OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ニッポンの秋にオサリバン

2011-10-31 15:13:04 | Singer Song Writer

Alone Again / Gilbert O'sullivan (MAM / キング)

深まりゆく秋になると妙に聴きたくなるのが、所謂センチメンタルな歌でしょう。

例えば本日ご紹介の「Alone Again」は、まさにジャストミートの1曲じゃないでしょうか。

歌ってるギルバート・オサリバンは掲載ジャケ写からも一目瞭然、なんとも古風なズレ男風のルックス&ファッションが強い印象を残してしまうとおり、この「Alone Again」にしても当時の流行だったハードロックやグラムロック、あるいはシンガーソングライターが好んで使っていたカントリーロックや元祖AORなサウンドとは完全に異なる、言ってみればポール・マッカトニーが十八番にしていたアイルランド風美メロ主義を拡大解釈したような胸キュン志向で、そのゆったりと黄昏が滲んでいくような曲の流れや落ち着いたリズム、また内省的な歌唱法が見事に融合した名曲名演だと思います。

そして実際、1972年には世界中で大ヒット! 今では誰もが一度は聴いたことのある有名曲になっているのですが……。

サイケおやじが特に気になっていたのは、その早口言葉みたいな歌い回しが個人的にはほとんど聞き取れないのに、哀切感滲み過ぎの曲メロに浸っているだけで、せつない気分が増幅されてしまう雰囲気の作り方でした。

もちろんご存じのとおり、この「Alone Again」はなかなか哲学的(?)な歌詞が難解で、自殺とか、神様に見捨てられたとか、世界の不条理を嘆くとか、マザコンとか、そうした様々な人生の悩みを綴った内容らしく、それゆえに「また、ひとりぼっち……」というオチも分かりきっているはずなんですが、それをギルバート・オサリバンという、丸っきり時代にアクセス出来ないような風貌の男が書いて、自らが歌うという「演出」は侮れません。

実はギルバート・オサリバンは、ここで大ブレイクする以前から別人名義でレコードを出していた下積みが長く、またいろんなバンドでドラマーをやっていたとか、かなりの苦労人として過ごした時期から、既に自らのセールスポイントを模索していたと言われています。

で、その中でも一番ウケたのがチャップリンの物真似風ファッションだったそうで、もちろん芸風も影響されたのでしょうか、1970年頃にはノスタルジックな味わいと持ち前の美メロ主義が確立されたところで、イギリスの敏腕プロデューサーとして有名なゴードン・ミルズに認められ、ギルバート・オサリバンとしてデビューした履歴は、その音楽性との関連も無視出来ないと思います。

つまり温故知新のイメージがキワモノ寸前に演出されたのと同じく、ギルバート・オサリバンとしての歌には、当時の人々が忘れかけていた「ぬくもり」ようなものが感じられるんですよねぇ~♪

もちろん、それはイギリスだとか日本だとか、そういう風土風習に左右されない人間味に裏打ちされていると思います。

しかし結果的にアメリカでは、この「Alone Again」だけが突出してヒットした後、ある種のギミック歌手としての受け取られ方が大きいのは、これ如何に!?

ポール・マッカートニーやエルトン・ジョンが本国イギリス以上にアメリカでウケしていた同時期の成果を知るにつけ、やはりギルバート・オサリバンの「演出」はイヤミだったのでしょうか……。

それでも我国では根強い人気が今も継続していますし、その裏側でイギリス国内におけるマネージメントとの確執から裁判沙汰が長引き、音楽活動が儘ならなかった現実は哀しいですねぇ。

なにしろオリジナルアルバムの復刻にしても、これがきっちり上手く進まず、まあ、これは英米日のリアルタイムで発売されたLPの選曲が異なっていた所為もあるかもしれませんが、「Alone Again」以外にも多いヒット曲、そして琴線にふれまくる名曲がどっさりあるのですから、今に至るも納得出来るアンソロジーすら編まれていないのは酷い仕打ちだと思います。

ただしギルバート・オサリバン本人は日本贔屓らしく、CMへの楽曲使用や来日公演にも好意的ですから、その決定版が出せるのは我国だけじゃないでしょうか!?

これまた熱望してやみません。

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土曜日の夜の歌

2011-10-30 15:12:46 | Singer Song Writer

土曜の夜は僕の生きがい c/w いたずらジャック / 帰っておいで僕のところに
                                                                       / Elton John (DJM / 東芝)

昨日は昼間っから既にバカ映画と評判の「カーボーイ&エイリアン」を鑑賞♪♪~♪

そして映画館の外に出てみれば、街にはハロウィンの仮装をした女の子が目立つという、なにか非常に浮世離れした土曜日を体験させていただきました。

そこで思わず頭を過ったのが、本日ご紹介のシングル曲「土曜の夜は僕の生きがい / Satuday Nights Alright For Fighting」というのはイージーかもしれませんねぇ。

しかし演じているエルトン・ジョンは、これを出した1973年当時、まさに向かうところ敵無し状態!

なにしろ「僕の歌は君の歌」を1971年に大ヒットさせて以来、同曲を含むLP「エルトン・ジョン」はシンガーソングライター作品の傑作として売れまくり、続けて「エルトン・ジョン3」「マッドマン」「ホンキー・シャトウ」「ピアニストを撃つな!」等々の傑作アルバムを途切れずに発表し、その合間にはラジオ放送音源から強引に作ったライプLPやサントラ音源も公式発売され、当然ながらシングルヒットも重ねていたのですから、素直に怖いもの知らずの勢いがありました。

もちろんそれらが全て受け入れられたのも、音楽性の変化が時代の要請にジャストミートする形で具象化されていたからで、逆に言えばエルトン・ジョンがそうした流れにきっちり応える実力者だった証でもあったのです。

それは初期のナイーヴな作風からゴスペル&カントリーロック、ちょいとバブルガムサウンド系のメロディアスなソフトポップスやオールディズ調のR&R、さらにはお洒落な元祖AORまでも包括した、実にリスナーの満足感を充足させる仕事ばかりでしたし、歌手としての「空気を読んだ」パフォーマンスも人気の秘密だったように思います。

で、そうした流れを受けて世に出たニューシングルが、この「土曜の夜は僕の生きがい / Satuday Nights Alright For Fighting」であり、おまけにB面にも2曲が入れられるという徳用盤としての価値も絶大でした♪♪~♪

しかもA面の「土曜の夜は僕の生きがい / Satuday Nights Alright For Fighting」が、如何にも当時の流行だったグラムロックとハードロックを痛切に意識した、これぞっ! エルトン流バカ騒ぎロックの決定版!

