OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

アイドル時代の佐藤恵利

2013-08-31 14:53:37 | 歌謡曲

まぶしいねチャイニーズ・ハーフ c/w シャワー / 佐藤恵利 (フィリップス)

佐藤恵利と言えば、今では脇役女優として有名な存在であり、サイケおやじにとっても全くそのとおりの認識なんですが、十代の頃はアイドル歌手としても3枚ほどシングル盤を出していて、本日掲載のブツは昭和55(1980)年初夏に発売された2作目にあたるものです。

しかしご存じのとおり、彼女は決して歌手としてはブレイクせず、それでもデビュー当時はNHKのアイドル番組「レッツ・ゴー・ヤング」で倉田まり子と同列に扱われ、松田聖子よりも有望新人として、山口百恵の後継を狙うひとりでありましたし、実際、ルックスや佇まいが山口百恵に似ていたんですよねぇ~~!?

実は後に明らかになるのですが、彼女は歌手デビュー前に山口百恵の演技代役、つまり山口百恵が出演するテレビドラマ等々で本人がスケジュールの都合で撮影に参加出来ない場合に、その後ろ姿や遠景シーン等々をやっていたというのですから、これはなかなか大きな話題になっていました。

ところが、だからと言って、佐藤恵利のレコードが売れるほど芸能界は甘くありません。

このシングル盤A面曲「まぶしいねチャイニーズ・ハーフ」にしても、作詞:荒木とよひさ&作編曲:林哲司の制作陣が狙いどおりの中華風フィリーディスコサウンドをアイドル歌謡に転化させ、しかも某航空会社のCMタイアップ曲であったにもかかわらず……。

なによりも、佐藤恵利は抜群に歌が上手いんですけどねぇ~~~、それゆえに何故だっ!?

という疑問が打ち消せず、しかし告白すれば、サイケおやじはリアルタイムで、このシングル盤を買っていなかったのですから、本当はそんな事を言う資格が無いのです。

こうして時が流れました。

そして既に述べたとおり、佐藤恵利は何時しか女優が本業となり、アイドル歌手であった過去は忘れ去られてしまうわけですが、ちょうどそうした昭和58(1983)年、サイケおやじは某所で、このシングル盤B面に収められている「シャワー」という、それはそれは素晴らしいAOR歌謡曲を聴いて仰天!

所謂メロウグルーヴ、スローテンポの16ビートを活かしたシティミュージックとしては本当に一級品で、作詞:康 珍化、作曲:岡本一生、そして編曲:大野久雄の良い仕事は確かに素晴らしく、しかし最高に輝いているのは、やはり佐藤恵利の歌の表現力です♪♪~♪

う~ん、この実力があれば、アイドル歌謡というよりも、ニューミュージック系AORのアルバム優先主義でボーカリストをやっていて欲しかったですねぇ~~~、本当にっ!

そして結局売れなかったのは、もしかしたら、このジャケ写のような厚化粧が裏目に出ていたんじゃ~ないですかねぇ……。

確かこの当時の彼女は二十歳前後だったと推察しているんですが、それにしてもですよ、全然アイドルらしくないんですから、それは今でも不思議です。

ということで、昭和のアイドル歌謡ポップスは非常にレベルが高く、実験も含めて、様々なアイディアと試みが実践されていた、実に幸せなジャンルだったと思います。

泡沫アイドルのレコードは数多残されていますが、リアルタイムで売れずとも、後々の再評価が何時までも継続される、幻の名盤&傑作トラックがそこにあるのは過言ではなく、宝探しの楽しみでしょう。

CD復刻の如何は不明ですが、佐藤恵利の「シャワー」は埋もれるには勿体無い名曲名唱として、再評価を強く望んでいます。

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乙女のワルツに夢中

2013-08-30 15:32:41 | 歌謡曲

乙女のワルツ / 伊藤咲子 (東芝)

さてさて、旅に出ている間に頼んでいたカーオーディオの大幅増強が出来たというので、昨夜は早速、意味も無くあっちこっちを走り回り、いろいろと鳴らしてみたんですが、仕上がりは、まあまあそれなりでしょうか。

そして皆様ご推察のとおり、通常はデジタルピートの歌や演奏を多く聴くことが無いサイケおやじですから、ソフトコアな音質に拘りたわけで、当然ながら女性歌手の「さしすせそ」発音が歪まないように注文を出していたのですが、結局はリスナー個人の好みの問題と話をそらされ(?)、微細な調整に時間を取られそうな嬉しい予感♪♪~♪

