OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

名は体を表すプレイヤー

2012-10-31 15:36:42 | Rock

Baby Come Back / Player (RSO / フィリップス)

1970年代半ば頃からのAORブームは、プロはもちろんの事、なんとかバンドをやっている素人衆にも少なからず影響がありました。

それはプログレにも言える事なんですが、やるからに高度なテクニックと用意周到な音楽性の習熟が必須とされるジャンルですから、いきなり十代の若者達には敷居の高い世界であり、そこでパンクなぁ~んていうロックの初期衝動が浮上してくる事態にも、あながち鼻白んでばかりはいられません。

唯、そこには好き嫌いという感情が優先されるという事情も、決して無視されてはならないでしょう。殊更素人衆にはっ!?!

さて、そんな渦中(?)に登場してきたのが、本日ご紹介のプレイヤーと名乗るバンドで、当時は疑似ホール&オーツとさえ言われた都会派ホワイトソウルの親しみ易さ、そして簡易と思わせられる演奏構造、さらにはちょいと初期スティーリー・ダンにも通じる歌と演奏のお洒落なバランスが、既にアルバム中心に聴かれていた大衆音楽の中で見事なシングルヒットを生み出し、それが1977年末頃から流行った「Baby Come Back」でした。

う~ん、なんて素敵な曲でせう♪♪~♪

演じていたプレイヤーはピーター・ベケット(vo,g)、ジョン・チャールズ・クローリー(vo,key,g)、ウェイン・クック(key)、ロン・モス(b)、ジョン・フリーセン(ds) の5人組なんですが、バンドの中核はピーター・ベケットとジョン・チャールズ・クローリーだったそうで、実は公式レコードデビューに至る前から、この2人はデモテープ~セッションレコーディングで大半の楽曲を完成させていたと言われています。

ところがそれを世に出す直前、契約したばかりのレコード会社が消滅!

以降、紆余曲折があって前述のメンバーが揃い、そうしたマイナス要因をプラスに変えたのは、その逼塞期間を演目の完成度の高さに結びつけた結果だと思われます。

つまり、この「Baby Come Back」は過言ではなく、聴くほどに練り込まれた曲構成と創意工夫の賜物だと思うばかり!

これほど難しい演奏を親しみ易さ優先で聞かせてしまう匠の技は、相当の音楽的センスと修練がなければ、成しえないはずですし、素人バンドがコピーしようとするほどに、ヘタレを演じてしまうのは、サイケおやじの過去の過ちで証明済みなんですよ……。

なにしろやっているうちにリズムやピートはズレるし、ボーカル&コーラスは互いに合わなくなるし、挙句の果てには自分が何処をやっているのか迷ってしまうテイタラク!?!?

ひとつひとつのパートがシンプルなだけに、余計惨めな結果が情けないわけです。

ということで、やっぱり全米チャートのトップに輝くほどの名曲名演は奥が深いですねぇ~♪

また歌詞の内容が別れた女への未練タラタラというあたりにも、なにか1970年代後半の微熱なムードが滲み、それをお洒落な演奏パートが彩るところにAORと称された大人のロックの基本的主張が成り立っているように思います。

そして結果的にプレイヤーは大ヒットシングル「Baby Come Back」を看板に幾つかのアルバムとシングルを出しつつ、お決まりのメンバーチェンジ繰り返しながら、最近も活動を続けているらしいのは、もはや行きつく先の物語でしょうか。

ジョン・チャールズ・クローリーが1980年代から職業作家としての道を歩み、スモーキー・ロビンソン等々の一流シンガーに曲を提供している事実を鑑みても、やっぱりAORはプロの仕事の世界なんだなぁ~~、と痛感させられているのでした。

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小川知子のグッドセンスには……

2012-10-30 15:07:24 | 歌謡曲

■愛こそいちずに / 小川知子 (東芝)

昭和40年代の女性歌手の中で、抜群のファッションセンスに秀でていたのが、小川知子だと思います。

それはリアルタイムのテレビ出演や雑誌グラビアでも楽しめましたが、当時作られていたレコードのジャケ写にも顕著であって、しかも歌声が一緒なんですから、ますます小川知子の個性が際立って要求されていたのでしょう。

中でも本日ご紹介のシングル盤「愛こそいちずに」は、これが発売された昭和45(1970)年のムードが実に濃厚♪♪~♪

しかも、このヘアスタイルとモダンサイケデリックなデザイン柄の衣装を完璧に我が物にしている彼女の表情のアクの強さが、これまた素敵だと思うばかりです。

う~ん、このあたりの感性を現代のお若い皆様には、どこまでご理解いただけるのか、ちょいと不安になるほどのぶっ飛び様さえあるわけですが、同時に作詞:橋本淳、作編曲:筒美京平という黄金コンビによる楽曲が、これまたフレンチポップスと演歌の見事な融合なんですから、たまりません。

