OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

イーストって、どうなんでしょう?

2014-09-30 14:39:09 | 日本のロック

ビューティフル・モーニング / イースト (Captol / 東芝)

度々書いてきたように、殊更昭和40年代中頃からの論争のひとつが「日本語のロック」云々という問題でした。

それは当時の我が国において、発端はロックであったGSが売れるために選択した日本語の歌が所謂歌謡曲に接近し、加えて歌謡フォークのブームもありましたから、いくらロック最先端のサウンドを出していようとも、日本語で歌っているかぎり、それは「フォーク」という扱いでしたからねぇ~。

例えば今や「日本語のロック」の神様的存在として崇拝される「はっぴいえんど」にしても、リアルタイムでは堂々の「フォーク」でありました。

そして本物(?)のロックを志向する日本のバンドは、英語の歌詞じゃ~なけりゃ、ダメッ!

つまり海外で成功して、初めて「ロック」と認められるという真実を求めていたのですから、例えば内田裕也がフラワーズを発展させたフラワー・トラヴェリン・バンドがカナダやアメリカで活動し、それなりの成果を披露してくれた事は、ひとつの大きな証明作業となりました。

さて、そんな最中、突如として現れたのが、本日掲載のシングル盤を昭和47(1972)年夏に発売したイーストと名乗るグループでした。

なにしろ本場アメリカでキャピトルレコードと正式契約し、デビューレコードの制作録音もLAだったという快挙は業界だけでなく、一般マスコミでも大きく話題にされていた記憶は今も鮮明です。

メンバーは瀬戸龍介(vo,g)、吉川忠英(g,hac,per,hmc,etc.)、森田玄(vo,g,per)、朝日昇(b)、足立文男(ds,per,key,etc.) という5人組で、どうやら各々がマルチプレイヤーとして、その演奏能力も相当に高かったと言われています。

しかも演じている楽曲の歌詞は当然ながら英語であり、サウンドも流行最先端の西海岸系カントリーロックやハリウッドポップスの保守本流でありながら、その彩には和楽器、例えば琴や大正琴、琵琶やひしりき等々を使っていたのですから、それをニッポン本土で聴く我々は面映いというか……。

結局、バンド名やそうした意図的な和物趣味が、母国のリスナーには「あざとさ」と受け取られた事は否定出来ないでしょう。

実際、サイケおやじもそのひとりとして、リアルタイムでは矢鱈に???の気分が先行していたんですが、しかし瀬戸龍介が書いたデビュー曲「ビューティフル・モーニング」を虚心坦懐に聴いてみれば、所謂アシッド調のサイケデリックなフォークロックとして、これはなかなかの名曲名演なんですねぇ~♪

もしも、特にイントロに顕著な雅楽趣味が抑えられていたら、ストレートに我が国のリスナーの心を掴んだんじゃ~ないかなぁ~?

と、そんな不遜な事を思ってしまうほどです。

しかし同時にアメリカの厳しいショウビジネスの世界では、このぐらいミエミエの個性が無いと、注目されないのも確かなのでしょう。

例えば優れたジャズピアニストの秋吉敏子にしても、渡米したばかりの頃は振り袖姿での演奏を強要されていたとか、プロレスラーならば田吾作スタイルのヒールが当たり前だとか、1950年代から相当に長い間、ちょっぴり国辱感が滲んでしまうせつなさが……。

その所為でしょうか、結局イーストはアルバム1枚と少な過ぎるライブ音源を公式に残してフェードアウトし、メンバーはそれぞれの道を歩んでいくわけですが、今にして思えば、未だ日本の音楽業界ではロックは真っ当に生活していけない代名詞だった頃、あえて夢を求めて渡米し、立派にメジャーな会社でレコードを残せた偉業は素直に讃えなければなりません。

ということで、告白すればサイケおやじは彼等のレコードはシングル盤を2枚しか持っていないんですが、幸いなことに近年、栄光のデビューアルバムがCD復刻されたので、速攻でゲットしてしまったです。