ここに後のケバケバしいばかりにド派手なエルトン・ジョンの新世界がスタートしたといって過言ではない、それこそぶっ飛ばし型アクションロックの源流が披露されたのですが、楽曲そのものとしては特に素敵なフックも出てこない、些か直線的な凡作かもしれません。

ただし、リアルタイムで聴いていたサイケおやじにとっては、唸るギターにドライヴするベース、ドカドカ煩いドラムスやイモっぽいピアノの伴奏がなかなか新鮮でしたし、今となっては温故知新かもしれませんが、それをエルトン・ジョンが演じてしまったところに卓越した目論見があったように思います。

一方、B面に収録された2曲は何れもアウトテイクっぽいと言ってはそれまでなんですが、まず「いたずらジャック / Jack Rabbit」はモロにカントリーロック丸出しの軽快な歌と演奏が良い感じ♪♪~♪ 各種楽器の用い方も流石に研究されているというか、上手いなぁ~~、と思いますねぇ。

そして侮れないのが続く「帰っておいで僕のところに / Whenever You're Ready」で、ちょいとホンキートンクスタイルのピアノとヘヴィなロックのグルーヴが一体化した、これは当時のキンクスやポール・マッカートニー&ウイングス等々がやっていた事に通じる旨みがいっぱい♪♪~♪

実は以前からサイケおやじは思っているのですが、エルトン・ジョンというミュージシャンは下積みも長かった所為でしょうか、とにかく流行に敏感であり、自分には無くとも、良いものは積極的に取り入れるという姿勢が強いソングライターでしょう。

それが時にはパクリとか物真似とか、様々に言われながら、決してバカにされなかったのは、エルトン・ジョンとしての音楽の才能がそこに活かされていたからであって、つまり影響を受けた歌や演奏よりも、さらに自分流に素晴らしいものを出そうとする創作意欲が、当時は絶好調だったんだと思います。

ですから1970年代のエルトン・ジョンが発表した楽曲の親しみ易さは、どっかで聴いたことがあるような微妙さが随所に活かされていたからであって、まさに職人技の冴えが楽しめたのですから、ヒットの連発も納得出来るはずです。

ご存じのとおり、以降のエルトン・ジョンは同年に完成された畢生の2枚組大作LP「黄昏のレンガ道」から「カリブ」「キャプテン・ファンタステック」「ロック・オブ・ザ・ウェスティーズ」と続くベストセラーアルバムを連発していた1975年頃までが全盛期でしょう。

それはちょうどロックやソウルをメインとする大衆音楽の世界が爛熟した時期と重なるのも意味深なところで、そこにパンクとかディスコなぁ~んてものが登場し始めたとたん、エルトン・ジョンが迷い道に入ったのも、これまた納得するべき流れなのでしょうか……。

尤も、それはあくまでもサイケおやじの独断と偏見に基づく個人的な好みでありますから、エルトン・ジョンを聴き続けていらっしゃるファンの皆様にとっては、大きなお世話という事も重々承知している次第です。

それでもリアルタイムでエルトン・ジョンの勢いに圧倒されていた時代を体験出来たのは至上の喜びなんですよねぇ~~♪

最後なりましたが、青春時代のサイケおやじの土曜の夜は、オールナイトの5本立映画興業で往年の名作や問題作を鑑賞し、日曜の朝になれば始発電車で爆眠しつつ、パン工場のバイトに行った日々が確かにありました。

そんな若き日々に、エルトン・ジョンが歌ってくれた様々な名曲がジャストミートしてしまうのも、なかなか良い思い出になっているのでした。

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霧の中に置き去りのマッシュマッカーン

2011-10-29 15:51:36 | Rock

霧の中の二人 / Mashmakhan (Epic / CBSソニー)

昭和40年代の我国は未だ矢鱈な欧米への憧れがありましたから、洋楽も雑多な地域から流入していたのは、その所為かもしれません。

もちろんそこには英語を含む外国語が日常的に理解されていない日本社会の特質があって、それゆえに音楽のリズムに上手く乗った語呂の良さが優先されていた感もあるよう思います。

例えば本日ご紹介の「霧の中の二人 / As The Years Go By」は昭和45(1970)年晩秋から翌年春にかけて、それこそ我国ではチャートのトップを独走した奇跡の洋楽ヒット!

なにしろイントロからアップテンポで哀愁のフレーズを弾きまくるオルガンの響きは、これが全く日本人の琴線に触れまくる美味しさですから、既にツカミは完全無欠♪♪~♪ しかも続くメインの曲メロがとにかく調子良く、変形中華メロディように歌われる英語も、どこかしらミチョウチキリンにカタカナっぽいのも親しみがありました。

で、演じているマッシュマッカーンというグループはカナダ出身で、メンバーはピエール・セネカル(key,sax)、レイバーン・ブレイク(g,vo)、ブライアン・エドワーズ(b,vo)、ジェリー・マーサー(ds,per) という4人組なんですが、掲載ジャケ写からも一目瞭然、決してルックス優先のバンドではありません。むしろ当時最先端のニューロック的なムードが濃厚に感じられさえすると思うのですが、やってしまった事が所謂「バブルガムサウンド」なんですから、これ如何にっ!?

実は後に知り得た事なんですが、マッシュマッカーンの本質はロックジャズ主体のプログレ派であり、しかしブレイクには必須のシングルヒットの必要性から、この「霧の中の二人 / As The Years Go By」が捻り出されたのではないかという推察は容易でしょう。

そしてアメリカでの中ヒットに続き、日本での特大メガヒットが達成されれば、それはそれでメデタシメデタシというわけです。

ところが日本人特有の生真面目さからすれば、それは邪道と言うか、実は当時人気絶頂だったGFRの前座として来日が決定した時も、洋楽ファンの多くが???の気分に陥ったことは、この「霧の中の二人 / As The Years Go By」のあまりにも分かり易かった大ヒットによる裏目の気分ですよねぇ。

まあ、このあたりの結末はサイケおやじが当時のライプに接していない所為もあり、あくまでも独断的な印象なんですが、しかしマッシュマッカーンの売れたとは言えないアルバムには、真性ロックジャズがテンコ盛りなんですから、今となっては遅かりし由良之助……。

