OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

栄光のシカゴの栄光

2010-01-31 13:30:18 | Rock

栄光のシカゴ / Chicago (CBSソニー)

ブラスロックのと言うよりも、2枚組LPの王者だったシカゴが初めて出した1枚物のアルバムが、この日本独自編集による、本日ご紹介のベスト盤でした。しかも昭和46(1971)年の初来日ギリギリに発売された所謂「来日記念盤」だったんですよ♪♪~♪

今となっては嬉しくも懐かしい思い出というところでしょうが、しかし当時は真剣でした。だって1枚物とはいえ、相手は高値のLPですからねぇ。

で、結局、私は買えず、友人から借りてのテープ録音という常套手段になったわけですが、それゆえに聴きまくり、既に3作出ていたシカゴのオリジナルアルバムよりも耳に馴染んだ楽曲の流れが、今日でも心地良いばかりです。

 A-1 INTRODUCTION
 A-2 DOES ANYBODY REALLY KNOW WHAT TIME IT IS ?
               / いったい現実を把握している者はいるだろうか? 
 A-3 QUESTIONS 67 AND 68
 A-4 I'M A MAN
 A-5 PROLOGUE, AUGUST 29, 1968
                 / 1968年8月29日シカゴ、民主党大会 
 A-6 SOMEDAY (AUGUST 29, 1968) / 流血の日 
 B-1 POEM FOR THE PEOPLE / ぼくらの詩 
 B-2 MAKE ME SMILE / ぼくらに微笑みを 
 B-3 25 OR 6 TO 4 / 長い夜 
 B-4 FLIGHT 602 / フライト・ナンバー 602
 B-5 FREE / 自由になりたい
 
 B-6 LOWDOWN

既に述べたように、1~3作目のアルバムからシングルヒットや人気曲を選び抜いて構成されたプログラムは秀逸の極みです。まあ、欲を言えば十人十色の好みの問題から、今日的な視点によれば「Beginnings」が入っていないのは??? しかし、これだけ粒揃いの名曲名演があれば結果オーライでしょうね。

というか、正直に告白すれば、シカゴの楽曲は全てが2枚組LPという壁に阻まれていた所為で、シングルヒット以外はきちんと聴いたことが無かったのがリアルタイムでの真相です。

そしてシカゴ特有のロゴと星条旗を強く印象づけられるジャケットデザインも魅力的だったんです。もちろん既に当時は、憧れの国のアメリカにだって多くのドロドロした問題が山積していた現実は、日本の青少年にだって知るところでしたが、それでもまだまだ狭くて貧乏ったらしい日本よりはマシ!? なんていう幻想も強かったんですよ、お若い皆様には、ご理解不能かもしれませんが……。

ちなみに収録曲は基本的にはアルバムバージョンですが、オリジナルアルバムのプログラム構成の絡みから、編集ポイントが微妙に異なっているのが意外な盲点になっています。

そんなこんなで私の世代には決して忘れられないレコードじゃないでしょうか? 実際、このアルバムは売れまくり、その反動で中古盤屋には安値でゴロゴロしていました。そして、にも拘らず、捨値で売っていたこのアルバムをゲットさせられてしまったサイケおやじは、既にして中年街道に入っていたのです。

それはやっぱり当時リアルタイムの感激といえば、例によっての大袈裟な物言いになりますが、過ぎ去った良い時代を懐かしむ気持の現れとして、ご理解願えれば幸いです。

う~ん、きっと、この選曲で、このジャケットデザイン復刻の紙ジャケットCDが出れば、またまた買ってしまうでしょうねぇ~、なんて自嘲しているのでした。

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レイドバックは快楽主義か?

2010-01-30 15:02:17 | Allman Brothers Band

Brothers And Sisters / The Allman Brothers Band (Capricon)

若い頃、それこそ一生懸命に聴いていた音楽は、齢を重ねても魅力が失せないどころか、ちょっとした偶然で、それらの一部でも耳にした瞬間、様々な事象が細部まで思い出されます。

例えば本日取り出したのは、サイケおやじにとっての昭和48(1973)年秋から冬に愛聴盤だった1枚で、オールマン・ブラザーズ・バンドにしても最大のヒットアルバムですが、ご存じのとおり、これが誕生するまでには天才ギタリストだったデュアン・オールマン、そしてバンド内では精神的にも縁の下の力持ちだったベース奏者のベリー・オークリーが、ともにバイク事故で亡くなるという悲劇がありました。

しかも両者の事故は、ほぼ1年の間に続いたわけですし、その現場も近く、享年24歳という悲劇も一緒というのは宿縁かもしれません……。

さて、これまでも述べてまいりましたが、そんなこんなでバイク好きのサイケおやじは、リアルタイムの当時から複雑な心境で、このアルバムを聴いていたわけですが、しかし中味の快楽性は否定出来るものではありません。

それは所謂レイドバックと称されていた、スワンプロックの進化形だったのです。

 A-1 Wasted Wprds / むなしい言葉
 A-2 Ramblin' Man
 A-3 Come And Go Blues
 A-4 Jellyu Jelly
 B-1 Southbound
 B-2 Jessica
 B-3 Pony Boy

ご存じのように、オールマン・ブラザーズ・バンドはデビューした時からブルースロックとR&B、そしてジャズやラテンも包括した実力を披露していましたから、スタジオ録音よりはライプセッションの方が魅力的という結果が、あの超絶の名盤「アット・フィルモア・イースト」を誕生させています。

また、それゆえにデュアン・オールマンの突然の悲報によって未完成の美学を聞かせてくれたアルバム「イート・ア・ピーチ」にも、しっかりとライプ音源が組み込まれていたのでしょう。

ですから再出発を確実に示したいバンドの意向として、あえてスタジオレコーディングの新作で勝負に出たのも、今では理解出来るところです。しかしサイケおやじは当時、完全に懐疑的で、オールマンズの新譜が出ると知っても、何ら期待はしていませんでした。

ところが友人が買ったのを聞かせてもらった瞬間、自分の不明を恥じいるばかりでしたねぇ。まさに血沸き肉躍るというか、歌うことを自ら楽しんでいるかのようなボーカル、果てしない快楽主義を作り出すピアノとギター、粘っこくて、さらに飛び跳ねるリズムとビート♪♪~♪ ハナからケツまでシビレましたっ!

