OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

マンネリ・マイルス対ガチンコな子分

2012-07-31 15:04:24 | Miles Davis

Miles Davis Quintet Live In Copenhagen 1964 (Domino = CD)

ちょいとした齟齬から買い逃したブツに対し、それが名作であるという評判が定着するほどに、ますますの妄執を募らせるのがサイケおやじの悪癖です。

例えば本日ご紹介するマイルス・デイビス(tp) の音源は、ウェイン・ショーター(ts)、ハービー・ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds) を擁していた1960年代の所謂黄金のクインテットによる音質良好なライプの傑作として、かなり以前から評判を呼んでいました。

ところが何故かサイケおやじが入手したマグネチックというレーベルからのCDは、プレスミスなんでしょうか? とにかく全く作動せず、購入店で交換してもらっても、それが再び同じ症状……。

結局は返金となって、う~ん、また何時かは買える時が来るだろう、なぁ~んて楽観してから既に幾年月!?

ほとんど再発の兆しもなく、また中古も出ないという悪循環が続きましたから、つい先日、それと同じ音源を収録した掲載CDを発見した時には、速攻でお買い上げとなった次第です。

ちなみに録音データは1964年10月4日のコペンハーゲンというのが定説ですが、これには微妙に異論もあることを付け加えておきます。

01 Aututmn Leaves / 枯葉
 マイルス・デイビスが十八番の演目の中でも人気が特に高い「枯葉」ですから、ミュートによる味わい深いメロディフェイク、それに呼応するリズム隊の緊張感が、リスナーに必要以上の期待を抱かせてくれる事は言わずもがなでしょう。
 このあたりは当時のマイルス・デイビスが残したライプ音源を聴いていくとわかるんですが、親分はほとんどの場合、最初に良く知られた歌物スタンダードをやるんですよねぇ。
 おそらくはそれでツカミはOK♪ を狙っていたんでしょう。
 もちろん、それはここでも万全であって、とにかくミディアムテンポでのグルーヴ感は如何にも黒人ジャズならではの重量感がありますし、リスナーが演目のメロディを知り抜いていることを活かしきったマイルス・デイビスのミュートの魔術♪♪~♪
 好き放題にやっている感も強いリズム隊のビシッとした意志の疎通も侮れません。
 ところがウェイン・ショーターが登場すると、これが一変!
 実質的にはバンドでの新参者ながら、最初から幹部待遇ということもあるんでしょうが、マイペースと言うにはあまりにもジコチュウなやり方には、特にトニー・ウィリアムスが若気の至り? 真っ向から逆らうようなドラミングが散見され、あぁ~、これがジャズを聴く楽しみだと痛感されますよ♪♪~♪
 ただし同時期の公式盤「ベルリン」での演奏に比べると、些か整合性に乏しい感じも……。
 まあ、それを上手く収斂させるのがハービー・ハンコックの役割でもあるのでしょう。実に素晴らしいアドリブを聞かせてくれますが、残念ながら途中でテープが終わったのかもしれません。尻切れトンボが勿体無い!?
 とはいえ、それを上手く拍手を被せることで次の演目に繋ぐ編集は結果オーライだと思います。

02 So What
 ということで、前トラックの拍手の中でスタートするのが、これまたマイルス・デイビス十八番のモード曲にして、このクインテットが最高に爆発するアップテンポの定番演奏!
 正直に言えば、マイルス親分は些か音も外していますし、アドリブもマンネリの極みに陥っていますが、トニー・ウィリアムスのメチャ煽りには熱くさせられますねぇ~♪
 かなり過激なウォーキングをやってしまうロン・カーターも凄いと思いますが、それにしてもウェイン・ショーターの自虐的なアドリブソロは今だから素直にシビれられるものでしょう。多分、リアルタイムの観客は唖然とさせられんじゃ~ないでしょうかねぇ~~?
 結局、ここでもハービー・ハンコックが上手い仲介役としての手腕が発揮されるというわけです。

03 Stella By Starlight
 そして前曲のラストテーマから万雷の拍手の中、すぅぅぅ~と弾かれるハービー・ハンコックの繊細なピアノのフレーズに導かれ、またまたマイルス・デイビスが薬籠中のメロデイフェイクを聞かせてくれるのが、この歌物スタンダードです。
 う~ん、やっぱり当時はこういうプログラム構成が普通だったんでしょうかねぇ。個人的にはアップテンポやミディアムグルーヴをガンガン乱れ撃ちにして欲しいんですが……。
 まあ、それはそれとして、実は今回の再発では収録演目を実際のライプの曲順と同じに揃えたらしく、それでもサイケおやじは冒頭に述べたとおりの事情から既発のブツは聴いていないので、ここまでしか言えません。
 しかし緩急自在にスイングしていく黄金のクインテットの演奏は流石に素晴らしく、見事な緊張と緩和に酔わされてしまいますが、意外に直線的なウェイン・ショーターにリズム隊が嬉々とした次の瞬間、お約束とはいえ、幻想の世界へ転じるあたりの周到さはニクイばかり!
 トニー・ウィリアムスのブラシも、良いですよっ!

04 Walkin'
 で、再び始まるのが原曲のブルースを全く無視した激烈モードの疾走大会!
 マイルス親分は、まあ、例のとおりなんですが、ウェイン・ショーターのブッ飛びは時代を鑑みれば、明らかに過激なスタイルであり、しかも闇雲なフリーにもならず、コルトレーンとも一味異なるアプローチは、それが未完成なだけに危険極まりないのかっ!?
 ですからトニー・ウィリアムスの大ハッスルも、またハービー・ハンコックの物分かりの良さ、さらにはロン・カーターの安定路線も、既に我々が知っている後の姿の前触れに他なりませんよねぇ~♪

05 All Of You
 そんな諸々を思いつつ、それでも虚心坦懐に聴き入ってしまうのが、マイルス・デイビスのミュートの世界でしょう。
 ここでも手慣れた手法が本当に心地良く、何がマイルス・デイビスの魅力の本質なのか、それをリスナーは再認識させられるんじゃ~ないでしょうか。
 子分達も、そうした親分の気持を無にしないというか、その場の観客を大切にしたプレイは決して媚びたわけではなく、むしろ本音で演じた結果とサイケおやじは思いたいですし、これが実に素晴らしいと思います。
 ラストテーマにおけるマイルス・デイビスの思わせぶりも秀逸♪♪~♪

06 Joshua - The Theme
 こうして迎える大団円は、個人的に大好きなモード曲♪♪~♪
 思わずワクワクさせられるテーマから観客の手拍子も良い感じですが、バンドの勢いは冷静と過熱のバランスが絶妙で、しかも自由が保証されているのでしょうか、各人のアドリブパートにはきっちり山場が提供されます。
 いゃ~、トニー・ウィリアムスの煽りも最高ですねぇ~~♪
 演奏は最後に短いバンドテーマが奏され、およそ66分のライプステージが楽しめるという仕掛です。