ボーカルはともかくも、演奏は決して下手ではありませんし、マッシュマッカーンを名乗って公式レコードデビューする以前にはハコバンとしての下積みも長かったそうですから、この類のヒット狙いのシングル盤にありがちなスタジオミュージシャンによる演奏とは明らかに一線を画す矜持が、この「霧の中の二人 / As The Years Go By」にはあるんでしょうねぇ~~♪

中間部でのギターメインのリフも、なかなかハードロックで良い感じ♪♪~♪

ちなみに日本盤シングルは、いきなり軽快なオルガンフレーズからスタートしますが、アルバムバージョンはその前に思わせぶりな重厚さが演出されていますから、それはそれで面白さがあって、彼等の「矜持」の証明かもしれません。

また近年DVD化された1970年のロックドキュメント映画「フェスティバル・エクスプレス」にはジャニス・ジョプリンやザ・バンド、さらにグレイトフル・デッドに混じって、マッシュマッカーンも登場していますから、本場でのライプの実力は当時から認められていたのだと思います。

そういえば前述したGFRの来日公演は「豪雨の後楽園球場」という伝説になって語り継がれていますが、実はマッシュマッカーンが演奏していた時から既に突風や雷雨が襲っていたそうですから、本当に嵐を呼んだのはマッシュマッカーン!

これは実際に当日のコンサートに赴いた良き先輩から、サイケおやじが事ある毎に聞かされる逸話として付け加えておきます。

ということで、芸人にとってのヒット演目は両刃の剣!?

それが本日の結論です。

このあたりは決して音楽ばかりではなく、映画演劇の俳優にとっても同様だと思います。

つまり一発の大当たりが、以降の活動を狭めてしまう事例は数え切れず、マッシュマッカーンにしても肝心のアルバムが少しも評価されないまま、1973年頃には解散したと言われています。

しかし今でも「霧の中の二人 / As The Years Go By」は、決して忘れられていないんですから、ここらでひとつマッシュマッカーンという「ロックジャズのバンド」を存分に楽しめる発掘音源&ボートラ付きのアルバム再発を願うばかり!

少なくともサイケおやじは決死的に熱望しております。

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エジソン・ライトハウスの悠久

2011-10-28 15:58:21 | Pops

恋のほのお / Edison Lighthoues (Bell / CBSソニー)

ラジオが未だ大きな力を持っていた1970年代には、とにかくストレートに聴覚へ訴える素敵な歌や演奏が必要とされていましたから、必然的に良いメロディや歌詞を書ける職業作家、そしてイヤミの無い個性を持った歌手や演奏家の大きな需要がありました。

つまり所謂「バブルガムサウンド」の類似として、サッと覚えて、スゥゥ~と忘れられながら、実は何時までも心に残るシングルヒットが求められ、それを狙った業界の動きも現代と比較すれば、特に活発化していた時期だったと思います。

このあたりの事情は、以前にホワイト・プレインズの「恋に恋して / My Baby Loves Lovin'」でも書いたとおりなんですが、他にもそうした歌の代表格として、永遠の傑作シングル曲となっているのが、我国でも昭和45(1970)年に驚異的に大ヒットした本日ご紹介の「恋のほのお / Love Grows」です。

とにかくイントロから低音弾きのギターによるビート効いたシンプルなフレーズが次の瞬間、グッと重心の低いドラムスとベース、さらには重層的なストリングによって増幅されるという、憎らしいほどキャッチーな仕掛に耳を奪われてしまいますし、曲メロの嬉しい予感の展開にはウキウキ感を抑えきれません♪♪~♪

しかもサビでは、これ以上無いという高揚感が煽られるんですから、これがヒットしなかったら世の中は終りですよねぇ~~♪

そして実際、ラジオ各局の洋楽チャート番組ではトップを独走し、これは欧米でも同じ状況の中、レコードの売り上げも抜群の実績を残した事は言うまでもありません。

こうして演じているエジソン・ライトハウスというイギリスのバンドは忽ち注目されたわけですが、結論から言えば、このデビューヒット「恋のほのお / Love Grows」が制作された時点では、所謂「実態の無いバンド」であった事が、今日では堂々の真実です。

それは有能なソングライターであり、また敏腕プロデューサーでもあったトニー・マコウレイが業界の需要を満たすべく企画したプロジェクトであり、セッションプレイヤーを動員して作った演奏パートをバックに歌っているのは、トニー・マコウレイとは因縁浅からぬトニー・バロウズ!

というか、当時のトニー・バロウズはちょうど前述したホワイト・ブレインズ名義の「恋に恋して / My Baby Loves Lovin'」を歌い、その「声」と「節回しの上手さ」が広く世界に知られた頃ですから、セッションボーカリストとしてもノリにノッていた時期だったと思います。

ですから、同系のスタジオの仕事として、トニー・マコウレイからの誘いにも躊躇が無かったんじゃないでしょうか。

そして狙いどおりの大ヒットを成し遂げた後、いよいよ実体化したエジソン・ライトハウスのメンバーはトニー・バロウズ(vo)、スチュアート・エドワーズ(g)、レイ・ドーレイ(g,vo)、デヴィッド・テイラー(b)、ジョージ・ウェイマン(ds) と公表され、掲載したピクチャースリーヴに写るのが、その5人と思われますが、既に日本盤裏ジャケの解説にはトニー・バロウズに関して、「エジソン・ライトハウスへの参加も単にセッション・マンとして、と発表しています」なぁ~んていう記述があるほどです。

つまり最初っからトニー・バロウズという優れたボーカリストの「声の魅力」で、この「恋のほのお / Love Grows」が大ヒットしたという現実を否定していないんですねぇ~~!?

さらに当時は日本ばかりか、世界中のポップスマーケットで、エジソン・ライトハウスとトニー・バロウズのソロ名義のシングル盤が乱立して発売されるという異常事態!

