OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

バーバラ・アンは陽気な罪作りか?

2009-06-30 10:41:27 | Beach Boys

Barbara Ann / Beach Boys (Capital / 東芝)

今年も、やっぱり暑くなりそうですねぇ。というよりも、既に暑くなっていますが、気がつけば今年も半分まで来ています。

さて、そんな夏といえば、やっぱりビーチホーイズが永遠の定番でしょうか。

本日ご紹介のシングル盤は、私が初めて買ったビーチボーイズのレコードで、それは昭和41(1966)年のことでした。

A面は、バ~バ~バ~、バーバラア~ン♪ という実に楽しいコーラスと、その場しのぎっぽい陽気なボーカルが一緒に歌えるという、最高にヒット性感度の高い楽曲で、これは彼等がスタジオライブ形式で作り上げたアルバム「Beach Boys' Party!」からのシングルカットでした。

ご存じのように当時のビーチボーイズは全盛期でありながら、同時にある種の「壁」にもぶつかっていた頃で、その「壁」こそがイギリスから世界を征服していたビートルズの存在だったことは言わずもがなでしょう。

しかしビーチボーイズの面々は、実はビートルズのファンでもあり、それゆえにバンドの中心人物だったブライアン・ウィルソンは意識過剰……。

さらにレコード会社からは、クリスマス商戦用のアルバムを要求され、ついに苦肉の策となったのが前述の「Beach Boys' Party!」だと言われています。

その内容はレコーディングスタジオをホームパーティのようなムードにし、実際に彼等の家族や友人を招き入れ、皆で飲み食いしながら、ビーチボーイズが好きな歌を演奏し、そのまんまをレコード化するという、ポップスの分野では、それまで誰もやったことのなかった試みでした。

もちろん歌と演奏は自分達のオリジナルヒット以外にビートルズやボブ・ディランの曲までも歌ってしまうという、まさにビーチボーイズという偉大なバンドの矜持を疑われるような企画でしたが、そのファジーな感覚が実に楽しく、目論見どおり、アルバムは大ヒットしています。

そしてその中でオーラスに演じられていたのが、この「Barbara Ann」で、オリジナルは Regents というグループが1961年に放ったヒット曲のカバーなんですが、ここでのビーチボーイズの歌と演奏は、その場の雰囲気を大切にしたノーテンキなノリが最高だったことから、レコード会社側がビーチボーイズには無断でシングルカットしたところ、Regents のバージョン以上に大ヒット! 以降、ビーチボーイズのステージでは必須の演目となるのですが、さらに驚いたことには、ここでのリードボーカルがレギュラーメンバーではなく、ジャン&ディーンのディーン・トーレンスだったんですねぇ~♪

もちろんリアルタイムで、この曲を聴いていた少年時代のサイケおやじには、そんな裏事情は知る由もありませんでしたが、それにしても、ここでのタガの外れたような楽しさは永遠に不滅♪♪~♪ バ~バ~バ~、バーバラア~ン♪ と歌いながら過ごした日々は、今も継続しています。

ザ・フーのドラマーだった故キース・ムーンの愛唱歌としても有名ですよね♪♪~♪

ちなみにビーチボーイズは、この昭和41年1月に来日公演を行っていますが、当然、そのライブでも「Barbara Ann」は歌われていたそうですよ。残念ながら、私はそれを体験していませんが、実際に会場へ行った友人のお兄さんの話では、前座のスパイダースの方が歌も演奏も上手かったと聞かれされ、妙に納得したものです。なにしろ、この「Barbara Ann」を聴く限りでも、ギターなんかはチューニングが怪しいし、コーラスもテキトーだし……。

まあ、このあたりのユルユルな楽しさが、ビーチボーイズのひとつの魅力なのかもしれませんね。

しかし当時のバンドは、中心人物のブライアン・ウィルソンが巡業には同行せず、曲作りとレコーディングに没頭していた頃で、もちろん来日もしていません。そしてその作業こそが、名盤「Pet Sounds」を生み出すセッションだったのですが、それはビートルズに対抗するためのビーチボーイズが意地の傑作というのが、今日の定説でしょうか。

ただし現実的には、この「Barbara Ann」が大ヒットしてしまったことにより、シンプルな楽しさではビーチボーイズのイメージに合わない「Pet Sounds」は、ブライアン・ウィルソン以外のメンバーやレコード会社、さらには大衆からもリアルタイムでは受け入れられなかったのが、歴史上の事実です。

その意味で、この「Barbara Ann」は相当な罪作りかもしれませんね。

現在では、その「Pet Sounds」は神格化されたアルバムになっていて、私もそれを否定することはありませんが、反面、やはりビーチボーイズは、それ以前の陽気なイメージこそが輝かしく、最高だったのも真実でしょう。

そして、この「Barbara Ann」はアルバムバージョンを上手く編集したシングルバージョンなので要注意!

またB面の「Girl, Don't Tell Me」は前作アルバム「Summer Days」で既に発表されていた、実に確信犯的なビートルズ模倣曲の決定版! おそらく元ネタは「涙の乗車券」でしょう。リード・ボーカルは珍しくカール・ウィルソンですし、パックもスタジオミュージシャンではなく、ビーチボーイズのメンバーだけで演奏されたものだと思います。何よりもビーチボーイズを特徴づけるコーラスが無いのも、決定的な証拠という雰囲気が素晴らしい♪♪~♪

ということで、夏はやっぱりビーチボーイズ♪♪~♪

ストライプのシャツが眩しいぜっ!

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ジェリー・ドリスコールの素敵な横顔

2009-06-29 12:09:19 | Rock Jazz

Open / Julie Driscoll &  Brian Auger (Marmalade)

ブライアン・オーガーはイギリスでロックジャズやキーボードロックをやり続けてきた偉人だと思いますが、ようやく近年になって我が国でも人気が出たのは嬉しいところです。

私がブライアン・オーガーを知ったのは昭和44(1969)年でしたが、告白すればブライアン・オーガーが先ではなく、ジェリー・ドリスコールという女性歌手を通じてのことでした。

それは彼女が歌う「Tramp」というR&Bのスタンダード曲をラジオの洋楽番組で聴き、その真っ黒な歌唱に完全KO! 早速翌日、レコード屋へ行って、またまた仰天! なんとジェリー・ドリスコールは白人だったという衝撃は、今も鮮烈な記憶になっています。

そして横揺れしながら、しかし強烈なロックビートを生み出すバックの演奏が、ブライアン・オーガーが率いるトリニティというバンドだったんですねぇ~♪

しかも気に入った「Tramp」には完全にアメリカ南部風味が濃厚なホーンセクションまでもが付いていたんですから、たまりません。ちょうどブッカー・TとMG's のようなトリニティの演奏は、それ以上にジャズっぽい味わいもサイケおやじの好むところでした。

