OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

神サオリからゼップまで

2014-05-31 15:30:35 | 歌謡曲

港の子守唄 / 神サオリ (ポリドール)

掲載したのは、サイケおやじが十代の頃から探し求めていた心(?)の名曲「港の子守唄」をA面に入れた神サオリのシングル盤なんですが、そもそも件の曲名も、演じている歌手名すらも知らずに探索するのは、砂漠の中のなんとやらですからねぇ~~、早々に答えを得ることは叶わず、長い年月が流れてきました。

それが偶然にも霧が晴れたかの様な邂逅は、記憶の片隅から消し去る事が出来なかった彼女のハードボイルドでシャープな声質、そして演歌でもなく、歌謡ポップスでもない、ちょっぴり微熱も感じられるが如き歌いっぷりが素晴らしいからで、それがひょんな事から以前にネットオークションでゲットした纏め売り雑多シングル盤の山を本日、整理鑑賞していたら、あったんですよ、それがっ!

う~ん、曲タイトルはもちろん、「神サオリ」は「じんさおり」と読ませる事まで知ってみれば、作詞:山口洋子&作編曲:曾根幸明が書いた曲調は極めて演歌っぽい歌謡フォークという趣であり、雰囲気は梢ひとみを強く意識させられましたですねぇ~♪

ちなみに神サオリのルックスは、掲載したジャケ写からして曖昧模糊としているとおりであり、それゆえに彼女の他のレコードも大いに気になるところであります。

ということで、話はがらりと変わりまして、今回の出張から昨夜遅くに帰り着き、しかし実家には戻らないで雪国の出城(?)に直行したのも、実はこれから久々におやじバンドの練習に参加出来ますので♪♪~♪

しかもメール等々では連絡されてはいたものの、バンドがゼップ化しているのには驚いたというか、相方ギタリスト氏とドラマー氏が各々件の偉大なミュージシャンに憧れ、しかもゼップからは近々、素敵な再発プロジェクトの贈り物が届くというので、若き日の情熱が再燃したんでしょうねぇ~~~。

そこでサイケおやじは「胸いっぱいの愛を / Whole Lotta Love」のリフをひたすらに練習する仕儀になっているのでした。

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朗報と言っていいんじゃ~ないですか

2014-05-30 09:46:32 | Weblog

ちょっぴり遠回りで帰りますんで、本日の1枚は休載させていただきます。

で、話は変わりまして、北朝鮮との拉致問題解決への道筋が開けた事は、例え相手方がこれからどのような態度を示すかは別にして、とりあえずは朗報でしょう。

もちろん全面的な信頼関係なんかは築けない相手国ではありますが、向こうだってテレビ放送で堂々と発表した以上、これまでのような出鱈目はやれないはずで、しかもこの機を逃したら最後という事を自覚しているはずと思いたいです。

とにかく前向きな対処、そして解決を強く望んでいます。

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堀川まゆみは罪作りじゃ~ないよね♪

2014-05-29 15:08:44 | 歌謡曲

ダディー / 堀川まゆみ (CBSソニー)

堀川まゆみも昭和50年代の我国芸能界を面白くした美女のひとりでしょう。

なにしろ人気モデルとして、例のクラリオンガールや資生堂のイメージキャラに抜擢され、グラビアでもブレイクしたのが昭和53(1978)年頃だったんですが、そういう彼女がレコードデビューしたのも、当然の流れでありながら、アイドル的な人気よりも音楽的センスを強く感じさせてしまったのですから、吃驚仰天!?