当然ながらプロデュースは両方共、ほとんどがトニー・マコウレイの担当でした。

ちなみに手持ちのレコードを漁ってみると、トニー・バロウズが参加したエジソン・ライトハウスのシングル曲としては、同バンドの第二弾「恋のテクニック / She Works In A Woman's Way」やホワイト・ブレインズの大ヒットをカパーした「恋に恋して / My Baby Loves Lovin'」があったんですが、リアルタイムでのエジソン・ライトハウスはトニー・バロウズ抜きの4人組として活動を続行! 翌年には「恋するペテューラ / It's Up To You Petula」を出していますが、制作からはトニー・マコウレイも撤退し、実質的に歌っているのはレイ・ドーレイだと言われています。

ただし、このあたりの逸話は、あくまでもレコードに付属の解説によるものであり、後にいろいろと出された復刻盤には、他のボーカリストの名前も出てきます。

というように、結局はエジソン・ライトハウスもバンドしての結束した集合体というよりも、メンバーが常に流動的な企画グループとしての本質が継続されていたのでしょう。

なんとっ! 日本でも昭和46(1971)年に流行った「涙のハプニング / What's Happening」でリードを歌っているのは、後に「秋はひとりぼっち / Forever Autumn」のヒットで有名になるヴィグラスとオズボーンのポール・ヴィグラスというのが定説です。

そしてエジソン・ライトハウスとしての日本盤ベストアルバムが出たのも、ちょうどこの頃だったんですが、その私有盤を確認したところ、収録曲は必ずしもエジソン・ライトハウス名義のトラックばかりではなく、トニー・バロウズがソロ名義でヒットさせた「いとしのメラニー / Melanie Makes Me Smile」や「僕のアイドル / Every Little Move She Makes」、そしておそらくは未発表となっていた楽曲も含まれた内容は意味深だと思います。

実は同時期、「エジソン・ライトハウス」は「エジソン」と改名し、レイ・ドーレイ(vo,g)、ジョン・リー(g)、デヴィッド・テイラー(b)、ジョージ・ウェイマン(ds) の4人組でシングル盤を出しているのですから!?

このあたりの経緯の複雑さは、マネージメント絡みであろう事は容易に推察出来ると思います。

と言うのも、今では我国も同様ではありますが、欧米では古くから芸名やバンド名は契約マネージメント側の権利も大きく、それゆえに同じグループ名の別バンドが各地に存在していたり、レコードの発売や興業にしても、堂々とそれが通用していたのも合法的な不思議のひとつという、なにか非常に割り切れないものがありますよねぇ。

そこでエジソン・ライトハウスのメンバー変遷につして、前述「涙のハプニング / What's Happening」の日本盤シングル裏ジャケ解説から引用すると、そこまでに三期のメンバー編成があったとされています。

 ※第一期
  トニー・バロウズ(vo)、スチュアート・エドワーズ(g)、レイ・ドーレイ(g)
  デヴィッド・テイラー(b)、ジョージ・ウェイマン(ds)
    「恋のほのお」「恋のテクニック」等々。

 ※第二期
  ポール・ヴィグラス(vo)、スチュアート・エドワーズ(g)、レイ・ドーレイ(g)
  デヴィッド・テイラー(b)、ジョージ・ウェイマン(ds)
    「恋するペテューラ」等々。

 ※第三期:エジソン
  レイ・ドーレイ(g,vo)、ジョン・リー(g)
  デヴィッド・テイラー(b)、ジョージ・ウェイマン(ds)

 ※第三期:エジソン・ライトハウス No.3
  ポール・ヴィグラス(vo)、アンディ・ロック(g)、ワーリー・スコット(g)
  デヴィッド・クリームソン(b)、エディ・リチャード(ds)
     「涙のハプニング」等々。

という事らしいんですが、第三期で分裂した時、「エジソン・ライトハウス No.3」はトニー・マコウレイから許可をもらったという記述もありますから、このあたりは「暖簾分け」の本家争いみたいな気もしていますし、実際、エジソンはレコード会社も新たにフィリップスと契約していたようです。

以上、エジソン・ライトハウスについて、サイケおやじが知りうるところを書いてみましたが、このプロジェクトが成功したのはトニー・マコウレイの他にもクリス・アーノルドやゲオフ・マーロウ、さらにはロジャー・クック&ロジャー・グリーナウェイといったソングライター達が縁の下の力持ち以上の働きをしていた事実を無視出来ません。

ただし一方、今日ではそうした要点ばかりが重要視されるのも個人的には納得出来ないところで、やはり実際に歌っていたボーカリストの「声」や「節回し」を素直に楽しむ事も大切なんでしょうねぇ。

特に最初の一撃となった「恋のほのお / Love Grows」は、曲やアレンジの素晴らしさと共にボーカリストとしてのトニー・バロウズを堪能出来るわけですからっ!

出会った瞬間のトキメキが何時までも続く永遠のスタンダードヒットとして、決して忘れられることは無いと信じているのでした。

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不滅のワイルド7

2011-10-27 15:15:28 | Movie

ワイルド7

ワイルド7!

このタイトル! この名称!

サイケおやじと同世代の皆様ならば、必ずや血が騒ぐはず!

と、毎度の独善的な書き出しではありますが、望月三起也が週刊少年キングで連載をスタートさせた昭和44(1969)年秋から十年間に描き続けられた「ワイルド7」は、日本漫画史に屹立する大傑作として、今も人気が継続し、オリジナルの連載終了後には続篇やアニメ版が作られたのは言わずもがな、リアルタイムで人気が爆発していた昭和47(1972)年10月からの半年間にはテレビ版も放送され、社会現象にもなった問題作でありました。

それは物語の基本的なプロットが超法規的処置により悪人を抹殺するという趣旨であり、そのために集められた犯罪者7人のバイク警官部隊が問答無用の悪人退治! 当然ながら各種武器の使用、バイクの暴走、過激な暴力、ドロドロした世の中の腐敗、復讐と怨念と裏切り、さらにはエロスの大サービス♪♪~♪

そんなこんなが漫画という世界ながらも、当時の青少年のストレスを発散させてくれたのですから、幼少の頃からバイク好きのサイケおやじが連載初回からシビれきったのは言うまでもありません。

正直、こんな職業があったら、自分は絶対に「ワイルド7」に入りたいっ!