もちろん、随所に露骨な雅楽趣味(?)や東洋思想の歪曲的表現が滲むのは、しょ~がない好き嫌いの問題でしょう。

それでもサイケおやじは、そういうところに去来する自らの心の葛藤と戦いながら、イーストを聞き返す楽しい修行をしているのでした。

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涼川真里への願いはひとつ

2014-09-29 15:11:32 | 歌謡曲

こんなにこんなに愛してる c/w 幻のくちづけ / 涼川真里 (テイチク)

涼川真里(すずかわまり)はフェロモン系の美人歌手として、殊更後追いの歌謡曲ファンから高い人気を集めていますが、未だそんな状況になっていなかった昭和50年代前半のある日、例によって中古屋でこのシングル盤に邂逅したサイケおやじは、そのジャケ写にいきなり下半身を直撃されるショックを受けました。

だって、これはねぇ~、掲載の画像をご覧いただければ、男の本懐の成就を願う他はないでしょう~~~♪

それがどちらかと言えば、失礼ながらとっちらかった某店の雑然と並べられた通称エサ箱の中から現れた、ど~か、その状況をご想像下さいませ。

どうやら発売されたのは昭和44(1969)年らしいんですが、当時は数多放送されていたテレビの歌番組でも、サイケおやじは彼女に接した記憶が無いもんですから、果たしてリアルタイムでの衣装や振付、そして生歌のフィーリングは想像の域を出ません。

しかし勇躍A面「こんなにこんなに愛してる」に針を落としてみれば、それは所謂お座敷系歌謡曲であり、歌唱表現は奥村チヨからの影響が打ち消せない好ましい個性になっているんですから、たまりませんねぇ~~♪

おそらくは作詞:千坊さかえ&作曲:花礼二、そして編曲:山倉たかしの狙いは確信犯的な良い仕事だと思うばかりです。

一方、B面収録の「幻のくちづけ」は今や昭和歌謡曲の裏名曲&名唱になっているとか!?

なにしろ極めてムード歌謡寄りのGS物というか、それでいて曲タイトルを意識したサイケデリックな味わいが時を経てウケたという事でしょうか。

ちなみにこちらもA面と同じ作家トリオの仕事ですから、既にブームも末期だった当時、数多くのGSが歌謡曲やムードコーラス系に路線変更していた状況を読み切った仕掛けだったような気がしています。

あぁ、ますます涼川真里の当時の動くお姿を拝みたいっ!

何時ものとおり、叶わぬ願いに胸を焦がすサイケおやじなのでした。

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鎮魂

2014-09-28 15:12:21 | Weblog

昨日からの御嶽山噴火は驚きましたですねぇ……。

遭難された皆様には、心からお見舞い申し上げます。

また被害の拡大も懸念される中、懸命の救出、復旧作業に従事されている関係者の皆様の無事を祈るばかりです。

う~ん、最近の日本は殊更天変地異が多い気がします。

これを天命とは思いたくないし、だからと言って、避けえない自然の力を痛感……。

実は現在、出張で移動中なんですが、先ほどまで天界から眺めていた国土のどこかに暴虐な不条理が潜んでいるという、そんな恐ろしさをシヒシヒと感じるばかりです。

そして本日の1枚の休載、ご理解お願い致します。

今日は神妙です。

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倍賞美津子の洋楽歌謡曲

2014-09-27 15:10:40 | 歌謡曲

夜のピアノ c/w 恋を抱いて / 倍賞美津子 (クラウン)

歌謡曲の汎用性の高さは、そのまんま雑食性でもあり、だからこそ様々な洋楽もすんなり取り入れられたのでしょうが、それはロックやジャズ、あるいはクラシックばかりではなく、所謂ラテンミュージックも大きなポイントになっていました。

例えば本日掲載のシングル盤は倍賞美津子が昭和42(1967)年、ということはダンサーを経て映画にも出演し始めた頃でしょうか、つまりいよいよ本格的に歌って踊れる女優としての才能を天下に知らしめた前後の時期に出されたものですから、ここに発表された歌をステージやテレビ出演時には、どんな振付で披露してくれていたのか、大いに気になるところです。