とは言え、その時にはレコードを買うことが出来ませんでした。

何故ならば、その「Tramp」はシングル盤が出ておらずLPだけだったんですねぇ……。

こうして悔しい気持ちを抱えつつ、時が流れました。その間、ブライアン・オーガーはアメリカでも人気が出ていましたし、1970年代からのクロスオーバーやフュージョンのブームがあって、そのキーボードを主体とした演奏は「キモチE~♪」ものの代名詞となり、さらに近年のレアグルーヴとかモッドなんて呼ばれる流行にもジャストミートしていたらしく、ブライアン・オーガーの人気は定着していくのですが……。

肝心のジェリー・ドリスコールは様々な芸能界的な問題から、ついに大ブレイクすることがありませんでした。

さて、本日ご紹介のアルバムは前述した中学生のサイケおやじをシビレさせた「Tramp」が入っているジェリー・ドリスコールのデビューアルバムで、当然というか、リアルタイムの日本盤よりは遥かに素敵なデザインが最高のイギリス盤です。

そして実はこれを入手したのは1974年だったんですが、またまた驚いたことにA面がブライアン・オーガーのリーダーセッション、そしてB面がジェリー・ドリスコールの歌をバックアップするブライアン・オーガー&トリニティという構成になっていたのです。

 A-1 In And Out
 A-2 Isoal Natale
 A-3 Black Cat
 A-4 Lament For Miss Baker
 A-5 Goodbye Jungle Telegraph

 ブライアン・オーガーはイギリス生まれの白人ですが、そのオルガンスタイルはズバリ、ジミー・スミスです。どうやら最初はホレス・シルバーに熱中してモダンジャズのピアノを弾いていたらしいのですが、ちょうどイギリスでブームになっていた黒人ブルースやR&Bにも傾倒し、ついにジミー・スミスに邂逅してからはハモンドオルガンをメインに演奏するようになったそうです。
 当然ながら、そうした活動はイギリスでも当時は珍しかったそうですが、実際の仕事としてはロッド・スチュアートの下積み時代として有名なスティームパケットと名乗る一座に入って注目され、そこで一緒だったのが、ジェリー・ドリスコールでした。
 そしてイギリスでは広くコネクションを有するジョルジオ・ゴメルスキーという興行師に見出されるように、ブライアン・オーガーはトリニティという自分のバンドを結成し、同時にジョルジオ・ゴメルスキーが契約したジェリー・ドリスコールのバックバンドとなるのですが……。
 このあたりの経緯には諸説があり、一概に書くことは出来ません。
 ブライアン・オーガーにしてみれば、あくまでも自分が主役と思っていたら、実はジェリー・ドリスコールばかりが売り出されて腐っていたとか……。
 で、そんなこんながあって作られたデビューアルバム「Open」が、ジャケットの表にジェリー・ドリスコール、しかしレコードのA面はブライアン・オーガーという構成になったのはムべなるかな、しかも曲間には様々に工夫した効果音が入れられた疑似トータルアルバムになっているのも意味深だと思います。
 肝心のトリニティの演奏はモダンジャズがモロ出し!
 メンバーはブライアン・オーガー(org,p,arr,vo)、ゲイリー・ボイル(g)、デヴィッド・アンブローズ(el-b)、クライヴ・サッカー(ds) という4人を中心にビックバンド風のオーケストラが加わっていますから、言うなればジミー・スミスとオリバー・ネルソン楽団の共演作品のような趣があります。
 4ビートで痛快にスイングする「In And Out」、ボサロックな「Isoal Natale」と続く2連発にはモード手法も当たり前に使われ、ブライアン・オーガーのオルガンの素晴らしさにはイノセントなジャズファンも満足させられるはずです。
 また当時は高校生だったと言われるゲイリー・ボイルのギターがオクターブ奏法から過激な早弾きまで、全く見事! 後年の大活躍を鑑みれば、我が国の渡辺香津美とイメージがダブってしまいますねぇ~♪
 そしてブライアン・オーガーの些か暑苦しボーカルが空回りしたような「Black Cat」はご愛敬かもしれませんが、オルガンのアドリブは地獄の炎! さらに一転してシンミリしたピアノが印象的な「Lament For Miss Baker」のビル・エバンスっぽい味わい深さも絶品だと思います。
 ただし「Goodbye Jungle Telegraph」は自意識過剰というか、妙なアフリカ趣味が??? 当時の流行だった新しいジャズの試みとしては秀逸かもしれませんが、フリーなサックスやフルートは……。
 
 B-1 Tramp
 B-2 Why
 B-3 A Kind Of Love In
 B-4 Break It Up
 B-5 Season Of The Witch / 魔女の季節

 さてB面は既に述べように、ジェリー・ドリスコールをメインにしたR&Bのロックジャズ的な展開が最高に楽しめます♪♪~♪
 まずは「Tramp」の熱いフィーリングにグッと惹きつけられ、ビックバンドをバックにした「Why」の気だるいムードが、エグ味の強い彼女のボーカルで煮詰められていく心地良さは、完全にヤミツキになるほどです。
 ただし続く「A Kind Of Love In」は大袈裟なオーケストラが??? まあ、これも当時の流行だったのかもしれませんねぇ……。シャーリー・バッシーでも意識したんでしょうか?
 しかし「Break It Up」のグルーヴィな歌いっぷり、強靭なトリニティの演奏とのコラボレーションには溜飲が下がります。スキャットボーカルによるピアノとのアドリブの応酬が痛快至極! 全く短いのが勿体無い! ブライアン・オーガーのピアノが低音打楽器奏法でゴリゴリと迫ってくれば、ジェリー・ドリスコールがエッジの鋭い唸りで応戦するという、実に最高の瞬間が楽しめますよ。
 さらにオーラスの「魔女の季節」はご存じ、サイケフォークのドノバンがオリジナルの名曲ですが、それをモダンジャズとサイケデリックブルースの美しき化学変化に仕上げた傑作バージョンが、これです♪♪~♪ 実際、この「魔女の季節」という素材は、当時のジャズロックやニューロックでも頻繁に演奏されていたわけですが、ここでのブライアン・オーガーのジャズを愛して、ニューロックも視野に入れた姿勢は特筆すべきだと思います。
 もちろんジェリー・ドリスコールも、気だるいセクシームードとグイノリのR&Bフィーリングを存分に活かした熱唱が眩いばかり!

