OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

大晦日のご挨拶

2015-12-31 15:43:01 | 日本のロック

のんびりいくさ / かまやつひろし (ヴァーティゴ / フィリップス)

毎年、早いなぁ~~、と繰り言に終始するサイケおやじの年末も、今年は特にそれが切実に感じられる日々でした。

なにしろ年初から悪い予感はしていたのですが、春には仕事で責任至極の立場となり、そりゃ~確かに自分を担いでくれる人達が存在している現実は嬉しいとはいえ、軽い神輿になろうとするほどに、身動きが取れないという状況は……。

そしてそんな中、昨年夏以来、癌で闘病中だった父が5月に思いがけずも他界……。

というか、以前から不摂生を積み重ねていた父にしても、昨年春に体調を崩した事、さらに夏には食べ物が喉を通らなくなった原因が末期の胃癌であったとは知る由もなく、それは家族も同様でした。

ただ、そうした苦境においても、何か父には他人事のような言動、ふるまいが多く、ふさぎこんでいなかったのは救いでもありますが、まさか本人も、ここで死ぬとは思っていなかったフシがありましたですね。

なにしろお盆過ぎに入院した時も食欲旺盛というか、少しずつ普通の食事が出来るようななってくると、病院で供されるだけでは足りず、自ら売店で間食のお菓子を買ったり、また家族にも食べたいものをリクエストするという、とても胃癌患者とは思えない所業でした。

もちろんサイケおやじは不安になり、担当の医師にそのあたりを尋ねたところ、酒やタバコ、イカやタコ以外なら、好きなものを食べて良しという回答は???

しかし、今になって思えば、食べられる時に食べておけ、そのうちに食べられなくなるから、という事だったわけです。

ちなみに父への治療は、既に手術は無理、年齢的に放射線も不可能ということで、抗癌剤を用いてはいましたが、それとて手遅れの患者には分量を減らし、苦しまないように経過を観察するという、やさしいものでした。

そして案の定、夏の終わりに退院すると、家族の心配を他所に、以前よりも豪快(?)に好きなものを喰いまくり!?!

おまけに20年ほど前に心臓を悪くした時、絶対に禁止のはずだったタバコが全く止められず、堂々と隠れて(?)吸っていたツケが回ったというか、今度は肺に転移しての再入院です。

それでも時々は一時帰宅という事もあり、今年の正月は家族団らん、3月にはサイケおやじの姪が婚約という席にも出られましたから、それから2ヶ月後足らずというのは、あまりにも突然という思いでした。

と言うのも、既に述べたとおり、父の食欲は相変わらずでしたからねぇ、サイケおやじも時間を作っては病院へ顔を出す時、常に様々なお菓子や果物を持参させられたほどだったんですよ。

しかし、病が深刻だったのは事実であり、肺に水というか、血液が溜まって呼吸が上手く出来なくなり、背中の痛みも激しく、ついにはチューブを刺して肺に溜まった液体を抜き続ける状態から輸血も度々という具合では、どうやら「桜の花が散る頃」という医師から渡された引導も切実になっていました。

ところが、それでも本人は顔がやつれる事もなく、確かに足は細くなり、腹周りも細くなっていましが、テレビを見たり、平素は苦しむ事なく、すやすやと眠る毎日だったので、とりあえず安心はしていたのです。

実際、お見舞いに訪れた友人知人に対しても、お気楽に接していたといいますし、亡くなる前日にはアイスクリームを食べ、ゲロ吐いた事を除けば、その夜にサイケおやじが会った時も安らかに寝ていたのですから、まさか翌日とは!?!