ということで、これはやっぱり噂どおり、なかなかの名演ライプ音源でした。

気になる音質も良好なモノラルミックスで、確かに弱音部分ではヒスノイズも目立ちますが、録音された時代を考慮すれば、贅沢は敵でしょう。ジャズ者ならば、全く問題無しに聴けるレベルだと思います。各楽器のバランスも絶妙というか、同種の音源に比べるとベースの存在感もしっかりしていますよ。

ただし以上の件は再発のリマスター効果なのか、サイケおやじは今回初めて聴いたわけですから、確実な事は言えませんので悪しからずご了解下さいませ。

それと以下は蛇足ではありますが、当時のマイルス・デイビスの発掘音源は多種多様にある中で、常に親分がマンネリ、反して子分達が意欲的という構図は、やはりファンが求めているものなんでしょうか……。

個人的にはそれで良いと思っていますし、そうした安心感こそが、マイルス・デイビスのブートを入手するキメ手になっているのは確かです。

そしてジャズが絶対的な魅力を発揮していたのは、やっぱりこの時代までなんだぁ~、という思いを強くするのでした。

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熱気ブッ飛びの熱気

2012-07-30 15:07:06 | Soul

In The Beginning... / The Isley Brothers & Jimi Hendrix (T-Neck / Buddah)

すっかり成功を勝ち得た偉人の下積み時代を語る事は、その頃に苦楽を共にしたり、あるいは様々に世話をした云々という、些かの自慢話が傍目には嫉妬に思われてしまうわけですが、それでも昔の恩義を忘れないのが本当の偉人というものでしょう。

例えば未だ音楽史に屹立するジミ・ヘンドリクスが、その駆け出し時代から多くのR&Bスタアのバックバンドで働きながら、常に自らの個性を磨く事に邁進していた姿を我々が知ることになったのも、当時の音源がそれなりに纏められているからに他なりません。

平たく言えば、それは人気が爆発したジミヘンに便乗した商売なんですが、それを全て、一概に否定するのは大間違いでしょう。

もろちん中身は玉石混合、う~ん、これは酷いなぁ……、と呆れるブツも多い事は確かなんですが、しかし本日ご紹介するアイズリー・ブラザーズのLPは、なかなかの充実作として、殊更サイケおやじは愛聴している1枚です。

 A-1 Move Over And Let Me Dance Part 1
 A-2 Have You Ever Been Disappointed Part 1 & 2
 A-3 Testify Part 1 &2
 A-4 Move Over And Let Me Dance Part 2
 B-1 Wild Little Tiger
 B-2 The Last Girl
 B-3 Simon Says
 B-4 Looking For Love

ご存知のとおり、ジミヘンがアイズリー・ブラザーズのバックバンドだったI.B.スペシャルズに雇われていたのは1964年前半であり、そこを一時的に止めた後、1965年夏頃から再び同バンドに出戻ったわけですから、何もアイズリー・ブラザーズがジミヘンの個性を育てたとばかりは言えません。

ところがここに纏められた上記のトラックを聴いてみると、特にA面の4曲においては、ほとんど完全にジミヘン特有の「らしさ」が出来上がっているんですねぇ~~!?!

結局、これは個人的な思い込みもありますが、アイズリー・ブラザーズ本来の持ち味であるファンキーロックとジミヘンがやろうとしていたアイディアの相性が良かったのでしょう。

中でも初っ端に収められた「Move Over And Let Me Dance Part 1」や続篇の「Move Over And Let Me Dance Part 2」におけるファンクロック丸出しのリズムカッティングや早弾きフレーズは、完全に後のジミヘンがモロ!

実は良く知られているように、このアルバムに収められたトラックはアイズリー・ブラザーズが1964&1965年にシングル盤として出した音源ばかりなんですが、あえてジミヘンの名前を出して再発するからには、その天才のギターを前面に出したリミックスを施した事が効果的!

それはアップテンポで疾走する「Testify Part 1 & 2」の爆発的なギターワークに驚愕させられる事にも絶対的で、残念ながらサイケおやじはオリジナルミックスのシングルバージョンは何れも聴いたことが無いんですが、いやいや、ジミヘン中毒患者としては、このアルバムバージョンに手を合わせるばかり♪♪~♪

ひぇ~~、本当に凄いんですよねぇ~~♪

そしてスローテンポの「Have You Ever Been Disappointed Part 1 & 2」が、これまた味わい深い仕上がりで、本来はもっと全面に出ていたであろうホーンセクションよりはグッと強くリミックスされたジミヘンのギターゆえに、アイズリー・ブラザーズ特有のネチネチしたメロウ感覚が増幅されている感じです。

しかし一方、B面に収録のトラックは、どのように足掻いても当時の流行に沿った普通のポップス系R&Bの域を出ておらず、やはりシングル盤として世に出す以上は革新性よりは最大公約数的な大衆ウケを狙う常道の結果なのでしょう。

このあたりを付属の資料から整理すると――

 「Testify Part 1 c/w 同 Part 2 (T-Neck 501 / 1964)」
 「The Last Girl c/w Looking For Love (Atlantic 2263 / 1964)」
 「Simon Says c/w Wild Little Tiger (Atlantic 2277 / 1965)」
 「Move Over And Let Me Dance c/w Have You Ever Been Disappointed (Atlanitc 2303 / 1965)」

となりますので、制作は何れもアイズリー・ブラザーズが主導する自己のレーベル「T-Neck」なれど、その音源を発売していたのはアトランティックという大きな会社であれば、そういう方針を非難する事は出来ません。

もちろん激しいギターワークを演じていたジミヘンのプレイにしても、おそらくは相当に抑えられたミックスであったのが、オリジナルシングルの実相だと思われます。

また後に正式メンバーとなる年少の弟・アーニーが、この頃のジミヘンのギターに大きな衝撃と影響を受けた事は、特に1970年代以降に発表されていくアイズリー・ブラザーズのアルバム、あるいは同時期の巡業ライプ音源に顕著ですから、そうした有名な逸話の裏付けとして、ジミヘンの参加をウリにした音源集が1971年に出されたのは意味深でしょう。

企画やリミックスの作業も含めて、おそらくはアーニーのアイディアが相当に大きかったと推察しております。

ということで、このLPはジミヘンの死後に出た事により、なにか無断で商売をやってしまった感もありますが、もしもジミヘンが存命だったとしても、これは充分に発売されていたでしょうし、本人も納得されていたと思います。

それほど特にA面でのジミヘンのギタープレイは凄いですし、近年に纏められた4CD+1DVDのアンソロジーにも、これらの幾つかが入れられている事からして、遺族も公認するしかない素晴らしさのはずです。

とすれば、音質良好な当時のライプ音源も発掘が望まれますねぇ~。

とりあえず、暑さもプッ飛ぶ、逆療法的な熱演というわけです。

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今こそ、これを歌おう!

