OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

素直にノッテケッ!

2011-07-31 17:20:58 | Rock

太陽の彼方に / The Astronauts (RCA / 日本ビクター)

またまた自然の猛威による強烈な大雨被害、そして天候不順による猛暑と冷夏のクイックチェンジには不気味なものを感じてしまいますが……。

やっぱり夏は暑いのが本当ですし、いよいよ明日からは8月ということで、今日はミエミエのシングル盤を出してみました。

ご存じ、日本の音楽シーンを変革させるきっかけともなった歴史的演奏が、このアストロノウツのインスト曲「太陽の彼方に / Movin'」で、それは説明不要、つまりは昭和元禄のエレキブームは、ここから火がついたんですねぇ~~♪

とにかく痛快なロックビートと単純明快なメロディの繰り返しが、ツインリバーブを多用したギターアンサンブルで演じられる時、それは何故か日本人の琴線に触れまくった現実となったわけです。

そして忽ちの大ヒットから、日本語の歌詞をつけたカパー物として藤本好一のバージョンも負けないほどに売れましたから、これが我国の夏の風物詩として無くてはならないものになりましたですね♪♪~♪

ということで、本日は短いお話になりましたが、しつこさも夏にはお邪魔虫でしょう。

とりあえず、ノッテケ、ノッテケ♪♪~♪

でしょうねぇ~、日本の夏はっ!

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これで目覚めたエルヴィスの凄さ

2011-07-30 16:45:50 | Rock

明日への願い / Elvis Presley (RCA / 日本ビクター)

エルヴィス・プレスリーが大ブレイクした時の騒ぎは、どんなだったでしょう。

例えば後にビートルズがアメリカに上陸した時、あるいはマイケル・ジャクソンの劇的な人生と比較して、それはサイケおやじが生まれた頃の話ですから、実際のインパクトの大きさは推察の域を出ませんが、エルヴィス・プレスリーが登場しなければ、ロックなんていう音楽は決して定着するものではなかったと思います。

しかしサイケおやじが本格的に洋楽に目覚めた頃、エルヴィス・プレスリーはスクリーンの中のスタアであり、街角に貼られるポスターや映画館の大看板に登場する事が第一義であって、偉大なる歌手としての凄さは全く分っていませんでした。

つまりサイケおやじの中では、小林旭とか加山雄三あたりと同列の受け取り方だったのです。もちろん小林旭も加山雄三も素晴らしい才能の持ち主ですし、私は大好きですが、エルヴィス・プレスリーの凄さは別格です。愚かにも当時の私はそれに気づいていおらず……。

ですから、昭和45(1970)年1月3日の午後4時から「エルビス・プレスリーのすべて」のタイトルで放送された、所謂「カムバック・スペシャル」というテレビ特別番組にしても、リアルタイムで中学生だったサイケおやじは漫然と接していただけで、率直に言うと、古臭~ぇなぁ……、というのがその時の印象でした。

ちなみに当時の日本の洋楽事情は、ビートルズが何でも一番という状況が続いていましたし、男性歌手ではスコット・ウオーカーという、今では知っている人、覚えている人のほうが珍しいという白人が一番人気でした。その他ではストーンズ、ドアーズ、ジミヘン、ナンシー・シナトラあたりの人気が高く、そこへレッド・ツェッペリン、ブラインド・フェイス、CCR等々のニューロック勢がジリジリと注目を集めていましたから、サイケおやじの世代では、失礼ながらエルヴィス・プレスリーは完全に忘れられたというよりも、最初からミュージシャンとして認識されていなかったのではないでしょうか……?

こうして時が流れました。

洋楽もサイケデリック~ハードロック、さらにプログレを経て、何時しかシンガーソングライターやスワンプロック等が流行る時代となり、サイケおやじもロックばかりではなく、ジャズやソウル、ブルース等々の黒人音楽を知るようになりました。そしてその流れの中で、遅ればせながらエルヴィス・プレスリーに邂逅し、その凄みに圧倒されたのですが、目覚めさせられた曲は本日ご紹介のシングル盤A面収録で、前述「カムバック・スペシャル」でもハイライトを成していた「明日への願い / If I Can Dream」でした。

実は件のテレビ特別番組がアメリカで制作放送されたのは1968年の事で、視聴率は脅威の70.2%! この大成功により、再び歌手としての素晴らしい活動が優先されていったことから、それを今日では「カムバック・スペシャル」と通称しているのです。

そして、このシングル曲「明日への願い」こそが、その象徴ともいうべき傑作で、ゆったりした中にも粘っこい黒っぽさが、まさにエルヴィス・プレスリーの真骨頂! これぞっ、ブルーアイドソウルであり、些か気恥ずかしい部分さえあるメッセージソングを説得力抜群に歌いあげるボーカルの力は絶大!