突然、朝の9時半頃に病院から連絡が入り、父の容体の急変を知らされても、とりあえず母と一緒に病室に着いた時には、既に父の呼吸は止まっていたというほどでした。

そして医師から最終診断では、進行性胃癌と癌性胸膜炎により、5月1日午前11時8分という死亡時刻が告げられました。

う~ん、なんともあっけないというか、一応家族の希望としては、最期まで苦しまないようにして欲しいという医師への願いがありましたから、これで良かったという気持ちも確かにありましたが……。

で、そこからが葬儀のあれこれにドタバタしたのは当然の仕儀で、それからも煩雑な手続に忙殺され、香典やお見舞い、弔電や供物の整理、そしてお返し等々は時間的に厳しいサイケおやじの仕事と重なって、月日だけが過ぎ去っていくスピードを感じるのみでありました。

また、遺品や相続の整理についても、あれやこれやと追い回され……。

気がつけば、なにもかもが未だ中途半端で大晦日を迎えてしまいました。

そして当然ながら、今は年賀欠礼、喪中の身ですから、静かなお正月になるのは正直、ほっとしているのが本音ですし、併せてまして来る新年の抱負というか、それこそが掲載シングル盤のタイトルどおり、「のんびりいくさ」の心境というわけです。

実は告白すれば、今年は8月いっぱいで現在の仕事からリタイアし、以前に出向していた雪国の仕事先で非常勤をやりながら、自分の趣味嗜好に沿った様々な復刻作業に関わりたいという人生を設計していました。

そのために雪国で借りていた家も、持ち主のご厚情に甘える形で、そのまんまにしていたほどだったんですが、それも今や画餅……。結果的にさらに仕事に縛られ、責められる身の上のもどかしさってやつです。

あぁ、この「のんびりいくさ」を自作自演した元スパイダースのかまやつひろしが、曲タイトルとは逆のイメージとして、発売された昭和47(1972)年初夏の流行りに毒されたが如きタテノリのハードロックをやってしまった事にも、無性な共感を覚えますねぇ~~。

だって当時は歌謡フォークの全盛期で、かまやつひろし本人もカントリーロックな「どうにかなるさ」、CSN&Yがモロ出しの「四つ葉のクローバー」を連続ヒットさせていたのですから、いきなりフリーフェイセズみたいなサウンドで日本語のロックをやらかしてしまうなんて、およそ「らしさ」も想像を絶していました。

しかし、流石は洋楽の最先端にも敏感な御大!

確か当時はギンギンのロンドンファッションに身を包み、激しいアクションで「のんひりいくさ」を演じていた、その強烈なギャップはスパイダース時代から一貫していた、逆もまた真なり!?

うむ、これだよなぁ~~、今からのサイケおやじに必要なのはっ!

ということで、嘆き節のついでというか、最近は自分好みのエロ物が極端に少ないと思うばかりで、例えば映像にしても、所謂イメージ作品ならば、モデルさんがちっともサイケおやじの好きなボーズや仕草を見せてくれないし、読み物にしても、ジャストミートするSM物やミステリは極めて少なく、映画やテレビ作品も感情移入出来るものがほとんどありません。

思い上がりなんでしょうが、本音は自分で作りたいという願望が本当に強いです。

それを来年の夢とさせていただき、繰り返しますが年賀欠礼、ここで皆様に御礼申し上げます。

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年の瀬や 空にくじらが 飛ぶかぎり

2015-12-30 16:04:48 | Singer Song Writer

空飛ぶくじら / 大瀧詠一 (ベルウッド / キングレコード)

ここ最近、体調が悪く、失礼致しました。

おかげ様で回復基調というか、少しずつ上向きの気分で年末年始を過ごせそうです。

ただし昨年のように特集的なエロジャケ盤のご紹介は、流石に年賀欠礼の身としては自粛させていただきます。

さて、そこで掲載したのは折あしくも命日である大瀧詠一が昭和47(1972)年に出した自己名義のソロシングルで、もちろんここで「自己名義」としたのは、当時の大滝詠一は、はっぴいえんどのメンバーであり、楽曲そのものも後にアルバム収録された時には同バンドのべス盤に入れられたという経緯があるからです。

しかし現実的なレコーディングセッションには、はっぴいえんどの他のメンバーは参加しておらず、どうにか作詞に江戸門弾鉄を名乗った松本隆、そして作曲に多羅尾伴内=大瀧詠一のクレジットがありますから、如何にも苦肉の策かもしれません。

