OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ストーンズ名盤プートの再発♪

2010-03-31 17:33:27 | Rolling Stones

Lonely At The Top / The Rolling Stones (Dog n Cat = Bootleg)

昨夜はホームページビルダーの新しいソフトを買いに行ったんですが、あれこれ迷って決められず、結局、またまたCDやDVDによる散財モードでした。

そして本日ご紹介は、その次第で入手してしまった、ストーンズの古典的な名盤ブートの拡大再発盤です。最初に出たのは確か1983年頃、当然LPでした。収められていたのはミック・テイラーが在籍していた末期の1974年と隠れ人気盤「エモーショナル・レスキュー」制作に繋がる時期だった1978~1980年頃のスタジオアウトテイクを収めた優れもの♪♪~♪

まあ、今となってはそのLPも、また後にCD化されたブツも、ピッチの狂いがモロでしたし、音質もイマイチの統一感が足りませんでしたが、当時は感涙して聴いていたものです。

それが今回、ピッチの修正と新規リマスターよる音質の向上、さらに同時期の音源の追加によって更なる感動を呼ぶ、というプート屋のお兄ちゃんの売り文句は本当でした。

 01 Living In The Heart Of Love (1974年3~4月録音)
 02 Drift Away (1974年3~4月録音)
 03 Sweet Home Chicago (1979年1~2月録音)
 04 Dancing Girls / Linda Lu (1979年1~2月録音)
 05 Munioch Reggae (1975年&1981録音?)
 06 Lonely At The Top (1979年1~2月録音)
 07 Munich Hilton (1979年1~2月録音)
 08 What's The Matter (1979年1~2月録音)
 09 Gangster's Moll (1979年録音)
 10 Hang Fire (1979年録音?)
 11 Claudine (1978年1~2月録音)
 12 We Had It All (1979年録音)
 13 Let's Go Steady (1979年1~2月録音)
 14 Save Me (1972年録音?)
 15 Drift Away (1974年3~4月録音)

まず前半の9曲は前述LPに収録後、さんざんCD化されてきた音源ながら、流石に色あせない魅力があります。

まずミック・テイラー参加の「Living In The Heart Of Love」は如何にもイッツ・オンリー・ロケンロールという、実にファジーなストーズノリが全開! 次の時代へ繋がるヘヴィなビートは快感です。

また同じく「Drift Away」はご存じ、黒人ソウルシンガーのドビー・グレイが1973年に放った大ヒット歌謡R&Bというよりも、今ではロッド・スチュアートのバージョンで有名でしょう。実はストーンズがカパーしようとしていた矢先、そのロッド・スチュアートがレコーディング中という情報からのオクラ入りが裏事情のようです。今回のブツでは、トラック「02」がリハーサルっぽいラフなテイク、そしてトラック「15」は後に発掘された、かなり完成されたテイクなんですが、ふたつともミック・ジャガーの歌いっぷりは味わい深く、おそらくはミック・テイラーと思われる小技の効いたギターが良い感じ♪♪~♪ リズムのアレンジもなかなかストーズらしいので、何時の日か公式バージョンが出ることを祈りつつ、このブートを楽しむのも素敵な時間の過ごし方だと思います。

その意味では、おそらくは1972年頃の音源と思われる「Save Me」が、完全な「メインストリートのならず者」しているのは、高得点! この猥雑なロックフィーリングはストーンズでしか醸し出せないでしょうねぇ~~♪

次に1978年録音と言われる「Claudine」は強烈な問題を含んでいるとして、オクラ入りが当然となったものです。それはタイトルどおり、1960年代後半に人気があった美人シンガーのクロディーヌ・ロンジェを歌ったもので、その内容は彼女が起こした愛人射殺事件と密接な繋がりがありますから、公式発売されれば裁判沙汰は必至!? しかも録音時期が例のキースのドラッグ問題でグループがガタガタになっていた時期とあれば、尚更にアブナイ雰囲気が横溢しています。ただし残された幾つかのテイクの内、ここに収められたのは軽快なR&R風味の強いものが選ばれていますから、聴きとれる歌詞の中身がそれほどシリアスには感じられないかもしれませんね。まあ、色々とあるわけですが……。

そして1979年のセッションは、前述したキースの麻薬裁判が結審した後とあって、一応の前向きな姿勢による、なかなかに充実した創作活動がここに証明される音源です。

それは1977年頃から引き続くパリでのセッションを起点に、1978&1979年に行われたバハマのコンパポイントスタジオにおける最終仕上げセッションまでを包括していますから、以降のアルバム数枚分の秘密が解き明かされる楽しみに満ちています。

中でも「Lonely At The Top」は後にミック・ジャガーがソロアルバム「シーズ・ア・ボス(CBS)」で公式発表した人気曲ですが、それが都会的な仕上がりだった事に対し、ストーンズのバージョンは、如何にも「らしい」ルーズなノリが最高にマニアック♪♪~♪


また「Hang Fire」は1980年代のストーンズでは決定的な名盤「刺青の男」に収録の公式バージョンに限りなく近いものですが、ミック・ジャガーのボーカルが別物の未完成テイク!?! ちょいと個人的には録音時期の推定が難しくもあって、実際、ブートで確認出来るだけでも3~4テイクが残されているようです。

つまり、それだけこの頃はストーンズにとっての充実期だったはずで、特にキース・リチャーズは曲作りと自らの歌の世界を確立する味わい深さが素晴らしく、例えばスワンプ系シンガーソングライターとして評価も高いドニー・フリッツの「We Had It All」で聞かせるシブイ歌い回しには、涙がボロボロこぼれます♪♪~♪

あぁ、最高のカントリーバリード♪♪~♪

そしてさらに泣けてくるのが、サム・クックの「Let's Go Steady Again」を変則カパーした「Let's Go Steady」の燻銀♪♪~♪ なんとストーンズとも繋がりの深いクリス・キムゼイ(key) の妻だったクリッシー・キムゼイと最高のデュエットを聞かせてくれるという仕上げがニクイ限り! ミディアムスローなR&Bの世界を時に情熱的に、あるいは刹那の甘さで歌いあげていくキース・リチャーズの意想外の素晴らしさには感涙する他はありません。ちなみにキース&ロンのプロジェクトだったニューバーバリアンズのステージでも歌われていますが、このデュエットバージョンは、微妙にうらぶれたムードがクセになると思います。