ということで、これは個人的な愛聴盤ではありますが、最近は相当に多くの皆様にもファンがいらっしゃるはずと、推察しております。

ちなみにジェリー・ドリスコールは当時、歌手としては売れずにヤードバーズのファンクラブを手伝ったり、いろんなアルバイトをやっていたそうですが、やはり美貌と歌手としての才能は周囲が放っておくはずもなく、ブライアン・オーガーと組んだ巡業は苛烈を極めるほどの評判になります。

しかし、またそれゆえに芸能界的なあれこれも当然あったようで、トリニティとのコラボレーションはアルバムをもう1枚、それにシングル曲と未発表テイクを幾つか残した後、心身ともにボロボロになってリタイアしています……。

またブライアン・オーガーにしても、契約では自分のリーダーセッションのはずが、出来あがってみれば脇役扱いだったことから激怒! 結局、マネージャーのジョルジオ・ゴメルスキーに直談判の末に、次作のアルバムはジャズ色が極めて濃いセッションとなりました。

そして以降、ブライアン・オーガーは自己のバンドをメインにイギリスばかりでなく、アメリカでもブレイクしたというわけです。

最後になりましたが、このトリニティというバンドはドラムスもベースも、なかなか黒っぽい部分に加えて、ロック魂もなかなかイケてます。おまけに4ビートもシャープですし、最近の再評価は、それゆえかもしれません。

残念ながら、このバンドは1970年末には解散を余儀なくされ、ブライアン・オーガーは新たにオプリヴィオン・エクスプレスという、さらにジャズ寄りのグループを結成するのですが、そこでは些かロック風味が薄まってしまった印象もあることから、トリニティの存在感は私の中で尚更に大切なのでした。

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お~い、タンバリン屋さん

2009-06-28 09:37:12 | Byrds

Mr.Tambourine Man / The Byrds ( Columbia / 日本コロムビア)

告白すると、サイケおやじがビートルズよりも、そしてストーンズよりも先に好きなったのが、本日の主役たるザ・バーズでした。

良く知られているように、彼等の作りだすサウンドは「フォークロック」と呼ばれ、それはボブ・ディランが実践し始めた試みのバンド的な発展形でしたが、もちろん、その基本はビートルズを筆頭にしたイギリスのグループにありました。

つまりエレキギターとドラムスを主体とした強いビートが必須だったんですねぇ。

さらにザ・バーズが特徴的だったのは、そこに絶妙のコーラスワークを施したことでしょう。

さて、本日のご紹介は、そんなサイケおやじが初めて買ったザ・バーズのシングル盤で、もちろんこれは彼等のデビュー曲として、アメリカでは1965年初夏に大ヒット! そのまま日本でも8月頃には発売されていたという、当時としては最高にリアルタイムの扱いが、業界でのインパクトの強さを物語っていると思います。

そして私は夏休みも終わりの頃、ラジオで聴いた瞬間、ザ・バーズにシビレました!

まずイントロの強烈なギターの響きが鮮烈極まりなく、これは後で知ったことですが、エレキの12弦ギターを使用するキメは、ザ・バーズの音楽的なウリとなっていくのです。

また、キャッチーなメロディを歌う、全く気だるいコーラスワークと微妙にスパイスの効いたボーカルの味わいは、他のバンドや歌手には無かったものです。というか、サイケおやじは、そのメリハリが効いているのに、どこかモヤモヤしたミステリアスなところに惹きつけられたようです。

ちなみに当時のメンバーはロジャー・マッギン(vo,g)、ディヴィッド・クロスビー(vo,g)、ジーク・クラーク(vo.g,hca)、クリス・ヒルマン(b,vo)、マイク・クラーク(ds,vo) という5人組ですが、このシングル盤両面では演奏パートがスタジオミュージシャンによるものというのが定説になっています。なにしろマイク・クラークはザ・バーズに加入してから、初めてドラムスの練習をしたらしく……。

しかしメンバーは各々がザ・バーズ以前からフォークやカントリーの分野ではキャリアを積んでいたことから、コーラスワークやボーカリストとしての力量、さらに曲作りの才能には長けていました。

ただ、この大ヒットしたデビュー曲が、ご存じのとおり、ボブ・ディランのオリジナルとあって、ザ・バーズは以降もボブ・ディランとの繋がりや関連が切り離せないものとなるのです。

とは言え、このシングル盤のジャケット裏解説には「ボブ・ダイランの作品を歌っている」なんて書かれているのは、ご愛敬とばかりは言えません。昭和40(1965)年の我が国洋楽事情は、それが精々ですし、実際、このレコードにはメンバーの名前すら載っていないのですから!? しかも扱いは「コーラスグループ」なんですよっ!

つまり裏を返せば、それほど速攻に発売されたという証だと思うのです。

それともうひとつ、魚眼レンズを使ったジャケット写真が、少年時代のサイケおやじには強い印象を与えています。

ご存じのように、ザ・バーズは以降、フォークロックの旗手として活躍し、また相当に早くからサイケデリックの扉を開けた存在ですが、それはこのデビュー盤のジャケットから既に始まっていたというわけです。

おまけに訳詞を読んで妙に納得したのが、「もうろうとしている私のために、歌を聞かせてよ、私の死に行くところはないんだもの」なんていう、刹那的なところが、歌とコーラス、そして演奏でしっかりと表現されているんですねぇ~。これは齢を重ねるほどに、鮮明なメッセージとして心に響きます。まあ、本当の意味は別のところにもあるわけですが……。

ということで、自らのルーツを解き明かすうえでも、忘れられないシングル盤のひとつなんですが、それにしても小学生の頃から、こんな曲やグループが好きになるというサイケおやじの変態性には、自嘲するばかりです。

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青い影の究極

2009-06-27 11:11:27 | Rock

青い影 / Procol Harum (Darme / キングレコード)

「ロックの名曲ベスト100」なんていう企画には必ずや選ばれるであろう、最高のヒット曲が本日ご紹介のシングル盤です。

これは、もう、言わずもがなですよねっ♪

バッハのカンカータをベースにした白人R&Bの傑作として世界中のチャートでトップに輝いた傑作曲ですが、この元ネタには、もうひとつ、アメリカ南部系ソウルの黒人シンガーとして根強い人気が今もある、パーシー・スレッジの大ヒット「男が女を愛するとき / When A Man Loves A Woman (Atlantic)」が否定出来ません。

その曲がヒットしたのは1966年夏で、その狂おしいばかりの熱血ソウルに共感したカバーバージョンや後追い曲が続出したのは芸能界の掟でもあります。そしてイギリス活動する敏腕プロデューサーのデニー・コーデルが、ブロコル・ハルムという新鋭バンドを起用して作りだしたのが、この1967年の「青い影 / A Whiter Shade Of Pale」と書きたいところなんですが……。

実はプロコル・ハルムというバンドは、決してポッと出のグループではなく、その前身はピートルズの前座として有名なパラウンツでした。彼等はビートルズのマネージャーだったプライアン・エブスタインと契約し、ビートルズと同じレコード会社から数枚のシングル盤を出している実力派です。

ただし、その音楽性がイマイチ、統一感が無いというか、R&Bやフォークロックの煮え切らない折衷スタイル……。結局はブレイク出来ないままに解散しています。

で、そのパラマウンツのメンバーが横すべり的に結成したのがプロコル・ハルムというわけですが、そのキーマンが詩人のキース・リードであったと言われています。

ちなみに結成当初のプロコル・ハルムのメンバーはゲイリー・ブルッカー(vo,p)、マシュー・フィッシャー(org)、レイ・ロイヤー(g)、デイヴ・ナイツ(b)、ボビー・ハリスン(ds) という5人に加え、前述のキース・リードが曲作りに関わっているという、後年のキング・クリムゾンのような集団でした。

