OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

バーナード・パーディのハミングバード

2010-02-28 15:30:06 | Rock Jazz

We Can't Go On Meeting Like This / Hummingbird (A&M)

ハミングバードはボビー・テンチ(g,vo)、マックス・ミドルトン(key)、そしてクライブ・チャップマン(b,vo,hmc) という、1970年代のジェフ・ペックを支えた縁の下の力持ち達がやっていたスタジオプロジェクトのバンドで、もちろんその音楽性はキャリアに裏打ちされたクロスオーバー&フュージョンのファンキーロックでした。

その最初のアルバムは1975年に発売され、玄人筋を中心に評判を呼びますが、その気持良すぎる仕上がりとは裏腹に参加メンバー間には確執があったそうで、結果的にメインで曲作りをやっていたコンラド・イシドアという素晴らしいドラマー兼ソングライターが去り、ここに仕切り直しのレコーディングとなって完成されたのが、本日ご紹介の妖しいジャケ写も眩しいアルバムでした。

メンバーは前述の3人に加えて、バーニー・ホランド(g)、ロバート・アーワイ(g)、バーナード・パーディ(ds)、そして女性コーラス隊としてマデリン・ベル、ジョアンヌ・ウィリアムス、リサ・ストライクが顔を揃えていますが、注目はなんといってもファンキードラマーの大御所たるバーナード・パーディでしょう。

そのキャリアはアメリカ黒人音楽のビートを司ったといって過言ではなく、スタジオセッションからモダンジャズの現場、あるいは歌伴や音楽監督の仕事等々、マイルス・デイビスやクインシー・ジョーンズ、アレサ・フランクリン、スティーリー・ダンさえも頭が上がらないという、なんでもござれのスーパードラマーですから、ハミングバードに参加したのも、おそらくはジェフ・ペックとの仕事の繋がりだったと推測されます。

そして1976年夏頃に発売されたこのアルバムには、思わず腰が浮く、本当に凄いビートと享楽のソフト&メロウがぎっしり♪♪~♪ もちろん当時はフュージョンやAORが全盛期でしたから、忽ちの大ヒットになりました。

 A-1 Fire And Brimstone
 A-2 Gypsy Skys
 A-3 Trouble Maker
 A-4 Scorpio
 A-5 We Can't Go On Meeting Like This
 B-1 The City Mouse
 B-2 A Friend Forever
 B-3 Heaven Knows (Where You've Been)
 B-4 Snake Snack
 B-5 Let It Burn

とにかくA面ド頭の「Fire And Brimstone」からバーナード・パーディのファンキードラミングが全開! もう、それだけで演奏全体が押しきられているんですよっ! そこになんとか存在意義を見出さんと奮闘するクライブ・チャップマンのペースが必死なのも感度良好なんですが、それをまた逆手に活かしてバンド全体のグルーヴをキメまくるバーナード・パーディは流石の貫録です。ドカドカ煩い中にビシバシのアクセント、パンッパンッという十八番の連発にもシビレますが、猥雑なボーカルとコーラスを完全サポートする基本も蔑にせず、ですから間奏パートが完全にリズム主導のビート天国で構成されているのも納得されますよ♪♪~♪

極言すれば、この1曲にアルバムの魅力が全て詰まっていると思うほどです。

しかし他のメンバーも負けてはいません。特にマックス・ミドルトンはエレピやムーグシンセを適材適所に使いながら、アドリブもバンドアンサンブルも用意周到に演じています。、

例えばメロウな「Gypsy Skys」や某有名曲をモロパクリした「The City Mouse」あたりのフイールソーグッドなインスト演奏では、その資質が存分に発揮されています。そして実際、本当に気持E~~♪

またギターがメインで活躍する「Scorpio」は、如何にも当時の流行というフュージョンにどっぷりですが、バーナード・パーディの花を持たせる演出が効いていますし、我国のAOR歌謡曲にもパクられまくったアルバムタイトル曲「We Can't Go On Meeting Like This」は、スティーリー・ダンの下世話な解釈として、その周辺でも強い存在感を示していたバーナード・パーディのヘヴィなドラミグがあればこそ♪♪~♪

まあ、そういう流行に敏感な体質はスタジオ系ミュージシャンの特質でもありますが、その意味でハーモニカを使い、リー・オスカーやトゥーツ・シールマンスあたりを想起させられる「A Friend Forever」には、失礼ながら、ちょいと失笑……。しかし、それもバーナード・パーディをメインに聴くことで、良い気持になるんですから、流石でしょうね。マックス・ミドルトンのエレピもイカシていますよ。

そしてウェザー・リボートかリトル・フィートを意識した「Snake Snack」が、これまたゴキゲンな二番煎じの決定版! これは決して、ほめ殺しではなく、むしろそのふたつのバンドに先駆けたファンキーロックな演奏が、たまたまフュージョンに近づいたということで、ご理解願いたいところなのですが、それにしてもアルフォンソ・ジョンソンみたいなクライブ・チャップマンのベースワークが賛否両論かもしれません。

そのあたりの目論見はマックス・ミドルトンが随所でやってしまうジョー・ザビヌルの真似っこにも顕著なんですが、そこはバーナード・パーディの凄いグルーヴに免じて、ニンマリするしかないでしょうね。私は憎めません。

ということで非常にジャズフュージョンした内容なんですが、どっこい、本質は英国産ロックジャズ、そしてロック魂を決して捨てていない矜持が確かにあります。それはオーラスの「Let It Burn」で滲み出るブルージーな味わいのゴスペルロックに顕著! ボブ・テンチの歌いっぷりが、どっぷりとブリティッシュなんですねぇ~♪

当然ながらアルバム全篇の色合いを決定づけてしまったのは、バーナード・パーディの凄すぎるドラミングで、それだけ聴いていても満足するのは確かです。否、それを楽しむために、このアルバムが存在すると断言しても後悔しません。

しかし同時に、ハミングバードというイギリスのロックジャズバンドが、極めてアメリカっぽい音作りに挑戦し、見事に自己流の結果を出した名演になったのも、また間違いの無い事実でした。

そして実際にレコードを聴いた時、多くのリスナーは瞬時にシビレて、グウのネも出せないほど気分が高揚させられるのです。

もちろん当時はスタッフとかジェントルソウツとか、似たような事をやっていたスタジオミュージシャンによるバンドが幾つもありましたが、我が国ではハミングバードを意識したバンドも相当にあったと思います。それはロック寄りの姿勢が強かったからじゃないでしょうか。

全く見事な1976年の音!

レアグルーヴとはちょいと違いますが、ファンキーロックやファンクジャズに少しでも興味が抱ける皆様であれば、ぜひともお楽しみいただきたい人気盤なのでした。

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永遠のメリー・ジェーン

2010-02-27 12:01:55 | 日本のロック

メリー・ジェーン / つのだ★ひろ (日本フォノグラム)

今や日本のスタンダードロックとなった、所謂「泣きのスローパラード」ですが、それは全篇が英語詞で歌われるというのが、なかなかでした。

というのも、これが世に出た1971年には、ロックは英語が本道!?!

つまり、日本語のロックは邪道!?!

