OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

こんな時代に聴きたい歌

2009-08-31 08:40:07 | 歌謡曲

自動車ショー歌 / 小林旭 (クラウン)


大方の予想どおり、衆議院選挙は民主党の圧勝!

しかし、これでも新しい希望が感じられないのは何故?

それと私の良く知っている者が民主党で当選してしまった!?!

いゃ~、過去の悪行や人柄・素行を知りすぎているだけに、おいおい、大丈夫か!? 選んでくれた国民を裏切るんじゃないぞぉ~~! と思わず複雑な心境になりました。それでも祝電は打ちましたけど、まあ、これからはせいぜい、利用させてもらいますぜっ。世の中は甘くないし、永田町や霞が関は魔界ですからねぇ……。

で、真面目に考えても我国は、「停滞」から「消耗」の時代に入ったと思います。国民が等しく前を向いていけるかは、大いに疑問……。もう、高度成長や昭和元禄、バブルなんて夢や天国は、二度と来ないということを認識していくことが必要でしょうね。

そしてこんな時代だからこそ、昭和元禄の歌謡曲が愛おしい♪♪~♪

本日のご紹介は歌う映画スタアの第一人者として、絶大な人気があった小林旭の代表曲のひとつですが、なにしろイントロのブギウギ音頭なオーケストラのイントロからして、最高に楽しいですねぇ~~♪

もちろん歌詞はご存じ、(トヨ)ペットからニッサン、パッカード、シボレー、クラウン、ジャガー、フォード、ベンツ、デボネア、ルノー、ブルーバード、デボネア……等々、発売された昭和39(1963)年当時の内外人気車種をダジャレ的に使った、それこそノーテンキなお笑いソング♪♪~♪ しかし妙にホロ苦い味わいもニクイところです。

自動車という、まさに高度成長経済の代名詞を歌ったところが、ズパリと当たりました。

演奏全体の日本民謡系ロックンロールなグルーヴ、小林旭の痛快な高音域ボーカルとノリの良さも白眉だと思います。

う~ん、小林旭は歌手としても本当に超一流! ですから歌いまくった主演映画が昭和50年代以降は破天荒だと笑われたって、それが今では唯一無二の芸風として、過去の日活主演作品が圧倒的な存在感で残っているのです。そうやって笑わせてしまうところも、時代を超えた素晴らしさじゃないでしょうか。

私が子供の頃は街中に映画の宣伝ポスターが貼ってあり、多くのスタアがそこから魅力を発散していました。中でも小林旭はカッコイイ、その代表でしたねぇ~♪ こういう、ありえないスタアこそが、現代の日本には必要なのかもしれません。

その意味でB面に収録された「ほらふきマドロス」のお気楽ムードは、その先行きの曖昧さとトホホのオチが、最高に素敵な決定版♪♪~♪

ということで、小林旭の歌に関しては、語り尽くせるものではありませんし、ましてや私の稚拙な筆では無理というものです。

ここらで止めても、いい、コロナぁ~~♪

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魔法の旅の奥の細道

2009-08-30 08:29:01 | Beatles

Magical Mystery Tour / The Beatles (Parlophone / 東芝)

ロックもLPで楽しむ時代となっては完全に半端者扱いになったEPではありますが、本日のご紹介は「全盛期ビートルズの」という以上に、世紀の傑作として不滅の価値を持つことは言わずもがなだと思います。

内容はビートルズが企画制作したテレビ映画の関連音源集という位置付けですが、7インチレコード2枚組、そして美麗なジャケットには放送フィルムからのスチール写真やイラスト、解説や歌詞の入ったプックレットが綴じ込みになっているという、実に凝った作品なのです。

 A-1 Magical Mystery Tour
 A-2 Your Mother Should Know
 B-1 I Am The Walrus
 C-1 The Fool On The Hill
 C-2 Flying
 D-1 Blue Joy Way

収録各曲については後年、米国キャピトルが主導して作った12インチの同名LPに当時のヒットシングル「Strawberry Fields Forever」や「愛こそはすべて」、そして「Hello Goodbye」等々と抱き合わせで収められ、それが全く違和感が無いというところから、ある意味では「サージェント・ペパーズ」の続篇といって過言ではないと思います。

しかし既に何度か述べたように、少年時代のサイケおやじはアルバム「リボルバー」以降のビートルズに対して、率直に大いなる不安を抱いていましたから、当然ながら「Strawberry Fields Forever」には絶望し、「サージェント・ペパーズ」も???

それでも「愛こそはすべて」に救いを見い出し、「Hello Goodbye」で再び光明が射した直後だっただけに、昭和43(1968)年の春に我国で発売となったこのEPは、それこそ心勇んでゲットした記憶が今も鮮明です。

実は当時のラジオから、ビートルズの新作はEPスタイルで、それはイギリスでテレビ放送されたビートルズ映画(!?)の主題歌集という情報を得ていたのです。そして併せて、その中のタイトル曲や「The Fool On The Hill」を聴いていたのですから、シビレて当然の気持はご理解願えると思います。

特に「The Fool On The Hill」には、雑音まじりのラジオから流れてきた瞬間、胸が熱くなるような感動を覚えました。その諦観が滲むメロディのせつなさと伸びやかさ♪♪~♪ フルートだかリコーダーだか、判別不能の笛の音も、心に染み込んでまいります。

ちなみに当時の我国では、肝心のテレビ映画「マジカル・ミステリー・ツアー」は未だ放映されておりませんでしたが、綴じ込みプックレットに掲載のスチール写真を眺めてみれば、そこにはサイケデリックな衣装に身を包んだビートルズやお気楽で曲者揃いのお客さんが、バス旅行をしながらサーカスを観たり、大盛りのスパゲッティを食べたりという、実に刹那的な享楽が満載されていましたから、ますます好奇心を刺激されましたですねぇ~♪

そしてテーマ曲「Magical Mystery Tour」のスピード感溢れるポップな展開が、実は様々な録音技法によってウルトラサイケの世界を分かり易く作っていることに驚嘆するばかり! 尤もこんな事は完全に後付けの知識による言い訳です。リアルタイムではウキウキと聴きながら、不安な気分も確かに感じていたのです。

それは今でも怖い「I Am The Walrus」や「Blue Joy Way」の混濁して不気味なロックワールドで、もう完全に現実の悪夢となるのですが、ところがどっこい、これがクセになるんですねぇ~♪ まさにサイケデリックど真ん中の快感とでも申しましょうか、実はこのEPを聴くまでに強制されていた「リボルバー」や「サージェント・ペパーズ」の呪縛から、ここでスッキリ解脱出来たという感じなのです。

「毒喰らわば、皿まで」、あるいは「毒をもって、毒を制す」ということでしょうか?

とにかく、これで目覚めたサイケおやじは、ここでようやく「サージェント・ペパーズ」を入手する決意を固めるのですが、それはもちろんビートルズだけではなく、当時流行っていた他のヒット曲に顕著だったサイケデリックに感化されていたというわけです。

さて、本日掲載したのは、リアルタイムで私が買った「東芝オデオン盤」で、中身のレコードは当時の慣例として33回転になっています。そして値段は千円ぽっきり!

ところが後年、私は知人からイギリス盤のオリジナルを聴かせてもらう機会を得ました。するとそれまで耳に馴染んでいた「音」や「演奏」とは明らかに違う世界が、そこにあったのです。

理由はイギリス盤が45回転仕様だったことでしょう。

それゆえにメリハリの効いた音の粒立ち、本来は混濁した音作りの魅力が狙ったものと思い込んでいたサイケおやじは、ただただ、額に汗が滲むばかり……。

極言すれば、それと比較しての「東芝オデオン盤」は、幾分「ぬるい」雰囲気の音になっているのです。

ただし、それゆえに独得のハートウォームな手作り感があるのは確かでしょう。「The Fool On The Hill」や「Flying」といった幻想風味が欠かせない歌と演奏には、最適かもしれません。しかし「I Am The Walrus」は確実にイギリス盤の音の方が合っています。ちなみにこの曲はシングル盤「Hello Goodbye」のB面として既に発表されていたものですが、そっちはモノラルミックスでしたから、面白さが違います。そして個人的には、この曲が無ければ、キング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者」は、あれほど凄くはならなかったとさえ、強く思うです。

そして私がイギリス盤をゲットしたのは言わずもがな、なんとそこにはステレオとモノラルのふたつの仕様が存在し、前述した米国キャピトル主導の12インチLPの存在も含めて、各収録曲に極北的な違いのバージョンがあることに、愕然とさせられるのです。

あぁ、ビートルズって罪深い!?!

そんな不遜なことを、ついつい思ってしまうサイケおやじではありますが、そのあたりの詳細はご容赦願うとして、実は今度のリマスター盤で、いったいこうした諸問題がどうなっているのか、最高に楽しみな作品でもあります。

これには放映フィルム本篇に使われた音源、さらにはソフト化された時のサウンドトラックについても、厳しく検証していく必要があるのですが、それはあまりにも「奥の細道」です。結論から言えば、楽しくありません。

やはり音楽は、その言葉のとおり、楽しむことを第一義とするべきでしょうね。

ということで、本日は深く反省しております。暴言、ご容赦……。

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ビートルズのコンパクト盤は魔界!?

2009-08-29 10:57:12 | Beatles

ザ・ビートルズEP第1集 (Parlophone / 東芝)

昭和41(1966)年秋に発売されたアルバム「リボルバー」という、私にとっては問題作によって、完全にビートルズについていけなくなったサイケおやじは、しかしやはりビートルズが好きでしたから、それまで持っていなかったレコードを集める道へと歩みを進めました。

しかし、ホイホイとLPを入手出来る経済力があるわけも無し……。

そこで4曲入りの通称「コンパクト盤」に狙いを定め、まず最初にゲットしたのが、本日ご紹介のEPです。ちなみに、これはビートルズ物では我が国最初の1枚です。

 A-1 Twist And Shout
 A-2 Please Please Me
 B-1 I Want To Hold Your Hand / 抱きしめたい (simulated)
 B-2 She Loves You (simulated)

まず、収録曲がビートルズ初期を代表するメガヒットばかり! それが大きな魅力でした。

加えてジャケットに大きく表示された「STEREO」という輝かしい文字!

実はこのEPの発売は昭和39(1964)年の8月でしたが、収録曲は既に世界中で大ヒットしていながら、我国ではその時点でステレオバージョンがアルバムも含めて、全く出ておりませんでした。つまり、ここで既に知られていた楽曲を再び売るためには、「STEREO」というセールスポイントが必要だったのでしょう。

ちなみに私の家では度々述べてきたように、テレビよりも先にステレオがあったにもかかわらず、肝心の鳴らされるレコードのほとんどがモノラル仕様という矛盾がありました。というよりも、国内で制作発売されていたレコードそのものが、この頃はモノラル盤が当たり前だったのです。

で、早速、針を落としてみると、おぉ~~♪

今でこそ「Twist And Shout」や「Please Please Me」のオリジナルステレオバージョンは歌と演奏が右と左に泣き別れとして賛否両論ですが、まだまだ当時はそれが常識というか、昭和41(1966)年の時点でも十分に感動的だったのです。

特に「Twist And Shout」ではジョンのボーカルが尚更に迫真のシャウトに感じられ、個人的には右チャンネルに集中して聴いていたほどです。

また「Please Please Me」は聴いた瞬間、強烈な違和感!

なんかボーカルが??? なんですねぇ……。

これは今では有名な事実なんですが、それまでのシングル盤や日本盤LPに入っていたモノラルバージョンとは、演奏パートがほとんど同じくせに、ボーカルやコーラスそのものが別テイクという真相があったのです。

なにしろ3番では歌詞があやふやになったジョンが次の瞬間、照れ笑いみたいな節回しを演じているほどです。

う~ん、やっぱりビートルズは深いですよ♪♪~♪

ちなみにこのバージョンはステレオミックスのLPでは、ほとんどに収録されています。

そしてさらに問題なのがB面です。

なにしろ「STEREO」をウリにしていながら、収録の2曲ともが疑似ステレオ疑惑なんですよっ! いや、これはもう疑惑なんてもんじゃなくて、明らかに疑似ステレオ! つまり詐欺じゃねぇのかっ!?

なんて憤るのは、今になっての感慨です。当時はビートルズのヒット曲を自分で所有して、存分に楽しめるという、それだけで大満足でした。

ちなみに「抱きしめたい」に関しては、後にリアルステレオのバージョンが、例えばベストアルバムの「オールディーズ」や通称「赤盤」に収録されましたが、この時点ではアメリカも含めて、それが出来ていなかったのでしょう。ただしここで特筆すべきは、このEPに収録の疑似ステレオバージョンが、アメリカあたりで流通している同バージョンとは微妙に異なる雰囲気だということです。

ここからは、あくまでも私の妄想になりますが、おそらく東芝レコードが自社にあったモノラルのマスターコピーから独自に作り出したものじゃないでしょうか? というのも、疑似ステレオは電気的な処理によって低音~高音の鳴りを強引に左右に振り分けたり、エコーを強くして、その残響効果でステレオ感を出すという裏ワザなんですが、アメリカ盤に収録のバージョンと比べると、このEPに収録の「抱きしめたい」はエコーの雰囲気が薄くなっているように感じます。

そのあたりは「She Loves You」になると、更なる問題提起に繋がります。

良く知られているように、この曲は今日に至るまで、リアルステレオのバージョンが発表されていません。それはオリジナルの2トラックによるレコーディングマスターが廃棄処分になっているからで、つまりはモノラルのトラックダウンマスターしか残されていないのです。

したがって疑似ステレオでしか「STEREO」で売る方策が無いわけですが、これもまた、このEPに収録のバージョンは我国独自のものじゃないか? と思われるような……。

それはエコーの雰囲気のみならず、非常に微妙なんですが、それまで耳に馴染んでいたものからすると、演奏スピードが遅いような気がするのです。

まあ、このあたりは個人的な感覚の差異があって当然ですから、断定は致しません。ちなみにEPは33回転、シングル盤は45回転という再生スピードの問題もあろうかと思います。

ただ、そんな「奥の細道」への誘いが、ここにもあったことは確かです。

ということで、我国でビートルズの初期楽曲が完全ステレオバージョンで発売されたのは、オリジナルアルバムで言えば昭和39(1964)年9月の「ビートルズがやって来る / A Hard Day's Night」からですし、それ以前の「ブリーズ・プリーズ・ミー」や「ウイズ・ザ・ビートルズ」は、曲順を組み替えての来日記念盤した「ステレオ!これがビートルズ」の1&2集が出た昭和41(1966)年5月末のことでしたから、それ以前に世に出たこういうEPの存在は、いろんな意味で嬉しいものだったと思います。

今日では過去の遺物というか、その使命を終えた感もありますが、仔細に検討すれば、まだまだ「奥の細道」へと繋がる何かが隠されている可能性が否定出来ません。

いよいよ発売が近づく新リマスターによる作品群では、それがどのようになっているか? また「She Loves You」のリアルステレオバージョンが登場するか、否か!?

全く楽しみが尽きない、今日この頃です。

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可憐でキュートな小畑ミキ

2009-08-28 10:50:53 | 歌謡曲

ジェーン・ジェーン / 小畑ミキ (テイチクユニオン)

昭和歌謡曲の女性歌手は「スタア」であって、決して「アイドル」ではないというのが、サイケおやじの1960年代までの認識です。そして、それを打ち破ったのが以前にも書いたとおり、岡崎友紀だと思うのですが、実は昭和42(1967)年、極めて「アイドル」に近いところまでいった「スタア」が登場していました。

それが小畑ミキです。

彼女は掲載ジャケットをご覧なれば一目瞭然、日米ハーフで、本業は当時の人気モデルのひとりでした。そして作詞の才能があったことや、最高にキュートなルックスとスタイルが注目されていましたから、ついに17歳の時にレコードデビューしたのです。

ただし歌唱力は決して素晴らしいとは言えません。

このあたりは昭和40年代後半から1980年代のアイドル全盛期へと繋がる、まさに芸能界の美しき流れの本流でもありますが、残念ながらリアルタイムでは大きなヒットは出すことが出来ませんでした。

しかし後年、後追いで昭和歌謡曲を聴いている新しいファンに小畑ミキが発見され、そのアイドル性が再認識されたのは、当時を知っている私のような者には懐かしさと胸キュンの思い出が複雑に入り混じり、せつないような、嬉しいような……。

確か本格的な歌手活動はシングル盤を5~6枚しか残していないと思われますが、実は作詞家として、引退後も幾つかの作品を提供しているようです。

で、本日ご紹介のシングル盤は、おそらく2枚目の発売だと思いますが、これが全く歌謡曲離れしたGSポップス♪♪~♪ ガレージロックのガールパンクなR&Rの開祖といって過言ではない魅力が溢れ出た名曲名演だと思います。

その脱力してキュートな小畑ミキのボーカル、自身が作詞したアイ・ラビュ・ラビュ~♪ というキメ、解ぁ~って欲し~いぃぃぃ~♪ と、せつなく歌われる乙女心のストレートな感性が、如何にも芸能界どっぷりのところから素人っぽい世界への逆飛翔のような微妙さで、グッとシビレますよ。

さらにバックの演奏とコーラスが、実力派GSバンドだったアウトキャスト! ガッツ~ンとキメるイントロから、軽さの中にもビシッとロックのビートを叩きつけていくグルーヴは流石だと思います。間奏の「Terry-sh」なギターソロと小畑ミキに合わせるコーラスも良い感じ♪♪~♪

またB面に収録された「ハイ・ミスター」は同じくアウトキャストの演奏をバックにした4ビートの歌謡ロック! これもまた、最高に胸キュンの昭和の味わいなんですよねぇ~♪ ほとんど「こぶし」がつかない小畑ミキの、本当に棒読みの節回しが、アウトキャストのカッコ良い演奏と刹那コーラスで、なんとも言えない不思議なムードに化学変化していく、これも名曲名演だと思います。

繰り返しますが、小畑ミキの歌は上手くありません。

ですからテレビ出演で歌った時など、けっこう悲惨な場面も私の記憶に残っていますが、それも彼女のキュートなルックスと憎めない笑顔があれば、結果オーライ♪♪~♪ というよりも、歌でミスってこその魅力というか、そっちこそが小畑ミキの存在感だったように、失礼ながら、今は思っています。

実際、ブラウン管の中で、はにかむ彼女の魅力は絶大でしたよ♪♪~♪

ただし、それでも彼女が「アイドルに近いところ」までしか行けなかったのは、小畑ミキという女性が、あまりに美人すぎて、所謂「敷居が高い」という雰囲気だったからでしょう。テレビに登場する彼女が大好きだったサイケおやじにしても、きっとこの人とは、永久に口もきけないだろうなぁ……、という最初っからのあきらめが、確かにあったのです。

それは「スタア」の必要十分条件ではありますが、ちょっと勿体なかったなぁ……、と思います。

ちなみに彼女が残した他の楽曲は、昭和歌謡曲に染まりきったものからオールディズポップスやヨーロッパ系の美メロ曲まで、ちょいと一貫性に欠けています。そこには小畑ミキという素敵な美女の資質を活かす試行錯誤があったのは否めません。そして結局は大ヒットを出せぬままに引退されたのも……。

ということで、彼女の残した歌の幾つかは、喜ばしいことにCD復刻もなされているようです。そして本当の魅力を伝える映像復刻も、強く望みたいのは、私だけではないでしょう。当然ながら彼女はタレント活動もやっていましたから、全く可能性が無いとは決めつけられません。

こんな思いは伝わるのでしょうか……。

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ビートルズのR&R、米国盤をゲットしよう!

2009-08-27 11:14:26 | Beatles

Rock'n' Roll Music / The Beatles (Capitol)

最近はビートルズばっかりというのが、実はサイケおやじの日常です。

というのも、当然ながら9月に予定されているビートルズのリマスターCDの発売が近づいているからに他なりませんが、諸事情からストーンズ命の世界に入っている私にしても、やっぱりビートルズって、良いですねぇ~~~♪ という本音は隠せません。

さて本日ご紹介のアルバムは1976年に発売された編集盤で、アナログLP2枚組の中にはタイトルどおり、ビートルズのロックンロールな曲がテンコ盛り♪♪~♪ 元々は我国の東芝レコードが企画したものと言われていますが、それというのもアルバム「ラバーソウル」の頃から本来はオリジナル仕様に拘っていたビートルズも、1969年秋に締結されたEMIとの再契約で印税等の有利な条件を得るために、1976年以降にはレコード会社側に既発音源の自由な編集権を許可した結果だとか……!?

まあ、それはそれとして、この企画に最初に乗ったのが米国キャピトルというのが、またまた様々な奥の細道へのご案内となるのです。

ところで私は、このアルバムが出ると知って、実際に店頭に並んでいても正直、リアルタイムでは、ほとんど興味がありませんでした。だって未発表曲があるわけでもなし……。ところがそんなある日、友人から電話をもらったのです。

 「おい、今度のビートルズの再発2枚組は、違うぞっ!」
 「えっ?、あのロックンロールっていう、の?」
 「そうだよ、とにかく聴けば吃驚だけど、ステレオのミックスから違うんだ!」
 「う~ん」
 「言っておくけど、アメリカ盤じゃなきゃ、ダメだかんねっ」

なんていう会話も生々しい記憶ではありますが、とにかく聴かなければ、いかんなぁ~、という気分が高揚したのは確かです。そこで早速、輸入盤屋へ行ってみると、ちょうどバーゲン価格として2枚組が1680円で売っていたのもラッキ~~♪

 A-1 Twist And Shout ★▲
 A-2 I Saw Her Standing There ★▲
 A-3 You Can't Do That ★▲
 A-4 I Wanna Be Your Man ★▲
 A-5 I Call Your Name
 A-6 Boys ★▲
 A-7 Long Tall Sally
 B-1 Rock And Roll Music
 B-2 Slow Down
 B-3 Kansas City
 B-4 Money
 B-5 Bad Boy
 B-6 Matchbox
 B-7 Roll Over Beethoven ★▲
 C-1 Dizzy Miss Lizzy
 C-2 Any Time At All
 C-3 Drive My Car ★▲
 C-4 Everybody's Trying To Be My Baby
 C-5 The Night Before
 C-6 I'm Down
 C-7 Revolution
 D-1 Back In The USSR
 D-2 Helter Skelter
 D-3 Taxman
 D-4 Got To Get You Into My Life
 D-5 Hey Bulldog
 D-6 Birthday
 D-7 Get Back (album version) ★

まず針を落としてハッとさせられるのが、音の良さというか、これまでに比べると切れ味鋭く、ダイナミックなロックンロールの醍醐味が尚更に強く感じられます。

しかも全曲がステレオバージョンでの収録で、左右のミックスが既発音源とは逆になっていたり、ミックスをやり直して左右からの音が中央寄りに変えられているトラックさえあるのです。

それは演目につけた「★」が左右逆ミックス、「▲」がリミックスということで、詳細は割愛ご容赦願いたいところですが、その経緯については、ビートルズの専任プロデューサーだったジョージ・マーティンの独断であったというのが、有力な説です。

おそらくリアルタイムでのミックスダウンについては、後年まで納得出来ないものが、この時点での決断に至ったのでしょう。もちろん音質の改修も、同様だと思います。

しかく英国EMIは、こうしたリマスタリングには納得せず、イギリス盤には旧オリジナル音源を使用し、これは日本盤も追従しています。

ところが1980年になって英国EMIは方針転換! 2枚組アルバムを1枚ずつバラ売りする廉価商法に乗じて、アメリカ盤と同じリマスター音源を使っているのですが、なんと我国では、この時も同じスタイルの1枚物アルバムを発売していながら、音源は旧オリジナルマスターを使用するという、実に頑なな姿勢を貫いていますから、要注意!

ということで、今となっては様々な問題を残した編集盤ではありますが、CD時代になって更なるリマスター作業が行われた結果、このアルバムで聴かれたバージョンは無かったことにされてしまいました……。

もちろん公式なCD化もありません。

しかし、これも歴史なんですよねぇ。

ジャケットのビートルズは写真ではなく、イラストが用いられ、中のレーベルもコップに入ったコーラがデザインされた、如何にもアメリカどっぷりの企画仕様が、今となってはホロ苦いような……。もちろんこれは当時、係争中だった裁判沙汰で「アップル」が使えなかった等々の事情によるものです。

銀メッキ系の印刷が施されたジャケットも以外に手に馴染みますし、何よりも音の粒立ちがアナログ盤特有のハートウォームな響きと融合し、ビートルズのパワフルなロック魂がこれほどストレートに楽しめるアルバムも無いでしょう。

選曲は初期から後期まで、一応は年代順を考慮しつつも、その曲の流れの気持良さに拘ったブログラミングも秀逸だと思います。特に「Helter Skelter」が終わって、「Taxman」へと繋がっていくところでは、サイケデリックなムードがスタジオ内で醸し出され、それがクールで熱い当時のロック最先端の凄さと相まって、ビートルズを聴く快感が見事に蘇っています♪♪~♪ ここは何度聴いても、ちょいと感動しますよ。

また初期の歌と演奏ではシャウトと強烈なロックビートの鬩ぎ合いが、メリハリの効いたリマスタリングによって、尚更に鮮やかに楽しめます。しかも中には、これまで気がつかなかったビートルズの演奏の秘密が、あれこれと表出したのも、特筆されるでしょう。

個人的にはリンゴのドラムスが、どうしてこうも気持良いのか!? その一端が感じ取れたことも収穫でした。歌いながら叩きまくる「Boys」のバタバタしたノリが、実はロックンロールのど真ん中ですよ♪♪~♪

それと演奏パートのさりげないアレンジというか、ギターのリフやリズムパターンの斬新なところは、今に至るも古びておらず、やっぱり凄いと思います。

繰り返しになりますが、今後も無かったことにされるアルバムでしょうから、今のうちにゲットしておくことをオススメ致します。

もちろんそれは日本盤ではなく、アメリカ盤ですよっ!! ぜひっ!!!

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凄すぎた青山ミチ

2009-08-26 12:17:00 | 歌謡曲

ミッチー音頭 / 青山ミチ (ポリドール)

昭和歌謡曲の世界で一時、弘田三枝子のライバル的な存在だったのが、R&B歌謡曲の開拓者と私が密かに思っている青山ミチです。

彼女は日米ハーフで、父親が黒人だった所為でしょうか、本当に粘っこいビートと抜群のリズム感、さらにグッとソウルフルな歌声が最高の魅力でした。

なにしろ昭和37(1962)年にデビューした時から既に「奇跡の13歳」と言われるほど、素晴らしすぎる歌唱力を披露していたのです。もちろんオリジナルの歌謡ヒットと並行して当時の流行だったカパーポップスも十八番で、特に弘田三枝子と競作になった「バケイション」は、甲乙つけがたいほどの強い印象を残しています。

それは持って生まれた資質があってこその快唱なのは言わずもがな! そして本日ご紹介のシングル曲は、そうした魅力が全開となった昭和38(1963)年の大ヒットです。

まず驚くのが、曲タイトルとは完全に遊離している、ゴスペル系ロックンロールなノリの良さでしょう。「音頭」なんて、何処の国の音楽!?! と居直りすら感じさせるグイノリの黒人歌謡グルーヴが強烈です。

もちろんそれは制作者側の思惑どおり、「そ~だ、そ~だよぉ」というコール&レスボスンの調子良さ! エグミの強い青山ミチの「コブシ」の素晴らしさ、さらにパックのブギウギソウルなジャズバンドを強引に引っ張って行くボーカルの勢いに収斂していくのです。

リアルタイムでは小学生だったサイケおやじには、おそらくこれがR&B歌謡の初体験だったはずで、連日のように「そ~だ、そ~だよぉ」と口ずさんでいた日々が確かにありました。

ちなみにそうした黒いフィーリングを彩っているのが、バックの演奏に顕著なジャズロック的なグルーヴで、歴史的には有名なリー・モーガンの「The Sidewinder」がレコーディングされる以前でありながら、間奏のトランペットのアドリブが一瞬ながらリー・モーガン十八番のフレーズを吹いているあたりに、なかなか深いものを感じます。

いゃ~、それが実に快感なんですよっ!

そうだっ! これはジャズロック歌謡なんでしょうねぇ~♪

まさに初期青山ミチの魅力が全開した名曲名唱だと思います。

そして彼女はこの他にも多くの素晴らしい歌を残していますが、洒落た洋楽ムードの弘田三枝子と決定的に違うのは、演歌フィーリングをR&Bのグルーヴで堂々と演じきれるところかもしれません。それは正統派歌謡の「情熱の波止場」や「叱らないで」といった泣き節メロディとせつない歌詞の大ヒット曲を聴けば尚更に顕著だと思います。

自然体のぶる~す衝動が、もう最高♪♪~♪

しかし、それほど素晴らしい歌手でありながら、彼女は残念ながら失踪事件を繰返す等の問題行動でスキャンダラスな話題ばかりが先行し、また彼女自身の素晴らしい肉体美の方ばかりが注目されるという現実の前に、歌手としての活動が鈍りがちになって行きます。

それでも昭和45(1970)年秋には昭和歌謡曲畢生の傑作「雨の夜の恋は終わった」で見事な復帰を飾るのですが……。その後も窃盗、悪いクスリ、失踪……等々の事件を繰り返し、結局フェードアウトして行きました。

そういう破滅型の天才歌手と言ってしまえば、それはあまりにもせつなくなるほど、青山ミチの歌は凄すぎ!! 現在の彼女は罪の償いも終えられたようで、全盛期のレコーディングの幾つかがCD復刻されているのは幸いです。

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渚のミコちゃん

2009-08-25 11:54:45 | 歌謡曲

渚の天使 / 弘田三枝子 (日本コロムビア)


ベンチャーズやビートルズが流行る前の昭和30年代後半、我国で洋楽と言えばジャズとラテンが主流で、さらに日本語によるカパーポップスという分野が人気を集めていました。

これはそのものズバリ、海外のポップスヒットに独自の訳詞をつけたもので、メロディは洋楽、しかし歌われる中身は日本人にも親しみやすい生活感を大切にしていました。もちろんこれは我国でのロカビリーブームからの流れです。

歌っていたのは坂本九、パラダイスキング、中尾ミエ、森山加代子、田代みどり……等々、あげればキリが無いほどですが、中でも特に「パンチのミコちゃん」と呼ばれた弘田三枝子は、その溌剌とした歌いっぷりとコロコロとして可愛い体型、さらに屈託のない笑顔で絶大な人気がありました。

代表的なヒット曲としては「バケイション」や「素敵な16歳」、「思い出の冬休み」等々が有名でしょう。しかし実はほとんどが、他の歌手との競作であった事実も忘れてはならないと思います。

そこで当然、オリジナルの歌謡ヒットも望まれるのですが、弘田三枝子の場合は歌手としての実力がダントツでしたから、カパーポップス以外にジャズの分野でも本格的なビートで歌える数少ないひとりとして、何時しかそちらへ行ってしまったのが昭和40年頃だったと思います。

もちろんテレビ出演はありましたが、歌っているのはスタンダード……。

しかし昭和43(1968)年になって敢然と発売されたのが、本日ご紹介の名曲ヒット!