もちろん車内ですから、ソフトはCDということで、しかも昔の音源がメインのサイケおやじ嗜好にあっては、自ずと結果は知れているんですが、それでもあれこれ引っ張り出した昭和歌謡曲の中、まずは伊藤咲子でご機嫌伺いと相成りました次第です。

いゃ~、それにしても彼女の歌唱力の素晴らしさ、さらにはオリジナル楽曲の充実度には震えがきますねぇ~~♪

特に本日掲載のシングル盤A面曲「乙女のワルツ」は、導入部の厳かなオーケストラとコーラスのコラポレーションから穏やかな情熱を燃やすが如き伊藤咲子の節回しが絶品で、日本人ならきっと、どっかで聞いたことのある郷愁の曲メロとせつなさ満点の歌詞共々、完全に惹きこまれる世界ですよ♪♪~♪

当然ながら本来の目的であるカーオーディオの調整においても、この「乙女のワルツ」は最適で、もう何度聴いても飽きない真実に加えて、今を生きている実感に感謝であります。

ちなみに発売された昭和50(1975)年夏以降、ずぅ~~~っと長い人気を保ち続ける名曲ということで、作曲した三木たかしの元ネタ探しもあれこれ言われてきましたが、「琵琶湖周航の歌」と「ゴンドラの唄」の巧みに折衷の様でもあり、もっと深いモードに根ざしたメロディであるとすれば、やっぱりそれは三木たかしの天才性の証と思います。

しかし、そういう観点で言えば、これを露骨にパクった谷村新司の某曲は、如何にも芸がありません。

そしてもうひとつ、阿久悠が綴った歌詞の本気度の高さというか、綺麗事よりも本音、せつなさや悲しさも人生の味わいと思わざるをえない言葉選びの天才性も、特筆されるべき!

うむ、これはやっぱり伊藤咲子が歌ってこその名曲なんでしょうねぇ~~♪

ということで、本日も夜明け前から起きて、車内であれこれ「オーディオいじり」でありましたが、伊藤咲子を聴いていると、すっかり聴く方に気持が入ってしまうという、別の楽しみにどっぷり♪♪~♪

一応、私有のアナログ盤を室内オーディオで鳴らし、その耳ざわりを頼りにカーオーディオを調整する作業が、なにか瑣末な事に思えるほどです。

最後になりましたが、伊藤咲子は説明不要「スター誕生!」出身組ではトップの実力と人気を兼ね備えたアイドルでありながら、二十歳を過ぎたあたりから低迷……。

ご存じのとおり、そこにはプライベートな恋愛問題や周囲の音楽環境の変化等々、やはりアイドルが齢を重ねる中にあっての紆余曲折と言えば、あまりにも簡単過ぎるでしょう。

特に彼女が昭和59(1984)年、ロマンポルノ「刺青(曽根中生監督)」に出た事をアイドル決別宣言と受け取るファンも多く、いよいよ伊藤咲子が本物の大人の歌を聞かせてくれるにちがいない!

そう、確信していたのは、サイケおやじばかりでは無いはずです。

しかし結果的にフェードアウト……。

その後の彼女は結婚し、六本木でクラブのママを生業に、芸能界からは引退したのですが、四十代で難病を患い、闘病生活を送った事は、今や本人の告白がマスコミで流布されている現実です。

ところが、そうした人生の機微が、現在は再び歌手活動に復帰されている伊藤咲子の音楽的実力に味わい深い彩りを滲ませた事も、時々は出演されるテレビの懐メロ特番で我々は堪能出来るのです。

特に現在、相変わらずの人気で歌ってくれる「乙女のワルツ」は、リアルタイムよりも数段素晴らしいと感じていますが、いかがなものでしょう?

名曲とは演じる側の諸々があってこそ、リアルタイムの奇跡が続くもの!