な~んていう、今となっては曖昧な議論が真剣にあった中でのヒットでしたから。

ご存じのように、つのだ★ひろは十代の頃から天才ドラマーとしてプロ活動をスタートさせ、モダンジャズでは渡辺貞夫のレギュラーカルテットのメンバーとなって海外でのツアーにも参加したり、あるいはジャックスやミカバンド等々で日本のロックを作る助っ人もやっていたわけですが、やっぱりこの「メリー・ジェーン」のイメージが強いのは否めません。

確か初出は昭和46(1971)年、つのだ★ひろが元フィンガーズの成毛滋と組んでいたストロベリー・パスというバンド名義のアルバム「大鳥が地球にやってきた日」に収録されていたんですが、リアルタイムではそれほどの評価もなかったと思いますし、アルバムそのものも売れなかったと記憶しています。

ただし先輩から聞かせてもらったその内容は、ハードロックからプログレ、フュージョン系のインスト等々も含んだ幕の内弁当のようなバラエティ盤で、それゆえにイマイチ、私にはピンッとこなかったという……。

それが同年の秋の終り頃から、何故か「つのだ★ひろ」名義のシングル盤となって、ラジオの深夜放送から人気を呼び、ジワジワと売れていったのです。

なにしろ曲メロが抜群に良いですからねぇ~♪ 間奏のギターも泣いていますし、地味~なペースや如何にものドラムスにビートの芯があり、さらに作り物っぽいストリングやコーラスも胸キュンフィーリングを増幅させるのですが、なによりもフィリーソウルなつのだ★ひろの歌いっぷりが琴線に触れまくり♪♪~♪

ちなみに作曲はもちろん本人ですが、作詞の Christopher Lyn とは、これまた元フィンガーズの蓮見不二男で、アレンジが成毛滋になっていますから、まさにニューロック歌謡ですよねぇ~♪

そして既に述べたように、今日までロングセラーの名曲名唱になっているわけですが、その秘密のひとつが、1970年代の我国のゴーゴー喫茶やディスコでは、チークタイムの定番になっていたからでしょう。実際、本当に良いムードが広がるんですよね♪♪~♪

で、ちょっと余談になるんですが、学生時代の私が入れてもらっていたバンドが、夏休みのバイトで仲間のひとりの実家が経営していた地方の海浜ホテルで演奏出来たという思い出があります。それは10日間、昼夜2回の演奏をやって、後は海の幸がどっさりの食事と遊び時間がいっぱいという、大変に美味しい話だったんですが、実際にはビアガーデンの掃除もやらされたし、酔っ払いに物を投げつけられたりして、現実の厳しさを思い知らされました。しかし、それでも夜の部でやっていた、この「メリー・ジェーン」はウケましたですね。

もちろん演奏は相当にトホホだったんですが、それでも良い雰囲気をなんとか醸し出せたような自己満足の気分になったのは、曲の魅力というところだと感謝しています。

ということで、誰しも一度は耳にする名曲として、これからも様々な思い出と共に生き続けるんじゃないでしょうか。

最後になりましたが、「つのだ★ひろ」は何時の頃からか「つのだ☆ひろ」になったようですね。でも、このシングル盤を出していた当時は「★」でした。

また曲そのものにも幾つかのバージョンがあって、まず前述したアルバム「大鳥が地球にやってきた日」には当然ながらフルバージョン、そして掲載したシングル盤には部分的に編集されたショートバージョンが収められているんですが、実はその間には最初に出されたジャケット違いの初版シングル盤があり、これまたミックスや編集ポイントが微妙に異なる別パージョンが入っているという未確認情報があります。

というか、その初回シングル盤にしても、この再発シングル盤同様のバージョンが使われているという事実も確かににありますので、う~ん……。

そして現在ではアルバムバージョンに統一されてしまったようですねぇ。

まあ、それはそれとして、これも立派な日本のロック!

最初に目をつけたのはフィリピンバンドだったという説もありますが、当時から大抵のハコバンがやっていましたし、後年にはブラターズにもカパーされ、国内はもちろん、外国向けのカラオケも作られているんですから、もう永遠のスタンダードなんでしょうね。

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紫の裏表

2010-02-26 16:54:07 | Rock

Come Taste The Band / Deep Purple (Purple)

今ではハードロックの裏名盤となったこのアルバムも、天の邪鬼なサイケおやじにとっては、それこそボロクソに貶されていた発売当時の方が愛着のある1枚です。

それは1975年、「リッチー・ブラックモアの居ないディープ・パープル」という、ファンにとっては絶対に容認出来ない問題提起の結果だったのですが……。

そして後釜に迎えられたのはトミー・ボーリンという、ハードロックもジャズフュージョンも絶対的に弾きこなすアメリカ人のギタリストでしたが、そのキャリアは既に17歳でゼファーというバンドでレコードデビューを果たし、その後もジェームス・ギャングやビリー・コブハムのセッションで大活躍していたという実力は、業界や玄人筋では完全に認めれている天才!?!

ですから当時、人気絶頂だったディープ・パープルに迎えられても、ジョン・ロード(p,key)、イアン・ペイス(ds)、グレン・ヒューズ(b,vo)、デイヴィッド・カヴァーデイル(vo) という居並ぶ御大&先輩に従うどころか、逆にレコーディグセッションの大部分で自作のオリジナルをやってしまうという傍若無人さが、その証明だったのかもしれません。

またそれを受け入れて、とにかくアルバムを完成させたディープ・パープルという組織も、また立派だったんじゃないでしょうか?

 A-1 Comin' Home
 A-2 Lady Luck
 A-3 Gettin' Tighter
 A-4 Dealer
 A-5 I Need Love
 B-1 Drifter
 B-2 Love Child
 B-3 a) This Time Around
      b) Owed To‘G’
 B-4 You Keep On Moving

もちろん、これが世に出た当時の1975年晩秋、マスコミは決して貶していたのではなく、むしろ好意的で、当然ながら評論家の先生方にはレコード会社のヒモがついていますし、年末にはディープ・パープルの来日公演も予定されていたことを割り引いても、けっこう本音が出ていたと思っています。

しかし現実的なファンの気持としては、リッチー・ブラックモアとは決定的に異なるトミー・ボーリンのスタイルは違和感がいっぱいだったのです。それはリッチー・ブラックモアのギターソロにはキャッチーな「お約束」のフレーズが幾つか用意されていて、それに向かってアドリブというよりは間奏を作り上げていく様式美があったのに対し、トミー・ボーリンはあくまでも瞬間芸というか、ボーカルやリズム隊の勢いとその場の空気を読みながら、呼応していくアドリブ優先主義だったように思います。

また、それまでのディープ・パープルの楽曲を「らしく」していた覚えやすいリフの構成も、このアルバムにはそれほど登場しません。

実はそうした方向性は、前作アルバム「嵐の使者」で既に表出していたのですが、そこにはリッチー・ブラックモアが未だ在籍していた免罪符によって、駄作? という疑惑がありながら、ギリギリのところでファンに許容されていたように思います。

今となっては、そういう方向性がグレン・ヒューズとイアン・ペイスの音楽的指向だったらしく解説されていますが、そこに滲み始めたファンキーなハードロックという試みは決して誤ったものではなかったのが、時代の要請でした。

なにしろその頃は所謂ニューソウルと呼ばれた黒人サイケデリック、あるいは白人バンドが黒人R&Bをロック的に解釈したファンキーロックが、それこそジワジワと広がり、例えばアベレージ・ホワイト・バンド等々は人気を集めていたのですから、そのハードロックスタイルがあっても不思議ではないのです。

おそらくディープ・パープルはリッチー・ブラックモアが辞めた時点で解散を決めていたのかもしれませんが、あえてここに新作レコーディングに踏み切ったのは、そういう時代の流れを読み、またトミー・ボーリンという適任者を発見したからじゃないでしょうか?

と、まあ、ここまでは独り善がりの後付け論なんですが、リアルタイムでの私の出会いは例に輸入盤屋で、店内に流れていたこの新譜を聴き、なんてカッコ良いバンドだろう! と、思ったんですが、まさかそれがディープ・パープルだとは思いもよりませんでした。

そしてこの時はアルバムタイトルも確認しなかったのが本当のところで、それからちょっと後、リッチー・ブラックモアを教祖と崇める狂的なパープル信者の友人から、初めて全篇を聞かせてもらい、驚愕したのが真相です。

まず冒頭、如何にも思わせぶりで重厚なイントロから一転、スピード感いっぱいに疾走する「Comin' Home」が実に痛快! スライドギターも駆使した弾きまくりの姿勢を初っ端から示すトミー・ボーリンの潔さに加え、イアン・ペイスが得意技の急ブレーキドラミング! さらにサビのキメではハーモニーコーラスも聞かせるなど、これだって明らかにディプ・パープルの所謂第三期を見事に継承した名曲名演だと思うんですが……。

しかし件の友人に言わせると、ギターソロに「お約束」の仕掛けもなく、楽曲そのものにもキャッチーなリフが無い! そしてこんなクロスオーバーなギターはハードロックじゃない! と断言するのです。

それでも私は続く、どっしり重い正統派ブリティッシュロック「Lady Luck」への流れの良さが快感でしたし、いよいよ始まるのが、前述した輸入盤屋の店頭で私が聞いたファンキーハードロックの「Gettin' Tighter」とくれば、もう、たまりません。