 きっとどこかに
 もっと明るく灯る光があるはず

 兄弟たちが手に手をとって
 歩める場所を夢見ることが出来るなら
 教えて、何故、あぁ、何故、何故に
 僕の夢は叶わない、何故なんだ平和と思いやりも
 世の中、時には必要なんだ

 どしゃぶりの雨にうたれながら
 痛みだらけの世の中に
 捕らえられているけれど
 人間、夢見る力が
 どこかに残っている限り
 魂を解き放ち飛ぴ立てる心のずっと奥深く

 夢見られるうちに
 どうか夢を叶えてほしい
 ああ、今すぐに
 今すぐに叶えてほしい

この曲がレコーディングされたのは1968年6月で、つまりはアメリカが泥沼のベトナム戦争で苦しみ、また国内事情も人種差別等々から混迷していた時期でしたから、反体制はロックばかりではなく、世の中の流れだったと思います。

そんな中にあって、デビュー当時は反逆の旗頭であったエルヴィス・プレスリーが愛国者の模範青年であったのが1960年代だった事実は否めません。

それが職業作家の作品でありながら、堂々の自己主張を歌ってくれるのですから、流石ですねぇ~~。

皆様良くご存知のとおり、エルヴィス・プレスリーは1954年7月、メンフィスのサンレコードという小さな会社からデビュー! 忽ち南部で人気を集め、翌年にはメジャーのRCAに移籍して大ヒットを連発し、世界中をロックンロールの熱狂に巻き込みましたが、それは単に音楽的な部分だけでなく、白人と黒人の人種と文化の混合というような社会的、そして歴史的に大きな意味のある出来事でした。

もちろんロックンロールはエルヴィス・プレスリーが発明したものではありませんが、この天才歌手がいなければ、それは単に黒人文化を搾取した白人の金儲け音楽で終わっていたと思われます。

そこでエルヴィス・プレスリーの魅力とはなんでしょう?

多くの素晴らしい事象がありますが、サイケおやじは全てを超越した「歌の力」だと思っています。

ご存知のようにはエルヴィス・プレスリーは自分ではほとんど曲を作りませんし、他人の十八番・持ち歌を沢山レパートリーにしています。しかしそれらは人種や肌の色、文化の違いを超えて、エルヴィス・プレスリーが歌うと間違いなく最良のものになってしまうのです。この抜群の歌の上手さ、ディープで力強く、神聖な歌の世界!

スタジオで綿密に練り上げられたポップスも、ライブでの長いギターソロも、エルヴィス・プレスリーが歌うワンフレーズの前には簡単にひれ伏してしまうのです。

そして繰り返しますが、もしもエルヴィス・プレスリーが登場しなかったら、音楽だけでなく、今日の世界文化も間違いなく別のものになっていたはずと思います。

このあたりの事について、到底サイケおやじには書き尽くせるものではありません。いくら文章で書いたところで、エルヴィス・プレスリーの「歌の力」の前には無力なのですから!

ということで、これまでの屁理屈なんか、この「明日への願い」を1回聴けば、本当の戯言にすぎないことが明白です。

失礼致しました。

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ジャッキー・デシャノンに恋をする

2011-07-29 19:15:44 | Singer Song Writer

恋をあなたに / Jackie DeShannon (Imperial / 東芝)

この綺麗なお姉様はジャッキー・デシャノンという、元祖シンガーソングライターのひとりです。

その活動歴の中の最初の成功は1961年、ブレンダ・リーの大ヒット曲「Dum Dum」を作った事で注目されたのですが、歌手としては既に幾つかのグループや自己名義でのレコーディングをやっていながら、泣かず飛ばず……。

ところが1964年頃からのブリティッシュビートの大ブームの最中、彼女が書いた「ピンと針 / Needles And Pins」や「ウォーク・イン・ザ・ルーム / When You Walk In The Room」がサーチャーズによってメガヒット!

もちろん、それらの歌にしても、既に彼女の自作自演バージョンがありながらの現実ですから、些か皮肉な運命というべきでしょうか。率直に言って、なにかそれによって彼女はソングライターとしては一流である反面、歌手としては二流以下というイメージが定着してしまった感さえあります。

しかし実際に残された音源を聴いてみれば、初期の頃は如何にもビートポップスにぴったりのパンチの効いた歌いっぷりが、好き嫌いはあるにしても、なかなか魅力的じゃないでしょうか。

また1960年代中頃からは幾分落ち着いた節回しを用いながら、特有の強い声質を活かす歌唱法を確立したように思います。

それは1965年に出したバート・バカラック&ハル・デイヴィッドの代表作「愛を求めて / What The World  Needs Now Is Love」を自身初の大ヒットにしたことでも証明され、以降は定番ハリウッドポップスから流行のフォークロック、さらにはスワンプロック的な歌までも出していくのですが、彼女の魅力のひとつは、ルックスとはミスマッチするエグ味の強いボーカルかもしれません。

さて、そんなジャッキー・デシャノンにサイケおやじが惹かれたのは、例によって洋楽雑誌のグラビアからの一目惚れというか、恥ずかしながら年上の素敵なお姉様が大好きという、健全な青少年にはあるまじき性癖の表れで、今となっては悪いムシが出たというところです。

そして幸運にもその頃、本日掲載のシングル盤A面曲「恋をあなたに / Put A Little Love In Your Heat」をラジオで聴けた瞬間、ついていくしかないっ!

