作の先行シングルとも言える「Another Day」の出来の良さは圧倒的でしたから、闇雲な期待も許されるんじゃないか?

そんな雰囲気も確かにありました。

もちろん今日の歴史としては、新作となった「ラム」はポールにとっては起死回生の一発であり、決定的名盤になっていますから、何時までも昔の事を詮索するのは野暮かもしれません。

しかし、そんな思いを覆してくれそうなトンデモ系のブツとして、いよいよ「ラム」のDXエディションが発売されてしまうんですねぇ~~♪

当然ながらサイケおやじは予約しておりますが、果たして今回も封が破れない症候群を今から自覚しているんですから、情けない……。

ということで、なんとか冷静さを保つ努力から始めないと、これはキツイでしょう。

そういう予感は確かに残っているのでした。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする