例によってい移動中なんですが、監視が厳しくて、何も出来ません。
隠れてメール打ってるようじゃ~、ねぇ~~~。
自由が欲しい、明日からは!
例によってい移動中なんですが、監視が厳しくて、何も出来ません。
隠れてメール打ってるようじゃ~、ねぇ~~~。
自由が欲しい、明日からは!
■ファンレター / 岡本舞子 (ビクター)
季節外れというか、いやいや、今や当たり前とは言わない異常気象なのか?
それにしても早すぎる夏という昨日今日ですよねぇ~~~~!~♪?
もちろんいよいよスタートする連休日和として続くことも願っているんですが、ネパールの大地震を思えば、なにやら不穏な空気も漂うわけでして……。
そこで本日は、とりあえずスカッと素直に夏を迎える気持ちを前面に、掲載シングル盤A目曲「ファンレター」に身も心も委ねてみました。
いゃ~、針を落とした瞬間からの爽快感は演奏パートの素晴らしさは言わずもがな、ストレートな歌唱力を披露する岡本舞子はアイドル歌手というよりも、完全な女性ボーカリストの一級品だと思いますねぇ~~♪
確か発売されたのは昭和60(1985)年、岡本舞子にとっては、おそらくは2作目のシングル曲だったと記憶しているんですが、作詞:阿久悠&作編曲:山川恵津子の企図したプロ仕様の楽曲をここまで気持ちを入れて歌える彼女は、本当に素晴らしいですよ♪♪~♪
もちろんこの頃から我が国の歌謡業界では定番化していたビーチボーイズ風味のバックコーラスやギリギリ過多なシンセの用い方も良い感じ♪♪~♪
ちなみに岡本舞子は土曜日の朝に放送されていた西城秀樹のバラエティ番組(?)に出演して有名になった後、歌手としてのスタートはアニメのテーマ曲やCM関連の仕事だったそうですが、アイドル路線に進んだのは当時の芸能界では普通の流れでありながら、リアルタイムでは所謂ニューミュージックのシンガーと局地的に分類(?)されていました。
なにしろ彼女の一連のレコードには八神純子や山下達郎あたりのツアーバンドで軽視出来ない仕事に携わり、作編曲やプロデュースの才能も豊かな山川恵津子が全面的に制作に関与しているのですからっ!!
とにかく聴いて、絶対に後悔しないのが岡本舞子&山川恵津子のコラボレーション!
と、サイケおやじは強く思い続けて、今日に至っているほどです。
ところが岡本舞子は愛くるしいルックが裏目というのは贔屓の引き倒しというか、歌が上手すぎるアイドルという真実が、失礼ながら「かわいくない」という反目もあったようです。
あぁ、結局はなんとなくフェードアウトしてしまったのも、そんな所為なのかなぁ……。
しかし、繰り返しますが、岡本舞子のレコードにハズレ無しっ!
多分CD化されていると思いますので、ぜひとも皆様にはお楽しみいただきたいわけで、特にこの「ファンレター」こそは、初夏の必需品なのです。
それと山川恵津子の過小評価も、個人的には納得し難いもので、もしも出来うるならば「ワークス物」として、レーベル横断のアンソロジー作品集を編んで欲しいですねぇ~~~。
どうか、こうした願いが叶いますように、せつなく祈ってしまいそうです。
■恋のABC / 池田ひろ子 (CBSソニー)
アイドル歌手としてデビューしながら、ほどなく国営教育テレビの所謂「歌のお姉さん」に転身ししてしまった事から、あまりホップな芸能活動は記憶されていない感も強い池田ひろ子ではありますが、それにしても昭和50(1975)年に最初に出した本日掲載のシングル盤A面収録の「恋のABC」は、今でもロケンロールな歌謡曲好きには必殺の一撃でありましょう♪♪~♪
とにかく堀口雄右の作編曲がズバッと派手なオールディズ調で、イントロから炸裂する歌謡ロックなギター、ダダダッとキメまくりのベース&ドラムスに加え、女性コーラスのウキウキするような煽り(?)が鮮やかすぎるほどです。
そして当然ながらアップテンポで歌う池田ひろ子のボーカルには、良い意味での浮き上がった雰囲気が滲み出て、もう抑えようがない高揚感に包まれてしまうんですねぇ~~♪
しかも中間部では「お約束」とも言える「L-O-V-E」の掛け声コール&レスポンスまでもが用意されているんですよっ!