こうしたカパーの上手さは、ストーンズのひとつの魅力であって、ロバート・ジョンソンがオリジナルのブルースの古典「Sweet Home Chicago」をドロドロのブルースロックに変換する手口は決して悪質とは言えないでょう。キメしか歌わない詞の解釈は流石だと思います。

一方、オリジナル曲の冴えも秀逸なものが多く、最初は「Linda Lu」と表記されていた「Dancing Girls」のダイレクトなロックビート感、ブルースロックがど真ん中の「What's The Matter」、さらに完成度が高いストーンズ流儀の歌謡ロック「Gangster's Moll」は何度聴いても飽きません。

ただし、ここに収められているのは、あくまでも未完成テイクということですから、尚更に公式完成バージョンが聴きたくなるという我儘を押さえきれなくなるのです。

それは「Munioch Reggae」や「Munich Hilton」といったスタジオジャムからストーンズが自分達の曲と演奏を捻り出していく過程を窺い知るという、まさにファンの喜びと裏腹の欲望かもしれません。

ということで、ディープなストーンズ中毒者にとっては既発の音源ばかりかもしれませんが、なかなか秀逸なリマスターが施されていますから、捨て難い魅力がいっぱいだと思います。

ちなみに全曲がステレオミックスで、これまで耳ざわりだったヒスノイズは極力排除され、ピッチも正常だと思われますが、これは公式テイクを聴いたことがありませんから、独断と偏見ですし、音質そのものはマスターの状態から決して良いとは言えないものも含まれています。

しかし聴き易さは、これまでで最高じゃないでしょうか。

濃存じのとおり、「エモーショナル・レスキュー」関連のブートは夥しく出回ってきましたが、ブートの世界では決定的な名盤となっていたこの仕様での再発は、リアルタイムを未体験の皆様にも楽しんでいただけると思います。

そして公式盤の世界では近々、あの「メインストリートのならず者」のデラックスエディションで幾つかの未発表曲が世に出る予定とあれば、さらにブートの世界も活性化するものと推察する次第です。

あぁ、凄く楽しみだぁ~~~♪

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ロックジャズ極みのジェフ・ベック

2010-03-30 14:35:15 | Rock Jazz

Wired / Jeff Beck (Epic)

天才ギタリストのジェフ・ペックが1976年初夏に発表した、本格的なインスト路線の第二弾アルバムで、まさにギターで究極のロックジャズ!

名曲「哀しみの恋人達」を含む大ヒット盤「ブロウ・バイ・ブロウ」を遥かに凌駕する物凄い演奏は、既にブームになっていたフュージョンの中でも異常な尖がり様が強烈でした。

もちろん当時はラリー・カールトンやリー・リトナーといったスタジオセッションの世界から飛び出してきた白人ギタリストが流麗な技を存分に披露していましたし、ロイ・ブキャナンやヤン・アッカーマン等々、凄腕のインスト系ギタリストが大きな注目を集めていた時期ですから、ジェフ・ペックが引き続き同じ手法の演奏をやったところで不思議はないでしょう。

しかし何かしら決定的に違うのは、ジェフ・ペックには如何にも英国流の頑固さ、みたいなものを私は強く感じるのです。

それは、ある意味ではジコチュウでしょうし、本人は曲が書けない代表的なミュージシャンのひとりでもありますから、周囲のお膳立ても大切だったかもしれません。

ですから、前作の「ブロウ・バイ・ブロウ」にはジョージ・マーティンという、ビートルズの我儘を完全に仕切った名プロデューサーが起用され、それがベストセラーに結びついた事を思えば、ここでの引き続きの起用も部分的ではありますが、納得されるところです。

そして尚更に凄いのが、このセッションに参集した盟友のマックス・ミドルトン(key)、ヤン・ハマー(key,ds)、ウイルバー・バスカム(b)、ナラダ・マイケル・ウォルデン(ds,per,key)、エド・グリーン(ds)、リチャード・ベイリー(ds) という怖い面々の存在感でしょう。それはとにかく、アブナイ! としか言いようがないほどでした。

 A-1 Led Boots
 A-2 Come Dancing
 A-3 Goodbye Pork Pie Hat
 A-4 Head For Backstage Pass
 B-1 Blue Wind
 B-2 Sophie
 B-3 Play With Me
 B-4 Love Is Green

既に述べたように、このアルバムは全篇がインスト!

ですからジェフ・ペックのギターはもちろんのこと、共演者の力量も限りなく試される場ということで、前作の「ブロウ・バイ・ブロウ」で使われていたストリングス等々の装飾を排除し、ここでは完全なるバンドサウンドが追及されています。

その中ではヤン・ハマーとナラダ・マイケル・ウォルデンという、ジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オームストラからやってきた2人が、まさにアルバムの色合いを決定づける大活躍!

まずA面ド頭「Led Boots」に針を落とせば、いきなりドカドカ煩く、シンコペイトしまくったドラムスが炸裂し、後は一気呵成のロックジャズ大会♪♪~♪ 曲の骨格はヤン・ハマーとマックス・ミドルトンが操るシンセやクラヴィネットで決められているんでしょうが、やはりビシバシにブッ飛んだリズム的な興奮が凄まじく、その中でジェフ・ペックのギターが大暴れするんですから、たまりません♪♪~♪

そういう爆裂のリズムとビートは、当然ながらロックだけではなく、当時はニューソウルと呼ばれていた黒人音楽の意匠をも含んでいるのですから、続く「Come Dancing」では、その道の名人ドラマーだったエド・グリーンが強靭なグルーヴを叩き出し、エレピやシンセのキーボードが最高に心地良い設定を整え、結果的にジェフ・ペックのギターが一番に目立たないという妙な展開も、実は結果オーライだと思います。