なにしろ作詞:星野哲郎&作曲:鏑木創によるA面収録の「夜のピアノ」がタンゴ調のムード歌謡ですからねぇ~♪

曲タイトルどおり、ピアノがメインの小編成バンドによるバックを得て、倍賞美津子がセクシーな節回しを聞かせてくれるという、ただそれだけが全ての魅力に仕上がっていますよ♪♪~♪

そして植原道雄のアレンジによる所謂チャチャチャのリズムで快適に歌われるB面曲「恋を抱いて」が作詞:星野哲&作曲:中川博之の狙いどおりとしか思えない、これまた辛抱たまらんの世界で、倍賞美津子ならではの濃いめのフェロモンにシビレが止まりません♪♪~♪

あぁ、ここまでの色気が自然体だとしたら、アントニオ猪木が結婚してしまったのも無理からん話でしょう。

説明不要とは思いますが、彼女が女優として大ヒットを飛ばすのは、松竹での森崎東監督との諸作品からなので、以降は歌の仕事が少なくなっていたった感が否めず、とすれば、やはり昭和40年代前半に作られていた倍賞美津子のレコードは、なかなかに素晴らしい「秘宝」かと思います。

そして、ど~か、そのあたりの優良デジタルリマスター復刻が叶いますようにっ!

ということで、またまた本日もせつなる願いの文章を綴ってしまいました。

うむ、♪心急けども、今、この身では……、なぁ~ていう都都逸の一節が浮かんできますが、自分がそういう仕事に携われない以上、こういう場で決死的な熱望を述べることが、積み重なっての大願成就に繋がれば!

そういう思いが拭いきれないのでした。

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ぶる~す歌謡の荒木ミミ

2014-09-26 14:10:34 | 歌謡曲

スキャンダル c/w 失恋 / 荒木ミミ (キャニオン)

今や死語かもしれませんが、芸能界に「清純派」というジャンルがある以上、その対極に位置する存在も必要不可欠で、例えば本日ご紹介のシングル盤で昭和48(1973)年にデビューした荒木ミミは、持ち前のハスキーボイスと不良っぽいイメージがジャストミートの美人歌手として、リアルタイムよりは時を経るにしたがっての人気が高い存在でしょう。

つまり現役時代は大きなヒットが出せなかったんですが、昭和50年代後半からの廃盤歌謡曲ブームによって再発見されたわけで、その頃には詳しいプロフィールは失われれていても、愛好者にとってはジャケ写と中身の歌の印象が全てだった事が良いベクトルを示していたのです。

それは特にA面曲「スキャンダル」から全開で、作詞:阿久悠&作曲:中村泰士、そして編曲:高田弘によって企図されたブルース歌謡とでも言うべき世界を堂々の貫録(?)としか言えないドスの効いた節回しで歌いきった荒木ミミの素晴らしさには、もちろん前述したハスキーボイスがあればこそっ!

いゃ~、ちょっぴりエキゾチック系の面立ちを可愛いと感じれば、その歌唱は倒錯的でもあり、いやいや、この佇まいの彼女ならば、さもありなんと独り納得すれば、これまた微熱の世界に入り浸りってもんですよ♪♪~♪

そして同じく作詞:阿久悠&作曲:中村泰士が提供したB面収録の「失恋」が、あかのたちおのジャジーなアレンジも程好い刹那の名曲名唱で、普段は酒に酔わない体質のサイケおやじにしても、思わずブランデーグラスの世界に導かれてしまいますねぇ~♪

う~ん、当時の荒木ミミは公称18歳だったそうですから、芸能界の同世代のアイドル、例えば天地真理やキャンディーズばかりでなく、ほとんどが信じてもらえなくとも「処女」と言いとおさねばならなかった業界事情の中、いきなりこんな倦怠ムードで売り出された彼女は、やはり昭和元禄の仇花とばかりは決め付けられません。

なぜならば皆様ご存じのとおり、荒木ミミは続くセカンドシングルとして、今や大人気の傑作ビート歌謡「ボロボロ天使」出しているのですからっ!