ちなみにクレジットされたメンバー構成を確認すると、グレッグ・オールマン(vo,org,g)、ディッキー・ベッツ(vo,g)、ブッチ・トラックス(ds,per)、ジェイモー(ds,per) というオリジナルの面々に加え、ラマ・ウィリアムス(b)、チャック・リヴェール(p,el-p,key) が新レギュラーとなり、また悲劇の主人公となったベリー・オークリー(b) も部分的に参加しています。さらにボズ・スキャッグスのバンドからレス・デューディック(g) の助っ人も嬉しいプレゼントでした。

まずA面初っ端の「むなしい言葉」からして躍動的なリズムがうねり、スライドギターが粘っこいボーカルに絡み、浮かれたピアノが良い感じ♪♪~♪ しかも幾分、もっさりしたグルーヴが逆に明快というか、それまでのオールマンズにあったドロドロしたサイケデリックロックの残滓が消え、実に聴き易くなっています。

それは続く「Ramblin' Man」での明るいカントリーロック風味へと引き継がれていきますが、それにしてもノーテンキ寸前のイキ具合が絶妙で、まさに終りなき快楽主義の真骨頂! 実際、この曲をカーステレオで流しながらのドライブは最高ですよねぇ~♪

そのあたりはB面のハイライト「Jessica」にも明確に表現された、まさに新生オールマンズの魅力で、実際、このカントリーロッキンフュージョンの演奏は聴いても、また演じても気持良すぎますよ♪♪~♪ とくにラテン系パーカッションとアコースティックのリズムギター、オールマンズの看板ともいえるツインリードのキメのリフ、エクスタシー寸前の快楽をむさぼるピアノのアドリブ、さらに軽快なリズムと重いビートの完全融合! もちろんディッキー・ベッツのギターは水を得た魚の如く、カントリーロックのキモをジャズ的に発展させた舞い上がりフレーズがテンコ盛り♪♪~♪ 無理を承知の願いでは、全盛期のベンチャーズにやって欲しいとさえ思ってしまう、インストロックの極みつきです。

そして、それとは対をなすというか、逆に粘っこいブルースロックとR&Bの黒っぽさに拘り抜いたトラックも実に秀逸で、ユルユルなのにテンションが高い「Come And Go Blues」や「Jellyu Jelly」におけるコクがあってもスッキリした「すろ~ぶる~す」の解釈は、本当に1970年代型のロックだと思います。つまりサイケデリックの濁りを捨て去り、休日の昼間っからビールでも飲んでウダウダやろうぜっ! みたいな♪♪~♪

ですから、せ~のっ、でやってしまった「Southbound」のロック王道の演奏も、また狙いがミエミエの「Pony Boy」といったブルース味も、失礼ながら使い古された手口が逆に心地よいという結果オーライなんだと思います。

ということで、とても聴き易い仕上がりがゆえに、従来からのオールマンズ信者にはウケがイマイチだったと言われていますが、私は全く否定出来ません。むしろ恥も外聞もなく、大好きと言って憚りませんよ。その飽きる寸前の刹那の気分が快感なんですねぇ~♪

う~ん、レイドバックって「ブルースロック+カントリーロック」という図式でしょうか? 実際、以降のレイドバック流行期には、ここに聞かれる音と雰囲気がひとつの基準になっていたように思います。

最後になりましたが、サイケおやじが最初にバイクで事故ったのは、ちょうどこのアルバムに夢中になっていた頃でした。怪我や被害は大したことなくて、全くの独りゴケだったんですが、もちろんデュアン・オールマンやベリー・オークリーのことが重なって、神妙に安全運転を誓うのでした。

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デヴィッド・Tのメロウファンクなギターが好き♪

2010-01-29 12:25:18 | Soul Jazz

Press On / David T. Walker (Ode)

今では固定ファンも大勢ついているデヴィッド・T・ウォーカーも、1970年代には単なる凄腕のセッションギタリストでした。しかし、一旦でも、とろけそうでメロウな味わいと激しく熱いソウルの虜になったが最後、中毒症状は必至!

そう言い放つサイケおやじにしても、最初にデヴィッド・T・ウォーカーを強く意識したのは、キャロル・キングのアルバム「ファンタジー」を聴いて以降なんですが、実は後に知ったところからすれば、以前にも私は、この名人のギターを無意識に聞いていたのです。

何故ならば、1960年代からプロとして活動している多くの黒人ギタリストの例にもれず、デヴィッド・T・ウォーカーもまたモータウン系列のスタジオセッションや巡業バンドで働いていたからですし、一番有名なのはジャクソン・ファイブ関連の音源のほとんどに参加していると言われています。

また一説によれば、リトル・リチャードのバックバンドではジミヘンと一緒だったこともあるとか!?

まあ、それはそれとして、とにかく1970年前後から世に出たR&Bやソウルジャズ系のレコードに参加したクレジットは、当時からようやく表記されはじめた裏ジャケットを見る楽しみにも繋がりましたですね。

で、本日ご紹介のアルバムは、そんな下積みから業界で評価された頃に作られたリーダー盤のひとつで、発売されたのは1973年頃らしいです。というのも、私が入手した経緯は当時、楽器屋に集う諸先輩方に交じって前述の「ファンタジー」とデヴィッド・T・ウォーカーの話をしたところ、強く勧められたというのが真相です。

ちなみに当時の楽器屋は、そうした情報交流の場としても、世界が広がっていく場所でしたねぇ、今とちがってネットも無い時代でしたから。

そして私が入手したのは既に翌年になっていましたが、一聴、シビレて驚愕♪♪~♪

 A-1 I Got Work To Do
 A-2 Brother, Brother
 A-3 Press On
 A-4 Didn't I Blow Your Mind
 A-5 With A Little Help From My Friends
 B-1 Superstition / 迷信
 B-2 I Who Have Nothing
 B-3 If That's The Way You Feel
 B-4 Save Your Love For Me
 B-5 If You Let Me

メンバーはデヴィッド・T・ウォーカー(g,vo) 以下、チャールズ・ラーキー(b)、ハービー・メイソン(ds)、ボビー・ホール(per) が中核となり、ジョー・サンプル(key)、キャロル・キング(p,vo)、ジェリー・ピータース(Key)、オスカー・ブラッシャー(tp)、ジョージ・ボハノン(tb)、アーニー・ワッツ(sax,fl)、さらに女性コーラス隊やストリングス等々が適宜加わった、これはほとんどキャロル・キングの「ファンタジー」とクリソツな編成ですから、たまりません♪♪~♪

しかし、もちろん主役はデヴィッド・T・ウォーカーのギターに他ならず、またアイズレー・ブラザースの「I Got Work To Do」、キャロル・キングの「Brother, Brother」、デルフォニックスの「Didn't I Blow Your Mind」、スティーヴィー・ワンダーの「迷信」、ロバータ・フラックとダニー・ハザウェイが当時カパーヒットさせていた「I Who Have Nothing」、ナンシー・ウィルソンの「Save Your Love For Me」、エディ・ケンドリックスの「If You Let Me」等々、全篇が極めてニューソウルな選曲ばっかりというのも、嬉しいかぎり♪♪~♪

それらが最高にカッコ良いソウルインストで演じられているのは言わずもがなでしょうが、デヴィッド・T・ウォーカーはウェス・モンゴメリーやケニー・バレルあたりのモダンジャズのギタリストからの影響も隠せませんから、例えばビートルズの「With A Little Help From My Friends」は原曲をほとんど感じさせない変奏として、さらにファンクとジャズをゴッタ煮とする裏ワザが凄いところ! 前述のホーンプレイヤーも熱気に満ちたアドリブを聞かせてくれますよ。

ちなみにデヴィッド・T・ウォーカーはピックと指弾きを混在させるピッキングで、あの独得の甘い音色とフレーズを紡ぎ出していると思われますが、ギターそのものにも妙なアタッチメントは繋がず、それでもワウワウとかの使い方は従来から相当に進化したテクニックが強烈無比!