それは本日掲載したシングル盤A収録のデビュー曲「ダディー」からして、作詞:山川啓介&作編曲:松任谷正隆という制作陣の目論見どおり、スローテンポな楽曲を実に上手いボーカルコントロールの節回し、そしてビート感とメロディ解釈の上手さ等々、とにかく前述したとおり、ハイセンスな音楽的素養が無ければ表現不可と思われる世界を聞かせてくれたんですねぇ~~♪

実は後に知った事なんですが、堀川まゆみは沖縄出身のハーフである事以外に、シンガーソングライターとして「青春のリグレット」等々の名曲を出している麗美の実姉であり、沖縄在住の頃からセミプロとしてピアノの弾き語りをやっていたというのですから、本当は最初っから歌手志望だったと言われています。

しかし、そんな世の中の厳しい現実も、本人の恵まれたルックスやセクシーなスタイルがあれば、それは有利に働くわけで、決して罪では無いと思います。

ただし、それゆえに彼女は女優としての仕事が好調過ぎたところは否めず、テレビのアクションドラマやサスペンス物には数多く出演し、同時にグラビアモデルとしても、着エロ系スタアとして人気がありましたからねぇ~♪

それが昭和57(1982)年、今や伝説のハードコア作品「花魁」のドタキャン降板事件により、表だった芸能活動が縮小状態に追い込まれ……。

告白するとサイケおやじは、彼女がハードコアに出演するという報道に歓喜乱舞した者のひとりとして、非常な虚脱感に襲われた記憶が今も鮮烈なんですが、一方では、これで音楽活動が本格化されるんじゃ~ないか?

と、過大な期待を抱いたのものでした。

もちろん、皆様ご存じのとおり、堀川まゆみは「MAYUMI」となって、自らの音楽を追求していくのですが、むしろソングライターとして当時のアイドル達に提供した作品群の素晴らしさは、局地的ではありますが、特筆されていましたからねぇ~♪

それが残念ながら、何故か本人の基ではイマイチ、上手く機能していなかったと思うのは、サイケおやじだけでしょうか……。

ということで、掲載ジャケ写のポートレイトは幾分本人のイメージから外れ気味なんですが、堀川まゆみのセクシー画像はネットの世界で現在も存分に拝めますので、興味を惹かれた皆様は、ぜひっ!

個人的には微妙にクセのある乳首、少し空気の抜けた風船のような乳の佇まいに実用性を覚えていましたし、何よりも彼女の声質が、スタイルや雰囲気にジャストミートしていたわけでして♪♪~♪

そういう音源の復刻状況も、あまり芳しくはない現在、どうか再評価&再ブレイクを願っているのでした。

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諸々あって、今があるのね、彼女にも

2014-05-28 14:23:59 | 歌謡曲

恋の家なき子 / 星ひろみ (センチュリー)

さて、掲載したジャケ写の主人公は誰でせう?

その答えは我国芸能界演歌系トップのひとりたる伍代夏子だそうですよっ!?

実はこのブツ、昨日書いた「ナオミの夢 / いぬいなおみ」のトレード物件として、相手方から入手したものなんですが、サイケおやじは全く知らなかったシングル盤ですし、伍代夏子にそんな過去があろうとは!?

う~ん、彼女も様々にあったんですねぇ~~。

そんなわけですから、ジャケ写の雰囲気と曲タイトル「恋の家なき子」から類推して、これはアイドルポップスかもしれんぞっ!

と、意気込んだものの、実際に針を落してみたら、藤本卓也の作詞作曲による所謂ムード歌謡がど真ん中でありました。

ちなみに発売されたのは昭和57(1982)年とされていますが、今回入手した掲載盤は「見本盤」扱いですし、売れなかった現実からしても、実売数が何枚あったのかは歴史の闇という事でしょう。

そういえば、確か彼女は「伍代夏子」になる以前、「星ひろみ」の他にも別な芸名でレコードを出していたらしいですからねぇ~~。

いずれは編纂されるであろう彼女のアンソロジーには、レアリティーズとして収録される諸々が楽しみになってきましたよ♪♪~♪

ということで、出張本来の目的は当然ながらシビアな仕事なんですが、相手方とのそんな厳しい応酬があったとしても、前段として共通の趣味の楽しみを交わせるのであれば、例え国家間の関係は最悪でも、それなりに和んだ人間関係も築けるわけです。