もちろん、この名曲は、その5人で録音されたものだと思われます。

イントロから厳かに鳴り響くオルガンがバッハのカンタータ第14番を弾き続け、そのコード進行を活かした即興的なボーカルメロディは、「男が女を愛するとき」のフェイクに近く、なによりも幻想的な歌詞と情熱的に黒っぽく、しかし虚無的なイメージも強い歌唱が、如何にもヨーロッパ的な味わいと絶妙に化学変化をしてしまった、筆舌に尽くし難い気持ち良さが、僅か4分間に集約されているのです。

特にサビのところでグウォ~~、と巻き起こるオルガンの響きは最高ですねぇ~♪

ただし、プロコル・ハルムの不幸は、この曲ばかりが大ヒットしてしまったことでしょう。

当然ながら、同じクラシック趣味のシングルヒットを義務づけられながら、しかしバンドは新しい世界への飛躍を目指してメンバーチェンジを行ったのですから、どちらが本当の姿か分からないのがファンの気持ちでした。

そして前身バンドのパラマウンツから、ロビン・トロワー(g) と B.J.ウィルソン(ds) という屈強なハードロック根性の2人が正式に移籍した後に制作された最初のアルバムには、当然ながら「青い影」が入っていません。

おそらくバンドの本性はR&Bだったと思われるのですが、それがあればこそ、デニー・コーデルも「男が女を愛するとき」の後追いを画策したのでしょうし、バンドが後年、「ジミヘンもどき」としか言えないロビン・トロワーのギターを全面に押し出したハードロック街道へと歩み出したのも、また必然でしょう。

しかし私も含めて、多くのファンは、この「青い影」の味わいが忘れられません。

もちろんバンドも、そのあたりを考慮して、例えば「月の光」とか、クラシック趣味が横溢した名曲を出してはいますが……。

結局、プロコル・ハルムは最初から終わっていたバンドといったら失礼なのは重々承知、決定的な究極のスタイルをデビュー時に完成させてしまった悲劇があるように感じます。

その所為でしょうか、「青い影」はコンサート終了後や映画館の客出しBGMにも使われることが多く、それがまたジャストミートなんですねぇ~。実際、その場の感動が余韻として強くなるというか……。

ちなみに、プロコル・ハルムのツインキーボード編成は当時としても異色でしたが、「青い影」が大ヒットして後にデビューしたザ・バンドが、やはりそうだったことも印象的です。しかもデビューアルバムには「怒りの涙 / Tears Of Rage」なんていう、「青い影」もどきの名曲までが入っているのですから!?

ということで、本日は始まりが終わりという、刹那的な結論なりました。

それにしても日本盤のジャケットは「赤い影」という感じですね。

暴言ご容赦願います。

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マイケルよ、安らかに

2009-06-26 11:48:22 | Soul

ベンのテーマ / Michael Jackson (Motown)

マイケル・ジャソクの急逝には吃驚仰天でしたねっ!

現在までのところ、死因は様々に取りざたされておりますが……。

故人は10歳でファミリー・グループのジャクソンファイブで正式デビュー、リードボーカリストとし圧倒的な天才性を発揮、さらにソロシンガーとしても皆様ご存じのとおり、驚異的な活躍を残しました。

さて、本日の1枚は1972年に出された映画「Ben」の主題歌として、マイケル・ジャクソン名義としては初めてチャートのトップにランクされた大ヒット曲! 落ちいたバラードながら、天才的なソウルフィーリングが全篇に横溢した名唱です。

ジャケットのネズミは映画の主役でご愛敬ですが、当時、13歳のマイケル・ジャクソンの達観したような表情も、なかなか印象的です。

私はマイケル・ジャクソンの素晴らしさは、スロー曲で最高に光ると思っているんですよ。

その意味で、もちろんクインシー・ジョーンズと組んだ大ヒットアルバム、その中のダンス系の名曲も凄いと思いますが、ほとんど新作を出さない最近の姿勢からして、何時の日かスローバラード集を出してくれるものと、信じていたのですが……。

衷心よりご冥福をお祈り致します。

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シンシア記念日

2009-06-25 10:57:00 | 歌謡曲

17才 / 南沙織 (CBSソニー)

6月25日はシンシア記念日♪♪~♪

なんて勝手に決めているのはサイケおやじだけですが、私は遥か昭和46(1971)年の今日、この南沙織のデビューシングル盤を買ったのです。

ご存じのように彼女は沖縄で生まれ育った日本人ですが、当時の沖縄は日本に返還される前のアメリカでしたし、そのフィリピーナ系のルックスからハーフだと信じられていました。そして、このシングル盤裏ジャケットに記載のプロフィールには鹿児島県の出身とされ、本名は内間明美、ニックネームはシンシア! とされたあたりも絶妙でしたねぇ。

それは如何にも芸能界的な思わせぶりの手法でもありましたし、長い黒髪と自然体で爽やかな佇まいは、同時代のポップス系女性歌手のほとんどが厚化粧にドギツイ付け睫毛だったことを鑑みれば、さらに印象的だったのです。

そして何よりもお姉さん系の歌手が多かった芸能界で、彼女は若かったということです。この年6月にデビューした時は本当に17歳直前だったんですよ! 今でこそ女性アイドル歌手やタレントは、それ以下の年齢デビューが当然になっていますが、当時は画期的♪♪~♪

ですから十代の日本男児が忽ち夢中になったのは言わずもがな、普段は歌謡曲を聴かないような硬派な者までもが、気になる女の子だったと思います。

そしてサイケおやじにしても、久しく買ったことの無かった歌謡曲をゲットさせられたわけですが、その楽曲は完全に「Rose Grden / Lynn Anderson (Columbia)」のモロパクリ! あぁ、こんなん、許されるのか!? とリアルタイムで痛感させられるほどにインパクトが大きく……。

ここで作者の筒美京平が凄いのは、元ネタよりも良い曲を書いてしまったことです。

そして南沙織がそれを歌う時、全くそんな事に拘っていないオープンな姿勢というか、開き直りとは異なる潔さが強い印象を与えてくれます。もちろん後に知ったことですが、彼女はデビューが決まる前のリハーサルやオーデションでは、前述の「Rose Grden」を歌っていたそうですから、いやはやなんとも……。

しかし南沙織が本当に凄かったのは、その芸能界における自分の立場を貫いていたことかもしれません。

ご存じのように、当時の所謂「三人娘」は彼女と天地真理、そして小柳ルミ子でしたが、大手の渡辺プロに所属の後者2人が芸能界王道の路線でテレビのバラエティやドラマ、さらには映画にも出演していたのに対し、南沙織は女優活動すら、ほとんどやっていませんでした。

どうやら嫌なものには、「嫌」という自己主張が強かったと言われています。

それゆえにテレビへの露出も歌番組がメインでしたから、人気に反比例して些か地味というか、シンプルな雰囲気が滲んでいたのも結果オーライ!