そして肝心の楽曲「空飛ぶクジラ」が、はっぴいえんどっぽく無いわけで、クラリネット等々を入れた、これがなかなか親しみ易いホノボノ調の仕上がりなんですねぇ~♪

このあたりを評論家の先生方や大瀧詠一本人は、「封印していたビートルズ」を解禁した云々みたない話でオチをつけようとしたみたいですが、サイケおやじとしては、あまりそれに拘っていません。

ご存じのとおり、大瀧詠一はロックミュージシャン、あるいはシンガーソングライターというよりも、既にプロデューサーとしての音楽活動をメインにしていた感があり、だからこそ如何様にも好きな歌や曲を制作出来る立場に入っていたのですから、幅広い趣味性を公にしたところで節操云々という事は批判の対象にはならないでしょう。

平たく言えば、大瀧詠一がソロ名義で制作する楽曲の多くが所謂「パクリ」でありながら、決して「盗作」の誹りを受けないのは、故人が偉大なるコラージュ作家だったゆえの事と思うんですよ。

だから残された歌や演奏には様々な洋楽の元ネタがちりばめられ、それを解明するのがコアなマニアの証とするファンも大勢存在し、そうした人達の前で大瀧詠一を軽んじたりすれば、忽ち「お前は分かっていない!」とか「洋楽ファンでは無い!」とかバカにされ、極言すれば仲間には入れてもらえないという、本当に閉鎖社会の象徴であるはずが、実際は誰にも気持ち良く楽しめる世界が大瀧詠一の音楽でしょう。

ただし残念ながら、これは好みの問題なんですが、故人のボーカルの特性が時には「なめくじ」とまで称されるほどのクセがあり、あぁ、こんな事を書いてしまっては皆様からのお叱りは覚悟せねばなりませんが、だからこそ大衆的なヒットの世界からは縁遠かったのが当時の大瀧詠一だったんじゃ~ないでしょうか。

逆に言えば、本人を筆頭に、これほどマニアックなレコードを作る日本人ミュージシャンは稀だったのが当時の実情だったような気がします。

つまり本人が自分で望むレコードを作っていたという趣味性の極みこそが、大瀧詠一の真骨頂かもしれないのです。

説明不要とは思いますが、今や誰もが知っている山下達郎や佐野元春、シャネルズ=ラッツ&スター、松田聖子や太田裕美に至るまで、大瀧詠一が関わった制作作業のあれやこれやは、見事なまでのポップス歌謡として既に「日本語のロック」だとか、「ニューミュージック」なんていう曖昧にして便利な括りを必要としないものになっていますよねぇ~♪

あくまでも個人的な思いですが、サイケおやじは「空飛ぶくじら」を聴く度に、今日の「J-POP」が確立した過程における大瀧詠一の存在を強く意識せざるをえません。

ということで、今年の個人的総括は明日にさせていただきますが、それにしも本年は私的激動の連続でありました。

そこで本日ぐらいは、ホノボノと過ごしたいと願い、「空飛ぶくじら」に針を落としたというわけです。

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夜が来れば、朝も来る

2015-12-29 16:37:57 | Weblog

医者から出してもらった薬を服用、半日ほど寝ていたら、気分も体調も回復しつつあります。

でも、これから、ど~しても顔を出さねばならない宴会があるんで、自重させていただきます。

明日からは、平常どおりといきたいですね。

よろしくお願い致します。

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つぶやき…

2015-12-28 16:41:41 | Weblog

皆様のご厚情に感謝しております。

なんか年内は休み無し!?

みたいなムード濃厚で、気分はヘヴィ、体調はヤクが切れてきたような……。

本音は,横になりたいなぁ~~。

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気持ちも空回り…

2015-12-27 16:16:38 | Weblog

すんません、メチャクチャに体調悪くて……。

点滴受ける破目になりました。

う~ん、金曜日から宴会に顔出しだけでも6連荘でしたから……。

皆様のコメントへのお返事の遅れ、また、本日の1枚の休載、ご容赦下さいませ。

健康の尊さを痛感しています。

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女性にはもっとトレンチコートを着て欲しい

2015-12-26 16:07:52 | 歌謡曲

アカシアの雨がやむとき / 西田佐知子 (ポリドール)

