OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

土曜日の夜の歌

2011-10-30 15:12:46 | Singer Song Writer

土曜の夜は僕の生きがい c/w いたずらジャック / 帰っておいで僕のところに
                                                                       / Elton John (DJM / 東芝)

昨日は昼間っから既にバカ映画と評判の「カーボーイ&エイリアン」を鑑賞♪♪~♪

そして映画館の外に出てみれば、街にはハロウィンの仮装をした女の子が目立つという、なにか非常に浮世離れした土曜日を体験させていただきました。

そこで思わず頭を過ったのが、本日ご紹介のシングル曲「土曜の夜は僕の生きがい / Satuday Nights Alright For Fighting」というのはイージーかもしれませんねぇ。

しかし演じているエルトン・ジョンは、これを出した1973年当時、まさに向かうところ敵無し状態!

なにしろ「僕の歌は君の歌」を1971年に大ヒットさせて以来、同曲を含むLP「エルトン・ジョン」はシンガーソングライター作品の傑作として売れまくり、続けて「エルトン・ジョン3」「マッドマン」「ホンキー・シャトウ」「ピアニストを撃つな!」等々の傑作アルバムを途切れずに発表し、その合間にはラジオ放送音源から強引に作ったライプLPやサントラ音源も公式発売され、当然ながらシングルヒットも重ねていたのですから、素直に怖いもの知らずの勢いがありました。

もちろんそれらが全て受け入れられたのも、音楽性の変化が時代の要請にジャストミートする形で具象化されていたからで、逆に言えばエルトン・ジョンがそうした流れにきっちり応える実力者だった証でもあったのです。

それは初期のナイーヴな作風からゴスペル&カントリーロック、ちょいとバブルガムサウンド系のメロディアスなソフトポップスやオールディズ調のR&R、さらにはお洒落な元祖AORまでも包括した、実にリスナーの満足感を充足させる仕事ばかりでしたし、歌手としての「空気を読んだ」パフォーマンスも人気の秘密だったように思います。

で、そうした流れを受けて世に出たニューシングルが、この「土曜の夜は僕の生きがい / Satuday Nights Alright For Fighting」であり、おまけにB面にも2曲が入れられるという徳用盤としての価値も絶大でした♪♪~♪

しかもA面の「土曜の夜は僕の生きがい / Satuday Nights Alright For Fighting」が、如何にも当時の流行だったグラムロックとハードロックを痛切に意識した、これぞっ! エルトン流バカ騒ぎロックの決定版!

ここに後のケバケバしいばかりにド派手なエルトン・ジョンの新世界がスタートしたといって過言ではない、それこそぶっ飛ばし型アクションロックの源流が披露されたのですが、楽曲そのものとしては特に素敵なフックも出てこない、些か直線的な凡作かもしれません。

ただし、リアルタイムで聴いていたサイケおやじにとっては、唸るギターにドライヴするベース、ドカドカ煩いドラムスやイモっぽいピアノの伴奏がなかなか新鮮でしたし、今となっては温故知新かもしれませんが、それをエルトン・ジョンが演じてしまったところに卓越した目論見があったように思います。

一方、B面に収録された2曲は何れもアウトテイクっぽいと言ってはそれまでなんですが、まず「いたずらジャック / Jack Rabbit」はモロにカントリーロック丸出しの軽快な歌と演奏が良い感じ♪♪~♪ 各種楽器の用い方も流石に研究されているというか、上手いなぁ~~、と思いますねぇ。

そして侮れないのが続く「帰っておいで僕のところに / Whenever You're Ready」で、ちょいとホンキートンクスタイルのピアノとヘヴィなロックのグルーヴが一体化した、これは当時のキンクスやポール・マッカートニー&ウイングス等々がやっていた事に通じる旨みがいっぱい♪♪~♪

実は以前からサイケおやじは思っているのですが、エルトン・ジョンというミュージシャンは下積みも長かった所為でしょうか、とにかく流行に敏感であり、自分には無くとも、良いものは積極的に取り入れるという姿勢が強いソングライターでしょう。

それが時にはパクリとか物真似とか、様々に言われながら、決してバカにされなかったのは、エルトン・ジョンとしての音楽の才能がそこに活かされていたからであって、つまり影響を受けた歌や演奏よりも、さらに自分流に素晴らしいものを出そうとする創作意欲が、当時は絶好調だったんだと思います。

ですから1970年代のエルトン・ジョンが発表した楽曲の親しみ易さは、どっかで聴いたことがあるような微妙さが随所に活かされていたからであって、まさに職人技の冴えが楽しめたのですから、ヒットの連発も納得出来るはずです。

ご存じのとおり、以降のエルトン・ジョンは同年に完成された畢生の2枚組大作LP「黄昏のレンガ道」から「カリブ」「キャプテン・ファンタステック」「ロック・オブ・ザ・ウェスティーズ」と続くベストセラーアルバムを連発していた1975年頃までが全盛期でしょう。

それはちょうどロックやソウルをメインとする大衆音楽の世界が爛熟した時期と重なるのも意味深なところで、そこにパンクとかディスコなぁ~んてものが登場し始めたとたん、エルトン・ジョンが迷い道に入ったのも、これまた納得するべき流れなのでしょうか……。

尤も、それはあくまでもサイケおやじの独断と偏見に基づく個人的な好みでありますから、エルトン・ジョンを聴き続けていらっしゃるファンの皆様にとっては、大きなお世話という事も重々承知している次第です。

それでもリアルタイムでエルトン・ジョンの勢いに圧倒されていた時代を体験出来たのは至上の喜びなんですよねぇ~~♪

最後なりましたが、青春時代のサイケおやじの土曜の夜は、オールナイトの5本立映画興業で往年の名作や問題作を鑑賞し、日曜の朝になれば始発電車で爆眠しつつ、パン工場のバイトに行った日々が確かにありました。

そんな若き日々に、エルトン・ジョンが歌ってくれた様々な名曲がジャストミートしてしまうのも、なかなか良い思い出になっているのでした。

コメント (2)
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