あぁ、このファンキーなコードカッティングを下敷きに、タメとツッコミのコンビネーションが絶妙のバンドのノリは、当時としては新しかったですねぇ~♪ トミー・ボーリンがまたまたスライドを使っているのもニクイばかりですし、なによりも仰天悶絶させられるのが、中盤での完全ファンキーグルーヴ! そのゴキゲンな展開ゆえに、思わずウホホホォ~~♪ なんていう掛け声も実に良いムードです。もちろんチョッパーベースにシンコペイトしたドラミングは定番なんですが、後半で再びヘヴィなロックのビートに立ち返るあたりも熱気があって、後半のギターソロからフェードアウトが勿体ないですよ。

ですから次曲の「Dealer」が、これまたヘヴィなハードロックになっていたとしても、それが当時の流行だったサザンロックの味わいになるのも無理からんことでしょう。トミー・ボーリンのスライドが、またまた冴えまくり、曲メロそのものの南部風味を見事に引き立てる良い仕事♪♪~♪ もちろんアドリブソロの暑苦しさも、抜かりはありません。

しかし、それがAラスの「I Need Love」ではイーグルスみたいになっているのが??? う~ん、確かにこれはディープ・パープルの名義じゃ、噴飯物でしょうねぇ……。ただし、ここでも中盤からのファンキーグルーヴが心地良いですよ♪♪~♪

そうしたサザンロックの雰囲気はB面にも伝染していて、「Drifter」や「Love Child」がレナード・スキナードみたいと言えば、贔屓の引き倒しでしょうか。

どこが、ディープ・パーブル?

と言いたくなる気持は、私にも確かにあります。

その要因のひとつが、ここまでのジョン・ロードの存在感の無さでしょう。バンドサウンドの大部分はファンキーなリズム隊と達者なギターのオーバーダビングで作られて、時折、ピアノやオルガンが薄~く入っているだけなんですねぇ……。

つまり、これまでのディープパープルを印象付けていた様式美が、バッサリと消し去られているのですから、ファンキーなビートの中でキーボードシンセのアドリブを聴かせる「Love Child」にしても、ジョン・ロードは相当に無理しているなぁ、と哀しいものを感じるほどです。ただし演奏そのものはゼップ+グランドファンクという、ハートプレイカーな曲調に思わずニヤリ♪♪~♪

そして、どうにか「らしく」なるのが、二部構成で展開される「This Time Around」と「Owed To‘G」の潔さ! 物悲しいムードのピアノとギターに導かれる「This Time Around」は、その甘いメロディをせつせつと歌いあげるデイヴィッド・カヴァーデイルの上手さが良く出ていますし、まあ、これをAORと言ったらミもフタも無いわけですが、後半の「Owed To‘G」ではちょいとプログレ風味も強い、実に琴線に触れまくりの様式美が眩しいほどに鮮やかだと思います。

いゃ~、泣けてきますよっ、本当に♪♪~♪ トミー・ボーリンのギターは素直に侮れません。

それがオーラスの「You Keep On Moving」に至ると、これまたスローな展開からジョン・ロードのオルガンが地味なお膳立ての中、グイグイと盛り上がっていく演奏が快感以外の何物でもありません。密かにレゲエのグルーヴが持ち込まれているのもニクイばかりですが、ユニゾンのコーラスワークも使ったボーカルパートのハートウォームな情熱、ツボを押さえたオルガンソロ、さらにドラマチックに展開されるトミー・ボーリンのギターソロの素晴らしさ! もちろん多重層に重ねられたコードワークと疑似ツインリードも快感ですよ。

ということで、個人的には聴くほどに味わいが濃くなる名作だと直感したんですが、友人は駄作と決めつけていました。

そして最終局面が、運命の来日公演!?!

実は所謂第三期のディープ・パープルはついに来日が無かったので、このアルバムが出た直後に予定されていたライプのチケットは、アッという間にソールドアウト! それは異常とも思える盛り上がりで、残念ながら私は行くことが出来ませんでした。

しかし現実は悲惨……。

なんと新参加のトミー・ボーリンが悪いクスリでヘロヘロになっていたとかで、ほとんどギターが弾けず、そのパートはジョン・ロードが孤軍奮闘で補っていたのです。しかも実際にライプに接した人達からの伝聞では、トミー・ボーリンだけが別の曲を弾いていたとか!? あるいは意図的に音を切られていたとか!? とにかく伝説的なトホホを演じきったというのですが、そのあたりは後年に発売されたライプ音源にも、しっかりと記録されています。

で、それゆえに第四期のディープ・パープルはダメだ!

という定説が誕生し、同時にこのアルバムも駄作のレッテルが貼られたのかもしれません。なにしろ翌年からの中古市場には、ピカピカのこのアルバムがごっそり出回り、サイケおやじも綺麗なイギリス盤を格安でゲット出来たというわけです。

またそうしたことの積み重ねから結局、ディープ・パープルはほどなく本当に解散に追い込まれ、それまでのファンは必然的にリッチー・ブラックモアの新バンドになったレインボーへと流れたのが、今日までの歴史です。

しかもその原因のひとつが、トミー・ボーリンの悪いクスリによる急逝だったことも、悪評に拍車をかけたわけですが、そんなこんなが無くて、もしも第四期のメンツで、もう2枚ぐらいアルバムが作られていたら、それも変わっていたと思うんですが、いかがなもんでしょう。

ちなみにこのアルバムが駄作から隠れ名盤へと変化したのは、おそらくは元ディープ・パープルのイアン・ギランが自らのバンドを率いてフュージョン寄りのアルバムを作り始めた1976年以降のことでしょうし、さらに1984年になって黄金の第二期のメンツでディープ・パープルが再結成され、伝統芸能をやり始めた以降だと思われます。

つまり、その時になってようやく、意欲的だった時代の最後の輝きが懐かしくなったかのように、本物が求められたのかもしれません。

もちろんサイケおやじは、再結成後のディープ・パープルを良いと思ったことは一度もありません。やっばりディープ・パープルは、このアルバムで終わったという思いが尚更に強く、それゆえに愛着が持てるのでした。

願わくは「裏」ではなく、きちんと名盤として認められる日を待ち望んでいるだけです。

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ホット・ツナのホノボノ熱いブル~ス

2010-02-25 16:44:43 | Rock

First Pull Up Then Pull Down / Hot Tuna (RCA)

最近、すっかりブルースロック街道を歩んでいるサイケおやじは、ついに今日、これを引っ張り出してしまいました。

主役のホット・ツナというグループは、ジェファーソン・アエプレインのヨーマ・コウコネン(g,vo) とジャック・キャサディ(b) が1969年頃から始めたサイドプロジェクトで、幼馴染みのふたりが大好きなブルースに専心するという、半ば趣味性の強いバンドでした。

しかしイギリスあたりのブルースロックバンドと異なっていたのは、本場アメリカの黒人伝承歌やフォークブルースを積極的に演じ、また同様に黒人大衆芸能を再発見させる温故知新が、そんなものを知らない白人層はもちろん、遠く離れた東洋の島国に生まれ育ったサイケおやじをもシビレさせたのです。

それはデビュー盤となったLP「ホット・ツナ」では生ギターとベースがメインのシンプルなライプセッションとなって登場し、続く本日ご紹介のアルバムではエレキギターも積極的に使ったバンド形態の演奏となって結実しています。

それゆえに1971年に発売された時の邦題は「エレクトリック・ホット・ツナ」になっていたほどですが、しかしアコースティックなフォークブルースの味わいも大切に残された名演が実に楽しいかぎり♪♪~♪

 A-1 John's Other
 A-2 Candy Man
 A-3 Been So Long
 A-4 Want You To Know
 B-1 Keep Your Lamps Trimmed And Burning / ランプの火を燃やせ
 B-2 Never Happen No More / それは再び起こらない
 B-3 Come Back Baby

録音はデビュー盤と同じくライプセッションになっていますが、今回は特にパパ・ジョン・クリーチ(vln)、ウィル・スカーレット(hmc)、サミー・ピアッツァ(ds) を加えた本格的なバンド編成となっている所為で、尚更にブルースロックの楽しさが横溢しています。

しかし繰り返しますが、それは例えばフリートウッド・マックやポール・バターフィールド等々が演じる路線とは明らかに異なった世界です。なんというか、もっと広くアメリカの大衆芸能を取り入れているような、ちょっとライ・クーダーあたりが追及している部分との共通点も感じられるのです。

それはホット・ツナが元々から持っていた音楽性でもありますが、ここにパパ・ジョン・クリーチという黒人ヴァイオリン奏者が加わったことで、一風変わった味わいが違和感無く楽しめるんですから、まさに目からウロコ!