本当にそう確信させられるインパクトがありましたですねぇ~~♪

なにしろ当時のポップスとしては異例とも思えるヘヴィでソウルフルなバックの演奏はニューソウル的でもあり、ストリングスやブラスの使い方は分厚く、また絶妙のスパイスとなっているパーカッションの存在、そしてコーラスのゴスペルっぽさも格別ですから、これは所謂ブルーアイドソウルの傑作♪♪~♪

もちろん彼女の歌い回しはなかなか黒っぽく、それでいて脂ぎっていないのは流石ではありますが、裏を返せば、白人美女がやってくれたこその魅力があるんじゃないでしょうか。当然ながら曲作りには彼女自らが関わっています。

と言うことで、これが1969年の出来事でありました。

そして以降、ジャッキー・デシャノンという名前と存在を意識するようになり、すると前述したサーチャーズのヒット曲をはじめ、自分のお気に入りの歌の幾つかが彼女の作品という事実を知るようになったのです。

ただし実際にレコードを集めるようになったのは、しばらく後の事であり、それは経済的な理由もありましたが、何を買っていいのか分からなかったのが本当ですし、頼りの中古盤屋にも、ジャッキー・デシャノンのレコードはそれほど出回りませんでしたから、つまりは日本じゃ売れていなかったのでしょう。

今日では、それなりに復刻も進んでいるようですし、特にベスト盤CDの体裁ながら未発表曲&テイクも入った優れ物も出ていますから、機会があればお楽しみ下さいませ。

繰り返しますが、好き嫌いは絶対にあるでしょう。

それゆえに好きになったら命がけという恋愛(?)も出来るというものです。

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リトル・フィートの分からなさも魅力

2011-07-28 16:04:19 | Rock

Dixie Chicken / Little Feat (Warner Bros.)

世の中には真相真偽が分からなくとも、なんだか凄~~いっ!

そう認めざるをえないものが確かに存在しています。

例えば本日ご紹介のLPも、サイケおやじにとってはそうした中の1枚で、今ではロックの名盤選には必ずや入る傑作ではありますが、発売された1973年当時、これをすんなりと受け入れられたロックファンはどのくらい……?

実はサイケおやじがこのアルバムを買ったのは、その1973年末で、某デパートの輸入盤セールだったんですが、それにしたって運命的な出会いがあった前作「セイリン・シューズ」を気に入っていたからです。

ところが、この「ディキシー・チキン」は「セイリン・シューズ」と何か根本から違っていたというか、とにかく全篇で演じられリズムとビートが通常のロックの観念から大きく外れている感じで、極言すれば「合っていない」し、「撚れている」感じなんですねぇ。

これは「セイリン・シューズ」が、まさにスマートでダイナミックというロック王道のアプローチを聞かせていた事を鑑みれば、あまりにもヘンテコリン……???

つまり、当時のサイケおやじの感覚では、どこかしらイライラさせられるところが多く、しかしそれでいて妙にスリリングで不思議と気持良い瞬間も提供されるんですから、本当に分からないけど、これは凄いんじゃないかなぁ~、と思う他はありませんでした。

 A-1 Dixie Chicken
 A-2 Two Trains
 A-3 Roll Um Easy
 A-4 On Your Way Down
 A-5 Kiss It Off
 B-1 Fool Yourself
 B-2 Walkin' All Night
 B-3 Fat Man In The Bathtub
 B-4 Jullette
 B-5 Lafayette Rallroad

まずA面ド頭の「Dixie Chicken」からして、曲調は所謂ホンキートンクスタイルのピアノを全面に出し、しなやかで強靭なスライドギターが絶妙の合の手と彩りを添えるという、実に楽しい歌と演奏なんですが、その根底を形作るビートがロックでも無し、ソウルでも無し……。あえて言えばジャズの原型のようでもあり、また中南米からの陽気なリズムも入っているような……。

う~ん、なんと申しましょうか、今でこそ「暗黙の了解」で全体を俯瞰しながら楽しめるグルーヴも、サイケおやじのリアルタイムの感覚では、ついていけないものがありましたですねぇ。

しかし、そんな中にも女性中心のバックコーラスが完全にスワンプロックだったことが例によって特有の熱気を撒き散らしますから、これがクセになるのも、また事実でした。

そこでようやくジャケット裏のクレジットを仔細に確認すると、なんとリトル・フィートそのものがバンド編成を変えた6人組に!?!? それは公式デビュー当初の4人組からベースのロイ・エストラーダが抜け、ローウェル・ジョージ(vo,g)、ビル・ペイン(key,vo)、リッチー・ヘイワード(ds) のオリジナルメンバーに加えて、ポール・バレール(vo,g)、ケニー・グラドニー(b)、サム・クレイトン(per) が新たに入っています。

また前述した女性コーラス隊は、もちろんレコーディングセッション用の助っ人ではありますが、デラニー&ポニーのボニー・ブラムレット、ブルース姐御のボニー・レイット、後にはマーク・ボランの夫人となるグロリア・ジョーンズ等々の芯の強い個性派が揃っていますから、ゴスペル&ソウルフルな盛り上がりは「お約束」以上のものになったのも納得でした。

ちなみに新参加メンバーとなったケニー・グラドニーとサム・クレイトンの2人は当時のデラニー&ポニーのサポートバンドで働いていたとか! 後に知ったところでは、このアルバム制作前後のリトル・フィートは全く売れておらず、ほとんどバンド活動が出来ないままにメンバーは様々なスタジオセッションや有名歌手のツアーグループに参加する事で生計を立てていたらしく、そんな境遇の中にあってボニー・ブラムレットやボニー・レイットはリトルフィートの理解者であったと言われています。そしてデラニー&ポニーが離婚からグループ解散に至った時、ケニー・グラドニーとサム・クレイトンが新編成されたリトル・フィートに参加出来たのも、そうした流れかもしれません。

さて、そこで既に述べたような新リトル・フィートの「捻じれたグルーヴ」の元ネタは何か!?