まあ、そんなふうに楽観しているところにサイケおやじのダメさ加減もあるんですが、自分で納得する事も必要と思っているのでした。

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なおみはナオミの夢を見るか

2014-05-27 14:02:28 | 歌謡曲

ナオミの夢 / いぬいなおみ (東宝レコード)

日本で最も馴染み深い洋楽ポップスのひとつとして、1971年に大ヒットしたのが、ヘドバとダビデが歌った「ナオミの夢」の日本語バージョンは、当然ながら、そのまんまのカバーバージョンが数多作られましたが、本日ご紹介するのは、「いぬいなおみ」の「ナオミの夢」なんですから、その企画性云々は言わずもがなでしょう。

もちろん件のヘドバとダビデはイスラエルで活動していた男女ボーカルデュオでしたから、最初は同曲のヘブライ語バージョン「Ani Holem Al Naomi」をオリジナルの持ちネタとして、1970年の東京国際歌謡音楽祭に出場し、見事にグランプリを獲得!

日本語バージョンは、その流れで作られ、翌年初頭から爆発的なヒットになったのは、弾むようなメロディ展開に加え、「ナオミ」という、欧米では比較的一般的な女性の名前が、我国でも違和感の無い響きであった所為でしょう。

ちなみに訳詞は片桐和子が担当したものが、和製のオリジナルバージョンとしては決定版かと思いますし、いぬいなおみの歌も、それに準拠するものですから、ヘドバとダビデの大ヒットバージョンが刷り込まれていたとしても、違和感はそれほど無いはずです。

というか、この作曲:デビッド・クリボシェが提供したメロディとリズムの楽しさは、洋楽ポップスの黄金律であり、既にアメリカの白人大衆音楽では基礎となっていたユダヤ人モードが顕著だとすれば、ヘドバとダビデがイスラエルからやって来たというのも、充分に説得力があるんじゃ~ないでしょうか。

さて、そこで「いぬいなおみ」なんですが、残念ながらサイケおやじは彼女について知るところがありません。

実は掲載盤にしても、私有ではなく、今は手元にありますが、これから出張する韓国の仕事関係者から入手を頼まれていたブツなんです、はい。

しかし一応は針を落してみると、なかなかイケてる歌唱力は、ルックスから推察するところ、宝塚出身なんでしょうかねぇ~~。

そういう深まる謎の楽しみも、昭和歌謡曲の世界かと思っています。

ということで、本日から出張になりますので、拙ブログの成り行きアップも、ご理解下さいませ。

もちろん行く先々での猟盤作業は、継続していく所存です。

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やっぱり真理ちゃん♪

2014-05-26 16:31:54 | 歌謡曲

夕陽のスケッチ / 天地真理 (CBSソニー)

浅田美代子岸本加代子と書いてくれば、次は天地真理というのが避けては通れない道筋というものでしょう。

だって天地真理は件の二人が注目されるきっかけとなった、例のTBS水曜劇場「時間ですよ」における「隣の真理ちゃん」ですからねぇ~~~♪

もちろん真理ちゃんにしても、そこからブレイクしたわけで、明るい笑顔と屈託の無い存在感は忽ちお茶の間の人気者となり、しかも基礎がしっかりしていた歌唱力がありましたから、昭和41(1971)年秋のデビュー曲「水色の恋」から大ヒットを連発し、テレビでは歌番組はもちろん、自らの芸名を冠にしたバラエティ番組の高視聴率、そしてキャラクター商品も次々に発売されるほどで、所謂国民的アイドルスタアになっていたのですが……。

当然ながら、そうなってみると世の中の常として、裏側のあれこれが虚実入り乱れて報道され、それが様々な憶測を伴って良からぬ噂となったり、ついには真理ちゃん本人がハードスケジュールやプレッシャーの果てに健康を害するという芸能界残酷物語を演じてしまった顛末は、今更説明不要と思います。

さて、そんな真理ちゃんに対するサイケおやじの立場は、決して彼女に夢中になっていたわけではなく、周囲の狂騒を妙に羨ましく思えた程度ではありましたが、「天地真理」ではなく、あえて「真理ちゃん」と呼ぶことに吝かではありませんでした。