ちなみにパパ・ジョン・クリーチはこの時、既に初老でしたが、そのキャリアはジョー・ターナーや多くの有名ブルースマンと共演を重ねてきた知る人ぞ知る存在だったようで、どういう経緯かは知る由もありませんが、サンフランシスコに流れてきたところをジェファーソンズのメンバーに発見され、グループに客演していたそうです。

ただし1970年頃のジェファーソンズは前年に大傑作アルバム「ボランティアーズ」を出した余波から燃え尽きたのか、マーティ・ベイリン(vo) とスペンサー・トライデント(ds) が脱退!?! さらにグレイス・スリック(vo) の出産等々が重なって休業状態でしたから、臨時編成でのライプ巡業の必要性もあり、おそらくはパパ・ジョン・クリーチもその流れで仲間に加わったものと推測しております。

もちろんヨーマ・コウコネンとジャック・キャサディが、あえてホット・ツナと名乗って活動し始めたのも、ジェファーソンズの停滞ゆえに許しが出たんじゃないでしょうか。

まあ、それはそれとして、実際、このアルバムで聴かれる演奏はホノボノと楽しく、それでいて哀愁とブルースだけの情熱がたっぷり♪♪~♪

最初っからバカ正直なテーマリフが楽しいR&Rインストの「John's Other」は、パパ・ジョン・クリーチの飄々としたヴァイオリンとブルースロック保守本流のエレキギター&ハーモニカが、素直に自分達の楽しみという感じなんですが、演奏が進むにつれ、パパ・ジョン・クリーチの実にアグレッシヴなアドリブソロに圧倒されますよ!! はっきり言えば、他の白人小僧が顔色無しの名演だと思います。

しかしヨーマ・コウコネンも負けてはいません! 十八番のメカニカルなフィンガービッキングに移行した「Candy Man」では、素っトボケたボーカルも良い感じ♪♪~♪ それに同調するウィル・スカーレットのハーモニカにも和みますし、ジャック・キャサディも快演ながら、またしてもパパ・ジョン・クリーチのヴァインオリンが、良い味出しまくり! 本当に脱帽してしまうですよ。♪♪~♪

そのあたりは如何にもジェファーソンズというロックなフォーク「Been So Long」、懐古調の「Want You To Know」でも素敵なコラポレーションになっていて、特に後者はイノセントなジャズ者にも楽しい世界じゃないでしょうか。

そして、いよいよのクライマックスがB面ド頭に据えられた「ランプの火を燃やせ」です。あぁ、とにかく最初っからヘヴィなビートで演じられるシンミリ&ホノボノした歌と演奏は、黒人フォークブルースの巨匠で説教師でもあるブラインド・ゲイリー・デイビスの有名オリジナル曲なんですが、ヨーマ・コウコネンの凄いフィンガービッキングのギタースタイルは、実はこの偉人の影響が非常に大きく、そのキモがほとんどコピーされているほどです。

しかも前作のデビューアルバムではアコースティックでやっていたスタイルを、このセッションではエレキで演じるんですから、たまりません。中盤からのグイグイと盛り上げていくバンドのノリは豪快にしてドロドロとした蠢きが最高! ジャック・キャサディのベースワークも本領発揮のジコチュウなエグ味が全開です。

あぁ、ついついボリュームを上げてしまいますねぇ~~♪

そうした良い雰囲気は、続くホノボノブルースの「それは再び起こらない」の和みへと見事に繋がり、ちなみのこの曲もまた黒人ラグタイムブルースの大御所だったブラインド・ブレイクのオリジナルですから、またまた十八番のフィンガービッキングが冴えまくりのヨーマ・コウコネンとユーモラスで哀愁さえ滲むパパ・ジョン・クリーチのヴァインオリンが素敵です。

こうして迎える大団円が、なんとライトニン・ホプキンスの看板曲だった「Come Back Baby」ですらか、そのオリジナルのエグイ表現を如何にして白人ブルースロックに変換するかが、ひとつのキーポイントとして楽しめるわけですが、そこに起用されたパパ・ジョン・クリーチの存在感の強さが大正解! 引っ張られるように力演を聞かせてくれるバンドの勢いが感度良好です。

ということで、既に述べたようにシカゴブルースやモダンブルースに影響された世界ではありませんから、決してイメージ的に王道ではありませんが、しかし、これもまた立派なブルースロック!

パパ・ジョン・クリーチのヴァイオリンやウィル・スカーレットのパーモニカは明らかに電気増幅されていますし、ジャック・キャサディのペースはもちろんエレキですから、素朴な黒人フォークブルースをやったところで、結果はロックのグルーヴが横溢し、サミー・ピアッツァの重いビートのドラミングがそれを煽るという構図が快感なのです。

そしてヨーマ・コウコネンがジェファーソンズ本隊ではあまり聞かせてくれなかった、懐古趣味のギターワークが実に新鮮♪♪~♪ それは前述のとおり、ブラインド・ゲイリー・デイビスやブラインド・ブレイクといった黒人ブルースマンからの伝承コピーを基本にしているわけですが、最初に聴いた時のシビレ具合はヤミツキになるほど凄いです。

もちろん遡って、その偉人達のオリジナル演奏を聴き、尚更に仰天させられたのは言うまでもないんですが、そのきっかけはホット・ツナでした。

結論から言えば、このバンドはその後、だんだんとハードな路線を追求し、ついにはクリームやジミヘンみたいな、所謂ハードロックでブルースなトリオ演奏までも聞かせる道を歩み、それはそれで私は大好きなんですが、やっぱりデビュー盤から、このセカンドアルバムあたりの素朴で和みのフォークブルースな世界が忘れられません。

機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。

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ジョン・メイオールのブルース旅日記

2010-02-24 16:55:12 | Rock

The Diary Of A Band Volume One / John Mayall (Decca)

本場イギリスのブルースロックで絶対に外せないのが、御大ジョン・メイオール! しかし率直に言って、この人をメインに聴きたくてレコードを買っていたファンは少ないんじゃないでしょうか?

つまりブルースロック愛好者から絶大な支持を得ているジョン・メイオールとは、率いていたバンドのプルースブレイカーズがあってこそ! さらに付け加えれば、そこに在籍していた、例えばエリック・クラプトン(g) やピーター・グリーン(g) 等々のスタアプレイヤーが聴きたかったのです。そう断言しても、これを完全に否定することは出来ないでしょう。

さて、本日ご紹介のアルバムも、私がそういう気分で聴いていた1枚で、お目当ては後にストーンズのライプ全盛期を盛り立てたミック・テイラーのギターワークでした、

 A-1 Blood On The Night
 A-2 Edmnton Cooks Ferry In
(speech only)
 A-3 I Can't Quit You Baby
 B-1 Medley
 B-2 My Own Fault
 B-3 God Save The Queen

録音されたのは1967年11~12月にかけての巡業をメインにしたライプセッションで、当時のメンバーはジョン・メイオール(vo,hmc,key,g)、ミック・テイラー(g)、キース・ティルマン(b)、キーフ・ハートリー(ds)、ディック・ヘクストール・スミス(sax) が一応のレギューで、その他にポール・ウィリアムス(b) やクリス・マーサ(sax) が適宜交代参加しているようです。

そしてまず驚くのが、ある意味での音の悪さというか、私有のステレオ盤で聞かれるミックスは右と左に泣き別れ!?! しかも分離の悪い、無理に圧縮したような音作りが、完全に???

実は後に知ったところによれば、レコード会社側からライプレコーディングを要請されたジョン・メイオールが、それでは日常的で自然なフィーリングが録れないと判断し、なんと予定されていた巡業コンサートを自ら持参した家庭用テープレコーダーに収めるという、なんとも自虐的な手法に出たのが、その真相だとか!?!