そんな夢想を抱いたこともありましたですねぇ~、恥ずかしながら。

ちなみに物語中の敵役には悪徳政治家、マスコミ、大企業、テロリスト、国家権力、さらには国際ギャング団や少数民族までもが入り乱れて登場し、加えて仲間内の疑心暗鬼や所謂「どんでんがえし」の連続によるスリルとサスペンスが上手く構成されていましたから、長大なストーリーも絶対に飽くことを知りません。

しかもバイク好きには「ホンダCB」「スズキハスラー」「ハーレー」「BMW」「トライアンフ」「ノートンコマンド」等々、またガンマニアには「コルトバイソン」「ミリタリーモーゼル」「南部」「ルガー」等々といった人気のモデルが出てくるのもたまらないところでしたし、適宜の改造にもグッと惹きつけられましたですねぇ~♪

そしてさらに言えば、肝心のバイクアクションの強烈さは圧巻の描写で、確かに漫画の世界ならではの逆進や壁昇り、あるいは水上走行等々もありますが、決して笑い話ではありません。否、むしろそれがあるからこそ、夢中になったファンが続出したのでしょう。

ですからテレビで実写版が作られたのも当然の流れであり、放送開始から忽ち高視聴率を達成したのですが、その過激な描写や物語設定そのものが良識派から糾弾され、例えばPTAとか、香りの高い団体からの抗議は猛烈! ワースト番組の筆頭格に名指しされたのも、また当然……。

ただしテレビ版はオリジナル漫画版よりも抑えた内容になっていますし、確かに街中をバイクで疾走したり、マシンガンの乱射や爆発シーンのド派手さはお約束以上だったかもしれませんが、それほど睨まれるものではなかったと、サイケおやじは思います。

と言うよりも、本来ならば原作にあるエロスの部分、つまり望月三起也ならではのグラマー美女のヌードや拷問シーン、さらには日常的な色っぽい仕草といった場面がテレビ版では無いに等しく、それが完全に物足りないと思ったのはサイケおやじだけではありません。

そして時が流れました。

なんとっ! 以前から話題になっていた劇場版「ワイルド7」が近日公開決定!

既に公式サイトでは予告篇もご覧になれるわけですが、残念ながら美味しい場面が不足気味という不安(?)は否定出来ません。

また実写版になると出演者のバイクの扱いがモロに描かれるので、スタントは当然ながら、あまり馴染んでいないとシラケるのがバイク愛好者の本音です。

そうした要点は前述したテレビ版では、草波勝を演じた川津祐介がプライベートでもバイク好きだった事から抜群に上手く、また飛葉大陸の小野進也も流石だったんですが、それゆえにハッスルしすぎたのでしょうか、撮影中にカーブで事故って足に大怪我!? それでもギプスと麻酔で出演を続行していた小野進也の根性と責任感には敬服するばかりです。

しかし、それを口実に以前から批判され続けていた番組そのものが終了したのは残念だったんですが、実は制作費の完全オーバーも痛いところだったそうですし、今日ではDVD化もされていますから、その点も含めまして、これはぜひともご覧下さいませ!

さて、そこで本日掲載した画像は、そのテレビ版の主題歌を収めたシングル盤なんですが、版型が長方形なのは見開きで原作漫画からの挿絵やドラマのスチールが入っているためで、当時はこうした企画物がドラマやアニメ関連作品では相当に出回っていました。

 お前がやれぬぅ~ ことならばぁ~
 俺が この手でやってやるぅ~~
 そうさぁ~ この世のどぶさらいぃぃぃぃ~
 悪にゃ めっぽう強いやつ

と痛快に歌われるA面「ワイルドセブン」は、もちろん番組オープニングのテーマであり、作詞:阿久悠&作曲:森田公一という当時のヒットメーカーが書いた名曲の中の大名曲!

もう、一緒に歌っているだけで、この世の憂さを忘れてしまうほどですよっ!

またB面収録の「つむじかぜ」も同じコンビによる隠れ名曲であり、番組ではエンディングテーマになっていましたが、こちらも熱い!

ですから当時、二輪免許を取得していたサイケおやじはバイクをブッ飛ばしながら、この2曲を歌っていましたですねぇ~~♪

ちなみに、このシングル盤は日本コロムビアから発売されたものですが、同時期にはソノシート盤も某社から出ていますし、アニメやテレビアクション番組のテーマ曲を集めたオムニバスLPにも収録される人気ゆえの事でしょうか、それらは必ずしも同じバージョンでは無い点が要注意!

また、このシングル盤のテイクにしても、放映されたフィルムトラックとは異なっていますので、今となってはオリジナルバージョンの特定は困難を極める世界になっています。

それと蛇足ですが、既に東映映画「不良番長シリーズ」も我国ではヒットを記録していましたから、こちらの主題歌&挿入歌もサイケおやじの十八番になっていた事を付け加えておきます。

ということで、「ワイルド7」の世界は不滅!

夢が叶うならば自分自身で制作監督したいほどの物語なんですが、原作漫画どおりの破天荒さを追求したら、お金は湯水の如く垂れ流しに必要でしょうねぇ。なにしろ街中での破壊的アクションには軍事用爆撃機や装甲車も現れますし、ロケットランチャー装備のサイドカーや列車の脱線転覆なんか日常茶飯事という展開が無ければ、物語そのものが成り立たないほどですから。

また美女キャラの登場もお約束であり、サブグループ「女ワイルド7」のリーダーとなるユキちゃんは最高♪♪~♪ 当然ながらレザージャケットの下はノーブラであり、シャワーシーンは必須となれば、出演女優の選定も楽しいところでしょう。

そのあたりが今回の劇場版本篇では、どうなっているのか!?

とりあえずサイケおやじは虚心坦懐に鑑賞する所存であり、いろいろと悪い予感ばかりを書いてしまいながらも、実は非常に楽しみにしているのでした。

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気分はニューロックの名曲

2011-10-26 15:33:13 | Rock

クリムズンとクローバー / Tommy James & The Shondells (Roulette / 日本ビクター)

さて、1970年代前半のアマチュアバンドが例え思い込みにせよ、流行のニューロックを標榜したところで、現実的に自分達のテクニックでは当時のトップミュージャンを真似出来るはずもありません。

なにしろ、その頃はきっちりした教則本がそれほど無く、レコードで聞かれる音の出し方とか、多重録音を用いて作られた楽曲構成をライプ向きにアレンジする方法の統一性も見つけられず、そもそもお手本にしたい外タレの来日公演が少なかったのですから、それは自己流と言うよりも、無手勝流……。

しかし同時に、その頃の洋楽ヒットの中には如何にもシンプルな遣り口で、きっちりニューロックの雰囲気を醸し出せる楽曲が幾つもあったんですよねぇ~♪

例えば本日ご紹介の「クリムズンとクローバー / Crimson And Clover」は、あのシンプルにして楽し過ぎるバブルガムR&Rの極みつき「Hanky Panky」を大ヒットさせたトミー・ジェイムスとシャンデルスが1969年に放った大ヒットなんですが、そのキモはもちろん、滲みまくったニューロックのムードでした。