と一概に決めつける事は出来ませんが、「伊藤咲子の乙女のワルツ」は、そうした稀有の名曲名唱でしょう。

そして当分の間、サイケおやじの車の中には、それ一色というわけです。

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五十嵐夕紀を忘れない

2013-08-29 15:14:52 | 歌謡曲

第一印象 / 五十嵐夕紀 (東芝)

アイドル正統派という括りで語れば、五十嵐夕紀を外すわけにはまいりません。

なにしろ渡辺プロダクションの養成機関だったスクールメイツ出身であり、もちろん同プロ所属として昭和52(1977)年に公式デビューした瞬間から、様々なテレビ番組や雑誌メディアへの登場も多く、可憐なルックスと爽やかなイメージで、忽ち人気を獲得しています。

ところが同時期には、高田みずえ、榊原郁恵、清水由貴子、香坂みゆき、等々の強力なライバルが顔を揃えていたのですから、その現実的な厳しさは想像以上だったと思います。

そして実際、歌手としては相当な枚数の秀逸なレコードを出しながら、大きなヒットを放つことが出来ず、今となっては人気先行の存在であったような気がしています。

しかしそれでも五十嵐夕紀がアイドル正統派とサイケおやじが思っているのは、デビュー当時の16歳から7年後の23歳、日活ロマンポルノ「双子座の女(山城新伍監督)」に主演するという、これ以上無い転身があったからで、つまりはアイドルで芸能界を過ごしていた彼女が、自分自身の存在価値を分かっていたゆえの行動!?

そこにサイケおやじは五十嵐夕紀の素晴らしさを感じてしまうのです。

ただし肝心の映画における彼女は、幾分優しい演出の所為もあるんでしょうが、イマイチ魅力を引き出されないままに……。

もちろん作品そのものは公開前から大きな話題になっていましたし、結果的にヒットしたのですが、五十嵐夕紀がこれ1本だけで成人映画から足を洗ってしまったので、楽しみが勝手に打ち切られた気分は拭いきれません。

それでも「双子座の女」という映画そのものは脚本も密度が高く、有明祥子、朝比奈順子、中尾彬、山田辰夫、たこ八郎、等々の共演者も充実していますので、今年はついにDVD化もされたことから、機会があれば、一度は鑑賞をオススメ致します。

ちなみに、その後の五十嵐夕紀ですが、ロマンポルノに出演という話題性もあって、あちらこちらで再び露出も多く、レコードもそれなりに出していたようですが、やはりパッとしたブレイクが無いまま、フェードアウト……。

う~ん、そんなこんなの芸能界生き残り処方は難しいがゆえに、正統派アイドルは尚更に眩しいのだっ!

そんな苦しいレトリックを用いてしまうほど、五十嵐夕紀は素敵だったというわけです。

ということで、最後になりましたが、掲載のシングル盤は昭和53(1978)年に発売された通算3枚目の隠れ人気作で、特にA面の「第一印象」は作詞:松本隆&作編曲:川口真が十八番の歌謡ポップスが全開♪♪~♪

とにかくイントロから軽快なアップテンポのアレンジが、まさにジャケ写そのまんまのイメージとでも申しましょうか、カラッとしたドラムスとリズムギターが印象的なサウンド作りと覚え易いメロディ展開は、これまた正統派アイドルポップスの典型でしょう。

そしてさらに素晴らしいのが松本隆の綴った歌詞の奥深さで、最初はど~ってことない男が実は自分の好みに合っていたのかもしれない? と自問自答するが如き女心の微妙さをアイドル歌謡に持ち込んだあたりの深淵な企み(?)は、流石!

極言すれば、言葉の端々を微妙に変えることによって大人の演歌の世界にさえなりうる、ほっとけないから面倒みるよ……、云々の「ひもつき」予備軍ソングみたいな感じを受けてしまうのは、例によってサイケおやじの独断と偏見かもしれませんが、でもねぇ~~~♪

五十嵐夕紀には、それも許されるムードが確かに感じられ、ご存じのとおり、翌年にはツッパリ歌謡の「ワル」を出してしまう彼女の予行演習の様でもあります。

あぁ~、アイドルだって人間ですか、齢を重ねる諸行無常は避けられず、ならばどのように過ごすのか、その理想形のひとつが五十嵐夕紀だったのでしょうか。

出し惜しみしない姿勢は尊く、やりつくした潔さがあればこそ、五十嵐夕紀をサイケおやじは忘れません。

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サイケおやじは旅行中

2013-08-28 15:27:18 | Weblog

ということで、旅の空です。

本日の1枚は例によっての休載、ご理解下さいませ。

明日帰ります。

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北村優子はアイドル正統派

2013-08-27 15:29:55 | 歌謡曲

ジェラシー / 北村優子 (日本ビクター)

どんな世界にも正統派の意義は厳然とあって、特に芸能界におけるアイドル部門では、それが尚更に大きいように思います。

つまりキワモノとかトンデモ系がウケるのは、正統派の存在があるからでしょうし、終始きっちりと「けじめ」がついているアイドルこそが、正統派!