例えばオリジナルバージョンよりもグッと重心の低いグルーヴで演じられる「迷信」でのワウワウは、ニューソウルが明らかにサイケデリックロックの黒人的解釈という説を証明するものでしょう。まさにジェフ・ペックと双璧のエキセントリックでエグイ、本当にゾクゾクしてくる演奏です。

そして今となってはお目当てのメロウなプレイは、既にして全開♪♪~♪

いきなりトロトロに甘く歌いまくるギターが最高の「Brother, Brother」、井上バンドが大野雄二したような「I Who Have Nothing」は、実はこっちが元ネタという本末転倒がニクイばかりですし、シミジミとした情感が黒人音楽特有の色気を滲ませる「Didn't I Blow Your Mind」は、愛おしい女とのふたりの時間がお楽しみ♪♪~♪ 必ず、オチます!

という結末に相応しい「Save Your Love For Me」も、あぁ、本当にせつないほどに感情移入しまくったギターソロが、まさにデヴィッド・T・ウォーカーでしかありません。粘っこいスローグルーヴのお手本のような全員の演奏も素晴らしいですよ♪♪~♪

その意味でアルバムタイトル曲の「Press On」は、自身のボーカルを前面に出したファンキーなヒット狙いなんでしょうが、この人の歌いっぷりもなかなか好感が持てますよ。もちろんバックの演奏パートもカッコ良すぎます♪♪~♪

ということで、デヴィッド・T・ウォーカーの魅惑のギターが存分に楽しめますし、ビシバシにハッスルしたハービー・メイソンのファンクなドラミング、ツボを外さないベースやピアノ、キーボードの使い方も実に滋味豊かな演奏ばかりですから、何度聴いても飽きません。

そこにはファンキーなカッティング、メロウなピッキング、選び抜かれた「音」だけによる珠玉のフレーズ等々、所謂ソウルフィーリングがテンコ盛り! しかも、そのセンスが実にお洒落で大人の味わいであると同時に、イナタイ青春の情熱みたいなものもあって、深いです。

それはデヴィッド・T・ウォーカーという黒人ギタリストの人間性にまでも迫る「何か」なんでしょうが、残念ながら、私は本人を演奏を通じてしか知る由がありません。

でも、それで十分ですよねぇ。

だって、デヴィッド・T・ウォーカーは素晴らしい演奏を幾つもレコードに残しているのですから。う~ん、最高♪♪~♪

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忘れじのラズベリーズ

2010-01-28 15:13:07 | Rock

明日を生きよう / Raspberries (Capitol / 東芝)

ラスべりーズはバッドフィンガーやパイロットと同じく、ビートルズの遺伝子を強く感じせるロックバンドですが、アメリカで結成されたということもあるんでしょうか、今日では所謂パワーポップの筆頭格として再評価されているようです。

しかしリアルタイムではアイドルバンドとしての売り出し方が強かったイメージゆえに、イマイチのブレイクで終わってしまったのが現実でした。

ただし残されたシングルヒット曲は広くポップスファンの心にアピールしたのも、また確かな事実で、本日ご紹介のシングル曲「明日を生きよう / I Wanna Be With You」は永遠に忘れられないものでしょう。

ラズベリーズは1972年春にデビューした4人組で、メンバーはエリック・カルメン(vo,g,key,b,ds)、ウォーリー・ブライソン(g,vo)、デイヴ・スモーリー(g,b,vo)、ジム・ボンファンティ(ds,vo) というのが初期の顔ぶれでしたが、もちろん後にはポップス職人とまで崇められるエリック・カルメンが中心人物という受け取られ方が一般的でしょう。しかし、他のメンバーの実力とキャリアも侮れません。

実際、ラズベリーズが聞かせてくれていたメロディアスで力強いサウンドプロデュースの妙は、誰かひとりの力によるものでは決してないでしょう。

そして同年秋から翌年春にかけてのロングセラーとなった、グループの代表曲「明日を生きよう」こそ、それがしっかりと表現されたがゆえの大ヒット!

ほとんどポール・マッカートニー&ウイングス調の曲メロとダイナミックなコーラス&演奏の楽しさは、ついついサビの「アウォナ・ビ・ウィズ・ユ~~♪」と一緒に歌ってしまうこと、請け合いです。

ちなみに当時のサイケおやじは、口ではハードなものが好きだとか言っていながら、実はメロディ優先主義が忘れ難く、何かの拍子に「明日を生きよう」をついつい口ずさんで本性を暴露されることが度々でした。

つまり、それほど覚えやすくて、ある意味では「しつっこい」魅力が満載の歌と演奏なのです。

しかし、そこが裏目に出たというか、4枚ほど作られたオリジナルアルバムを聴くと、そこには幾つかのシングルヒットに反逆するかのような、他のパワー優先のロック主義が表出していて、その落差と違和感が……。

結局ラスべりーズはメンバーチェンジを経た後、1975年に解散するわけですが、その頃になると、そんな悲しい出来事さえも話題にならない哀しさでした。

もちろん、しばらく後にはエリック・カルメンがソロシンガーとして大成功するわけですが、個人的には、やはり何かが物足りません。

それだからこそ、この「明日を生きよう」が決して忘れられないのでした。

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ギミー・シェルターで出会ったメリー・クレイトン

2010-01-27 16:20:59 | Soul

Gimme Shelter / Merry Calton (Ode)

1970年代初頭、ロックファンに一番有名だった女性黒人ソウルシンガーはメリー・クレイトンだったでしょう。

何故って?

それは彼女がストーンズの大名盤アルバム「レット・イット・ブリード」のA面ド頭曲「ギミー・シェルター」で、ミック・ジャガーと熱いデュエットを演じ、ほとんど主役を奪ってしまったからに他なりません。

そして忽ち注目を集めた彼女が、ついに単独自演バージョンを収めて1970年に発売したのが、本日ご紹介のリーダーアルバムでした。

 A-1 Country Road
 A-2 Tell All The People
 A-3 Bridge Over Troubled Water / 明日に架ける橋
 A-4 I've Got Life
 A-5 Gimme Shelter
 B-1 Here Come Those Heartaches Again
 B-2 Forget It I Got It
 B-3 You've Been Acting Strange
 B-4 I Ain't Gonna Worry My Life Away
 B-5 Good Girls
 B-6 Glad Thdings

上記演目をご覧になれば、思わず瞠目するのが、例えばジェームス・テイラーの「Country Road」、ドアーズの「Tell All The People」、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」、スプーキー・トゥースの「Forget It I Got It」、ヴァン・モリソンの「Glad Thdings」、そして説明不要というストーンズの「Gimme Shelter」といった、当時バリバリのロックヒットがカパーされていることでしょう。