あぁ~~、これぞっ! 昭和歌謡曲の雑食汎用性とでも申しましょうか、極言すれば、こういう曲調と歌詞を臆せずに歌ってしまう存在感こそが、当時の小川知子の個性だったように思います。

例によってネチネチした歌い回しも素敵の極み♪♪~♪

ただし、そのあたりがあまりにも際立ちすぎていたのも、ごまかせない現実であって、当時の彼女が大きなヒットから少しばかり遠ざかっていた事は、やはりミスマッチ感が強かったのかもしれません。

そして同時に、小川知子のファンならば、そういう部分こそが魅力だったと思いますし、飛び抜けたファッションセンスが今も愛おしく感じるのは、幸せというものでしょう。

ということで、今日の若手女性歌手の中で、誰が彼女のようなセンスを見せてくれるのか???

そういうポイントで芸能界を眺める事も多いサイケおやじは、結局何時も小川知子に戻ってしまいます。

歌手としての素晴らしさはもちろん、それを凌駕していた存在感のセンスの良さ!

本当に素敵な小川知子も、映像や画像を含んだ集大成的な復刻が望まれるところです。

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幻の石井まゆみは実力派アイドルか?

2012-10-29 15:35:53 | 歌謡曲

甘い暴走 c/w あしたは日曜 / 石井まゆみ (CBSソニー)

アイドルの定義は多々あろうかと思いますが、大雑把に「ルックス優先」と「実力派」の分類が成立するとなれば、本日ご紹介の石井まゆみは「実力派」であったと思います。

それは歌唱力の素晴らしさがルックスを上回るといっては失礼かもしれませんが、とにかく今となっては、ナチュラルに上手いボーカリストだった事に間違いはなく、なにしろデビューした昭和49(1974)年には、ヤマハ主催のポプコンに出場しているそうですからねぇ~~♪

しかしサイケおやじは、その場を知っていたわけもなく、掲載したシングル盤ジャケ写の裏解説に書かれていた事の引用ではありますが、おそらくはデビュー曲であろうA面「甘い暴走」を聴けば、それも瞬時に納得させられるでしょう。

なにしろ唸るギターとドライヴしまくったベース、アタックの強いホーン&ストリングスセクションが共同謀議するイントロのカッコ良さに負けないほど、実に伸びやかやでパワフルな彼女の歌声は、素晴らしいの一言ですよっ!

ちなみに作編曲は元アウト・キャストのキーボード奏者で、例えばキャンディーズ、くらもと恵子等々に素敵なメロディを提供している穂口雄右、作詞が千家和也とくれば、これは典型的な当時のアイドル歌謡ポップスになるのは「お約束」なんですが、結果的に売れたとは言い難く……。

実はこのデビューシングルが発売された昭和49(1974)年夏と同じ頃、サイケおやじは、ある幸運から渡米していたという事情があるにせよ、テレビでも彼女の姿に接した事は一度もありません。

ところが帰国した同年秋、偶然にも有線でB面収録の「あしたは日曜」を聞けた瞬間、その完全なる正統派アイドル歌謡の真髄に衝撃を受けてしまったんですねぇ~~♪

う~ん、なんとも甘えたような歌い回しがイヤミではなく、そうかと言って、技巧というには自然体なフィーリングが良かったんですよっ!

そこで早速、レコード屋を急襲して吃驚仰天!?

なんとっ! 気に入った「あしたは日曜」がB面収録という現実から、件のシングル盤をゲットしてA面「甘い暴走」の凄すぎる仕上がりに歓喜悶絶したというわけです。

ちなみに「あしたは日曜」は作詞:千家和也、作曲:林哲司、そして編曲:萩田光雄をという、これも当時上り調子のヒットメーカートリオが参集していますから、良い仕事になったのも当然ではありますが、A面の「ちょいと危うい青春路線」に対して、B面が「ぶりっ子ポップス」という企画のコントラストも、たまりません♪♪~♪

ということで、既に述べたとおり、石井まゆみはブレイクする事なく、芸能界をフェードアウトしてしまったんですが、このシングル盤も含めて、残されたレコーディングはアイドル歌謡の幻の名作ばかりと言われています。

ただし残念ながら、サイケおやじは、これしか持っていないんですけどねぇ……。

機会があれば、皆様にも積極的にお楽しみいただきたい実力派アイドルが、石井まゆみ♪♪~♪

それは何時までも変わらない真実だと推察している次第です。

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桑名正博の天才的歌心に合掌

2012-10-28 15:17:27 | 歌謡曲

サード・レディー / 桑名正博 (RCA)

既に皆様ご推察のとおり、サイケおやじは数日前から隣国へ出張しておりまして、ここんとこのプログはストックを掲載していたわけですが、それにしても帰ってみれば、リアルタイムの世相動向の早さ、諸々には驚くばかり……。

