大舘地区の統合校の名称が決まった。大舘桂桜(けいおう)高校。もちろん慶應義塾大学とは縁もゆかりもない。それはいいとして、ネーミングの理由が実にバランス感覚がまともだ。大舘高校の「大舘」を残して、大館桂高校の「桂」を使い、大舘工業の所在地から「桜」を取った、そうだ。この光景は前にも見たな。
芭蕉市でなければならないワケ
2/28のさきがけ朝刊に仁賀保・金浦・象潟が合併した時の新市名候補が挙がっていました。全部で36通りありましたが、私の期待した名前はありませんでした。「ばしょう市」は私の発案ではありません。知人の発案です。これを聞いたとき、思わず唸ってしまいました。それ以来、私の中ではこれ一本に決まっていました。
「だって芭蕉は象潟にしか来てないでしょう?」妻の言葉です。よく分かったね。でもね、そんなこまかいことはどーでもいいの。合併すれば仁賀保の住民は「オラほの市さ芭蕉が来たんだぜ」と胸張って言えるでしょう。来たばしょうが、いえ、場所がはじっこであろうが真ん中であろうが問題ではありません。
芭蕉市を名乗る資格があるのは松島と象潟だけです。松島は旅の最初からの目的地であったし、象潟は最北で最終の目的地だからです。そのうち松島はあまりに有名だから「芭蕉」という名前は譲ってくれるでしょう。姉妹町の仲ですから。
名前は陰陽師、安倍の晴明によると最も短い「呪(しゅ)」です。人はその土地を名前から受ける印象で記憶にしまい込み、次からは名前を見るとその土地を連想します。ほかの土地は思い浮かばないという意味で、その土地には「呪」がかけられたのです。一度覚えた印象を変えるのは並大抵ではありません。反対に一度覚えてもらったら簡単には消えないでしょう。
3つの国境にこだわることは何の意味もありません。昔ばなしになりますが仁賀保高校という学校が新設されたとき、三町のバランスが絶妙だと思ったのは、名前が仁賀保で、場所が象潟町、一番近い駅が金浦だったことです。就職やなんかの関係で訪れる企業のお客さんはたいがい仁賀保の駅で下車して、はるばるタクシーを飛ばして来たものです。
象潟町をぶらぶらすると芭蕉の足跡を残そうという意図が感じられます。宿泊した場所には説明付きの看板が立っています。蚶満寺はもちろんです。県境の遊佐町とは毎年、三崎公園のあたりで国盗り合戦をやって、国境がそのたび動きます。県境をまたぐかたちの、片側絶壁になった旧三崎街道は、難所と言われた場所で今でも昔のまま残されています。ひとつひとつの石段を踏みしめると、同じこの石を踏んで芭蕉に曽良は入って来たんだと実感できます。
本荘・由利に16年4ヶ月勤務して、嫁まで付録に付いてきて「ばしょう市」を第二のふるさとと思っている私の情熱、感じていただけましたか。36個の中から選ぶしかないのでしたら、潔くあきらめましょう。でも次に能代近辺で何かあった時は私は期待します。大体想像つくでしょう。そのとおり。「しらかみ市」です。
若かったなあ。盛岡市舘向。下宿の前の公園で、ほぼ毎日子供たちを相手に遊んでいました。もう一人のおじさんは、同じ下宿の8年生の松本さんです。