松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

SMAPでは歌えない、「私の家」。

2016-01-21 16:34:47 | 日記・エッセイ・コラム

 なだらかな坂道を、くるまが登って行く~♪

 今日もSMAPが一面だったそうです。記録はまだ続いています。

 昔のカセットから「私の家」というのを発見しました。誰だったかなと見たら、六文銭でした。小室等が歌うと、曲にペーソスを感じます。今の私に良く合う気分の歌です。同じ歌を本田路津子がカバーしていて、これもまた洗練されていい曲に仕上がっています。この曲が何よりいいのは、盛り上がりがないことです。最後に熱唱して終わる曲も、悪くないですが、これはこれでいいのです。

 六文銭は、吉田拓郎と一緒に盛岡に来たのを覚えています。当時から大人のグループで、私としては物足りなさを感じていましたが、今はちょうどいいです。多分、年のせいでしょう。電気科で寮の一年先輩が、貸せと言って宝物のSONY・P&Dを持って、ゲリラ録音に行きました。戻ってきたデッキを見て、泣きました。ふたが壊れて、明らかに地面に転がされた跡がありました。見かねた同じ部屋の4年の先輩が、怒鳴り込んで行って、修理させて、おまけに録音したテープをくれました。オリジナルです。

 最前列で録ったのが良く分かります。たくろうが、そのことについて何やら皮肉を言っています。しかし多分、左に寄り過ぎていたのでしょう。ベースの音がブンブン鳴って、うるさくて大変聴きづらいバランスになってしまっています。

 それでもお宝には違いありません。今はまだそのテープは聞いていません。1971年の出来事です。

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連続8日、スポーツ紙一面を飾ったSMAP。

2016-01-20 16:25:18 | 日記・エッセイ・コラム

 この辺では例えば、ネジが台座にしっかり固定できない状態を「ねじ、ばがなった」という風に言います。今日は天気がバガなったみたいな空で、北海道や北陸の方には申し訳ないくらいです。冬型の気圧配置で、天気図をどう見ても、こんなに晴れるわけないのに、どうしたもんでしょう。

 例えばバスが事故を起こした場合、バス会社のトップと旅行会社のトップが出て来て記者会見して頭を下げます。ところが芸能界は不思議な所で、不始末をしでかした張本人が出て来ないと、世間は納得しません。確かに誰かが指摘するように、世間を騒がしたなら、社長か副社長が表に出て、謝るべきでしょう。

 日本人の30%しか知らないこと。南極では風邪をひかない。その理由は、かなりの人が自信をもって言えるでしょう。風邪のウイルスは極寒では生きていけないから。残念でした。私もそう聞いていたので、CMのあいだに考えました。ウイルス自体は生き物でないから、寒いから死ぬとか暑くてバテるということはないはず。きっとウイルスを媒介するブタとか鳥が住めないから?

 答えは、風邪をうつす人が極端に少ないから。と言われても納得できないなあ。それは南極全体にインフルエンザが大流行なんてことは、あり得ないでしょう。人口密度が低いから。でも特定の国の基地に蔓延するってことは、あり得ることですよね。

 南極の地下数千メートルにボストーク湖というのがあります。この真上にあるのが、ロシアの基地です。湖までボーリングをして、微生物のサンプルを採取した結果、医師はじめ調査団に原因不明の病気が広がり、助けを求めたが治療法が分からず隔離するしかなかった、とかいう話がムーに載っていたのを思い出しています。

 結局、無風晴天は昼をはさんで4時間続き、冬空が戻って来ました。曇ってくるとホッとします。だって出掛けたくならないもん。

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消化不良の、SMAP謝罪?会見。

2016-01-19 11:18:46 | 日記・エッセイ・コラム

 フジテレビが、この時とばかりにスタジオ入りの様子から全編通して繰り返し放送しています。しかしあれは謝罪会見だったの? 誰に対して? 私は心配もご迷惑も、掛けられておりません。ただ興味本位で成り行きを見ていただけです。とくダネで誰かコメンテーターが発した言葉に納得がいきました。「公開処刑のような」確かに形でしたね。

 まず黒服。ネクタイもそのままお悔やみに行ける恰好でした。笑顔一つないそれぞれの言葉。香取慎吾は「また今日からいっぱい笑顔を作っていきたい」というその顔が暗く沈みこんでいました。自分の言葉で語っている風に見えて、誰かに(ジャニー)言わされている感が強かったです。

 並び方も、仕切り方も、キムタクが先頭でしたね。中居ははじっこで、小さくなっていました。リーダーも完全に代わりましたね。

 歴史を振り返ると、革命というのは民(たみ)が味方に付いた側が、圧倒的に有利です。だから私には、木村拓哉が裏切者に見えます。彼が一緒に行動を起こしていたら、革命は成功したでしょう。どんなに力のある事務所でも、市民の声は無視できなかったと思います。まあ、テレビに出るだけが芸能人かと言うと、それだけではないようにも思います。これからのマスメディアの革命さえも、成し得たかも知れません。

