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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ミミというスタアの証明

2011-10-05 15:55:56 | 歌謡曲

おしゃれな土曜日 / ミミ (日本コロムビア)

ミミ萩原を忘れ難く思っているのは、きっとサイケおやじと同世代の皆様でしょう。

今となっては伝説の女子プロレスラーであり、それ以前はキュートなアイドルとして、今もコアなファンが存続し続けている現実を無視するわけにはいきません。

で、サイケおやじが最初に彼女を認識したのは昭和48(1973)年のちょうど今の時期、某所でおそらくはレコード発売のキャンペーンだったのでしょうか、なかなかコケティッシュで華奢な雰囲気と愛くるしい面立ちが強い印象となって残りました。

ただし残念だったのは、その時のサイケおやじはバイト中だったので、肝心の歌は聴けなかったんですが、そういえば同時期には男性週刊誌や芸能誌のグラビア、あるいはテレビ等々に登場する回数も増えていたように思います。

そして以降、「ミミ」という芸名の彼女は急速にアイドル人気が沸騰し、キュートなルックスとナチュラルなエロキューションで忽ちスタアになって、数枚のレコードを発売し、ドラマでもお色気アクションの決定版「プレイガールQ」にレギュラー出演する等々、華やかな活動を展開しています。

しかし仰天させられたのは、その人気が未だ継続中の昭和53(1978)年に女子プロレスラーに転向したことです!

ちなみに入団先は全日本女子プロレスで、当時はほとんど業界独占の会社でしたし、マッハ文朱からジャッキー佐藤&マキ上田のビューティペアと続く大ブレイクが社会現象にもなっていた頃とあって、芸能界の「ミミ」からリングネーム「ミミ萩原」となった彼女は大きな話題を呼んだのですが、元来がショウ的要素の強い女子プロレスをとにかくも本格的な格闘技路線に導いたマッハ文朱~ビューティペアの次のスタアというポイントにおいては如何にも非力でしたし、それゆえにキワモノ扱いは当然のムードが強くありましたですねぇ。

実は後に明らかになったところでは、ミミは芸能界では相当なイジメにあっていたらしく、おそらくはフランス系と言われる出自とか、外国語に堪能な帰国子女というあたりが嫉妬されていたんでしょうか……。

歌手としても率直に言えば「ターヘ」ですからねぇ。それに反比例する人気が妬まれたとしても、それはどんな世界にもある現実のひとつだったと思われます。

しかし、だからといって女子プロレスの世界は決して甘くはありません。

これもひとつの伝説になっているのですが、デビューからの前座試合では連敗記録も樹立しているらしく、なによりも一般人から見ても華奢な彼女が、ガッツリ鍛えられている女丈夫の中でやっていくには決死的な覚悟があったはずです。

ただし救い(?)だったのは彼女自身がプロレス好きだった事、さらにはビューティペアが去って以降、客足も中高生の女の子が激減し、スケベ心を隠しきれない男達にファン層が戻っていた事もあり、そっち向けのベビーフェイスを必要としていた会社の思惑も大きく働いていた事は言うまでもありません。

そこで女子プロレス界の常識(?)としてベビーフェイス=善玉には白い水着という「お約束」がミミ萩原に与えられ、ヒール=悪役にメチャメチャにやられた後に一発逆転という予定調和が大成功!

当然ながら彼女の苦悶の表情、身体を捩りながらのやられっぷりの良さが人気を呼び、加えてストロングスタイルのジャガー横田やデビル雅美といった悪役スタアも台頭する等々、以前よりは沈静したものの、それなりに熱いブームが後の長与千草&ライオネル飛鳥のクラッシュギャルズ登場に繋がったんじゃないでしょうか。

実は皆様もご推察のとおり、サイケおやじはプロレスも好きですが、女子プロレスも大好きで、まあ、このあたりは所謂キャットファイトマニアの本性もあるんですが、生観戦にもかなり行っています。