つまり明らかに白人層にアピールする新しいR&B、所謂ニューソウルを狙ったプロデュースがミエミエなわけですが、こういう動きは当時のアレサ・フランクリンやアイク&ティナ・ターナーが放っていたシングルヒットの例を述べるまでもなく、至極自然な傾向でしたし、古くはオーティス・レディングやスティーヴィー・ワンダー、さらにモータウン所属のグループや歌手にしても、常に堂々とやってきたことです。

しかしメリー・クレイトンにはミック・ジャガーとストーンズという、極言すれば黒人音楽を搾取して大成功した白人バンドの最高峰と共演して、圧倒してしまった実績が強い印象となっていますから、結果的に居直る必要もないという免罪符があったわけで、それは決してコジツケではないと思います。

そして確かに、このアルバムで聞かれる強い黒人ソウルフィーリングと流行ロックの融合は、全く見事過ぎる成果となって、それはスワンプロックへの道標でもあり、また我国のR&B歌謡にも鋭く転用されていく、実にたまらないサイケおやじ好みの仕上がりに♪♪~♪

ちなみにメリー・クレイトンはストーンズとの共演で有名になる以前、自己名義のシングル盤を数枚出したり、レイ・チャールズのバックコーラス隊として抜群の存在感を示すレイレッツでの活動もあったという、黒人音楽業界では知る人ぞ知る実力派でしたし、このアルバムセッションに参集したデヴィッド・T・ウォーカー(g)、ルイ・シェルトン(g)、デヴィット・コーエン(g)、ジョー・サンプル(p,org)、ビリー・プレストン(p,org)、ボブ・ウェスト(b)、ポール・ハンフリー(ds) 等々のメンツは当時のL.A.のスタジオでは腕利きの常連達とあって、全くスキの無い音作りの中にも自然体でリラックスしたグルーヴが満載♪♪~♪

まずA面冒頭の「Country Road」からして、ジェームス・テイラーが醸し出していたファンキーフォークな味わいを尚更に熱く煮詰めた歌と演奏が、良い感じ♪♪~♪ なによりもビシバシにシンコペイトしたリズム隊に完全融合していくメリー・クレイトンの熱唱! というよりも、歌がバックを引っ張れば、それをまたグイグイと煽っていくバックの演奏が強烈ですし、情熱のゴスペルコーラスや厚みのあるブラスアレンジも実に良いですねぇ~♪

まあ、このあたりは当時のレコーディングシステムを鑑みれば、必ずしも一発録りではないはずですが、その熱気の一体感はプロデュースを担当したルー・アドラーの思惑というか、これはあくまでも私の妄想ですが、もしかしたらスタジオの現場ではヘッドアレンジで、ワイワイと楽しんでやっていたのかもしれませんね。

それは同じレーベルで作られたキャロル・キングの初期のアルバムとか、もっと言えばユーミンのデビューアルバム「ひこうき雲」あたりにまでも受け継がれていく、素晴らしきナチュラルグルーヴってやつでしょうか。

実際、ここでは更にガンガンやってしまった「Tell All The People」、しなやかなゴスペルフィーリングがロック的に映える「明日に架ける橋」、脂っこく変質したミュージカル曲の「I've Got Life」あたりは、明らかに白人ロックをソウルジャズで解釈した名演ばかりで、その極みつきが「Gimme Shelter」なのは言わずもがな! あの不安感がいっぱいのというお馴染みのギターイントロから重心の低いリズム隊のグルーヴが炸裂し、オリジナルバージョン以上に熱気溢れるメリー・クレイトンの歌いっぷりは最高♪♪~♪ もちろん執拗に絡みまくりのニューソウルなギター、高揚感満点のコーラス、蠢くベースにドカドカビシバシのドラムスとくれば、血が騒がないほうが不自然というものです。

という感じで、A面は極めてロック色が強いR&Bの新展開が徹底的に楽しめたわけですが、B面では一転して正統派ソウルミュージックとゴスペルファンキーがテンコ盛り♪♪~♪

深いストリングの響きも印象的な「Here Come Those Heartaches Again」は、メリー・クレイトンが本領発揮というゴスペルソウルの決定版ですし、、じっくり構えた「I Ain't Gonna Worry My Life Away」では、彼女の正統派としての実力が遺憾なく発揮されています。もちろん両曲ともに、デヴィッド・T・ウォーカーのギターが味わい深いですよ♪♪~♪

また意外な選曲というか、前述したスプーキー・トゥースの「Forget It I Got It」では、シンプルなリズム隊のグルーヴを基調に直線的なロック感覚とR&B本来の真っ黒な味わいが幸せな結婚に至った名唱名演! このあたりは明らかに同時期のアレサ・フランクリンを意識したことがミエミエなことから、メリー・クレイトンの歌手としての力量が試されている側面もありますが、私は好きです。

それはビリー・プレストンの隠れ名曲「You've Been Acting Strange」にも受け継がれ、本人のアップルバージョンに敬意を表したようなアレンジと演奏が憎めません。う~ん、エリック・クラプトン風味のギターは誰でしょうねぇ~?

気になるオーラスに収められたヴァン・モリソンの「Glad Thdings」は、ワイワイガヤガヤのスタジオの雰囲気を活かしたところから、実に自然にゴスペルロックが歌い出される素晴らしさ♪♪~♪ アルバムの締め括りには、もう、これしかありませんですね。

ということで、ゴスペルソウルでもあり、スワンプロックでもあり、ニューソウルの先駆けでもある歌と演奏ばかりがギッシリと詰まったアルバムで、もちろんストーンズファンにはリアルタイムで御用達の1枚だったわけですが、反面、それほど聞かれなかったのが我国の実情でもありました。それは確か、日本盤のアルバムタイトルが「明日に架ける橋」とされていたことから、通常のR&B系カパー作品集という先入観が強められていた所為でしょうか……。

とにかくヒットしたという感じはしていません。

告白すれば、当時の私にしても、お金が無かった所為もありますが、完全にノーマーク状態だったのが本当のところです。それが後年、キャロル・キングの「ファンタジー」を聴いて目覚めたオード系ソウルジャズの関連盤として、このアルバムの存在を知り、必死で中古屋を漁ってゲットしたのが本日掲載のアメリカ盤というわけです。

もちろんメリー・クレイトンは当時からセッション歌手としても超売れっ子になっていて、夥しい有名ロックスタアのアルバムに参加クレジットがあるとおり、その活動は多岐に渡っていますが、やはりキャリアのハイライトは、このアルバムと続くもう1枚のオード盤「メリー・クレイトン」だと思います。

そしてそこで形作られたソウルファンキーなゴスペルロックこそが、時代の流行としてスワンプロックやニューソウルへと繋がったことは明白で、今だからこそ聴いてワクワクさせられる熱気が愛おしいのでした。

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デラニー&ボニーの正調R&B

2010-01-26 14:16:24 | Soul

Home / Delaney & Bonnie (Stax)

1970年代ロックを聴いていく中で、必ず突き当たるのがデラニー&ポニーという夫婦デュオの名前でしょう。

まあ、今となってはこの2人、失礼ながらそれほどのインパクトも無くなっているんですが、なんといっても1970年代初頭のエリック・クラプトン関連のレコードでは、???と思えるほどに影響力が大きく、また所謂スワンプロックという当時の新しい業界トレンドでは中心的な役割を果たしていたのです。