実はこのアルバムを聴く前のサイケおやじは、既に同種の変態(?)ロックビートに接しており、それは「Jumpin' Jack Flash」から続くストーンズのスワンプロック路線諸作であったり、ライ・クーダーデビューアルバムやザ・バンドの「カフーツ」あたりに顕著な、所謂アメリカ南部の風土に根差したR&Bの白人的解釈!?

それは今日、「ニューオリンズR&B」の影響云々と簡単に述べられるようですが、リアルタイムの日本では、そんな事に気がついていたのは極一部の音楽マニアだったと思います。

しかし演奏者各々が自らの信ずるところによって独自のシンコペイションを追求し、バンド全体でポリリズムを作り上げていく手法は、明らかにジャズの源流と無関係ではないと思います。例えばニューオリンズジャズと呼ばれる集団即興演奏を聞かせてくれるグループは例外なく、それじゃないでしょうか。

そして、ひとつの方向性を統一していく過程で形成されたのがスイングやモダンと称される基本的なジャズのスタイルだとしたら、もうひとつニューオリンズで作られていた黒人R&Bにも、ダンスミュージックとしての利用価値と同等の意図的にシンコペイトされた大衆音楽があって当然!?!?

と、そんなこんなは、どこまで書いても後付けでしかありませんが、続く「Two Trains」の所謂ファンキーグルーヴは、それまでに聴いていたグラント・グリーンのソウルジャズ物とか、あるいは同時代に作られていたジャズファンク系の演奏に共通したノリがあって、いゃ~~、実に気持が良くなってしまいましたですよ♪♪~♪ 実際、飛び跳ねるビートの快感と猥雑なボーカル&コーラスに絡みまくるスライドギター、さらには浮遊感満点のエレピと低い重心で蠢くベース、そしてチャカポコリズムのパーカッション! 当然ながらドラムスもビシバシですから、本当にたまりません♪♪~♪

こうしてすっかりノセられてしまったサイケおやじが、再びグッと惹きつられたのがスローでフォーキーな「Roll Um Easy」で、アコースティックギターとエレキスライドに彩られた哀愁の歌は、ちょうどストーンズが畢生の名盤「ベガーズ・バンケット」で演じた「No Expectations」に一脈通じる名曲名演だと思います。

う~ん、ここまでの冒頭三連発で、全く正体不明の快さに酔わされることは必定!

ただし既に述べたように、なにか非常に捻じれているというか、如何にもストレートなロック的醍醐味が薄いのは否定しようもありません。

つまり当時の流行ど真ん中だった、叩きつけるようなハードロックの魅力もなく、あるいはサザンロック的なダイナミックなウネリも感じられず、それでいてシンプルなソウルっぽさや素直にウキウキするような情熱も表出していないことは、その頃の洋楽では珍しい部類じゃなかったでしょうか。

ところが聴くほどにミョウチキリンな魅力の虜になるのは、何故!?

そうした疑問を打ち消すことが出来なかったのが、サイケおやじの偽りのない気持でしたから、もっさりしたスワンプロックの如き「On Your Way Down」が未だ素顔を見せない感じだったり、インド系パーカッションが不気味な雰囲気を醸し出す「Kiss It Off」がエキセントリックなフォークソングでありながら、シンセや変態オルガンがプログレしてしまうのは本当に気持が悪く、しかしローウェル・ジョージのリードボーカルが表現する哀愁と信念に満ちた諦観のようなものは、強く印象に残ると思います。

するとA面のここまでの流れは、なんとっ! もう一回聴きたくなるほどに完璧だと思わざるをえないんですねぇ~~~♪

しかし意を決してB面に針を落とせば、これまたずっしり重いビートに支えられたフォークロックのスワンプ的な解釈が冴えまくりという「Fool Yourself」、ほとんどフェィセズ調の「Walkin' All Night」、ズレまくりのビートとリズムが後に知るセカンドラインというニューオリンズ伝来の手法を用いた「Fat Man In The Bathtub」の変態性が、これはこれでA面と立派な対をなす構成かもしれません。

特に「Fat Man In The Bathtub」は、ギターのオカズ風リフをコピーして気がつくんですが、意図的にシンコペイトするのは非常に難しいはずが、結果的に下手くそがイモってやった偶然の産物を計算ずくで演じたような凄さがあるんですよねぇ~。これはバンド全員に共通した認識として、見事過ぎる全体のグルーヴが大成功の名演じゃないでしょうか。

本当に凄いと思います!

そして、またまたシンコペイションの連続技がフュージョンロックになっている「Jullette」の恐ろしさ!

さらにオーラスのインスト曲「Lafayette Rallroad」では、それがイヤミ無く継承され、スライドギターの魔法が存分に味わえるんですから、このあたりで鈴木茂やキャラメル・ママを聴きたくなっても、それは正解です。

なにしろ彼等の同時期のレコーディングには、リトルフィートの面々が全面参加したものが立派に存在しているのですからっ!