しかし流石はジェフ・ペックという本領発揮が、モダンジャズの怒れるベース奏者だったチャールズ・ミンガスの代表曲「Goodbye Pork Pie Hat」です。それはオリジナルの不思議な浮遊感を湛えた曲メロを、繊細なスライドギターや絶妙のトーンコントロールで再現しながら、さらに全く「らしい」展開へと発展させていく天才の証明! 力強いロックビートを大切にしながらも、これは唯一無二のロックジャズフュージョンでしょうねぇ~~♪

ちなみに、このセッションでのジェフ・ペックは、そんなにエフェクター類に拘っている雰囲気は感じられませんが、いかがなもんでしょう。もちろんオーバーダビングでの音色の変化や意図的(?)なズレによる効果は狙っていたんでしょうが、やはり自然体の感性で勝負したかったのでしょうか……。

という推察は完全なるサイケおやじの妄想ではありますが、Aラスの「Head For Backstage Pass」やB面に入っての「Play With Me」で繰り広げられるアップテンポのフュージョンジャム、幾分の纏まりの悪さが楽しい「Sophie」あたりを聴いていると、ジェフ・ペックならではの先鋭性によるリズム外しや不明瞭な音程も散見されるフレーズ等々が、鉄壁なリズム隊の中で浮いてしまうという、実にトンデモなスタアの証が、もう、最高♪♪~♪

そして発売当時から極みつきの名演とされていた「Blue Wind」が、ジェフ・ペック対ヤン・ハマーの直接対決という、過激な作りになっているのもムペなるかな!! ドラムスを含めて、ほとんどの音をヤン・ハマー自らがオーバーダビングで作り出した演奏パートは、今となっては古臭い感じもするんですが、しかし見事な緊張と緩和は圧巻ですよっ! なによりも、ジェフ・ペック本人が納得してやったか、否か、そのあたりの面白さも抜群だと思います。

さらにオーラスの「Love Is Green」はナラダ・マイケル・ウォルデンが作曲し、自らピアノまで弾いた美しい小品ながら、ジェフ・ペックのアコースティックギターが良い味、出しまくり♪♪~♪ もちろんエレキも泣きますから、本当に短いのが残念至極!?!

ということで、これがギター好きを刺激しなかったら、それは嘘という仕上がりでした。当選ながらフュージョンやジャズが好きなファンもシビレたと思います。

ただ、当時の王道フュージョンにはジャズ寄りのものとロックテイストが強いもの、そのふたつがあって、ラリー・カールトンやリー・リトナーは、どちらかと言えば前者でしたから、イノセントなジャズファンにも受け入れられる要素がありました。

しかしジェフ・ペックは既にロックのスタアギタリストでしたし、怖さをモロ出しにしたガチガチにハードな音作りは、ジャズ評論家の先生方からも敬遠され気味のところが、確かにありました。

そして似たような感触はジョン・マクラフリンにもあったところですから、その共演者だったヤン・ハマーとナラダ・マイケル・ウォルデンが起用されたのも、当然の流れだったかもしれません。

以降、ジェフ・ペックはヤン・ハマーのバンドに客演する形でライプ盤を作ったり、ナラダ・マイケル・ウォルデンのリーダーセッションに参加する等の活動から、ついにはスタンリー・クラーク(b) との心底恐ろしいハードロックフュージョンのバンドをやってしまうのですが……。

もう、そこまで行ってしまうと、後が無いという感じで、しばらくの沈黙期に入るのです。

その意味で、この「ワイアード」こそが、ギタリストとしてのジェフ・ペックがやったロックジャズの頂点かもしれません。

ご存じのとおり、飽きっぽいとしか言えないジェフ・ペックは、それからもハードロックとフュージョンの道行を繰り返しては今日に至っていますが、なんと近々、ナラダ・マイケル・ウォルデン(ds)、ロンダ・スミス(b)、ジェイソン・リベロ(key) という興味津津のメンバーを引き連れて来日公演予定!

あぁ、行ってみようかなぁ~~♪ エグイお姉ちゃんベース奏者のロンダ・スミスも気になるし♪♪~♪

と、忙しい最中にも決意させる魅力が、ジェフ・ペックには今もあるのでした。

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それでも買ったディープ・パープル

2010-03-29 15:02:48 | Weblog

New, Live & Rare / Deep Purple (Trash / トリオ)

だいたい自分の嗜好は、ほとんど昭和50(1975)年位までに決まってしまったという、私は実に偏向した人間ですから、以降は音楽でも正直、新譜に聴きたいものが極端に減っていました。もちろん時代はパンクやニューウェイヴ、ヘビメタやテクノという流れに入っていくわけですから、全く、さもありなん……。

ですから好きなミュージシャンの未発表作品集なんてものが新発売されると、速攻で入手しては一喜一憂していていたのが、サイケおやじの1980年代でした。

本日のご紹介も、そんな当時の昭和55(1980)年秋に我国優先で発売されたディープ・パープルのレア音源集だったのですが……。

 A-1 Hash (live version / 1969年9月24日録音)
 A-2 Painted Horse (outtake / 1972年)
 A-3 Cry Free (outtake / 1970年)
 A-4 Child In Time (live version / 1969年9月24日録音)
 B-1 Strange Kind Of Woman (single,A)
 B-2 I'm Alone (single,B)
 B-3 When A Blind Man Cries (single,B)
 B-4 Wring That Knec (live version / 1969年9月24日録音)

実はこれより以前の1977年末頃、「パワー・ハウス (Purple / Warner)」というレア音源アルバムが当時の契約会社から発売されており、このLPとは曲のダブりが甚だしいという真相があります。

しかし既にディープ・パーブル自体が1976年に解散しており、様々に出回った編集盤は結局、ファンの渇望に乗じて、曖昧な契約の抜け道を利用したという見方も出来るでしょう。そして問題は、如何に素晴らしいオムニバス盤を提供出来るか!? ということもかしれません。

で、このアルバムに収録された上記のトラックには一応、簡単にデータも付記しておきましたが、所謂第二期のイアン・ギラン(vo)、リッチー・ブラクッモア(g)、ジョン・ロード(key)、ロジャー・グローヴァー(b)、イアン・ペイス(ds) という、ファンが最も大好きな時期の、ちょっと珍しい歌と演奏が楽しめます。