いきなりドライヴしまくって真っ黒に蠢くエレキベース、それに追従するのがダークなビートを刻むピアノ、さらに素敵なリズムをつけていくタンバリンとカッコ良すぎるドラムスというイントロは、完全に当時のモータウンサウンドを狙っています。

そして曲メロ前半はキャロル・キングの「悲しい気持 / It Might As Well Rain Until September」そのまんまなんですが、キメの「バンッバンッ」という掛け声が、まさに「パンチのミコちゃん」ですから、たまりません。おまけに全体のアレンジが当時の最先端だったハリウッドホップスのダンヒル調というか、フィフス・ディメンションあたりの味わいが美味しいかぎりです。

またサビの展開は1960年代ポップスの黄金律を様々にミックスさせた「泣き節」ですからねぇ~♪

もう、最初に聴いた瞬間から、サイケおやじはシビレが止まりませんでした。

そして勇躍、レコードを買ったんですが、実は告白すると、弘田三枝子のイメージからして、この曲も当然ながらカパーポップスだと私は思っていました。ところが何気なくクレジットを見て吃驚仰天! そこには「作曲:筒美京平」とあったのです。

あぁ、これほど洋楽ど真ん中のメロディを書ける作家が日本にも登場していたのです。

ちなみに曲の内容を書いた云々は、もちろん後付けで私が知った知識なんですが、それでも当時としては完全にR&Bで、さらにお洒落な感覚も併せ持った、なんて素敵な歌でしょう♪♪~♪ と最高に好きな昭和歌謡曲のひとつになったのです。

発売はタイトルどおりの狙いから7月、些かジャケットが暑苦しいのですが、夏から秋にかけてヒットし、確かその年のNHK紅白歌合戦でも歌っていましたですね。

弘田三枝子はご存じのとおり、この後にも同路線のR&B歌謡ポップスを幾つか出していますが、残念ながら特大のヒットにはなっていません。それはスバリ、この曲を筆頭に、カッコ良すぎたんでしょう。

それは作曲した筒美京平にも分かっていたはずで、以降はGSやポップス系歌手に提供する作品に、微妙な「泥臭さ」を加味していきます。それが時には「コブシ」であったり、「味」であったりする中で、大輪の花を咲かせた傑作メロディが多数残されたのは、今や歴史です。

その意味で、この「渚の天使」はカパーポップスと歌謡ポップスを見事に繋いだ名曲として、重要なのかもしれません。

ただし、そんなことを思いついたのは今になっての感慨です。リアルタイムでは、ただただ、その素敵なメロディとせつない歌詞、そして「パンチのミコちゃん」のグッとシビレるボーカルに夢中になっていたのです。

それは私に「筒美京平」という名前を強く意識させてくれた最初でもありました。

ちなみに、まだこの頃の弘田三枝子は、なかなか質量感の強い体型でしたが、しばらく後にはダイエットの成功により、別人のようにスマートになったスタイルが話題沸騰! そのダイエット本とシングル曲「人形の家」が、ともに大ヒットしたのも忘れられませんねぇ♪♪~♪

ということで、機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。

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トランクカバーでOK!

2009-08-24 09:55:51 | Beatles

Yesterday & Today / The Beatles (Capitol)

私がビートルズのレコードをリアルタイムで買うようになったのは、昭和40(1960)年9月に我国で発売されたアルバム「ヘルプ! / 4人はアイドル」からでした。もちろん東芝のオデオン盤ですから、一応は英国仕様と同じです。

と書いたのは、それ以前のビートルズのレコードは各国で独自にカットされたシングル盤や個別編集されたアルバムが様々に出回っており、ビートルズにしてもマネージメント側はそれで良かったのでしょうが、メンバー本人達はいろいろと考えるところがあったと言われれています。

それが表面化したのが、1965年のクリスマス商戦用に発売されたアルバム「ラバーソウル」で、相当に時間的な制約がありながら、収められた歌と演奏は捨て曲がひとつも無い名盤になっているのですが、なんとアメリカでは前述した「ヘルプ!」のアルバムが、同名映画のサントラ音源と抱き合わせで発売されていたことから、せっかくの最新作品集がオリジナル仕様の「ヘルプ!」から外された旧作との「まぜこぜ編集」で発売されるという……。

つまりアメリカでは商売がガメツイというか、LPにしても12曲以下の収録がビートルズ以外でも一般的な仕様でしたから、イギリスでは14曲入りのアルバムを組み替えて、ひとつでも多くのアイテムを作り出そうとしたのは、至極当たり前だったのです。しかし既に時代はシングル盤からLPアルバムでの表現へとミュージシャン側の意思が明確になりつつありましたから、穏やかではありません。

そこへ発売されたのが、本日ご紹介の問題作!

既に皆様がご存じのとおり、今では歴史の「ブッチャーカバー」が最初に用いられていたアナログLPですが、それはビートルズのメンバーが精肉解体工場の作業員として人形をバラバラしたあげく、それを抱えて微笑んでいるという、とても不気味なジャケ写とデザインになっていました。そして当然、各方面からの大クレーム! 発売元のキャピトルは速攻で回収に奔走し、そのオリジナル盤は忽ち、コレクターズアイテムと化しました。

そして同じ内容で再出荷されたのが、掲載した通称「トランクカバー」と呼ばれるデザインのアルバムです。ただし制作し直す時間が無かった所為で、初期プレスは既に出来あがっていた前述「ブッチャーカバー」のジャケット表に、新しく印刷した「トランクカパー」のデザインを貼り付けたブツも出回っていて、それを剥がすか否かでも、強烈な存在感を示す貴重盤になっています。

と、長々と述べさせていただいたのは、実は本日の前置きにすぎません。サイケおやじが書きたいのは、カパーよりも中身です。

 A-1 Drive My Car
 A-2 I'm Only Sleeping
 A-3 Nowhere Man / ひとりぼっちのあいつ
 A-4 Dr. Robert
 A-5 Yesterday
 A-6 Act Naturally
 B-1 And Your Bird Can Sing
 B-2 If I Needed Someone
 B-3 We Can Work It Out / 恋を抱きしめよう
 B-4 What Goes On
 B-5 Day Tripper

上記の収録演目は、今となってはミョウチキリンな編集盤でしょう。ご存じのとおり、英国オリジナル仕様のアルバム「ヘルプ!」「ラバーソウル」、そして「リボルバー」からのチョイスに加え、シングル盤オンリーのヒット曲が嬉しい収録ではありますが、もちろん全てがアメリカ本国では未LP化のトラックばかりでした。その事情は、前述したとおり、米国キャピトル側がやっていた独自発売の結果です。そして当然ながら日本では、このアルバムはリアルタイムで見送られ、昭和45年の秋になって、ようやく国内プレス盤として発売されることになります。

ところでサイケおやじは正直に告白すると、リアルタイムで発売された「リボルバー」には全くついていけず、あれほど好きで宇宙的な回数を聴きまくった前作アルバムの「ラバーソウル」、それに続くシングル盤「Paperback Writer / Rain」とは完全に次元が異なったとしか思えない中身に???