ということで、商業的には決して成功したとは言い難いアルバムですが、評論家の先生方にはウケが良く、もちろんミュージシャン仲間からも絶大な支持を得た事により、これは永遠の名盤に……。

しかし、一般の音楽ファンがシビれるには、リアルタイムの感性が追いつかなかったんじゃないでしょうか。

もちろんサイケおやじも既に述べとおり、分からないけれど凄いし、実際に気持良いという結論にしか到達出来なかったわけですが、それでも音楽は文字通り、聴いて気分が楽しくなれば、理屈はどうでもOK♪♪~♪

スライドギターがしなやかに唸り、ピアノが飛び跳ね、オルガンが呻いて、エレピが浮遊し、ベースが蠢き、ドラムスがビシバシのキメを入れ、さらにパーカッションがチャカポコやってくれる演奏と熱気が滲んでくるコーラス&ボーカルの味わいこそが、この頃のリトル・フィートの好ましさでした。

ご存じのとおり、以降のリトル・フィートはフュージョンに傾斜し、ますますの成功を収めるのですが、その道行きの中で、このアルバムこそが独得の個性を打ち出した唯一無二の作品だと思います。

そして個人的には永遠に飽きない1枚になりました。

愛聴盤にはミステリアスな部分も必要なのかもしれませんねぇ。

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なんだかわからん

2011-07-27 14:41:29 | Weblog

とにかく臨時出張で隣国に来ています。

日帰りなのが嬉しくもツライような気分……。

仕事もゴッタ煮ですが、最近のこの国の人達は、やたらに日本人に迎合するねぇ。

以前の民族的誇りが強かった頃の方が、やりやすいと思うのはサイケおやじだけ……?

ちょいと運気が落ち気味なのを感じています。

失礼致しました。

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現状打破を願いつつ

2011-07-26 15:41:49 | Weblog

仕事で身動きがとれなくなりました……。

結論の出ない会議をやっていると、今の内閣の面々の苦渋がわかるような気がします。

と言っても、自分達は決してあきらめていないのですが!

そんなこんなで、本日の1枚は休載、ご理解願います。

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真夏のダンスに Heat Wave !

2011-07-25 15:31:17 | Soul

Heat Wave / Martha & The Vandellas (Gordy / 日本ビクター)

これまでも度々述べてきたとおり、サイケおやじはブルースやR&Bといった黒人音楽の素敵な楽曲は、そのほとんどを所謂1960年代ロックから教えられました。

例えば本日ご紹介のシングル曲「Heat Wave」にしても、オリジナルはマーサ&バンデラスが1963年夏から秋にかけて全米はもちろんの事、世界中で大ヒットさせたノーザンピートの傑作というのが歴史ではありますが、これがリアルタイムの日本で流行っていたという認識が、何故か、サイケおやじにはありません。

しかし、この歌が最高に好きになったのは、ザ・フーが「恋のヒートウェーブ」という邦題でカパーしてくれたのが発端で、それを昭和42(1967)年にラジオで聴いたサイケおやじは、一発でシビれましたですねぇ~~♪

そこで急遽、レコード屋へ走ったことは言うまでもありませんが、残念ながらザ・フーのバージョンは我国独自の編集LP「アイム・ア・ボーイ」に収録されていただけということで、泣きの涙……。

いゃ~、本当にその頃、潤沢な小遣いがあったら、今の自分はもっと豊かな感性と余裕の人格を形成出来ていたのではないか? なぁ~んて思うほどですが、まあ、そういう人生の辛苦を少年時代に知ってこそ、年齢を重ねた後の心に味わいが染みてくるのかもしれませんねぇ。

閑話休題。

で、そういう未練を根性の源にして、高校生の頃にようやくゲットした前述のアルバム「アイム・ア・ボーイ」を堪能していた頃、なんと「恋のヒートウェーブ」はザ・フーのオリジナル曲ではなかったという真実に、恥ずかしながら辿りついたのがサイケおやじの未熟さでありました。

そこで、ど~してもマーサ&バンデラスのオリジナルバージョンを聴きたくて、なんとか中古でゲットしたのが掲載したシングル盤というわけですが、これが意外なほどに大当たり!

如何にも調子の良いリズムとキャッチーなリフで構成された楽曲の流れは、当然ながらザ・フーではギターで置き換えられていたパートが、オリジナルバージョンではブラス&ホーンセクションとヘヴィな黒人ビートによって本質的に演じられ、なによりも浮ついたところが魅力だったザ・フーのボーカル&コーラスが、マーサ&バンデラスのパンチの効いた黒っぽさの前では些か色あせてしまう印象さえありました。

実はご存じのとおり、マーサ&バンデラスが放ったオリジナルのヒット曲は英国でもアメリカ同様にウケまくりで、特にモッズ族と呼ばれた連中がやっていたロックバンドではカパー必須の状況があったようです。

それはマーサ&バンデラスが、なかなかロックっぽいアプローチを自然体で表現出来たことによるのかもしれません。

有名なところではミック・ジャガーとデヴィッド・ボウイが共演した「Dancing In The Street」が彼女達のヒット曲カパーだった事でも顕著ですが、基本的にはダンス用の歌と演奏であったとしても、絶妙のコブシを使い分けるマーサ&バンデラスは同じモータウン所属のシュプリームスあたりと比較して、その黒っぽい感覚がロック方面ではウケる秘訣じゃないか?