おそらくは青江三奈~藤圭子の路線にアイドル性を加味して展開させようとした狙いがあったのかと推察すれば、後の内藤やす子の大ブレイクが示すとおり、演歌ロックで押していけたらなぁ~、という願いも空しく、どうやら彼女はシングル盤2枚だけしか、サイケおやじはその存在を知りません。

あぁ、もしも荒木一郎か宇崎竜童のプロデュース&楽曲提供でアルバムが作られていたら!?

そういう妄想をも激しく刺激してくれるのが、荒木ミミというわけです。

ということで、この手の女性歌手が他にも大勢登場していたのが昭和歌謡曲の実相だと思います。

しかし、それゆえに知られず、今に至るも再発見されていないシンガーやグループ、そして埋もれている素敵な楽曲も夥しいでしょう。

あぁ~、仕事なんか辞めて、そんな発掘作業が出来たらなぁ~~、それがサイケおやじの夢であります。

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これが憧れの名車名唱

2014-09-25 14:35:20 | 歌謡曲

いまここに / 尾崎紀世彦 (富士重工 = 販促用ソノシート)

記載したとおり、これは富士重工が昭和48(1973)年に自社が誇る名車「レオーネハードトップ1400」の販促用に制作したソノシートで、しかも歌っているのが尾崎紀世彦

加えてイメージモデルがジャケ写に登場の鰐淵晴子ですからねぇ~~♪

サイケおやじにとっては極めて長い間、探索してきたブツなんですが、先頃念願の入手が叶いましたので、自慢高慢なんとやらは自覚はしつつも、本日掲載させていただきました。

で、肝心の楽曲「いまここに」は作詞:本庄一郎&作曲:荒川康男が書いた如何にもの雄大な歌謡バラードで、もちろん期待どおり、尾崎紀世彦の力強く、それでいてソフトな節回しは流石の仕上がり♪♪~♪

ちなみに件の「レオーネ」は日産っぽいデザインのスポーツタイプ車だったんですが、当時としては極めて珍しい4WD装備でしたからねぇ~、都会が好きなくせにラリー志向の若い野郎どもには憧れの名車でありました。

よしっ! 美女を連れて、街から荒野へのドライヴの後は、言わずもがなのお楽しみが♪♪~♪

なぁ~んていう、サイケおやじも含む当時の貧乏青年には絶好の夢を与えてくれた車だったと言えば、ここで聴かせてくれる尾崎紀世彦の歌の世界も面映いかぎりなんですが、それはジャケ写の鰐淵晴子が着こなしたド派手な色彩の衣装共々、皆様にはご理解願いたいところです。

ということで、こういうメジャーな歌手や芸能人を起用しての販促ノベルティを贅沢に作れたのが、やはり現在とは比較にならないほどの景気の良さや社会全体の高揚感があった昭和40~50年代のひとつの実相だったと思います。

それが今では縮小してしまつたのは、サイケおやじの世代の頑張りや踏ん張りが足りなかったという側面は真実の一端を突いているでしょう。

しかし残念ながら、そうは思っても、独りサイケおやじには到底無理な話ばかりの中、せめて当時の思い出や関連のブツをご紹介していく事が、巡り巡っての良い結果になればいいなぁ~、と本日もご都合主義の独り善がりしているのでした。

深謝。

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全て分かっている楽しみのオールマンズ

2014-09-24 14:27:34 | Allman Brothers Band

Play All Night: Live at the Beacon Theater
             /  The Allman Brothers Band
(Epic / Legacy = CD)

☆Disc-1
 01 Statesboro Blues
 02 You Don't Love Me
 03 End Of The Line
 04 Blue Sky
 05 Nobody Knows
 06 Low Down Dirty Mean
 07 Seven Turns
 08 Midnight Rider
 09 Come On In My Kitchen
☆Disc-2
 01 Guitar Intro ~ Hoochie Koochie Man
 02 Jessica
 03 Get On With Your Life
 04 In Memory Of Elizabeth Reed
 05 Revival
 06 Dreams
 07 Whipping Post