2012-07-29 15:22:54 | Movie

サインはV / 麻里圭子 with 横田年昭とリオアルマ (日本ビクター)

冷静さを装ってみても、やっぱり熱くさせられるのがオリンピックですよねぇ~♪

四年に一度の真剣勝負! 参加選手が国旗を背負って競技に集中する姿勢は勝ち負けを超えて美しい!

とはいえ、やはり勝ってこそ、それがさらに輝くのも、また事実でしょう。

そして当然、サイケおやじは殊更女子競技に目が釘付けという真相も、既に皆様がご推察のとおりで、まあ、いろいろと美味しい妄想が膨らんでいるというわけですが、そこで思い出されるのが本日ご紹介の名曲「サインはV」であり、同名テレビドラマの素晴らしき名場面の数々♪♪~♪

もちろんこれはジャケ写からも一目瞭然、女子バレーボールを描いた所謂スポ根物なんですが、その根源にあるのは昭和39(1964)年の東京オリンピックにおける東洋の魔女ブームに他なりません。

なにしろ世界の強豪チームを相手に激闘の末の金メダル獲得!

その裏に秘められた猛練習と監督の名台詞「おれについてこい!」「なせば成る」等々、まさに当時の日本が邁進していた高度成長の勢いを体現した姿には、大いなる勇気と感動を与えら、それが映画化、漫画化された事は今や歴史でしょう。

中でも少女漫画でバレーボールを描いた学園物「アタックNo.1(集英社)」は驚異的な人気を集め、そこから対抗馬的にスタートしたのが「サインはV(講談社)」という流れは、後者が社会人チームを舞台にするという設定が実写ドラマにはジャストミート!

ちなみに前者がアニメ化された事への対抗意識も無いとは言えないはずですが、とにかく昭和44(1969)年秋からTBSでの放送は、忽ち凄い人気が爆発しましたですねぇ~~♪

その大きな要因は、もちろん物語展開が如何にもスポ根ど真ん中の汗と涙と友情をメインにしていた事は言わずもがな、岡田可愛、中山麻里、范文雀、岸ユキ等々のスタア女優が毎回、ブルマー姿で登場し、派手な回転レシーブやジャンプを見せまくり、おまけに流石は漫画的なバレー技までもが特撮実写化されていたのですから、たまりません。

特にブルマー姿での美脚&太股やレシーブ時のカメラワークも、全くドキドキさせられるほどの分かり易さが青少年には絶好のプレゼントであり、またジャンプ時の撮影も極めてローアングルからとあっては、一見すると迫力追求方針でありながら、それゆえに捲れた上半身のユニホームからのブラ見せという、これまた確信犯的なショットが連発されていましたですねぇ~♪

おまけに体育館の床掃除では、ブルマー姿でヒップを突き出した雑巾がけを後ろから映してしまうという大サービス♪♪~♪

う~ん、こんな美味しいカメラワークは、今じゃ~、絶対に許されんでしょう。

もちろん前述した女優陣の本来の頑張りも特筆物で、中でも黒人ハーフのジュン・サンダース役で登場した范文雀は、それによって大ブレイク!

実は同時期にはエロアクションのテレビドラマ「プレイガール」にも登場していたのですから、ますます健全(?)な妄想は膨らむばかり♪♪~♪

ちなみに舞台設定でのチーム名は「立木大和」ですが、これはリアルタイムで最強チームと言われていた「日立武蔵」である事がミエミエだったのも、物語を熱くさせるポイントだったと思いますし、対戦相手が「ヤシカ≒ミカサ」「ニチボー≒レインボー」等々、これまた現実に近かったのも高得点!

しかも物語は必ずしも、岡田可愛のチームばかりが勝つという展開ではありませんでしたからねぇ~、なかなか脚本も上手く出来ていたと思います。

さらに鬼コーチ役を演じた中山仁が、今になって思えば、ギリギリのSM趣味としか見えないシゴキをやってしまったり、それに耐える女子チームのあれやこれやも楽しいところでしょう。

まあ、このあたりは如何にもサイケおやじ的な視点ではありますが、実は皆様もご存じのとおり、この人気ドラマは続篇が昭和48(1973)年に作られていて、中山仁が同じ役を演じれば、ヒロインが坂口良子という、実はオリジナルから4年後という設定の物語になっていたんですが、時代的にも中山仁に「鬼」というイメージ幾分薄れていたような……。

さて、それはそれとして、この「サインはV」がもうひとつ、今日まで人気を継続しているのは、掲載のシングル盤に収録の主題歌が忘れられていないからでしょう。

作詞は岩谷時子、作曲は三沢郷によるプロの仕事は流石の仕上がりになっていますが、何よりも素晴らしいのはメインで歌う麻里圭子の溌剌としたボーカルであり、絶妙の合の手コーラスを担当するリオアルマとのコンビネーションも覚え易さの秘訣です。

ちなみに麻里圭子は同時期、お色気歌謡のプティ・マミとしても活動しているんですから、尚更に味わい深いわけですが、それにしても、あぁ~、この絶妙な胸キュンフィーリングと高揚感は実に最高ですねぇ~♪

今回のオリンピックでも、これを女子競技の映像に使ってくれる放送局は無いもんでしょうか!

というよりも、日本選手団のテーマにしても良いじゃ~ないですかっ!

 ブイ・アイ・シー・ティ~、オ、ア~ル、ワイッ!
 サインはブイッ!

この出だしはオールディズポップス「Vacation」からのイタダキなんでしょうが、それが極みつきの結果オーライですよ♪♪~♪

おそらくは本日も激戦熱闘の連続となるはずですが、こういう歌を聴きながら、さらに気分を高揚させるのも素敵ですよねぇ~♪

もちろん世界中のスポーツ美女、万歳っ!