つまりアイドルスタアとしての彼女には、その楽曲の完成度の高さ共々、やはり素敵なものを否定は出来なかったのです。

しかし所詮は天の邪鬼のサイケおやじですから、全盛期よりは幾分人気が落ちて来た頃の歌が好きということで、本日掲載のシングル盤は、ちょうどそんな時期の昭和50(1975)年末に発売された、これが歌謡フォーク調の哀愁ソングの決定版として、A面曲「夕陽のスケッチ」にグッと惹きつけられてしまったんですねぇ~~♪

それは作曲:筒美京平&編曲:萩田光雄というお馴染みのソングライターコンビが十八番の流行解釈を提示したところに成功の秘訣があるんでしょうが、作詞にクレジットされている宮中雲子は、童謡や児童向けの作品で有名な詩人と同一人物なんでしょうか?

とにかくシンプルでストレートな純愛フィーリングを綴った言葉とメロディラインのジャストミート感は、特にサビの入り方やリズムアレンジの上手さとは無関係ではないでしょう。

ちょい聞きには地味な印象の曲だと思いますが、件のサビの展開や演奏パートの深淵な企み(?)は、聴くほどにクセになりますよ♪♪~♪

それともうひとつ、特筆しておきたいのが、ジャケ写に登場している真理ちゃんの美しさ♪♪~♪

既に第一線のアイドルと言うよりは、スタアとしての佇まいが不思議な愁いを滲ませているあたりに、当時の真理ちゃんの状況が……、と思うのは、後世の歴史を知っている者ばかりの気持ではないと思われますが、いかがなものでしょうか。

ということで、例え真理ちゃんに何があったとしても、彼女が残してくれた思い出や記憶は、昭和40年代後半から青春時代を過ごした皆様にとっても、決して忘れられるものではないはずです。

ご存じのとおり、真理ちゃんは小柳ルミ子、南沙織と並んでの三人娘として華々しい活躍がありましたが、小柳ルミ子が正統派歌謡曲、南沙織が歌謡ポップスであったという一般論(?)からすれば、真理ちゃんは歌謡フォークが一番似合っていたと思いますし、前述したテレビドラマ「時間ですよ」の劇中でもギターを弾きながら、フォークアレンジの「恋は水色 / L'Amour Est Blue」等々を歌っていましたからねぇ~~。

あぁ、白いギターを抱え、ジーパン姿の真理ちゃんが眩しく思えるのでした。

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裸の花嫁には驚いたぁ~~~♪

2014-05-25 15:43:55 | 歌謡曲

裸の花嫁 / 岸本加世子 (NAV)

デビュー当時、浅田美代子と似た様な立ち位置に登場したのが、岸本加世子に対するサイケおやじの印象です。

それは昭和52(1977)年、前述した浅田美代子が大ブレイクのきっかけとして出演したテレビドラマ「時間ですよ」と同じ、TBSの水曜劇場枠で放送されていた「ムー」における足袋屋の従業員カヨコ役は、そのまんま岸本加世子のイメージでありました。

というか、サイケおやじと同世代の皆様であれば、そこに浅田美代子と似た様な雰囲気を感じたはずと思いますし、しかし確固たる彼女ならではの個性はきっちり打ち出されていたのですから、以降に女優として成功したのも、成り行きとばかりは言えないでしょう。

そこで本日掲載のシングル盤は同年秋、ということは、確か実質的なデビュー出演であった前述のテレビドラマ「ムー」の放送終了直後に発売されたものですから、そこで確立された人気と知名度からすれば、売れて当たり前と予想されるはずが……。

実は彼女の場合、冒頭に述べたとおり、浅田美代子と「似た様な立ち位置」であれば、その歌唱は、どっちもどっち!?