つい最近、例のフィルモアのライブ集大成(?)の箱物を出したオールマンズに対し、そこにはやはりライブバンドとしての存在意義を強く感じているわけですが、ど~してもデュアン・オールマン存命時の音源ばかりが優遇されるのは、致し方ない現実と思います。

しかしオールマンズが以降も存続出来たのは、その宿業的な幻影と戦う心意気を持っていたからでしょう。

だからこそ、バンドの内部事情諸々から離散集合を繰り返しても、ファンはオールマンズそのものを求め続け、ライブステージでは昔っからの同じ様なプログラムを演じ続けてくれる彼等に喜びを覚えるわけでして、それをもはや伝統芸能と言われればミもフタもありませんが、現実的には巡業の集客も良好ですし、スタジオレコーディングの新作よりは、発掘音源も含めてのライブ盤が人気を集めているのですから、サイケおやじも気持ちはひとつ!

そこで本日ご紹介の2枚組CDは今年になって突如(?)世に出た恒例のビーコンシアター物なんですが、1992年3月10&11日という録音データからして、おそらくは同劇場における初めてのロングラン公演を記録した公式音源になりましょうか。

メンバーはグレッグ・オールマン(vo,key,g)、ディッキー・ベッツ(vo,g)、ウォーレン・ヘインズ(vo,g)、アレン・ウッディ(b)、ジェイモー(ds)、ブッチ・トラックス(ds)、マーク・キノン(per)、そして古くから準レギュラーだったトム・デューセット(hmc) という、なかなか充実のメンバーが揃っていますが、もちろん今日的なお目当ては「ディッキー・ベッツ vs ウォーレン・ヘインズ」のギターバトル&コンビネーション、さらには所謂ジャムバンド系のバンドアンサンブルに他なりません。

ところが、そうなると浮かび上がってくるのがグレッグ・オールマンの存在で、はっきり言わせていただければ、キーボード奏者としての実力よりも遥かに凄いのが、ボーカルの説得力ですからねぇ~~。

局地的かもしれませんが、「象徴」なぁ~んていう扱いをサイケおやじは認めませんよっ!

で、肝心の中身は、まず録音とミックスが如何にも現代的な仕上がりになっていて、クリアな音質と各人の立場がはっきりとした定位、さらには臨場感も伝わってくるという迫力は素晴らしいと思います。

ただし、それが逆に綺麗過ぎて、ネチネチした熱気とか泥臭い突進力みたいな往年のサザンロックの特質を薄めてしまっているのも、確かなんですよ……。

そういうサイケおやじの気分を皆様にご承知していただいたところで、殊更気になる前述「ディッキー・ベッツ vs ウォーレン・ヘインズ」の結論から言えば、後者の勝ちでしょう。

中でもディッキー・ベッツの代名詞「In Memory Of Elizabeth Reed」におけるウォーレン・ヘインズのギターソロの物凄さは圧巻で、ど~やったら、ここまでのプレイが可能のかっ!?!

と、思わず呆れてしまうほどです。

しかし、ど~しても避けえないのが、デュアン・オールマンの代用品的なイメージで、それはオープニング「Statesboro Blues」のド頭から、あの鋭いツカミだったスライドギターによるイントロフレーズを丸コピーしているところからして言い訳無用でしょう。

もちろん、それを「芸の無さ」というつもりはありません。

何故ならば、もしも異なるフレーズやアレンジで「Statesboro Blues」がスタートしていたら、やっぱりサイケおやじを含む大方のファンは納得しないはずです。

そのあたりが偉大なバンドを継承運営していく難しさであって、だからこそ万年一日の姿勢が伝統芸能と揶揄されたりもするわけですが、同時に尊敬と安心感を与えくれる真実を否定してはならないはずです。

そして、だからこそ、グレッグ・オールマンのボーカルが必要なのだっ!