最後になりましたが、東京オリンピックの時の「東洋の魔女」を映画化した作品「おれについてこい(昭和40年・東宝)」は、主演・白川由美のブルマー姿が拝めるとあって、今でも幻の人気作品♪♪~♪

サイケおやじは中学生の頃、校内巡回映画として観ていますが、これもまた美味しい場面が頻出していた事を付け加えておきます。

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ボサノバ歌謡も本物は流石

2012-07-28 15:02:44 | 歌謡曲

青いペッド / Sonia Rosa (東芝)

ソニア・ローザは昭和44(1969)年頃、日本にやってきたブラジルの歌手で、十八番はもちろんボサノバ♪♪~♪

その経緯としては、今や有名な小野リサの父親である小野敏郎氏の存在も大きいようですが、既にブラジルでレコードデビューしていただけあって、恐らくは我国で活動した最初の本格的なボサノバ歌手だったのかもしれません。

ご存じのとおり、ボサノバが日本で流行したのは、スタン・ゲッツ(ts) やアストラッド・ジルペルト(vo) の世界的な人気よりは、そういうブームを直輸入してくれた渡辺貞夫(as) の功績が大きいわけですから、ソニア・ローザとのコラポレーションで作ったアルバムも当時は発売されていました。

そして当然ながら、日本で活動する外タレである以上、歌謡曲のレコードも出すのが、ひとつの成功の証でしょう。

本日掲載したシングル盤は、まさに昭和45(1970)年春に発売された、ソニア・ローザの本邦デビュー曲「青いペッド」をA面にした裏傑作!

まあ、こういうものが好きだと言うと、本格的なボサノバファンからの顰蹙は当たり前なのが日本の状況であって、逆に言えば、それだけ日本人はボサノバが好きなのでしょう。

ただし、あえて言ってしまえば、サイケおやじは本物のボサノバよりも、ボサロックや歌謡ボサノバの方が好きなんですよねぇ~♪

しかし、ソニア・ローザの才能は完全な本物であって、そのリズム感や節回しの上手さは最高だっ! ということが、リアルタイムで出演していたテレビ番組、多分「ミュージックフェア」や「11PM(イレブン・ピーエム)」だったと記憶していますが、とにかくその中で歌ったボサノバの名曲群の鮮やかさには、一発でイチコロにされましたですよ♪♪~♪

さて、そこで肝心の「青いペッド」なんですが、これは作詞:山上路夫、作編曲:鈴木邦彦というコンビが書いた、ソフトロック調の歌謡ボサノバということで、彼女は持ち味のロリータボイスを絶妙に使いながら、要所で不思議なコブシを披露するという、なかなかのテクニックが使われていると感じます。

しかもニクイのは、それがイヤミになっていないところであり、イントロのハミング&スキャットは短いながらも、ソニア・ローザならではのリズム感の良さが堪能出来るのですから、たまりません♪♪~♪

残念ながら、大ヒットには至りませんでしたが、今も時折に有線で流れていることもありますから、人気曲になっている事は確かでしょう。

またソニア・ローザの人気も局地的ではあっても、まさに不滅!

作られたレコードは多いとは言えませんが、とにかく機会があれば、皆様には今の季節なればこそ、楽しんでいただきたい作品ばかりです♪♪~♪

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これをやって、ふっきれた思い出

2012-07-27 15:54:16 | Pops

花はどこへ行った / Kingston Trio (Capitol / 東芝)

サイケおやじが高校生の頃は何度も書いていますが、とにかく歌謡フォークが全盛でしたから、エレキでロックバンドを学校でやろう! なぁ~んてことは、大人の先生達から白眼視の対象でありました。

しかし現に同好会とはいえ、所謂ケイオンはフォークソングサークルという実態で存在し、その中で肩身の狭い思いをしていたのが、サイケおやじが入れてもらっていたバンド組とあっては、学校側の指導要求に逆らうわけにはいきません。

例えば発表会というライプの場においても、顧問の先生から意味不明の理由で演目が指定されたり、あらかじめ演目を届け出て、許可を得るなんて愚行を繰り返させられたんですから、これは全然、ロケンロールじゃ~ありません。

そこでバンド組の意地というか、時には発表会で予定外の事をやらかすのが確信犯的行動であり、例えば本日ご紹介の有名フォークソング「花はどこへ行った / Where have all the flowers gone?」の日本語バージョンをギンギンのロケンロールでやってしまった事も、懐かしい思い出です。

皆様もご存じのとおり、この「花はどこへ行った / Where have all the flowers gone?」は反戦歌の代表的名曲として、PPM森山良子、ザ・リガニーズ、最近ではキヨシローまでもが十八番にしていた、シミジミ系のせつない歌詞とメロディが人気の秘密なんですから、それに従えば決して喧しい演奏にはなろうはずもありません。

ところが一応はオリジナルヒットとされる1961年のキングストン・トリオのバージョンは総じてアップテンポで、アコースティックギターをメインにしたアレンジも、強いピートを伴ったストロークや歯切れの良いリードのリックが良いですからねぇ~~♪

もちろん最初、「花はどこへ行った / Where have all the flowers gone?」を課題演目にされたバンド組は不貞腐れていたんですが、それに気がついてからは敢然と蘇生したというか、これって、本当はフォークロックじゃ~ねえの!?

と、それは些か勘違いしたような浮かれ気分でしょうねぇ~♪

ちなみに歌詞はザ・リガニーズのバージョン、つまり、おおたたかしの訳詞をそのまんま使わせてもらう事だけは、学校側との「約束」を守る最低限の義理を果たしたというところでしたが、その時にリードボーカルを担当していた上級生は岡林信康の影響で、やたらに「日本語のロック」を歌いたがっていたんで、まさに渡りに船!

率先してノリノリだったことも、ヤル気に火がついたというわけです。

さて、そこで本家キングストン・トリオなんですが、このグループの歴史を調べてみると結成されたのは1957年のアメリカ西海岸ということで、実は既にR&Rがブームの頂点を極めていた時期なんですねぇ。

定説として言われているフォーク・リヴァィバルという言葉も、それを知ってみると意味が分かってくるような気も致しますが、フォーク=フォークソングという歌そのものは民間伝承歌の事であり、つまりは職業作家の手が入っていない歌詞やメロディを愛好する作業なのでしょうか。

とにかく当時のアメリカでは大学生を中心としたフォークソングの流行が確かにあって、既に1940年代から活躍していたウディ・ガスリー等々の有名(?)歌手を差し置いて、キングストン・トリオがヒットチャートに名を連ねるという現象こそが、ブームの証だったと思います。

メンバーはボブ・シェイン、ニック・レイノルズ、デイヴ・ガードでスタートし、1961年にはデイヴ・ガードが脱退して、代わりにジョン・スチュアートが加入していますが、同年に発売された「花はどこへ行った / Where have all the flowers gone?」が、どちらのトリオで録音されたのかは、ちょいと微妙です。

ただし様々なキングストン・トリオの音源を聴いてみると、初期には多くの歌が陽気で勢いのあるアレンジで演じられる事が普通ですからねぇ。

そのあたりは考慮すべき点かもしれませんが、とにかくキングストン・トリオの「花はどこへ行った / Where have all the flowers gone?」には、シミジミ感が薄いのは確かです。