それはR&Bの白人的解釈の一手段ではありますが、なによりも「ロック」の本筋を大切にしていたことは、その流行の度合いからも明白でした。

しかしデラニー&ポニーは、決して最初っからロック志向ではなく、その出発点には本物のR&Bがあって、それがこのアルバムに色濃く残されています。

このあたりの経緯を述べれば、とても長い物語になってしまうので、拙稿「バングラ・デシ・コンサート始末第5回」前後をお読みいただくとして、今回は端折りますが、デラニー&ポニーのふたりが白人ながら、本物の深いソウルフィーリングを持っていたことは間違いありません。

ですから夫婦デュオで本格的にスタートした頃のスタックスへの録音は、1968年当時の南部ソウルがど真ん中の音作りですし、実際、最初に発売された夫婦自作のシングル曲「It's Been A Long Time Coming」は黒人層に大ウケのスマッシュヒットになっています。そして続けてレコーディングセッションも進むのですが、なんとヒット曲が出てからの巡業では、デラニー&ポニーが白人だったことから混乱が続き、さらに人種差別関連の事件もあって……。

しかし同時期、ジョージ・ハリスンがアメリカでデラニー&ポニーに邂逅し、忽ち息投合したことから、エリック・クラプトンが在籍していたブラインド・フェイスのアメリカ巡業の前座に起用され、事態は好転するのです。

そして元祖スワンプロックの大名盤アルバム「オリジナル・デラニー&ボニー(Elektra)」が発表され、ついに業界主導ながら人気が爆発! イギリス公演ではエリック・クラプトンまでも率先して参加するというお祭り騒ぎのステージが、後に「オン・ツアー(Atoc)」という傑作ライプ盤として発売され、人気はさらに高まるのです。

で、本日ご紹介のアルバムは、そうした盛り上がりに便乗した形で世に出たといって過言ではないのですが、しかし中味は正統派南部ソウルが充満した素晴らしさ♪♪~♪

 A-1 It's Been A Long Time Coming
 A-2 A Right Now Love
 A-3 We Can Love
 A-4 My Baby Specializes
 A-5 Everybody Loves A Winner
 B-1 Things Get Better
 B-2 Just Plain Beautiful
 B-3 Hard To Say Boodbye
 B-4 Pour Your Love On Me
 B-5 Piece Of My Heart

まず特筆すべきは、そのサウンド作りが、あくまでも白人に媚びていない、正統派R&Bということです。ただしメンフィスに本拠地を置くスタックスという会社は経営が白人ですし、スタッフミュージシャンやライターも所謂ホワイトボーイが中心という事実は否定出来るものではありません。

ですから、この音源に関しても、プロデュースはブッカーT&MG'sのドナルド・ダック・ダンとレオン・ラッセルの盟友だったドン・ニックスという、スタックスのメインスタッフだった白人の2人が担当していますし、演奏面では前述のMG's、アイザック・ヘイズやメンフィスホーンの白黒混成バンドが何時もと変わらぬ音を聞かせてくれるあたりが、実に自然体で良い感じ♪♪~♪

実は後に知ったところによると、このアルバムでも冒頭に収録されている「It's Been A Long Time Coming」が1968年にシングルヒットし、その勢いで続く録音セッションが数回行われながら、前述のような現実的なトラブルから、ほとんどは未完成のままになっていたそうです。

それがデラニー&ポニーの突発的ともいえるロック界でのブレイクによって、ここに様々なオーバーダビングや編集を施して作られたのが、このLPだと言われています。

ちなみにデラニー&ポニーの決定的な名盤「オリジナル・デラニー&ボニー(Elektra)」が発売されたのは1969年、続く人気ライプ盤「オン・ツアー(Atoc)」が1970年に売れまくった狭間に、この「Home」が出回りながら、商業的には成功していません。

というよりも、実はデラニー&ポニーは、極言すれば「オン・ツアー(Atoc)」だけが突出して売れたのが実情で、それはエリック・クラプトンや後のデレク&ドミノスのメンバーが揃って参加していたことを抜きには語れないでしょう。

しかしデラニー&ポニーが歌う音楽の素晴らしさは、やはり不滅! そのルーツが、このアルバムに聞かれる正統派南部R&Bであることは重ねて書くまでもありませんし、個人的にもロック風味よりはR&Bに傾倒するデラニー&ポニーも最高に好きです。

まずシングルヒットした「It's Been A Long Time Coming」からして、完全に黒人としか思えないフィーリングが強烈! ヘヴィな8ビートを提供するリズム隊はエグミも満点ですし、メンフィスサウンドを特徴づけるギスギスしたホーン隊のリフもカッコ良く、さらにデラニー&ポニーの歌いっぷりが畢生ですよ♪♪~♪ もう、これ1曲だけで、後はアルバム全篇が一気呵成に聴けてしまいます。

それは同系のR&Bフィーリングが炸裂した「A Right Now Love」や「Just Plain Beautiful」の痛快なノリ、スタックスの看板スタアだったウィリアム・ベルがオリジナルの有名カパー曲「My Baby Specializes」や「Everybody Loves A Winner」での熱い想い、さらにジャニス・ジョプリンのバージョンがロック史に刻まれている「Piece Of My Heart」は、ポニーのまた違う味わいが深い感動を呼び覚ますでしょう。

また夫婦でのハートウォームな節回しが堪能出来る「We Can Love」は、個人的に大好き♪♪~♪

それと「Things Get Better」はデラニー&ポニーのステージでは後々まで大定番となった十八番で、それは前述の「オン・ツアー(Atoc)」にも収録されていますが、そのオリジナルスタジオバージョンもまた、素敵です。完全にロックしていない中途半端さが良い感じ♪♪~♪ そのあたりはカントリーロックの味わいも強い「Hard To Say Boodbye」にも、不思議な魅力として結実しているのですが……。

ちなみにデラニーはエリック・クラプトンにボーカリストしての歌、さらにスライドギターを教えたロック史の陰の立役者なんですが、そのルーツは案外、カントリー系のブルースやポップスにあるのかもしれませんねぇ。ジャケットに写っている小屋はデラニーの生家だった農園の一角にあったそうですし、一緒にいる老人はデラニーのお爺さんなんですよ。

ということで、聴くほどに愛着が深まっていくアルバムだと思います。

なによりも南部ソウルのファンにはマストの1枚でしょうねぇ。もちろん黒人歌手が演じているものほどの脂っこさ、ディープなムードは無いんですが、白人が黒っぽく歌ってこその魅力があるのです。なにしろバックの演奏がオルガンやギター、ホーン&リズム隊の存在そのものが、全くの正統派黒人R&Bですからっ!