ご存じのとおり、「ムー」出演時には挿入歌として「北風よ」を出したのですが、幾分時代の流れとは遊離した感じは否めない歌謡フォーク童謡的な曲調が裏目というか、個人的にはそれほど惹きつけられるものはありませんでした。

その所為でしょうか、この2作目となるシングル盤A面曲「裸の花嫁」は岸本加世子ならではの「入れ込んだ」演技力を活かした、台詞&語りが入った哀愁のフォーク歌謡がど真ん中!

うむうむ、これはイイねぇ~~~♪

と感じ入ったファンが大勢という推察も易いほどの仕上がりなんですが、なんとっ!

これには大きな裏がありまして、結論から言うと曲調も構成もアメリカの女性ポップスグループとして1960年代中頃に絶大な人気があったシャングリラスを代表する1965年のヒット「家には帰れない / I Can Never Go Home Anymore (Red Bird)」を強烈に意識しまくった狙いがモロなんですよねえ~~~~~!?

だって、キメとなっているバックコーラスからして……

 もぉ~~ うちにはぁ~ かえれないぃぃ~~

ですからねぇ~、初めて聴いた時、サイケおやじは、そのあまりの確信犯ぶりに絶句して悶絶、そのまんまニンマリし続けた記憶は今も鮮烈ですよ♪♪~♪

これは稚拙な筆を弄するよりも、ぜひとも皆様に両曲を聴き比べていただくのが最良と言う他は無いほどです。

う~ん、ちなみに作詞:中里綴&作編曲:馬飼野康二とクレジットされた楽曲ではありますが、こういうのは失礼ながら「盗作」って言われないんですかねぇ……。

メロディラインや歌詞の一部に対しては、そんな諸々が昭和歌謡曲に限らず、世界中で夥しい事例が記録されてはいますが、こんなにプロデュース企画から全てをパクッているなんてのは、珍しいかもしれませんよ。

告白すれば当時のサイケおやじは、シャングリラスと彼女達のプロデューサーだったシャドウ・モートンに強い興味を抱いておりまして、シャングリラスのレコードを聴きまくっていたというタイミングもぴったりの因縁がありました。

ですから、掲載盤も所謂ネタとしてゲットしたのが本当のところです。

ということで、歌手としての岸本加世子よりも、女優としての彼女が圧倒的な存在感を示している事は説明不要と思います。

しかし、それでもアイドルだったというデビュー期に歌手としてレコードを出してくれたのは、それが失礼ながら大きなヒットにはなっていなくとも、感謝すべきですよねぇ~~♪

それが女優さんの歌のレコードの楽しみでもあります。

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美代ちゃんの天然歌唱

2014-05-24 16:15:00 | 歌謡曲

虹の架け橋 / 浅田美代子 (Epic / CBSソニー)

現在ではバラエティ番組における「天然」、そしてドラマでは落ち着いた芝居を演じる浅田美代子も、昭和48(1973)年のデビュー当時は可愛いアイドルであり、その素人っぽい芝居や歌が殊更に憎めないほどの人気者でありました。

それは当時の高視聴率番組「時間ですよ(TBS)」や「寺内貫太郎一家(同)」での当たり役「お手伝いさんの美代ちゃん」というキャラがウケまくり、当たり前のように出したレコードでは、最初のシングル曲「赤い風船」から爆発的なヒットになっていったのですから、そこは素直に納得するのが昭和という時代の勢いと思うばかりです。

なにしろ彼女の場合、今でもネタにされるほどケタ違いの歌唱力は笑って許しての世界であり、それゆえにテレビの歌番組ではブラウン管の前のファンをハラハラドキドキさせていたという、それも視聴率に貢献していた伝説がっ!?

また同じ理由で、同業者からのイジメも辛辣だったいう逸話も自然の成り行きでしょうか。

さて、そこで本日掲載のシングル盤は昭和49(1974)年6月に出た、これがもちろんA面「虹の架け橋」は前述のテレビドラマ「寺内貫太郎一家」での劇中挿入歌だったわけです。

そしてご推察のとおり、作詞:安井かずみ&作曲:都倉俊一、さらには編曲:高田弘のヒット職人が浅田美代子の力量を勘案し、おそらくは苦労したにちがいないほどの傑作なんですよっ!