そして結果的にバンド組の歌と演奏は、これがヤケッパチ気味に走った仕上がりになっていて、実は二十数年後、その時に録音したテープを聴いてみると、ほとんどこれが所謂パンクになっていたんですから、額に汗が滲みましたですねぇ……。

しかし、同時にその時は、何かふっきれたような気分になっていた事が確かであって、リアルタイムの論争であった「日本語のロック」とか、「ロックは英語が本筋」という難問に対し、自分達なりの理論武装が出来たような感じでした。

つまり以降、バンド組は「日本語のロック」をやる事に対しても、卑屈な言い訳を弄する「うしろめたさ」が無くなったというわけです。

それは頑固で天の邪鬼なサイケおやじにしても、これでGSが心置きなくやれるっ! という、これまた完全なる勘違いと後ろ向きな理論の擁護に他なりませんから、お笑い下さいませ。

ということで、掲載したレコードは学校の放送室の備品を顧問の教師を通じてバンド組が借用したまんま、今に至ってサイケおやじの手元にあるという、半ば永久(?)貸与盤ですから、何時かは返さないとなぁ……。

そういう事態に時効はあるのか?

この文章を綴りながら、そんな事も思っています。

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335号室のカールトン氏

2012-07-26 15:45:46 | Fusion

Room 335 / Larry Carlton (Warner Bros. / ワーナーパイオニア)

今やスーパーギタリストの地位を揺るぎないものにしているラリー・カールトンを意識したのは、何時の事だったでしょう。

記憶を辿ってみると、それは多分、モダンジャズとソウルファンクの見事な折衷スタイルで人気を集めていたクルセイダーズが1974年に出したライプアルバム「スクラッチ」を聴いた頃だったと思います。

中でも特にB面に収められたキャロル・キングのカパー演奏「So Far Away」におけるバッキングと合の手フレーズの上手さ♪♪~♪ ここぞっ、で炸裂させるキメのブレイクはグッと惹きつけられる一発勝負の醍醐味に溢れていましたですねぇ~♪

そして以降、サイケおやじはラリー・カールトンという白人ギタリストを聴くためだけに、クルセイダーズのレコードに集中していた時期があり、例えば1976年に出した「南から来た十字軍 / Those Southern Knights」、その翌年のベストセラー盤「風に舞う / Free As The Wind」あたりには本当に熱中させられました。

どうやらラリー・カールトンは本来、スタジオミュージシャンが生業であり、クルセイダーズには1972年頃から臨時雇いのレギュラーメンバーという、些か不思議な位置付けで参加していた事をサイケおやじが知ったのも、実はその過程においてなんですが、確かに当時のハリウッドで作られたポップスやソウルのアルバムジャケットには、本人の名前が記載されたLPがどっさりありました。

ただし、私有盤に限って言えば、それを意識して聴き返してみても、前述したクルセイダーズでの演奏ほど際立ったプレイはありません。

ところが、ちょうどその頃、つまり1976年なんですが、あのスティーリー・ダンが発表したアルバム「幻想の摩天楼 / The Royal Scam」のA面ド頭に収められた「Kid Charlemagne」を聴いて仰天!

曲調は例によって変態メロディがシンコペイトしたリズムによって演じられるという、ジャズでもロックでもソウルでもフュージョンでもない、本当にミョウチキリンな面白さが堪能出来る「如何にも」のスタイルなんですが、それを彩ってリードしている素晴らしいギターが、なんとっ! ラリー・カールトン!

あぁ、奥の深いコード選択はスティーリー・ダンの指示によるものでしょうが、伸びやかな音色と絶品の音選びは、まさにクルセイダーズでやっていた事の延長発展形に他なりません!

その快楽性、刹那のアドリブ構成は上手すぎるチョーキングやピッキングの魔術も含めて、コピーすればするほどに恐ろしくなってしまいますねぇ~♪ もちろん完コピは出来るはずもないサイケおやじではありますが、何度聴いても、歓喜感涙!?!

もちろん皆様ご存じのとおり、実はアルバムジャケットにはラリー・カールトンの名前があっても、この「Kid Charlemagne」でギターソロを弾いているとは確実に記載されているわけではありません。なにしろ他に数人のギタリストのクレジットがあるのですから。

しかし、それでもこれはラリー・カールトン!

絶対に断言させられてしまう卓越した個性があるんですよねぇ~♪

当然ながら、件のアルバム「幻想の摩天楼 / The Royal Scam」では、他の曲でもそれが存分に楽しめますから、ラリー・カールトン信者を増やすには絶好の布教盤であったと思います。

そして以降、サイケおやじを含むラリー・カールトン中毒患者が過去の名演を探索する旅に出たことは言わずもがな、そこへ良すぎるタイミングで発売されたのが通算3枚目のリーダーアルバムとして、初めて本格的に自己のスタイルを貫き通すギターを聞かせてくれた「夜の彷徨」でした。

ちなみにそれまでに出していた2枚のリーダーLP「ウイズ・ア・リトル・ヘルプ」「シンギング / プレイング」は、もちろんギターは弾いているものの、どちかと言えば歌手としてのラリー・カールトンを前面に出した感じですから、フュージョンスタアのギタープレイを目当てに聴くと失望されるでしょう。

ところが流石に1977年に出た「夜の彷徨」はボーカルを聞かせるトラックも入ってはいますが、やはりラリー・カールトンとして一番に求められている魅力が満載!

特にA面初っ端の「Room 335」は、永遠の名曲名演として人気を集め、今やラリー・カールトンの代名詞になっているほどで、同曲がわざわざ「来日記念盤」としてカットされるんですからねぇ~~♪

とにかくフワフワとした気持良さとシャープな歯切れの良さが同居する演奏全篇には、ラリー・カールトンがスタジオミュージシャンのキャリアで培ってきた様々な美味しい要素が凝縮されていて、思わずニヤリとされる皆様も大勢いらっしゃるはずです。

それは例えばイントロはスティーリー・ダンが1977年に出した傑作アルバム「」に収録の「麗しのペグ」であったり、終盤のギターソロが前述した「Kid Charlemagne」と同じ展開になっていたり、嬉しくなるほどのネタが満載ですよ♪♪~♪

こうしてラリー・カールトンは「Mr.335」と崇められる人気ギタリストになったわけですが、その「335」とは使用楽器がギブソンの「ES-335」である事は説明不要かと思います。

そして忽ちにしてそれは人気モデルとなり、現在ではラリー・カールトン・モデルさえ発売されているわけですが、それがセミアコだったというあたりに、ラリー・カールトンのジャズやブルースへのルーツが窺えるのかもしれません。