何と言うか、ほとんどの曲が不穏な空気と悪い予感に満たされたような味わいで、確かに楽しい「Yellow Submarine」や美しい「Her There And Everywhere」ぐらいしか共感出来るところがありませんでした。様々な要素が入りすぎて統一感が見い出せないアルバム全体の作りが、私には進み過ぎていたのです。

当然ながら「リボルバー」も、従姉から聴かせてもらっただけで買うことはありませんでした。しかもそこへ最新シングル曲の「Strawberry Fields Forever」が追い撃ちですからねぇ……。

まあ、このあたりの流れと問題は「Penny Lane」と「愛こそはすべて」によって、少しずつ解消されるのですが、こうして時が流れました。

そして昭和45年になって、ようやく我国でも発売された本日ご紹介のアルバムを聴き、まさに目からウロコ!?! 実は友人が買ったものを聴かせてもらったのですが、既に知っていた曲ばかりとは言え、その流れの自然な心地良さが、まず絶品♪♪~♪ 強引に頼み込んでテープコピーさせもらい、中毒症状を呈するほどに聴きまくりました。もちろん持っていなかったアルバム「リボルバー」を買ったのは、言わずもがなです。

ちなみにアメリカでの発売は1966年6月とされていますから、本来は「リボルバー」に収録の「I'm Only Sleeping」「Dr. Robert」「And Your Bird Can Sing」が、本国イギリスよりも2ヵ月ほど早く世に出ていた事実は重大です。

もちろんサイケおやじは後年、このアルバムのアメリカ盤をゲットしていますが、そこではまたまた仰天! なんと前述3曲の疑似ステレオ疑惑が濃厚!!! それはおそらくアメリカでの発売を急がされたあげくの緊急措置だったと思われるのですが、その所為もあって、ステレオ盤が尚更に楽しめます。つまり収録演目がオリジナルの発売時期の相違から、本来はバラバラなミックスが上手く統一感を持たせた微妙なリミックスと編集によって、そうした違和感が上手く緩和されているように感じるのです。

アメリカ盤特有のカッティングレベルの高さも良い感じ♪♪~♪ アルバムとしての流れの良さも、さらに加速していますよ。

ただし、それはキャピトル盤だけであって、後年のアップル盤になると、前述した3曲もリアルステレオのバージョンに差し替えられ、またミックスのバラバラ感が元どおりに強くなってしまいました。前述した日本盤も同様です。

そのあたりはモノラル盤をゲットすれば特に気にする必要も無いのですが、こういう奥の細道もレコード鑑賞の楽しみだと思います。

そして誰もが一度はやったであろう、「私的お好みカセット」を作る時、サイケおやじはビートルズ中期傑作集として、この「イエスタディ&トゥディ」をベースとして、「Paperback Writer」や「Rain」を加え、さらに「ラバーソウル」や「リボルバー」からの選曲の後には、「Tomorrow Never Knows」で締め括るというアブナイ事をやっているのでした。

最後になりましたが、私は「ブッチャーカバー」のオリジナルは、当然ながら所有していません。しかし精巧なレプリカの海賊盤アナログLPは所有しています。それは世界的な名画の複製を壁に飾る事と共通するところかもしれませんが、流石に「ブッチャーカバー」は、その気になれません。

一説にはビートルズの米国キャピトルに対する嫌がらせとする「ブッチャーカバー」は、そればかりが話題にされますが、虚心坦懐に中身の編集が秀逸である事は、再評価が必要ではないでしょうか?

私は、好きです♪♪~♪

そして、これから楽しまれる皆様には、ステレオ仕様のキャピトル盤をオススメ致します。

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辺見マリに悩殺される

2009-08-23 09:38:19 | 歌謡曲

ダニエル・モナムール / 辺見マリ (日本コロムビア)

昭和歌謡曲の女性歌手では、お色気路線のスタアが大勢存在しますが、昭和44(1969)年末に公式レコードデビューした辺見マリの登場は、突出して印象的でした。

それは彼女がハーフの美女であることはもちろんですが、失礼ながら同系の人気歌手だった青山ミチや泉アキよりも、ずっと洗練されていたというか、如何にも歌謡曲的な「泥臭さ」がなかったのです。

特に本日ご紹介のシングル盤は両面ともに完全に洋楽というか、バートバカラック調の曲メロにフレンチポップスをミックスさせ、歌詞も男女の営みを描きながら、フランス語のセリフを入れたりして、モロな表現をお洒落なものに変換させる手法がとられています。

そして、そういうものを歌っても違和感がないルックスとムードを持っていたのが、辺見マリだったのです。

ご存じのように彼女は、平成の芸能界で活躍する辺見えみりの母親ですが、そのあたりは掲載したジャケットからも完全に母娘生き写しの図として、ちょっと感動的なものがあります♪♪~♪

ちなみに辺見マリは京都育ちの日米ハーフで、幼い頃にはCMモデルをやっていたそうですが、芸能界へは高校生の時にスカウトされ、大手の渡辺プロの所属としてテレビ番組のアシスタントや映画へのちょい役出演が、そのスタートでした。

そしてデビュー盤発売時は19歳ということで、キワドイ表現もOKでしたし、キュートで露出度の高い衣装や現代のテレビでは絶対に無理なアブナイ振付、そのフェロモン溢れるムードには、お茶の間が気まずい雰囲気になるほどでした。

で、このデビュー曲は既に述べたように、お洒落なフィーリングがいっぱい♪♪~♪ 特に「コブシ」を全く必要としない曲調は、当時の常識として行き過ぎた作りでしたから、ヒットしないのが通例だと思われていたのですが、流石は辺見マリの存在が勝っていたというか、アッという間のブレイクを果たしました。

つまり極言すれば、昭和歌謡曲も新しい段階に入ったという事だったんでしょうか。

もちろんサイケおやじは瞬間的に辺見マリにKOされてしまいましたですよ♪♪~♪

ただし当時は中学生だった私が、いくらなんでも、こんなウッフン、アッハンな曲のレコードを買って来て、自宅で鳴らすのは憚られるところ……。ですからテレビやラジオで聴ける彼女の歌こそが至福の一時というのが、その頃の真実でした。まあ、お金も無かったんですけどねぇ。

ということは、必然的に彼女が出演するテレビの視聴率が上がっていたという事になるわけですが、それを意識したかのように、辺見マリの歌いながらのアクションも、ますます強烈至極になっていきました♪♪~♪

それは続く2作目のシングル曲「経験」で更なる大ブレイク! 当然、楽曲も最高だったんですが、悩ましい手や腰の動きは完全なる悩殺歌謡! 今日、一部で言われるところのアクショングラマー路線の決定打になっています。