しかし当時の慣例だった夏は水着で歌うとか、芸能雑誌の付録ポスターではキワドイ衣装とかは、ちゃ~んとやっていたんですから、今の女性アイドルへの甘やかしとは別格です。そのあたりの姿勢は同姓にも共感されていたと思いますよ。

肝心の歌手としての南沙織ですが、その明るく前向きな歌声と妙に日本語的ではない発音が、洋楽を尚更に意識して書かれた歌謡ポップスにジャストミートしています。私が彼女の歌に惹かれたのも、そういう新しい洋楽フィーリングというか、従来の歌謡曲から一歩前進したところでした。

そしてもうひとつ、南沙織の真骨頂というか、マイナー感覚の節回しが出ると、声質までもが絶妙に湿り気を帯びた雰囲気に転化することだと思います。それゆえに歌謡フォーク系のヒット曲を連発していた時期にも、独特の個性は失われませんでした。

このあたりはアメリカンスクールで学んでいたという、当時としては眩しいほどにアメリカっぽい部分が我が国青少年には羨ましいほどの憧れに繋がっていた事実を無視しては語れません。同じ楽曲を日本本土で生まれ育った同世代の女性歌手が歌った場合の結果は、今更申し立てるまでもないと思います。

ということで、南沙織が私は好きです。

ご存じように彼女は学業に専念するために芸能界を引退したわけですが、有名写真家との結婚にしても、またそれ以前のスキャンダルやゴタゴタにしても、常に自然体を貫いていたように周囲から思われていたのは、羨ましくも流石でした。

今では神格化された歌手のひとりではありますが、私はリアルタイムの昭和46年の今日を大切にしつつ、等身大のアイドルの歌を聴いているのでした。

貰ったばかりの小遣いを握りしめるようにしてレコード屋へ走った、あの日が懐かしい♪♪~♪

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キャノンボールが笑顔の名盤

2009-06-24 12:36:56 | Jazz

The Things Are Getting Better / Cannonball Adderley (Riverside)

キャノンボール・アダレイの代表的な人気盤のひとつですが、やはり「全ては順調~♪」というアルバムタイトルに偽り無しの演奏、そしてジャケットに写る本人の笑顔が実に印象的ですよね。

連日のハードワークに些か疲れ気味のサイケおやじの願望が、ここにあるのは言わずもがなでしょうか……。

録音は1958年10月28日、メンバーはキャノンボール・アダレイ(as)、ミルト・ジャクソン(vib)、ウイントン・ケリー(p)、パーシー・ヒース(b)、アート・ブレイキー(ds) という、当時のジャズ界ではトップを競っていたマイルス・デイビスのセクステット、MJQ、そしてジャズメッセンジャーズが揃い踏みという絢爛豪華な大セッション♪♪~♪ もちろん内容も素晴らしいの一言に尽きます。

A-1 Blues Oriental
 タイトルどおり、ちょっとアジア風エスニックなテーマメロディには悪い予感もするのですが、そこは作者がミルト・ジャクソンとあって、アドリブパートはブルース味がひたすらに濃厚! 真っ黒な余韻がたまらないヴァイブラフォンの響きが、まず最高です。
 そしてキャノンボール・アダレイの大袈裟とも言えるアルトサックスの泣き叫びにしても、実はプッ太い音色とファンキーフレーズのビバップ的な展開を大切にしています。
 となれば、ウイントン・ケリーの粘っこい飛び跳ね節も「お約束」ですし、アート・ブレイキーの強靭なバックピート、さらに土台を固めるパーシー・ヒースの堅実な演奏も流石の味わいで、まさに人気アルバムの露払いとしては、これ以上はありえないと思います。

A-2 Things Are Getting Better
 そして続くのがゴスペルファンキーが極みのアルバムタイトル曲♪♪~♪ 最高のリズム隊によって作られるミディアムテンポの強力なグルーヴには、おもわず手拍子、足拍子、ですよっ! ミルト・ジャクソンのヴァイブラフォンが抑え気味なテーマの提示、それを熱く煮詰めていくキャノンボール・アダレイのアルトサックスも良い感じ♪♪~♪
 ですからアドリブパートの楽しさ、熱狂は保証付きの痛快さがゴキゲンです。
 あぁ、それにしても、ここでのアルトサックスの鳴りっぷりは凄すぎますねぇ~♪
 またミルト・ジャクソンのハードバップな躍動感は水を得た魚ですし、続くウイントン・ケリーのファンキーな味わい、そしてパーシー・ヒースの職人芸が好ましいペースソロ!
 全く間然することのない名演だと思います。

A-3 Serves Me Right
 一転して陰鬱な「泣き」のメロディが最高というスロ~バラードの世界ですが、これもまた参加メンバーにとっては薬籠中の名演が胸に迫ってきます。まずヘヴィなイントロのキメから天才的な歌心を披露するミルト・ジャクソンが実に良いですねぇ~♪
 そして繊細な節回しでテーマを吹奏するキャノンボール・アダレイの神妙なプレイも、侮れません。サビをキメるミルト・ジャクソンの上手さが、これまた絶品♪♪~♪
 ですからアドリブパートもこの2人がメインになるのですが、力強いリズム隊の働きも流石だと思いますし、全篇に横溢する気分はロンリーな味わいにシビレますよ。

A-4 Groovin' High
 ビバップの聖典曲に挑戦するバンドメンバーでは、やはりチャーリー・パーカーを意識せざるをえないキャノンボール・アダレイが大ハッスル! しかも自らの個性を失うどころから、逆に豪快なウネリと破天荒なファンキー節が炸裂した名演を聞かせてくれます。
 ただし、それゆえに些かの「軽さ」も否めません。
 このあたりはアルバム全体の中でも異質という感じなんですが……。
 それを普遍的なハードバップの王道にしているのが、ミルト・ジャクソンやウイントン・ケリーのマンネリ寸前というアドリブと言えば、贔屓の引き倒しでしょうねぇ。
 しかし、これが実に心地良いんですっ!
 ドラムスとベースのストライクゾーンど真ん中の4ビートも、この時代ならではの魅力だと思います。

B-1 The Sidewalks Of New York
 どうやらスタンダード曲のようですが、クレジットではアレンジがキャノンボール・アダレイということで、微妙なゴスペルムードを湛えたテーマのアンサンブルが素敵です。
 そしてアドリブパートでは、それを増幅していくミルト・ジャクソンのヴァイブラフォンがニクイばかりですし、キャノンボール・アダレイのアルトサックスが泣き叫ぶブレイクから突進していく勢いは絶品! グッと馬力を強くするリズム隊も恐ろしいばかりですよ♪♪~♪
 まさにこれがハードバップ! イェェェェェェ~~~!
 ハッと気がつくと、ジャズモードへどっぷり自分に怖くなるほどです。