それを探っていけば、「ES-335」を使っていたのはブルースの大御所たるB.B.キング、ブルースロックのアルヴィン・リーやエルヴィン・ビショップ等々、全くその道のギタリストが多く、またラリー・カールトンのギターの師匠がジョー・パスであったという履歴も意味深でしょう。

ただし基本的にはサスティンの得られにくいセミアコのエレキで、あれほど伸びやかな音色とフレーズを聞かせてくれるラリー・カールトンのテクニックとエフェクターの選択センスは全く素晴らしいかぎりですよねぇ~♪

また微妙にブルースっぽいスケールから音を選んだアドリブを構成する場合があるのも、やはり「ES-335」への愛着ゆえの事でしょうか。

個人的には「ES-335」そのものに対する興味は無く、私物にして弾いてみたいとも思っていないのですが、ラリー・カールトンが神様に祀り上げられて以降、崇拝者はそれを使うのが決意表明みたいになって、例えば歌謡曲スタアでギター好きの野口五郎とか、ちょいと驚いた現実もありましたが、キース・リチャーズが使っているのはチャック・ベリーを敬愛するからでしょうねぇ。

閑話休題。

ということで、ラリー・カールトンが忽ち人気スタアになったのは、フュージョンというブームがあったにしろ、どんな時代もギタリストは花形であり、同時に万人が認める看板曲「Room 335」を持っていたからでしょう。

来日公演でも、それが出ないと収まらないムードが怖いほどで、例えば1978年秋に郵便貯金ホールで行われたステージは録音され、日本優先で発売されながら、その「Room 335」が入っていなかった事にファンは顰蹙!?

実はサイケおやじも件のライプには行きましたが、会場には双眼鏡を持ったギター野郎&小僧が大勢いましたですねぇ~~。そして告白すると、その時のサイケおやじも音楽を聴くというよりは、生演奏でどんなギターを弾いてくれるのか、スキルやスタイル等々に興味深々だったのが本音でした。

まあ、このあたりをスタアの宿命と言ってしまえば、それはそれで良いのかもしれませんが、やはり何はなくとも「Room 335」だぜっ!

その真実は今も昔も変わっていないと思います。

最後になりましたが、掲載した私有シングル盤は「来日記念盤」という事でゲットしたブツの1枚で、これは当時、サイケおやじが無謀にも凝っていた蒐集ジャンルのひとつであり、今となっては気の迷い……。

例によって挫折の告白ではありますが、ラリー・カールトンに関してはスタジオセッションでの名演を今でも集めていますので、例えば五輪真弓のバック等々、追々にご紹介したく思っております。

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ゴードン・ライトフットの突発

2012-07-25 15:31:59 | Singer Song Writer

Sundown / Gordon Lightfoot (Reprise / ワーナーパイオニア)

1970年代前半に世界的なブームとなったシンガーソングライターの存在の中には、えっ!? この人がチャートトップの大ヒットをっ!?

という驚きで知るミュージシャンのひとりが、本日ご紹介の「Sundown」を自作自演したゴードン・ライトフットです。

結論から言えば、その「Sundown」こそが1974年のアメリカにおけるチャートトップ曲であり、ゴードン・ライトフットは既に1960年代から職業作家として、例えばピーター・ポール&マリーが十八番の「朝の雨 / Early Morning Rain」等々を提供する実績はあったのですが、さりとて自身が出していたレコードは、それまで決して売れていたとは言えないでしょう。

その要因はスバリ、地味~なフォーク歌手という印象に集約されていると、後追いで聴いたサイケおやじは思うばかり……。

ところが、この「Sundown」には摩訶不思議な魅力があって、基本的にはアコースティックギターのリズムを前面に出した、あまりメロディアスではない曲調でありながら、バックのエレキギターやベース、そしてドラムスが軽快にして強いグルーヴを作り出しているのですから、今風の表現を借りれば、フォーキー&ソウルフル♪♪~♪

ちょいと妙なモードに支配されたアシッド系の歌と演奏には、何かしら麻薬的な中毒性が感じられ、中間部のギターソロにしても、これが延々と続けられたら最高だろうなぁ~~♪

と、思わず強い希望を抱いてしまうほどなんですよっ!

さらに言えば、グレイトフル・デッドあたりがやってくれそうな、あのイキそうでイカないエクスタシー寸前の快楽ジャムに発展させられるであろう、なかなか嬉しい予感に満ちているんですねぇ~♪

ただし、これが本当にチャートトップになった歌?

なぁ~んて自問自答したくなるほど、常識的なヒット性には欠けていると思うんですが、いかがなもんでしょう……。

まあ、そこにはヒットチャートなんてものが、本来は業界主導の情報であるという真相も含まれているわけですし、殊更アメリカではラジオでの放送使用回数がチャート順位の大切な要素でもある実情を鑑みれば、そこで当たったからといって、日本でも同じというはずもありません。

そして実際、「Sundown」が我国で売れたとか、あるいはゴードン・ライトフットが絶大な人気を集めたとかいう事は、少なくともリアルタイムからあったとは言えません。

しかもゴードン・ライトフットが出していたレコードをじっくり聴いてみると、この「Sundown」は何処かしら突発的な曲調であり、他は全く正統派のポビュラー系フォークソングみたいな感じの歌が多いんですから、それが自らの落ち着いた声質としぶといギターによって演じられていれば、地味~な中にもそれが個性と受け取られているのでしょう。

告白すれば、サイケおやじがゴードン・ライトフットのレコードを後追いで聴いていったのも、きっと「Sundown」と同じ味わいの歌と演奏がもっとあるはず! と思い込んでいたからなんですよ……。

それでも、おそらくはフォークロックやポップスのイノセントなファンにすれば、ゴードン・ライトフットは大切なひとりであるにちがいありません。

ということで、実はサイケおやじの好きな音楽の要素のひとつとして、アコースティックギターがメインのリズムにエレキのピート♪♪~♪ それが本日の主題でありました。

もちろん、そういう系統の歌や演奏を集めたカセットを作っては愛聴していた時期がありましたですねぇ~♪ 例えばドゥービー・ブラザーズアメリカネッド・ドヒニー等々、なかなか素敵なテープが出来上がること、請け合いですよ。

拙ブログでも、追々にそうした偏食はご紹介していこうと思います。

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ハードな日常のつれづれに

2012-07-24 15:47:37 | Singer Song Writer

You're Only Lonely / J.D. Southre (Columbia)

仕事でも勉強でも、そして人間関係でも、とにかくそういうものがハードになった時、生きとして生ける者は、須らく自らの孤独を感じるのではないでしょうか?

少なくともサイケおやじは、それを自分に言い聞かせ、なんとか今日までやってきたわけですが、そこにはジャストミートの歌や演奏があった事も確かです。

例えば本日ご紹介する1979年の大ヒット曲「You're Only Lonely」は、まさにそのものズバリ!