多種多様な女性ファッションの中にあって、サイケおやじがノー文句で弱いのが、以前にも告白した「白いセーター姿」と並んで、もうひとつ、「トレンチコート姿」が好きでたまりません。

理由は自分でも分からないんですけどねぇ~~、それが所謂フェチってやつの本性なのでしょう。

ですから、必然的(?)にそういうモードで登場している女性が写るレコードジャケットも蒐集の対象でありまして、まあ、今はそうでもないんですが、以前のある時期には発作的にゲットしていた前科もありました。

例えば、本日掲載のシングル盤は、まさにその代表的なブツのひとつで、どうです、トレンチコート姿の西田佐知子の佇まいは♪♪~♪

なんとも訳有り、下世話な神秘性が滲む面立ちは説明不要、作詞:水木かおる&作編曲:藤原秀行による名曲「アカシアの雨がやむとき」を退廃的とも称された西田佐知子の歌唱共々、何時までも残る余韻には不可欠と思うばかり♪♪~♪

ですから昭和35(1960)年頃からのロングセラーもムベなるかな、このジャケ写を眺めつつ、何度でもレコードに針を落としてしまうという中毒症状も許されるわけですよ。

ということで、露骨な自己弁護になりますが、今でも街角でトレンチコート姿を女性を発見すると、サイケおやじは我知らず凝視するという失礼をやらしてしまうのは、そういう性癖ゆえの事……。

極力事件性は無いものと自分に言い聞かせている年末です。

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クリスマスの夢

2015-12-25 16:33:07 | Rock

夢見るクリスマス / Greg Lake (Manticore / ワーナーパイオニア)

クリスマスと言えば、キリストじゃ~なくて、サンタクロースというのが子供達の本音でありましょうか。なんたって寝ているうちにプレゼントを枕元に配達してくれるという、なかなか奇特な人物ですからねぇ~~♪

もちろん、それを信じているのは幼少期の数年であって、実は自分の父母や親族の代行作業に気がつくのは時間の問題ですし、だからこそ堂々と前もって欲しい物を公言出来るという、それもまたクリスマスという慈愛の日には相応しいものと思います。

そして大人になっても、尚更にサンタクロースを信じるという心持ちは、叶わぬ願いへの不条理な想いの表れかもしれません。

本日ご紹介するのは、まさにそれがストライクゾーンのど真ん中!

エマーソン・レイク&パーマー=ELPのグレッグ・レイクが自己名義のシングル曲として1975年に出した「夢見るクリスマス / I Believe In Father Christmas」は、

 天にも地獄にも 必ずクリスマスはやってくる

という強烈なキメの一言を含む痛切なメッセージを全篇でアコースティックギターと盛り上がっていくストリングスやコーラスの静謐で大仰な彩で包み、確信を得て歌い込むグレッグ・レイクの潔さは、なかなか素敵なんですねぇ~~♪

もちろんそこには世界の平和、家族愛、未来への希望が託されているわけで、作詞はキング・クリムゾン以来の盟友たるピ-ト・シンフィールド、作曲は当然ながらグレッグ・レイクというクレジットには、プロデュースも両者共同という真相もありますから、本国イギリスでは相当なロングセラーになっています。

そして後年には、しっかりELP名義の作品となり、1977年にはアルバム「ワークス Vol.2 / 作品第2番」に収録されたのですが、それは別バージョンですから要注意!

違いとしては、何故かELP名義のアルバムバージョン方がアコースティックなフィーリングで、グレッグ・レイクのボーカルも野太いのに対し、こちらのシングルバージョンは逆にELP風味が強いという本末転倒も興味深いところでしょうか。

個人的にはシングルバージョンが圧倒的に好きですが、それにしてもグレッグ・レイクのアコースティックギターは味わい深くて、これまた大好きという愛の告白♪♪~♪

ということで、ガチガチの異教徒には、こんなクリスマスの幻想なんて通用しないとは思いますが、平和な暮らしや未来への希望を求める心はひとつ!

そこには「サンタクロースを信じる」という、些か幼稚な例えに仮託したピュアな気持ちが必要なのでしょう。

あぁ、安らかな日々の尊さよ!