そんなふうに思っています。

肝心のマーサ&バンデラスは、マーサ・リーヴズ、ロザリンド・アッシュフォード、アネット・スターリングという3人組で、もちろん彼女達は全員が当時のモータウン御膝元だったデトロイト出身という事になっていますが、その結成とデビューについては諸説があるようです。

しかし、その中で一番有力なのが、秘書として雇われながら、実はモータウン系のライターが書いた楽曲のデモを歌うのが仕事というマーサ・リーヴズを正式に売り出すため、コーラスバートをやれる他のふたりが選ばれたという定説も、それが当時最先端の流行だったという証でしょう。

ですから、なかなか器用な面も兼ね備えた彼女達がマーヴィン・ゲイあたりのバックコーラスを担当する事も多かったそうですし、当時の常識として、実際の巡業ステージではマーサ・リーヴズ以外のメンバーが頻繁に代わっていた真相もあるようです。

ということで、サイケおやじは忽ちにしてマーサ&バンデラスのファンになり、このジャンルの黒人女性コーラスグループとしては、真っ先に好きになったのが彼女達でした。

なにしろ、この「Heat Wave」をはじめ、本当に楽しいビートで歌ってくれるダンス曲の素晴らしさは言わずもがな、パラード系の曲にしても、なかなか強いリズム感が侮れませんよ♪♪~♪

当然ながら、実に夏向き真っ盛りの歌ですから、この機会に熱いダンスビートを求めて楽しむのも素敵じゃないか? と思っています。

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アメリアッチを吹くチェット・ベイカー

2011-07-24 15:46:28 | Pops

Hats Off / The Mariachi Brass featuring Chet Baker (World Pacific)

チェット・ベイカーはモダンジャズの天才トランペッターとして、活動初期から大スタアであり、その如何にも白人らしいスマートな感性と素晴らしい歌心に満ちた演奏は万人を魅了していながら、悪いクスリに耽溺した所為もあり、所謂全盛期は自身の活動歴の中でも、極限られていたというのが定説です。

まあ、このあたりは、何をもって「全盛期」とするか?

そうした現実の個人的解釈の違いも大いに議論されるわけですが、一般的にはウエストコーストジャズが全世界で人気を集めた1950年代初頭からの数年間でしょう。

しかし流石は人気と実力を兼ね備えたチェット・ベイカー!

前述したような悪癖に起因するトラブルを抱えながらも、1960年代には欧州でのライプ活動と並行して、ハリウッドで作られていたイージーリスニング系のレコード諸作においても、なかなか魅力的なアルバムを残しています。

例えば本日ご紹介のLPは、美女ジャケ物の1枚として好事家には人気盤となっていますが、正統派モダンジャスのファンからは軽く扱われ……。特に我国では、そうした二極分化が顕著だと思います。

なにしろ演じている中身が、吹き込まれたリアルタイムでのポップスヒットや人気曲を流行のスタイルでアレンジした「作り物」ですからねぇ。当然ながらジャズ喫茶で鳴らされることもなかったでしょう。

 A-1 Happiness Is
 A-2 Sure Gonna Miss Her / ひとりぼっちの恋
 A-3 Bang Bang
 A-4 The Phoenix Love Theme
 A-5 These Boots Are Made For Walkin' / にくい貴方
 A-6 On The Street Where You Live / 君住む街で
 B-1 Armen's Theme
 B-2 Spanish Harlem
 B-3 Chiquita Banana
 B-4 When The Day Is All Done
 B-5 You Baby
 B-6 It's Too Late

既に皆様はご推察していらっしゃるでしょうが、実はサイケおやじは決してチェット・ベイカーが聴きたくて、このアルバムを買ったわけではありません。

真相は前述した「流行のスタイル」を楽しみたかったからなんですねぇ~♪

それは当時、つまり制作された1966年に世界的なブームとなっていた「アメリアッチ・サウンド」が聴けるLPとしての価値を、ここに見出していた事に他ならないのです。

で、その「アメリアッチ」とはご存じ、A&Mレコードを創業させたハープ・アルパート(tp,vo) が1962年頃からカッ飛ばしたヒットの数々、例えば「悲しき闘牛士」とか「蜜の味」、お馴染みの「ビター・スイート・サンバ」等々に顕著な哀愁とウキウキリズムに彩られたブラス主体の吹奏楽で、その元ネタとなっているのが、メキシコ周辺では一般的になっている「マリアッチ」というバンドスタイルをアメリカ的なジャズロック風味で焼き直したのが、それだと言われています。

ただし、もちろん「アメリアッチ」には単純に言葉で説明出来ないフィーリングがあって、例えばスパニッシュ風味のモードジャズや所謂ソフトロック的なアプローチさえも表出していましたから、なかなか奥の深いジャンルだと思います。

そこでハープ・アルパートはレコード制作のスタジオセッションで、当時のハリウッドでは最高峰のスタジオミュージシャンを召集し、また公の場に出る時の一般的な「顔」であるティファナ・ブラスというグループにしても、それは決して不動のメンバーでは無く、臨機応変に腕利きを選んでいたと言われています。

さて、そんなわけですから、音楽業界では「お約束」という二番煎じが出てくるのも当然であり、ご紹介のアルバムを吹き込んだマリアッチ・ブラスも完全な企画優先のスタジオグループだったのでしょう。