B-2 Sounds For Sid
 キャノンボール・アダレイが書いたオリジナルのブルースですから、初っ端からの大袈裟なアルトサックスの泣き叫びも、決してクサイ芝居と言ってはなりません。
 続いて重厚なグルーヴを演出するパーシー・ヒースのペースワーク、さらに十八番の展開に歓喜のブルースフィーリングを発散させていくミルト・ジャクソンのヴァイブラフォンが、もう最高♪♪~♪ それに絡みつつ絶妙な伴奏を聞かせてくれるウイントン・ケリーにも嬉しくなります。
 そして当然、キャノンボール・アダレイがダーティなファンキーフレーズを駆使して綴るブルースな表現は、大袈裟との一言では片付けられないと思いますし、抑え気味のバックピートが逆に凄いというアート・ブレイキーのドラミングも秀逸でしょう。もちろん、ここぞっ、では怖いリックを敲いていますよ。

B-3 Just One Of Those Things
 さて、オーラスは有名スタンダードのハードバップ的解釈♪♪~♪ その典型が実に見事な快演になっています。まずはアップテンポながらヘヴィなグルーヴを提供するリズム隊が、やはり素晴らしいですねぇ~♪ アート・ブレイキーのシャープなキメとメリハリが特に強烈です。
 そしてアドリブ先発のミルト・ジャクソンが、まさに驚異的なノリでキャノンボール・アダレイへとバトンを渡せば、待ってましたの爆裂アルトサックスが豪放なフレーズを連発してくれますから、本当にたまりません。ウネリと鳴りっぷりも凄いですねぇ~♪
 さらにウイントン・ケリーが、これまたこちらの思っているとおりのスイングしまくったピアノを聞かせてくれますから、まさにハードバップの桃源郷ですよ。
 ラストテーマへと纏めていくバンドの一体感も最高だと思います。

ということで、駄演や捨て曲がひとつもない、名盤アルバムだと思いますし、これが日常的に行われていた当時の凄さは、ちょっと筆舌に尽くし難い感じですね。

歴史的にはキャノンボール・アダレイにしても傑作盤「イン・シカゴ」からマイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」を経て、ナット・アダレーとの兄弟バンド再結成へ向かう上昇期ですし、ハードバップというか、モダンジャズそれ自体が最高にヒップだった時代の記録として、至極当然の結果なのかもしれません。

それゆえに「聴かずに死ねるか!」の1枚だと思いますが、直接的にスピーカーに対峙しなくとも、自然にグッと惹きつけられる魅力満載の名盤が、これっ!

あぁ、本日も断言してしまったです……。

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フラー、クラーク&ヒューストン

2009-06-23 11:44:19 | Jazz

Bore & Bari / Curtis Fuller (Blue Note)

昨日、ちょっと書きましたカーティス・フラーのアルバムが本日ご紹介です。

そのタイトルどおり、トロンボーンとバリトンサックスによる低音の魅力が横溢したフロント陣、それを支えるリズム隊の繊細にしてハードエッジなグルーヴがたまらない、実に隠れた人気盤♪♪~♪

録音は1957年8月4日、メンバーはカーティス・フラー(tb)、テイト・ヒューストン(bs)、ソニー・クラーク(p)、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds) という、ハードバップど真ん中の人選が嬉しいところです。

A-1 Algonquin
 アップテンポの合奏からして、実にグルーヴィ! これぞブルーノートのサウンドが痛快すぎるマイナーブルースです。
 そしてアドリブ先発は作者のカーティス・フラーですから、魅惑のハスキートーンで調子の良いフレーズを吹きまくるのは「お約束」ですし、続くテイト・ヒューストンのバリトンサックスにしても、ツボを外さないギスギスした表現が流石です。
 さらにソニー・クラークが十八番の「ソニクラ節」しか出さないんですねぇ~~♪ もう、このあたりはハードバップ愛好者には、わかっちゃいるけど、やめられない世界でしょう。パッキングはもちろんのこと、アドリブソロでも冴えを聞かせるポール・チェンバース、ガッツ溢れるシンバルワークのアート・テイラーという役者の揃い踏みは、まさに当時の勢いだと思います。

A-2 Nita's Waltz
 これもカーティス・フラーのオリジナル曲で、タイトルどおりにワルツテンポの愛らしいメロディなんですが、やはり低音楽器のユニゾンで演じられては、些かのガサツな雰囲気が勿体無い……。
 しかしそれを見事に本来の味わいへと引き戻してくれるのが、ソニー・クラークのピアノです。とにかく泣き節のオンパレード♪♪~♪ せつないファンキーフレーズと小粋で真っ黒なピアノタッチにはゾクゾクして感涙させられますよ。
 そしてミディアムグルーヴの4ビートを最高にリードしていくドラムスとベースのコンビネーションも抜群ですから、カーティス・フラーのハートウォームなアドリブも冴えまくり♪♪~♪ 終盤を締めくくるポール・チェンバースのペースソロも意欲的です。

A-3 Bone & Bari
 アルバムタイトル曲は偽り無しというアップテンポの豪快なハードバップですが、ここでもソニー・クラークがテーマのサビ、そして先発のアドリブと大活躍! 実際、見事な「ソニクラ節」が徹頭徹尾、楽しめますよ♪♪~♪
 また、それを追撃して登場するテイト・ヒューストンのバリトンサックスが痛快至極! おそらくこの人はR&B系のプレイヤーだと思うのですが、アタックの強さよりもフレーズの流れや構成に拘った特徴が、場合によっては中途半端に聞こえてしまうように感じます。しかしそれがここでは結果オーライ! ハードバップしか念頭に無いという強靭なリズム隊との相性もバッチリです。
 となれば、リーダーのカーティス・フラーも大ハッスル! ホノボノとした春風の吹き流しのようでもあり、黒人街の埃っぽい土煙りのようでもある、その流麗にしてハスキーなフレーズの連なりは、まさにファンキ~~~♪

B-1 Hear & Soul
 原曲はホギー・カーマイケルが書いたホンワカメロディの人気曲ですから、まさにカーティス・フラーにはジャストミート♪♪~♪ しかもここではワンホーン演奏ですから、尚更にたまりません。
 快適なハードバップのスイング感も満点にテーマを楽しくフェイクしていくカーティス・フラーのトロンボーンは、これぞっ、真骨頂! 伸びやかな歌心が存分に味わえます。
 またソニー・クラークがイントロから絶妙の伴奏、さらにアドリブのファンキーな味わいが本当に絶品の名演です。しかもそれが重心の低いアート・テイラーのドラミング、そして躍動的なポール・チェンバースのペースワークと共謀関係にあるんですから、心底、モダンジャズの気分は最高♪♪~♪ 特にアート・テイラーのシンバルは、何時聴いても素晴らしい限りです。

B-2 Again
 これもスタンダード曲ですが、こちらはテイト・ヒューストンのバリトンサックスをメインにしたワンホーン演奏!? う~ん、このあたりはセッションが双頭リーダー作として企画されたということでしょうか。
 まあ、それはそれとして、ここでのテイト・ヒューストンは、じっくりとしたテンポで息の長いフレーズ、そして幾分モゴモゴした節回しが絶妙の味わいを醸し出すという、実に憎めないことをやってくれます。しかも意想外な歌心の発露というか、原曲メロディを巧みに活かしたアドリブフレーズが日々の演奏の中から生まれたとしたら、それこそがモダンジャズ全盛期の証かもしれません。
 もちろんソニー・クラークのピアノもしぶとく、ポール・チェンバースに至っては十八番のベースワークがツボをしっかりと刺激してくれますから、テイト・ヒューストンのラストテーマの吹奏が、ジンワリとした余韻となって残ります。