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クリスマスにはシンシアを

2015-12-24 17:33:22 | 歌謡曲

シンシアのクリスマス / 南沙織 (CBSソニー)

 A-1 聖夜(きよしこのよる)
 A-2 サンタが街にやってくる
 B-1 ジングル・ベル
 B-2 ブルー・クリスマス

毎年同じ疑問を呈しているわけですが、ど~してキリスト教徒でもない者がクリスマスの祝祭に興じるのか?

そりゃ~、既に子供の頃からの慣習だとする皆様だって大勢いらっしゃるはずですし、中にはユダヤ人やイスラム教徒までもが日本で暮らしていると、すっかりそれに馴染んでいるという姿は、いやはやなんとも……。

もちろんサイケおやじは信心は深くありませんが、一応は仏教徒なもんですから、異教の降誕祭を真摯に受け入れるには、様々なものが欠けています。

ところがそれでもクリスマスになると、これが妙にウキウキとした気分に駆り立てられるんですから、こんな不思議な行事期間もありませんよねぇ~~~!?

そして実際、所謂クリスマスソングってやつが決して嫌いではなく、むしろ積極的に集めていた時期がありました。

本日掲載の4曲入りコンパクト盤も、まさにそのひとつであり、しかも主役が南沙織というよりも、シンシアってところがニクイばかり♪♪~♪

だって皆様ご存じのとおり、彼女は未だアメリカが色濃かった沖縄からやって来て、しかもこれが発売された昭和50(1975)年晩秋当時はカトリック信徒でしたからねぇ~、そのまんまクリスマスソングを歌うという行為にも正当性が感じられたんですよ。

で、肝心の収録曲は全て定番ではありますが、ちょいと異色と思われるのがエルヴィス・プレスリーの人気持ちネタ「ブルー・クリスマス」でしょうか。しかし、ここでは中里綴の訳詩と林哲司のアレンジを得ての和製ポップス風に仕上げてあるのが、個人的には些か物足りないところ……。

まあ、現役バリバリのアイドルにディープなソウルフィーリングは似合わないという常識からすれば、それも正解という結果論もあるとは思いますが、その意味で完全に英語オンリーで歌った「サンタが街にやってくる」の潔いポップス感覚こそが、我が国歌謡界における南沙織の存在意義のような気さえしてしまいます。

そして同じく萩田光雄のアレンジによる「ジングル・ベル」も日本語詞を用いながら、やはり方向性が同じというあたりは痛快ですよ♪♪~♪

ただしA面ド頭の「聖夜」が「きよしこのよる」という、如何にも当たり前の作りになっているのは、今となっては賛否両論を超越したものと言えるのでしょうか。

まさにスタンダードとしてのクリスマスソングが、我が国でも根付いていた証かもしれません。

ということで、何故か昭和50年代には歌謡曲フィールドでのクリスマスレコードが些か不作気味だと感じるのは、サイケおやじだけでしょうか?

特に南沙織だったら、オリジナル曲も入れたクリスマス企画アルバムが作られても、なんらの不思議も無かったはずが、考えてみれば彼女もお寺の息子らしい篠山紀信と結婚したのであれば、それはそれで結果オーライなんでしょうかねぇ~~?

てなことを諸々思いつつ、今年も仕事に追われる年末のサイケおやじです。

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師走のエレキはパブロフの犬か

2015-12-23 15:00:59 | Ventures

Caravan c/w Bulldog / The Ventures (Liberty / 東芝)

毎年、殊更この時期になるとエレキインスト物が聴きたくなるサイケおやじは、つまるところ昭和40(1965)年の師走に加山雄三主演の傑作映画「エレキの若大将」を鑑賞し、忽ちシビレまくった前科前歴があるからに他なりません。

もちろん、当時は日本中にエレキブームが蔓延拡大中でしたから、過言ではなく、ビートルズよりも人気が高かったベンチャーズの魔力にガンジガラメだった所為もあり、とにかくエレキの虜になっていたのは嘘偽りもありません。