それはジンワリと歌い出される怠惰な曲メロにジャストミートした脱力ボーカルが、如何にもサイケデリックロックのエッセンスを巧みに利用した成功例! しかも演奏全体に芯の強いアクがあって、聴くほどに素晴らしいサウンドプロデュースだと思います。

ただし、そんな制作側の思惑が、どれほどリアルタイムの若年層ファンに理解出来ていたのかは疑問が残るところで、少なくともサイケおやじは自分の好みに合った「本物のロック」として楽しんでいましたですねぇ♪♪~♪

つまり時代に迎合した「売れセン狙い」と蔑むよりも、やはりミュージシャンにとってはレコードが売れなければ存在意義が無いわけですから、好きなものは好き! とリスナーは素直に楽しまなければ損でしょう。

その点、トミー・ジェイムスは子供時代から芸能界どっぷりだったようですから、妙にカッコをつける必要も無く、その百も承知の自然体が「クリムズンとクローバー / Crimson And Clover」では立派にサイケデリックロックを演じきったと言っては語弊があるでしょうか?

そして付け加えますが、この曲はトミー・ジェイムスがそれまでのプロデューサーだったリッチー・コーデルと別れ、自作自演したものですし、アレンジは当時のバンドメンバーだったピート・ルシア(ds) がやったのものですから、その必然性は否定出来ません。

ですから、後にはかなりの大物ロックミュージシャンが、この「クリムズンとクローバー / Crimson And Clover」をカパーしたという現実も無視出来ないところで、特にジョーン・ジェット&ブラックハーツが出した1982年のバージョンは秀逸!

しかも、この文章を書くので取り出した彼女のレコードには、なんとっ!? 前述したリッチー・コーデルがプロデュースを担当したという記載があり、そのあまりの恐ろしさ(?)に震えてしまいました。

これは、ぜひとも、併せてお楽しみ下さいませ♪♪~♪

ということで、最後になりましたが、サイケおやじが入れてもらっていた高校時代のバンドでは、ドライヴするベースのキメやウキウキしてくるロックグルーヴが楽しい中間部において、如何にもアドリブっぽい真似事が出来るので、自己満足していましたですねぇ~~。

まあ、本当は失笑された事も度々でしたが、それでも自分達なりのニューロックに酔いしれていたのですから、やっぱり笑われて当然でしょう……。

いゃ~~、ですから確かに今でも「クリムズンとクローバー / Crimson And Clover」を聴くと、なにか自嘲モードに入ってしまうばかりですが、もしも当時のメンバーが集まれば、この曲をやってみたいと思うのでした。

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あれから1年……

2011-10-25 14:16:17 | Weblog

本当に早いもので、昨年の今日は出張帰りから体調を崩し、夜中に救急車で搬送された苦い体験が……。

全くの地獄を彷徨ったのが、現在はウソのような気分であり、本日も定期健診に行ってきましたが、おかげさまで異常無し!

これで、ど~してあんな病に倒れたのか、不思議になるばかりです。

今でも特に節制や不摂生は意図的にやっていないつもりですが、結局は「人生わずか五十年」という故事に接近したという事でしょうか?

人間、何時おかしくなるか、先がわからないから人生は面白いとか言われる場合もありますが、日々平々凡々が一番穏やかで良いんでしょうねぇ。

ということで、本日の1枚は休載させていただきますが、これからも続けられる時には続けるという、独善的な拙プログによろしくお付き合い、お願い申し上げます。

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シャープ・ホークスとシャープ・ファイヴの奇蹟

2011-10-24 15:42:25 | 日本のロック

ついておいで / シャープ・ホークス (キング)

ダンサブルなボーカルグループは何時の時代も人気があるわけですが、とりわけ昭和元禄のGSブーム期に活躍したシャープ・ホークスは、なかなか忘れ難い印象を残しています。

メンバーは安岡力也(リキヤ)、野沢裕二(トミー)、鈴木忠男(サミー)、小山真佐夫(アンディ)の4人が本日ご紹介の公式レコードデビュー盤「ついておいで」を出した頃の顔ぶれですが、サイケおやじの個人的なイメージでは、かなり流動的だったように思います。

というのも、それ以前には後にサリー・メイとして人気女優になる加古幸子が加わっていた5人組だった頃もあり、また後期には自らが演奏して歌うバンドスタイルの編成に衣替えしていた時期もありましたから、そうした変遷も興味深いところでしょう。

しかしシャープ・ホークスが個性的だったのは、「歌って踊れる混血のグループ」というウリを堂々と表明し、実際、それが最高にカッコ良かったのですから、この「ついておいで」が発売された昭和41(1966)年秋からは忽ちの大ブレイク!

メンバー各々が如何にものニックネームで人気者になったのも、巷の野暮天には絶対に叶わない不良っぽくてイカシたムードが、決して意図的にワルぶったものではなく、極めて自然体に表現出来ていたからじゃないでしょうか。

もちろん、それでいてスッキリとした芸風があった事は言わずもがな、とにかくステージでのダンスのバラバラさ加減やほとんどハーモニーの無い歌い方が逆にダイナミックな魅力に溢れていたのですから、そのスタア性は本物だったと思います。

そしてシャープ・ホークス独得の魅力で、もうひとつ欠かせないのが、バックバンド扱いでありながら、実は主役と遜色が無かったシャープ・ファイヴの存在です。

ご存じのとおり、このバンドは井上宗孝(ds) をリーダーに去来したメンバーは名人肌のテクニシャンが多く、特に三根信宏(g) は当時のエレキ青少年の憧れのスタアとして、寺内タケシと双璧の実力者でした。また古屋紀(key,arr) の緻密なアレンジと粘っこいオルガンプレイも絶妙のコントラストを作り出す重要なポイントでしょう。

ですから、昭和40(1965)年からテレビで人気を集めた「勝ち抜きエレキ合戦」の模範演奏バンドとしては格の違いを見せつけ、また主役となった演奏の他にも、歌伴がこれほど巧みなグループもありません。

それはこの「ついておいで」にも決定的で、イントロから炸裂するエレキのビートは強烈至極ですし、なによりも三根信宏の「津軽じょんがら」の如きギターによるオカズのフレーズと間奏の白熱的な早弾きは圧巻!