まず1969年に残されたライブ音源は、あのクラシックオーケストラと共演した隠れ人気盤「ディープ・パープルとロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ (Hervest)」と同じ日に録音されたバンドの単独演奏で、特に第一期のヒット曲「Hash」がイアン・ギランによって歌われるのが興味津津でしょう。そして結果は十八番のシャウトを適度に使った物分かりの良い歌い回しで、そのオリジナルバージョンの雰囲気を大切にしているのは流石! しかしリッチー・ブラックモアのギターワークが随所で余裕の遊びを披露するあたりは、侮れません。もちろんジョン・ロードのオルガンはジミー・スミスのロック的展開ですよ♪♪~♪

また第二期のステージでは定番だった「Child In Time」は、これが初演という説が根強いわけですが、実際、静かなスタートから少しずつ熱気を孕んで盛り上がっていくバンドとしての一体感は素晴らしく、キメのリフからギターとオルガンの鬩ぎ合い、そして中盤にテンポアップしてからはリッチー・ブラックモアの凄まじいアドリブソロが爆発し、後半に至っては完璧な曲の構成も見事すぎますから、クラシックファンも多かったといわれる当日の観客も圧倒されての大拍手! 溜飲が下がります。

そしてさらに凄いのが、これまた第一期からの十八番「Wring That Knec」で、これぞっ
白熱のハードロックインスト! ちなみにオリジナルの曲名はセカンドアルバム「詩人タリエシンの世界」に収録されていた「Hard Road」なんですが、果たしてどっちが本当なのか!?! まあ、それはそれとして、スピード感満点に疾走するバンドの勢いにはスカッとさせられますよ。

以上の3曲はモノラルミックスで、前述した「パワー・ハウス (Purple / Warner)」とのダブり収録ながら、その時は些か妙なエコーが気になっていた部分を、ここでは実直なものに統一してあるのは十人十色のお好みかでしょうか。私は、こちらが好きです。

次に2曲のアウトテイクですが、まず「Cry Free」は名盤「イン・ロック (Hervest)」制作時にシングル候補となっていたというほど、なかなか直線的で重量感のある仕上がりで、裏声をキメに使うイアン・ギランの歌いっぷりが感度良好♪♪~♪ パワフルなイアン・ペイスのドラミングと攻撃性の強いリッチー・ブラックモアのギターも熱いですよ。

また、もうひとつの「Painted Horse」は、これも人気盤「ファイアボール (Hervest)」制作時のボツテイクなんですが、後の大ヒット曲「Smoke On The Water」の予行演習っぽいキメや第三期を予感させるコーラスワークとファンキーなジョン・ロードのキーボードがニクイところでしょう。イアン・ギランのハーモニカやリッチー・ブラックモアのスライドギターも、かなりしぶといと思います。

そして残る3曲は英国ではシングル盤オンリーという扱いだった隠れ名曲ですが、それでも比較的入手は容易なものばかりでしたから、別に「レア」ということもないでしょう。

しかし歌と演奏そのものは流石に全盛期! ですから、いずれも聴きごたえがあります。

中でも「I'm Alone」はシングル盤「Strange Kind Of Woman」のB面に収録されていた、実にスピード感満点の隠れ名演で、気持良いほどリズミックなペースパターンを土台に「Terry-sh」なリッチー・ブラックモアのギターソロ、さらにファンキーロックなジョン・ロードのキーボードが短いながらも冴えまくり♪♪~♪ こんなんライプでやられたら、歓喜悶絶でしょうねぇ~~♪

それと「When A Blind Man Cries」は、これまた人気盤の極みつきという「マシン・ヘッド (Hervest)」のセッションから作られ、先行シングルとなった「Never Before」のB面に収録されていた、隠れ名曲の決定版! スローテンポながら力強いロックビートが横溢し、マイナー調の泣きのメロディが心に染みる仕上がりは、リッチー・ブラックモアのギターソロも実にシブイです!

ということで、今となっては、ど~ってことない編集盤かもしれませんが、なんか当時は嬉しかったですねぇ~~♪ それは些かトホホのジャケ写&デザインにも言えることで、ほとんど出来の良い海賊盤という雰囲気が、憎めないのです。

はっきり言えば、当時の私は既に前述した編集盤「パワー・ハウス (Purple / Warner)」も、また該当シングル曲も全て持っていましたから、これは無駄な出費に他なりませんでした。しかし、それでも買ってしまったのは、「もしかしたら……」なんていうスケベ心が働いていたからで、確かにライプ曲の音質は少~しだけ向上していた他は大差無しです。

まあ、それだけ新発売で購買意欲を刺戟するレコードが少なくなっていたとはいえ、ちょいと「ビニール本」を買う不穏な期待感と似ていたのかもしれません。

きっと笑われるでしょうが、その店頭でワクワクする気分にお金を使うことは、決して無駄とは思っていないのでした。

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トラブル続きの休日

2010-03-28 16:49:02 | Weblog

ということで、本日の1枚は休載願います。

なんせ朝からトラブル続き……。

サイト更新やろうとすれば、ホームページビルダーが不調で動かず……。

再インストールしても変化なし……。

ついにはPCまで不調になってリセット中であります。

申し訳ございませんでした。

 

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ビーバーズは歌謡曲も最高♪

2010-03-27 17:19:52 | 歌謡曲

泣かないで泣かないでc/wサテンの夜 / ザ・ビーバーズ (キングレコード)

先日のムーディー・ブルース「サテンの夜」でちょっと書いた、ビーバーズの同曲再発盤です。

本来は昭和43(1968)年末に発売された、ビーバーズにとっては5枚目のシングル盤になりますが、翌年春にはグループそのものが解散したことから幻化していたものを、前述したムーディー・ブルースのオリジナルバージョンが昭和47(1972)年になってリバイバルヒットしたことに便乗し、再発されたもの思われます。