なぁ~んて、自分に言い聞かせてしまうわけですが、実際にブルースロック王道路線の「Low Down Dirty Mean」での歌いっぷりの良さに接してしまえば、後は自ずとオールマンズの世界に惹きつけられてしまうんですねぇ~~♪ なにしろバンドとしての纏まりも素晴らしく、終盤で繰り広げられるディッキー対ウォーレンのウエスタンスイング合戦も良い感じ♪♪~♪

また、アンプラグド風味も程好いグレッグ・オールマンが十八番の「Midnight Rider」では、リードとコーラスのボーカルアンサンブルも心地良く、往年のレイドバックが現代的に再現されていますし、有名過ぎるロバート・ジョンソンの古典ブルースをカバーした「Come On In My Kitchen 」におけるアコースティックな味わいも、なかなか捨て難いマンネリ感がたまりません♪♪~♪

ちなみにアルバム全篇を通してのミックスは基本が左にディッキー・ベッツ、右にウォーレン・ヘインズという、当時のステージライブを客席から楽しんでいるのと同じ定位なので、そういう当たり前のサービスをやってくれるところも長いキャリアの証でしょうか。

ですから Disc-2、つまり後半に入ってのギター&ドラムバトルを全面に押し出したプログラム展開も、余計な心配(?)をせずに楽しめるわけでして、しかしそうなっているからでしょうか、上手い事は無類のウォーレン・ヘインズのプレイには、ど~しても感動しない、あるいは出来ないのがサイケおやじの本音なんですよ……。

また、ディッキー・ベッツからも前向きな意思が伝わって来なくて、もちろんきっちりファンが望むところは弾いてくれているんですが、これじゃ~、ウォーレン・ヘインズに押されるのも無理ないか……等々、不遜な気持ちを抱いてしまうのは前述した「In Memory Of Elizabeth Reed」と同じくウリの「Jessica」においてさえ、以下同文???

当然ながら、随所に仕掛けられているオールマンズ伝家の宝刀であるツインリードでキメるリフにしても、スリルというよりは「お約束」の様式美で、例えばジャイアン馬場の十六文キックか、アントニオ猪木の延髄斬りの如し、ひとつの予定調和になっているのが物足りないという、そんな贅沢を言いたくなります。

しかし、ここでも威力を発揮するのがグレッグ・オールマンの存在で、一応は本人オリジナルとクレジットされながら、実はブルースロックの折衷スタイルで迫る「Get On With Your Life」は、その歌いっぷりに牽引されたかのような素直なプレイがバンド全体に行き届いた名唱名演かと思います。

それとあえて特筆しておきたいのがリズム隊の安定感で、看板のツインドラムスではジェイモーのどっしり構えたシンプルなスタイルに対し、手数が多いジャズっぽいパートまで叩くブッチ・トラックスが、ベースやパーカッションをも引き連れてのリズム的興奮度は侮れません。

普通はならば飽きてしまう長いドラム&パーカッションソロがすんなり聴けてしまう「技」があればこそ、大団円に向けての「Revival」「Dreams」「Whipping Post」の楽しさは格別でしょう。

おぉ~、ちょっぴりフュージョンっぽいところもあるんですねぇ~、この頃のオールマンズはっ!?

ということで、それほどの刺激に期待するのは禁物ですが、「全て分かっている楽しみ」を求めるのであれば、なかなか絶好のアルバムです。

特にウォーレン・ヘインズのファンは必聴!

あっ、CDの裏書を読んでみたら、プロデュースがウォーレン・ヘインズになっていました。

とすれば、おそらくは膨大の残されている当時のオールマンズ音源から、我田引水的なチョイスをやったのか?

そういう推測も避けえませんが、しかしディッキー・ベッツの名誉の為に書かせてもらえば、ここでのプレイは決してダメという事ではなくて、イマイチ調子がノッていなかったという、如何にも終わりなきプロミュージャンの日々の表れと思います。

皆様ご存じのとおり、当時のオールマンズは紆余曲折を経て1989年に再集結、ウォーレン・ヘインズを含む新メンバーによる巡業ライブやスタジオレコーディングによる気合いの新作アルバムも出していた頃ですし、このライブ音源の快演「Low Down Dirty Mean」、そして「Nobody Knows」や「Seven Turns」は、そこに収められているディッキー・ベッツ会心のオリジナル曲ですから、軽んじていたらバチアタリですよ。

そして個人的には同時期の1991年にドイツでやったテレビ用のライブ映像を収めたブートやハーフオフィシャルのCDがディッキー・ベッツ的には大熱演だと思っているので、ぜひとも皆様にもお楽しみいただきたいところ!