そして女子レスラーというのは単にリングで試合を見せることばかりが仕事では無く、そこへの行き帰りの通路では観客に尻を撫でられたり、胸タッチや、時には抱きつきなんかも、特にノーテレビの会場では日常茶飯事でした。

そのあたりが女子プロレスのもうひとつの存在意義であって、それゆえに「見世物興業」と紙一重の扱いでもありますから、バリバリのアイドルから転向してきたミミ萩原には絶大な商品価値があったのです。

実際、セクシーパンサーとして売り出された全盛期、つまり昭和55(1980)年頃からの彼女は激ヤバのハイレグ水着で露出度も高く、尻のワレメもギリギリに大きく開いた背中とか、どう考察しても剃毛だろうという「Yゾーン」が眩しいばかり♪♪~♪ もちろん試合中のアクション&リアクションも芝居がかって大袈裟になっていきましたから、本当にたまりませんでしたねぇ~~♪

もちろん件の通路での観客の行為もエスカレートしていたわけですが、流石は芸能界で仕込まれてきたミミ萩原は、そのあたりの対応も実に上手く、矢鱈に怖いニラミを効かす某レスラーよりも人気が高まるのは必然だったのです。

ちなみに当時は全女に所属の女子レスラーもビューティペア以降のブーム凋落には相当な危機感を持っていたらしく、会社側がミミ萩原を「顔」として売り出す事には協力的だったと言われています。

また噂というか、今は定説になっていますが、その頃の女子レスラーは会社の命令(?)でアンダー無しのコスチューム直履きという大サービス♪♪~♪

ご存じのとおり、彼女達の水着は下の部分に「紐」が入っていて、太モモとヒップの間を締めつけているわけですが、それでも激しい試合の最中にはズレが生じる事も間々あり、あるいは乳首のポロリも頻発という中で凝視される試合が熱くならないと言えば嘘になるでしょう。

実際、サイケおやじはクイコミや半マン出し、乳首浮き出し等々の美味しい場面は、たっぷりと生で見ているんですよっ!

特にノーテレビの地方興業なんか、実にアブナイ場面が多かったですねぇ~♪

羨ましいでしょう~~♪

まあ、それは対象の女子レスラーにもよりますが……。

ですから、そういう世界に飛び込んで芸能界と同じくスタアになったミミ萩原が、今もって忘れられないのは当然なのです。

そしてスタア女子レスラーの常として、自ら歌うレコードを発売し、試合前のリングで歌って踊るという部分に関してもトップを取り続け、それゆえに芸能界時代に出していたレコードが中古市場で人気を集めるという、なにか本末転倒のブームもありました。

さて、そこで肝心なのが本日ご紹介のデビューシングル「おしゃれな土曜日」で、安井かずみ作詞&葵まさひこ作編曲というだけで、楽曲の素晴らしさは保証付きなんですが、そのオールディズ調の歌謡ポップスを歌うミミの不安定なボーカルは……。

しかし、そのあたりが所謂「守ってあげたい」症候群を誘発し、女子プロレスのリングで苦悶する彼女に感情移入する起点となった! なぁ~んて言うのは、サイケおやじの全くの独断と偏見にすぎません。

それでも女子レスラーとして人気絶頂時に出した何曲かの自信に満ちた名唱(?)よりは、ずぅ~~っと好感が持てるんですけどねぇ。

ということで、今でこそアイドル系の女子レスラーは大勢存在していますが、少なくとも芸能界の人気アイドルが女子プロレスに転向し、大いなる成功を勝ち得たのはミミ萩原だけでしょう。

それが肉体的にボロボロとなっての引退から芸能界への一時復帰、そして結婚や新興宗教への入信等々、以降も常に世間を騒がせる存在感は、やはりスタアの証明だと思います。

願わくば女子レスラー時代の試合映像、そして芸能界デビュー時の映像も併せて、決定版の復刻ヒストリー集成を出して欲しいものです。

あぁ~、そういう仕事が出来たらなぁ~~~。

コメント (6)
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