ですから基本的には2チャンネルのトラックダウンしか出来ないのが当たり前ですし、団子状のミックスも、時には狭い小屋でのライプの雰囲気をダイレクトに伝えるものになったのです。

しかもその中にはスピーチというか、バンドメンバーと観客の交歓だけのトラックや演奏の合間にインタビューが入る編集まであって、なかなか一筋縄では楽しめません。

ところが、それで駄作になったかといえば、答えは逆の傑作盤だと思います。

まず冒頭、ドロドロに混濁した自然体のブルースロックが展開される「Blood On The Night」からして、実に生々しい雰囲気が横溢しています。演奏の最後のナレーションから、これは当夜の最終曲らしいのですが、それにしても倦怠したムードのヤバさが抜群! ミック・テイラーのギターも頑張っていますが、ここはバンドメンバー全員が醸し出す確信犯的なムードに浸るべきなんでしょうねぇ。それもブルースロックの楽しみのひとつだと思います。

その意味では身内ウケみたいなスピーチが意味不明の「Edmnton Cooks Ferry In」には疎外感を覚えますが、続くブルースの古典「I Can't Quit You Baby」のエグ味の効いた演奏には溜飲が下がるでしょう。粘っこいスローグルーヴがあってこそ冴えるミック・テイラーの端正なギターワークが、まさにこちらの聴きたいツボになっています。本当に歌いまくりですよっ!

それはB面の「Medley」でも存分に発揮され、実はこのトラックは途中にスピーチやインタビューが入り、演奏や曲が分断されているんですが、そこがかえって緊張感を増幅させるというか、特に後半のアップテンポのパートでは、あのストーンズ時代に聞かせてくれた例の手癖フレーズがテンコ盛りに出ますよ♪♪~♪ また前半のスライドが意想外にエグイ!

そして「My Own Fault」が、これまたブルースロックのスローな名演で、ジルジルな音色でハードなフレーズを吹きまくるディック・ヘクストール・スミス、それに対抗するミック・テイラーのミッドナイトランプラーなギターソロ、さらにヘヴィな突進力を大いに発揮するキーフ・ハートリーのドラミングも最高ですよ♪♪~♪

こうして思わずニンマリの名演続きから、オーラスはまたまたのスピーチ大会なんですが、主催者の要請で国家が演奏されたり、お遊びの編集が意外に素敵な余韻を残して、アルバムは終了していきます。

ということで、結果的にやっぱりというか、親分のジョン・メイオールが埋没しているんですが、それゆえに個人的には所期の目的は達成され、ミック・テイラーのギターにシビレる愛聴盤になっていますし、他のメンバーも実力を遺憾なく発揮しているんじゃないでしょうか。

しかも慣れというか、前述した音の悪さが、これまた妙に人なつっこい感じに思えてくるのも高得点♪♪~♪ このあたりはジョン・メイオールの思惑に完全に捕らえられた証かもしれず、それこそが親分の存在意義かもしれませんね。

ちなみに、この企画盤は「Volume Two」も出ていますが、どちからかと言えば、こっちに軍配が上がるんじゃないでしょうか? とにかくミック・テイラーのギターが実に素晴らしい限りです。

あと希望を言えば、このアルバムのモノラルミックス盤をぜひ、聴いてみたいですねぇ~。おそらくはさらに素敵なブルースロックの世界が広がっているような気がしています。

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春先にロギンス&メッシーナ

2010-02-23 14:44:34 | Loggins & Messina

Loggins & Messina (Columbia)

ここ2~3日、グッと春めいてきましたですね。うん、こうなると聴きたくなるのが本日の主役たるロギンス&メッシーナ♪♪~♪

1972年の結成デビュー当時から、玄人筋を中心にジワジワと人気を集めていたのですが、個人的には翌年に我国でも大ヒットした「愛する人 / Thinking Of You」、またその前段となるR&Rヒットの「ママはダンスを踊らない / Your Mama Don't Dance」あたりから、急速に一般ウケしたのが、当時の事情でした。

そして本日ご紹介のアルバムは、その初期の2大ヒットを含んだ人気盤で、通算2作目のLPです。

 A-1 Good Friend
 A-2 Whiskey
 A-3 Your Mama Don't Dance / ママはダンスを踊らない
 A-4 Long Tail Cat
 A-5 Golden Ribbons / 勲章
 B-1 Thinking Of You / 愛する人
(album version)
 B-2 Just Before The News
 B-3 Till The End Meet / 片思い
 B-4 Holiday Hotel
 B-5 Lady Of My Heate
 B-6 Angry Eyes

まず特筆すべきは、普通、こうしたシンガーソングライター系のレコーディングにはスタジオセッションで活躍するミュージシャンが集められ、実際のライプ巡業では専用のツアーバンドが編成されるところを、ロギンス&メッシーナは、まずレギュラーのバンドを率いての活動からレコード作りも、その体制を維持していたことでしょう。

ですから全体の仕上がりは、なかなかバラエティに富んでいて、さらに纏まりがきっちりと気持良いほどにキマッています。

メンバーはケニー・ロギンス(vo,g)、ジム・メッシーナ(vo,g) 以下、ラリー・シムズ(b,vo)、メレル・ブリガンテ(ds,per,vo)、アル・ガース(fiddle,sax)、ジョン・クラーク(sax,fl,key) という実力派のレギュラーが集められ、さらに特別ゲストとしてマイケル・オマーティアン(key) やミルト・ホランド(per) 等々の売れっ子も参加しているのですから、ジム・メッシーナのプロデュースもツボを外していません。

A面ド頭からクラヴィネットが唸るファンキーロックな「Good Friend」が、モロに意表を突いた痛快さっ! ロギンス&メッシーナをカントリーロック風味のウエストコースト系コンビ、なぁ~んて思っていると確実に仰天させられるでしょう。告白すれば、これを最初に聴いた時のサイケおやじにしても、あまりに自分好みのソウル&ジャズっぽさと溌剌としたロック本流の融合に接し、うっと絶句させられた記憶が、今も鮮烈です。

あぁ、このパキパキにファンキーなギター、躍動するリズム隊のヘヴィなグルーヴ、隠し味というにはあまりにも印象的なキーボードとホーンの使い方! 実にクールで熱い仕上がりですよねぇ~♪

そして一転、フルートと生ギターが彩るハートウォームな「Whiskey」は、定番のコーラスワークも含めて、我国の歌謡フォークへの影響も絶大でしょうし、続く「ママはダンスを踊らない」が、これまた楽しい浮かれたR&R♪♪~♪ その突き放したような曲メロとメリハリの効いたビート感、さらにサックスやエレキギターのシンプルなアドリブ等々、まさに当時の流行になりかかっていたオールディズポップスのエッセンスを凝縮していますから、ヒットするのは当たり前田のクラッカー!

さらにポール・マッカートニー調の「Long Tail Cat」、じっくり構えてウエストコーストロックのシリアスな部分を表現した「勲章」と続くA面は、本当に幕の内弁当的なんですが、なんら違和感なく楽しめると思います。

そしてB面には私の大好きなヒット曲「愛する人」がトップに据えられていますが、これはシングルとは別テイク! 比較すれば、こちらはソフトバージョンという感じですが、そよ風のような気持良さは不変ですし、アルバム全体の流れからすれば、これしか無いでしょうねぇ~♪

そうした部分はカントリーロッキンなアップテンポのインスト「Just Before The News」へと見事に繋がり、それを短い前奏曲としたケニー・ロギンスの名唱「片思い」が尚更に味わい深くなるのです。あえて言えばデイヴィッド・クロスビーがスティーヴィー・ワンダーしたような、摩訶不思議な折衷スタイルが良い感じ♪♪~♪

そして王道カントリーロックの「Holiday Hotel」、実にジェントルなメロディがクセになるボサロック「Lady Of My Heate」を経て始まるのが、このバンドの真骨頂となった8分近い長尺演奏「Angry Eyes」で、ズパリ、フュージョンロックですよっ! もちろんメンバー各人のアドリブパートも用意され、ランテタッチのファンキーグルーヴと乾いたジャズフィーリングが絶妙に融合した名演になっています。

ちなみに、この曲は実際のステージでもバンドの実力を披露する、ひとつのハイライトになっていて、それは後に発売されるライプ盤「オン・ステージ」にも熱い演奏が収録されていますが、このスタジオバージョンの纏まりとスリルのバランスも秀逸だと思います。