特にブートとはいえ、件の映像で堪能出来るディッキー・ベッツのコード選びや運指、ピッキングの技巧等々は、神々しいばかりですよ♪♪~♪

だからこそ、逆に言えば、このライブアルバムに物足りなさを感じてしまうのです。

う~ん、それでも楽しんでいるサイケおやじは、本日も自己矛盾しているのでした。

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杏真理子のさだめは…

2014-09-23 14:57:27 | 歌謡曲

さだめのように川は流れる / 杏真理子 (日本コロムビア)

一度は書いておきたいのが、杏真理子という歌手です。

もちろん、残念ながらブレイク出来ませんでしたので、知る人ぞ知るの存在かもしれませんが、局地的には作詞家の阿久悠のお気に入りだつたという逸話もありますから、その実力は相当なものだったはずです。

掲載したシングル盤は、おそらくは彼女のデビュー作になるのでしょうか、A面収録の「さだめのように川は流れる」は、その曲タイトルからして、阿久悠の綴った歌詞にはヘヴイな人生模様が滲んでおり、加えて作曲:彩木雅夫案と編曲:馬飼野俊一が企図したのは、ブルージーな演歌バラードという、如何にも発売された昭和46(1971)年の洋楽系歌謡曲かと思います。

しかし杏真理子の歌声と節回しにはソウルフルというよりも、泥臭い情念の拭いきれないような深みが感じられるんですから、リアルタイムのラジオからは頻繁に流れていた記憶も鮮明ながら、大きなヒットにはならなかったという結果は当然かもしれません……。

そこには一緒に口ずさめるようなキャッチーなフレーズが無いという事もありましょう。

ただし、それが杏真理子の「らしさ」である部分も否定出来ないんですよ。

ちなみに彼女は東北出身の日米ハーフ、クラブ歌手としての活動後にメジャーなレコードデビューを果たしただけあって、マスコミを含めた業界関係者や評論家の先生方からのウケも良かったそうですが、やはりディープな印象が先入観としての陰湿さに繋がっていたとしたら、それは強い思い込みでした。

ご存じのとおり、同時期には似た様な歌でヒットを飛ばしていた北原ミレイが売れていたのですから、杏真理子だって!?!

あぁ、世の中は残酷です。

結局彼女はフェードアウト気味に日本の芸能界を去り、渡米しての新しい道を歩んでいたのですが、当地で事件に巻き込まれ、二十代半ばでこの世を去っています。

ということで、冒頭で「書いておきたい」と述べたのは、サイケおやじが先輩に連れられて、所謂ナイトクラブという場所へ最初に足を踏み入れた昭和49(1974)年のその日、店には杏真理子が出演していたんですねぇ~♪

何を歌っていたのかは当時のメモにも残していませんが、彼女が幾分薄いスポットライトの中に登場した佇まいは、しっかりと覚えています。

正直、軽い気持ちでは聴けない歌手かもしれませんが、数枚のシングルとLPを1枚残している杏真理子の音源は集成されるべきと、強く思っているのでした。

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女の涙の怖いけど…

2014-09-22 15:03:13 | 歌謡曲

女は生きるために泣く c/w 嘆きの湖 / 三浦恭子 (東芝)

もちろん掲載盤はジャケ買いした1枚ですから、サイケおやじは三浦恭子について知るところもありません。

しかし発売されたのが昭和43(1968)年頃となれば、中身は必然的にGS色が多少なりとも滲んでいるに違いないと踏んで勇躍針を落としてみれば、おぉ~っ! なんとっ!

如何にもベタな曲タイトルが昭和歌謡っぽいA面収録の「女は生きるために泣く」が、予想外のサイケデリック風味で歓喜悶絶!?!

