OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

追悼・柳ジョージ

2011-10-14 15:12:33 | 日本のロック

雨に泣いている / 柳ジョージ (Bourbon)

またひとり、愛すべきミュージシャンの訃報に接しました……。

柳ジョージ、その落ち着いた佇まいは目立ちたがり屋が多い世界にあって、むしろ逆に目立ってしまう感さえあったと思いますが、本人は全くの自然体であったのでしょう。

もちろん大ブレイクしたのは「雨に泣いている」がメガヒットした昭和54(1979)年以降の事ですが、確かそれ以前は萩原健一=ショーケンのバックをやっていたと記憶しています。

また件の「雨に泣いている」にしても、ショーケンのテレビドラマの主題歌(?)でしたし、ずぅ~~っと前には解散直前のゴールデン・カップスのメンバーだったという履歴もその頃に明らかにされたとおり、なかなかに長い下積みが柳ジョージという人物を語る時には必ず持ち出される逸話でしょう。

しかしサイケおやじの印象では、柳ジョージはかなりの自由人だったんじゃないかと感じています。

というのも、音楽をやっている人種はプロアマを問わず、どっかしらカッコをつけたがる性癖が強く、それゆえに他人の前ではイキがったり、時には虚勢を張らなければならない宿命を背負っているわけですが、柳ジョージにはそういうところが露骨ではありませんでした。

それは今でも覚えているのですが、ちょうど「雨に泣いている」が大ヒットしていた頃、サイケおやじは偶然にも新幹線で柳ジョージ&スタッフ一同の移動と乗り合わせた時、同じ場所の女の子は車内の売り子までもがサインを求める騒ぎがあっても、なにか恥ずかしがっているような本人の仕草や表情が忘れられません。

しかも驚いたのは、旅の車中の柳ジョージは読書に集中していたんですねぇ。

もちろん、あの髭のある仙人のような風貌ですから、それはシブイ!

ところがさらに偶然は続き、サイケおやじの出張先の夜の街で、またまた柳ジョージの酒席を目撃すると、なにやらとても羨ましくなるほど「和やかな酒」で、それも極めて自然体!?

つまり柳ジョージというミュージシャンはスタアでありながら、スタア性を意識させない分だけ、尚更にスタアであったという逆説的な証明が成り立つ人だったように思います。

それはきっと自由人であるが故に、スタアを演じることが苦手だったんじゃないでしょうか?

もちろんサイケおやじは、きちんとした面識も無いわけですから、本人の葛藤とか悩みとか音楽的な面も含めての人間性は知る由もありません。

しかし少なくとも外側から見ていると、そういう感じしかしなくて、サイケおやじが柳ジョージの歌にシビれる要因の大きな部分を占めています。

ちなみに故人が演じていたのは黒人R&Bに根ざした歌謡ロックであり、またギターやサウンド作りにしても、レイドバック期のエリック・クラプトンからの影響がモロに強い「1970年代型」の典型だったと思いますが、決して凡百のニューミュージックでは無く、売れる為の努力はしているけれども、安易な妥協はしたくないという矜持があったはずです。

それは「雨に泣いている」のオリジナルバージョンが本来は英語詞であり、またブレイク以前の音源を聴くと、失礼ながら日本語の歌がしっくりキマっていない雰囲気が濃厚というあたりに、それをどうやって克服していったのか?

なにか、そんな下衆の勘繰りを捨てきれないサイケおやじではありますが、今は衷心より冥福を祈るばかり……。

ちなみに掲載ジャケットに写る柳ジョージはグラスを片手にのショットですが、前述した夜の酒場での本人もまた、そんな雰囲気で飲んでいましたですねぇ。

合掌。

コメント (18)
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