なにしろ石原慎太郎が都知事を辞め、言いたい放題なのは何時もの事ながら、芸能界ではセクシータレントの冴島奈緒、歌手の桑名正博、ピアニストの佐藤博……。とにかく訃報が続いてしまった事は痛惜の思いです。

特に桑名正博は、ある日突然の病から危篤に陥っていましたから、それなりの予兆を覚悟をしていただけに、やはり……、という気持が重くなるばかり……。

そこで故人の業績や遺徳、あるいは私生活のあれこれについては皆様もご存じのとおりですし、同時に各方面でのゴタゴタは、育ちの良さゆえの世間知らずとまで決めつけられていましたから、決して全てが容認されてきたとは言えないでしょう。

しかし破天荒でありながら、愛すべき男であった一面は否定出来ないものがあります。

それは桑名正博には、何をやっても実に華やかな歌を聞かせる天才があったからだと思います。

実はサイケおやじが故人を知ったのは昭和48(1973)年、本格的なプロデビューとなったファニー・カンパニーというバンドをやっていた頃で、当時はキャロルと並び称される売られ方をしていたんですが、ちょうどその頃、某無料イベントで彼等のライプステージに接した時の印象は、なかなか異質なものがありました。それは――

こいつら、ヤル気あんのかぁ~~!?

という、なんともテキトーで投げやりな態度がミエミエだったからで、そりゃ~、無料のお客を相手にしているとはいえ、バンドとしてのギャラは主催者に貰っているはずなんですから、とてもプロとして許されるはずもないほどだったんですよ……。

当然、その場はウケていたとは言えないんですが、ところがそういう態度が妙に不思議な存在感を醸し出していたのも、また事実でした。

しかも驚いた事には、イベントが終わった後の会場から帰る道すがら、なんとっ! ファニー・カンパニーの連中が外車を運転している現実を見てしまったんですから、サイケおやじの心境は複雑です。

なにしろ当時の日本のロックバンドなんて、まともに生活していけない代名詞だったんですからねぇ~~~!

もちろんご存じのとおり、ファニー・カンパニーは桑名正博も、他のメンバーも、裕福な家庭の生活があったわけですから、殊更ハングリーな精神に基くロック魂なんてものは必要が無かったのかもしれません。

ですから小さなヒットと数枚のレコードを出した後、彼らが呆気なく解散した事も、自然の流れと思っていたのですが……。

そうして時が流れた昭和52(1977)年、何時しか歌謡ロックのスタアとして故人が大ブレイクした時、持ち前の華やかさは絶頂の輝き!

まあ、妹がファンだった所為もあるんですが、聞かされるレコード、あるいは見せられるテレビでの姿からは、貧乏ったらしいムードなんか微塵もなく、ちょうど一般化しつつあった「ニューミュージック」という造語がジャストミートする存在感は、従来の日本のロックを一歩進める働きがありました。

中でも凄いのは、初期のヒット曲の数々が筒美京平とか、バリバリ第一線の歌謡界職業作家に書かれていたことで、これは歌謡フォークブームから続いていた自作自演に拘る姿勢が既に古くなってしまった事の証明かもしれませんが、同時に桑名正博自身が秀逸なソングライターであった点も考慮すれば、なかなか歌心に優れたミュージシャンだったように思います。

平たく言えば、どんな曲でもジャンルに関係なく、自分の歌に出来る人だったんじゃ~ないでしょうか。

さて、そこで本日ご紹介のシングル曲「サード・レディー」は作詞:松本隆、作曲:筒美京平、そして編曲:鈴木茂という、如何にも昭和53(1978)年のニューミュージックがど真ん中の狙いがスバリ!

ディスコ歌謡調のアレンジがAORでもあり、筒美京平の書いた曲メロがアイドル歌謡の保守本流として、西城秀樹っぽいという味わいが打ち消せないあたりが逆に桑名正博の本領発揮です。

だって、この歌詞の世界を堂々と披露出来る大人の男性シンガーなんて、当時の日本じゃ~、稀だったんですよっ!

まさに天才の証明!?!

ということで、故人に関しては悪いエピソードが先行して語られる事も多いわけですが、確かに乱暴だし、我儘で無謀なところもあったでしょう。

当然ながら、サイケおやじは桑名正博本人と面識はありませんので、知っている事のほとんどが伝聞によるものではありますが、言われているほど酷い人ではなかったと思います。

そして妹が集めていたレコードの幾つかが現在、サイケおやじの手元に残っている以上、それは自分も好んで聴いていた証左として、「サード・レディー」が一番のお気に入り♪♪~♪

こうして久々に針を落し、故人の冥福を祈っているのでした。合掌。

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あぁ、青春の歌謡フォーク:其の弐

2012-10-27 15:21:26 | 歌謡曲

今はもうだれも / ウッディ・ウー (日本コロムビア / Denon)