それは作詞:なかにし礼&作曲:鈴木邦彦の仕掛けというよりは、アレンジを担当したのがハプニングス・フォーのクニ河内というところに秘密(?)の一端があると思うのはサイケおやじだけではないでしょう。

とにかく低音域重視のホーン&ストリングスの不気味な響き、クールで熱いオルガンとジージージリジリのファズが効きまくったギター、そしてなによりも情念丸出しのコブシで迫る三浦恭子のボーカルがエグイですよっ!

それはもう、全くジャケ写のお美しい面立ちとは正反対でもあり、同時に「さもありなん」という女の怖さの表出であるかもしれません。

う~ん、本当に凄いです……。

しかし、一方のB面収録「嘆きの湖」は狙いどおりのGS歌謡がど真ん中♪♪~♪

山上路夫の綴った歌詞は些かドロドロした恋愛模様なんですが、鈴木邦彦の闊達な作編曲はキュートなイメージの味付けが結果オーライかと思います。

ということで、こういうブツが平然と作られていた当時、他にも同種のネタ盤が夥しいという推察は容易でしょう。

だからこそ、昭和歌謡曲の奥の細道を辿るのは険しくも楽しいわけです。

老い先も決して長くはないサイケおやじは、往生際が悪いと言われようとも、止められない道楽と自覚しているのでした。

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もうひとつの悲しき願い

2014-09-21 14:47:12 | 歌謡曲

■悲しき願い c/wエブリシングス・オール・ライト / ケン・サンダース (日本ビクター)

現在でもハーフ系の俳優やタレント、そして歌手は大勢活躍していますが、サイケおやじの世代の皆様であれば、本日掲載のシングル盤を出したケン・サンダースはお馴染の顔かと思います。

なにしろ黒人の血が入ったルックスは正直、昭和40年代の我が国では印象が強過ぎたわけですが、しかし映画やテレビドラマでは必要不可欠なキャラであった事も確かで、それはお叱りを覚悟で書かせていただければ、当時の日本では「混血」という存在が「在日」と同じく、侮蔑の対象であった現実とは無関係ではありません。

そのあたりの感覚は現在からはあまりにも想像し難いでしょう。

しかし同時に「混血」には日本人には無い、ある種のカッコ良さが確かにあって、それゆえに芸能界やファッション界で表立った活動も出来ていたわけですし、憧れの対象という以上に様々な場面で存在感を発揮していた事を忘れてはなりません。

さて、そこでケン・サンダースは俳優として、劇中では不条理な役柄も多かったんですが、それでも必要以上の卑屈さや喜怒哀楽は見せないという芯の強い演技は流石です。

そしてもうひとつ凄いのが、歌の実力!

ご紹介のシングル盤A面曲「悲しき願い」は昭和40(1965)年に発売されたもので、当然ながらタカオ・カンベの訳詞による尾藤イサオとの競作ながら、独特の厚みがある声質を活かした節回しや粘っこいノリは、まさにソウルフルですよ♪♪~♪

それを「黒人の血」云々で語るのは容易かもしれませんが、サイケおやじには決して楽ではなかったと思われるケン・サンダースの生き様がナチュラルに滲んだものと思いたい気持ちがあります。

むしろ「歌の実力」と書いた前述よりも、「味わいの深さ」と言うべきかもしれません。

ということで、ケン・サンダースが何枚レコードを吹き込んだのかは知る由もなく、私有盤もこれっきりなんですが、もっともっと聴いてみたい「歌手」のひとりです。

ちなみにB面収録の「エブリシングス・オール・ライト / Everythings All Right」も日本語詞によるカバー物なんですが、ノリの良い和製ポップスとエレキ歌謡の間に誕生したが如き、これも「ハーフ」と書けば顰蹙でしょうか?

しかし独特のタメが効いた、ケン・サンダースならでは台詞回しが歌の世界で活きた快唱だと思います。

あぁ~、他にどんなレコードがあるのかなぁ~~。

本当に気になる歌手のひとりがケン・サンダースというわけです。

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