スティーブンに関して言えば、彼は目から入った情報を整理しないから、あれだけ細部の情報まで描ける。普通の人間は例えば運転していて、歩行者がいる、交差点だ、信号は何色、対向車、今のスピードは、様々な目と耳から入る情報を整理して、次の行動を決定している。その時建物の細部の模様なんかに見とれてはいませんよね。これを単純化の処理と言っています。つまり情報を整理、分類するから反応できる。ところがサバンの人たちはこれをしない。見たままを記憶し、そのかすかな知覚情報が蓄積されている場所(脳の特定部位)にアクセスし読みとることができるのだ、と。しかもこの能力は本来誰でも持っている能力なのだ、とまで言っています。ただ我々の場合はその潜在意識を引き出すことができないだけだと。
さて、場所は変わってアメリカはカリフォルニア大学サンフランシスコ校で、脳の障害患者を専門に見ているブルース・ミラー博士。彼の患者で、株のブローカーとして第一線で活躍するビルという人は50代で痴呆症の症状を発病しました。その時息子が言うには、「自分は芸術家になった」と言って絵を描き始めたそうです。先生曰く、「彼は数字に没頭する生活から、視覚的なイメージの中に生きる人間になった」というわけです。そこで気になった先生は外にそういう患者がいないか探しました。すると驚くことに11もの症例が見つかったのです。中には50代の主婦で一度も絵筆なるものを握ったことのない人が子供の頃の記憶をもとに風景画や静物、帆船の絵、そして集団で駆ける馬の絵など描き始めたのです。この馬の絵は素人が見てもたいしたもんです。躍動感ある均整のとれた走る馬を描くには相当な技術が必要でしょう。ほかにも作曲に目覚めて美しい曲を何曲も作った人など、いるそうです。これらの患者のCTスキャン画像からは脳の同じ部分に損傷が認められました。「痴呆が眠っていた才能を解き放つなんて、まるでおとぎ話を見ているようです。」そして博士は同じような才能を発揮するサバンのことを連想したのです。「これら痴呆患者とサバンの間に共通点がないか、知りたいと思いました。」
そこでアメリカにいるサバン症候群の少年の脳のCTスキャンを撮ってみることになりました。すると、痴呆患者の脳とサバンの脳は想像していた以上に良く似ていました。両者とも側頭葉の左前部に損傷が見られました。ここは分析や言語や概念をつかさどる部分です。
私と同じように最近、歳と共に物忘れがひどくなったと感じている皆さん。もう心配いりません。痴呆は恐いどころか、ひょっとすると、ゲージツ家になれるかも知れません。
ミラー博士は割合慎重派で、まだ研究は始まったばかりで分からないことはいっぱいあって結論づけるのはまだ早い、と言っています。しかし、ボケと正気の境界線上のアリアを行ったり来たりしている私なら多少の危険を犯しても芸術家や音楽家になりたい。数学家はなりたくない。そのためなら周囲からボケと言われてもいい。ただし脳の、分析や言語や概念をつかさどる部分は絶対残しておきたい。でないと人間じゃないもんね。