残念ながらサイケおやじは彼女のライブステージには接していませんが、おそらくはファン&親衛隊と一緒に盛り上がってキメようっ! という目論みが憎めません。
ただし昔っからアイドルマニアの間では有名な論争のひとつとして、安井かずみの綴った歌詞の中にある「帳面」を「ノート」じゃ~なくて、「ちょうめん」と発声しているあたり、それもまたオールディズな几帳面!?
なぁ~んて、笑いを狙ってしまいそうですが、まあ、いいか♪
また全篇で活躍するギターは、おそらくGSのアウト・キャストやアダムスで活動した後、スタジオミュージシャンとして昭和の歌謡界を支えた水谷公生と推察されますが、それもアウトキャストで一緒だった堀口雄右からの全面的な信頼関係があればこそでしょうか。
と書いたのも、当時のポップス歌謡としては、なかなかロック寄りの表現と勢いが伝わってくるんですよ、ここでのプレイにはっ!
告白すれば、当時のサイケおやじが密かにコピーに勤しんでいたという前科前歴は、未だ消しきれていません。
ということで、春の陽気に誘われて、パァァァァッと気分転換するのも悪くはないでしょう。
池田ひろ子の「恋のABC」は、まさにその手助けの名曲名唱と思うばかりです。
■雨あがりの太陽 / 亜木美子 (テイチク)
発売された昭和50(1975)年としては突発的な青春歌謡というが、亜木美子が歌う本日掲載のシングル盤A面曲「雨あがりの太陽」です。
こうしたサイケおやじの感想は、実際に聴いていただく他はないというのが苦しい結論ではありますが、当時15歳だったという彼女のデビュー作にしては、あまりにも時代錯誤であり、しかし一方、落ち着いた歌唱力の安定感には、ありきたりなアイドル歌謡ポップス、あるいは歌謡フォークなんかよりは、こういう往年の路線がジャストミートしていることも確かです。
それは失礼ながら、公式プロフィールを信じるかぎり、15歳にしては些かオバチャンっぽいタヌキ顔の個性が活かされた結果とも言えるのではないでしょうか。
残念ながらそれほどのヒットにはなりませんでしたが、作詞:柿沢望&作編曲:三木たかしが提供した楽曲そのものは間違いなく素晴らしい仕上がりですし、また、サイケおやじからはリアルタイムで動く彼女に接した記憶が消えていませんので、ジャケ写のイメージ共々に、この季節になると思い出してしまいますよ、彼女のことを。
ということで、公私諸事諸々、ひとつひとつの難題をクリアする日々の中、青春歌謡ってのも気持ちが良いものです。
■ふるさとよお前は / 高山ナツキ (日本ビクター)
おそらくサイケおやじと同世代の皆様には刷り込まれているはずと勝手に推察しているのが、高山ナツキが昭和42(1967)年に出した作詞:上野冷児&作曲:倉知輝による本日の掲載のシングル盤B面曲「ふるさとよお前は」です。
もちろん、その理由は同曲が当時テレビ放送されていた若者向けの朝のワイドバラエティ番組「ヤング720(TBS)」でイチオシされていたからで、ほとんど毎日、スタジオで録画された高山ナツキの歌唱シーンと共に、なんとも親しみを感じてしまうメロディーと歌詞が流されていましたからねぇ~~♪
サイケおやじにしても、学校が近かった所為もあり、その場面が終わってからの登校の道すがら、
ふるさとよぉ~、おまえはぁ~~♪
にぃくぅいやぁぁつぅぅぅぅ~~♪
なぁ~んて歌っていたんですから、なんとかの魂、百までってなもんでしょう。
当然ながら、それなりにヒットはしていたはずですが、かなり正統派に歌の上手い彼女には、これしか一般的に知られているレコードは無いという現実の厳しさが……。
ちなみに高山ナツキのプロフィールについては不明点も多く、船村徹の内弟子だったとか、この「ふるさとよお前は」を作曲した倉知輝の愛娘であるとか、本当は凄い空手の女ドラゴンだとかっ!?