もう何度も、ここで書いてきましたが、高校時代に所属していた軽音楽同好会はフォーク組とバンド組に別れていて、サイケおやじはバンド組でエレキのバカ大将を目指していました。

もちろん言うまでもなく、当時はGSブームが去り、歌謡フォークが全盛でしたから、自分がやっている事は明らかに時代遅れ……、という認識は間違いなく、極言すれば日本にメジャーなロックバンドは無かった頃の話ですから、フォーク組とバンド組はソリが合わないムードも度々ありました。

しかし、フォーク組にもサイケおやじと気の合う奴はいるもんで、常に生まれ育った大阪所縁の関西弁だったところから、本名をもじって上方と呼ばれていたほど関西フォークを良く知っていた、そんな頑固な一面がサイケおやじの屈折と気脈を通じるところだったのかもしれません。

で、その上方が十八番にしていたのが、本日ご紹介の「今はもうだれも」だったんですが、ここで演じているのはウッディ・ウーというグループであり、決して後に大ヒットしたアリスのバージョンがオリジナルでは無いという事です。

つまりアリスはウッディ・ウーのオリジナルをカパーヒットさせたのが真相であり、それだけ関西では有名だったウッディ・ウーの「今はもうだれも」が全国区では知られていなかったという事なのでしょう。

当然ながら、サイケおやじも上方が何時も歌っていたからこそ、その曲を刷り込まれたわけです。

さて、そこでウッディ・ウーというグループは佐竹俊郎(vo.g)、星野彬(g)、岡山勇吉(b) というトリオで、このレコードを出した昭和44(1969)年当時は京都の大学生だったそうですから、所謂カレッジフォークの中心的存在だったと思われますし、この「今はもうだれも」は佐竹俊郎の作詞作曲とクレジットされているところからしても、プロとして活動する実力があったのでしょう。

そして実際、関西のラジオでは当時からウッディ・ウーの「今はもうだれも」が流れまくり、後の昭和50(1975)年に前述したアリスのカパーが出た時は、アレンジも雰囲気も大いに違和感があって、馴染めなかったと言われるほどです。

う~ん、確かに12弦ギターを使ったウッディ・ウーのバージョンに比べると、エコー気味のボーカルばっかりが前に出ているアリスのカパーは、なんだかなぁ……。

ということで、最後になって本音を言いますが、アコースティックギターが得意ではないサイケおやじが、それでも練習に多用していたのが、この「今はもうだれも」でありました。

もちろん、そこには「自宅で密かに」というフレーズが入るわけですし、このシングル盤も人目を避けるように中古屋でゲットしたものですから、決して大きな事は言えないのですが、それでもある経緯から貸与された12弦ギターを練習する時には最高の課題曲になりました。

実際、やっているうちに、気持が最高に高揚するんですねぇ~♪

そして心残りは、上方に誘われていたリアルタイムで堂々と、「今はもうだれも」をやってみたかった……。

そんな青春の悔恨あるのでした。

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リンド&リンダースと加藤ヒロシの鬼才

2012-10-26 15:21:32 | 日本のロック

燃えろサーキット / 加藤ヒロシとザ・リンド&リンダース (Philips)

日本で本当にロックが流行っていたのは昭和40年代のエレキ~GSブームの頃であり、当然ながら数多の優れた人材が登場しています。

例えば本日ご紹介のリンド&リンダースは、関西をメインに活躍していた事もあって、一般的に知られたヒットは昭和43(1968)年の「銀の鎖」という、これが哀愁ロックの極みつきだけでしょうが、しかし当時のリーダーであったギタリストの加藤ヒロシの才能はもっと認められるべき!

と、サイケおやじは思っていますが、しかし、もちろんリアルタイムでそれに気がついていたわけではありません。

実は毎度の事ではありますが、告白すればサイケおやじが加藤ヒロシの存在を認めたのは、ソングライターとしての力量の素晴らしさが最初であって、それは昭和46(1971)年、先輩がやっていたアマチュアロックバンドがライプで演奏した「母捨記」という、なかなかサイケデリックハードな曲を聞いた時でした。

で、それを書いたのが加藤ヒロシである事は言わずもがな、なんとっ! オリジナルは寺山修司がアングラ芝居の天井桟敷と組んで公演した「書を捨てよう、街へ出よう」の中で使われていた演目のひとつだったんですねぇ~~!?!

ちなみに同演劇は後に映画化もされ、「母捨記」はそこでも使われたほどの名曲であり、件の先輩が狂的な寺山信者であれば、自分のバンドでカパーしてしまうのも当然が必然というわけです。

こうしてサイケおやじは作曲を担当した加藤ヒロシの名前を確認したのですが、並行して様々に調べてみると、加藤ヒロシは本来はジャズ系のギタリスト兼作曲家であり、フォーク・クルセダーズの「戦争は知らない」や坂本スミ子のヒット曲「たそがれの御堂筋」等々を書き、さらには自らエレキバンドのザ・リンドを率いていたというキャリアを知ったのです。

そしてザ・リンドこそが、GSに発展し、リンド&リンダースになった!