 君が孤独で ちっぽけな存在と感じるとき
 君は自分を抱きしめてくれる人が必要さ
 恥ずかしがることはない
 君はただ 孤独なだけなんだ

と歌われてしまっては、ひとりにしておいてくれ……、なぁ~んて言っていても、本音はそういう言葉を求めているんですから、恥ずかしながら、甘っちょろい感傷に酔ってしまいそうな……。

まあ、そういう、せつなさをグッと裏返しの共犯関係に導いてくれるのも、音楽の素晴らしいところかもしれません。

歌っているジョン・デヴィッド・サウザーは、ウエストコーストロックでは1970年代初頭から、まさに縁の下の力持ち的存在で、一番知られているのはイーグルスのグレン・フライとの交友でしょう。

なにしろ同じデトロイト出身という事もあり、一緒にロングブランチ・ペニーウィッスルという、全く売れなかったデュオグループをやっていた履歴も含め、イーグルスが結成されて以降も「我が至上の愛 / Best Of My Love」「James Dean」「New Kid In Town」「The Sad Cafe」「Heartache Tonight」等々の名曲共作者として、ファンからは「6人目のイーグルス」とさえ称された事は有名でしょう。

また、そうした流れの中にはリンダ・ロンシュタット、ジャクソン・ブラウン、キャロル・キング、ジョニ・ミッチェル、ジェームス・テイラー、アンドリュー・ゴールド、ダン・フォーゲルバーグ、カーラ・ボノフ、ネッド・ドヒニー等々、本当に数え切れないほどのシンガーソングライターや人気歌手との接点が多々あり、曲提供やプロデュース、そしてレコーディングに参加してきた事例は今日まで夥しく残っているのですから、J.D.サウザーこそが、ウエストコーストロックを実質的にイメージづける存在なのかもしれません。

もちろん自身も1972年頃からリーダーアルバムを作っていますし、1974年には元バーズのクリス・ヒルマン、そして元バッファロー・スプリングフィールド~ポコのリッチー・フューレイと組んだサウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドで2枚のLPを出しています。

ところが後者は当然のようにヒット盤として売れながら、J.D.サウザーは何故か地味な存在という印象でしたし、自分名義のアルバムも一般的には注目度の低いものだったと思います。

極言すれば、ウエストコーストロック好きだけにウケていたのが、J.D.サウザーでした。

ですから、時が流れた1979年、この「You're Only Lonely」が突如として大ヒットしたのは、長年(?)ウエストコーストロックに親しんできた者には驚きであったはずですし、また同時に当然! という思いがあったのも事実でしょう。

それは何もJ.D.サウザーが、これまでとちがった事をやったのではなく、確かにサウンド作りは時代の傾向としてタイトになっていますが、自らの書いた曲の構成やメロディの旨みは、それほど変わっていないのです。

ただし、J.D.サウザーにしても、旧態依然で漫然と曲を作ったわけでは、もちろんありません。プロとしてリアルタイムの売れセンを狙っていたことは非難されるべきものではなく、それはAORと懐メロポップスの巧みな融合♪♪~♪ 

当時から言われていたことですが、全篇の甘いムードから滲み出る胸キュンフィーリングは、元祖シンガーソングライターのひとりにして、往年のスタア歌手だったロイ・オービソンが1960年に放った大ヒット「Only The Lonley」を、歌詞の内容も含めて、強く想起させられます。

そして前述したとおり、タイトなバンドサウンドはワディ・ワクテル(g)、ドン・グロニック(p,key)、ケニー・エドワーズ(b)、リック・マロッタ(ds) という、まさに当時最新型のR&Rがやれる強靭なリズム隊が中心となって作り出されているんですから、これが流行らなかったらヒットチャートの神様の逆鱗にふれるにちがいありません。

それほど「You're Only Lonely」は、タイムリーヒットのウエストコーストロックとして、当時のラジオや若者が集う店ばかりではなく、パチンコ屋とか炉端焼き、あるいは商店街の有線BGM等々で流れまくっていましたから、刷り込まれている皆様も大勢いらっしゃるはずですよねぇ~♪

もちろんレコードもシングル盤だけではなく、同名LPは売れまくったわけですが、そのジャケットコンセプトが、これまた楽曲とジャストミートする秀逸なもので、J.D.サウザーの悄然とした佇まいこそが、男の哀愁とカッコ良さの代名詞だった事は言うまでもありません。

なんとっ! これをクリソツに真似たジャケットデザインでレコードを出した日本人歌手も!?

思わず失笑した皆様はリアルタイムをご存じの方々と拝察致しますが、しかし今のサイケおやじの心境は、まさに、この状態……。

もちろんカッコ良さは現実的に微塵もありませんが、仕事の先行きのシビアさにガックリしているのが本音であります。

ということで、まあ、孤軍奮闘を装ってみても、誰も助けてはくれませんから、せめて「You're Only Lonely」でも聴きながら、和みと自己憐憫に浸りきるという、些かM的な快感に覚醒しているところです。

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瞬間移動機が欲しい!

2012-07-23 14:32:35 | Weblog

現在、出張移動の真っ最中!

ど~しても今日中に戻らないとダメなんで、必死になっています。

う~ん、人使いが荒いぜっ!

ということで、本日の1枚は休載ご了承くださいませ。

ガキの使いも楽じゃ~ないです。

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ウエストコーストロックの裏定番が、これっ?!

2012-07-22 15:11:09 | Rock

Southwest / Herb Pedersen (Epic)

1970年代後半というよりも、昭和50年代前半、我国の若者の憧れの地がアメリカ西海岸でありました。

今思うと、これはその頃の人気情報誌「ポパイ」あたりの影響も強く、加えて洋楽の流行が所謂ウエストコーストロックであった事も大きいのでしょうが、何よりも日本では求めえない気候風土の魅力もあったんじゃ~ないでしょうか?