例えば本日の主役たる北村優子は、当然の如く「スター誕生!(日本テレビ)」出身者であり、しかもキュートでありながら、穏やかな面立ちが所謂妹キャラとして、デビュー当時から忽ち高い人気を集めています。

しかし、実はサイケおやじが彼女を知ったのは、公式レコードデビューを果たした昭和51(1976)年春でしたので、前述「スター誕生!」決勝大会を経てスカウトされたのが昭和49(1974)年だったという現実を知ってみれば、その間の2年近くは、なんだったのか!?

という疑問が今も継続しています。

そして人気アイドルとして芸能界で活躍していた実質的期間も、実は3年間弱だったんですから、「旬」を大切にするジャルンの中にあっては、まさに理想の過ごし方だったと思います。

なにしろ引退の理由が、所属事務所取締役のご子息と結婚ですからねぇ~~!

大勢のファンを嘆かせたのは、言うまでもありません。

さて、そこで本日ご紹介のシングル盤は、おそらく通算3作目として、昭和51(1976)年10月に発売されたものですが、特にA面の「ジェラシー」が作詞:松本隆&作編曲:穂口雄右のハイブラウな感覚が良く出た隠れ名曲♪♪~♪

もちろん「隠れ」と書いたのは、実質的に大きなヒットにならなかった事に所以しています。

そして「ハイブラウ」なのは、エレピが主導のメロディ展開と派手気味なストリングスアレンジやビシバシにキメまくりのドラムスと弾むベースのコンビネーションの素晴らしさ、加えて結果的に目立ってしまうコーラスパートの潔さが、幾分拙い北村優子のボーカルを交えた絶妙の仕上がりになっているところです。

実は失礼ながら、彼女は「ステー誕生!」出身者としては、決して歌唱力に秀でているわけではなく、ルックスや佇まいに違和感のない声質と節回しがあってこそのアイドル人気でしたからねぇ~~♪

そのあたりをあまりに融通をきかせた企画や制作にしてしまったら、何も印象に残らないという狙いなんでしょうか?

個人的には、そこになかなかアイドル歌謡の本質と正統を楽しめるわけです♪♪~♪

ということで、このジャケ写のキュートな魅力共々、北村優子はリアルタイムのファンはもちろん、後追い再発見組からも熱い視線を集める存在になっているようです。

もちろん当時の芸能界ですから、歌以外にバラエティやドラマにも出演していた彼女は、決して今も忘れられていないはずですが、「懐かしの芸能人」特番にちょっぴりでも登場して欲しいと願っているのは、サイケおやじだけではないでしょう。

もう一度、逢いたい!

そう、思わせるのも、正統派アイドルの本懐であるはずです。

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おがた愛をもう一度

2013-08-26 15:20:16 | 歌謡曲

別れのブラックコーヒー c/w ひとつ残らずあなたに / おがた愛 (日本コロムビア)

大勢のスタアを輩出したテレビオーディション番組「スター誕生!(日本テレビ)」は現在、アイドルの温床の様に思い込まれている感がありますが、しかし特に放送初期には所謂実力派、あるいは既にそれなりのキャリアを重ねていた出場者も少なくありませんでした。

本日掲載のシングル盤を昭和48(1973)年に出して公式デビューのおがた愛も、その頃には二十歳を過ぎていましたから、当時の常識に鑑みても、アイドルとは呼べない歌手でしょう。

ところが一方、昭和の歌謡界においては、おがた愛も若手の有望株として、ある意味ではアイドル扱いであったのですから、今となっては隔世の感があります。

そしてとにかくA面曲「別れのブラック・コーヒー」が、アクション系ソウル歌謡と分類出来る、例えば朱里エイコ夏木マリ、はたまた欧陽菲菲あたりの路線と同じ、アップテンポで幾分スレた感じのイケイケ調なんですから、自ずと彼女の実力も知れようというものです。