ですから、ハープ・アルパートの代わりになるスタープレイヤーとしてチェット・ベイカーが起用されたのも納得されるわけです。

そして聴けば一発、なんとハープ・アルパート&ティファナ・ブラスと生き写しのサウンドが、ここにあるんですよねぇ~~♪

つまり同じスタジオミュージシャンが使われている可能性が実に大きいと思うばかりで、その点は演目の内容構成についても味わい深い相似が散見されるのですから、たまりません♪♪~♪

例えばゲイリー・ルイスとプレイボーイズがヒットさせた「ひとりぼっちの恋」では、例の昆虫が空を飛ぶ羽音のようなギターのオカズフレーズやリズム隊の乾いたグルーヴが、ほとんど一緒の演奏メンバーによるものという推察が容易だと思います。

という事は、このアルバムジャケットには明確なクレジットは記載されていませんが、おそらくはトミー・テデスコ(g)、フランク・キャップ(ds)、ハル・ブレイン(ds)、ヴィクター・フェルドマン(per)、ジョー・オズボーン(b) 等々の超一流メンバーが参加している事は確実で、またジャック・ニッチェとジョージ・ティプトンがアレンジを担当しているあたりは、言わずもがなのハリウッド音楽産業!?!

さらに肝心のチェット・ベイカーが、これまた最高なんですねぇ~♪

もちろんバリバリのモダンジャズを演じているわけではありませんが、持前の柔らかな歌心は全開ですから、テーマメロディのフェイクやアドリブも分かり易くてスマート、時には「大人の粋」も感じさせてくれますよ♪♪~♪

それは当然、良く知られた演目のメロディを大切にしたプロの仕事に他なりません。

例えば前述した「ひとりぼっちの恋」をはじめ、ナンシー・シナトラの「にくい貴方」、ソニー&シェールの「Bang Bang」、そしてタートルズやグラスルーツ、そしてママス&パパスでお馴染みの「You Baby」、都会派R&Bの「Spanish Harlem」といった大ヒットポップスでは、あくまでもモダンジャズのフィーリングを隠し味に使う妙技が堪能出来ますし、ミュージカルや映画音楽として人気の高い「君住む街で」や「The Phoenix Love Theme」、あるいはイージーリスニング本家王道の「Happiness Is」とか「When The Day Is All Done」で素直に楽しめるアメリアッチの素敵なサウンドは、確かに軽いと言えばそのとおりかもしれませんが、これはこれで侮れないと思います。

そこにはチェット・ベイカーが用意されたアレンジスコアを解釈しつつ、その天才的なアドリブ感覚を惜しみなく披露した瞬間が凝縮されているといって過言ではありません。

また本人が聞かせてくれるトランペットやフリューゲルホーンの音色そのものが、ソフト&ジェントルの極みであり、周到なバンドアンサンブルとジャストミートの潔さ!

これぞっ、チェット・ベイカーにはデビュー当時からの理解者であったプロデューサーのリチャード・ボックが狙った二番煎じ最良の結果だったんじゃないでしょうか。

本当に和みます♪♪~♪

ということで、「チェット・ベイカーのジャズ」を目当てに聴けば、些かの失望も確かにあろうかと思います。

しかし、如何にも1960年代的な快楽を求めて楽しもうとする時、実はこういうイージーリスニング系のジャズアルバムこそが、その本質に最も近づける手段になるのかもしれませんよ。

最後になりましたが、掲載した私有のLPはステレオ盤なんですが、良く知られているようにモノラル盤はジャケットデザインのトリミングが異なっていて、そこに登場しているモデルさんの「ヘソ出し」が大きな魅力!?!

当然ながら、サイケおやじも何時の日か、その入手が叶うように精進を続けている次第です。

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中村とうよう……

2011-07-23 15:50:37 | Weblog



中村とうようの訃報に接しました。

故人は音楽評論家として、サイケおやじと同じ世代の洋楽ファンにとっては知らぬ人も無いはずと思いますが、一般的な「音楽評論」だけに留まらず、コンサートやライプの企画運営、レコード発売の立案と選定、各種著作の執筆等々、まさに音楽と趣味に生きる達人として、「偉大なる先輩」と親しみをこめて尊敬に値する偉人でした。

そうした活動の中でも、特に音楽雑誌「ニューミュージックマガジン」の創刊と編集は、絶対に忘れられない業績でしょう。

ご存じのとおり、我国の洋楽マスコミは所謂スタア性とかアイドル中心主義が優先され、それゆえにルックスはもちろんの事、大衆的なヒットを放てなければ、如何に音楽的に優れていても広く紹介される事は難しい状況の中、故人が主催する「ニューミュージックマガジン」は、あえてマニアックな流行やルーツ的な趣味性を追求する方向を明確に打ち出し、それでいて内容は決して難解ではない文章と充実した資料に基づく歴史的考察の鋭さが魅力になっていたと思います。

ですから、ある意味では独善的な部分が強いので、意図的にそれを避ける音楽愛好者も少なからず存在していましたし、失礼ながら、時には文章を分かり易く書かなければならない困難に苦しむライター陣の分裂症的なジレンマが浮かび上がったような特集も散見され、そこがサイケおやじには好ましく感じられもしましたですねぇ。