スワンプロックを求めるファンには肩すかしかもしれませんが、サイケおやじは愛聴しております。こういう正調節も、愛おしいのです。

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トホホの後始末

2010-01-25 11:47:19 | Weblog
PC、ウィルスにやられました……。

古い洋ピンのDLファイルに仕込まれていたんですねぇ(自嘲)。
もちろんプートの世界ですが、これまで何回も入手し、安心していたんですが……。

スケベ心にご用心ってことでしょうね。

それにしてもウィルスバスターも、アテにならん……。

ということで、本日の1枚は休載させていただきます。

失礼致しました。
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五次元へ飛翔したバーズ

2010-01-24 14:02:06 | Byrds

Fifth Dimension / The Byrds (Columbia)

私が少年時代の日本ではレコードがとても高価でしたから、好きな曲があっても、そう簡単には買えませんでした。もちろんそれは収入というか、自分的には小遣いが乏しかった所為で、ことさらLPはグッと我慢の対象だったのです。

ところが昭和40年代末になると、輸入盤を扱う店も増え、またデパートの催しとしてバーゲンセールが行われたりして、当時は日本盤が二千円以上していたアルバムが、それ以下で入手出来るようになりました。

それは夢のように、嬉しかったですねぇ~~~♪

当然ながら、その頃になると、私もバイトをやって、それなりに小遣いも確保出来るようになっていましたから、まずは積年の夢を実現するべく買い集めたのが、大好きなバーズのアルバム群でした。

で、本日ご紹介のアルバムも、そうしてゲットした中の1枚なんですが、実は日本ではリアルタイムでも、このオリジナル仕様の発売が無かったと思われます。確か次作の「Younger Than Yesterday」と抱き合わせというか、ミックス選曲された1枚物の独自編集盤だったような……。

ですから、輸入盤独得の透明シールドを切る快感とレコードに針を落とす瞬間のワクワクした気分は、今でも明確に覚えているほどです。

 A-1 5D
 A-2 Wild Mountain Thyme
 A-3 Mr. Spaceman
 A-4 I See You
 A-5 What's Happening?!?!
 A-6 I Come And Stand At Every Door
 B-1 Eight Miles High / 霧の8マイル
 B-2 Hey Joe
 B-3 Captain Soul
 B-4 John Riley
 B-5 2-4-2 Fox Trot

バーズにとっては1966年に発売した、公式デビューから3枚目のアルバムで、ジャケットを見れば、それまでの5人組からジーン・クラークの抜けた4人が写っているとおり、制作中に脱退騒動がありました。

しかし、それでもジーン・クラークが参加している曲もありますし、一番驚くというか、実は当たり前かもしれませんが、それまでのフォークロックの代表的グループというイメージを決定的にしていたボブ・ディランの楽曲が、ひとつも入っていないのはバーズの新しい飛躍の現れでしょう。

演奏そのものについても、スタジオ系の助っ人が参加しているのは言わずもがなですが、基本的な部分はロジャー・マッギン(vo,g)、ディヴィッド・クロスビー(vo,g)、クリス・ヒルマン(b,vo)、マイク・クラーク(ds,vo) 、そしてジーク・クラーク(vo.hca)というオリジナルメンバーによるところが多いと思われますし、その幾分の荒っぽさが如何にもロック的な自然体の質感に直結する魅力です。

中でも「I See You」は非常にテンションの高いサイケデリックロックの典型で、ワイルドなギターのアンサンブルと刹那的なコーラスで歌われる抑揚の少ない曲メロが、もう最高! また元祖カントリーロックの「Mr. Spaceman」は、軽快なメロディとアホみたいな歌詞が見事にジャストミートした名曲名演で、世界中でシングルカットされ、小ヒットしたのも当然でした。

そしてメンバー各々の個性も、これまでの作品中では一番明確になり、ディヴィッド・クロスビーは変則コードワークのギタープレイとエキセントリックなボーカル&曲作りに大貢献していますし、対するロジャー・マッギンはアルバムタイトル曲「5D」で、気持良いほどボブ・ディランへの敬意を表したパクリを披露して、実に潔いかぎり♪♪~♪

もちろんバーズのオリジナル曲を作る過程では、クリス・ヒルマンとマイク・クラークも深く関わっていることが明白ですし、カパー曲にしても演奏の土台の部分で、しっかりと自己主張を忘れていません。

ただし、例えばジミヘンでお馴染みの「Hey Joe」は、ディヴィッド・クロスビーが主役ながら、既に聴いていたジミヘンのバージョンが強烈ですから、物足りないのは確かですし、まさかバーズの面々にしても、後年にそんなトンデモバージョンが出ようとは、想像も出来なかったでしょうねぇ……。

まあ、それはそれとして、当然ながら、このアルバムは全曲がステレオミックスの収録ですから、それまでモノラルミックスのシングル盤で聴いていた「霧の8マイル」にしても、やっぱりシビレ具合が違います!

しかし例えば「Captain Soul」のように、明らかに未消化なインスト曲があったり、様々な効果音をコラージュした「2-4-2 Fox Trot」はサイケデリックど真ん中というよりも、1枚のアルバムを完成させるための埋め草と受け取られても言い訳出来ないものが、確かにあります。

そのあたりだけを指して、このアルバムを貶す向きもありますねぇ……。

ただ、それでも私はこのアルバムが大好きで、「Wild Mountain Thyme」や「John Riley」は随所に使われるストリングスも味わい深い、バーズの隠れ名演だと思うほどですし、クロスビー節が全開の「What's Happening?!?!」やヒロシマの悲劇を痛烈に歌った「I Come And Stand At Every Door」は、ぜひ、今こそ聴いていただきたい歌として、大推薦!

ということで、既に述べたように、評論家の先生方からは散漫な出来と云々されますが、私は絶対にそんなことは無い、傑作盤だと思います。実際、これが世に出た1966年を鑑みてもも、「霧の8マイル」のようなサイケデリックロックの極みつき大ヒットは、ビートルズさえも作り出していませんし、ディヴィッド・クロスビーを要にした強烈な変態コードを用いた曲作りとアレンジ、失礼ながらヘタレ気味のテクニックを逆手に活かしたラフな質感のバンド演奏、そしてジャケットのイメージも含めて、まさに1966年にしか誕生しえなかった金字塔だと思います。

なによりもLP片面の曲の流れが良いんですねぇ~♪

今日ではリマスターも秀逸なCD化によって、さらに親密に楽しめるわけですが、実はサイケおやじは最初の印象が忘れられず、アナログ盤も手放せない状況です。それは正直、歯切れの悪い音質で、当時のコロムビアのステレオミックスでは「お約束」の微妙なエコーが不必要の賛否両論ではありますが、それも当時の「音」だとすれば、素直に楽しまなければ勿体ない♪♪~♪

本当に、そう思っています。

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アル・クーパーの血と汗と涙

2010-01-23 13:03:33 | Rock Jazz

Child Is Father To The Man / Blood Sweat & Tears (Columbia)

どんな人間にも屈辱とか、思い出したくもない出来事や時期があるでしょう。

それはアメリカンポップスやニューロック、そして現代大衆音楽を語る時、決して外せない偉人のひとりであるアル・クーパーにしても、後のインタビューで告白していたとおり、ブラスロックの代表的なバンドとして歴史に名を刻したブラッド・スウェット&ティアーズ=BS&Tに関する件は、それに該当するようです。