特にサビでは素っ頓狂寸前のぶっ飛んだ節回しが強烈な印象ですし、グイグイ押していく後半~終盤の歌いっぷりの良さは、別れが必須の男への最後の挨拶という歌詞の物語をストレートに伝えるものと思います。

ちなみに作詞:うさみかつみ、作曲:鈴木邦彦、そして編曲:竜崎孝路の仕事は手堅いところもありますが、おがた愛の個性的な歌い回しが幾分ジャズっぽいフィーリングを含んでいる所為でしょうか、失礼ながら、ちょっぴり纏まりが希薄に感じられます。

しかしB面の「ひとつ残らずあなたに」は、同じ制作スタッフの狙いが極まったというか、なかなかソウルジャズっぽい歌と演奏が良い感じ♪♪~♪ ミディアムテンポでの粘っこいアクセントの用い方は、これがおがた愛の本来の持ち味!?

と思うほどなんですが、正直に言えば、これじゃ~、ヒットには結びつかないでしょう。

お叱りを覚悟で書かせていただければ、少なくともレコードデビュー当時のおがた愛には、純性歌謡曲がちょいと似合っておらず、むしろ後のニューミュージック畑がジャストミートなのかもしれません。

慾を言えば、大野雄二の作編曲あたりで歌うおがた愛を聴いてみたいんですよねぇ~~~。

ということで結局、おがた愛は数枚のシングル盤を出しながら大きなブレイクもなく引退されたようですが、それでも現役時代は「スタア誕生!」出身者と看板がありましたから、きっちり売り出されていたと記憶しています。

残念ながら今日でも、彼女は評価されているとは言い難いんですが、機会があれば皆様にも聴いていただきたい歌手のひとりです。

もちろん好き嫌いは十人十色、しかし虜になったら離れられない魅力は、個人的にも好きなルックス共々、何時までも気になるのでした。

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ソフトロック歌謡のバニーズ

2013-08-25 15:20:11 | 歌謡曲

金色のほほ c/w 青春は甘く悲しく / 荻野達也とバニーズ (東芝)

昨日は旧友の病気見舞いに行きましたが、本人が覚悟しているとおりの病状は、流石に辛いものがありました。

もちろん医師や家族からの話でも、周囲には本当の事を伝えるのが旧友の希望ということで、サイケおやじも心の準備をしなければならないようです。

う~ん、山口富士夫藤圭子の突然の悲報、そして旧友の重篤が続けば、どうにも自分の心が脆くなっているのを感じるばかり……。

そこで本日は、掲載のシングル盤を朝から聴いているという次第です。

演じているバニーズは、寺内タケシがブルージーンズを辞めた後の昭和41(1966)年に心機一転、自らの音楽性を極めんと結成したバンドであり、エレキインストでは世界的な名盤アルバムにして超名演集の「レッツゴー運命」を制作し、またブーム真っ只中のGSジャンルのグループとしても、「太陽野郎」「悪魔のベイビー」「レッツ・ゴー・ブガルー」等々の強烈なヒットを放つ大活躍!

ところが諸々の事情から、御大寺内タケシとバニーズ本隊が分離分裂するという事態から、ついには昭和44(1969)年頃には荻野達也をリーダーに、バニーズは独立独歩の道を歩む別のバンドになったというのが、今日の歴史でしょう。

それは確かに「別のバンド」と書くのが当然という、音楽性の大きな変化があり、ロック的なエレキインストやGSのフィーリングは弱め、むしろポップス歌謡、時にはムードコーラスに近いものまで演じる新路線は賛否両論だったと思われます。

ところが現在の感覚で新生バニーズの音源を聴いてみると、これが見事なソフトロック歌謡がど真ん中!

例えば昭和(1970)年に発売された、このシングル盤A面に収録されている「金色のほほ」は作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦、編曲:渋谷毅という、そのジャンルの第一人者が、がっちり手を組んだ良い仕事の傑作で、本当に気持の良いボサノバ歌謡に仕上がっているんですねぇ~~♪

ちなみに当時のバニーズのメンバーは黒沢博(vo,g)、栗山正(g)、鈴木義之(g,b,vo)、荻野達也(key)、井上正(ds,vo) という5人組だったと言われていますが、当然(?)ながら「金色のほほ」はオーケストラも導入されたアレンジにより、バンド色は希薄です。

