■明日なき暴走 / Bluce Springsteen (Columbia / CBSソニー)
プロのミュージシャンは音楽的才能が有って当然、しかもルックスというか、やっている事に相応しい佇まいが有れば尚更に好ましいわけで、平たく言えば、カッコイイ~奴が見せてくれるロックなんてものは、それだけで許されたとしても、一概に否定は出来ず、それこそがロックの真髄!?
そんな逆説さえも立派に証明してみせたひとりが、本日の主たるブルース・スプリングスティーンでした。
おそらくは1970年代後半から1980年代中頃まで、一番に「らしい」ロッカーだった、とサイケおやじは思っていますし、実際、「成りきって」後追いデビューした者は世界中に大勢いましたからねぇ~~~。
しかし、だからと言って、サイケおやじは決してブルース・スプリングスティーンの信者ではなく、むしろ苦手です。
だって、これはサイケおやじの語学力の不足が大きな要因ではありますが、あの肝心なところでモゴモゴと言葉を濁す歌いっぷりは、その歌詞の本質に具体性が強く存在しているだけに、どうにも煮え切らず、イライラさせられるんですよ……。
もちろん、日本人の我々が洋楽に親しむ時、そこに「言葉の壁」が立ちはだかっているのは自明の理ですし、歌詞の意味が完全に理解出来なくとも、そこにリズムに上手く乗っかった語感の良さがあれば、それで充分に満足させられてしまうのが大衆音楽の魅力の秘密なのでしょう。
それは何も日本だけの現象ではなく、例えば英語が普通に話されているロックやソウルの本場というアメリカにおいてさえ、ボブ・ディランに至っては歌詞の中の単語の意味そのものは理解出来ても、歌詞=詩の全体の意味は全く不明という楽曲が多く、つまりは何を歌っているのか分からなくとも、それを聴いての気分が感度良好ならば、それで良し!
そ~ゆ~部分があるからこそ、ボブ・ディランはスーパースタアでありますし、例え一片でも、分からないというその中からグサリっとリスナーに突き刺さってくる真実に気がつくよう、導く力量こそが、その証明という理屈もあるような気がします。
しかし、肝心なところを不明瞭に歌う手法は、何もブルース・スプリングスティーンの発明ではなく、古くは黒人達が演じていたブルースに多く散見される、一種の思わせぶりのようです。
極言すれば、黒人ブルースの歌詞には「比喩」が多く、それでも明言出来ない様々な事象をモゴモゴと節回すことで、逆に強烈な印象を与えるという、如何にも社会的な弱者といっては失礼になるのでしょうが、とにかくそこに反骨とか抵抗という、後のロック思想の萌芽がある事は否定出来ないと思います。
さて、そこでブルース・スプリングスティーン!
サイケおやじが初めて聴いたのは、1975年秋の米軍極東放送=FENからの音楽番組で、矢鱈にエキサイトした語り口のDJがその後も何回か流していたのは、本日掲載のシングル盤A面曲「明日なき暴走 / Born To Run」だったんですが、告白すれば、その時は何とも思っていませんでした。
ところが、ちょうど同じ頃、入れてもらっていた学生アマチュアバンドの練習で訪れた某リハーサルスタジオ、と云っても実態は楽器屋の倉庫なんですが、とにかくそこの休憩室に置いてあったレコードのあれこれの中にあったのが、このシングル盤!
いゃ~、これは皆様にしても一目瞭然だと勝手に思い込む事にしておりますが、ど~です、このジャケ写のカッコ良さ!
まさにロケンロールがど真ん中でしょう~~~~♪
サイケおやじが瞬時に瞠目させられたのもムベなるかな、しかも入っていたのが、折しも前述した「Born To Run」であり、さらにシビレたのが「明日なき暴走」というイカシた邦題!!
そして、あらためてその場で鳴らしてみれば、これがぶ厚い演奏で作られたアメリカンロックの王道であり、同時にハードなフォークロックと懐メロな雰囲気が横溢した、なかなか当時は有りそうで無かったサウンドでした。
しかし、良く知られているように、ブルース・スプリングスティーンの本質はシンガーソングライターであり、青春の迷い道や社会的なテーマを様々な角度や思惑から歌い込んだ歌詞に共感を集めるのが評価や人気のポイントだと言われていますから、1973年の公式レコードデビュー当時は「第二のディラン」として売られていたという方向性に間違いは無かったと思います。
ところがブルース・スプリングスティーンには骨太なハードロッカーとしての「もうひとつの顔」が最初っからあったようで、アマチュア時代から積み重ねてきた夥しいライブの現場主義から注目されるという、その肉体派的な存在感は、むしろ分かり易いものでしょう。
また、レコーディングされた楽曲の要所に仕込まれた、どっかで聞いたようなリフやアレンジの妙はニクイばかりで、そのあたりは普通にオールディズ趣味とばかりは決めつけられない味わい深さ、というよりも、確信犯的な魅力に満ちています。
それはこの「明日なき暴走 / Born To Run」においても、提示されたサウンドの厚みはフイル・スペクターの代名詞=所謂「音の壁」に影響されたものとしか思えませんし、低音弦を意図的に使ったようなギターの存在感にも、往年のエレキインスト物を想起させられてしまいますねぇ~~♪
多分、ブルース・スプリングスティーンは昔っから馴染んだヒット曲に執着する(?)趣味性を持ち合わせているに違いないと思いますし、夥しく残されているライブソースから世の出たブート盤には、そんなこんなのオールディズカバー曲がちりばめられているあたりは、なかなかの正直者!?
その点はサイケおやじも共感を覚えるわけですが、だからといって、繰り返しますがブルース・スプリングスティーンをノー文句で楽しめないのも本音です。
お叱りを覚悟で告白させていただければ、ブルース・スプリングスティーンよりは佐野元春を聴いていたほうが……、とまで思うんですよ。
だって、佐野元春の方が言葉の意味がストレートに伝わってくるし、それが本家の替え歌だとしても、真意が憶測でしか理解出来ないブルース・スプリングスティーンよりは真っ当なんじゃ~なかろうか?
あぁ、何が悲しくて、我々日本人が、ボ~ンインザ、ユエスエ~~♪ なぁ~んてライブの会場で合唱しなければならなんでしょうかねぇ~~~~!?
ブルース・スプリングスティーンは流石にプロですから、その場で失笑するなんてこたぁ~ないんでしょうが、いやはやなんともというのがサイケおやじの偽りの無い気持ちてす。
ということで、本日は完全に独断と偏見の大行進になってしまいましたが、あえてロック野郎と呼びたいほどのカッコ良さは、ブルース・スプリングスティーンの大きな魅力だと思っています。