B-3 Pick Up
 さてオーラスは、いきなり激烈なテーマリフの合奏からテイト・ヒューストンのゴリ押しブローが飛び出します。さらにバックのリズム隊が過激に後押しすれば、要所で絡んでくるカーティス・フラーのトロンボーンがギトギトに脂っ濃い、ナイスな演出!
 ですからアドリブパートでのツッコミも激ヤバで、こんなアップテンポで演じられるところにハードバップの真髄が堪能出来ますよ。
 あぁ、ついついボリュームを上げてしまいますねぇ~~♪
 久しくジャズモードに入れなかったサイケおやじにしても、思わずイェェェェ~!
 キメのアタックも強いリズム隊は極めて自然体でありながら、しかしバンドが一丸となって突進していく意志の疎通も最高だと思います。

ということで、決してガイド本に掲載されるような歴史的な名盤ではありませんが、ハードバップとしては一級品! ちょっと聴きには、ありきたりという雰囲気も感じられるのですが、それはあまりにも贅沢な我儘です。実際、ここでの安定した出来栄えは、簡単には再現不可能でしょう。

ソニー・クラークも最高ですし、流石はブルーノートを痛感させる人気盤に偽り無し!

本日は、そう断言させていただきます。

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壱萬参千円のO.V.ライト

2009-06-22 11:23:06 | Soul

O.V.BOX / O.V.Wright (Back Beat / Pヴァイン)

いきなり壱萬参千円というシールに目が痛い!

しかし、このボックスには、それだけの価値が十分にあります!

というのが本日の結論です。

主役の O.V.ライトは南部系R&B、所謂サザンソウルの黒人歌手で、少年時代はゴスペルグループで歌い、1964年に俗世のシンガーとしてデビューしていますが、特に大きなヒットは出していません。というか、デビュー曲だった「That's How Strong My Love Is (Gold Wax)」にしてもオーテイス・レディングがカバーしたバージョンのほうが売れてしまったという不運もありました。

しかし、その実力は些かも劣るものではありません。

ただ、本人がマイナーレーベルに所属していた事に加え、悪いクスリでの懲役暮らしとか不摂生な生活というプライベートな問題が、その活動に影響していたと言われています。

そしてサイケおやじがこの素晴らしい歌手を知ったのは昭和53(1978)年で、なんと我が国で全盛期のLPアルバムが一気に5枚ほど発売されたのです。

私はアレサ・フランクリンやオーティス・レディングといったゴスペルルーツのソウルミュージックが大好きということは、これまで度々述べてきましたが、さりとて日本で聴けるサザンソウルのレコードは極めて少ないのが実情でした。

というのも、当時の黒人音楽の主流はオーティス・レディングの早世がきっかけになったかのように、ジェームス・ブラウンはファンク街道まっしぐらでしたし、アレサ・フランクリンにしてもロック風味が強くなり、またスライ・ストーンあたりの新興勢力に加えてモータウン一派にしても、所謂ニューソウルに突き進んでいたのです。

そしてサザンソウルは過去の遺物に転落したわけですが、どっこい、黒人音楽好きには、そのヒューマンな味わい、苦悩と涙と熱血を強く滲ませるボーカルやコーラスの魅力が忘れられられず、ですからマイナーな歌手やグループが掘り起こされるのは必然でした。

もちろんマニアの皆様には説明不要の O.V.ライトにしても、いきなり日本でブレイクしたのが夢のような出来事だったと思いますし、実際、サイケおやじが初めて聴いたアルバム「A Nickel And Nail And Ace Of Spades (Back Beat)」には、完全に後頭部を殴られたような衝撃がありました。

これは1972年に発売されたとする、今や黒人音楽の輝ける遺産ともいうべき大名盤ですが、それにしてもニューソウル全盛期のリアルタイムに、こんなハートウォームで深い魅力が横溢した黒人R&Bのボーカル作品があること自体、それは奇蹟としか言えません。

早速、私が O.V.ライトのレコードを集め始めたのも、また必然でした。

さて、本日ご紹介のボックスは、O.V.ライトのデビュー期から1976年ぐらいまでの録音を集大成した優れモノ♪♪~♪ CD5枚組で、しかもそれぞれが紙ジャケット仕様に加えて、貴重なボーナストラックも満載です。

 8 Man And 4 Women
 Nuckeus Of Soul
 A Nickel And Nail And Ace Of Spades
 Memphis Unlimited
 Treasured Moments - 45's Special Collection

収録は上記の5枚で、最後の「Treasured Moments」は日本編集の貴重演奏集♪♪~♪ まず、これが抜群に最高ですよっ! なにしろデビューシングルの「That's How Strong My Love Is」と、そのB面だった「There Goes My Used To Be」が聴けるだけで、壱萬参千円の価値があると断言します。なにせ、このオリジナルシングル盤の価格は天井知らず、ですからねぇ~。

実はこのボックス、今から20年ほど前にも我が国独占で発売されていますが、その時には前述の2曲が入っていませんでした。

ちなみにサイケおやじは、もちろんそのボックスは買っています。しかしアメリカの某コレクター氏からどうしても譲って欲しいと懇願され、カーティス・フラーの幻盤「ボーン・アンド・バリ (Blue Note)」のオリジナルと交換したという、実に夢のような出来事がありました。というのも、こんな再発は日本では何時でも買えるという気持ちがあったんですねぇ。

ところが現実は厳しく、そのボックスにしてもアッという間に完売しており、その後の再発状況にしても、単品アルバムすら、きちんと出ないのです。これには愕然とさせられました……。

そして昨日、出張帰りに立ち寄ったCD屋に鎮座していた、このボックスを発見! 勇んでゲットしてきたというわけです。

肝心の中身は前述の紙ジャケット仕様CDアルバムが5枚に外&内箱も凝った作りになっていますし、シングル発売だけでアルバム未収録の曲もがっちり纏めてあります。また別テイクや因縁付きのトラックも、親切な付属解説書がありますから、尚更に楽しめると思います。

気になるリマスターも素晴らしく、実は前回のボックスはCD移行初期段階ということもあって、些か物足りなかった音質が、今回は見事にディープソウルの魅力をストレートに伝えてくれると感じます。

個人的には、まずお宝集の「Treasured Moments」に夢中ですね。前述したデビューシングルの両面2曲を筆頭に、ヘヴィなブルースの「Fed Up With The Blues」、熱気が迸る「Treasured Moments」、思わずノケ反る「Heartaches, Heartaches」の泣き落とし、ガサツなグルーヴと魂のボーカルが心に響く「What About You」、そしてガツンガツンに突っ込んでいく「What Did You Tell This Girl Of Mine」と続く、ド頭からの7連発で完全に悶絶されられますよ。

これらは何れも1967年に世に出た名曲・熱唱ですが、その力強くて、しなやかなバックの演奏は、おそらくロイアル・レコーディング・スタジオの所謂ハイ・リズム・セクションがメインで担当しているものと思われます。当然、管楽器はメンフィス・ホーンですよね♪♪~♪

あぁ、何度聴いても最高です!