そこで当然の如く、昭和40~50年代のロック喫茶には必ずや常備されている雑誌が「ニューミュージックマガジン」であり、告白すればサイケおやじは、そこで読んでは様々な蘊蓄を仕入れ、レコード購入やライプ鑑賞のガイドにしていたのが本当のところです。

しかし、そんなバチアタリの自分でも、思わずゲットさせられたのが、本日ご紹介の増刊号「ブルースのすべて」でした。

なにしろ、その内容は黒人ブルースの歴史と起源やアメリカを中心とした地域別スタイルの変遷、シンプルながら必要事項は充実の人名事典とレコード案内、さらにはちょいとした奏法の解説、そしてブルースに立脚した人生観や生活云々までもが、実に濃密に纏められていたのですから、何時まで読んでも、その奥深いところまでは到達不可能という世界が大袈裟ではなく、真の感動を呼ぶのです。

平たく言えばサイケおやじは、これを道標にブルースという奥の細道を辿り始めたわけですから、本当にありがたい1冊でありました。

ちなみに故人は既に述べたように、レコード会社と連動した各種企画アルバムの立案や発売にも大きな影響力を発揮していましたが、それは決して会社側のちょうちん持ちではなく、自らが広く音楽ファンに聴いて欲しいと確信していた素敵な楽曲演奏を紹介する手段であったことは、言うまでもないと思います。

まあ、それゆえに、かなり偏執したシリーズ企画やコアなマニア狙いのLP再発もありましたから、売れ行きは毎度必ずしも芳しいものでは無かったはずです。

しかし、その頃には、ある意味で「中村とうよう」という名前が洋楽ファンには「お墨付き」となっていた事実もあり、周囲が何んと言おうとも、それは決して権威主義ではない本人の姿勢が好感を持たれていた証じゃないでしょうか?

とはいえ、ここまではあくまでもサイケおやじの個人的な感想にすぎません。

拙プログでも度々述べてきたとおり、サイケおやじは音楽関係の本や雑誌を買うことは稀であり、そんなお金はレコードに投資し、「聴く」ことを優先させて今日に至っていますから、尊敬する故人の著作や編集雑誌にしても、自分の本棚にあるのは掲載した「ブルースのすべて」含めて、極僅かしかありません。

ただし、それでいて自らの音楽的嗜好の方向性は、確実に故人によって導かれたところが多いのです。

極言すれば、この偉人によって目を開かされた部分は実に多く、また当然ながら生き様さえも影響されたことを否定出来はしないのです。

それが、何故か覚悟の自殺らしい……、という最期に接した時、悲しみや混乱や不条理な気分よりも、妙に自然と感じてしまったのは、我ながら不謹慎だと思います。しかし、これは正直な告白であって、聞くところによれば、自らの貴重なコレクションは既に寄贈してあったとか、親しい友人知人には遺書を書き送っていたとか、様々な経緯や道理を知るにつけ、言葉は失うものの、前述した気持は強く心に残るばかり……。

今となっては全てが繰り事にすぎませんが、「ニューミュージックマガジン」が「ミュージックマガジン」と名前を変え、「レコードコレクター」なんていう、ちょいとイヤミな兄弟雑誌が作られた頃から、「中村とうよう」は本来の仕事を終えたかのような立場に落ち着いてしまった感もありますが、いかがなもんでしょう?

ということで、本日は不遜な言ばかりになってしまい、額に汗を滲ませながら反省しきりのサイケおやじを、どうぞ許していただきとうございます。

本音はひたすらに合掌……。

そして故人に感謝するのみです。

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災いを福に転じる言い訳もあり

2011-07-22 16:41:21 | Weblog

今日はメッチャ、トホホな1日でした。

それは定期検査の為に訪れた病院の駐車場を歩いていたサイケおやじに、突如として車が突進して来て!?!

思わず反射的にそれを避けた瞬間、転んだところが泥の水たまり……。

うひぇ~、今日が初めての新品のスポンが見事に汚れ、擦り切れ、揚句にシャツも泥だらけ!!

幸い、怪我らしい怪我は無かったんですが、やってくれた車は、そのまんま、停めてあった誰かの軽ワゴンにガッツ~~ン!

う~ん、運転していたのは、何処のバカだぁ~~!

と憤激したら、案の定、視力の弱いおばちゃんが犯人でした。

あんたねぇ~、眼の治療に車を運転して来るっていう常識は非常識だよっ!

という怒りもありましたが、まずはその後のサイケおやじの予定からすれば、昼にはお偉いさんと会食もあるのに、こんなドロドロじゃ、行けないよぉ~~ん!

そこで警察や保険屋からの事情聴取も簡単にしてもらって、とりあえず近くの洋服屋に直行し、なんとか格好をつけたものの、今頃になって本当の怒りがこみ上げてきた次第です。

ちなみに件のおばちゃんは、ちょいと高級な外車を運転していたんで、保険や諸々は心配御無用らしいんですが、以降の仕事はケチがついた気分で、ノリがイマイチという感じでした。

ということで、本日は所謂ゲン直しが必要という言い訳を捻り出し、なんか欲しかった廃盤でも漁ってみようかなぁ~~♪

そんな都合の良い事を目論んでいるのでした。

コメント (2)
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