これは温故知新というか、目からウロコというか、そうして思い返してみれば、決して大メジャーとは言えなかったものの、数回はテレビで接していたリンド&リンダースの上手いギタリストは、そういう人だったのかぁ~~~!?!

等々、極めて強い印象が蘇ってきましたですねぇ~♪

そうです、加藤ヒロシは本当にギタリストとしても超一流で、前述した「銀の鎖」における北欧スタイルの澄みきった泣きのメロディを聞かせてくれる腕前は流石の極みでしょう。

サイケおやじが以降、加藤ヒロシのギターと作曲が聴ける、リンド&リンダースのレコードを希求したのも自然の流れとご理解下さいませ♪

さて、そこで本日掲載のシングル盤は、おそらくリンド&リンダースの公式デビューから2枚目のレコードと思われますが、そのあたりの経緯が些か混迷しているようで、勉強不足のサイケおやじにはイマイチ把握出来ていません。

それはリンド&リンダースが既に述べたとおり、ザ・リンドと名乗っていたエレキバンド、つまり演奏セクションとリンダーズと称していたボーカルグループの集合体であった事に起因しています。

まあ、こうしたスタイルはシャープ・ホークスとシャープ・ファイヴの関係にも似ていますが、リンド&リンダースは地元大阪と東京、さらには地方を頻繁に往復していた営業形態ゆえに、メンバーの出入りも相当にあったとされていますし、レコードを出すにあたっても、リンダースの中で誰がリードを歌うのか、そんなこんなの諸問題も……。

で、このシングル盤リリース時の顔ぶれは加藤ヒロシ(g)、木和来(g,vo)、宇野山和夫(b)、島明男(ds)、加賀テツヤ(vo)、榊テルオ(vo)、迎修二(vo) とされているようですが、ここに収録の両面を歌っているのは木和来!?

しかも同時期には実質的なバンドのデビュー作にして、加賀テツヤのボーカルを全面的に前へ出した演歌系のシングル盤「ギター子守唄」も発売していたのですから、どうにも理解に苦しむわけですが……。

それでも一転!!?!

この「燃えろサーキット」はゴーゴースタイルのエレキ歌謡が全開した痛快な仕上がりで、典型的なテケテケサウンドは言わずもがな、何よりも凄いのが、こういうホットロッド物には絶対不可欠なエンジン排気音のSEをエレキギターで作ってしまうという剛腕テクニック!

特にイントロで、おそらくはギターの弦をピックで擦り、併せてボリュームコントロールも使っているであろう、その妙技は、これが発売された昭和42(1967)年にしては些か古い曲調をブッ飛ばすサイケデリックな感性だと思うばかりです♪♪~♪

だって、これまでサイケおやじには幾度も挑戦して、同じサウンドを得られないという現実がありますからねぇ~~。もちろん自分の技量の稚拙は自覚したうえでの断言と、ご理解願います。

ちなみにここでの作詞は寺山修司、作曲は加藤ヒロシとクレジットされていますから、前述した「書を捨てよう、街へ出よう」でのコラポレーションも既に所縁があったという事でしょう。

う~ん、加藤ヒロシは凄い!!

以前にご紹介した弟バンドのナポレオンが、加藤ヒロシの作編曲で幻の名シングル盤を出している事実も普遍でしょう。

ということで、結果的には売れなかった「燃えろサーキット」ではありますが、であればこそ、尚更にリンド&リンダースのレコードは愛おしくなります。おそらくはLPアルバムがリアルタイムで発売されなかった事情もあり、また加藤ヒロシのその後についても、知る由がありません……。

また残念ながら唯一のヒットであった前述「銀の鎖」が、何故か加藤ヒロシの作曲ではなかったという現実も皮肉でしょう。

しかしリンド&リンダースは、その存在の曖昧さとは逆に、なかなか本物のロック魂を持っていたように思います。

そして実質的には加藤ヒロシが抜けた後、加賀テツヤが同バンドを引き継いでの活動もありましたから、願わくば既発&未発表音源も纏めた復刻盤の登場を待っています。

皆様も、ぜひっ!

願わくば、既発&未発表音源を

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ど~せやるなら、カッコE~~ロック!

2012-10-25 16:07:57 | Rock

恋のブーガールー / Paul Revers & The Raiders (Columbia / 日本コロムビア)

決してロックの歴史云々では語れないバンドですが、それでもカッコE~~、歌と演奏をやっていた事については絶対に否定出来ない存在だったのが、ポール・リヴィアーとレイダースでした。

それは聴けば一発!