そして、こうした辺見マリの人気沸騰は、同じハーフ系歌手の山本リンダや小山ルミという先輩にも影響を及ぼし、後の新境地での活躍はご存じのとおりですが、肝心の彼女は絶頂期だった昭和45(1970)年秋に西郷輝彦との結婚を決意!?! 契約の関係から翌年までは仕事を続けましたが、結局は引退ということで、多くのファンを嘆かせました。

もちろんその後は結婚生活を経て、離婚から芸能界への復帰も果たしておりますが、やはり歌手としてはデビューから最初の引退までの活躍が全盛期でしょう。この間に残した楽曲は全てが素晴らしい限りですから、現在は多くがCDに纏められ、楽しむことが出来ます。

ちなみにサイケおやじが辺見マリのレコードを買い集めたのは、既に彼女が引退した後の事ですが、理由は前述のとおり、リアルタイムでの事情です。しかし未だに中古盤でもコンプリートは難しいんですよ……。

やっぱり人気が根強いんでしょうね♪♪~♪

そう思えば、ぜひともコンプリートのボックス物を企画して欲しいものですし、当然ながら映像において尚更の魅力を発揮出来る人でしたから、それもぜひっ!

ということで、辺見マリは歌手としては決して上手くはありません。しかし思いっきりの洋楽指向を昭和歌謡曲の世界に反映させるためには、こういう人の登場が必要だったと思います。

それはこのデビュー曲を書いた村井邦彦や同系のソングライターが共通する認識だったんじゃないでしょうか? 「コブシ」から脱却した昭和歌謡曲も、あって良い! それは後のニューミュージックへとダイレクトに繋がるものでしょう。例えば、このシングル盤のB面に収録された「ふりむかない季節」は、完全にバート・バカラックの替え歌といって過言ではない世界ですし、結果的に引退記念シングルとなった「サンドラの恋」にしても、芸能界を去っていく彼女の心情吐露がそのまんまという歌詞の内容ともどもに、素晴らしすぎる曲メロとアレンジが、お洒落歌謡の決定版♪♪~♪

前述した「経験」や他のヒット曲に表出している従来の歌謡曲寄りの作りにしても、「コブシ」をお色気なブレスや喘ぎ声にシフトさせたプロデュースが全く新しい世界になっています。

このあたりの辺見マリって、忘れらないです、やっぱり♪♪~♪

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どしゃぶりの和田アキ子

2009-08-22 11:00:14 | 歌謡曲

どしゃぶりの雨の中で / 和田アキ子 (RCA)

昭和歌謡曲にはコブシが不可欠ですが、それを黒っぽさと同義にすれば、今ではR&B歌謡という人気ジャンルとして不滅!

本日ご紹介は、中でも私が大好きな1曲です。

歌っている和田アキ子は今日、芸能界の大御所になっていますが、お色気やアイドル性が大きな人気の要素だった当時の女性歌手の中にあって、彼女の登場は、ある意味で衝撃だったと思います。

その公式レコードデビューは昭和43年10月25日、「星空の孤独 / バイ・バイ・アダム」のシングル盤ということになっていますが、実はそれ以前からテレビのバラエティ番組やラジオに出演していたことを私は覚えています。

もちろんそこでは、お馴染みの男っぽさ、さらに「女番長=恐いお姉ちゃん」という雰囲気をウリにしていました。しかし和田アキ子の本質は、本物のR&B感覚を持った素晴らしい歌手であり、それゆえに当時の我国芸能界では、その全てが「異端」としか言えません。

そして当然ながら、デビュー曲は全くヒットしませんでした。

ちなみに当時の歌謡界はポップス系が大きな流れになっていて、女性歌手では黛ジュン、小川知子、中村晃子、いしだあゆみ、伊東ゆかり、奥村チヨ……、といった女優出身者や再デビュー組が多いという、つまり芸能界どっぷりの美女揃いだったのです。それに対して和田アキ子は、大柄で低音の歌唱、さらにジーンズにサンダル履きとか、お色気の欠片も無い超本格派! これではいくら実力があっても、売れるはずもないのですが……。

それでも所属のホリプロは社長が直々にスカウトした彼女の売り出しに本腰を入れていたようで、テレビやラジオはもちろんのこと、映画でも「不良番長一攫千金」や「三匹の牝蜂(東映・鳥居元宏監督)」にもチョイ役で出演した他、主演作品の「女番長・野良猫ロック」という名作も作っていたのは、皆様がご存じのとおりです。

はっきり言えば、和田アキ子は「反アイドル」をウリにしていたように思います。

そして、それが実にカッコイイ! そのタテノリの歌唱は本当に強烈! 全くスケベ心を抜いた部分で、私は歌手・和田アキ子が好きでした。

残念ながら前述のデビュー曲は不発でしたが、続く2作目のこのシングル曲が翌年の春~夏にかけてジワジワとヒットしたのは、当然が必然でしょう。というか、本当に良い歌なんですよねぇ~♪

ちょいと不安感を滲ませたイントロからミディアムテンポの曲調は、当時流行の南部系黒人歌謡の流れを意識していますし、電子オルガンによるチープな音色のキメのリフが、なかなか素敵な味付けになっています。しかしプラスやギターの使い方は決してディープではなく、それでいてR&Bのキモはしっかりと押さえられたアレンジは秀逸♪♪~♪

それは粘っこくてコブシの効いた、まさに和田アキ子ならではの熱い歌唱を存分に活かすためのお膳立てとして、歌と演奏が完全融合したものだと思います。もしも、これで演奏パートが、もっと脂っこかったら、それこそコテコテのギトギトになって、ヒットは難しかったんじゃないでしょうか。

まあ、このあたりは十人十色の好みなのかもしれませんね。しかし私は、このぐらいが一番、好きです。失恋をストレートに綴った歌詞の世界も楽曲にジャストミートです♪♪~♪

ということで、和田アキ子は以降、歌手を本業としてヒットを連発していくのですが、何故か所属会社側の方針がプレていたように、今を思っています。それは契約の関係があったにしろ、映画出演も中途半端でしたし、テレビのバラエティ番組でも必要以上に「怖いお姉ちゃん」を演じていましたからねぇ……。もっと「歌手」としての和田アキ子に接したかったのは、私だけではないと思うのですが……。

それは現在、マスコミで偉そうに説教したりする彼女の姿にも、些かの失望さえ感じるほどです。というか、はっきりいえば好きではありません。

しかし昭和50年代中頃までの歌手としての素晴らしさは、やはり特筆すべきでしょう。ここ数年は再評価も、きっちりとなされていますが、いやいや、再評価なんて言葉は不要でしょうね。

だって、和田アキ子は「歌手」なんですから!

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