ですからベンチャーズのレコードは何れも「聖典」であり、中でも本日掲載のシングル盤は極みの1枚として、その頃のサイケおやじが連日連夜聴き狂った愛聴盤でありました。

あぁ~、今でもこれを書いていて、思わず熱くなってしまうのは、まずA面の「Caravan」がロックをベースにラテンのリズムとジャズ系4ビートを混在両立させた名演である事は言わずもがな、モズライトを弾いては強烈なテクニック、例えばダブルノートのプリングオフやスピード感溢れる半音下降のスケール、さらには三連フレーズの端正な暴虐(?)等々、とにかくこれを完コピ出来れば、即プロは間違いなしとまで言われた華麗なギターがノーキー・エドワーズの真骨頂!

加えてメル・テイラーのモダンジャズも顔負けのスリリングなドラムス、激しいビートを提供するドン・ウィルソンのリズムギターとボブ・ボーグルのベースがあってこそ、これがベンチャーズならでは凄まじいロックグルーヴでありましょう。

実際、この「Caravan」はジャズの王様だったデューク・エリントン楽団の代表作として知られていたんですが、リアルタイムの我が国エレキバンドはプロアマを問わず、とにかくベンチャーズスタイルの同曲をやらねばならないという切迫感に苛まれていたほどの影響力があったんじゃ~ないでしょうか。

しかし、言うまでもなく、これは至難!

リードギターも当然ながら、リズムギターとベース&ドラムスのノリが合わないと、全く悲惨な結末は不可避の決定版ですからねぇ~~~。

ちなみにベンチャーズのスタジオ録音による「Caravan」は、この時点までに2バージョンあり、最初は1960年に発売されたデビューアルバムに収録された、これはリードを弾いているがノーキー・エドワーズかボブ・ボーグルか、ちょいと判然としませんが、それなりにジャズに傾きが感じられる落ち着いた仕上がりになっているのに対し、このシングル盤に収録されたのは1963年頃の録音にしてはド派手な大傑作♪♪~♪

これがロックのギターインスト、その完全証明として人類遺産は確定と思うばかりです。

また、B面収録ながら、これまた極みのロックインストになっているのが「Bulldog」で、オリジナルはファイアーボールズが1960年に大ヒットさせた曲ではありますが、翌年にカバーしたベンチャーズのこのバージョンこそが強烈無比!

もちろんここでもリズムギターを要とし、ベース&ドラムスで作り出すノリの物凄さは絶品ですから、リードギターが決して主役ではないという趣が所謂ベンチャーズサウンドの秘訣かもしれません。

そして、それがあるからこそ、ライブの現場においてノーキー・エドワーズが同曲で披露する例のブリッジ外奏法が冴えまくるのでしょう。

そのあたりの名演は、特に当時の日本公演から作られたライブアルバムや映画でも堪能出来る幸せの瞬間でもありますので、どうか皆様にも存分にお楽しみいただきとうございます。

ということで、ベンチャーズが唯一無二の存在として屹立しているのは、バンドとしての一体感というか、強靭なロックのグルーヴをバンド全体で放出発散させていたからだと!?!

これは実際にエレキバンド、あるいはロックバンドをやった皆様であれば共感していただけると思いますが、グループとしてのリズムやビートが纏まっていないと、幾らリードのパートを練習しても収まりが悪いのは必然ですし、逆にそれがある程度出来上がっていれば、ボーカルだろうが楽器演奏であろうが、リードのパートはそれなりにカッコがついてしまうんですよねぇ~。

ベンチャーズが基本、4ピースのバンドであるという真実に鑑みても、その大切さが伝わってくるものと確信している次第です。

最後になりましたが、掲載の私有盤に写るベンチャーズのステージにおける雄姿は、同時に手の届かない楽器や機材への憧れでもありました。

つまり少年時代のサイケおやじは学校での掃除の時間、箒でエレキのバカ大将だったというわけです。

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既にここで1時間…

2015-12-22 17:26:46 | Weblog

帰ってきました。

しかし、未だ飛行場から出られず、手荷物も出てこないとは!?

悪い予感というよりも、手際の悪さを感じています。

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