とにかく覚え易くて、ノリが良いという、ある意味ではバブルガムでありながら、残されたレコーディングはスタジオセッションであっても、極力自前だった本物の実力があればこそでしょう。

もちろんメンバー各人の個性もバッチリ楽しめる事は、例えば本日ご紹介のシングル曲「恋のブーガールー / Boogaloo Down Broadway」がウケまくった現実でも証明済み!

とにかく真っ黒なソウルに染まりきったボーカルは、これがマーク・リンゼイの真骨頂でしょうし、グルーヴィな間奏のオルガンや強いビートを叩きつけてくるリズム隊の凄さは今日、もっともっと認められて然るべきと思います。

ちなみにサイケおやじが「恋のブーガールー / Boogaloo Down Broadway」にシビれて掲載のシングル盤を買ったのは1968年、つまりは我国でのGSブームが最高潮だった頃ですから、当時のロックバンドならば何れもが試みていた黒人R&Bのロック化に対する最良の答えを、ここにポール・リヴィアーとレイダースが提供していると思います。

と言うのも、実は「恋のブーガールー / Boogaloo Down Broadway」はファンタステック・ジョニー.Cと名乗る黒人シンガーのオリジナルバージョンが既に前年にアメリカで大ヒットしており、当然ながら後追いでその事実を知ったサイケおやじが聴いたそれは、ノーザンビートのダンス曲ではありますが、意外ほどスマートな仕上がり……。

それがポール・リヴィアーとレイダースのカパーになると、まずボーカルに猥雑感が強くなっていますし、バンド全体のダーティーなノリが良い感じ♪♪~♪

もしかしたら、それは後のJ.ガイルズ・バンドにも受け継がれているような気さえするほどです。

ということで、結局本日言いたかったのは、カッコE~~歌や曲を知っていても、それを自分でやろうとするのは簡単では無い!

既に皆様もご推察のとおり、サイケおやじは数次、この「恋のブーガールー / Boogaloo Down Broadway」を入れてもらっているバンドでやる事を提案していながら、何時も実現されていません。

身の程を知っていると言えば体裁は良いのですが、思えばリアルタイムのGSでも、これほど日本で流行った「恋のブーガールー / Boogaloo Down Broadway」をカパーしていたバンドがあったという記憶もありませんから、腰が引けて当然なのか……???

個人的には今が最後のチャンスとして、練習時に提案しようと目論んでいるのですが、どうなりますか???

そして、ここまで書いてしまった以上、結果は後日ご報告させていただくとして、皆様にもぜひ、お楽しみいただきたい、実にカッコE~~、ロックがここにありますよ。

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秋の夜長に似合う歌

2012-10-24 15:52:32 | 歌謡曲

私もあなたと泣いていい? / 兼田みえ子 (日本コロムビア / Denon)

ちょいと落ち着いた感もありますが、それでも根強く続いているのが所謂女子アナブームでしょう。

もちろんテレビのニュースワイドショウやバラエティ番組での彼女達は、司会やアシスタントとして、話術の部分よりもルックスや仕草に人気のポイントが偏りつつあるのが本質ですから、各局が実力よりも印象でそういう人材を集めてしまうのも無理からんと思います。

そして実際、女子アナをメインに抱える芸能プロダクションが繁盛し、彼女達のカレンダーやキャラクターグッズが売れてしまうんですから、これもまた文化のひとつと認められるんじゃ~ないでしょうか。

で、そのルーツを探ってみると、これは昭和40年代のラジオ深夜放送における女性DJ人気がテレビに転移したように思いますし、確かにそこにはアイドルスタア並みの素敵なお姉さまが何人も活躍されていて、中でもレモンちゃんと呼ばれていた落合恵子は、今や文化人になっていますが、当時はちょいと猫被り系のおしゃべり、そして実年齢よりはキュートなルックスが明らかになるにつれ、爆発的にファンを増大させていましたですねぇ~。

もちろん、それはリアルタイムでのラジオの深夜放送人気と相互作用があっての事ですが、その意味で落合恵子と双璧の人気を集めていたのが、本日の主役たる兼田みえ子でした。

なにしろ当時は文化放送やニッポン放送をメインに彼女の声を聞かない日は無いほどで、特に深夜帯のDJでは、持ち前の落ち着いた語り口と反比例するが如き絶妙の色っぽさを滲ませる芸風(?)が全開♪♪~♪

しかも、ミコたん♪♪~♪

と親しまれるキャラクターもありながら、雑誌掲載の写真や時々の出演もするようになっていたテレビで拝めるお姿は、当時の流行のミニスカファッションに凛とした佇まいがジャストミート! ヘアスタイルがボブってのも、個人的には高得点でしたねぇ~♪

そこでついにというか、自ら歌ったレコードも順次発売され、本日ご紹介のシングル曲「私もあたなと泣いていい?」は昭和44(1969)年の秋から冬にかけて、深夜放送のラジオを中心にジワジワとヒットした、これがせつない歌謡フォーク♪♪~♪ サイケおやじの同世代の皆様にしても、きっと耳にされた事があろうかと思います。

ちなみに兼田みえ子はフリーの立場で活動していたと思われますが、キャリア的には文化放送で前述の落合恵子の先輩格でしたから、尚更に大人のムードが強かったと思います。

そしてサイケおやじが彼女を好きなのも、少年時代から打ち消す事も出来ない「お姉さま好き」という性癖があってこそ!?