様々に伝えられていましたが、個人的にはミニスカも似合うキュートな佇まい、幾分愛嬌顔の面立ちと相まって、その歌唱力の安定感は歌謡フォークから演歌系の楽曲まで幅広く表現出来るほど!
しかし残念ながらリアルタイムで世に出たレコードはそれほど多くはなく、後年はワイドショウのレポーターに転身してしまったのですから、なんとも勿体ないと思うばかりです。
それと掲載のシングル盤と同じ内容で、AB面を入れ替えたブツも出回っているあたり、やはり「ふるさとよお前は」の威力というか、極言すればテレビというマスコミの宣伝力は決定的と思いますから、何か纏まった復刻物を期待してしまいますよ。
ということで、実は昨夜、なんとかクビになっていないおやじバンドのメンバーから、もしも連休中に参加が可能ならば、この「ふるさとよお前は」をやらないか?
という、涙が出るほど嬉しい誘いがあったことは、皆様にもご報告せねばならないでしょう。
それが実現出来るかは別にして、もうサイケおやじには不義理は許されない、例えどんな理由があろうとも!
皆様のご厚情には、深く感謝するのみです。
■少女へのソナタ / ザ・フィンガース (キングレコード)
だいたい人生は自分の望まない方向へと流れるのが、世の常でしょうか。
少なくともサイケおやじの場合は、その道筋に従う他はなかった事の繰り返しで、ここまで来てしまっています。
もちろん、そんなこんなをすんなりを受け入れてはいたわけじゃ~なくて、ど~にもならないことについては我慢と忍耐、そして自らの欲望を追及するという言い訳にまで、それを転用してきた点については、悪因悪果と申せましょうか……。
しかし、今となっては所謂「年貢の納め時」というか、父の病気の重篤も自らの仕事の重責も、家族や親戚一同のあれやこれやも全て含めて、いよいよ「受け入れる」覚悟を決めなければならないようです。
そう、全ては望まない方向なんてすけど、それでも後々に結果オーライとなれば、それはそれで納得という人生の味わいになれば、なぁ~んて自分に言い聞かせている次第です。
さて、そこで本日掲載の1枚はGSブーム全盛期の昭和43(1968)年晩秋に発売されたフィンガーズの、おそらくは5枚目のシングル盤なんですが、ご存じのとおり、フィンガーズは看板ギタリストの成毛滋の超絶テクニックをウリにしていたインストバンドだったところから、この頃にはレコード会社の移籍とメンバーチェンジにより、典型的なアイドルグループ路線にシフトしていましたから、殊更ここにA面収録の作詞:なかにし礼&作編曲:村井邦彦が提供の「乙女のソナタ」は、ストリングスをたっぷり入れた甘々の少女趣味が全開しています。
ちなみに当時のメンバーは成毛滋(g)、高橋信之(g,vo)、蓮見不二男(key)、シー・ユー・チェン(vo,b)、松本幸(ds) という顔ぶれで、特にシー・ユー・チェンが女の子にダントツの人気を集めた所為でしょう、ここでも堂々のリードボーカリストとしてアイドル王道の節回しを披露すれば、ストリングスに埋もれるようなリズムプレイが成毛滋の仕事だとしたら、それはあまりにも「受け入れられない」仕儀……。
しかもリアルタイムじゃ~、決して大きなヒットにはならなかったのですから、我が国屈指のロックギタリストであった成毛滋の信奉者の胸中如何ばかりか、というのはサイケおやじの本音に他なりません。
このあたりの状況について、ご本人はどのように思っていたのかは、もちろん知る由もありませんが、それがなんとっ!
