反省点はいろいろある。厳粛な祭りを隅々ほじくるのは良くない。例えば「牛乗り」の神掛かったヒトの顔を見たくて、下からしゃがみこんで狙う。オレもそうだった。
目を開けることはなかったと思うが、時折上を向くことがあった。それは昏睡状態になっていて、頭がぐらぐらするからで、決して酒だけのせいではない。あの方がどんな心境なのか、大概の人は勘ぐるだろう。行って、戻って、「くも舞」が終わるまでじっと待つし、いやだろうなあ、なんて下々の人間は思う。しかし当人は無心の状態に違いない。
一番余裕だったのは、牛引き役のおじさんだった。ねじり鉢巻きにハッピに長くつ。牛のことは一番良く知っている。あとは牛に任せた。そういう余裕が感じられた。
スサノオを乗せる時に、左右どっちの足からどうの、と指摘していた。過去に、牛に足を踏まれた人がいたようだ。牛は立派だった。子供らが、買ってきた笛や風船を膨らまして、騒いでも、動揺しなかった。ぼくらは、なるべく刺激しないように、シャッターを切る時も、遠慮がちに撮っていたが、中にはストロボをバシャッと焚く人もいたし、牛の目玉を撮りたいのか、大きなレンズで目の前に行く人もいた。あの牛こそ神格化した本物だった。しかし生理現象は我慢できない。待つ間、オシッコは出るし、御幣を三度回る際にも、ウンチをポタポタ落とした。すかさず、「砂撒け、砂撒け」と声が掛かる。バケツから砂をまいて、砂ごと回収するのだった。あの連携プレーは手馴れていた。そう言えば、神社前にも砂の跡があったっけ。
「くも舞」の人を「チョマン」と呼ぶらしい。「チョマイ」をする人だから。チョマイとは蝶舞のことだ。トンボ返りのことは、チョマンケリという。揺れる船の上の、張った綱をつかみ、ひっくり返るのは、難しい技に違いない。
これの成功の可否も、何かの占いにつながるのかも知れない。あの赤い衣装は、ヤマタノオロチを表すと言われるが、またスサノオと結婚した「クシナダヒメ」であるとも言う。
無駄な時間も多かったが、それも含めての「伝統の祭り」なんだと思う。無職の私には、貴重な時間を充実して過ごした感がある。ボートの上で何が行われているか、分からなかった妻は、
わたあめを、買う時、値段を確かめる。消費税が上がっても、以前と変わらない。前回もそうだった。ずっと変わらない。これがテキヤさんのイメージ戦略だ。