また、その他の4枚にしても、アナログ盤時代からお馴染みのアルバムになっていますが、特に前述した「A Nickel And Nail And Ace Of Spades」は、ウルトラ級の大名盤だと思いますし、さらに滋味あふれる表現に徹した「Memphis Unlimited」も、やはり手元に置きたい名作でしょう。

ちなみに「8 Man And 4 Women」は2作目のアルバムとされていますが、オリジナル原盤はデビューアルバムの「Only For Tonight」と収録曲の重複があったらしく、ここではそれを上手く併せた編集にしてあるそうです。

そして「Nuckeus Of Soul」はシングル曲中心のプログラムゆえに、ボーナストラックも充実♪♪~♪ 個人的には、O.V.ライトの調子も含めて、些かバラケタ雰囲気に感じられますが、やはり聴く度にシビレるのは必定!

ということで、ジャケットの作りも嬉しいですし、リマスターも秀逸ですから、黒人音楽好きの皆様には、ぜひともゲットしていただきたい逸品です。

最後になりましたが、O.V.ライトは昭和54(1979)年に来日公演があり、私は行けなかったことを今でも悔やんでいます。なんと、翌年には41歳の若さで天国へと召されたのですから……。

そして私は、今朝もこの箱を拝んでいるのでした。

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日本語ロックだぜっ、ロウダウン!

2009-06-21 11:33:56 | Rock

ロウダウン / Chicago (CBSソニー)

1970年頃からの数年、「日本語のロック」なんていう論争がありました。

これは我が国のロック系ミュージャンやファンの間で、ロックは英語で歌うのが本筋、日本語はロックのビートには馴染まないし、だいたい海外で通用しない! なんていうのが概ねの論調でした。

しかし裏側には、この頃から歌謡曲と同じくらいウケまくっていたフォークのブームがあったことは否めません。現に内田裕也あたりは、フォークばっかり売れるのに憤っていたほどです。

もちろん「はっぴいえんど」にしても、今日の評価なんてウソのような売れないバンドだったんですよ。リアルタイムでは岡林信康のバックで、ちょっと知られていたぐらいです。

まあ、今となっては笑ってしまう皆様が大勢いらっしゃるでしょうねぇ。こんな論争に結論が出ないうちから外道やキャロルといった日本語のロックバンドが人気を集めていますし、キヨシローや佐野元春は自分の詩の世界を見事にロック化していますから。

しかし当時は、けっこうマジだったんですよ。

サイケおやじにしても、高校時代は学校にあった同好会に入れてもらってバンド活動をやっていたんですが、リードボーカルの上級生Tさんは岡林信康に影響されたのか、やたらに日本語のロックを歌いたがり、しかしバンドの中心だったベーシストの上級生Wさんは、英語の歌に拘っていました。

で、近づく発表会を前に、演目を決める時には口論に近いミーティングになったんですが、そこで私が持ち出したのが本日ご紹介のシングル盤でした。

「あの……、シカゴが日本語の歌、出してますけど……」
「おぉ! それっ、それ、いこう!」

と忽ちTさんは大乗り気で、Wさんも渋い顔……。後に、「お前、余計なこと言うんじゃないよっ」なんて、がっちり怒られました。

とはいえ、演奏パートでは間奏のギターソロがワウワウを使うので難しいのを除けば、なんとかなる感じでした。イントロは簡単なギターカッティングだし、オルガンのキメも親しみやすく、肝心のボーカルも日本語でしたからねぇ~♪ しかも蠢くベースはWさんの得意技!

ちなみにこの曲は、ご存じ、ブラスロックの王様として当時は日本でも大人気だったシカゴというアメリカの7人組が1971年春にシングル盤として発売し、既に本国ではスマッシュヒット! そしてそれを受けて我が国では来日記念盤として、わざわざ北山修に訳詞を頼んで作った日本語バージョンを出してしまうのですから、シカゴは本当に凄かったです。

というよりも、実はシカゴは「長い夜」でも述べたとおり、発表するアルバムがここまで、いずれも2枚組とあって、我が国では買えないファンが実に多く、それゆえにカッコイイ楽曲のシングル盤が尚更に人気を集めていたのです。もちろんこれも、彼等の3作目の2枚組アルバム「Chicago Ⅲ (Columbia)」からのカットでした。

う~ん、それにしても日本語バージョンとはねぇ~~~。リアルタイムでは、どう対処していいのか戸惑っていたのが、サイケおやじの偽らざる心境でした。

だって北山修は、あのフォーククルセダーズで活躍し、以降も作詞家として「戦争を知らない子供たち / ジローズ」とか「風 / シューベルツ」等々、多くの歌謡フォーク系のヒットを飛ばしていましたし、深夜放送のDJとしても広く人気があったという、極めてロックしていない人だと、私には思えたのです。それが……。

あと、海外の歌手が日本語で歌うことについては、例えばペギー・マーチやジョニー・ティロットソンあたりが有名でしょう。しかし、そういう人たちは大衆ポップス路線の歌手であり、シカゴのようにバリバリに政治へ介入するようなメッセージ性を含む、当時は反体制の旗頭ともいえるバンドが、こんな媚びたことをするなんて……。

という気持ちの整理がつかぬまま、言いだしっぺのサイケおやじが中古屋で買ってきたのが、このシングル盤というわけです。もちろん内容は既成の演奏パートを活かし、ボーカルだけが日本語という珍品ですよ。

しかし冷静に聴くと、リードボーカルのピーター・セテラも、またコーラスのロバート・ラムやテリー・キャスも、なかなか日本語のニュアンスを上手く掴んでいます。そして見事にロックビートに乗せているんですねぇ~~♪ これには、ちょっと目からウロコでした。

さて、気になる私達のバンド演奏ですが、ギターソロのパートはベースのWさんが易しく、それらしく作り直してくれましたし、ブラスのバートも同様に、合同演奏のブラバンにお願いして、なんとか体裁をつけました。

そして結論からいうと、その発表会のコンサートはブラバンやフォークと合同だった所為もあるでしょうが、ウケなかったですねぇ……。当時のロックバンドなんて、そんなもんですよ。逆にフォークのグループは吉田拓郎とか森山良子とか歌っていました。

最後に日本語のロックについて、私はタイガースの「シーサイド・バウンド」とかスパイダースの「バン・バン・バン」が、どうして評価されないのか不思議です。確かにグループサウンズはヒットシングルとして歌謡曲をやっていますが、ちゃんとロックしていたように思うのでした。

その意味で、この「ロウダウン」は、尚更に忘れられないシングル盤です。ちなみにアメリカ仕様と同じ英語バージョンが日本で発売されたのは、このシングルがヒットして以降ということを付け加えておきます。

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