極言すればニューヨークやシカゴの雰囲気は東京に居ても、ある程度は想像共感出来る世界ですが、カリフォルニアは実際に当地を訪れてみると、遥かにそれまでの情報量を凌駕するフィーリングに溢れていて、これは実際にある幸運から、1974年6~9月の間、そこに行くことが出来たサイケおやじの率直な気持です。

しかし一方、現実のアメリカ西海岸は決して幸せな土地ではなく、シビアな諸問題がどっさり溢れかえっていましたし、人々はそれぞれに様々な苦悩と喜びをどっちつかずに携えて生活していたのですから、それは世界共通、日本においても変わることはありません。

ですから、そこで有用なのが自分が憧れの対象を良い方向に増幅してくれる触媒であって、平たく言えばウエストコーストロックを日本で聴くという行為も、全くそのひとつと仮定すれば、ほとんどリアルタイムで流行りまくった昭和50年代前半も夢ではなかったと思うばかりです。

さて、そんな理屈っぽい前置きはほどほどにして、本日ご紹介のアルバムは、そのウエストコーストロックでは欠かせない脇役であったハーブ・ペダーセンが1976年に出したリーダー盤♪♪~♪

 A-1 Paperback Writer
 A-2 Rock & Roll Cajun
 A-3 If I Can Sing A Song
 A-4 Our Baby's Gone
 A-5 Harvest Home
 B-1 The Hey Boys
 B-2 Jesus Once Again
 B-3 Younger Days
 B-4 Can't You Hear Me Callin'
 B-5 Wait A Minute

ところで一概にウエストコーストロックと言っても、それは実に様々なジャンルに枝葉が伸びている事は言うまでもないと思います。

ただ、今日的にはイーグルスのデビューアルバムで提示されたサウンドが、そのイメージの基準になっている事は確かでしょう。

それがあればこそ、同系同種の歌や演奏が続々と作られ、また周辺に集うミュージシャンや業界関係者が更なるヒットを狙って活動していたのも、また然り! ハーブ・ペダーセンも、そういう中の注目株として、1960年代からブルーグラスやカントリー&ウェスタン、あるいはフォークロックの世界でキャリアを重ね、1970年頃からはセッションミュージシャンとしてギターやバンジョー、そしてセンス最高のコーラスワークで売れっ子になっていたようです。

しかし、そういう事をリアルタイムで知っていたのは、余程熱心なファンだけでしょうし、今のように情報が簡単に取れなかった当時の我国では知る人ぞ知る……。

本日掲載のアルバムにしても、聴けば一発! 最高に素晴らしいウエストコーストロックの傑作盤と認識されるわけですが、少なくとも我国の洋楽マスコミにおいて、これが発売された昭和51(1976)年当時は積極的にプッシュされたという記憶がありません。

ところがその頃は既に述べたように、ニッポンの若者の間ではカリフォルニア中華思想というか、アメリカ西海岸の文化にひたすら憧れる風潮が出来上がりつつあって、学生とか若いOLあたりを客層とする飲食店はムード作りに流すBGMがウエストコーストロックでしたから、流行に敏感な店では、最先端ロック喫茶の如く、そっち方面のイカシた流行りの歌や演奏が聞けた事情があり、このハーブ・ペダーセンのLPも裏定番の1枚だったのです。

もちろんサイケおやじにしても、ハーブ・ペダーセンを積極的に意識したのは、このアルバムを聴いて以降の話であり、実は偶然入ったそうした店で流れていた「Paperback Writer」、つまりビートルズの大ヒット曲をカパーした歌と演奏にイチコロにされてからの事なんですねぇ~~♪

もう、あまりの鮮やかさ、爽やかさに感涙寸前のところで飾ってあったLPジャケットにより、それを確認したというわけです。

あぁ、この完全に初期のイーグルスっぽい、その軽快なロックビートに白人カントリーミュージックならではのコーラス♪♪~♪ それがビートルズ固有のメロデイラインと例のコーラスハーモニーとにビシッとジャストミートしているという真実は目からウロコですよ。

と言うよりも、件のイーグルスのデビューアルバムがイギリス録音であり、プロデューサーがブリティッシュロックの音を作ったひとりでもあるグリン・ジョンズですらかねぇ~。そのあたりの因果因縁は拙稿「レット・イット・ビーの謎4」以降をご一読願うとして、とにかくここでの爽快感はアルバム全篇への最高の道標でしょう。

そして当然ながら、このLPに収められている全てトラックがハーブ・ペダーセン独りの力量ではなく、参加メンバーの総意による結晶であり、またハーブ・ペダーセンの音楽的才能と人望があってこその仕上がり!

サイケおやじは、そんなふうに断言して後悔致しません。

なにしろデヴィッド・リンドレー(g,st-g,fiddle,etc)、アル・パーキンス(st-g)、ラリー・カールトン(g)、クリス・スミス(g)、マイク・ポスト(key,arr)、エド・カーター(b,g)、リー・スクラー(b)、マイク・ベアード(ds)、ジョン・ゲラン(ds)、ジム・ゴードン(ds)、リンダ・ロンシュタット(vo)、エミルー・ハリス(vo) 等々、まさに今では夢のオールスタアズが適材適所に良い仕事ですからねぇ~♪ レコードが入っている輸入盤中袋にはトラック毎の参加メンバーやスナップショットが掲載されているのも楽しいかぎり♪♪~♪

レコードを聴きながら、それを確認する作業が、これまた楽しさの極みつきということで、ちょいとヘヴィなロックフィーリングが表出する「Rock & Roll Cajun」、さらにロックっぽさが強い「Jesus Once Again」が入ってるのも予想外ではありますが、正統派カントリーロックにしてリンダ&エミルーの歌姫コーラス共演がたまらない「Our Baby's Gone」は、まさにウエストコーストロックそのもの!

そして一方、ブルーグラスのルーツを披露する「The Hey Boys」や「Can't You Hear Me Callin'」にしても、やっぱり当時のウエストコースト風味がしっかりついているんですから、これもやっぱりロックでしょう。

その意味で皆様のご期待通り、爽やかにして胸キュンパラードの世界もきっちり提供され、「If I Can Sing A Song」や「Younger Days」、さらにオーラスの「Wait A Minute」は永遠の名曲名唱だと思います。

また如何にもと言えば失礼かもしれませんが、個人的には「Harvest Home」の素朴で芳醇な歌と演奏が一番好きで、ライナークレジットではギターもボーカル&ハーモニーもハーブ・ペダーセンの独壇場! ストリングスを含むバックの演奏に、おそらくは後で重ねられたと思しき制作過程が窺えるとしても、このジンワリ染みてくる「男の哀愁」は薄れることなく、本当に良いですねぇ~~♪

まさにジャケットのポートレイトそのまんまの歌が、ここにあるというわけです。

ということで、リアルタイムでは残念ながら、あまり売れたとは言い難いレコードなんですが、これが好きな人には永久不滅の愛聴盤になっていると思われます。

もちろんそれはサイケおやじの、このアルバムに対する愛着を基準とした独断と偏見ではありますが、驚いたことに近年、これが我国で紙ジャケット仕様のCDとして復刻されたのですから、快挙でしょう。

ただし特段のボーナストラックが入っていないので、サイケおやじは買っていませんが、皆様にはぜひともお楽しみいただきたい隠れ名盤であることには変わりありません。

機会があれば、今の季節には特に楽しんでいただきたい1枚であります。

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