ちなみにビーバーズが演じた「サテンの夜」は2バージョンあって、ひとつは唯一残されたオリジナルアルバム「ビバ!ビーバーズ」に収録の英語詞で歌ったもの、そしてもうひとつが、このシングル盤B面に収録された日本語の歌詞をつけたものですが、その演奏パートの基本は、おそらく同じものでしょう。

と、なれば、後は十人十色の好みの問題になるんですが、英詞バージョンの意外なほどのハマリ具合が好ましいですねぇ~♪ 対して日本語バージョンは些か大仰な歌いまわしが、当時のミュージックライフの編集長だった星加ルミ子女史の作詞にミスマッチかもしれません。

しかし演奏パートの充実度はなかなか素晴らしく、本来はギタリストの石間秀樹が演じているとされたフルートが良い感じ♪♪~♪ ムーディー・ブルースのオリジナルバージョンに比べると些かチープなストリングスや軽めのリズムアレンジも、リアルタイムの我国GSブームの中では正鵠を得たものだと思います。

そして気になるA面「泣かないで泣かないで」はビーバーズのウリだった早瀬雅男と成田賢のツインボーカルを活かした歌謡GSの決定版! 作詞:橋本淳 / 作曲:すぎやまこういち、という当時のヒットメイカーが渾身の名曲で、その湿っぽくて、そこはかとない余韻がたまらない歌と演奏は、まさに幻の名唱のひとつかもしれません。

今となっては、ビーバーズは和製ヤードバーズとか崇められる実力派ですから、こういう歌謡曲路線は無かったことにされているのかもしれませんが、やっぱり同系の他のバンドとは底力が違うことを立派に証明したテイクだと思います。

あと、ちょっと余談になりますが、この「泣かないで泣かないで」は本来、スパイダースに書き下ろされたという伝説が残されているほど、売れセン狙いがモロ出しです。しかし結果的にスパイダースのバージョンは発売されず、弟バンド的な扱いだったビーバーズが出してしまったところに、当時の様々な事情があるのでしょう。

また「サテンの夜」は同じ頃、スパイダースでは堺正章が歌っていたのテレビで見た記憶があります。けっこう本人の黒いボーカルがジャストミートしていて、その当時は知らなかった曲名が気になったものです。

ということで、どんどん歌謡曲化していった昭和43(1968)年後半のGSの中で、それが成功したバンドは生き残り、諦めてしまったグループは解散……。そうやって日本のロックは進歩発展したのが、今日までの歴史だと思います。

その意味で歌謡GS系の音源を無視するなんてことは絶対に出来ないでょう。

再評価と共に決定的な編集ボックス物でも出ないかなぁ~、なんて希望を抱いて長い年月が流れてしまいましたが、その時には、ぜひともビーバーズの「泣かないで泣かないで」を入れて欲しいものです。

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サンフランシスコに咲いた花

2010-03-26 15:16:46 | Pops

花のサンフランシスコ / Scott McKenzie (Ode / 日本コロムビア)

何時か何処かで、流れてくるメロディを聞いただけでもホンワカしてくる歌というのは、必ずありますよね。

サイケおやじにとっては、本日ご紹介の「花のサン・フランシスコ / San Francisco (Be Sure To Wear Flowers In Your Hair)」もそのひとつです。

歌っているスコット・マッレンジーはニューヨーク周辺で活動していたフォーク歌手でしたが、旧知のジョン・フィリップスがママス&パパスを率いて西海岸で大成功を掴んだことから、この歌をプレゼントされ、世はまさにヒッピームーブメント真っ最中の1967年夏、時代を象徴することになりました。

それは同年に開催された、今や歴史のモンタレー・ポップ・フェスティバルのテーマ曲となり、髪に花を飾った若者達が歌詞をそのまんま体現して集ういう大成功へ導く役割を果たしたのです。

まさに理想が現実になった、極めて稀な瞬間を演出した歌でした。

ですから我国でもカレッジ系のフォーク歌手が演目にしていましたし、実際、レコードで聞かれるギターのシンプルな使い方やビートの効いたドラムスの気持良さは典型的なフォークロック♪♪~♪ しかもコピーがそれほど難しいものではありませんから、当時はアマチュアでも歌って当然の親しみやすがありましたですねぇ~♪

もちろん曲メロの良さは言わずもがでしょう。

ただし、これは後になっての想いなんですが、歌詞の内容は意外に深いと思います。

というのも、その頃のアメリカはベトナム戦争が泥沼化し、若者は続々と戦場へ駆り出され、また国内には人種差別の偏向や貧富の差の拡大が蔓延していましたから、ピッピーという称された遊民達は、良識ある一般社会から疎まれて然るべき存在だったでしょう。

明日をも知れぬ運命を背負った当時のアメリカの若者達が、自由を希求することは否定出来るものではありません。

しかしヒッピー達にだって、形は異なっていたかもしれませんが、今を生きている瞬間を大切にする、ある意味での愛国心はあったはずです。そして刹那的な気持を夢に満ちた歌に託してしまう雰囲気があったに違いないと思うのですが……。

そんな理屈っぽい独断と偏見はさておき、この「花のサンフランシスコ」は「夢のカリフォルニア」と並んで、西海岸への憧れを我国の青少年に焼きつけた名曲だと思います。

意地の悪い視点からすれば、音楽業界の目論見に完全捕獲されたわけですが、それを超えた魅力がこの歌にあるからこそ、今日でも愛され続けているのでしょう。

ちなみに歌っているスコット・マッケンジーは、ほとんどこれだけの一発屋で、ほどなく表舞台から消えた後、1970年頃にカントリーロックっぽいアルバムを出しています。確かこれは近年、CD復刻されたらしいのですが、実はサイケおやじは以前、アメリカの某所で開催された懐メロショウに出演している本人を見ています。

ここで「見ている」と書いたのは、そのステージが所謂「口パク」だったからなんですが、それでもギターを抱えて登場した瞬間、会場からは万雷の拍手が!

そうですよねぇ~♪

その場に集まっていたお客さんは明らかに中年者の男女でしたが、リアルタイムではピッピーをやっていたと思しき人も散見されましたし、なんたって1967年の大ヒット曲なんですからっ!