 そういう意味で、私には大変残念な結果だったという感想です。SMAPは今でも歌のプロではなくて、アイドルだったんだなあと思います。

 最後に、一般紙も報道するくらいのビッグニュースだった証拠に、地元紙の社会面の記事を載せましょう。会見の内容、全文掲載ですからね。もちろん1面も、都心の大雪に勝るとも劣らない大きさです。上層部に、隠れSMAPファンでもいるのかな。

 何があっても、ただ前を向いて進む? 何を目印に? 人間は後ろには進めません。それは後退と言います。

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全力で走り抜けた、21年の人生。

2016-01-18 16:25:51 | 日記・エッセイ・コラム

 きのうから大雪だと騒いでいたので、明るくなって玄関に新聞を取りに行きました。さあてまた除雪しましょ、と見たら全然降った形跡がありません。

 大雪の基準は、特にないそうです。東京では15センチほど降った場所があるそうで、これは一晩にしては多い方でしょう。毎年思うのですが、普段降らないところに降ると大騒ぎです。太平洋側の人間は、日本列島を貫く山脈に、敬意を払っていません。そのために山に雨水が溜まり、地下水が豊かなのですが。

 鉄腕ダッシュの番組欄が赤くなっていたので、これは秋田に関係した何かがあるな、とは思っていました。ラーメンを作るために、最高の軟水を求めて白神山地へ城島が来ていました。標高600mの湧き水は、硬度0.1で、宗田ガツオのダシが最も良く出るのだそうです。これも山の恵みです。

 さて、12人の大学生が亡くなったスキーバスの事故。日本もただの国だったことを思い知らされました。韓国や中国で、事故が頻発するのを、眉をひそめて見ていた自分が恥ずかしいです。やつらと何にも変わらない国だったんだ。要は上で搾取して、下がわずかの利益を求めて無理して事故る。どこも構図は変わりません。

 深く印象に残るのは、小室さんのお母さんの言葉です。あまりに冷静で、こっちが戸惑ってしまいます。「何事にも本当に全力投球をする子で、ちょっとあの、忙し過ぎるぐらい、走って、あの、ちょっと21年間を、急いで過ごしてしまったかなと言うぐらい・・とにかく走り続けていたような娘でした。」「国際的なことにすごく興味があった娘でしたので、海外でのなんかあの開発のようなこと、街づくりにすごく興味を持っていて・・何でもやってみたい娘でした。誇りに思います。」「倹約するところが非常に多い娘でしたので、安いツアーを選ぶというのは、その感覚は正しいと思います。でもそういう学生の子たちが安心できないような、そういう会社であるべきではないと思うんですね。死を無駄にしないように、皆さまにそういう会社であってはいけないということを、考えて頂くいい機会にしていただければ、娘の死も報われるのではないかなと思います。」

 事実を受け入れる能力に秀でているのか、あまりに冷静な対応にびっくりしています。普通、ほっといてくれ、とか怒りを何かにぶつけるのですが。できたお母様です。通夜に1,200人というのにもびっくりしました。交流の広い、お嬢様だったのですね。

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デビットボウイで、タイムスリップ。

2016-01-17 16:30:38 | 日記・エッセイ・コラム

 どうしてもYouTubeの音では納得できず、カセットデッキを買いました。これで40年前に録音したデビットボウイを聴くのです。デビットボウイは意外とシンプルな安いカセットに録音されていました。西ドイツのBASF製です。初めて出てきた音はSTAR・MANが終わった後のカーリー・サイモン「うつろな愛」でした。ボブ・ディランもありました。安い割りにBASFのテープは頑丈でした。40年前にしては、出力も高くいい音出しています。それにさすがは新品。我慢して使っていたデッキは回転を制御できず、音が上がったり下がったりしていましたが、これは安心して聞くことができます。

 しかしカセットテープというのは、なんて寿命の長い媒体なのでしょう。オランダのフィリップス社が1962年に開発したのですから、優に50年を超えます。今また若いファンが増えているとか。いいことです。

 さて「風に吹かれて」が終わると、なぜか私の歌声が聞こえてきます。やべエ、と言っていつもならヘッドホンに替えるところですが、きょうは40年前の自分の声をじっくり聴きます。当時使っていたSONYのP&D。これにはマイクが付いていて、ミキシング機能はありませんでしたが、私は片側のトラックに自分の歌を混ぜる方法を知っていました。マイクのカバーを半開きにすると出来たのです。森進一とビートルズを歌っていました。意外といい声です。それに今は出ない高音が楽に出ています。そんな頃があったんだあ。早送りすると、テープが張り付いていることがあるので、順序良く再生します。しばし楽しんで、オートリバースが働いて裏に行きました。「TIME」です。おお、これは思ったよりいい曲でした。3本の指に入るかも知れない。デビット・ボウイの世界は、音もグラマラスです。全然違います。今こういう音作りをする人はいるんでしょうか。とっても新鮮で、まったく古さを感じさせません。やっぱりデビットボウイはスピーカーで聴くべし。ようやくオレの空間が戻ってきた。うれしい。

 40年前の自分から届いたプレゼント。大事に時間の箱を開けています。バロックの時代も含めて、こんなに毎年、新曲が出ているのに、まだ新しいメロディが生まれるなんて、信じ難い世界です。

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