ということで、今となってはロックの名盤本に載るようなアルバムではないかもしれませんが、時代へ見事にアクセスした仕上がりには、なかなか愛着を覚えるファンも大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

ただしこのアルバムでも顕著なように、ファンキーもカントリーロックもシンガーソングライターも、さらにはフュージョンやプログレにまでも手を伸ばしてしまうバラエティな意欲が、一部では節操が無いとか、融通が利きすぎるという批判にもなっていたようです。

そのあたりは後に発表されていく作品群を聴き進めば、確かに否めません……。

しかし、このアルバムは、イイよなぁ~~~♪

と、私は言いたいです。

特に、この時期! 春先限定の名盤かもしれませんよ。

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チキン・シャックのブルースな純情

2010-02-22 14:45:36 | Rock

40 Blue Fingers Freshly Packed & Ready To Serve
                                                      / Chicken Shack (Blue Horizon)

1960年代後半からのブルースロックの大ブームは、本場アメリカの黒人ブルースに憧れ、畏敬の念で自分達なりにコピーしていたイギリスの白人達が、その成果を結実させたものかもしれません。

もちろんビートルズの世界的な大ブレイクによって誘発された、所謂ブリティッシュ・インヴェンションのひとつの形だったのでしょうが、最初はあくまても裏街道だったと思われます。

ところがその中からエリック・クラプトンやジェフ・ペックという偉大なスタアギタリストが登場するに及び、ついにはそのルーツとなったブルースを得意とするギタリストが在籍するバンドこそが人気を集める異常事態!

それまではボーカリストがあまくでも主役だったポップスの世界が、ロックではギタリストも同等に脚光を浴び、そしてブルースこそがロックの王道なんていう、今となっては懐かしいブームがブルースロックのひとつの側面だったように思います。

で、本日の主役たるチキン・シャックも、スタン・ウェヴというモダンブルースにバリバリの影響を受けたギタリストを看板とするイギリスのハンドでした。本日ご紹介は1968年に本国で発売されたデビューアルバムです。

 A-1 The Letter
 A-2 Lonesome Whistle Blues
 A-3 When The Train Comes Back
 A-4 San-Ho-Zay
 A-5 King Of The World
 B-1 See See Baby
 B-2 First Time I Met The Blues
 B-3 Webbed Feet
 B-4 You Ain't No Good
 B-5 What You Did Last Night

これが作られた当時のメンバーはスタン・ウェプ(vo,g)、クリスティーン・パーフェクト(vo,p,key)、アンディ・シルヴェスター(b)、デイヴ・ビドウェル(ds) の4人組でしたが、こうしてレコーディングが行えたのも、マイク・ヴァーノンというブロデューサーの目論見でした。

というのも、もちろんマイク・ヴァーノン自身が黒人ブルースに敬意を抱いているのは明らかでしょうが、そうやって制作したジョン・メイオールとエリック・クラプトンの競演アルバムが1966年に発売されるや、驚異の大ヒット! 今やロックの殿堂入りは確実の大名盤になったのですから、ブルースロックの次なる流行にも確信があっと思われます。

そこで自らのレーベル「ブルーホライズン」を設立し、チキン・シャックを売り出し始めたのですが、その頃にはフリートウッド・マックやサボイ・ブラウンという同系のグループも含めた、通称「ブリティッシュブルースの三大バンド」を手掛ける剛腕は特筆されるものでした。

そして中でも特にブルースに拘り抜いたのが、チキン・シャックに他ならず、その魅力はスタン・ウェプのギター! とにかくフレディ・キングやB.B.キングに強い影響を受けた「泣き」と「エグ味」の世界は、コピーの領域を超えた物真似の至芸!

もちろん、この言い方は個性が無いというものではなく、素直な情熱の発露だと私は感服するのです。

まずはA面初っ端のスローに泣く「The Letter」からして、これぞブルースロックの醍醐味が満喫出来ますし、同系ではグッと重心の低いビートで演じられる「King Of The World」が、ジョン・リー・フッカーのオリジナルバージョンに深い尊敬を抱きつつの自己流コピーが、良い感じ♪♪~♪ またバディ・ガイの十八番として有名な「First Time I Met The Blues」も、その思わせぶりがニクイばかりですし、当然ながらエキセントリックなボーカルの味わいまでも、必死のコピーがニンマリの世界です。

一方、アップテンポの演奏ではホーン隊を従えた「Lonesome Whistle Blues」や「See See Baby」でのイナタイ感じとか、些かお気楽ムードが強いんですが、流石にギターソロは熱いですし、インストの「San-Ho-Zay」では特に自分に素直なプレイに好感が持てます。

それは当然ながら、フレディ・キングというロックにも多大な影響を与えたブルースマンのギタースタイルがモロに表出された熱演なんですが、率直に言えば、良くも悪くも、その世界から抜け出せない頑固さが賛否両論かもしれません。

ですから結果的に後年には基本的なブルースロックしか出来ないことが弱点となり、同じようなスタート地点にいたはずのエリック・クラプトンやピーター・グリーンあたりと比較すると、失礼ながらスケールが小さい感じは否めないと思います。

まあ、そこがスタン・ウェブとチキン・シャックの魅力でもあるんですが、サイケおやじがこのバンドを気にかけていたのは、紅一点のクリスティーン・パーフェクトの存在が、もうひとつの理由でした。

まず当時の音楽雑誌に掲載されていた彼女の写真が、これまた私の大好きな女優さんの八代万智子様に似ていたんですねぇ~♪ このことについては以前も書きましたが、このアルバムの裏ジャケットにあるバンドの集合写真でも、私は彼女しか目に入らないほどです。

しかし彼女の実力は本物で、このアルバムでも「When The Train Comes Back」と「You Ain't No Good」の2曲で歌っていますが、それは自身のオリジナル! 正直、歌いっぷりはイマイチなんですが、その倦怠したブルースフィーリングは捨て難く、スタン・ウェプのギターも控えめな主張がシブイですよ。

ご存じのようにクリスティーン・パーフェクトは、後にフリートウッド・マックのジョン・マクヴィ(b) と結婚し、そのバンドへと移籍! しかも更なる大ブレイクへとグループを導いたのですから、ますますチキン・シャックは見切りをつけられた証になるんでしょうか……。

個人的には決して、そうは思いたくありません。

それは「Webbed Feet」や「What You Did Last Night」というスタン・ウェプのオリジナル曲のピュアな世界を聴けば、幾分なりとも霧散するところだと自分に言い聞かせています。ノリが良いインストの「Webbed Feet」は、まあご愛嬌かもしれませんが、スローの「What You Did Last Night」では、なんとか自分達の個性を出そうと奮闘する姿勢に好感が持てるのです。

ということで、今となっては時代遅れの遺物かもしれませんが、その昔、確実にロック青少年を熱くさせたのがブルースロックの大ブーム! その代表選手だったチキン・シャックの真剣さが、私は忘れられません。

しかし告白すれば、このレコードを鳴らす時には、裏ジャケットを見ているんですけどね♪♪~♪ 理由は言わずもがなの笑止ですが。

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1966年秋のスティーヴ・ウィンウッド

2010-02-21 16:00:06 | Rock

Autumn '66 / The Spencer Davis Group (Fontana)

白人達が黒人R&Bに敬意と憧れを露わにして演じるのが、所謂ブルーアイドソウルで、もちろん本家には絶対に勝てないのですが、サイケおやじは、これがなかなか好きです。なんというか、一途な情熱を感じてしまうんですねぇ。

中でもスティーヴ・ウィンウッドが在籍していた当時のスペンサー・デイビス・グループは大好きで、本日のご紹介は、イギリスでは3枚目に出されたアルバムです。

 A-1 Together 'Til The End Of Time / 愛の終わる日まで
 A-2 Take This Hurt Off Me
 A-3 Npbody Knows You When You're Down And Out
 A-4 Midnight Special
 A-5 When A Man Loves A Woman / 男が女を愛する時
 A-6 When I Come Home
 B-1 Mean Woman Blues
 B-2 Dust My Blues
 B-3 On The Green Light
 B-4 Neighbour Meighbour
 B-5 High Time Baby
 B-6 Somebody Help Me