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無敵の寺内タケシ

2010-03-25 14:00:17 | 日本のロック

テリーのテーマc/wテスト・ドライバー / 寺内タケシとバニーズ (キング)

やっばりエレキと言えば寺内タケシが絶対です。

とにかくベンチャーズによって火がついた我国のエレキブームも、しかし寺内タケシが居なければ決して燃え広がらなかったでしょうし、それは加山雄三の傑作映画「エレキの若大将」でも明らかですが、極言すれば、後のGSブームが爆発することもなかったでしょう。

つまり寺内タケシという天才ギタリストがスタアとなったことで、ロックバンドで一番目立つのはボーカリストではなく、ある意味ではギタリスト! そういう構図が世界に先駆けて出来あがったのです。

それは紆余曲折の末にブルージーンズを脱退し、ついに自らの新バンドになったバニーズを結成した昭和41(1966)年になって、特に鮮明となりました。本日のご紹介は、そのデビューアルバム「バニーズ登場」からシングルカットされた素晴らしいエレキインストの決定版!

メンバーは寺内タケシ(g) 以下、黒沢博(g)、興石秀之(g)、荻野達也(org)、小野肇(b)、井上正(ds) という精鋭揃い! 時代の流れで前述のアルバムにはメンバー各々が歌ったボーカル曲も入っていますが、やはり親分のギターに比べると、失礼ながら幾分の魅力に欠けているのが、正直な感想でしょう。

と言うよりも、この当時、寺内タケシのギターと互角に対峙出来るボーカリストが存在しなかったというのが、本当のところかもしれません。

そうした事情は、例えぱ同時期、ジェフ・ペックが在籍していたヤードバーズあたりもそうでしたから、後にジェフ・ペックが独立して自分のバンドを結成した時、ロッド・スチュアートという強力なボーカリストを引き入れた事情も納得出来るのです。

しかし結果的にロッド・スチュアートに去られたことで些かの迷い道となったジェフ・ペックが、例えば「哀しみの恋人達」のような、自らのギター中心主義に基づくインスト路線で復活したのは全くの正解!

それはロックの歴史の中で、ジミー・ペイジにはロバート・プラントのレッド・ツェッペリンが大ブレイクした事実でも証明されていますが、ただしエリック・クラプトンやジミヘンのようにボーカルをギターでフォローし、尚更にインパクトの強いものにするスタイルは、全てを自らが演じることのみによって成立するものでしょう。

ですから寺内タケシが頑なにエレキインストを貫いた姿勢は時代遅れ!? なぁ~んていう発言は、完全に的外れのバカ野郎だと思う他はありません。

それは実際、このシングル盤B面収録の「テスト・ドライバー」を聴けば、グウのネも出ないはずです。

ド迫力のドラムスをイントロにオルガンとベースで醸し出される不穏な空気をブッ飛ばすのが、寺内タケシの強烈なエレキです。あぁ、この日本民謡的な曲メロをグッと重心の低いロックのグルーヴに変換させるフィーリングは唯一無二ですし、千変万化のアドリブパートの凄さは、当時の世界中のギタリストが束になっても敵わない境地と断言して、後悔しません。

いゃ~、本当に凄い!

特に2コーラス目、低~高音域を縦横無尽に駆け抜ける嵐のフレーズは、テクニックもさることながら、その閃きが神の領域ですよっ!

もちろん、本家「Terry-sh」のフレーズも出まくっていますが、必死で追走するバンドの面々の頑張りも良い感じ♪♪~♪

ですからA面の「テリーのテーマ」が、そのハートウォームな曲メロを存分に活かしきった名演になっているのは言わずもがな、後に「運命」のメガヒットで世界を震撼させる布石が完全に出来あがったというわけです。

最後に告白しておきますが、高校進学直前の春休み、ついにエレキを手にしたサイケおやじは、既に時代はニューロック、あるいはアコースティックギターであるにも関わらず、このシングル盤を聴きながら「テリーのテーマ」のメロディをコピーしたり、これからはバンドに入れてもらって、バリバリにエレキのバカ大将をやる決意を固めていたのですから、今となっては思わず自嘲です。

しかし当時は本当に真剣でしたし、だからといって寺内タケシの偉大さが失われるなんてことは絶対に無いでしょう。

これは真実!

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黛ジュンのエレキな登場

2010-03-24 14:14:43 | 歌謡曲

恋のハレルヤ / 黛ジュン (東芝)

歌は世に連れ、なぁんて言われますが、この時期になると無性に聴きたくなるのが、本日の名曲♪♪~♪

黛ジュンのデビュー大ヒットですが、ご存じのとおり、彼女はこれ以前に本名の渡辺順子として数枚のシングル盤を出していたものの、いずれも不発……。ここに新しい芸名を得ての再デビューとなった次第です。

そのブレイクのポイントは発売された昭和42(1967)年2月という、まさにGSブーム全盛期のサウンドを見事に歌謡曲へと進展融合させたことでしょう。つまり後年、「ひとりGS」とか「エレキ歌謡」と称され、根強い人気で愛好者を喜ばせた源流というわけです。

しかも音作りが東芝独得の重低音が効いた、当時としては本当に迫力のあるロック本流のものでした。

もちろん黛ジュンのコブシというよりも、幾分エグ味のある歌いっぷりは、当時の言い回しなら「パンチの効いた」というフレーズでしかありえません。極言すれば、ロックっぽいんですよっ!