ご存じのとおり、BS&Tは同類のシカゴが登場する以前、ブラスロックの地位を確立したバンドで、「Spinning Wheel」や「Hi-De=Ho」等々の大ヒット曲も多数放っていますが、それはバンド設立者のひとりだったアル・クーパーが脱退して後の栄光でした。

その経緯を辿ってみると、まずBS&Tというグループはアル・クーパーとスティーヴ・カッツのふたりが同時に在籍していたブルース・プロジェクトという汎用系のブルースロックバンドにルーツあり、実はそこでホーンセクションを起用したがっていたアル・クーパーのアイディアを具象化するプロジェクトでした。

しかし現実は厳しく、アル・クーパーは活動の拠点としていたニューヨークを去る決意を固めていたそうですが、同じアイディアを持っていたスティーヴ・カッツがボビー・コロンビー等々のメンツを集めている事実に促され、ここに新しいバンドとして誕生したのがBS&Tだったと言われています。

それが1967年末のことで、最終的に確定されたメンバーはアル・クーパー(vo,org,p,g,arr)、スティーヴ・カッツ(vo,g)、ジム・フェルダー(b)、ボビー・コロンビー(ds,per,vo)、ランディ・ブレッカー(tp)、ジェリー・ワイス(tp)、ディック・ハリガン(tb,p,arr)、フレッド・リプシャス(as,fl,p,arr) という大所帯の8人組でした。

さらにプロデュースとアレンジに協力したのが、サイモンとガーファンクルやザ・バンドの名盤を誕生させたジョン・サイモン! 他にも有能な助っ人が幾人も参加したアルバムセッションは、契約したコロムビアの期待を表していたと思いますし、既にして業界での地位を確かなものにしていたアル・クーパーの顔の広さがあったのは、言わずもがなでしょう。

そして翌年に発売されたのが、本日ご紹介のアルバムだったのですが……。

 A-1 Overture
 A-2 I Love You More Than You'll Ever Know
 A-3 Morning Glory
 A-4 My Days Are Numbered
 A-5 Without Her
 A-6 Just One Smile
 B-1 I Can't Quit Her
 B-2 Meagan's Gypsy Eyes
 B-3 Somethin' Goin' On
 B-4 House In The Country
 B-5 The Modern Adventures Of
Plato Diogenes And Freud
 B-6 So Much Love / Underture

本日も結論から言えば、少なくとも我国のリアルタイムでは局地的な評価を除けばヒット盤にはなりませんでした。当時のメモを読み返しても、主役のアル・クーパーのアルバムで最初に話題になったのが、あのマイケル・ブルームフィールドと共演した2枚組のライプアルバム「フィルモアの奇蹟」が日本盤で発売された昭和44(1969)年頃だったでしょう。次いで「スーパーセッション」が相当に売れまくり、いよいよ出たのが、「子供は人類の父である」と邦題がつけられた、このアルバムです。つまり本国アメリカでの発売とは、順序が逆になっているのが日本の現実だったのです。

で、その頃、私は今や伝説のテレビ番組「ヤング720」の洋楽情報コーナーで放送された、アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドの特集に接し、GSの中では本格的なロックを指向していたゴールデンカップスの面々が夢中になっているとの話から、特に興味を刺激されましたが、当時の中学生にLPレコードが簡単に買えるはずもなく……。

そうして時が流れ、高校生になったサイケおやじが聴いて、一発でシビレきったのが「スーパーセッション」や「フィルモアの奇蹟」だったわけですが、肝心のこのアルバムについては???……?

それは既に大ヒットを放って有名になっていたBS&Tとは、明らかに異なるムードが支配的だったからに他なりません。

極言すれば、アル・クーパーのソロアルバムのひとつ!?! そう思い込めば、収録の各楽曲は、なかなか味わい深い熱演トラックばかり♪♪~♪

まず冒頭のエキセントリックなストリングスの響きと純粋なメロディ、そして狂気じみた笑い声で作られた「Overture」から、まるっきりジェームス・ブラウンの「It's A Man's Man's World」を白人ロック的に焼き直した「I Love You More Than You'll Ever Know」へと続く流れは、アル・クーパー十八番の泣き節が全開♪♪~♪

また我国のソウル歌謡に強い影響を与えたことがミエミエの「My Days Are Numbered」、ジャズとバロックと歌謡曲がゴッタ煮みたいな「Just One Smile」、グループの初期を代表するハードソウルな「I Can't Quit Her」等々は、まさにアル・クーパーの魅力そのものだと、中毒患者のサイケおやじは断じますが、1967~1968年という時代を鑑みれば、随所に滲み出るビートルズのサージェントペパーズっぽい隠し味が、ニクイところかもしれません。

そしてもちろん、バンド演奏そのものがモダンジャズから現代音楽、フォークやロック、ブルースやR&B等々、なんでもござれの名人達によるものですから、例えばボサロックの「Without Her」は後年になってソフトロックのマニアに再発見されるほどセンス抜群の仕上がりになっていますし、オルガンが心地よすぎるゴスペルロックの「Somethin' Goin' On」、痛快ブラスロックとサイケデリックの幸せな結婚みたいな「House In The Country」、職業作家時代のキャロル・キングが畢生の名曲「So Much Love」の熱い歌と演奏には、涙がボロボロこぼれます。

しかし反面、「The Modern Adventures Of Plato Diogenes And Freud」の凝り過ぎた作風に代表されるような、ブラスロックとして楽しむには難解なストリングスや全体のアレンジが煮え切っていないのも、また確かだと思います。しかもそういうところが、アルバムそのもののイメージを怖いものにしているようにさえ……。

そうしたポイントは、実は何時までも古くならない名盤としての条件にもなっているわけですが、リアルタイムでは楽しくありませんでした。

もちろん当時、私はこのアルバムを買って聴いたわけではなく、友人から借りての鑑賞ですが、それゆえにテープに録音することもなかったのが現実です。

ところが、そんなサイケおやじがモダンジャズを聴き進むに及んで、突如として蘇ってきたのが、このアルバムの感触でした。

説明不要とは思いますが、モダンジャズ~フュージョンの世界では大スタアになるランディ・ブレッカー、クラシックが専門分野ながら、最高に熱い叫びを聞かせてくれるフレッド・リプシャス、名人芸が冴えまくりのボビー・コロンビーが叩くイカシたドラミング等々は、モダンジャズのイノセントなファンが聴いても納得する他はないでしょう。

また、もうひとりの立役者がスティーヴ・カッツで、その甘い美声によるボーカルとニューロックがど真ん中のギターが、如何にも♪♪~♪

ですから輸入盤が安く買えるようになった昭和40年代末のある日、ようやく私はこのアルバムを私有する決意を固めたわけですが、当然ながら、そこへ至るまでの間にはアル・クーパーやBS&Tの諸作は、がっちり聴いていました。

そしてアル・クーパーが、実はBS&T公式デビューから間もない時期にバンドを追い出される形で脱退した過去を知り、妙に納得するのです。どうやらライプの現場では、ジャズっぽいアドリブやヘッドアレンジ優先の演奏が得意だったバンドの特質にあって、ガチガチのアル・クーパーは浮いていたとか!? まあ、失礼ながら、ボーカリストとしての力量も弱く、アドリブもペンタトニックしか無い本人の資質からすれば、さもありなんでしょうねぇ……。

ということで、エキセントリックにしてクール、そして実に周到に作られた名盤だと思いますが、決して誰にでも好かれる作品ではないと思います。しかし聴かず嫌いは、本当に勿体無いですよ。

ロックファンもジャズファンも問わずに楽しめるといっては語弊がありますが、リアルタイムではない時期に聴いてこそ、妙な感慨を覚えるアルバムでした。

う~ん、自分で作ったバンドから追い出され、強烈に悔しい思いをした、これはアル・クーパーの深淵な企み……?