発売されたのは1966年秋、ということはスペンサー・デイビス・グループにとっては代名詞ともなった不滅のヒット「愛しておくれ / Gimme Some Lovin'」と同時期に制作が進められたのですから、その充実度は言わずもがと思います。

そしてここにはグループとしての、もうひとつの大ヒット「Somebody Help Me」が収められているのも嬉しいわけですが、しかしサイケおやじとしてはカパー曲の出来栄えの素晴らしさに、グッと惹きつけられました。

ちなみに当時のメンバーはリーダーのスペンサー・デイビス(g,vo,hmc) 以下、スティーヴ・ウィンウッド(vo,g,key,per)、その兄のマフ・ウインウッド(b)、そしてピート・ヨーク(ds) からなる4人組でしたが、もちろん一座のスタアは未だ十代のスティーヴ・ウィンウッドで、その驚異的な黒っぽさが、このアルバムでも大きな魅力♪♪~♪

まずはA面ド頭の「愛の終わる日まで」が、これはブレンダ・ハロウェイがオリジナルの無情世界のラヴソングをカパーしたものですが、そのじっくりと構えてジワジワと盛り上げていくスティーヴ・ウィンウッドの歌いっぷりは圧巻! せつない曲メロのフェイクの上手さと演奏パートでのオルガンの使い方が本当にツボを外さない名唱名演ですよ。あぁ、ほどよい力みとピアノの間奏も憎たらしいほどに、キマッていますねぇ~♪

そして続く「Take This Hurt Off Me」もミック・ジャガーが憧れたドン・コヴェイの書いた南部系R&Bのカパーですが、ここでのスタックス調のグルーヴは、似たようなことをやっていたストーンズを凌駕するカッコ良さですし、もちろんスティーヴ・ウィンウッドのタイトで猥雑なボーカルは最高! ファルセットのコーラスは親分のスペンサー・デイビスでしょうか? もうほとんどサム&デイヴの白人版って感じですよ。本当にシビレます!

さらに「Npbody Knows You When You're Down And Out」が、今度はピアノの弾き語り調で演じられるジャズブルースの世界♪♪~♪ もちろん、その表現には未熟なところもあるんですが、十代にしてこの雰囲気の醸し出し方は、確実に良いムードを演出しています。ご存じのとおり、この曲は後にエリック・クラプトンが十八番にするのですが、その意味がないとはいえ、比較すれば熱くて上手いのは、スティーヴ・ウィンウッドが持ち前の資質でしょう。

そのあたりは、あまりにも有名なパーシー・スレッジの絶唱として黒人R&Bの古典になった「男が女を愛する時」が、単なるカパーを超えた強烈な印象を残しています。しかも時期的には、そのオリジナルバージョンがリアルタイムでヒットしていた頃に、あえて取り上げたという、実に勇気ある挑戦なんですが、ここまでの完成度を聞かせてくれれば文句無し! イントロの厳かなオルガンから、若気の至りを滲ませる熱唱が逆に素晴らしくて、もう完全にKOされること、請け合いです。演奏パートの重量感も良い感じ♪♪~♪

後年には、こうしたスタイルがホール&オーツやポール・ヤング等々の白人ソウルシンガーに継承される歴史も、そのルーツを探るれば必ずしも真っすぐではありませんが、この時期のスペンサー・デイビス・グループ、もっと言えばスティーヴ・ウィンウッドに突き当たるのは明白でしょうねぇ。

ですから「When I Come Home」や「Mean Woman Blues」における軽いノリ、あるいは「Dust My Blues」でのヘヴィなブルースロックの解釈が、ちょいと面映ゆい感じもするんですが、ギターでもキーボードでも、演奏の主要なパートを組み立てているのがスティーヴ・ウィンウッドの非凡な才能の一部であることを思えば、しっかり納得出来るかと思います。

それは親分のスペンサー・デイビスが主役で歌った「Midnight Special」や「Neighbour Meighbour」のトホホ感を尚更に強調する結果にもなっているのですが、しかしアルバム構成の流れからすれば、LP片面の中の息抜き箇所に配置されたプロデュースの冴えを見直すことになるのかもしれません。

実際、A面では熱い熱唱が続いく3曲目までがあって、気抜けのビールみたいな親分の歌……、そして厳かに始まる「男が女を愛する時」とくれば、それは美しすぎる流れとなって中毒症状は必至ですよ。

もちろんB面も同様ですが、こちらはオーラスの「Somebody Help Me」へと収斂していく起承転結というところでしょうか。

う~ん、それにしても「Somebody Help Me」はブルーアイドソウルの決定版のひとつでしょうねぇ~♪ 何度聴いても血が騒ぐというか、実は我国のスパイダースに、このあたりのグルーヴや曲調がパクられている感じまでしてきます。

ということで、実はご存じのとおり、スティーヴ・ウィンウッドはほどなくグループを脱退し、トラフィックを結成! 一躍、サイケデリックロックの先端を走るわけですが、個人的にはもっとブルーアイドソウルの路線をリアルタイムで演じて欲しかった気分です。

まあ、当時はそれが如何にも時代おくれだったわけですが、このアルバムに顕著な完成度の高さがあれば、決してシラケることはなかったでしょう。

それとLPというメディアを使ったアルバムは、トータル性を重んじる傾向が、ようやくこの頃から提唱され始めましたが、大部分はヒット曲とその他のおまけ、なんていう構成でしたから、後は曲順プログラムの良し悪しが勝負ということに限れば、これは名盤!

告白すれば最初、親分のトホホの歌を外し、代わりに「愛しておくれ」や「I'm A Man」が入っていれば!? なんて思っていましたし、実際にそうして作ったカセットも楽しみましたが、それだと確実に疲れるんですよ……。

つまりそれほどスティーヴ・ウィンウッドの歌は押しが強いんです。

そのあたりも含めまして、皆様に楽しんでいただくことを願っております。

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スティーリー・ダンに勘違い

2010-02-20 16:29:31 | Steely Dan

Do It Again / Steely Dan (abc / 東芝)

今では孤高のスティーリー・ダンの、これはブレイクのきっかけとなったシングル盤ですが、これが制作された当時はレギュラーメンバーが固定された実在のグループでした。

と書いたのも、皆様がご存じのとおり、スティーリー・ダンは後の全盛期にはドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの旧友コンビが実質的に運営するプロジェクトに凝縮され、プロデュースを担当するゲイリー・カッツの協力を得ながら、ゲストやスタジオミュージシャンをその都度参加させる作品作りに没頭し、必然的にライヴ活動も止めてしまったからです。

もちろんそうなったのは、本来がソングライターとして裏方を希望していたドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーが、自分達の書いた曲を売り込みにいった先で理解されず、窮余の一策としてバンド活動に活路を見出した云々というのが、今日の歴史になっています。しかし最初にスティーリー・ダンを結成したのは決して主役の2人ではなく、モダンジャズをやっていたギタリストのデニー・ダイアスだったという真相もあるようです、

で、ようやくレコードデビューが決まった1972年当時のメンバーはドナルド・フェイゲン(Key,vo)、ウォルター・ベッカー(g,b)、デニー・ダイアス(g)、ジェフ・スカンク・バクスター(g)、ジム・ホッダー(ds,per)、デイヴィッド・パーマー(vo,per) の6人組でした。

ただし今となっては、実際のライプの現場には女性コーラス隊や助っ人ミュージシャンが参加していたという事実も明らかになっているのと同じく、スティーリー・ダンという実態があったバンドのメンバーも各々が、他のグループや歌手をバックアップする仕事をやっており、これは最初っから、ある種のプロジェクトだったことが明白かと思います。

ですから、既にデビュー期から作られた楽曲には、従来のロックやポップスには感じられなかった、どこかミョウチキリンな味わいが色濃く滲み、その1972年当時、業界の流行は南部指向だったのとは逆に都会的なジャズっぽさ、そして変態コードワークと摩訶不思議な歌詞で作られた意味深なメロディ……。

そんなスティーリー・ダンならではの音楽が、デビューから今日まで普遍だったのは凄いところです。

しかし、そんな理屈を最初っから分かっていたサイケおやじでは当然なく、実は昭和48(1973)年に我国で発売された本日ご紹介のシングル曲をラジオで聴いた時も、てっきりサンタナみたいなランテロックのバンドがスティーリー・ダンだと思い込んでいたのです。

実際、イントロからチャカポコ、シーチャッカ♪♪~♪ 快適に刻まれるラテンビートの心地良さは絶品ですし、浮遊感がありながらフックの効いた曲メロの耳馴染みの不思議さは、ちょっと中毒症状を呼び覚ますほどでした。そして買ってきたレコードジャケットにも、はっきり「サンタナ・タッチ」と書かれていたのですからっ!?!