しかしメロディの良さ、甘い歌詞の胸キュン度数の高さは、たまらないほどですし、バニーズの歌とコーラスのジェントルな雰囲気の良さは、微妙なロックっぽさが残っている事もあり、なかなか王道の歌謡曲としても一級品♪♪~♪

あぁ~、何度聴いても、自然に心が和らいでいく感じがクセになります。

またB面の「青春は甘く悲しく」も、これまた同じ制作陣の良い仕事であり、オーケストラの導入もありますが、バニーズのバンドっぽさと歌謡フォーク的な楽曲のせつなさが実に良い感じなんですねぇ~♪

ということで、前述した「別のバンド」云々は、特にこのシングル盤から尚更に顕著という印象なんですが、案の定、大きなヒットにはなっていません。

しかし当時のラジオから流されることも多かったという記憶がありますので、業界ウケは良かったんじゃ~ないでしょうか。

つまり一般的イメージとしてのバニーズは、未だエレキがバリバリで、それを期待させていた感があり、このシングル盤にしても、昭和50年代前半頃までの中古市場では安値でしたから、サイケおやじもその段取りでゲットしたものです。

そして物足りなさも確かにあるんですが、バニーズという看板を意識せず、別なコーラス系ポップスバンドとして、このレコードを聴いてみれば、秀逸!

失礼ながら、覆面グループというか、別バンド名義で顔を隠して発売していれば、それなりのヒットになっていたような気もしています。

ということで、青春ばかりか、人生も甘く悲しく……。

其々に良い時も、悪い時も、きっちりやってくるのが、この世に生きる理だろうと思います。

既に人生の終盤に入っているサイケおやじは、その覚悟が出来ないまま、漫然と日々の生活に追われるばかりなんですが、気持が前向きという事は、自らの最期を覚悟する事でもあるのでしょう。

せめて、すんなりと、こういうレコードを聴いていたいものです。

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何者も通用しない、あおきあい!

2013-08-24 15:16:55 | 歌謡曲

アンドロメダの異星人 / あおきあい (テイチク)

我国芸能界裏街道の人気歌手のひとりが、あおきあい=青樹亜依でしょう。

そもそも彼女は何が本業なのか、所謂トンデモ系と分類されるのが当然らしいのですが、一度でも彼女の存在に接してしまえば、後は自ずと心が惹きつけられるというインパクトは絶大!

実際、サイケおやじは、ある事情から彼女の講演会に臨席させていただいた瞬間、あまりにぶっ飛んだ濃密な空気感に圧倒され、しかもワールドミュージックが最大公約数みたいな歌の世界にも絶句させられた記憶が、今も鮮明です。

ちなみに現在では彼女に対する研究も進んでいるようで、心霊研究家でもあり、和製シンディ・ローパーでもあり、はたまた地球平和親善大使でもあり、最終的には、あおきあい!?

そんなこんなの正体不明な本物のスタアが、あおきあい!?

なんでしょうかねぇ~~~。

さて、そこで本日掲載のシングル盤は昭和57(1982)年に発売された、おそらくは歌手デビュー作と思われる1枚なんですが、ジャケットイメージの激しさ共々、とにかくA面曲「アンドロメダの異星人」が強烈過ぎますよっ!

なんとっ! ベタベタの演歌ロックというか、ある部分はプログレであり、アニメ主題歌と懐メロ歌謡が混然一体になったかのような、聴いているうちにミョウチキリンな気分にさせられること、請け合いの名作とは、この事でしょう。

もちろん浮ついた彼女のボーカルと節回しが、特有の説得力を持っているのは言わずもがな、作詞:八木康宏、作曲:条美樹、そして編曲:山本寛之という制作陣が何を考えていたのか???

という推定と分析が全く通用しない凄さが、確かにあると思います。

つまり全てにおいて極端を狙ったとしたら、自分達が率先して笑っている最近の芸人なんかは、お呼びじゃ~ない世界なんですよねぇ~~♪

しかも驚いたことに、彼女の音源が現在、纏まってCD化されているというのですから、まだまだ世の中、捨てたもんじゃ~ありません。

ちなみに掲載の私有盤は当時、業界の知り合いから頂戴したサンプル盤なんですが、果たして実売数がどれだけあったかは知る由もなく、それでも好事家の間では高い評価を得ているのだとか!?