また、「ハレルヤぁ~」という歌詞のキメが実に心地良く、当時の子供達でさえ日常的に使うことが出来たのです。

 「明日の遠足、天気は……?」
 「ハレルヤぁ~~~♪」

という感じで、思わずベタな昭和の思い出が蘇ってくるほどです。

ちなみにその頃のGS、つまりバンドやグループての人気が沸騰したことから、それまでのソロ歌手、あるいはバンド専属の歌手は幾分の落ち目になっていたのですが、黛ジュンが「恋のハレルヤ」で前述した「ひとりGS」を成功させたことから、後は続々と同系のエレキ歌謡、そして歌謡ポップスがひとつの流れになっていったことも今日の歴史かと思います。

当然ながら、その分野のトップ女性歌手は黛ジュンであり、ついには「天使の誘惑」でレコード大賞を獲得し、頂点を極めたのが昭和歌謡曲黄金期の実相でした。

あぁ、何時聴いても、黛ジュンは素敵ですねぇ~~♪

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サテンの夜の刹那の境地

2010-03-23 14:57:01 | Rock

サテンの夜 / The Moody Blues (Deram / キングレコード)

プログレといえば絶対外せないのがムーディー・ブルースです。

だいたいその分野はアルバム指向で鑑賞するのが王道とされていますが、しかしムーディー・ブルースの場合は立派にシングルヒットも放つ親しみ易さがあって、本日のご紹介は誰もが一度は耳にしたことがあるはずと、まさに断言の代表曲♪♪~♪

最初に発売されたのは1967年末頃らしいのですが、本国イギリスはもちろんのこと、世界各国で度々のリバイバルヒットとなって、我国でも歌っていたGSが幾つかありましたし、その中ではビーバーズの日本語バージョンがレコーディングされているほどの人気でした。

で、掲載した私有のシングル盤は昭和47(1972)年にアメリカを中心にリバイバルヒットした時の再発物ですが、実はここまでの間、私はムーディー・ブルースに対して、全くのノーマークでした。もちろん前述したとおり、曲そのものはGS時代を通して知ってはいたのですが、それがプログレにジャンル分けされている事なんて露知らず、当時はビージーズみたいなポップスグループのオリジナルだと思っていたのですから、いやはやなんとも……。

しかしムーディー・ブルースは知るほどに紆余曲折があったバンドで、最初の公式デビューとなった1964年頃には流行のR&B系ロックバンドとして、翌年には「Go Now」というヒットを放っていたそうですが、一番驚いたのはポール・マッカートニーの子分としてウイングスに加入していたデニー・レイン(g,vo,key,b) が、そのオリジナルメンバーだったことです。

そしてそれなりに売れっ子だったムーディー・ブルースが転換期を迎えたのは1966年、デニー・レインが脱退したことにより、メンバーの出入りが激しくなり、こうして1967年当時にはジャスティン・ヘイワード(vo,g,key)、マイク・ピンダー(vo,key,g)、ジョン・ロッジ(b,vo,key,per)、グラハム・エッジ(ds,per,key)、レイ・トーマス(vo,fl,sax) という黄金期の顔ぶれが揃うのです。

今日の歴史では、ムーディー・ブルースといえばメロトロンというキーボードでストリングオーケストラの音が作り出せる楽器が代名詞になっていますが、しかし1967年の新生時には決してそうではありませんでした。

というのも再デビューのきっかけとなったのが、ステレオレコード普及のためのデモレコーディングとして、オーケストラと共演するロック風味のクラシック演奏が出来るバンドという条件に、ムーディー・ブルースの目指す新しい音楽性が符合していたからだそうで、つまりこの「サテンの夜 / Nights In White Satin」にはメロトロンが使われていません。

もちろん企画性からシングルヒット狙いが先にあったわけでもないでしょう。

そうして作られた最初のアルバム「デイズ・オブ・フューチャー・パスト」は一説によればドボルザークの「新世界より」をモチーフにしたレコード会社からの押し付けだったと言われているそうですが、些か大仰な構えの中にあって、収録されたメロディ優先主義の歌と演奏は、意外なほどにどっしりとしたロックのリズムに支えられ、輝いています。

中でも、この「サテンの夜」は流石に出色で、緩やかなテンポで泣きを含んだメロディを刹那の境地で歌いあげるボーカル、地味ながら強い存在感を示すアコースティックギター、フルートとキーボートとストリングオーケストラで作りだされる華麗なる彩り、そして覚え易いキメのメロディがテンコ盛り♪♪~♪

本当に唯一無二の完成度で、例えば「メリー・ジェーン / つのだ★ひろ」等々、後々まで強い影響を受けた幾多のヒット曲が続いているほどです。

ちなみにウリとなったメロトロンが導入されるのは1968年以降のことですし、さらにムーディー・ブルースは決してスローで感傷的な演奏ばかりではなく、ロックだけの力強さと初期のR&Bバンドとしての本質も失うことがありませんでした。

しかし、この「サテンの夜」のイメージは、やはり絶大!

それゆえに続々と作られる新作アルバムは、当然ながらトータル性とクラシック趣味が横溢していないとファンは満足せず、現実的なライプの現場では相当なハードロックもやっていたそうですが、そんなこんなから煮詰まりも早かったのでしょう、ついに1973年頃からは活動休止……。

ところが既に述べたように、なんらかの因果があったのでしょうか、ちょっと勉強不足で真相が分からないのですが、1972年になって「サテンの夜」が突如のリバイバルヒット! 我国でもラジオの深夜放送で流れまくり、その深淵なメロディと刹那のボーカル、神聖にして情念が封じ込められたようなオーケストラアレンジの妙が、夜の底に沈んでいくような青春ど真ん中の気分を高揚させてくれたのです。

そしてシングル盤をゲットしたサイケおやじは、遅まきながらムーディー・ブルースの作品群を後追いしたのは言わずもがな、実はキング・クリムゾンに繋がる因縁とか、まさに英国プログレ界の光と陰を知ることになるのですが、それは別の機会に譲りたいと思います。

ちなみに前述したビーバーズの日本語バージョンも、リバイバルヒットに便乗する状況でシングル発売され、これまた味わい深いのでした。

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アージェント! アージェント!