あぁ、このロックビートのグルーヴは恐ろしいほどですよねぇ~~♪

当然ながらシャープ・ホークスの歌がバンドに煽られている状況も好ましい限りで、これがテレビやライプステージでは、さらに狂熱的だったのですから、たまりません♪♪~♪

実際、少年時代のサイケおやじは、たった一度だけですが、そのライプを体験した時の圧倒的な勢いを忘れていませんし、今から思えば、それはメチャメチャに合っていなかった歌と演奏だったような気もしているんですが、そういう疾走感こそが「ついておいで」の最高の秘密かもしれません。

ちなみにシャープ・ファイヴとしても同時期、畢生のシングル曲「ゴールデン・ギター」を出していますから、いっしょに楽しむのも至上の喜びですよ♪♪~♪

それとシャープ・ホークスと言えば、最大のヒット曲が次に出した「遠い渚」というスローな歌謡フォーク調の歌ではありますが、個人的には「ついておいで」や同系のゴキゲンロック「レット・ミー・ゴー」のようなアップテンポ物が大好きで、当時としては派手だったステージアクションも、「ネタ」として真似るバカ芸人が今も存在するほど、血の騒ぐものでした。

しかし、それゆえにと言えば贔屓の引き倒しでしょうが、人気が凋落するのも意外なほど早く、そこにはシャープ・ファイヴの独立とレコード会社移籍の諸々や本格的なバンド演奏と歌を一緒にやってしまうグループが乱立するGSブームがあった事は否めません。

そこでシャープ・ホークスもメンバーチェンジを重ね、自ら楽器を手にするバンドスタイルに転換したのですが、結局は昭和44(1969)年頃に解散したようです。

しかし以降にも、安岡力也は自らリーダーとなってシャープ・ホークスを続けていた時期もありますから、このあたりはちょいと勉強不足で申し訳ありません。

そして安岡力也が俳優として最高のカッコ良さを発揮していくのと同じく、グループに来歴したメンバー各々もまた、様々なところで今も活躍していますし、懐メロ大会での時折の臨時再編がファンを喜ばせる事は、往年のスタアの中でも飛び抜けた存在になっています。

ということで、シャープ・ホークスとシャープ・ファイヴのコラポレーションが爆発的な人気を得たのは、当時としては驚異的なロック本来のノリが体現出来たからだと思います。

しかし、それが長続きしなかったのは、両者がビジネス絡みでジョイント不可能となったところに原因があるという推察も容易です。

それでも残された音源は日本のロックの財産のひとつとして、これからも愛されつづけるんじゃないでしょうか?

もちろん、音源だけを聴いて、それを軽んじる向きもあるでしょう。

ですから、可能であれば当時の映像も復刻してもらいたいんですよねぇ~~。

抜群のカッコ良さにシビレること、請け合いです!

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ロックバンドの歌謡曲も魅力がいっぱい

2011-10-23 16:05:02 | 歌謡曲

さよならのあとで / ジャッキー吉川とブルー・コメッツ (日本コロムビア)

毎度読んで下さる皆様には耳タコな話で恐縮なんですが、やはりサイケおやじが高校生だった頃は歌謡フォークの全盛と並行して、未だ「エレキは不良」という間違った認識も世間一般にありましたから、ましてや教育の現場では尚更でした。

つまり同好会のバンド組に対する風当たりは冷たく、そして厳しく、校内でやらせてもらう発表会という名目のライプには、事前に演目を顧問の教師に届け出て、許可される必要がありました。

ですから闇雲なニューロックの洋楽コピーなんかは、なかなか理解を得られず、「君たちもグループサウンズをやるんだったら、ブルー・コメッツみたいなものはやれないのか?」という指導をいただいたのですが……。

なんと顧問の教師は、「例えば先生は、これが良いと思うけどなぁ」と言いながら、素で歌い始めたのが、本日ご紹介の「さよならのあとで」でした。

しかしそれは、ご存じの皆様も大勢いらっしゃるとおり、ベタベタの歌謡曲であって、いくらブルー・コメッツがGSのトップグループであったにしろ、バンド組一同には許容出来るものではありません。

第一、思い込みにしてもニューロックを標榜していた自分達を「グループサウンズ」と決めつけられたことに、リアルタイムでは憤りすら覚えていたのですから、青春のツッパリも頂点に達していたというわけです。

ちなみにブルー・コメッツは説明不要、ジャズやC&W等々の洋楽をベースにロックからエスニック系までも包括する幅広い音楽性を持った、まさに我国芸能史に屹立する名バンドではありますが、それゆえに急速に歌謡曲どっぷりの姿勢へ傾斜していった昭和43(1968)年頃からの楽曲は、なにか今日でもロック優先主義者からは疎まれる存在に……。

ですから、ガチガチのロックをやりたい青少年のバンドにとっては埒外の対象となっていたのが、1970年代の実相だったと思います。

ただし虚心坦懐に「さよならのあとで」を聴けば、これは昭和歌謡曲の決定版のひとつとして、決して粗略には扱えませんっ!

なにしろ作詞が橋本淳、そして作編曲が筒美京平という黄金のヒットメーカーが会心作だったはずで、昭和43(1968)年秋~冬にかけて爆発的に売れていましたからねぇ~~♪ 正直、当時は些か下降気味だったブルー・コメッツの人気が盛り返した感もありました。

言い換えれば、ブルー・コメッツがGSというロックバンドから歌謡コーラスグループに路線転換したきっかけとも言える大ヒットが、この「さよならのあとで」には、つきまとうのです。

しかし告白すれば、現在のサイケおやじは「さよならのあとで」が大好き♪♪~♪

何故って、素直に良い歌だなぁ~~~♪

そう感じる他は無いほど、琴線に触れる魅力があるんですよねぇ~♪

結局、高校生のガキには分からなかった機微が、この歌にはあるんじゃないでしょうか?

イントロからグッとストリングを全面に出したアレンジとエレキギターの音色が哀愁を醸し出し、なんとなく未練タラタラみたいな三原綱木のリードに井上忠夫が絡んでいくボーカルパートの旨みは絶品だと思います。

また当然ながら緻密に作り上げられた楽曲そのものの魅力も侮れませんが、これをブルー・コメッツがやってしまう意義こそが、ニクイばかりで、最後に出てくる井上忠夫のキザな台詞もジャストミート♪♪~♪

他に、これを歌えるバンドは当時、ブルー・コメッツ以外にはありませんよ!