なんというか、和み優先の歌謡フォーク童謡とでも申しましょうか、実に危なっかしい節回しの妙を逆手に活かしたメロディ展開を捻り出した都倉俊一は天才じゃ~なかろうかっ!?

本当にそう思ってしまうんですよねぇ~~♪

ということで、あらためて言うまでもなく、浅田美代子のレコードは、そうした側面から楽しめば、全てが傑作曲揃いで、そんなこんなも昭和歌謡曲の大いなる全盛期の証なのでしょう。

ただし冷静に思い出してみれば、ヒット状況やレコードセールスでは、この「虹の架け橋」あたりが峠だったと言われていますし、本人が吉田拓郎との結婚から引退してしまえば、しばらくの間は「ネタ扱い」も止む無し……。

告白すれば、サイケおやじが浅田美代子が歌った楽曲レコードの仕上がりの奥深さに気がついたのは、件の引退期間中であり、必然的に私有盤は捨値扱いの中古ばっかりというわけです。

そして好きなのは、大ヒットしていた初期の作品よりも、後期のそっとしておきたいものばかりという、本日も天の邪鬼を露呈したところで、失礼させていただきます。

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欧陽菲菲之深南部魂歌謡

2014-05-23 15:10:06 | 歌謡曲

恋の十字路 / 欧陽菲菲 (東芝)

欧陽菲菲が聞かせる歌謡パラードの上手さ、味わいの素晴らしさは今や代名詞ともなってるロングセラーのメガヒット「ラブ・イズ・オーヴァー」にも顕著ですが、これも忘れちゃ~いけないというのが、本日ご紹介のシングル盤A面曲「恋の十字路」でしょう。

とにかくイントロでストットトンッストットンッとキメるドラムスからグッと濃厚なストリングやコーラスを交えたオーケストラの鳴りの良さ、そして粘っこい欧陽菲菲の歌唱は、まさにソウルフルってもんですよっ!

あぁ、これぞっ! 昭和48(1973)年の正統派ソウル歌謡ですから、作詞:橋本淳&作編曲:筒美京平という楽曲クレジットにも納得して感服する他は無いんですが、実は良く知られているように、これはブルー・コメッツが同じソングライターコンビに提供され、昭和44(1969)年に出した「涙の糸」の使い回しなんですから、流石に昭和の歌謡界は奥が深い名曲揃いである真実を再確認!

もちろん歌詞は橋本淳が欧陽菲菲に合わせて書き直してありますが、もうひとつ、我知らずに惹きつけられてしまうサビからの盛り上がりにしても、筒美京平が単なる「使い回し」とは一線を画するアレンジを施した事により、全篇が圧巻の印象度になっていると強く思うばかりです。

ちなみにソウル歌謡という観点からすれば、リアルタイムの1973年の洋楽では、泥沼ファンキーの南部ソウルとお洒落なフィーリングを優先させた都会派フィリーソウルが互いにヒットを狙って拮抗していた素晴らしい時期でしたからねぇ~、この欧陽菲菲が歌った「恋の十字路」も、ちょうどそういうバランスが絶対の絶妙感ながら、それでもディープなサザンソウル味が歌謡曲にもジャストミートしていた真実の証明が、ここに記録されていますよ♪♪~♪

ということで、実はこのシングル盤はヒットしていた頃よりは相当後、中古でゲットしたんですが、それと言うのも件の店頭で遭遇したジャケ写のポートレイトが一瞬、セクシーアクションのテレビドラマ最高峰「プレイガール(東京12ch)」でお馴染みの東映女優だった片山由美子に見えてしまったという、ファンならではの心眼作用でありました。

うむ、残念ながらサイケおやじは一度も聴いたことが無いんですが、既定事実として歌が上手い片山由美子が演じる「恋の十字路」は、どんな感じになるのでせうか……、等々の空想も楽しいのが、昭和歌謡曲の素敵なところというわけです。

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家族そろってファンキーグルーヴ

2014-05-22 16:42:25 | 歌謡曲

上級生 c/w 恋の大予言 / フィンガー5 (日本フォノグラム)

沖縄出身のフィンガー5は和製ジャクソン5として、昭和歌謡史にその名を刻するファミリーグループですが、決して最初っからブレイクしていたわけではなく、下積みがきっちりありました。

もちろん、その時代の彼等は文字どおりの子供達だったもんですから、バンド名をベイビーズ、あるいはベイビー・ブラザーズとして、既に関東周辺の米軍関係施設や飲食店等々でライプをやっていたんですよっ!