リアルタイムの現実では、落合恵子の人気にはイマイチ及びませんでしたが、個人的には本気で好きだった……、と愛の告白をしておきます。

しかし現実は厳しく、このレコードも当時の乏しい小遣いでは買うことが出来ず、ようやく3年ほど後に中古でゲットした時の嬉しさは、天にも昇る気持のはずが!?

全く仰天失望させられたのが、ジャケット裏解説にあった衝撃の文章!

なんと彼女は、やはり当時の人気DJとして洋楽メインに活躍していた「八木誠の妻」だったんですねぇ~~~~!!●▼▲??!?

冗談抜きにして、この事実に接した時、サイケおやじは首のあたりが熱くなった感覚を今も忘れていません。

う~ん、人妻に懸想したところで……。

ということで、それでもミコたんは素敵な憧れの女性なんですよっ!

この「私もあなたと泣いていい?」にしても、真摯に語りかけるような節回しと落ち着いた声質の魅力が、三沢郷の作詞作曲に充分応える仕上がりの重要ポイントだと思います。

なによりも、そういう事を女性から言われて、グッとこない男はいますかねぇ~。ましてや相手は年上のお姉さまならば!?

そして秋の夜長には、兼田みえ子のボーカルが似合うのでした。

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ニクイほど素敵な悪魔

2012-10-23 15:26:31 | 歌謡曲

悪魔がにくい / 平田隆夫とセルスターズ (ミノルフォン / Dan)

昨日書いたとおり、現在のサイケおやじが入れてもらっているバンドに母娘のツイン女性ボーカルが参加という事で、それならこれもやれるだろぉ~~、と全員一致で決まったのが、本日ご紹介の昭和ラテンロック歌謡の決定版「悪魔がにくい」です。

ご存じのとおり、演じている平田隆夫とセルスターズは明らかにセルジオ・メンデスとブラジル'66 の音楽性を歌謡曲に活かした名バンドであり、今となっては大ヒットした「ハチのムサシは死んだのさ」があまりにも有名ですが、個人的はデビュー曲だった「悪魔がにくい」も大好き♪♪~♪

なにしろイントロから、チュチュチュルチュ~ルゥ~というスキャットがたまりませんし、哀愁の曲メロと不条理さえ感じられる歌詞がジャストミートの刹那の境地なんですからねぇ~♪

しかも演奏がチャカポコリズムを使いながら、決してロックのビートを疎かににしていないのは流石であり、おまけに今回コピーしてみて気がついたんですが、要所にジャズっぽいテンションコードがみっちり使われているのは、これでなかなかトーシロには気が抜けない仕様だと痛感です。

もちろん歌とコーラスワークのコンビネーションも、我々がやると決めた以上は覚悟の修練は必須であって、基本的に演奏が自然体で上手いセルスターズはプロの中のプロだと思うばかり!

ちなみにリーダーの平田隆夫は音楽教育をバッチリ受けたピアニストであり、そのキャリアには様々なジャズ~ラテングループでの活動もあったそうですから、さもありなん!

自らのバンドになったセルスターズを結成したのは昭和43(1968)年頃らしく、公式レコードデビュー前は当然ながらハコバンでしたから、その実力は折り紙つきであって、ここでセルジオ・メンデス系のグループに発展したのも、そういう流れがあってこそでしょう。

そして「悪魔がにくい」発売当時のメンバーは、平田隆夫(vo,p)、村部レミ(vo)、みみん・あい(vo)、菊谷英二(g,vo)、小井修(b,vo)、松山徹(ds,per) でありましたが、掲載ジャケ写からも一目瞭然、如何にも1970年代ファッションが全開で似合うあたりも、サイケおやじの世代の皆様には、こみあげてくるものがあるはずです。

なぁ~んて、本日も決め込みが多くて申し訳ございません。

しかし良い歌、良い曲ってのは世代を越えて愛されるという事実は普遍であって、この「悪魔がにくい」も、作詞作曲した平田隆夫の音楽性の好ましさがタイトルどおり、ニクイですよ♪♪~♪

それは確か、昭和46(1971)年のちょうど今頃の季節から流行り始め、師走の商店街の有線からも流れまくっていた記憶がありますので、時が流れても、一時は忘年会の定番カラオケになっていたのも納得の理由があったというわけでしょうか。

ということで、やる事を決めた後になって、相当に難しい現実に直面しているのは情けない話ではありますが、やるからにはヘタレは覚悟のお楽しみ主義を貫くしかありません。

それも、おやじバンドならではの遣り口と居直っています。

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38年目のぶりっ子ロケンロール

2012-10-22 15:32:01 | 歌謡曲

めざめ / 木之内みどり (NAV)

昨日はみっちり、おやじバンドの練習を楽しんだと言えば語弊もありますが、やっぱり楽しいものは素直に楽しい!