そして次なるシングル曲として、これまた決定的な歌謡ヒットの「雨の赤坂」を出してしまうんですから、このあたりがブルー・コメッツの真の全盛期だったとサイケおやじは断言して後悔致しません。

さて、そこで話は戻りますが、顧問の教師から「さよならのあとで」をリクエスト(?)されたバンド組は、もちろんやるわけはなかったのですが、それでもメンバーのひとりが何処からか調達してきたベストアルバムを聴き、「青い彗星」をコピーしてカッコだけはつけました。

というか、基本的にはエレキインストの同曲をやる事になった時、エレキのバカ大将を目指していたサイケおやじは、本音で浮かれまくって、既に時代遅れになっていたテケテケを弾きまくってしまったです♪♪~♪

ということで、歌謡曲を演じるロックバンドには聴かず嫌いの魅力があるように思います。

ですからガチガチのロックバンドだったと言われるゴールデン・カップスが、歌謡曲保守本流の「長い髪の少女」でブレイクしたのは言わずがな、当時は歌謡曲であるがゆえにバカにされ続けてきた音源が多くのバンドに残されているのは、これからの所謂「お宝」発掘と再評価の大きな対象になるような気がしています。

少なくともサイケおやじは本気ですよ。

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飛行物体のロック魂は未確認

2011-10-22 16:05:04 | Rock

C'mon Everybody / U.F.O (Beacon / 東芝)

歌謡フォークが全盛だった昭和40年代後半は、もちろんGSは廃れ、極端に言えば日本にはメジャーなプロのロックバンドなんてのはありませんでしたから、そんな中ではアマチュアバンドだって必然的に周囲の理解は得られません。

それでもチューリップやミカバンド、キャロルあたりが、どうにか新進のバンドとして注目されていたぐらいで、モップスはGSの残党扱い……。

ちなみにその頃は所謂「日本語のロック」なんてものは認知されておらず、例えロックぽい事をやっていても、歌詞が日本語だったら、それはフォーク!

はっぴいえんど、赤い鳥、ガロ等々にしても、ロックやソフトロックではなく、もちろん「ニューミュージック」という便利な用語もありませんでしたから、歌謡フォークは如何にも曖昧なジャンルになっていたのかもしれません。

ですからアマチュアバンドがフォークでは無い事をやろうとすれば、それは洋楽ヒットのコピーが必然であって、しかもバンドがバンドであるためには、ハードロックを演じなければ存在価値が認められないという自意識が、少なくとも当時のサイケおやじの周辺にはあったと思います。

そして幸いにも、当時は高校生にも適度にやれるハードロックヒットがどっさりあって、例えば本日ご紹介のUFOが演じるところの「C'mon Everybody」は、オリジナルがエディ・コクランのR&R聖典曲とあって、そのシンプルなノリの良さは待ってましたの定番でした。

とにかく直線的に突っ込んでいくリズムはヘヴィなビート優先主義ですし、如何にも真似し易いギターやドラムスのキメにはインスタントなカッコ良さがいっぱい♪♪~♪ なによりもボーカルがハードロックにしてはエグ味やクセの無いストレート感覚でしたからねぇ~~♪

そういうところが、我国独自のヒットとなった要因かと思いますが、肝心のUFOというバンドはイギリスで結成された4人組で、この「C'mon Everybody」を含む1970年のデビューアルバム制作発表時のメンバーはフィル・モグ(vo)、ミック・ボルトン(g)、ピート・ウェイ(b)、アンディ・パーカー(ds) という顔ぶれでした。

しかし同時期のイギリスにはゼップブラック・サバスディープ・パープルといった超一流の人気ハードロックバンドが居並んでいた所為もあったのでしょうか、UFOは泣かず飛ばすのまま、ドイツあたりで活動していたと言われていますし、それでも「C'mon Everybody」が極東の島国でヒットした事により、翌年秋には初来日公演がライプレコーディングされるという人気を掴んだのですから、やはりどこかしら幸運なバンドだったと思います。

と言うのも、ご存じのとおり、UFOは後に世界的な名声を得るスーパーギタリストのマイケル・シェンカーを迎え、いよいよ大ブレイクするわけですが、その決断のきっかけが件の日本録音から作られたライプアルバムだったという説があるんですよねぇ!?

実はマイケル・シェンカーが当時在籍していたのはスコーピオンズという、これまた後にヘビメタの大御所に成り上がるドイツのバンドだったんですが、1972年頃は未だUFOの前座を務めるのがやっと……。

しかしおそらくマイケル・シェンカーは同時期、「ライプ!UFO / Landed in Japan」と題されたアルバムを聴き、気に入ったのかもしれませんねぇ。

ただしUFOのメンバーは、そのライプアルバムを公式盤とは認めていないそうですから、話は輻輳するわけですが、それでもドイツ盤はしっかり出ているんですから、いやはやなんともです。

さて、そこでUFOの魅力はいえば、このシングル盤で楽しめる若さいっぱいの直線ロックと些か時代遅れのサイケデリック風味が共存していた初期の音楽性が、個人的には大好きです。

もちろんそこには、リアルタイムでコピーもどきの演奏を楽しんだという、青春の思い出が投影されている事を否定は致しません。また、殊更冷静にならなくとも、決して音楽的センスの良かったバンドではないUFOが、何故に幅広い時代の人気を継続出来ているのか? そんな疑問にも明確な答えは持ち併せていないのです。

ただしサイケおやじには、ど~~してもUFOが憎めないんですよねぇ~。

ということで、最後になりましたがエディ・コクランというR&Rの偉人を知り得たのは、このUFOの「C'mon Everybody」、そしてザ・フーの「Summertime Blues」という、この時期のハードロック二大ヒットであったことは、既に皆様ご推察のとおりです。

さらにゼップの「移民の歌」が、エディ・コクランが得意技としていたリズムパターンとビートのリフを用いていた事実に気がつかされたのも、それゆえの功罪ではありますが、実はゼップもライプでは「C'mon Everybody」を演じていたのですから、そのあたりは映像や音源のあれこれで確実に楽しめると思います。

しかし結果的にテクニックやフィーリングではザ・フーやゼップには勝てないUFOが、ライプの現場では長年「C'mon Everybody」をやり徹している、その事実!

ひとつのロック魂として、忘れられないファンが大勢いるんじゃなかろうか?

本当にそう思っています。

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