今日では「ソフトロック歌謡」の人気曲となって、この時期のフィンガーズには後追いのファンが増え続けているらしいのですから、時の流れは偉大です。
う~ん、確かに今聴くと、妙に微笑ましい気分にさせられるんですよ、この「乙女のソナタ」には♪♪~♪
ということで、「受け入れる」には相当にハードボイルドな作業(?)でも、後からついてくる結果の良し悪しは分かりません。
それとこの機会に書いておきたいのが、サイケおやじが成毛滋に憧れていたという告白で、最初に手にしたエレキがグヤトーンだったという共通点にも嬉しさを感じてましたが、後に憧れ天才が宣伝していたグレコの「EG-420」という、レスポールっぽい国産ギターを買って、愛用しまくったのも、それに所以するところです。
もちろん当時としては4万円ほどの学生にはバイトが必要な価格でしたが、「鳴り」そのものはギブソンにも負けない「らしい」音が出せたんですから、成毛滋は流石と思うばかりでしたよ。
なんでも「受け入れる」という姿勢が、人生楽しくやれる秘訣かもしれないと思っているのでした。
■愛するアニタ / ザ・ワイルド・ワンズ (東芝)
ワイルド・ワンズのリーダーにして、素晴らしい作曲家でもあった加瀬邦彦の訃報に接しました。
どうやら最近は闘病中だったとの事で、なにやら様々な憶測的報道もありますが、言うまでもなく病魔との対峙は苦しく、現代の医療では難しいところも、実は本人の気持ちの問題も無視出来ないのが実情でしょう。
つまり気持ちが萎えてしまえば、それで終わりという厳しい現実があるように思いますし、当然ながら、周囲よりも本人の気持ちは絶対的に尊重優先されなければならないはずです。
それが寿命を全うする生き様とは一概に申せませんが、しかし逝きぬいた証にはなるような気がしています。
さて、そこで本日掲載したのは故人が率いていたワイルド・ワンズが昭和43(1968)年新春早々に出したシングル盤で、特に作詞:山上路夫&作曲:加瀬邦彦によるA面収録の「愛するアニタ」は、リードを歌う植田芳暁の湿りっ気のある節回しとキメのブレイクで島英二が絶叫する「アニタァァ~~」というフレーズが今も忘れられないという大ヒットでしたねぇ~~♪
しかも楽曲そのものがワイルド・ワンズにしては相当にロック寄りで、それはレコードよりもライブステージやテレビ出演での歌と演奏の激しいノリ、そして要所に入る「オゥッ!」というメンバーの合の手、さらにはその場面における振付アクションのカッコ良さ!
恥ずかしながら当時のサイケおやじは学校の掃除の時間、箒をギターに見立てては、件の足でキックするアクションを真似ながら、「オゥッ!」なぁ~んてやっていたもんですから、周囲からは完全に軽く見られていたという、いやはやなんともの次第であります。
緩和休題。
また、忘れてはならないのが、以降に正式メンバーとなる渡辺茂樹(key) の存在で、ここでは未だジャケ写に登場していませんが、レコードトラックにはきっちりオルガンの響きが入っていますし、同時期のライブやテレビ出演の現場では既に一緒に行動していたことは、当時残されたライブショットや映像で明らかです。
それと今や有名な逸話として、本来この「愛するアニタ」はタイガースに提供されるはずだったという真相もあるんですが、リアルタイムでは発表されず、後に特典盤レコードやボックスセットに収録されるというレア音源!?
しかも他にテンプターズのカバーバージョンやフラワーズの公式未発表テイクも存在しているというほどで、それもこれも、楽曲の持つロックっぽさの所業かと思います。
ということで、加瀬邦彦といえば、もうひとつ、エレキの12弦ギターというイメージも忘れられず、前述の如く「愛するアニタ」におけるキック入りアクションでの踊り弾きも、サイケおやじの目に焼き付けられた雄姿です。
お疲れさまでした、加瀬邦彦……。
合掌。
実は、またまた父の容体が思わしくなくて、ついに今日は夕方、主治医から家族への説明があるとの連絡が……。
そこで仕事前に様子を見に行ってみたら、なんとっ!?
父からは「アンパンが喰いたい」という強烈なリクエストが!?
そこで病院内の売店から調達してくれば、早速自らの手で、それを食するという行動は如何に!?
う~ん、体のあちこちに管を繋がれている身とは思えませんよ。
とりあえず目が霞んでテレビが見られないとか、自力に起き上がれないとかの症状があっても、欲望が切れていないうちは大丈夫なのかなぁ…?
ちなみに父の病名は胃癌が肺やリンパ節に転移して、既に末期らしいんですが、わかりませんよ、先のことは。
さて、それでも神妙なサイケおやじです。