う~ん、サイケおやじにとっては、やはりトンデモ系の域を出ないブツではありますが、ある日突然に聴きたくなる歌である真相も秘めているのです。

決して万人向けではありませんが、昭和歌謡曲の懐の深さを証明するレコードとして、本日はご紹介させていただきました。

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カバーじゃないのかっ! 石川秀美!

2013-08-23 15:39:54 | 歌謡曲

もっと接近しましょ / 石川秀美 (RCA)

今となっては、あまりにも有名なパクリ歌謡曲の本命として、本日掲載のシングル盤A面曲「もっと接近しましょ」を否定することは不可能でしょう。

しかし、実は告白すると、サイケおやじはリアルタイムの昭和60(1985)年新春、これをラジオで聴いた瞬間、おぉ~~、シーラ・Eの「Glamorous Life」が日本語カパーされたんだなぁ~~~♪

と、なかなか気持良く、この「もっと接近しましょ」を楽しんでしまったんですねぇ。

しかも、そんな思い違いをずぅ~っと普通の常識にしていたんですから、自分の不明を恥入るばかり……。

なんとっ! かなり後になって捨値の中古でゲットした件のシングル盤で「作曲:黒住憲五」のソングクレジットを確認し、愕然というか、後頭部を思いっきり殴られるとは、こんな感じなのかっ!?

そういう気分にならざるをえないほど、唖然とさせられた、これは「パクリ」と言うよりも、「盗作」じゃ~ないのかっ!?

う~ん、当時も今も、シーラ・Eやプリンスから訴えられる事件にはなっていないのかっ!

そんなこんなの気分は現在も晴れないんですが、いかがなもんでしょう。

しかし、あえて擁護するわけではないんですが、ここでの石川秀美の歌いっぷりは力強く、入江純のアレンジにもノリまくっている様は、確かに痛快なんですねぇ~~♪

ライプには一度も接した事がありませんが、もしかしたら石川秀美はパワー派のボーカリストなのかもしれません。

そして当然ながら、サイケおやじがアイドルではない、ボーカリストとしての彼女に興味を抱き、同じく捨値で市場にゴロゴロしていた本人名義のシングル盤を買い集め、聴いてみたれば、これまた吃驚!?!!

それらの中には、面白いほどズバズバと洋楽をパクリまくった名(迷)作が目白押しだったんですから、心底頭が下がったのは、決して皮肉やイヤミではありません。

また、果たして本人がそれをどの程度、認識していたのか?

なぁ~んていうのは、愚問に他ならないでしょう。

それほど石川秀美は吹っ切れた歌を演じていると思うばかりで、実は彼女だって、堂々とカパーバージョンを出しているんですが、それだって何の不思議もないほどにアイドル芸能という闇鍋の中に自然に溶け込んでしまっていたのですから、やはり流石!?!

そのあたりは追々、拙ブログに書いていく所存です。

そして最後になりましたが、本家のシーラ・Eは、ラテンファンク系の打楽器奏者として、また美貌のボーカルパフォーマーとして、1980年代から活躍し続けているわけですが、やはり一番有名なのはプリンスのバックバンドにおける注目度の高さでしょう。

というよりも、実質的なソロデビュー前から前座のようなライプをやっていたという話もありますし、サイケおやじがプリンスの巡業に接した時は、本当に親分よりもウケていた印象です。

それはハイキックでシンバルを一撃したり、タイコに電飾や金粉噴出の仕掛を施し、スティックで連打する度に派手なケレンが会場に振り撒かれるという、ド派手な演出もさることながら、高速フットペダルを駆使したドラミングや落したスティックのワンバウンド返し等々、とにかく視覚的&実力的な音楽性が良かったんですよねぇ~♪

ちなみに彼女はサンタナ所縁のパーカッションプレイヤーとして有名なピート・エスコベードの愛娘という、血筋の良さも侮れないところでしょう。

う~ん、そう思ってみれば、当時の石川秀美にも、シーラ・Eみたいなセクシーな衣装、特にスティックをガーターベルトやパンツに挟んで登場したり、ティンパレス叩きながらのケツふりダンスとか、もう一歩突っ込んだアクションを!

もしかしたら、やっていたのかもしれませんが、どうにも夢と妄想ばかりが膨らんでしまうのでした。

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追悼・藤圭子

2013-08-22 14:33:51 | 歌謡曲

女のブルース / 藤圭子 (RCA)

……、合掌。

 

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