そう言えるのが、アマチュアの特権でしょう。

中でも特に楽しいのは、やらかす歌や曲をあれこれ談義する時だと、サイケおやじは思っているんですが、同時にこれがなかなかに険悪なムードになったりした経験は、皆様にもご理解いただけるものと思います。

尤も、すっかり齢を重ねた今となっては、それもまた楽しいわけですが、さて、そこで今季のおやじバンドのテーマは昭和歌謡ロック♪♪~♪

既にGS歌謡の「恋のシャロック」、「回転木馬」や「京都の恋」あたりのベンチャーズ歌謡は決まっていますが、実は参加してくれたボーカリストの熟女さんが相当に歌えるので、もう少し幅広くやれそう!?

そこでサイケおやじは長年やりたくて、密かに温めていた本日ご紹介の「めざめ」を提案してみました。

ご存じのとおり、歌っている木ノ内みどりは昭和49(1974)年からの数年間、典型的なアイドルとして活動していながら、現実的には歌のヒットは昭和53(1978)年の「横浜イレブン」ぐらいで、このデビュー曲も全くの空振り……。

しかし、ちょいと健気で、キュートな容姿は人気を集め、グラビアアイドルとしての存在感も強く、さらには昭和52(1977)年の映画「野球狂の詩(日活・加藤彰監督)」で主役の水原勇気をジャストミートで演じた事により、決定的なイメージを確立したのですが、好事魔多し!

というか、翌年には日本の名人ペースプレイヤーにして、アイドルへの作編曲も提供していた後藤次利と愛の逃避行をやってしまったんですから、入っていた全ての仕事を放り出した彼女は、必然的に芸能界を追放される様に引退しています。

ちなみに当時の後藤次利は元シモンズの玉井タエと結婚していましたから、芸能マスコミは大騒ぎでしたし、人気絶頂の木之内みどりが不倫騒動の末、21歳で引退するなんて……!?!

と泣きながら嘆いていたファンは数知れません。

しかしサイケおやじは、決して彼女のファンではなく、スレンダー系の肢体やロリ系の雰囲気にも、それほど魅力は感じないんですが、木之内みどり名義の歌は好きでしたねぇ~♪

特に昭和49(1974)年初夏のデビュー曲「めざめ」は、「ぶりっ子ロケンロール」の決定版とさえ思うほど、素晴らしい出来なんですよっ! なにしろ最初にラジオで聴いた次の日、レコードをゲットしていたほどです。

そして、これは自分もバンドでやりたいなぁ~~♪

と心に決めはしたものの、誰が当時、こんなアイドル歌謡をロックバンドでやろうなんて、そんなバカを実行出来るはずもありません。当然ながら、その頃は「ぶりっ子」なぁ~んていう言葉もありませんでしたから、アマチュアでもロックっぽい女性ボーカリストにそんな事を提案したら、その場でガイキチ扱いされ、白眼視は避けられません。

でもねぇ~、一度でもしっかり聴いて欲しいんですよ、この「めざめ」を!

こうして時が流れました。

その間にも、サイケおやじの好きな歌謡曲のひとつとして、それは消える事がありませんでしたから、今回、ようやく夢が叶うという感じでしょうか。

しかも件の熟女さんボーカリストが、流石に今の自分には歌詞に無理があるから、「娘にやらせますっ!」と力強い御宣託!!

 さっさやかれ~ さっさやかれ~
 どぉ~うしていいのか わからない

 高校二年なら 大人のはずだから
 わかってくれるね とあなたはいうけれど

 いじめちゃいやいや~ん 急いじゃいやいや~ん
 怒っちゃいやいや いやいや

という、阿久悠の歌詞は、こんな内容ですから、う~ん、わかっていらっしゃいますねぇ~~~♪

そして特参ボーカリストは現役女子高生に決定!

なんでも母娘はカラオケでも趣味が似ているそうですし、先週ちょいと顔を見せてくれた時にも、かなりのロック好きということで、これは期待が膨らみますよ♪♪~♪

ということで、これは歌謡R&Rなんですが、三木たかしの作曲は汎用性の高いアレンジも受け入れてくれますから、おやじバンドはハードロックでやりますよっ!

衣装は当然ながら、ミニスカでパンツ見せ!

とか言ったら、母娘はどうしますかねぇ~?

そんな楽しみも密かに練っているのでした。

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