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アージェント!

2010-01-22 12:11:41 | Rock Jazz

Argent (CBS / Epic)

1960年代末から1970年代前半にかけて、数多くのヒットを放ったグループにスリー・ドッグ・ナイト=3DNがありますが、その得意技はオリジナルよりも所謂カパーヒットを狙う選曲センスの良さでした。

そして必然的に、そのオリジナルバージョンを聴いてみたいというのが、洋楽ファンの密かな楽しみに繋がっていた思います。

例えば昭和46(1971)年秋から冬にかけて我国でも大いに流行った「Liar」は、そのクールで熱いメロディと曲構成が、3DNならではの豪快にして粘っこい持ち味で表現されていた、実に私好みの素敵なヒット曲♪♪~♪ 結論から言えば、イギリスの4人組グループとして知る人ぞ知る存在だったアージェントが、1969年末に出したデビューシングル曲が初出のオリジナルバージョンで、もちろんそれはヒットしていません。

しかし私が最も驚かされたのは、このアージェントの正体で、それはなんと個人的にも大好きだったゾンビーズ直系のグループだったのです。

実はご存じのとおり、ゾンビーズは1960年代ブリティッシュビートのブームの最中にデビューし、「She's Not There」や「好きさ好きさ好きさ / I Love You」等々、リアルタイムでのヒットを飛ばしながら、それとは逆に経済的な問題やバンド側と制作&マネージメントサイドの思惑にズレがあったらしく、ついに1968年には活動停止状態……。ところがその間に出していた云わば旧譜の「ふたりのシーズン」がアメリカ国内で注目され、それが世界中に波及する大ヒットになったことから、オリジナルではない巡業専門のゾンビーズが幾つも現れたと言われています。

そしてその頃、本家ゾンビーズの残党だったロッド・アージェントとクリス・ホワイトは既に新しいバンドを計画中で、その紆余曲折の中では旧ソンビーズの面々とのセッションや新しいメンバーを物色中の音源も残されているものの、前述「ふたりのシーズン」の大ヒットに心中は如何ばかりだったでしょう……。

まあ、それはそれとして、とにかくロッド・アージェント(vo,key)、ラス・バラード(vo,g,key)、ジム・ロッドフォード(b,vo)、ロバート・ヘンリット(ds,per) で編成された本家ニューゾンビーズは、前述した事情からの「ゾンビーズ」という名前を封印、アージェントとして1969年末に発表したのが、本日ご紹介のアルバムです。

 A-1 Like Honey
 A-2 Liar
 A-3 Be Free
 A-4 Schoolgirl
 A-5 Dance In The Smoke
 B-1 Lonly Hard Road
 B-2 The Feeling Is Inside
 B-3 Freefall
 B-4 Stepping Stone
 B-5 Bring You Joy

結論から言えば、中身はゾンビーズから受け継いだお洒落なメロディ感覚とジャズっぽさ、そして当時流行になりつつあった所謂プログレを包括する英国流ロックジャズという、サイケおやじが大好きな歌と演奏ばかりです。

まずはゾンビーズ直系スタイルとして「Schoolgirl」が、実にたまりません。浮遊感満点の曲メロ、クールで熱いボーカル、そして間奏ではジャズっぽいピアノのアドリブ♪♪~♪

また同様に熱くさせられるのが力強い「Lonly Hard Road」で、もうゾンビーズのプログレ的展開としては絶句させられるほどですよ。キーボードのジャズフィーリングは言わずもがな、ギターとピアノと変幻自在のボーカルを披露するラス・バラードのソングライターとしての才能も強烈に楽しめる名演だと思います。

そして新しい試みしては、アメリカ南部風味というか、意外にもゴスペルロックの先駆けっぽい楽曲を披露していることで、例えばオーラスの「Bring You Joy」は実に情熱のスロービートで、ゴスペルを強く意識したピアノやコーラスが絶妙の彩りを添えたラス・バラードの絶唱が聞かれますし、ジョン・レノンがプログレしたような「Like Honey」も同じ味わいが良い感じ♪♪~♪

肝心の気になる「Liar」は、既に3DNのバージョンを知っていれば、明らかに物足りないでしょう。実際、私にとっても肩すかしでした……。しかし如何にも1970年代型のヒットパターンを確立していたアージェントの先進性は確かに感じられます。ただ、リアルタイムでは進み過ぎていたということでしょうね。

そのあたりのキャッチーな曲作りは、精密にしてラフな演奏が心地良い「Be Free」や欧州教会音楽の影響が色濃い「The Feeling Is Inside」、そして迷いをあえて露わにしている「Stepping Stone」が、決してイヤミになっていないことでも明らかだと思います。特に「Stepping Stone」はキメのリフレインが中毒症状さえ呼び起こすという、アブナサがヤミツキ♪♪~♪

ということで、虜になったら放せない隠れ名盤! というよりも、好きな人には好きとしか言えないアルバムだと思います。

告白すると、サイケおやじは当然ながら、リアルタイムで聴いたわけではありません。実はアージェントが本格的にブレイクしたのは、少なくとも我国では、昭和47(1972)年になって「Hold Your Head Up」が小ヒットしてから以降でしょう。また、さらに後になって、あの化粧バンドの最高峰だったキッスが、アージェントの「God Gave Rock And Roll To You」をカパーヒットさせてからじゃないでしょうか。

ですから私が、このアルバムを入手して、さらにゾンビーズからアージェントへと至る路程を知ったのは、昭和48(1973)年になっていましたし、その肝心のアナログLPも中古でガタガタのイギリス盤でした。

しかし、それでもサイケおやじの嗜好にジャストミートの内容は、絶対に手放せないアイテムの必要十分条件だったのです。

そして以降、後追いも含めて聴き進めたアージェントの素晴らしさは、筆舌に尽くし難ものがあります。

さらに現在、なんとそうした諸作品が紙ジャケ仕様のCDとして復刻で発売中! もちろん全買いモードのサイケおやじは、そのリマスターの素晴らしさにも感銘を受けましたので、皆様にも、この機会にお楽しみいただきたいと、願っています。

自分の好きなものには、必ずや共通点と流れがあるというのが、本日の結論なのでした。

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