つまり完全な勘違いが出会いのヒットに結びついたというか、しかし職業作家を目指していたドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーにとっては、まさに思うツボだったんじゃないでしょうか。

リアルタイムでは聞けなかった、この曲を含むデビューLP「キャント・バイ・ザ・スリル」は全然、ラテンロックのアルバムではなく、むしろ後に全開となるスタジオワーク専任のスティーリー・ダン節が原石のまま収められている感じです。

そしてそれは決して未完成ではなく、むしろ現実的なバンドサウンドで作られたという点からしても、実に自然体の魅力に溢れているんですねぇ~♪ その意味で躍動感と奇妙なクールさを併せ持った、この「Do It Again」がヒットしたのも必然だったでしょう。

ちなみに前述したとおり、初期スティーリー・ダンのメンバーは、例えばジェフ・スカンク・バクスターが1974年頃にドゥービー・ブラザーズへ正式加入し、ついでにスティーリー・ダンを手伝っていたマイケル・マクドナルド(key,vo) も連れていったとか、あるいはジム・ホッダーがサミー・ヘイガーのバンドに引き抜かれたり、さらにデイヴィッド・パーマーは幾つかの新バンドを作る……等々、確実に1970年代を生き抜いているのですが、何故か凄腕ギタリストのデニー・ダイアスだけが消息不明なのは気になります。

ということで、全くの勘違いからスティーリー・ダンに出会ったサイケおやじは、紆余曲折の末にそのジャズっぽさの虜となりましたが、実はライプ活動なんか全盛期にはやっていなかったという現実にも驚きましたですねぇ。

まあ、最近ではライプの現場に復帰しているドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーがスティーリー・ダンを名乗ることに異存はありませんが、残念ながらそこには初期のリアルなバンドサウンドは感じられません……。

もちろん、それで良しとするファンが大多数なのは承知の上で、私は勘違いで知ったスティーリー・ダンが大好き! と、愛の告白をしておきます。

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ドゥーピーズの爽快な登場

2010-02-19 16:04:09 | Rock

Toulouse Street / Th Doobie Brother (Warner Bros.)

ヒット曲の条件のひとつに素敵なイントロが必要という真実は言わずもがなでしょう。それも妙に凝っているよりは、一撃のインパクトが最も効果的なのは、例えばビートルズの「A Hard Day's Night」が実証しているところですし、何よりも流れてきた瞬間、おっ! という気持の昂りを誘発してくれれば、それだけで使命は達成されるのです。

さて、本日ご紹介のアルバムは、1970年代のウエストコーストロックを代表した人気バンド、ドゥービー・ブラザーズの2作目として1972年に発売されたLPですが、なんといっても出世作となったヒット曲「Listen To The Music」がド頭を飾っていることで、一際の鮮烈感がありました。

 A-1 Listen To The Music
 A-2 Rockin' Dpwn The Highway
 A-3 Mamaloi
 A-4 Toulouse Street
 A-5 Cotton Mouth
 B-1 Don't Start Me To Talkin'
 B-2 Jesus Is Just Alright / 希望の炎
 B-3 White Sun
 B-4 Disciple
 B-5 Snake Man

既に述べたようにドゥービーズにとってはデビュー盤がLP、シングル共にパッせず、おそらくは日本盤もリアルタイムでの発売は無かったと思われるのですが、とにかく昭和47(1972)年の秋の終り頃にラジオから流れてきた「Listen To The Music」は、瞬時にウキウキさせられるイントロからのギターカッティングが印象的♪♪~♪ しかも弾みまくったビートと爽快なコーラスワーク、おまけに簡単な英語で綴られた歌詞の分かり易さ、そして一緒にキメを歌える親しみ易さが、これぞっ、ヒット曲の必要十分条件を満たしているのです。

実際、皆がとりあえず音楽を聴こうよ♪♪~♪ なんてシンプルに言われてしまうと、それが逆にその気にさせられてしまうというか、こんな率直な歌がアルバム冒頭に置かれるという、これは当時第一線のロックでは逆説的な快挙だったと思います。

そして続く「Rockin' Dpwn The Highway」が、これまた痛快至極なブッ飛ばし讃歌!

一説によるとデビュー前後からのドゥービーズは、意図的にバイカーやトラック野郎が集まる店でライププロモーションを続けていたそうですから、こういう曲が生まれるのも自然の摂理とはいえ、以降もバンドテーマ的な演目になるのですから、狙いはバッチリ!

ちなみにドゥービーズはその頃からメンバーチェンジを頻繁に行いながらの離散集合でバンドを維持していくのですが、このアルバム制作時はトム・ジョンストン(vo,g)、パット・シモンズ(vo,g)、タイラン・ポーター(b,vo)、ジョン・ハートマン(ds,per,vo)、マイケル・ボザック(ds,per,vo) の5人組が一応のレギュラーでした。そして実際の録音には前メンバーのデイヴ・ショウグレン(b)、そして助っ人としてリトル・フィートのビル・ペイン(p,key)、さらにホーンセクション等々が参加しています。

ですから「Cotton Mouth」や「Don't Start Me To Talkin'」ではブラスを導入したR&B風味のファンキーロック、また逆に「Mamaloi」や「Toulouse Street」、そして「White Sun」では生ギターのフィンガービッキングも印象的な暖かい曲調が楽しめます。

というように、バンドスタイルとしてはツインドラムスが象徴するオールマンズの影響が強く、ツインリードのキメも同様ですが、一方、コーラスワークの素晴らしさはCSN&Yという折衷症状が賛否両論でしょう。

しかし歌と演奏はテクニックをひけらかすよりは、あくまでもストレートに楽しく、ノリ重視の姿勢が潔いかきりだと思います。

その中でR&Bバンド出身のトム・ジョンストンは直線的なエレキギターと黒っぽいファンキーロックの味わいを追求し、またフォークブルースをやっていたパット・シモンズはアコースティックギターをメインに、サイモン&ガーファンクのようなポップス系フォークとカントリーロックのブルース的解釈に冴えを聞かせてくれるように、なかなか一筋縄ではいきません。

そのあたりが以降もドゥービーズのもうひとつのテーマとなった「希望の炎」の痛快さで、冒頭からのチャカポコリズム、「トウルルルルゥ~」という十八番のコーラスワークが混然一体となった中から浮かびあがるゴスペル調の曲メロが、一度聴いたらヤミツキの世界ですよねぇ~♪

ちなみにこの曲は本来、ゴスペルの歌らしく、確かに中盤ではテンポを落として粘っこく歌われるパートが絶妙のアクセントになっているのですが、実はご存じのとおり、ドゥービーズよりも先にザ・バーズが1969年に発売したアルバム「イージーライダー(Columbia)」で演じていたという顛末も、些かイナタイ雰囲気のザ・バーズのバージョンをコピーしたところから始まったというドゥービーズのカッコイイ仕上げには、脱帽です。

もちろんザ・バーズのバージョンだって、私は好きなんですが、既に時代は1970年代ということで、どうしてもスピードがついた爽快感がウエストコーストロックの必須条件になっていたのでしょうか。そこにヘヴィなリズム&ビートをミックスさせたドゥービーズは、流石に上手かったというところかもしれません。

ということで、今となっては些か地味な存在になったアルバムではありますが、日本では昭和48(1973)年に発売された時からコンスタントに売れたと言われていますから、やはり時代を象徴する1枚だったのかもしれません。

ただしサイケおやじは例によって、国営FM放送のラジオから丸ごと流されたソースをエアチェックして聴いていたのが本当のところで、実際に買ったのは相当に後の中古盤でした。しかし、その時になっても、持っていたいと思わせられる魅力が確かにあったという点をご理解も願います。

とにかくA面ド頭から流れてくるギターカッティングの爽快さ!

それだけで私はノセられてしまうのでした。

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