実はサイケおやじは昭和46(1971)年末頃、彼等のライプに接しているんですが、「バンド」と前述したのは玉村家の一夫(g)、満男(ds)、正男(b,vo)、晃(vo)、妙子(key,vo) という編成で、本当に自前の演奏が出来ていました。

ただし、それは決して上手いとは思えず、それでも纏まりの良さは確かにありましたですよ。

というか、彼等は沖縄に在住していた頃から既にセミプロであり、昭和45(1970)年頃にレコード契約を得て上京してきた事を後に知ってみると、ベイビー・ブラザーズとしては決して売れませんでしたが、根性は据わっていたと思いますし、今となっては成功も時間の問題だったような気がしています。

そして、いよいよ世界中で人気者になっていたアメリカの黒人兄弟グループのジャクソン5を強く意識したスタイルのフィンガー5となって再デビューすれば、昭和48(1973)年に出した「個人授業」のメガヒットから忽ちの大ブームを巻き起こした事は説明不要と思います。

本日掲載のシングル盤はちょうどフィンガー5の全盛期だった昭和49(1974)年秋に発売された傑作で、ファンキーグルーヴが大爆発!

それが本来はB面収録の「恋の大予言」では極まっているんですから、レコード会社も速攻でジャケ写を差し替えた掲載のブツを出してきたのもムペなるかな、作詞:阿久悠&作編曲:井上忠夫の狙いもジャストミートしまくっていますよ♪♪~♪

なにしろ冒頭から晃と妙子が入れ違いに唱える呪文でツカミはOK♪♪~♪

 ばからばから ぺてんのふきぬけ

 あぶどらばんちょのべそっかきぃ~

と、まあ、全部書いてしまうと、些かヤバイ部分もあるんで、後は聴いてのお楽しみではありますが、当時の子供達はこれを真似っこしていたような記憶があります。

また当然ながら、スタジオミュージャンによるバックの演奏は完璧の一言ですし、フィンガー5の歌いっぷりの良さも楽しさが満点でしょう。

ところが現場の事情は些か苦しいものがあったようで、これは後にテレビや各種マスコミからの報道で知ったんですが、当時はリードボーカルの晃が変声期に入っていたことから、ウリだったハイトーンボイスに無理が滲んできたそうてすし、売れっ子の宿命というハードスケジュールからメンバーの健康問題も浮上する等々、まさに芸能界残酷物語が……。

そして以降、フィンガー5はメンバーチェンジも虚しく、人気は下降線となる諸行無常は、この世の真理!?

ですから本来のA面曲「上級生」を聴くと、最高の楽曲とバック演奏を提供されながら、肝心の晃のボーカルが本当に刹那の節回しで、だからこそボーカルグループとしてのフィンガー5が楽しめるとはいえ、これをライプステージやテレビ出演でやるのは、流石に選択は難しいという推察は容易です。

しかしフィンガー5の凄さと素晴らしさは、それゆえに強く感じ入るばかりなのが、このシングル盤というわけなんですよ。

ということで、最近はこういうファミリーバンド&グループが登場してくれないところに芸能界の煮詰まりを感じてしまうサイケおやじであります。

そりゃ~、確かに現代は少子化ですし、家族でバンドをやるなんて事はカラオケに夢中になるよりも可能性が少ないと思いますけどねぇ、だからこそ、今でしょう~。

最後になりましたが、サイケおやじだって、昔はファミリーバンドを夢見たという告白をさせていただきます。

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