2010-03-22 13:24:12 | Rock Jazz

Ring Of Hands / Argent (Epic)

1971年に発売されたアージェントのセカンドアルバムですが、率直に言って扱いは良くなかったと思います。これといったシングルヒットも無く、当然ながらこの作品も売れていません。

しかし中味の充実度はソンビーズの衣鉢を受け継いだというか、実にクールなジャズっぽさと所謂プログレと称されはじめたサイケデリックロックの進化形が混然一体に融合した素晴らしさ♪♪~♪

メンバーは前作同様にロッド・アージェント(vo,key)、ラス・バラード(vo,g,key)、ジム・ロッドフォード(b,vo)、ロバート・ヘンリット(ds,per) の4人編成ですが、実はゾンビーズ時代からロッド・アージェントの盟友だったクリス・ホワイトが曲作りとプロデュースに大きく参画し、それがデビュー盤以上の成果となって記録されました。

また、一方、ラス・バラードのハードロック王道の資質も見事に開花し、つまりは両極端な歌と演奏がギリギリのところで接点を見出したという緊張感が、たまりません。

 A-1 Celebration (Argent/White)
 A-2 Sweet Mary (Argent/White)
 A-3 Cast Your Spell Uranus (Ballard)
 A-4 Lothlrien (Argent/White)
 B-1 Chained (Ballard)
 B-2 Rejoice (Argent/White)
 B-3 Pleasure (Argent/White)
 B-4 Sleep Won't Help Me (Argent/White)
 B-5 Where Are We Going Wrong (Ballard)

収録された上記演目には参考までにソングライターのクレジットを入れておきましたが、既に述べたようにアージェント&ホワイト組が手掛けた楽曲はロックジャズ風味が強く、ラス・バラード単独の作品はロックど真ん中の雰囲気が濃厚です。

しかし双方とも、決して難解なことはやっておらず、当時の流行をしぶとく意識した作風も姑息ではないと思います。

それは先行シングルとして英米で発売された「Celebration」に特に顕著なんですが、ピアノと緻密なコーラスワークに彩られた快活な曲メロが、幾分バタバタしながらも力強いリズム隊にサポートされて演じられる時、そこには何の真似でもないアージェントだけのポップな世界が現出するのです。もちろん重ねられたギターやオルガンの響きも用意周到!

また続く「Sweet Mary」はアージェント流儀のスワンプロックとして、決してドロドロしない軽いフィーリングがジャズっぽく、う~ん、どっかで聞いたことがあるような……!? という落とし穴が憎めません。

そして一転、暗く躍動的な「Cast Your Spell Uranus」になると、ハードな展開の中に見出される元祖ゾンビーズの味わいが非常に興味深くなるのです。このあたりはコーラスワークも含めて、後にデビューしてくるクイーンを想起させられてしまうのですが、間奏の熱いオルガンアドリブにはバロックとモダンジャズの要素がゴッタ煮となった特有の熱気があり、短いのが勿体無い限り!

しかしご安心下さい。A面のラストを飾る「Lothlrien」は最高にテンションの高い名曲名演で、バロックを基調にした曲メロをロックジャズに変換していくグループの纏まりと躍動は驚異的♪♪~♪ 極言すれば、これもまた後の第三期ディープパープルを軽くしたような感じではありますが、ロッド・アージェントのエレピやオルガンがバリバリのモダンジャズですから、後半ではラス・バラードもテンションコードを用いたバッキングを演じる等、とにかくこれはロックジャズ! 当然ながらドラムスは千変万化のビートを叩き出し、ベースが堅実に蠢くという基本も大切にされた8分近い演奏です。

こうして熱い興奮に満たされた後、レコードをB面にひっくり返せば、そこにはさらに素晴らしい世界が広がっています。

まずは如何にもラス・バラードという「Chained」の重いハードロックとコーラスワークの融合にゾクゾクさせられますが、これまた前作に収められていたバンドの代表曲「Liar」と同じく、スリー・ドッグ・ナイトにカパーされているのは当然が必然でしょう。作者本人の刹那のシャウトとロッド・アージェントのエレピが対峙する展開は、本当にたまりませんよ。

で、それを露払いにした以降の3曲の流れが、このアルバムのハイライト♪♪~♪

荘厳なバロック趣味を丸出しにしたオルガンのイントロから清らかなメロディが歌われる「Rejoice」、その穏やかな雰囲気を尚更に神聖なものへと昇華させた「Pleasure」は、聴いているうちに思わず身体に力が漲ってくる感じが秀逸の極み! もちろん緻密なコーラスワークとジャズっほいアドリブパートも最高です。

あぁ、これは現代の「歓喜の歌」といって過言ではないと思いますねぇ~♪

そしてナイーブで感傷的な曲メロを重厚に熱く演じた「Sleep Won't Help Me」の完成度の高さは圧巻! 本当に我知らず涙が滲んできますが、間奏のエレピの呪術的な味わいも秀逸としか言えません。

う~ん、何度聴いても感動の美しき流れ♪♪~♪

それが締め括られるオーラスの「Where Are We Going Wrong」が、なんとも一般的なパワーポップなのも気が利いています。直線的な曲構成と輝かしいコーラスワーク、さらにロックジャズなピアノのアドリブ、炸裂するドラムスのビート、蠢くベースのグルーヴが、とにかく熱いです!

ということで、全く自分の感性にジャストミートした私的名盤!

しかし告白すれば、もちろんリアルタイムでは聴けず、実質的にアージェントがブレイクしたシングルヒット「Hold Your Head Up」を含むサードアルバム「オール・トゥゲザー・ナウ」が我国でも発売された後、昭和48(1973)年暮れになって、ようやくゲットしたものです。つまり聴く順番が逆になってしまったのが大いに残念なところでした。

それは件のヒット曲が出た頃のアージェントは既にソンビーズの面影が薄れ、当時の最先端だったプログレ、もっと言えばエマーソン・レイク&パーマーを意識したようなキーボードロックの王道に沿ってしまっていたからで、それはそれなりに素晴らしいことではありましたが、やはりゾンビーズ直系の味わいを希求すれば肩すかしだったのです。

ところが、このセカンドアルバムは違います!

もう完全なるニューゾンビーズとして、英国流ロックジャズの魅力が全開していますし、収録楽曲の味わい深さも絶品ですよ♪♪~♪

そしてこれを聴くことによって、シングルヒットも出せるようになった以降の全盛期が許容されるのです。なにしろアージェントの本質はアルバムにあるのですから!

決意表明すれば、この「リング・オブ・ハンズ」はアージェントの最高傑作で、特にB面を愛聴しているのでした。

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